16/07/08 14:18:38.77 bgzTKFpO0.net
>>295
社会党が反自民の受け皿だったから、
自民党が民社党の政策をつまみ食い、パクったから、です。
岡崎久彦・佐藤誠三郎「日本の失敗と成功」(扶桑社、2000年) P244-246
■ 問題提起 ■ ― 佐藤誠三郎
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・野党の多党化と野党第一党としての社会党の惰性的存続
民社党が社会党から分離、独立したが伸び悩んだ。
その背景として、自民党が包括政党として、現実主義を独占していたので、
現実主義的野党の存在意義が乏しかったことがある。
一方、高度経済成長で都市への人口集中が起こったが、
その組織化に最も成功したのは創価学会だった。創価学会の政界進出で、
公明党が急成長し、共産党もその後を追って議席をやや伸ばした。
社会党は、長期衰退の道を辿(たど)りながらも、「反自民」票(プロテスト・ヴォート)を
吸収することによって、野党第一党としての地位を長く維持することができた。
現実的になると「反自民」票を失い、少数野党に転落するという危機感から、
社会党は非現実的な政策に惰性的にこだわった。これが自民党の一党優位の
立場をますます強化することとなった。社会党は、自民党長期政権を存続させる
安全弁の役割を事実として果たしたのである。かつて原敬が夢見た
政友会一党優位性は、五五年体制という形で実現した。
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◎野党は非常識が大前提 ― 佐藤
社会党が、あれほど非常識なことを言っていながら、なぜ惰性的に存続し、
ずっと野党第一党であったのか、そして民社党が「