縄文人こそ真の日本人、弥生人はシナチョンat GEO
縄文人こそ真の日本人、弥生人はシナチョン - 暇つぶし2ch1:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/20 17:35:01.30 hkd/uY60.net
弥生人とは、大陸や半島から侵入して居座った吊目ペタンコ顔ども。
真の日本人は、彫りの深い顔立ちの縄文人だ!

2:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/21 07:28:08.39 W8lmM6Yc.net
縄文文化こそ、ニッポン文化の源

3:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/21 11:52:56.50 ep41df2p.net
完全純血日本人の松村文雄さまを皇位に!
スレリンク(emperor板)
コイツは縄文の生き残りなのか

4:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/22 02:15:50.25 CBwpkq9I.net
薩摩人は縄文の血が濃い。
薩摩が政府を牛耳ったのは正当

5:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/22 10:32:03.13 rx0JbzBm.net
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人だがな

6:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/22 14:45:42.76 5M6veOSU.net
などと、デマを広める韓国人

7:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/22 21:19:44.09 BLpk1K50.net
>>6
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

8:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/23 20:18:51.49 pn+YldVw.net
1学説を印籠にするマヌケ

9:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/24 19:31:56.14 U6lYFJ2b.net
縄文=ニッポン
弥生=シナチョン

10:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/24 19:46:21.06 xH6XLU68.net
日本人って遺伝子の割合で言えば
縄文人2:弥生人2:古墳人6くらいなんだろ
チベットあたりから来た奴らのほうが割合多いじゃん

11:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/25 05:22:54.74 bCWUECvL.net
暗黒物質の存在を否定する新説 オタワ大学の研究

 光や電磁場と相互作用せず、光学望遠鏡や電波望遠鏡で観測できないにもかかわらず、銀河の運動の説明に必要不可欠とされるのが暗黒物質だ。
 オタワ大学は15日、この暗黒物質の存在を否定する新しい説を公表した。

 宇宙論の世界で暗黒物質の存在が確実視されるきっかけとなったのは、米国の女性天文学者ベラ・ルービンがアンドロメダ座の大星雲を観測し、中心部と周辺部の運動速度に差がないことを見出したことによる。

(以下略、続きはソースでご確認ください)

財経新聞 2024年3月20日 15:56
URLリンク(www.zaikei.co.jp)

12:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/25 07:58:02.39 RdemSeaW.net
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

13:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/25 13:30:47.72 n5PPTtvw.net
>>9=12
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

14:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/25 13:32:47.86 n5PPTtvw.net
>>9=12
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

15:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/26 02:47:48.72 EVIV6ZfJ.net
なんだ、この火病

16:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/26 03:57:24.29 EReNqFsA.net
>>14
コレがフルボッキきっしょい、無職の底辺労働者でキモハロオタのおっさん

17:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/26 12:43:02.17 c5235LaS.net
>>14
その異様な空白はなんだ?

18:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/26 13:19:47.12 L7Qra7q+.net
>>15-17
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

19:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/26 14:50:46.84 EReNqFsA.net
>>18
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

20:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 12:48:57.05 UMVWy9Gs.net
>>19
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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21:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 12:50:29.27 UMVWy9Gs.net
>>19
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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22:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 13:17:50.80 lJdoOKh8.net
余白野郎の必死さw

23:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 16:01:48.73 p0rdquj/.net
外国人
日本人
ハーフ
ダブル
ミックス
クォーター
混血
人種
民族
遺伝
遺伝子
DNA
世界

地域
外国
海外
日本
国際
国際社会
国際結婚
インターナショナル
グローバル
先祖
子孫
子孫繁栄
国外
国内

24:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 16:05:56.72 p0rdquj/.net
モンゴロイド
コーカソイド
ネグロイド
オーストラロイド

25:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 16:06:10.28 p0rdquj/.net
アメラジアン

26:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 16:06:25.61 p0rdquj/.net
GIベビー

27:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 16:06:51.37 p0rdquj/.net
アイヌ
アイヌ人
アイヌ民族

28:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 16:07:22.73 p0rdquj/.net
縄文人
弥生人
渡来人
日本人

29:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 16:08:17.12 p0rdquj/.net
褐色人種
茶色人種
褐色人種(茶色人種)
茶色人種(褐色人種)

30:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 16:29:16.24 SGR821qp.net
薩摩隼人に従属するのが、ペタンコ顔の責務

31:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/27 21:25:13.43 2eUnyiH9.net
>>20
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

32:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/28 17:56:20.28 v1dbNKw6.net
>>31
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

33:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/28 20:35:33.36 xeghagaW.net
>>32
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww

破壊靭性だろうがwwwww

無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

34:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/29 05:28:50.31 f0fx6XJq.net
89不要不急の名無しさん2020/05/11(月) 12:38:28.79ID:eOXNo8cYO
古来より半島から侵入してくるのがいた。
真に純血日本人は、オレさまなどわずかしか居ない
スレリンク(newsplus板:89番)

35:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/29 11:28:26.75 NJo8PkuW.net
アイヌはロシア語でオホーツク人を検索すると出てくる
オホーツク人より古いオホーツクにいた猿人です
顔 体型 毛 目のあたりがウポポイの巨大なアイヌ人男性に
そっくりです 

36:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/29 11:39:56.09 NJo8PkuW.net
オホーツク人の二ヴフ(ツングース)は重要な役割を果たしており
歴史上ニヴフに関する最古の言及は、12世紀の中国の年代記であると考えられており
元中国のモンゴルの支配者と接触していた
ジリエミ(中国語:吉列迷)と呼ばれる人々について言及しています
彼らは1263年以来モンゴルと同盟を結んでおりモンゴルは
北海道からサハリンに侵入していたアイヌに対して
ニヴフを支援するためにサハリンに侵攻しました
1643年、ヴァシーリ・ポヤルコフはニヴフについて書いた最初のロシア人であり
ツングース語の異義語であるギリャークと呼び、1920年代までニヴフと呼ばれた
元時代以降、サハリンのアイヌとニヴフは満州がヌルガン地方軍事委員会の
一部として明の支配下に入った後、中国の明王朝の朝に属朝になりました
二ヴフ人女性は明の漢人の役人と結婚しました

37:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/29 11:45:49.03 NJo8PkuW.net
北〇道アイヌ人が猿人であったことが判明したため
猿人のことを縄文人と言ってるのか縄文人は猿人ではない
別なものなのかオホーツク人の中にとけこんでたのが
猿人だったのかわからなくなりました

38:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/29 11:54:53.54 NJo8PkuW.net
アイヌを縄文人の子孫だよと拡散していると
オホーツクにいた猿人が縄文人になります
縄文人こそが日本人だと言ってると
オホーツクにいた猿人が祖先だと認めたことになります
アイヌと縄文人を別々にしないと不都合が生じます

39:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/29 14:09:37.03 xUvZVtVA.net
>>33
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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40:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/29 14:10:21.25 xUvZVtVA.net
>>33
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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41:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/30 12:11:34.70 N9K1llPA.net
>>33
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

42:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/31 08:45:17.23 moJkx5vU.net
フルボッキ釣られる

43:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/31 13:45:27.45 W52yPXg6.net
>>42
フルボッキじゃないけど、弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、
中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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44:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/31 13:47:02.87 W52yPXg6.net
>>42
フルボッキじゃないけど、弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、
中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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45:名無しさん@お腹いっぱい。
24/03/31 18:34:04.98 moJkx5vU.net
>>43
いやお前のしつこさと連投癖はフルボッキ以外の何物でもないw

46:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/01 13:13:01.61 4tq6P6DF.net
>>45
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

47:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/01 13:52:00.38 CpVE5hSE.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww

馬鹿すぎwwww

48:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/02 09:58:23.16 1RcUzZuT.net
弥生人はシベリアにいたウルチ族みたいな人やろ 
大和人は朝鮮半島や日本列島に文化を伝えた文明人だよ。 

49:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/02 10:02:05.64 1RcUzZuT.net
縄文人 アイヌとオーストロネシア
弥生人 シベリアのツングース系 
古墳人 黄河沿岸部から日本列島や遼東半島に渡来 日流祖語 扶余語?

50:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/02 13:39:56.65 Pfs0u2h+.net
>>47
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

51:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/02 13:40:46.07 Pfs0u2h+.net
>>47
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

52:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/02 14:37:07.17 gDLcMZwv.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

53:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/03 14:25:05.95 +zraD/3T.net
>>52
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

54:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/03 21:38:39.44 wenPKGzD.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww

馬鹿すぎwwww

最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

55:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/03 21:41:11.27 wenPKGzD.net
現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

56:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/04 13:58:11.92 8Hj70cQo.net
>>54-55
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東ア


57:ジアの集団を 含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの 集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。 この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる 寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮 から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、 北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系 民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。 日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋 .



58:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/04 13:59:16.43 8Hj70cQo.net
>>54-55
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

59:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/04 14:25:44.34 P8ZbDZxg.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw
現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

60:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/04 20:18:04.24 NyO5njBy.net
キーロー人

61:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/05 13:12:56.76 hlurqDsS.net
>>58
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

62:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/05 15:18:35.22 Y2LN27j9.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw
現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

63:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/06 12:10:08.55 uxHifExG.net
>>61
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

64:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/06 12:11:16.06 uxHifExG.net
>>61
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












.

65:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/06 21:55:21.06 g+UEiNJv.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw
現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

66:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/07 12:44:19.41 XJQM7II9.net
>>64
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

67:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/07 14:37:41.03 evHDuLdI.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw
現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ
↓脳死の馬鹿がコピペしますw

68:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/08 13:24:48.92 v19mLLpg.net
>>66
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

69:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/08 13:25:35.45 v19mLLpg.net
>>66
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

70:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/08 16:24:15.88 8zY1VCjE.net
無駄な行数開けてリソースも無駄に消費するんじゃねえ
お前の個人日記じゃねーんだよクソバカが

71:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/09 13:32:50.39 AmaEUc7e.net
>>69
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

72:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/10 12:32:00.70 FwnZNjgr.net
>>69
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

73:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/10 12:33:11.76 FwnZNjgr.net
>>69
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

74:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/10 17:17:33.68 Di0niSgy.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

↓脳死の馬鹿がコピペしますw

75:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/11 12:58:01.82 hnVg8YFj.net
>>73
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

76:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/11 16:57:45.86 vbzDJpiW.net
馬鹿みたいにPDF貼ってるようだけどみねーからw
新しく見つかったトルコの人骨知らないみたいだなw

77:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/12 13:41:44.29 C5+yLq1n.net
>>75
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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78:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/12 13:42:34.65 C5+yLq1n.net
>>75
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

79:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/12 16:33:47.63 yjTnQsm1.net
新しく見つかったトルコの人骨知らないみたいだなw

80:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/13 14:16:24.35 0n2ho81n.net
>>78
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

81:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/13 21:21:19.73 lptviWXx.net
古墳人とかはもろチャンコロだよねw
日本にも全然日本人じゃないのに自称中国系日本人とかいるしw

82:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/14 13:03:15.80 1lmrP107.net
>>78
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

83:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/14 13:03:55.68 1lmrP107.net
>>78
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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84:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/14 13:55:15.27 wIwe3W4N.net
ネットの時代遅れのPDFをコピペし続ける情弱www

85:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/14 13:56:27.39 wIwe3W4N.net
アフリカ起源説なんかもう死んでるんだよね
トルコあたりの集団が動物をおってアフリカに移動したのが最新の学説
人骨出土済み、反証不可能

86:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/15 00:30:11.07 g6nt3ilt.net
縄文人のDNAが極東アジアのユーラシア人(ロシア人)とDNAが近いことも知らないんだろうなぁw
エクアドルから縄文式土器が見つかったり、エクアドル人の白血病の遺伝子が日本人由来だということも知らないんだろうなぁw
以下脳死馬鹿のコピペが続きます、クソちょん馬鹿なので連投して火病起こします

87:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/15 14:19:52.72 9W0IJPdD.net
>>83-85
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

88:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/16 13:11:56.33 6VaCbyf1.net
>>83-85
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

89:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/16 13:12:49.70 6VaCbyf1.net
>>83-85
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

90:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/17 13:35:28.76 hkRp5vBN.net
>>83-85
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下�


91:w期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50 このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は 沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる 細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の 土器型式になった時代があった訳だ 弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に 入植した集団だったと考えられる



92:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/18 13:29:57.68 tec1G+NC.net
>>83-85
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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93:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/18 13:30:50.80 tec1G+NC.net
>>83-85
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

94:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/19 16:07:21.67 pJRCaiIL.net
>>83-85
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

95:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/20 08:33:52.91 d2YFno72.net
あらし報告しろよ、、、

96:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/20 11:54:35.62 ke4GRNER.net
本物の日本人は竪穴住居に住む

97:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/20 15:21:57.23 XSr2wcZ0.net
>>93
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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98:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/20 15:22:58.71 XSr2wcZ0.net
>>93
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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99:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/21 13:22:39.39 jANix82p.net
>>93
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

100:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/22 12:35:48.78 P4Tber4v.net
>>93
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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101:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/22 12:36:29.73 P4Tber4v.net
>>93
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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102:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/23 07:55:59.94 ME4vjRbU.net
日本人のDNAって縄文人と弥生人の混血の他に古墳人があんだよね
DNAの比率は 縄文:弥生:古墳 = 1.5:1.5:7
弥生人とかどうでもいいレベル

103:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/23 12:15:11.92 fdWPb0Hm.net
>>100
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

104:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/23 14:11:00.94 ME4vjRbU.net
↓頭も情報も古い化石が脳死コピペでぼやきますw

105:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/24 13:37:35.47 azkB+/n7.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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106:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/24 13:38:27.88 azkB+/n7.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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107:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/25 13:53:54.89 vbw80+F7.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

108:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/26 14:59:13.16 5zG+GBFX.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






.

109:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/26 14:59:56.38 5zG+GBFX.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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110:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/26 15:20:31.28 BzzCfxqA.net
世界最古の遺伝子を古代のまま唯一として引き継いでいるのが純日本人だけ
パンドラの箱が開けられて散らばされた偽物の中にうずもれた本物(希望)
偽物と本物が善悪反転にさせられた世界線もついに終焉して終わりを迎える

これからの黄金時代は今まで忍耐強く耐えてきた「本物」が報われる時代です

111:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/27 14:44:31.83 IiKJgpXO.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

112:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/28 18:33:49.29 LIm3pRp7.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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113:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/28 18:34:26.04 LIm3pRp7.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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114:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/29 14:45:01.41 QOncdpQC.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

115:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/30 16:02:09.04 NvInNgOh.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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116:名無しさん@お腹いっぱい。
24/04/30 16:02:41.40 NvInNgOh.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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117:名無しさん@お腹いっぱい。
24/05/01 13:43:56.20 3bsWBIVI.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

118:名無しさん@お腹いっぱい。
24/05/02 12:47:14.57 GBkBFvsa.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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119:名無しさん@お腹いっぱい。
24/05/02 12:47:57.46 GBkBFvsa.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ

120:r> 最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波 大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学 の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、 一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について 報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。 異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。 日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系 ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。 ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方 アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。 「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人 と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。 日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋 .



121:名無しさん@お腹いっぱい。
24/05/03 16:52:26.17 GX06YO9h.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙

ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね


URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)


論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36
論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55
論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7
論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50

このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる
こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる
細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ
弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

122:名無しさん@お腹いっぱい。
24/05/04 13:36:17.70 WMu66+VP.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ






それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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123:名無しさん@お腹いっぱい。
24/05/04 13:38:01.18 WMu66+VP.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ







最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。
日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋






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