もし弥生人が日本列島に来ていなかったら? 2at GEO
もし弥生人が日本列島に来ていなかったら? 2 - 暇つぶし2ch74:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 22:39:46.63 Xd5n20cz.net
YDNA見ろ
縄文男が多めに渡来女をレイプしたんだって

75:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 22:40:38.50 Xd5n20cz.net
どっかのアイヌの動画でアイヌのおっさんが「俺はモテたから遊び回ってた」と言っていた
そういうことなんだろう
男は白人のがかっこいいだろ

76:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 22:42:20.79 Xd5n20cz.net
元公家のYDNAでも調べ回ったらどうか
これには本人の遺伝子は必要ない
天皇の遺伝子調べるのにも本人のものは必要ない
親族の男複数を調べてその共通遺伝子を調べるやりかたでいい

77:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 22:45:03.11 Xd5n20cz.net
渡来人を考える場合
まず亀ヶ岡を渡来の第一波と考えよう
縄文時代にあの文化があった異質さを大陸と結び付けないのは不可能
亀ヶ岡のBC1000年以前を基本に置く
半島からじゃ不可能だろ

78:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 02:05:17.78 z8iMR/xv.net
これまでの核ゲノムデータは東日本の縄文時代中期末以降の標本に限定されていました。mtDNAを用いた研究では、縄文人の地域差が示唆されていました。縄文人の遺伝的特徴を充分に解明するには、広範な地域と年代を網羅したゲノムデータの蓄積が必要です。
東名遺跡は1990年に発見され、放射性炭素年代は、7980~7460年前頃で、縄文時代早期に相当します。日本列島で最古かつ最大の湿地帯貝塚で、発掘された人類遺骸は、九州の縄文時代では最古となります。
図1
URLリンク(userdisk.webry.biglobe.ne.jp)
本論文は、東名遺跡個体の完全なミトコンドリアゲノムと部分的な核ゲノムを報告します。これは、九州縄文人の縄文時代早期のゲノムに関する初めての報告です。
標本012のミトコンドリアゲノムの深度は約47倍で、mtDNAハプログループはM7a1aでした。これまでに分析された九州と沖縄のほとんどの縄文人はM7a1aでした。縄文時代の九州ではM7a1aが優勢だった、と示されます。これは、N9bが優勢だった東日本とは対照的です。Y染色体ハプログループはD1bに分類されましたが、データ不足のためさらなる細分化はできませんでした。主成分分析では、他の縄文人とクラスタ化し(図4)、本論文で分析対象とされた縄文人全個体が同じ遺伝的集団に属する、と示唆されます。
図4
URLリンク(userdisk.webry.biglobe.ne.jp)
現代人口集団における縄文人のDNAの割合が推定されました。f4比検定では日本人のゲノムにおける縄文人由来領域の割合は9.7%で、これはTreeMix分析の結果に近いものでした。朝鮮人とウリチ人でそれぞれ5%と6~8%でした。
縄文人の代表的なmtHgであるM7aとN9bの割合に基づくと、現代日本人におもに遺伝的に寄与したのは、西部縄文人だった可能性があります。しかし、核ゲノム分析は、東名遺跡の西部縄文人が他の縄文人よりも現代日本人と密接に関連している、という証拠を提供しません。
Ancient genomes from the initial Jomon period: new insights into the genetic history of the Japanese archipelago
doi: URLリンク(doi.org)

79:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 02:33:33.39 z8iMR/xv.net
>>78
最後の望みの西日本縄文人もたった9.7%しか入ってない
これにて日本人≒朝鮮人確定だな
さよなら縄文人

80:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 02:56:02.34 4HjV94DR.net
そんなん関係ないぞw
縄文が3割の男系で残ってるだろ
縄文と言えば縄文なんだよ

81:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 02:56:49.67 4HjV94DR.net
沿海州説だとしたら、日本人はエベンキに近い
小便洗顔民族と関連ある可能性もある
絶対そっちがわにルーツをもっていくな

82:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 03:00:06.62 4HjV94DR.net
小便洗顔はツングースなど、極北、極寒の地域の民族の習俗
そこらでは水は絶対得られない
ボイラーでわかすなど不可能
火でわかすなんてのも無駄
家畜の小便が血を洗い流す唯一の手段
テントの中央に尿をためてそこで洗う
これと関わりをもってはいけない

83:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 04:05:37.89 z8iMR/xv.net
Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesian
Timothy A. Jinam1,2, Yosuke Kawai3, Naruya Saitou1,2,4,5*
doi: URLリンク(doi.org)
Dataset 3
We now used genome-wide SNP data (see Materials and
Methods) for two Yaponesian populations (Ainu and Okinawa),
and genome data for Jomon F23 and Yamato, and three
continental East Asians (Koreans, CHB, and CHS) to estimate
their ancestral population structure. Figure 7a shows
the result of admixture analysis when the number of ancestral
components (k) was assumed to be 2?7. When k = 2, the
two ancestral components are color-coded blue and orange.
Interestingly, some Ainu individuals are 100% blue component
as in the F23 Jomon individual. The lowest blue component
for Ainu individuals was more than 50%. Whereas all
Okinawa individuals have more or less 30% blue component,
Yamato individuals are on average ~15% blue component.
Among continental populations, only Korean has ~5%
blue component, and CHB and CHS contain very small
proportions of the blue component, if any. This admixture
result for k = 2 is very similar to Supplementary Figure 2 of
Jinam et al. (2015), and fits well with the dual-structure
model of Yaponesian formation; the blue component is indigenous
(Jomon) component, and the orange component is
migrants to Yaponesia after the Yayoi period.
Figure 7. (a) Admixture result from k = 2 to k = 4. b) Cross-validation error of admixture from k = 2 to k = 7.
URLリンク(image.prntscr.com)

84:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 16:37:26.27 PvfM1oKU.net
>>74
弥生期のある時期まではな たぶん古墳3世紀に切り替わる少し前まで
O1系が寛大だったので脱走してくるC1a1、D1a2a男は受け入れて
弥生人たちから縄文集落には手を出さなかった
ミトコンドリアD4aが増えたのもその時期だろう
その後、武装したO2・C2・N・Q集団が来訪して日本列島が統一国家として征服されると
坂東武士政権の誕生までD1a2a男は被支配層に置かれた 
当然平安時代までの天皇はO2のどれかだろう 藤原は定説通りO1b2だろう
なんでDが中世に復活できたかというと近畿のO2が傭兵として九州のD-M125を使う内に
姓を与えて地方に下向させた方が効率よく支配できると踏んだためか
もしくは清和天皇の子でDQNで知られる陽成天皇が実は間男の種だったからだろう
清和源氏の陽成源氏説は昔からあるし清和源氏末裔からよくD-M125が出てくるのと矛盾しない
鎌倉時代以降も復活できなかったのがC1a1でエタ非人となって現在に至る

85:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 16:57:58.98 z8iMR/xv.net
弥生人きていきなり環濠集落ができるのに寛大なわけないよ
最初から武力で土地を奪い取る気満々だった

86:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 17:05:54.43 PvfM1oKU.net
まあここ1000年間の支配層がD1a2a1bとO1b2a1a1の2系統であったことは揺るぎない事実だ
ただしこれには縄文・弥生の文化的・形質的違いなどは関係ない
同じD1a2aでも蝦夷に多かったD1a2a2やD1a2a1c、
O1b2でも弥生期の権力抗争に破れたO1b2a1a2aは下層民として生きながらえた

87:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 18:01:27.72 PvfM1oKU.net
自分のYDNAが被支配層の下降物でも決して悲観することはない
支配層の種として残っているYハプロは総合しても20%程度で、
残りの日本人父系約80%は百姓であると言ってもいい
数値を見るとD1a2a1bとO1b2a1a1の両者でそれぞれ約20%が列島全土に分布し、
一見約40%が天皇、藤原に由来するように見えるが更に分けると
YFULLで見るD1a2a1bの場合、下位のD-Z1504が日本人の約10%で約2200年前誕生
つまりD-M125でも皇胤に属さない男性が半分ということになる
これは藤原のO1b2a1a1(cts713、旧47z)でもほとんど同じ比率で
YFULLだけを見ると確認できないがある韓国人の独自研究で
約20%いるO1b2a1a1のうち約9%が約1862年前に誕生した男の子孫と判明している
URLリンク(egloos.zum.com)
>>一つは、Y-SNPハプログループのO2b1(O1b2a1a1)に属するハプロタイプで全日本人男性のサンプルのうち、約9.0%がこのモーダルタイプに対応し
>>約74 generations、1862 years agoで巨大古墳が築造され始めて、日本全体の新しい政治体制が異なる集団を圧倒する古墳時代の紀元後3世紀頃とほぼ一致する
↓のO2b1-TMがO1b2a1a1~の権力者クレードで沖縄以外で旧47zの約半分を占める
URLリンク(i.imgur.com)
つまり藤原じゃないO1b2a1a1も大勢いることを示す
だから支配・被支配層の話はこれで終わり
8割の日本人は公家でも武家でもなんでもない卑種の末裔

88:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 20:34:15.64 z8iMR/xv.net
斎藤成也とJinam (2017) は、ヤポネシアの3ウェーブ移動モデルを提案した。
これら移住者の推定期間は以下の通り。
 (1) 第一波、旧石器時代および縄文中期 (40000 years BP to 4500 BP)
 (2) 第二波、縄文後期~晩期 (4500 BP to 3000 BP)
 (3) 第三波、弥生時代 (3000 BP) から現代
この3つのウェーブに関係する人々は、次のような仮説を立てることができる。
第一波では、シベリア、東アジア大陸、インドシナなどから狩猟採集民がヤポネシアに移住してきた。この移動の波はよく議論されている。
私たちは、第二波の移住者として、やや謎めいた「海の民 ‘sea people’」を提案する。
彼らは、中国南部の沿岸部から山東半島、黄海、朝鮮半島にかけて分布し、主に漁業を生業とする狩猟採集民だったのではないかと考えている。
篠田謙一 (2019) は、約6300年前、朝鮮半島南東部の海岸に位置する加徳島に居住していた人々の古代DNAを分析し、
現代の韓国人よりも縄文人の割合が高いことを明らかにした。
Shima (2020) は近年、現代人の分散における漁業の重要性を強調している。
これら2つの文献は、東アジア大陸の沿岸域でおもに漁業を営んでいた古代の狩猟採集民の存在を裏付けているようにおもわれる。
「海の民」は、稲作農耕民に取って代わられ、彼らの人口規模は7000 BP~5000 BPの間で急速に拡大し、
「海の民」は最終的に縄文時代後期(4500BP~3000BP)にヤポネシアに移住したと考えられる。
「海の民」 は古代日本語を話していた可能性があり、当時の東アジア沿岸部の人々の「リンガ・フランカ」であったかもしれない。
稲作は、第三波の移住者によって3000BP頃に導入され、彼らの故郷は東アジア大陸のどこかにあった。
この移住の波は現在も続いており、日本での国際結婚は中国人と韓国人が最も多い。
Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesian
doi: URLリンク(doi.org)
Timothy A. Jinam, Yosuke Kawai, Naruya Saitou

89:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 21:27:35.71 z8iMR/xv.net
図7aは、祖先成分 (k) の数を 2-7 と仮定した場合のADMIXTURE分析の結果である。
k = 2 の場合、2つの祖先成分が青とオレンジで色分けされる。
Ainu個体群のいくつかは、F23 Jomon個体群と同様、100%青色成分であった。最も青色成分が低くても50%以上あった。
Okinawa個体群は、約30%ほどの青色成分であるのに対し、Yamato個体群は平均で約15%ほどである。
大陸の集団では、韓国人が5%ほどの青色成分であり、CHBとCHSはあったとしても青色成分の割合は非常に少ない
この k =2 のADMIXTURE結果は、ヤポネシア人形成の二重構造モデルとよく一致し、
青色は土着 (Jomon) 成分、オレンジ色は弥生時代以降の移住者の成分である。
k = 3 の場合、緑色とオレンジ色の成分に分離したが、青色成分の割合も僅かに変化した。
この k = 3 の状況を、斎藤成也が提案した3ウェーブ移動モデルに当てはめると、
青・緑・オレンジ色の成分は、それぞれ第一波・第二波・第三波に対応すると見られる。
k = 4 の場合、赤色成分は、大陸集団にのみ現れ、この成分はCHS個体群でとくに優勢である (70-100%)。
CHBでも赤色成分が優勢で、個体によっては50-100%となっている。
k値を変えてクロス確認 (CV) エラーを比較すると (図7b)
k = 4-7 は、k = 1(祖先成分が1つのみ)と同様に適合度が悪く、k = 2 か k = 3 がより現実的であると思われる。
Figure 7. (a) Admixture result from k = 2 to k = 4. b) Cross-validation error of admixture from k = 2 to k = 7.
URLリンク(image.prntscr.com)
Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesian
doi: URLリンク(doi.org)

90:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 22:55:49.37 TMKUkUg2.net
「余所でやってください」のせいで日本史板と考古学板に書き込めない

91:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/18 07:51:12.52 Pi0ALEWe.net
>>90
特定のリンク槍杉に見られる現象
無視すると晩されるよ

92:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 02:45:27.76 XbcM3Yiv.net
古代・現代のゲノム配列から分析した朝鮮民族の起源と構成
The Origin and Composition of Korean Ethnicity Analyzed by Ancient and Present-Day Genome Sequences
doi: URLリンク(doi.org)
韓国人のY-DNA (O2b-SRY465) は、プロト・コリアンの祖先が新石器時代 (9,900-10,000 years BP) および、
青銅器時代 (3,450-2,350 years BP) にかけて中国北東部に居住していた人々と関連していることを示唆している。
一方、ミトコンドリアDNA (mtDNA) を見ると、韓国人は非常に典型的な東アジア人であることがわかる。
東アジア集団間を比較すると、韓国人も日本人も非常に似たレベルのADMIXTURE率を示しており、
fineSTRUCTURE tree の姉妹群と一致している。
中国人も共通した遺伝子組成を持っているが、地域によってADMIXTURE率が異なることがわかった。
まず、古代人から韓国人へのジーン・フローを調べることにした。
その結果、Devil's Gateのゲノムは、Man Bac (ベトナム新石器時代) よりも、
現在の北東アジアのほとんどの集団とより多くの派生アレルを共有していることがわかった。
Oakaie (ミャンマー新石器時代後期・青銅器時代) やNui Nap (ベトナム青銅器時代) から東アジア集団への局所的な遺伝的変遷が観察された。
韓国人、日本人、ホジェン族、シェ族、ウルチ族などのいくつかの東アジア集団は、依然としてDevil's Gateからの遺伝的寄与が大きかった。
注目すべきは、Devil's GateのゲノムとancSEA (東南アジア祖先) の組み合わせは、
Devil's Gateと現代の東南アジア人の組み合わせよりも、現在の韓国人をよく表していることである。
ancSEAの遺伝子成分が韓国に移行したかどうかを調べるために、外群f3-statisticsによって、現代集団との遺伝的親和性を分析した。
その結果、韓国人との遺伝的親和性が最も高い集団は日本人であることがわかった。
南方系の漢族とシェ族は、ラウ族やベトナム人よりも、韓国人との遺伝的親和性が高く、これは混血の結果と一致している 。
このことは、華南人の遺伝子成分が、Vat Komnou (カンボジア鉄器時代) やNui Napの祖先と混血した後、韓国に移入されたことを示唆している。
これらの証拠から、Devil's GateとMan Bacのゲノムを持つ集団は、おそらく気候の変化や障壁を伴って、
新石器時代までは、東・北東アジアの地域全体で混血していたという結論が支持される。
Vat KomnouとNui Napと混血した遺伝的系統は、青銅器時代以降、急速な文化的・技術的進歩により韓国に移住したと考えられる。
Y-DNA分析では、韓国人男性55人にOハプログループがかなりの割合で存在し、O2bが29%、O3が42%だった。
次に多かったハプログループはC (18%) だった。
Cはシベリアに広く分布しているのに対し、Oは東南アジアに空間分布している。
このことは、韓国人男性の二重起源を強く示唆している。Y-DNA分布とは対照的に、mtDNAはより複雑な遺伝史を反映している。
結論
古代のゲノム比較により、朝鮮民族の遺伝子構成は、沿海州の新石器時代のDevil's Gateゲノムと、
東南アジアの鉄器時代のVat Komnouの混血であることが明らかになった。
朝鮮半島の人口拡大は、単独の出来事ではなく、東アジアで起きた大規模な人口拡大とそれに伴う混血現象のパートである可能性が高い。
このような近年の急速な拡大と混血は、他の東アジア・東南アジアの集団にとっても一般的なモデルであり、
青銅器・鉄器時代の集団が拡大し、他の周辺地域の集団と混血していったと考えられる。

93:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 04:21:29.05 XbcM3Yiv.net
The specimen is actually from the Konyr Tobe site of the Otyrar culture and has been radiocarbon dated to the third or early fourth century CE.
Someone should check and see how reliable the assignment of this specimen's Y-DNA to D-Z17175/D-CTS220 might be.
That clade of Y-DNA is usually found only in the Japanese Archipelago.
ID=KNT004.A0101
Archaeol.ID=K1/6m
archaeological_context_age_culture=2th-5th c. CE; Otyrar culture
Site_based_label=Konyr_Tobe_300CE
14C Age [yr BP]=1762 ±14
14C.cal (2-sigma)=236-331 AD
Sex=M
Mthap=HV18
Yhap=D1b2a (D-Z17175; D-CTS220)

94:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 04:21:29.05 XbcM3Yiv.net
The specimen is actually from the Konyr Tobe site of the Otyrar culture and has been radiocarbon dated to the third or early fourth century CE.
Someone should check and see how reliable the assignment of this specimen's Y-DNA to D-Z17175/D-CTS220 might be.
That clade of Y-DNA is usually found only in the Japanese Archipelago.
ID=KNT004.A0101
Archaeol.ID=K1/6m
archaeological_context_age_culture=2th-5th c. CE; Otyrar culture
Site_based_label=Konyr_Tobe_300CE
14C Age [yr BP]=1762 ±14
14C.cal (2-sigma)=236-331 AD
Sex=M
Mthap=HV18
Yhap=D1b2a (D-Z17175; D-CTS220)

95:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 08:39:32.49 +iupCbsy.net
>>55
大百済王国ですかあ。
時間がワープしてますなあ。
1000年以上違うのに、これを真実だと教えているわけか。
扶余が百済の都になったのは、高句麗に負けて首都漢城を放棄して
逃げ出した5世紀になってからですよ。

96:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 09:59:40.35 qpM5JFh4.net
遺伝距離
アイヌ>沖縄>韓国≒日本>临淄(Linzi)※現代>キルギス(Talas)>モンゴル>カザフ>アルタイ>キルギス(Sary-tash)>临淄(Linzi)※2000>ウィグル
URLリンク(pbs.twimg.com)

97:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 10:28:29.48 XbcM3Yiv.net
>>96
データ古すぎて論外
情弱に発言権はないよ

98:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 00:02:55.21 ksAAfGME.net
現代語と古代ゲノムから推定されるプロト・ツングースの原郷
The homeland of Proto-Tungusic inferred from contemporary words and ancient genomes
doi: URLリンク(doi.org)

ツングース語の祖先がどこから来たのか。
ここでは、言語学・考古学・遺伝学的な証拠を一つの研究に統合するという、これまでにないアプローチで取り組むことにする。
歴史的に証明されているツングース系の言語は、東はオホーツク海、西はエニセイ川、南は渤海、北は北極海まで広がっている。
Figure 1. (a) The distribution of the Tungusic languages; (b) proposed locations for the homeland of the ancestral speakers of Proto-Tungusic.
URLリンク(static.cambridge.org)
農業の導入により、中国北東部の特定の生産地域では、これまでにない人口増加が見られた。
比較的温暖なハンカ湖の保護区域は、東アジアの新石器時代の農業の気候範囲の北端に近い領域であった。
この地域のプロト・ツングース系の言語集団は、他の集団を犠牲にして拡大していったのである。
このような拡大は、他の様々な語族に影響を与えたはずであり、アムール語族などはNivkhの言語しか残っておらず、
今では消滅したプロト・ツングース系の姉妹系統にも影響を与えた可能性がある。
現存する現代語の数から見ても、トランス・ユーラシア語系の言語は全般的に消滅率が高い。
オーストロネシア語族は1500種類もの現存言語があるのに対し、トランス・ユーラシア語族は現在までに50種類の言語も残っていない。
このことは、北東アジアでは、他の多くの言語を犠牲にして、ごく少数の言語だけが生き残ったという仮説を支持するものである。
Figure 2. Diversity hotspot of the Tungusic languages under the north?south classification in (a) as compared with the hotspot under the Manchu?Tungusic classification in (b).
URLリンク(static.cambridge.org)
Table 1は、考古言語学的な観点から、原郷の提案を評価したものである。
ハンカ湖起源の仮説は言語データによって最もよく支持されており、バイカル起源の仮説は最も可能性が低い。
Table 1. Evaluating the four homeland proposals for Proto-Tungusic using different archaeolinguistic techniques: 0 implausible, 1 plausible
URLリンク(static.cambridge.org)
プロト・ツングースの故郷をハンカ湖周辺に定めることは、この地域の政治形態の連続性からも支持される。
ハンカ湖周辺の靺鞨国 (AD 500?1000)、渤海国 (AD 698?925) 、女真の金朝 (AD 1115?1234)など、
新石器時代から、沿海州の文化的な最先端は北ではなく南にあった。

99:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 00:05:08.50 ksAAfGME.net
父系から見ると、ツングース語話者はY染色体ハプログループC3-M217と関連している。
C3c-M48は、EvenkiとEvenに加えて、Oroqen、Olcha、Negidal、Udehe、Nanaiなどに多く見られ、その頻度は約20%から100%にも及ぶ。
C3-M217は、Nivkh (38%) やAinu (12.5-25%) など、アムール川流域周辺の集団でも高い頻度で存在する。
C3-M217の分散は、ツングース系の人口拡大に関連している可能性が高い。
全ゲノムの観点から、沿海州の7700年前に遡るDevil's Gate (Chertovy Vorota) Caveのデータを再解析した。
Devil's Gateのサンプルは、現在のツングース語集団とUlchiとクラスター化することがわかった。
Figure 4の主成分分析は、東アジアの人口構造は、地理および言語と強い相関関係があることを示す。
Devil's Gateのゲノムは、アムール川下流域のツングース語集団や、樺太のNivkhと遺伝的に最も類似していることが示され、
少なくとも8000年に渡り、このタイプの系統がアムール川流域に継続的に存在していたことが証明された。
EvenksとEvensは西ユーラシア人にシフトしており、qpAdm方式の推定によって西ユーラシアの系統を14~35%ほど有していることがわかる。
LD decayで推定される混血時期は、4~6世代ほど前というごく最近のものであることが示唆される。
Figure 4. Principal component analysis projecting ancient Devil's Gate, Ustlda and Jomon samples onto the variation of present-day East Eurasians.
URLリンク(static.cambridge.org)
Figure 5のADMIXTURE分析でも、上記の観察結果を確認することができる。
Figure 5. Admixture plot from K = 2 to K = 12.
URLリンク(static.cambridge.org)
言語学・遺伝学的にはアムール川流域がプロト・ツングースの原郷であると考えられるが、
考古学的には沿海州南部のハンカ湖周辺がより具体的な場所であることがわかった。

100:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 02:59:04.51 T551jCIy.net
ニヴフのCとツングースのCは万年のひらきがあるから違うだろ
ツングースはネネツなんかと同じく北極圏でテント生活してた集団
だから習俗が同じだしネネツにも交じる

101:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 04:15:12.17 ksAAfGME.net
>>100
ソース: ボクの脳内

102:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 04:32:52.95 ksAAfGME.net
ネネツやガナサン人などのウラル語族は、
Devils_Gateからのジーン・フローを主軸とするツングース系やニヴフなどから遺伝的にかけ離れているな
居住地域からしてかけ離れているのだから、遺伝的に距離が開くのは当然なのだが
Distance to: RUS_Devils_Gate_Cave_N
URLリンク(image.prntscr.com)

103:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 16:27:21.73 T551jCIy.net
極東のC2は別物で1万年くらい離れてるはず
近いのはエヴェンキ族とネネツじゃないの

104:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 16:30:13.04 T551jCIy.net
CとかDだから同じと考えてはいけない
コロナの変異からルートを追うみたいなのあるだろ
あれと同じだよ
E123Dの変異が特徴的なウィルスから枝分かれしてその変異をもったままさらに変異する
その変異の一部からF456Gの部分が特徴的な変異して~みたいな

105:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 18:02:20.34 ksAAfGME.net
「ニヴフのCとツングースのCは万年のひらきがある(キリッ」
Y-DNA厨はいい加減なことしか言わないな
Autosomal DNAの知識が不足してるから、こんな頓珍漢な推理になる

106:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 18:46:11.16 wATTd+SH.net
C2a系はだいたい新モンゴロイドだろ
生息地がモンゴロイドしかいないエリアじゃん

107:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 21:58:21.77 yOlsmqm+.net
白村江の戦いって教育ではサラッと流してるけど国体が根底から変わった大転換なんだよ
倭国は百済と組んで唐と新羅の連合軍と戦い、敗れて
結果として北九州に唐の監視機構の都督府が置かれ、中央政府の体制が唐式になり国号も変わった
つまりこの時、倭国は百済と共に”滅亡した”
百済と倭は唐式に改めた「日本」という別の国として再編合一された
教育の場でそこまでの大事件に一切触れないのは現代日本人の民族的自尊心保つためだろうと思う

108:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 21:59:58.46 yOlsmqm+.net
白村江の戦いの「村」をスキ、スクと読むのは朝鮮語式なんだよ
飛鳥時代の「アスカ」も元は朝鮮語の「安宿(アンスク)」
実際大阪の地名にも「安宿部(アスカベ)」が残っている

109:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:20:06.74 T551jCIy.net
>>106
大陸にもちょいいるよ

110:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:20:25.97 T551jCIy.net
アメリカ大陸な

111:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:27:45.65 wATTd+SH.net
>>109
>>110
アメリカ先住民はモンゴロイドだろ
何か間違ってるか?

112:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:46:20.77 T551jCIy.net
ネイティブアメリカンをモンゴロイドというのはやっぱ違和感ある
2万年前あたりに南米までいった第一波(アメリンド
1万2000年前あたりに北米に広がった第二波(インディアン
両方顔濃い
はプロはQだが

113:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:47:50.45 T551jCIy.net
アメリカ先住民はその当時の東アジアの北方の人種を反映してる
平たい顔族はかなり後で広がったと考えなければいけない

114:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:49:38.39 wATTd+SH.net
いや髪ストレートだし、シミ出来ないし充分モンゴロイドだろ
何が間違ってるんだ?はっきり言えよ

115:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:50:12.86 yOlsmqm+.net
新羅の名称は、記紀で2度重要なイベントに登場する
一つがスサノオが降臨した場所として、もう一つがずっと後になる神功皇后の三韓征伐
神功皇后の年代は広開土王碑あたりであると推定できるため、この新羅とは4世紀末~5世紀
スサノオの話は弥生時代の末期あたり。大国主の話も同時代とするのが自然かな

116:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 06:31:22.51 6Ke4m85l.net
日本に青銅器時代は無い
日本のような外部勢力(渡来人)の突然的侵略と征服で生まれた国家には
石器時代・青銅器時代・鉄器時代という一般的な時代区分が当てはまらないためである

石器を使っていた地域に、すでに鉄器の利用が普及している隣接地域から青銅器・鉄器の技術の両方が伝われば、その石器を使っていた地域には定義上青銅器時代は存在しないことになる。日本は、その典型例である。日本では弥生時代に鉄器と青銅器がほぼ同時に伝わったと言われており、青銅器は祭器としてのみ利用され、青銅器時代を経ずにそのまま鉄器時代に移行したと考えられている。サハラ砂漠以南のアフリカにおいても青銅器時代は存在せず、銅の使用自体も鉄器伝来後、しかも装身具などわずかな使用にとどまっていた[10]。

117:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 10:00:07.68 TIXE+z82.net
>>116
卑弥呼(姫子の蔑称)が邪馬台国(大和国の蔑称)で女王になれたのは、大陸で学んだ気象学の力で神として崇められたからである。
今でも占い者を信じる人たちがいるのと同じ。

118:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 14:16:23.48 6Ke4m85l.net
いわば母国の百済の危機だから、大和朝廷は白村江の戦いをしたわけだ。
任那日本府こそが高天ヶ原だな。
戦に負けてその回復ができないことになったので、思い余ってこの列島を日本と名付けてしまった。
ニューヨークとかニューオリンズとかと同じ。故郷を偲んで名付けるやつ。

119:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 14:18:15.01 6Ke4m85l.net
元々中国が東方の国に対して使っていた「日本」という名詞があり
それをなんか良いやんと気に入った扶桑島の勢力が自分たちの名前として採用した、という流れ。
要するに、日本=中国からみた東の方にごちゃごちゃある雑魚国の総称。

120:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 15:32:54.08 17HZZ2Sg.net
とう‐い【東×夷】 の解説
1 古代中国人が東方の異民族を称した語。→西戎 (せいじゅう)  →南蛮 →北狄 (ほくてき) 
2 昔の日本で、京都の人が東国の武士を呼んだ語。あずまえびす。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 21:40:50.04 6Mgt4S9N.net
>>114
モンゴロイドシミ多いだろが

122:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 21:57:55.16 Rm7sRsCA.net
>>121
古モンゴロイドはな

123:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 22:31:48.07 6Mgt4S9N.net
新モンゴロイドもシミはできるだろ
北米ネイティブって「全くできない」んだよ
で日光あびたら異常に顔が赤くなる

124:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 22:48:15.34 Rm7sRsCA.net
古モンゴロイドの影響受けてる奴はな

125:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/22 01:56:46.66 uHc/ZjIS.net
>>119
日本も天皇も音読みだからな
つまり当時の中国語(外国語)で読んでいた
今で言えば「エンペラー・オブ・ジャパン」を自称していたわけ
本来のヤマト言葉で読めば「ひのもと」「あますめらぎ」になる
成り立ちからして雑魚国の王まるだしなんだよな、天皇って

126:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/22 07:31:16.25 P6owLRx7.net
ネトウヨ諸君、韓国の悪口を言ったら不敬罪だからね
高松塚古墳壁画を調査しちゃってビックリ!
慌てて保存の為にすぐ閉鎖しちゃったわw
「韓国ゆかり」衝撃与えた現天皇 「統合」背負う新天皇
URLリンク(search.yahoo.co.jp)

127:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/22 21:05:17.60 uHc/ZjIS.net
Japanese and Korean Language Similarities {English Subtitles}
URLリンク(www.youtube.com)

128:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/22 23:23:41.95 uHc/ZjIS.net
ネトウヨの脳内ルート 長江→船に乗ってどんぶらこ
URLリンク(image.space.rakuten.co.jp)
現実 Continental Korean → Peninsula Korean → Insular Korean
URLリンク(image.prntscr.com)

129:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 00:25:14.66 2A2lV06v.net
>>128
長江もとんでもとわかるなら
半島から縄文変質の第一波である亀ヶ岡へたどり着くのは不可能なのわかるはず
北九州から変質が開始したのならわかるがそうではない

130:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 05:32:13.35 JWJg64nM.net
2017年、Martine Robbeets(マーティン・ロベーツ)は、日本語 (そしておそらく韓国語) はハイブリッド言語として誕生したと提唱した。
彼女は、テュルク語、モンゴル語、ツングース語の故地は、満州北西部のどこかであると提案した。
これらのプロト・アルタイ語 (トランス・ユーラシア語 "Transeurasian") のグループは、南に移動して現在の遼寧省に入り、
そこでオーストロネシア的な言語を話す農耕民族にほとんど同化されたのだろう。
この2つの言語が融合して、日琉祖語と朝鮮祖語が生まれたと考えられる。
URLリンク(www.researchgate.net)

131:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 12:49:48.05 JWJg64nM.net
Tracing population movements in ancient East Asia through the linguistics and archaeology of textile production
doi: URLリンク(doi.org)
これまで、北東アジアの新石器・青銅器時代については、繊維生産の分析がまったく行われてこなかった。この状況を改善するために、本研究では、古代の繊維生産に関する言語および考古学的証拠を統合する。
言語/農業普及仮説は、世界の主要な語族の拡大は、初期の話者が農業を取り入れたからだという主張である。トランス・ユーラシア語族の農業語彙もその祖先に起因するとされており、これらの言語の普及が農業主導であったという主張を裏付けている。
トランス・ユーラシア語とは、従来のアルタイ語に代わる言葉で、Figure 1に示される言語の大グループを指す。このグループには、日本語族、朝鮮語族、ツングース語族、モンゴル語族、テュルク語族が含まれる。
Figure 1. The distribution and classification of the Transeurasian languages.
URLリンク(static.cambridge.org)
トランス・ユーラシア祖語 (proto-Transeurasian) は、文字記録には残っておらず、最古の文字資料とは数千年もの隔たりがある。トランス・ユーラシア諸語に見られる系統的な類似性を解きほぐすことで、この言語を再構築することが可能となる。この目的のために、紡錘車(糸つむぎの器具)の証拠を持つ34の遺跡を調べる。これらの遺跡の位置をFigure 2に示す。
Figure 2. Location of the archaeological sites reviewed in this study.
URLリンク(static.cambridge.org)
我々の目的は、これらの地域が、言語復元に現れている繊維技術を利用していたかどうかを調べることである。そのためには、雑穀 (millet) や麻 (hemp) の栽培、針 (needles) や錐 (awls)、紡錘車 (spindle whorls)、織機の重り (loom weights) の使用などのデータを比較分析することが必要である。繊維技術の伝播ルートを推測し、農業の伝播ルートとの相関関係を明らかにする。
トランス・ユーラシア祖語に、「切る」という動詞*giri-を復元することができる。この動詞から派生した古日本語や満州語の道具名詞は、いずれも布を切ることに特化した道具を意味しており、対応するテュルク語の動詞は、毛皮や布を切ることに特化していることから、この動詞は織物生産の領域で特に使われていたと考えられる。
トランス・ユーラシア祖語の繊維語彙は、テュルク語やモンゴル語ではしばしば失われているが、日本・韓国語ではよく保存されている。日流祖語・朝鮮祖語に共通の繊維語彙が3例ある。pJK *parʌ-「縫う」、pJK *pu-「紡ぐ、撚る(糸)」、pJK *pata-「織機で(布を)織る」、pJK *asa「麻」。
Robbeets (2017, 2020a) は、言語学による年代測定とトランス・ユーラシア語族の祖先ノードの位置を利用して、祖先言語と古代文化を関連付けた。Bayesian系統分析では、分離の発生時期をトランス・ユーラシア祖語は4700 BCE、アルタイ祖語は3293 BCE、テュルク・モンゴル祖語は1552 BCE,日流祖語・朝鮮祖語は1850 BCEと推定している。

132:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 12:51:32.42 JWJg64nM.net
Table 1. Selection of sites with textile technology in the Transeurasian linguistic region, specifying the simultaneous occurrence of millet or hemp cultivation and agricultural tools:
0 means ‘absent’, 1 means ‘present’ and ‘?’ marks uncertainty.
URLリンク(static.cambridge.org)
トランス・ユーラシア言語圏における紡錘車の最古の証拠は、興隆華文化 (Xinglongwa) と招巴溝文化 (Zhaobagou) に遡る。Table 1は遺跡の概要を示したもので、雑穀の栽培、農具、麻の栽培、紡錘車、骨の針や錐の証拠があるかどうかを示している。0は「ない」 1は「ある」 ‘?’は不確定。
紡錘車の証拠は、紀元前3~2千年頃の沿海州にも続いており、これらの遺跡は、Zaisanovka文化伝統の地域的な変種を表している。ほとんどの年代はca.と記されており、炭素年代測定が行われていないことを示している。Valentin-PeresheekとSiny Gai Aでは、円錐形、双円錐形、ディスク形の紡錘車の証拠が残っている。一般に、Siny Gaiの遺物群はValentin-Peresheekの遺物群よりもやや発達しているように見える。
韓国のPibong-liでは、草で編まれた袋が、木製の船の破片の近くで発見された。4670 ± 60 BCEで、この遺跡は、新石器時代初期に植物を使った織物が行われていたことを示している。日本に近いこの遺跡は、織物が伝播した場所なのかもしれない。初期 (1300-800 BCE) と中期Mumun (800-500 BCE) における出土状況から、韓国の青銅器時代には、ほぼすべての遺跡に紡錘車と重りが含まれていることがわかる。
日本で織布の証拠が最初に現れたのは、弥生時代 (900 BC-AD 300) の初期で、韓国から米や雑穀などの農業パッケージとともに、紡績や織布の技術がもたらされたと考えられている。弥生時代の紡錘車の多くは、装飾のない平らなディスク形である。円錐形の紡錘車は、弥生時代には見られないが、古墳時代 (AD 250–700) にはよく見られる。
Figure 3. Comparison of spinning and weaving technology in Neolithic and Bronze Age Northeast Asia.
(a) Conical ceramic spindle whorls. (b) Disk-like whorls. (c) Loom weights.
URLリンク(static.cambridge.org)
Figure 3は、紡績・製織技術を比較したものである。北東アジアの地域で、(双)円錐形、ディスク形の紡錘車、織機の重りには大きな類似性があるように思われる。
ディスク形と(双)円錐状の分布には興味深いコントラストがある。ディスク形は、西遼河流域に集中しており、もっぱら遼東半島や日本に見られる。遼河下流域の上新楽遺跡 (Upper Xinle)、アムール川のYinggelin遺跡、沿海州南部のZaisanovka文化では、(双)円錐形が見られる。また、朝鮮半島の北東部や中東部では、ディスク形よりも数が多い。
このように、遼河流域からの繊維技術の伝播には、異なる2つのルートがあったことが示唆される。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 12:52:38.92 JWJg64nM.net
紡錘車の証拠がある新石器・青銅器時代の文化は、農業の証拠を持つ傾向がある。Table 1にある遺跡の大部分は、雑穀の栽培や農耕具の証拠として肯定的なスコアを示している。
沿海州のValentin-Peresheek遺跡とSiny Gai遺跡は、植物遺物を検出するための土壌浮遊法がまだ適用されていない1960年代から1970年代に発掘されたものであるため、雑穀や麻を栽培していたことを示す考古学的証拠はないが、これらの遺跡が属するZaisanovka文化 は、ロシア極東における最初の農耕文化として知られている。
韓国の初期新石器時代の食糧生産に関する推論は、初期の遺跡であるAmsadongがほとんどを提供してきたが、Pibong-liでも炭化した雑穀の種子が確認されている。Osan-liは漁業に大きく依存しており、すり鉢やすりこぎとともにドングリの遺物があることから、野生植物の採取で補っていたことがわかるが、雑穀を栽培していた証拠はない。中後期Chulmun遺跡では、雑穀栽培の直接的な証拠はないものの、農耕具が発見されている。Tongsamdong遺跡ではアワやキビを栽培していた直接的な証拠がある。
繊維生産の証拠がある日本の遺跡の多くが、農業の証拠や、水田、環濠集落や柵列、木製や石製の農具、初期の青銅や鉄、鯉の養殖などの大陸的な文化的特徴を持つ弥生時代の重要な集落としてよく知られている。例えば、吉野ヶ里遺跡 (Saga) では、少なくとも6つの紡錘車と、麻と絹の両方で作られた11枚の布が見つかっている。
Figure 4. The dispersal of textile technology, agriculture and language across Northeast Asia.
Archaeological sites where (bi)conical whorls have been recovered in relatively high proportions are indicated in blue.
URLリンク(static.cambridge.org)
沿海州のBoisman (4825-2470 BCE) 、朝鮮半島の初期Chulmun (8000-6000 BCE) 、日本の縄文時代 (10000-900 BCE) のような農業以前の社会では、織物の証拠はなかったが、農業に移行すると紡錘車が現れる。
3000 BCE頃、雑穀農業が西遼河流域から沿海地方南部に伝わり、洪山文化 (Hongshan) のものに類似した円錐形やディスク形の紡錘車、織機の重りが、同じZaisanovka文化の文脈で伝わった。このルートは、Figure 4の地図では青で示される。
4000 BCE頃、雑穀農業は洪山文化 (Hongshan) から遼東半島に伝わり、3500 BCE頃には朝鮮半島に伝わった。900 BCEには、雑穀と稲を含む農業パッケージが日本に伝えられた。興隆華文化 (Xinglongwa) を思わせるディスク形の紡錘車や織機の重りは、遼東・朝鮮・日本の遺跡で、雑穀農業と同時期に現れている。このルートは、Figure 4の地図では赤で示される。
興味深いことに、地図上の赤と青の分散ルートは、言語的にも相関関係がある。トランス・ユーラシア祖語が西遼河流域に原郷を持ち、4700 BCE頃にアルタイ語の一体から分離した日流・朝鮮語派 (Japano-Koreanic) が遼東半島に定住し、その後数千年の間に朝鮮語と日流語に分離して現在の場所に移住したのである。一方、3300 BCE頃に分離したツングース語派は、沿海州南部に移動したが、これは円錐形の紡錘車の伝播を反映している。
北東アジアの集団移動を、織物生産に関する言語学と考古学で追跡した。その結果、中国東北部の遼河西岸地域が、新石器時代に雑穀農業だけでなく、紡績や織物のための言葉や道具の普及の中心地であったことがわかった。織物や農耕技術に関連してオーストロネシア語族が広まったというBuckley (2012) の研究結果に沿って、本研究は、織物生産や農耕などの普及パターンと、北東アジアにおけるトランス・ユーラシア語族の普及との間に類似性があることを示している。

134:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 19:30:14.07 2A2lV06v.net
辰韓はチベット語じゃないの

135:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/24 12:04:38.85 XvF4yqpV.net
司馬遼太郎 「平安時代までの日本文化は外国のもの。日本が日本らしくなったのは鎌倉時代以降であろう。」
韓鍛冶部(からかぬちべ)
 朝鮮半島から4~5世紀に渡来し,鉄製の武器・馬具・農工具を製造した金属技術者の集団。
 畿内地方に住み,その技術をもって伴造に率いられ大和政権に仕えた。
 《古事記》応神段に百済より韓鍛の卓素が貢上されたとあり,百済系技術者を組織したもので,
 彼らは各地に居住し伴造の韓鍛冶首に率いられて宮廷工房に上番した。
陶作部(すえつくりべ)
 『日本書紀』の雄略天皇7年(463年)条には百済より陶部高貴ら工人が貢がれたことが記されている。
 弥生文化の名残であった土器である土師器が、5世紀頃になると須恵器に取って代わられるようになる。
鞍作部(くらつくりべ)
 大和朝廷の馬具製作にあたった職業部。
 《日本書紀》雄略7年条に百済貢上の今来才伎の中に鞍部堅貴の名がある。
 《坂上系図》には仁徳朝に鞍作村主(すぐり)らが阿智使主に従って来たと記すが,
 これは東漢氏の管掌下にあったことから造作されたもので,5世紀後半に百済渡来の工人を組織したものであろう。
錦織部(にしこりべ)
 大陸系の技術により錦,綾の織成に従事した大和朝廷の職業部。
 《日本書紀》雄略7年条に百済より貢上された今来才伎の内に錦部定安那錦がいる。
 5世紀中葉以降に百済より順次渡来した技術者を組織したものであろう。
日本音楽の歴史
 継体・欽明の政権あたりから、朝鮮の音楽ついで中国の音楽が伝来した。新羅楽・高麗楽・百済楽・唐楽と呼ばれた。
 名高いのは、推古天皇の時代(7世紀)に百済から帰化した味麻之によって伝えられた伎楽である。
百済の瓦博士
 飛鳥時代に百済によって仏教の教えと共に寺院建築が伝えられ、飛鳥寺造営で初めて瓦葺の屋根が作られました。
 瓦製作は、百済の「瓦博士」が直接指導したことは有名で、軒瓦の文様には百済風の蓮花のデザインが採用されています。
要するに現代日本の匠、職人さんたちってのは、朝鮮半島からの職能集団(品部)の子孫

136:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/24 12:24:18.00 XvF4yqpV.net
東征神話は、扶余系民族のアイデンティティ
亀に導かれて新しい土地に建国する神武東征は高句麗などの朝鮮半島の建国神話そのものである
URLリンク(i.imgur.com)

137:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/24 20:02:41.88 b+5Np4b9.net
東盟とか全然違うだろ

138:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 09:19:04.93 QLWPgiTe.net
ネトウヨ
「寒冷地で稲作はムリなんだよ~!」
「日本のスーパー技術が北海道で稲作を可能にしたんだよ~!」

なお、中国の最北、黒龍江省↓
咱们家乡有特产——黑龙江五常:稻花香里说丰年 「生财有道」 20200831 | CCTV财经
URLリンク(www.youtube.com)

139:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 15:45:23.80 QLWPgiTe.net
「わが渤海国と日本国は昔から本枝(兄弟)の関係である。」
727年、平城京に渤海国の使節が訪れ、国書を奉呈した。日本と渤海国はともに扶余を同祖とする兄弟国だと述べ、高句麗と靺鞨で共立した渤海国では、日本の王統を、扶余王族の末裔とみていたことが示されている。国書に記すだけの確たる根拠があったと思われる。
285年、前燕の慕容廆に侵攻された扶余は、潰滅的な打撃を受け、王族は沃沮に避難するが、再び侵略を受け、王子の依羅(いり)が晋王朝(西晋)の援助で扶余国を再建するのだが、朝鮮史書『桓檀古記』には驚くべき記事が載っている。「依慮王、鮮卑の為に敗れ、逃れて海に入りて還らず。明年、子の依羅(いり)立つ。依羅、衆数千を率い、海を越え、遂に倭人を定めて王と為る。」
名前のイリから、イリ王朝とも呼ばれる崇神天皇(第10代)だろうと推察される。崇神天皇の和風諡号の「御間城入彦(みまきいりひこ)」と、次の垂仁天皇の和風諡号の「活目入彦(いくめいりひこ)」は、共に「いりひこ」が共通している。「いりひこ」・「いりひめ」は当時の王族名に現れる特定呼称である。
神武天皇とそれに次ぐ欠史八代の実在性が希薄であることから、この崇神天皇を初の天皇と考える説が存在し、また記紀に記された事績の類似と諡号の共通性から、神武天皇と同一人物とする説もある。『古事記』は崇神の没年を干支により戊寅年と記載しているので(崩年干支または没年干支という)、これを信用して258年もしくは318年没と推測する説も見られる。
中華王朝の史書には、「百済とは扶余の別種」とある。百済では、支配階級は扶余語を使い、庶民は馬韓語を使うというように、言語や風習が二重構造の社会だと記録されており、王族の姓は、後に漢風に一字姓の余に改姓するが、代々が扶余を名乗っていることからも、扶余族が馬韓を統一したことものと思われる。扶余王の依羅は、倭国では百済王族だと名乗ったのだろう。
つまり、崇神天皇に連なる「イリ王朝」は扶余族の渡来王朝と言える。

140:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 15:53:49.15 QLWPgiTe.net
外国人に国史を書かせる国などない。百済人が「日本書紀」を編纂した以上、日本という国は百済人の国
百済人の都合で勝手に日本人にされたのが倭人

「百済から来たばかりの高官「鬼室集斯」が学頭職(文部科学大臣)になったということは、言葉の問題がなかったことを意味している。(佐々克明)」
「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であった。宮中では百済語が使われていた。」
「『古事記』『日本書紀』は百済の学者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。(金容雲日韓文化交流会議の韓国側代表・画家の平山郁夫は日本側代表)」
「『日本書紀』は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。(出雲歴史博物館名誉館長上田正昭らの対談集)」
「飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)」
「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」

141:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/28 12:41:19.98 XerDx0Hh.net
肥前国風土記 現代語訳 (肥前国とは現在の佐賀県・長崎県)
URLリンク(cultural-experience.blogspot.com)
総記
 ・崇神天皇の治世、肥後国益城郡朝来名の峰にいた土蜘蛛・打猴(うちさる)、頸猴が軍勢を率いて朝廷に従わなかった
 ・朝廷は肥君らの祖・健緒組(たけをくみ)を派遣し征伐
小城(をき)の郡
 ・昔、この村に土蜘蛛がおり、堡(砦)を作って隠れ、天皇に従わなかった、日本武尊巡検時、ことごとく罰して討った
賀周(かす)の郷
 ・昔、この里に、海松橿媛(みるかしひめ)という名の土蜘蛛がいた
 ・景行天皇巡検時、従者の大屋田子(おおやたこ、日下部君らの祖)を派遣して罰して滅ぼさせた
大家の嶋
 ・昔、景行天皇巡検時、この村に大身(おおみ)という土蜘蛛がいた
 ・常に天皇の命を拒み服従しなかった、天皇は勅命により罰して滅ぼした
 ・それ以来、漁民達がこの島に来て、家を作って住んでいる
値嘉の郷
 ・郡の西南の海中にある(小値賀島が遺称地)
 ・第一の島は小近で、土蜘蛛の大耳(おほみみ)が住み、第二の島は大近で、土蜘蛛の垂耳(たりみみ)が住んでいた
 ・百足は大耳達を捕らえて報告し、天皇は罰して殺させようとした、その時、大耳達は頭を下げて謝罪
 ・ただちに木の皮を取り、様々なアワビ料理の見本を作って献上した、天皇は温情によって彼らを許して釈放した
 ・この島の漁民は、容貌は隼人に似て、常に馬上から矢を射るのを好み、その言葉は世間一般の人々と異なる
嬢子山(をみなやま)
 ・景行天皇巡幸時、土蜘蛛の八十女人(やそおみな)が、この山の山頂にいた
 ・常に皇命に逆らい、服従しなかった、そこで、兵を派遣して不意を襲い滅ぼさせた
能美(のみ)の郷
 ・景行天皇行幸時、この里に三人の土蜘蛛がいた、兄の名は大白(おほしろ)、次の名は中白(なかしろ)、弟の名は少白(をしろ)
 ・彼らは砦を造って隠れ住み、天皇に従わなかった、そこで、従者である紀の直らの祖・穉日子を派遣し、罰して滅ぼそうとした
 ・その時、大白達三人は、ただ叩頭(のみ、頭を地にこすりつけること)、己の罪を述べ、共に命乞いをした
浮穴(うきあな)の郷
 ・天皇「朕は諸国を巡ってすっかり平定して来たが、まだ我が統治を受け入れない不審な者共はいるか」
 ・神代の直「その、煙の立っている村は、まだ統治を受け入れいません」
 ・神代の直をこの村に派遣すると浮穴沫媛(うきあなわひめ)という土蜘蛛がいた、皇命に従わず大変無礼だったので誅殺した
■ 頭骨比較 弥生時代の地域差 南九州/西北九州/北部九州・土井ヶ浜
URLリンク(image.prntscr.com)
■ PCA 西北九州弥生人の位置が、現代沖縄クラスターと大体同じ (Jinam et al 2012)
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

142:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/28 13:18:42.91 XerDx0Hh.net
和人が蝦夷から奪い取った島 粟島
粟島が初めて文献に登場するのは、808年『大同類聚方』で「粟生蝦夷」の名前が登場し、
本土の人間が入植する以前から、蝦夷と関係した先住民が生活していたとみられる。
URLリンク(lh3.googleusercontent.com)

143:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/28 21:19:31.47 G1U6zGFP.net
>>139
イザベラ・バード「朝鮮には歴史書と言えるものがほとんどなく・・・」

144:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 06:13:26.22 Wx+ECTrv.net
>>143
日本も大陸から漢字が輸入されるまで文字が無かった。
因みに神代文字は仏教色を嫌った江戸時代の偽作。
だから大和時代の様子は魏志倭人伝など中国の文書から得られるしか無かった。
つまり日本を発見したのは中国人となる。
日本がまだ石器時代の時期に中国では漢詩が詠われていたり、音楽が演奏されていた。
中国の戦国時代に戦乱を逃れて日本に来た人は、
気象学に長けていたので卑弥呼の様なシャーマンになれた。

145:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 07:09:03.68 2keSqBcn.net
逆神ネトウヨ「韓国人は穢族なんだよ~!」
なお、穢族は、韓語ではなく、ジャポニックと同系の扶余語を話していた模様
 >「穢王之印」を所持した穢人の政権は北へ逃亡し「鹿山」の地に依って「扶余国」を建てた。
 >扶余(ふよ)とは穢人の言葉で鹿の意味という。
 >奈良の春日大社を始め、茨城の鹿島神宮等、日本には鹿を聖獣と位置付けているところは多い。
 >同じくこの鹿を神聖視して崇めていたのが扶余族で、この扶余族は百済の支配層のルーツである。
 >穢族は、穢(韓国江原道)・沃沮(北朝鮮咸鏡道)・高句麗(吉林省東部+慈江道)・夫餘(吉林省北部)の四つに分かれた。
 >朝鮮の東は穢の地であり、高句麗と同種で、言語や風俗も似ているが、服装は異なる。
 >高句麗語の研究から、穢族の言語は倭人に近かったとみられる。
 >河野 (1993) は、朝鮮に残るジャポニック関連の地名は、穢(Ye)が残したものだとしている。
 >彼の主張は、日本人が中世朝鮮で「Ye」と呼ばれていたという事実に基づいている。
Geographical distribution of certain toponyms in the Samguk Sagi
doi: URLリンク(doi.org)
Released: 2021/03/31

146:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 07:22:11.36 2keSqBcn.net
支石墓のエリアと、稲作の伝播ルートは完全に同期する
支石墓も朝鮮半島から伝来してるから、縄文晩期(のちに弥生早期に再設定された)から半島人は大勢渡来してきてる
古代の王族・氏族ってのはほぼ100%朝鮮系の渡来人
ヨーロッパのドルメンも農耕との関係を指摘されているが、東アジアの支石墓もやはり農耕の伝播を伴った
■ ドルメン(支石墓)のエリア
URLリンク(4.bp.blogspot.com)
 >朝鮮において水稲作が開始した無文土器時代に支石墓が現れることなどから、
 >支石墓の担い手は日本列島、朝鮮半島へ水稲栽培をもたらした(ハプログループO1b2 (Y染色体))と推定される。

147:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 08:02:53.72 2keSqBcn.net
穢王之印
URLリンク(pbs.twimg.com)
奈良公園
URLリンク(cdn.4travel.jp)

148:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 15:42:10.78 2keSqBcn.net
日本語に興味津々!日本語と韓国語!!
山陰から東北一帯にかけて「ズーズー弁」が残っていますが、よく似た発音が韓国語、とくに慶尚道(キョンサンド)地方(朝鮮半島南東部、古代の新羅に相当)の方言に現存していることも有名です。
東北弁では「おら、東京さ行ぐだ」のように、語中の清音が濁音として発音されることがあります。この濁音化は、韓国語では一般的な現象です。日本語と同じように韓国語の肯定文は「ダ」で終わり、疑問文は「カ?」で終わります。この発音は、日本の共通語よりも東北弁の「だ」と「か?」の発音に近いのです。
韓国語の「ハナ」は「ハナから(最初から)」という日本語の語源であるという説があり、大いに有り得ることだと思います。外国語で、数は最初に覚える言葉の一つだからです。「ピンからキリまで」という言葉があります。ポルトガル語でカルタの1を表す「pinta」が「ピン」となり、十字架つまり10を表す「cruz」が「キリ」となったものです。
日本独自の数え方も、高句麗の方言が元になっているという説もあります。古代の高句麗では3は「ミ(mi)」、7は「ナナ(nana)」、10は「ト(to)」と発音したのです。3才くらいまでの赤ちゃんのことを、日本語で「嬰児(ミドリゴ)」といいます。古代韓国語で周年のことを「ドル」といい、子供が3才になったことを高句麗弁で「ミドル」といいました。
「赤ちゃん」の語源は、一般にいわれている「生まれたばかりの子供の体が赤っぽい」ではなく、韓国語の「アガ」からきているという説の方が納得できます。赤ちゃんに関する言葉には、古代朝鮮語が語源と思える言葉がたくさんあります。幼児語「おっぱい」の「パイ」は、古代朝鮮語で「吸うもの」という意味です。「乳」も韓国語の「チョッ(乳)」が語源だと思われますし、「おんぶ」は韓国語の「オブバ(おんぶ)」が語源だと思われます。
韓国語で高いという意味の「ノップン」が「ノッポ」になったり、口の意味の「イプ」が「言う」になり、耳の意味の「キ」が「聞く」になり、鼻の意味の「コ」が「嗅ぐ」になったりと、韓国語が語源と思われる言葉は非常にたくさんあります。意味のない枕詞が、古代朝鮮語で読むと重要な意味を持っていたり、土地や神の名前が古代朝鮮語に由来していたりと、さまざまな分野で古代朝鮮語との深い関係が解明されてきています。

149:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 21:15:31.35 GTq9Ey7/.net
>>145
エベンキとワイは別民族だぞ?
理解してる?
ツングースが小便をあつめてテントの真ん中にためてた民族

150:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/30 00:20:17.73 WTPHvnAs.net
>>149
Evenkは北部型のツングース語族に属す集団で、トランスバイカルと極東の2種類おり
トランスバイカルのほうは平均的な日本人とは遺伝的にかけ離れている
極東Evenkのほうも特に近くはない
こうして主成分分析で見ると、一口にツングース語族といっても
遺伝的にレンジがあり、それに応じて、顔つきや骨格などもかなりバラつきがあると予想される
東アジアの集団では、朝鮮の遺伝子プールが最もコンパクトかつ綺麗にまとまっており、
ネトウヨなどが理想とする「単一民族」は朝鮮民族が最も近いことになる
Figure 2. Diversity hotspot of the Tungusic languages under the north-south classification in (a) as compared with the hotspot under the Manchu-Tungusic classification in (b).
URLリンク(static.cambridge.org)
Figure 4. Principal component analysis projecting ancient Devil's Gate, Ustlda and Jomon samples onto the variation of present-day East Eurasians.
URLリンク(static.cambridge.org)

151:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 08:13:15.70 XERyAgKo.net
新羅 しんら
百済 くだら
加羅 から
耽羅 たんら
奈良 なら
あっ・・・

152:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 08:44:36.44 XERyAgKo.net
白村江の戦い haku-suk-inoe
村主 suk-uri
飛鳥 a-suk-a
あっ・・・

153:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 16:29:20.88 sIFeENfQ.net
パクスクで「白い(衣服をまとった?)村」を表す
中国史書に書かれてる「百済は漢語混じりの言葉を話す」と一致してる
日本にはない要素だ

154:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 18:17:16.83 aHHm1o2Q.net
「クダラ」は韓国人が聞くと「クンナラ」=「偉大な国」と読め
「シラギ」は韓国人が聞くと「シーラギ」=「新羅の奴」と読めるという
素直に考えると、百済を「ヒャクサイ」ではなく「クダラ」と読むのは、百済を大国・貴い国と考えていた人たち
新羅を「シンラ」ではなく「シラギ」と読むのは、新羅を憎たらしい奴と考えていた人たち

155:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 18:47:12.23 sIFeENfQ.net
>>154
こういうトンデモ理論
日本人にもやるやついるよな

156:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 19:06:49.55 aHHm1o2Q.net
百済(くだら)と新羅(しらぎ)の読み方だけは、日本のこう読ませた王朝と
これらの国々との関係を決定的に定義づけざるを得ない
日本人はこの事実から逃げることはできない

157:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 21:36:47.02 sIFeENfQ.net
くだらは馬韓の地名からだよ

158:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/02 11:26:07.52 YoNHE1F3.net
オセアニアの人口史と環境適応およびデニソワ人との複数回の混合
URLリンク(sicambre.at.webry.info)

159:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/02 12:18:43.77 YoNHE1F3.net
太平洋地域の人類集団史の詳細な分析について報告する論文が、今週、Nature に掲載される。
今回のゲノム研究は、ヒトの進化、ヒト族の異種交配、そして島嶼環境での生活に応じて起こる適応に関して新たな知見をもたらした。
太平洋地域は、パプアニューギニア、ビスマルク諸島、ソロモン諸島を含む「近オセアニア」と、
ミクロネシア、サンタクルーズ、バヌアツ、ニューカレドニア、フィジー、ポリネシアを含む「遠オセアニア」に分けられる。
人類は、アフリカから移動した後、約4万5000年前に近オセアニアに定住した。
遠オセアニアに人類が定住したのは、それよりずっと後の約3200年前のことで、現在の台湾からの移住だった。
この人類集団史をさらに探究するため、Lluis Quintana-Murci、Etienne Patinたちの研究チームは、
太平洋地域に分布する20集団のいずれかに属する現代人317人のゲノムを解析した。
その結果、近オセアニア集団の祖先の遺伝子プールが、この集団が太平洋地域に定住する前に縮小し、
その後、約2万~4万年前にこの集団が分岐したことが判明した。
それからずっと後、現在の台湾から先住民族が到来した後に、近オセアニア集団の人々との混合が繰り返された。

160:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/02 13:04:36.87 YoNHE1F3.net
Fig. 1: Genetic structure of Pacific populations.
URLリンク(media.springernature.com)
ADMIXTURE ancestry components are shown from K = 2 (top) to K = 10 (bottom) for the 462 unrelated individuals.
The lowest cross-validation error was obtained at K = 6 (Supplementary Fig. 5). Populations are delimited by black borders.
Population width is not proportional to population sample size, which is indicated in parentheses.

Supplementary Figure 3. PCA of whole genomes of populations from the Pacific, East/SoutheastAsia and Europe.
URLリンク(image.prntscr.com)
These include Europeans, East/SoutheastAsians, indigenous Australians, Papua New Guinea highlanders, Bismarck islanders, as well as the populations studied here (i.e., Taiwanese indigenous peoples, Philippine populations, Solomon islanders and ni-Vanuatu).
The variance explained by each PC is indicated in brackets. The dashed areaindicates samples with non-negligible proportions of African or European ancestry (Supplementary Table 1).
Supplementary Figure 4. PCA of whole genomes of Pacific populations.
a, PC3versus PC4, b, PC5 versus PC6.
The variance explained by each PC is given in brackets.

Supplementary Figure 51. Genetic affinities of modern humans to archaic hominins.
URLリンク(image.prntscr.com)
a, Principal Component Analysis (PCA) of modern human populations projected onto the first two PCs defined by the chimpanzee, the Altai Neanderthal, the Vindija Neanderthal, and the Altai Denisovan genomes. The right panel represents a zoomed-in version of the PCA plot on the left.
b,Derived allele sharing of Pacific populations to the Vindija Neanderthal. Z-score of a D-statistic of the form D(X, East Asia/West Eurasia/Africa; Neanderthal, Chimpanzee)is shown against Z-score of D(X, East Asia/West Eurasia/Africa; Neanderthal, Denisova).
c,Derived allele sharing of Pacific populations to Altai Denisovan. Z-score of a D-statistic of the form D(X, East Asia/West Eurasia; Denisova, Chimpanzee)is shown against Z-score of D(X, East Asia/West Eurasia; Denisova, Neanderthal). Dotted lines indicate significant derived allele sharing (|Z-score| >2). Population sample sizes are reported in Supplementary Table 1.

161:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/02 13:17:01.31 YoNHE1F3.net
>>160
K = 6がいちばんcross-validationエラーが低い

162:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/03 08:03:55.51 8D/QJ398.net
シベリア周辺の少数言語まとめ
URLリンク(www.youtube.com)

163:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/03 20:44:04.17 8D/QJ398.net
韓国には、水+田を意味する「畓」という独自の漢字があるが、日本は火+田で「畑」にした
いずれも中国にはない独自の漢字である
歴史でみると、米好きの韓国人は水田にこだわり、雑穀好きの日本人は焼畑にこだわったようだ
しかし近代に入り、寿司が日本人の国民食となり、ナショナリズムに深く関わるようになったため
ネトウヨは日本人が併合時代に韓国人に稲作を教えてあげたなどという偽歴史を広めている
URLリンク(static.news.zumst.com)

164:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/03 21:06:49.19 KeX2MZ6+.net
>>163
石高というコメの生産量しめす言葉あるだろ
朝鮮は同時代にはコーリャンばっかだった

165:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/03 23:37:31.42 8D/QJ398.net
>>164
とネトウヨは息をするように嘘をつく
山梨大学がまとめた朝鮮半島の水田遺跡一覧(p372)
URLリンク(www.museum.pref.yamanashi.jp)

166:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 20:00:18.66 afojQT26.net
【日本語の起源】東アジアの言語史まとめ【仮説】
URLリンク(www.youtube.com)

167:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 21:18:16.84 EX6Cvd+4.net
>>165
水田遺構じゃなく
常習的に大衆みんなが食べてたかという話

168:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 22:48:25.99 afojQT26.net
>>167
日帝支配下の満州に稲作を広めたのは朝鮮系移民
なんせ朝鮮人が水田を開墾しすぎたせいで、水利をめぐって現地の中国人農耕民と争いになり
1931年にはあの万宝山事件が起きている
まあ、歴史でみると、朝鮮人と弥生人(=朝鮮人)は米好きでよく米を食べる

169:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 23:30:56.49 EX6Cvd+4.net
関係ねーw
イザベラ・バード読もう

170:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 23:31:25.39 EX6Cvd+4.net
こういうガボン思考ってどういう人間なんだ

171:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/06 15:08:25.60 vW0EDBqi.net
>>170
自分と他者を欺き洗脳していくタイプ
麻原彰晃とかと同じ

172:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/06 15:45:47.86 vW0EDBqi.net
もしくは虐待被害者だろうね
未熟な脳に過度の刷り込みを受け
閉じ切った世界観を構築しているのが特徴
しかし本人に虐げられた自覚はない

173:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/07 20:28:45.90 ng+tnnzo.net
うん

174:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/08 15:57:49.34 VkzWRNPX.net
ウデヘだったと思うけど、狩猟の時や人目出る時にお面をつけて顔を隠したとか何かで読んだ気がするんだけど調べても出て来ない
大陸の書に出てくる「倭面土王」はお面してたんじゃないのかなって思うんだけど
過疎ってるね

175:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/08 18:07:33.51 VkzWRNPX.net
まとめ
 北九州弥生人(伽耶語・倭語) ← 現代日本人のベース(平民)
 土井ヶ浜弥生人(新羅語)
 出雲人(新羅語)
 西北九州弥生人(プロト琉球語) ← 奴隷
 南九州弥生人(プロト琉球語・奄美等訳語) ← 奴隷
 隼人・熊襲(プロト琉球語・奄美等訳語) ← 奴隷
 蝦夷(夷語・プロトアイヌ語) ← 奴隷以下の非人・悪鬼
 奈良飛鳥人(扶余系・百済語) ← 日本の支配層

176:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/08 20:05:55.83 B6cTh/av.net
アイヌを奴隷以下の非人と言ってるのはこいつらです

177:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/08 23:52:38.45 VkzWRNPX.net
倭の大乱(出雲と大和の戦い:178~184年)の際に、新羅は出雲の要請で味方した為め、大和朝廷の不信を買うこととなった、と云う説は説得力がある

178:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/09 01:17:21.66 YaPv1cwU.net
倭国大乱の歴史的意義として、卑弥呼を中心とした新たな政治体制が再編成されたことが挙げられる
近畿・中国地方などで2世紀まで盛んに創られた銅鐸が3世紀になってから急速に作られなくなっており、卑弥呼による新政治体制は文化面でも大きな影響を与えた可能性がある

179:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/09 05:42:38.90 YaPv1cwU.net
山陰における日朝関係史(I) 内藤正中(島根大学名誉教授)
doi: URLリンク(doi.org)
新羅からは、潮流に乗って船を漕ぎ出すと自然に出雲に着岸するわけで、韓国の学者も、古代に慶尚道 - 木出島 - 風島 - 欝陵島 - 隠岐 - 出雲というコースがあったことを指摘している。出雲神話は、対岸に位置する新羅との深いつながりがあったことを教えてくれるし、新羅の神話のなかでも、新羅人の倭への移住について語られている。
733年『出雲国風土記』には、記紀にはない国づくり神話が物語られている。八束水臣津野命が、出雲国は若国である、自分が大きな国にしてあげようといって、海の彼方の地から国引きをする。初めに国引きをしたのは、「栲衾志羅紀の三埼」であり、それでもって「去豆の折絶よりして、八穂米支豆支の御碕」をつくったという。新羅の余りを引いてきて出雲大杜が鎮座する杵築の地をつくったという説話は、新羅人による渡来を物語るものといってよい。
720年『日本書紀』では、須佐袁命が出雲に天降ったこと、そして韓鋤之剣で八俣大蛇を退治したことを記している。『日本書紀』には「一書によると」として、須佐袁命は五十猛命とともに新羅国に天降り、曾尸茂梨の地に住んでいたが、植土で舟をつくり海を渡って出雲に到ったとある。曾尸茂梨は、新羅の都であった慶州の地であるとされており、水野佑氏によると、八岐大蛇の説話についても、慶州盆地を流れる兄江流域の溪谷につくられていた六村にはじまる新羅の建国神話にもとづくとしている。
新羅からの渡来神を祀る神杜は、『延喜式』神名帳では134杜を数えるという。国別では出雲の11杜がもっとも多く、次いで近江の10杜、そして大和。伊勢・越前・能登の各8杜などである。いずれも朝鮮半島からの渡来人が多かったといわれる地域であるが、なかでも出雲が、渡来神を祀る神杜数で傑出していることは注目されなければならない。
722年には日本の進攻に備えて新羅の毛伐郡に新しい城が築かれ、731年には300艘の日本水軍が東海岸を襲撃して撃退されたことなどが、新羅の史料にはみられる。日本側の史料でも、732年には新羅の進攻に対処するためにという理由で、山陰・西海・東海・東山の四道に節度使が任命されたことなどが出ている。779年の公的な関係断絶に至るまで、新羅と日本の敵対関係は強められていったのである。
『出雲国風土記』が勘造された733年は、山陰遣節度使が中央政府によって任命された翌年であり、同書には新羅に対する緊張関係の姿が反映されているといわれている。他の風土記とは異なって、軍団の配備や水軍の基地などについて詳細な記述があるほか、新羅からの渡来神を祀る神杜も意図的に抹消されるなど、「新羅に近し」という地理的条件にある出雲の徴妙な立場がみられるのであった。

180:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/09 10:28:24.12 YaPv1cwU.net
「三国志」魏志東夷伝には、以下のように描かれている:
1) 高句麗は「東夷旧語以為夫余別種、言語諸事多与夫余同、其性気衣服有異」
(夫余族とは別種だが、言語、諸事で夫余と同じことが多い。性気や衣服には違いがある)とある。
2) 穢(わい)は「言語法俗、大抵与句麗同、衣服有異」
(言語、法、風俗は高句麗とほぼ同じであり、衣服には違いがある)とある。(「後漢書」高句麗条(445年以前)にもほぼ同様の記述が見られる。)
3) 沃沮(東沃沮)(よくそ)は「其言語与句麗大同、時時小異」
(言語は高句麗語とほぼ同じであるが、時折小さな違いがある)とある。(「後漢書」にもほぼ同様の記述が見られる。)
これら3点の記述から高句麗語、穢語、沃沮(東沃沮)語は一つの語群をなしていると考えていいだろう。
Beckwith(2002)は、高句麗祖語が中国の呉、越のあった地域から北上し、中国東北部に至ったとし、
中期朝鮮語やツングース諸言語とは全く異なる言語であり、古代日本語は高句麗語と同系の言語であるとしている。
高句麗の地名は、どの時期の言語をさすかは議論の余地がある。
三国史記地理志の巻35,37に表された地名は現代の京畿、江原、黄海の3道とそれに接する忠北、慶北、咸南の一部を含む地域であり、
本来ここは夫余系諸語を用いた穢、または夫余系の南下支流の百済が興ったところである。

181:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 00:17:32.19 5X5PMP8N.net
で、沃沮が沿海州だとしたら
全てがつながる

182:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 00:18:41.30 5X5PMP8N.net
沃沮は地形が特徴的、東北にいたるほど細くなり、その先にユーロウがある
西南にいくほど広がっていく、淡路島に近い地形
ほぼハバロフスクだろ

183:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 00:28:23.69 5X5PMP8N.net
北沃沮は山を背にして日本海側
冬は海が氷結するが夏になるとなくなるのでユーロうが船に乗って攻めてくる
その間じゅう北沃沮は山に逃れてやりすごす

東沃沮の中の川むこうには沃沮城があり、そこが滅ぼされ、第一玄兎郡が置かれた
第一玄兎は蒼海郡の地にあり、大きな海が関係するのがわかる

184:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 00:32:47.63 5X5PMP8N.net
蒼海郡(そうかいぐん)は、紀元前128年に漢の武帝が朝鮮北部から満州南部にかけて設置した
植民地である[1]。『漢書』武帝紀では蒼海郡、『漢書』食貨志では滄海郡と表記される。
衛氏朝鮮に服属していた?(?)の君主である南閭らが、衛氏朝鮮の衛右渠に叛いて、28万人
を率いて漢に投降したことがきっかけで、蒼海郡が設置されたが、2年後の紀元前126年に公孫弘
の建議により廃止された[2]。
蒼海郡の正確な場所は分かっていないが、現在の咸鏡南道・江原道など日本海に面した地域と
推定されている[3]。蒼海郡の設置は漢の朝鮮進出を促進し、紀元前108年に漢が衛氏朝鮮を
滅ぼし漢四郡を設置したことにつながる[4]。蒼海郡は漢四郡の1つである玄菟郡と深い関連がある。

185:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 01:01:46.48 5X5PMP8N.net
漢初 燕亡人衛満王朝鮮時 沃沮皆屬焉 
漢武帝元封二年 伐朝鮮殺満孫右渠 
分其地為四郡 以沃沮城為玄菟郡 後為
夷?所犯徒郡句麗西北 今所謂玄菟故府
是也
「漢の初期、燕の逃亡者、衛満が朝鮮で王になった時、沃沮はみな朝鮮に属した。漢の武帝の
元封二年、朝鮮を攻撃し、(衛)満の子孫の右渠を殺して、その地を分けて四郡となしたとき、
沃沮城を玄菟郡にした。後、周辺の民族(夷貊)が侵入して荒らしたため、郡は高句麗西北に
移った。今、玄菟故府というのがこれ(元玄菟郡)である。」

沃沮還屬樂浪 漢以土地廣遠在 單單大
領之東分置東部都尉 治不耐城別主領東
七縣 時沃沮亦皆為縣
「沃沮は(中国に)戻って、樂浪郡に属した。漢は樂浪の土地が広く遠いため、単単大領の東は
分けて東部都尉を置き、不耐城で統治して、(単単大)領東の七県を別に治めさせた。その時、
沃沮もまた、みな県になったのである。」

この「不耐城」てのはfu soで沃沮(本来はさんずい夫沮)だろうか
色々表記の揺れが重なってこうなったのか
これは沃沮城で本来の玄兎城ではないのか
だとしたら、日本海側の北沃沮の場所にあるんじゃないのか

186:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 01:05:24.38 5X5PMP8N.net
>後、周辺の民族(夷貊)が侵入して荒らしたため
これはユーロウ以外、周辺民族ってあるのだろうか
同族の扶余、高句麗が荒らすか?そうなら名指しされてないだろうか
公孫が「この場所に統治機関を置くのはやめておけ」に言ったのは
ロシアの日本海側ていうおかしな場所だったからではないのか

187:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 01:25:16.02 5X5PMP8N.net
北沃沮一名置溝婁 去南沃沮八百餘里 其俗南北皆同 與?yu婁接 
?yu婁喜乗船寇鈔 北沃沮畏之 夏月恒在山?深穴中為守備 冬月
氷凍船道不通乃下居村落

「北沃沮は置溝婁(チコウロウ)ともいう。南沃沮を去ること八百余里。風俗は南北とも同じである。
北沃沮は?婁と接している。?婁は船に乗り略奪することを喜びとしており、北沃沮はこれを畏れて
いる。夏の間は常に山の嶮しく深い穴の中にいて守り備えている。冬は船の通り道が氷結し、航海が
不可能になるので、山を下り村落に住む。」

置溝婁(チコウロウ)は買溝婁(マイ・ガウ・ルー)の誤字だとされていて、
これは北沃沮がユーロウに滅ぼされた後、モツキツ→靺鞨(マッハル)になった可能性がある
ツングース習俗の民族が北沃沮の地名を民族名とした
何故か?その地域に居城があったからか?

188:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 01:27:42.32 5X5PMP8N.net
この溝婁は高句麗語のコル(城)と同語だろうと考える

189:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/10 22:36:01.66 0UbCBoSh.net
高句麗の遺民が、沿海州側に渤海国を建国したが、
その「渤海」とは、もともとは遼東半島の海域を指すものだ
失地回復を願ってそう名付けたんだろう
「日本」という国号も、似たようないきさつで誕生したんだろう
百済の遺民が故郷の半島を偲んでこの列島を日本と名付けた

190:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/11 02:57:18.86 w+e9dsr/.net
日本で最大の繁華街の心斎橋はもともと「新羅橋」と呼ばれてた
「百済橋」も「高句麗橋」も存在していた
そして日本で最初の勅願寺は枚方の「百済大寺」
渡来人が植民地にして発展したのが近畿だから当たり前の話
アメリカに「ボストン」や「ポーツマス」といったイギリス由来の地名があるのと同じ理由

191:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/11 06:52:14.45 w+e9dsr/.net
日本人の正体が公共放送でバラされた歴史的瞬間
篠田謙一「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」
URLリンク(i.imgur.com)

192:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/11 21:55:12.62 hZXF5tZD.net
>>189
渤海は満州

193:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/11 21:56:02.29 hZXF5tZD.net
渤海は漢民族を取り入れ漢語を取り入れ共通語とし、自らも漢人と呼ばれた
アイデンティティも消えてる

194:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 06:59:14.37 XdpEpxw0.net
ジャポニックの正体は扶余語族であり、縄文語は日本語にほとんど影響を与えておらず
日本人が縄文語というものを意識してしゃべるようになったのは、
漫画の『ゴールデンカムイ』が連載されてから。これがネタでもなんでもないのが悲しいところだ
列島新来のジャポニックにとって、列島先住の縄文語族(プレアイヌ)は征夷すべき異民族にしか過ぎなかった

195:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 16:38:31.15 hpzQrmHA.net
半島じゃないの理解したか?
沿海州だ

196:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 16:39:18.78 hpzQrmHA.net
それによれば、沿海州における新石器時代~青銅器時代の各遺跡文化層の堆積順序に
基づき、以下のようにまとめられる。ボイスマン最下層→ボイスマンⅡ・ザレチェⅠ(編目文・櫛
文が施されたもの)→ハンシⅠ・クロウノフカⅠ(縄線文)・亜布力→ボイスマンⅠ(縄線文)→
ザイサノフカⅠ・クロウノフカⅠ(ジグザグ文・雷文、ミガキ整形)の各段階である。また文化編年
は前期がルードナヤ文化・ボイスマン文化と後期のザイサノフカ文化とに分けられる。ハバロフス
ク州の同時期の詳細は不明であるが、文化編年は、アムール編目文土器の存在から前期は
ルードナヤ文化圏に含まれ、後期はヴォスネセノフカ文化(ヴォズネセノフカ上層)とすることがき
る。新石器時代土器の特徴的な体部文様として、前期-編目文・櫛目文、後期-櫛目文
・ジグザグ文・渦巻文・幾何学文・雷文が挙げられ、これらはアムール流域・沿海州ともにおお
むね一致することが指摘された。
青銅器(古鉄器)時代については、南西部と東海岸部の間の文化的差異が指摘され、南西
部-シニ・ガイ文化、東海岸部-リドフカー文化が紹介された。両者とも、土器には無文化の
傾向が見られ、青銅器を模倣したと考えられる石製品が出土するが、前者では骨角製品が多
く、土器の突出した口縁部には刻みが施される。また後者では、土偶・石鍬・石包丁が出土し
、土器胎土に粉砕された貝片が混和されるという違いから、両者は系統的に異なる可能性が
指摘されているという。初期鉄器時代にもこうした南西部と東海岸部の文化的差異が受け継
がれ、南西部のヤンコフスキー文化→クロウノフカ文化(団結文化)、東海岸部のウリル文化に
ついてもあわせて紹介された。ヤンコフスキー文化の土器には高坏が見られ、体部文様には鋸
歯文が多く、クロウノフカ文化では把手のついた土器が特徴的に見られる。両者とも鉄製品を
伴うが、石器も依然残存することから、金石併用時代として性格規定できることが指摘された
なお、その後の鉄器時代・中世にはいずれの地域もポリツェ、靺鞨、女真の各文化へと順に移行している。
後期新石器から初期鉄器時代への移行期に見られる外部からの文化要素の受容としては、
特に青銅器(古鉄器)時代と初期鉄器時代に稲作文化的要素の受容が考えられている。一
方福田氏は、土器に関してはその形態的特徴から在地のものが系統的な変遷をたどって変化
した可能性を指摘する。また極東地域、中国東北部、朝鮮半島北部地域の間に文化的境
界は見られず、これらの地域を統合した視野に基づく研究の必要性を強調している。また南西
部と東海岸部の地域差については、特に東海岸部の状況に不明な点が多く、今後の研究の
重要な課題であることが指摘された。

197:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 16:43:21.79 hpzQrmHA.net
URLリンク(21coe.kokugakuin.ac.jp)
>前者(沃沮、扶余系)では骨角製品が多く、土器の突出した口縁部には刻みが施される。
>また後者(ツングース、靺鞨)では、土偶・石鍬・石包丁が出土し、   土器胎土に粉砕された貝片   が
>混和されるという違いから、両者は系統的に異なる可能性が指摘されているという
骨角は牧畜を行っていた沃沮、土器の刻みは日本へ伝わり初期の弥生土器へ
土器に粉砕した貝殻が使われているのは、粛慎などの「東は大海をもって極まる」に一致
粛慎=ユーロウ=靺鞨(女真族)の東の果ては海だった
>クロウノフカ文化では把手のついた土器が特徴的に見られる。
北沃沮は海が凍結しない夏に粛慎から侵攻を受けていた
土器に保存した食物、内陸へ売るための海産物を移動させる必要がある
>また極東地域、中国東北部、朝鮮半島北部地域の間に文化的境
>界は見られず、これらの地域を統合した視野に基づく研究の必要性を強調している。
扶余、高句麗、沃沮は同系民族であって、文化的境界がない、というのも一致

198:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 16:50:34.42 hpzQrmHA.net
高句麗
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>407年にも百済へ侵攻して6城を奪い、続いて410年には東扶余(北沃沮)にも侵攻してその王都に迫った[38]。
>このような征服活動についての記録は前述の通り主に広開土王碑文の情報に基づいている。

沃沮には城があり、沃沮(フソ)城として知られていたが、漢民族に支配され第一玄兎城として利用される
(蒼海郡{日本海に面した場所か}→フソ城→玄兎郡)
しかしそれも数年に過ぎず、公孫氏が「この場所は適さない」と助言し、すぐに高句麗近くへ移動(第二玄兎城)
北沃沮はマイコウロウとも呼ばれ、その「溝婁」は高句麗語で「城」の意味
北沃沮は扶余に頼り、その後「東扶余」として残ったが高句麗がその場所にある「居城」を攻め落として滅亡

つまり沃沮城はウラジオストクあたり、もしくはその北の山を背にした日本海側にある!

199:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 17:01:35.04 hpzQrmHA.net
URLリンク(i.imgur.com)
史書のいち関係を見直さなければいけない
古代中国は思われているよりずっと広範囲の情報を得ていた

200:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 17:06:52.02 hpzQrmHA.net
しかしこの表記のぶれが気になる
扶余はもともと夫途(fu tho)に近い音だったんじゃないのか
故に東沃沮(fu so)なんてものが生まれて
その南に南沃沮があって、そっから北沃沮?

201:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 19:39:21.93 hpzQrmHA.net
民族の他称はその民族の「人」を表すことばか一人称になりやすいらしい
(アイヌやらフン族)
穢(我=わい?)
扶余(フト?)沃沮(フソ)
人、、、、ふと、、、、死人(しぶと)?

202:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 20:45:01.20 XdpEpxw0.net
最新の研究でわかってきたのは
ジャポニックを系統別に分けると、おおまか4つに分かれるってこと
・関東語 (無機質日本語)
・畿内・関西弁 ←百済人の方言
・出雲語・東北日本語 (ズーズー弁) ←新羅人の方言
・西北・南九州プレ琉球弥生語 ←隼人・肥前国土蜘蛛の方言

203:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/12 22:57:41.06 XdpEpxw0.net
Evenkはツングース語族では北部型に属す集団(fig. 2a)で、トランスバイカルと極東の2種類に大別され
トランスバイカルのほうは平均的な日本人・朝鮮人とは遺伝的にかけ離れている
極東Evenkのほうも特に近いというわけではない
PCA(fig. 4)で見ると、一口にツングース語族といっても遺伝的に幅があり、それに応じて顔つきや骨格などもバラつきがあると予想される
EvenkとEvenは西ユーラシア人にシフトしており、qpAdm方式の推定により西ユーラシアの系統を14~35%ほど有していることがわかる
言語学の研究ではアムール川流域がプロト・ツングース語族の原郷であると考えられているが
さらに考古学的な証拠を突き詰めると、沿海州南部のハンカ湖(Lake Khanka)周辺がより具体的な場所であることがわかった
東アジアの集団では、朝鮮の遺伝子プールが最もコンパクトかつ綺麗にまとまっており、
ネトウヨなどが理想とする「単一民族」は朝鮮民族が最も近いことになる
Figure 2. Diversity hotspot of the Tungusic languages under the north-south classification in (a) as compared with the hotspot under the Manchu-Tungusic classification in (b).
URLリンク(static.cambridge.org)
Figure 4. Principal component analysis projecting ancient Devil's Gate, Ustlda and Jomon samples onto the variation of present-day East Eurasians.
URLリンク(static.cambridge.org)
The homeland of Proto-Tungusic inferred from contemporary words and ancient genomes
doi: URLリンク(doi.org)

204:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 03:21:59.03 cCqQS9+q.net
「国号の由来」 喜田貞吉 1937年
URLリンク(www.aozora.gr.jp)
されば我が国を日の本と称し始めたことは、実は邦人自身ではなく、当初は朝鮮半島の住民が、その東方なる我が国を呼んだものであったに相違ない。日本紀引くところの百済本紀など、古代朝鮮の書に既に我が国を指して「日本」と書いた例がある。
朝鮮そのものも、また、実は支那から見て日の本であった。朝鮮の地誌なる東国輿地勝覧に朝鮮の名義を解して、「東表日出の地に居るが故に朝鮮と名付く」とある。漢の楊雄が、武帝の徳を頌したる賦に、「西圧二月※一??、東征二日域」とあるのも、西方には西域月氏の地を服し、東方には朝鮮日域の地を平らげたことを述べたもので、ここに「日域」とは朝鮮を目して日出処と呼んだのであった。
叙述するところを通観するに、我が国を日の本と称することは、つとに百済人らの間に始まり、我が国ではそれをヤマトの枕言葉として、「日の本のヤマト」なる熟語が用いらるるに至ったのであったが、推古天皇の国書には支那がクレすなわち日没処であり、また西方の国なるに対して、この日の本の義を表わすに「日出処」或いは「東」の文字を用い給い、ついで大化の改新に際してヤマトに当つるに始めてその枕言葉なる「日本」の文字を以てするの例が始まり文武天皇の御代大宝令の制定に至りて、初めて我が国号として、翌年遣唐使の入唐に際し、これを彼に通告したという順序となるのである。
支那を日没処と呼ぶことは、実はこの時に始まったものではなく、その由来はすこぶる久しいものであった。応神天皇以来交通した東晋以下、宋・斉・梁等の所謂南朝の諸国は、通じてこれを「クレ」と呼び、「呉」の字を当つる例で、今に至ってなお「呉」の字をクレと読む習慣になっているのである。当時これら南朝の諸国に当つるに「呉」の称を以てしたことは、これらの諸国が古え三国時代の呉国の域に当るが為めで、それはつとに百済人等の用いたところをそのままに襲用したに他ならぬ。

205:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 06:29:47.46 cCqQS9+q.net
The classification of the Japonic languages (Elisabeth M. de Boer)
[2020, The Oxford Guide to the Transeurasian Languages]
Figure 4. Japonic language family tree, with marking of tonal type
URLリンク(image.prntscr.com)

206:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 14:46:09.95 cCqQS9+q.net
喜田貞吉「我が国を日の本と称することは、邦人自身ではなく、百済人らの間に始まった」

207:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 22:10:04.78 iKzKJlZW.net
>>203
ハンカ湖とか、そんな下なわけないだろう
元々ネネツなんかと同じ生活スタイルをしてたんだよ
だから小便をためてそれで手や顔を洗うんだって
極寒の地域にいた民族

208:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 22:22:36.91 iKzKJlZW.net
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
URLリンク(imgur.com)
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
URLリンク(qph.fs.quoracdn.net)
韓国は南にいくほどC2(ツングース系)が多い?
本来の原住民はツングースだったのでは

209:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 22:38:56.97 cCqQS9+q.net
>>207
ネネツなんてツングース語族と何の関係もない
言語学では分岐が激しい地点が、その語族の故地だと考えられている
台湾がオーストロネシア語族の故地だと考えられてるのは、島内だけで20以上もの言語に分岐しているため
アウト・オブ・台湾モデルと呼ばれ、そこからオーストロネシア語族が太平洋諸島に拡大していった
このモデルをツングース語族に当てはめたところ、沿海州のアムール川で激しく分岐しており、
さらに考古学的証拠を突き詰めたところ、ハンカ湖が具体的なツングース語族の故地だと結論が下されたわけだ

210:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 22:47:35.97 iKzKJlZW.net
そら粛慎みたいな辺境から始まって(その時から山で居住するグループもあった)
靺鞨女真を経て広がった結果だ
それは語族とは言えないだろう
生活スタイルが北方

211:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/13 23:03:21.43 cCqQS9+q.net
>>210
言語族の拡大は農耕と密接に関係しているんだよ
これは日本も例外ではなく、やはり真っ先に水稲を取り入れた北九州弥生人が最も遺伝的に繁栄している
沿海州のハンカ湖は比較的温暖で、新石器時代の農業の北端に近い領域であったため
この地域に居住していたツングース語族が最も繁栄したわけだ
ニヴフなどの古アムール語族は、農耕化の波に出遅れたため、勢力を伸ばせず消滅していった
といっても、いまではツングース語族もロシアの同化政策により消滅の危機にあるのだが

212:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 00:39:31.38 izdkxbZJ.net
ロシアは同化政策なんかしないだろ
同化政策やるのはアイヌでやってる日本みたいな民族

213:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 00:44:13.73 izdkxbZJ.net
>>211
農耕化なんてしてないだろ
ツングース、粛慎は周の時代に中国へ朝貢を行ったが
その後沃沮、ワイ族が対等してきてそれが途絶え、
また中国がそれらを攻撃して服属させてから朝貢した

つまり、ハバロフスクには元々ツングースが住んでいたかもしれないが
それがO1b集団(農耕民)に押し出されて、東の果て、海のある場所にまでおしやられた
それが中国の支配下に入って、また史書に名前が出るようになった

214:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 00:47:53.64 izdkxbZJ.net
>>197
>また後者(ツングース、靺鞨)では、土偶・石鍬・石包丁が出土し、   土器胎土に粉砕された貝片   が
>混和されるという違いから、両者は系統的に異なる可能性が指摘されているという
ロシアの考古学ではハバロフスクの東の果てでは文化が違い、土器に貝殻の破片を混ぜて作る製法が行われていた
貝殻を入れるには海が必要
つまり東の果ての大海を望む粛慎がそれに一致する
ハバロフスクの東南の部分と思うかもしれないが
粛慎と同じく「北沃沮」も東は大海に極まると書かれていて、この2つは両立しないといけない

215:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 02:22:14.25 7gOx81k7.net
>>213
おまえの脳内で自己完結した妄想史を語られてもな
現実には、1900BC頃となるBogolyubovka遺跡で雑穀栽培と農耕具が確認されているから
この頃にはすでにハンカ湖周辺のツングース語族は農耕化している
どうやら沿海州でZaisanovka文化が成立する頃に、
遼西から雑穀・紡錘車などの一連の農耕民族パッケージが伝播したようだ
URLリンク(image.prntscr.com)

216:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 02:27:56.98 7gOx81k7.net
>>212
ツングースはロシア人と混ざって半白人化してる
というかシベリア一帯そうだが

217:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 21:14:31.08 izdkxbZJ.net
>>216
それは元からだろ
で日本以上に民族浄化してるのか?

218:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 21:16:52.28 izdkxbZJ.net
>>215
じゃあなんで日本にツングースの痕跡、YDNAがほとんどないんだ?
取るに足らない人口しかなかった証明だろ

219:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 23:48:19.97 7gOx81k7.net
ロシア極東における農耕の最古の証拠は、後期新石器時代となるKrounovka遺跡から発見された。
沿海州における農耕の開始時期は、当初は青銅器時代と思われていたが、のちに後期新石器時代に再設定された。
韓国でも同時期に農耕が始まっており、後期新石器時代に満州から人類の移動があったと推定される。
Fig. 1. The earliest sites with evidence of agriculture in Primorye Province:
URLリンク(image.prntscr.com)

220:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/14 23:59:08.68 7gOx81k7.net
C2のオリジナルの狩猟採集民の言語は、ニヴフの古アムール語であった可能性がある
ハンカ湖のあたりで勢力拡大したツングース語族が、古アムール語を取り込み、言語を塗り替えていった
このツングース言語がC2から内部発生したものなのか、O系統が齎したものなのかは定かではない

221:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 00:20:05.51 CgSN8EO1.net
O1bが扶余語族として日本語になったと考えた場合
そこにツングースの影響は皆無になる
日本には韓国ほどにもC2は存在しない

222:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 04:53:45.43 M6ozf8H/.net
土井ヶ浜遺跡の砂丘から300体人骨が発掘されているが、全て響灘に顔を向けて眠っている。
頭蓋だけが集骨されている区域でもこの原則は破られていない。
土井ヶ浜人骨(人類学ミュージアム)
URLリンク(geolog.mydns.jp)
土井ヶ浜人の視線の向こうには水田稲作伝播の最有力ルート、南朝鮮から山東半島がある。
URLリンク(geolog.mydns.jp)

223:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 06:05:32.40 M6ozf8H/.net
出雲弁の文末語にはハングルの文末語にそっくりなものが多い。
 「いつ来たかや→~コヤ」 「行くけんね→~ケンネ」 「蝶がとんじょう→~ジョ」 「当然だじ→~ジ」
 「おいしいがな→~グナ」 「忙しいがや→~ゴヤ」 「金がないじょ→~ジヨ」 「暇がないだ→~ダ」
 「さっき来たに→~トニ」 「結婚しただに→~ダニ」 「信じちょう→~チョ」 「若いすぎるけん→~クン」
 「病気になあよ→~ナヨ」 「晴れてるけんよ→~クンヨ」
出雲弁は発音もハングルに似ている。
 図書館<トソクァン> → トソクァン 医大<ウィダエ>  → ウィダエ 勤務<クィンム> → クィンム
 過去<クァコ>       → クァコ   関係<クァンケェ> → クァンケ 大家<タェクァ> → タェカ
 計算<ケェサン>   → ケサン   宿舎<スクサ>   → スクサ  近視<クィンシ> → クンシ 
 修理<スゥリ>      → スリ     焼却<ソゥカク>  → ソカク   感謝<カンサ>  → カムサ
 台数<ダエスゥ>    → ダエス   内科<ナエクァ>  → ナエクァ 謝礼<サレェ>  → サレ 
朝鮮では標準語として使われているものが、出雲では方言であるというのは不思議である。
いわゆる「ずうずう弁」なるものが、出雲・日本海沿岸に存在するということは、対岸の朝鮮から伝播したと考えられる。
岩見弁では「行くけえ」「あげるけえ」「がんばるけえ」などと語末に「~けえ」をつけるが、これは朝鮮人が「~ケエ」と言うのに似ている。
山口・広島では「止めようじゃ」「雨が降るじゃ」「すぐ直るじゃ」のように文末に「~じゃ」をつけるが、朝鮮語でも「~ジャ」と言う。
これらの言葉が、朝鮮語では標準語で使われているのは何故であろうか。

224:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 13:25:40.63 IsT0/Nnl.net
>>223
出雲のズーズー弁は松本清張の小説に出てたね

225:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/15 23:41:03.02 CgSN8EO1.net
>>223
ツングース由来はないのか?

226:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/16 18:10:23.10 k5X+auRh.net
小学生でもわかる『ヤマト民族』の形成史 かんたん解説
URLリンク(www.gondo.com)
半島南部から北九州弥生人(扶余系・朝鮮人)、土井ヶ浜弥生人(韓系・朝鮮人)が侵入
西北・南九州弥生人(プレ琉球人)を奄美・沖縄に押しやり、倭国大乱(北九州王朝と出雲王朝の争い)を経てヤマト民族が誕生
さらに東征し、東日本の蝦夷(プレアイヌ)をジェノサイドし、百済の王朝を奈良(那羅)にコピペして完成


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