21/04/04 05:39:33.48 QMdjl+bf.net
『被差別部落一千年史』(岩波文庫/高橋貞樹著/大分県出身)
P186
部落民の分布は、穢多の水上(えたのみなかみ)と称せられる近畿地方を中心として最も多い。
兵庫県のごときその最たるもの。
P193
近畿、山陰等は差別の程度が濃厚であって、山陽、四国、九州等はこれに次いだ差別程度である。
部落の分布の多いところほど差別が甚だしく、関東中部、北陸、東北地方に至るに従い差別の度も少ない。
特殊部落の人口と分布(大正10年7月現在)
府県名 部落数 戸数 人口
兵庫 339 18,547 107,608
大阪 60 9,773 47,909
京都 134 8,515 42,179
和歌山 105 7,438 36,072
奈良 71 6,427 32,678
滋賀 65 4,882 25,819
鳥取 81 3,006 19,022
香川 63 1,900 9,867
東京 46 1,651 7,658
大分 76 1,402 7,099
愛知 19 1,365 6,927
神奈川 33 932 5,712
茨城 47 700 4,368
新潟 32 580 2,929
千葉 22 474 2,588
51:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/04 08:53:42.67 M8yTkdwS.net
>>41
お顔があきらかにご先祖の
52:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/04 10:26:11.94 QMdjl+bf.net
比較言語 一致数 偶然一致率 偏差値
現代日本語 155 0.000000 26.663
琉 球 語 122 0.000000 20.807
現代朝鮮語 43 0.001476 3.271
中期朝鮮語 39 0.011733 2.477
アイヌ語(幌別) 29 0.131115 1.243
インドネシア語 42 0.003170 2.994
中国語(北京語) 37 0.039247 1.919
英 語 32 0.074783 1.583
53:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/04 15:20:27.75 QMdjl+bf.net
弥生時代の日本語と古代朝鮮語の数詞再現実験 Pre-Old Japanese and Old Korean numerals
URLリンク(www.youtube.com)
54:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/05 03:27:01.82 iwrN2/mn.net
韓半島の初期青銅器文化と初期弥生文化 突帯文土器と集落を中心に 李 亨源
doi: URLリンク(doi.org)
[論文要旨]
韓半島の突帯文土器は、青銅器時代早期の指標土器として前期まで存続する。西日本の突帯文土器は、縄文晩期後半の指標土器として位置づけられていたが、灌漑式水田稲作が伴うことが明らかになった 1980 年代以降、弥生早期に再設定された経緯がある。
韓半島の突帯文土器は 1990 年代後半までは無文土器研究のなかではあまり注目されてこなかった。最大の理由は資料があまりにも少なかったからである。忠北堤川黄石里遺跡の調査で初めて知られることになった突帯文土器は、李弘鐘が韓半島南部と九州の刻目突帯文土器を比較してから関心をひくようになった。
李弘鐘は、九州北部で使用されていた夜臼式土器と形態が類似していることを根拠に、韓半島の刻目突帯文土器文化が九州北部に水田稲作を伝えたと主張した。日本の研究者は、弥生早期の突帯文土器である夜臼I式土器は、縄文土器から内部発展したものと考えていたので、韓半島の突帯文土器には関心を持っていなかった。
現状を打開したのは千羨幸である。千羨幸は炭素 14 年代と土器の形態を分析して以下のような結論を導き出した。瀬戸内西半部の縄文土器が、韓半島南部、南江流域圏の突帯文土器文化(刻目突帯・沈線文)を受け入れ、西日本の突帯文土器を成立させたと。
しかし、共通点は装飾面にとどまり、器形などには及んでいないため、韓半島から多くの人びとが渡海したのではなく、少数の人たちによって文様のような視覚的な情報だけが伝えられたか、縄文人が文様だけを模倣した可能性が高いと考えた。
これと似たような状況は、韓半島における突帯文土器の成立過程でもみることができる。渼沙里類型は中国東北をはじめ、鴨緑江流域と清川江流域に分布する住居構造、土器、紡錘車などが韓半島南部へ拡散して成立したものである。
人びとの移住が背景にある可能性が高いが、器形には両地域のあいだに違いが見られる。中国東北の突帯文土器文化が韓半島へ南下する時には、住居構造などを維持しつつ、土器相には多少の変化がみられることに対し、韓半島南部から西日本への影響は突帯文の文様に限定されている。
およそ前 15 世紀から前 10 世紀にかけて、中国東北を含んだ韓半島西北韓と東北韓、南部地域へ突帯文土器が拡散する様相を確認できる。この過程で西日本へも伝わったと理解される。突帯文土器文化を東アジア的な広い視点でみることが必要な時である。
突帯文土器文化と松菊里文化はある程度の時間差をおいて西日本に伝わったが、突帯文土器が文様のモチーフに限定された反面、松菊里文化は文化全般が拡散したと考えられる。
55:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/05 03:30:37.96 iwrN2/mn.net
最後にその内容を要約しておわりとしたい。
① 形態的な類似性から韓国の研究者たちは韓半島の青銅器人が西日本の突帯文土器の成立に深く関わったと考えてきた。しかし日本の研究者たちは両地域の突帯文土器の間にあまりにも年代差が大きいことや、畑作と水田稲作という生産基盤の違いが存在すること、縄文土器からの型式変化がスムーズにたどれることなどから、両者の関連を否定してきた。
今回、新たな資料をもとに再検討した結果、韓半島の突帯文土器文化は前期後半や前期末まで存続していた可能性が高まったことで、年代差がほとんどみられなくなった。突帯文土器文化は東アジア的な観点から考える必要があり、中国東北から韓半島、日本列島に至る広範囲の地域で文化伝播が発生したという千羨幸の主張を肯定的に認める必要がある。
―日本考古学では渡来人という用語を使用しているが、筆者は韓半島の立場からこの問題をみているので、海を渡って日本列島に行くという意味をもつ、渡海あるいは渡海人という用語を使用する。
―無文土器時代という名称を使用する場合は無文土器人が適切であるが、筆者は青銅器時代という名称を使用するので、韓半島の青銅器時代の人びとを青銅器人と称する。
56:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/05 16:25:52.19 iwrN2/mn.net
日本最古級の弥生遺跡とされる菜畑遺跡や板付遺跡で発掘された松菊里型土器
弥生文化人と縄文文化人が共存していた最初期の弥生遺跡だが、この発掘は日本文化の起源を暗示するものであった
支配階級は弥生文化人で半島起源の松菊里型住居に住み、被支配階級の縄文人は従来型の竪穴式住居に住んでいた
松菊里遺跡とは古の大百済王国の文化中心地である首都プヨ(扶餘)郊外にある無文土器時代の遺跡である
ここまで書けばもう最後まで説明する必要も無かろう
弥生文化とは無文土器文化人が稲作技術を持って土着のアイヌつまり縄文人を征服して産まれたものであった
日本語の天つまりアマという言葉の起源は満洲にある
満洲から半島に移住した兀良哈の類が半島で稲作文化を学び日本列島へと移住したのだ
57:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/06 03:57:35.97 MMdV3sQn.net
日本書紀は、百済視点で朝鮮半島との交流の記述ばかり書かれている
訳語・通事が置かれたのは、確実なところでは漢語・新羅語・湖海語・夷語
奄美等訳語(『延喜式』巻30大蔵省)、それに隼人の言語が加えられる
58:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/06 07:48:08.84 MMdV3sQn.net
考古学からみた韓半島南部と山陰、そして勒島遺跡
URLリンク(image.prntscr.com)
韓国国立釜山大学校考古学科 李昌熙(イチャンヒ)
無文土器とは (朝鮮・青銅器時代の土器文化)
早期 (1500BC) 突帯文土器:渼沙里式(系)
前期 (1200BC) 二重口縁土器:可楽洞式(系) 孔列文土器:駅三洞式(系) 複合文:欣岩里式(系)
中期 (900BC) 外反口縁壺:松菊里式(系)
後期 (500BC) 円形粘土帯土器 三角形粘土帯土器:勒島式
先史・古代出雲のなかの韓半島系文物
URLリンク(image.prntscr.com)
現在の国境とは異なる境界意識を解き明かすうえで出雲出土の韓半島系文物が持つ意義は大きい。
59:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/07 05:03:28.06 qCOeUZqS.net
Hypothetical Transeurasian language tree, showing the evolution of the Transeurasian languages (formerly known as Altaic).
URLリンク(upload.wikimedia.org)
仮説に基づいたトランス・ユーラシアン言語樹
興隆窪文化 (proto-Transueurasian) → 遼東 (proto-Japano-Koreanic) → proto-Japonic
60:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/08 09:16:56.46 91LZJutC.net
奈良の春日大社を始め、茨城の鹿島神宮等
日本には野生の鹿を聖獣と位置付けているところは多い
同じくこの鹿を神聖視して崇めていたのが扶余族
そしてこの扶余族は百済人のルーツであるわけだ
ちなみに「扶余」とはツングース語の鹿を意味する「プヨ」を漢字にあてためた言葉
扶余族系
URLリンク(cdn.4travel.jp)
鹿を殺すと発狂する奈良人 10歳の少女まで容赦なく虐殺
>天文20年(1551年)10月2日には、10歳の女子が本子守町で鹿に石を投げたら当たり、神鹿を殺害したとして、
>大人と同じように縄でくくられた上で興福寺周囲の塀を馬で一周させられ(大垣回し)した後に斬首処刑され、
>家族は連座で家屋を破壊され追放された(『興福寺略年代記』[9])[10]。
61:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/10 15:20:03.10 Qm5YxAm/.net
「日本」の国号成立に百済人が関与か
URLリンク(livedoor.sp.blogimg.jp)
中国の古都・西安で見つかった墓誌に「日本」の文宇が見つかった。墓誌は678年の作と考えられるとしている。
日本と名乗るようになったのは大宝律令(701年)からとの見方が有力だが、墓誌が本物ならさらに遡ることになる。
祢軍という百済人の軍人の墓誌で、676年2月に死亡し、同年10月に葬られたと記されている。
百済を救うために倭国は朝鮮半島に出兵したが、663年に白村江の戦いで唐・羅連合軍に敗れる。
その後の状況を墓誌は「日本餘噍據扶桑以逋誅」と記述している。
墓誌銘で倭国はヘジュァ(海左:海東側)、ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記されており、
碑文の「日本」は国号を指したものではなく、中国から見る「日が昇る所」という意味で、すなわち百済を示す。
日本書紀に「傾覆百濟、君臣總俘、略無噍類」とあり、「餘噍」は、百済の君臣の残党と推定できる。
「扶桑(フーサン)」は、中国神話で東方のはてにある太陽を生む樹と言われ、またその巨木の生えている土地を扶桑国という。
後世、扶桑国は、中国における日本の異称となったが、それを受けて日本でも自国を扶桑国と呼ぶことがある。
よって、碑文の解釈は「日本の餘噍(百済の残党)は、扶桑(日本列島)に閉じこもり、罰をのがれた」となる。
62:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/11 10:59:22.42 yxDXlNnV.net
九州の縄文時代早期人類のDNA解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2021)が公表されました
この研究はオンライン版での先行公開となります
URLリンク(sicambre.at.webry.info)
東名遺跡の標本012と遺伝的に近い現代および古代の人口集団が調べられました
主成分分析では、標本012は他の縄文人とクラスタ化し(図4)
本論文で分析対象とされた縄文人全個体が同じ遺伝的集団に属する、と示唆されます
図4
URLリンク(userdisk.webry.biglobe.ne.jp)
63:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/12 08:05:11.59 q6Lu9kHR.net
日琉語族の話者が紀元前700年~300年頃に朝鮮半島から日本列島に移住し、最終的に列島先住言語に取って代わったことは、広く受け入れられている[59]。
(Wikipedia 日琉祖語より)
朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日琉語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている[4][5][6][7][8]。
(Wikipedia 無文土器時代より)
百済の王族は高句麗から出ているため、彼らは扶余系高句麗語を話していたと考えられる。なお新羅の言語は音節が通常子音で終わる閉音節なのに対して、高句麗と百済そして倭では母音で終わる開音節だったと考えられている[3]。
(Wikipedia 百済語より)
高句麗語の復元については『三国史記』にある高句麗の地名の表記が手がかりとされているが、それによれば、例えば「三」をミツ、「七」をナノン、「五」をウィツ、「兎」をウサグム、「鉛」をナマリ、「谷」をタンと発音していた。
(Wikipedia 高句麗語より)
クリストファー・I・ベックウィズは、日本=高句麗語族(英語: Japanese-Koguryeoic)が紀元前4世紀に遼寧省西部に存在し、一つのグループ(弥生文化と同定される)が海から朝鮮半島南部と九州に、他のグループが満州東部と朝鮮半島北部に、他のグループが海路で琉球諸島へ移動したとしている[3]。
(Wikipedia 半島日本語 [Peninsular-Japonic] より)
東アジアの言語地図 (オハイオ大学の言語学者 J. Marshall UNGER が作成)
URLリンク(www.oeaw.ac.at)
64:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/14 20:38:26.46 5VAUNr1T.net
まあこういうスレではいつもいうんですけどね
この日本列島は縄文人という平和的種族がね
1万年物長い間、平和に過ごしていたわけですよ。
1万年だぞ、1万年は長いぞ
一世代20年と考えて500世代だからね
もうどう考えても日本のエリアの先住民族なんですよ、縄文人は。
でねえ、そのピースフルな美を愛してきた先住民族縄文人を
偉大なる大韓からやってきた渡来弥生人が一方的に侵略しホロンぼした。
その滅亡の課程は記紀や風土記ほかの神話や伝承、民話、
または征夷大将軍に象徴される歴史的な蝦夷追討の物語で明らかだが
つまり事程左様に、そういう哀しい侵略と征服と絶滅の歴史があったわけだ。
これはねえ、まあいつもいうけど偉大なる大韓民族の渡来弥生人、
これの末裔たるチミら自称愛国者ネトウヨどもを含む自称日本民族の原罪ではあるね。
1万年もこの列島で生き最後は文字も記録も残さず無念のうちにホロンびた縄文人。
その骨すら列島と一体となり土にかえり残らなくとも縄文人のその魂魄、
これは現代の我々のことを如何様に見るだろうか? そういう話でもあるんだよ。
(え? 魂魄なんてオカルトいうなって? じゃあDNAといってもいい
一般的な日本人のDNAの中には縄文由来のそれもわずかばかりあるっていうな
つまりチミらもまたちょっとだけ縄文人なんだよ
まあ圧倒的多数は大韓由来の弥生人のそれというがねえ)
65:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/15 00:39:14.67 9d4haWYk.net
ネトウヨって朝鮮人を忌み嫌い、さも自分たちが、日本人の代表面してるけど、あいつらの面構えって大概一重でのっぺり系の渡来人顔=朝鮮顔で、結局のところあいつらって"白村江の戦い"で敗れ新羅に敗れ日本に逃げてきた百済人の末裔で、今の朝鮮人を憎んでるのは、要するに自分たちから祖国を奪い日本に追いやった新羅の末裔だからで、結局のところ同族嫌悪でしかないんだよね(´・ω・`)まったく百済ねぇわ(´・ω・`)
66:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/15 06:00:30.40 IaAWdnAD.net
悪者扱いされてる助役が一番日本人顔な件
URLリンク(pbs.twimg.com)
67:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 00:28:44.89 ygBxHMez.net
弥生人の起源
Figure 3 のPCAプロットは、明らかに、現代人口で日本人にもっとも遺伝的に近いのは韓国人だと示します。
考古学的な証拠もまた、弥生時代の始まり(~1000 BCE)における北九州と朝鮮半島南西部の文化的類似性を支持します。
ハプロタイプ・フェージング・データを用いた現代日本人と韓国人の分岐時間の推定は、およそ3000年前に発生したという仮説を支持します。
>Origin of Yayoi people
>The PCA plot in Figure 3 clearly shows that the presentday population genetically closest to the mainland Japanese is Korean.
>Archeological evidence also supports the cultural similarity at the beginning of the Yayoi period (~1000 BCE) between the northern Kyusyu and the southwest Korean peninsula (Fujio, 2017).
>An estimate of the split time between present-day mainland Japanese and Koreans using haplotype-phasing data mostly supports the hypothesis that the split occurred about 3000 years ago (Kim et al., 2020).
Figure 3. Principal-component analysis of present-day and ancient East and Northeast Asians.
URLリンク(www.nig.ac.jp)
Exploring models of human migration to the Japanese archipelago using genome-wide genetic data
doi: URLリンク(doi.org)
68:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 01:56:45.01 ygBxHMez.net
残された疑問は、朝鮮半島における稲作民がどのように移住したか、もしくは定着したかです。
稲作が北九州に伝来した当時、朝鮮半島はムムン時代にあり、北九州に共通した文化がありました。
東南アジアと日韓におけるY染色体ハプログループOの結びつきは、稲作の起源が長江流域にあり、朝鮮半島と日本列島に齎されたという仮説を支持します。
私たちは、現代日本人と韓国人のいずれも、西遼河・黄河・長江流域に関連する新石器時代集団に、遺伝的に共通すると判断しました。
長江流域からのサンプルは利用できないため、福建省からの昙石山文化のサンプル(溪头村・昙石山遺跡 ~2500–2000 BCE)をプロキシーとして使用しました。
西遼河流域からのサンプルは、紅山文化のBLSM45 (~3300–3100 BCE)と、夏家店下層文化のEDM176 (~2000–1600 BCE)です。
黄河流域からのサンプル名は、龍山文化のWD-WT1H16 (~2100–2000 BCE)とPLTM313 (~2100–1900 BCE) 、後李文化のBianbian (~7600–7500 BCE)と、Boshan (~6400–6100 BCE)です。
f4-statisticは、現代日本人と韓国人のどちらも、初期新石器時代の黄河流域のサンプル(Boshan)に遺伝的に共通することを示しました。
しかし、CHBと比べてBoshanとの類似性の統計的有意性は、僅かなものです(|Z| = 2.47)。
その一方で、日韓は、新石器時代の華南人よりも、優位にCHBとより近縁関係にあることがわかり、長江流域の人びとは現代日本人と韓国人の遺伝的基盤に実質的に貢献しなかったことを示唆します。
f4 statisticsへのパラレル・パターンは、Figure 3のPCAプロットに示されます。初期新石器時代の黄河下流域のBoshanとBianbianの個体は、現代韓国人にかなり接近してプロットされました。
これまでの研究は、華北からの古代サンプルは、現代中国人よりも、北部東アジア人の遺伝的要素を有することを示しました。
結果は、現代日本人と韓国人の基底集団は、後期新石器時代の黄河と西遼河領域の集団とは、やや異なることを示唆します。
新石器時代の朝鮮半島の人びとの古代ゲノム・データが利用できるようになれば、もっと多くのことがわかるでしょう。
69:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 02:42:01.36 ygBxHMez.net
Yang et al. (2020) は、現代日本人は、旧石器時代の北部東アジアの個体(Boshan)と縄文人の個体のadmixtureとして、0.38の縄文人系統の比率を伴い、最適にモデル化されることを示唆しました。
私たちは、同様ソースの集団(Boshanと伊川津縄文人)を使って、そのモデルをテストしましたが、はるかに小さな縄文人系統の比を得ました (0.103 ± 0.030)。
相違の理由は定かではありませんが、Yang et al. (2020)の分析で使用されたものと違う、右(外集団)集団のセットを使ったことによるとみられます。
私たちはさらに、縄文人・韓国人・ホジェン族の3方向admixtureモデルをテストしました。
3方向モデル(韓国人・ホジェン族・縄文人, χ2: 45.4)は、2方向モデル(縄文人と韓国人, χ2: 58.9)よりも、優位によりよく適合します。
縄文人・韓国人・ホジェン族の系統比は、それぞれ0.096, 0.832, 0.072と推定されますが、3方向モデルもこのデータを完全に説明するわけではありません。
もし弥生時代以降にアムール川流域からさらなる移住がなかったとすれば、f4 statisticsを用いた以前の分析で示されたように、このパターンは、弥生時代の移住者が、現代韓国人よりも東アジア北部の遺伝的要素をより多く有するかもしれないことを示唆します。
要するに、我々の分析は、現代日本人の縄文人系統は、これまでの推定値の下限の程度であり、10%を大きく超えることはないと示しました。
70:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 03:27:07.02 ygBxHMez.net
論文の「弥生人の起源(Origin of Yayoi people)」の項を要約すると
- 日本人に遺伝的に最も近いのは韓国人
- 日本人と韓国人の分岐はおよそ3000年前に発生したとする説が有力
- 無文土器時代の朝鮮南部と、弥生時代の北九州に共通した文化があり、考古学的にも裏付けられる
- 日本人と韓国人は、西遼河・黄河・長江の古代集団のいずれにも遺伝的に関連している
- 稲作は長江から伝播したが、日韓人はCHBと優位に近縁関係にあり、
古代の長江付近の集団(XitoucunとTanshishan)は日韓の遺伝的基盤に実質的に貢献していない
- 古代の黄河流域の集団(BoshanとBianbian)は、現代の中国人よりもツングース寄り
- 現代日本人は、縄文人・韓国人の2方向モデルよりも、縄文人・韓国人・ホジェン族の3方向でモデル化したほうがより精確
- いずれにせよ、現代日本人の縄文要素は10%かそこらである
Figure 3. Principal-component analysis of present-day and ancient East and Northeast Asians.
URLリンク(www.nig.ac.jp)
Exploring models of human migration to the Japanese archipelago using genome-wide genetic data
(ゲノム規模の遺伝子データを用いて日本列島への人類の移動モデルを探索する)
doi: URLリンク(doi.org)
71:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 03:33:48.83 ygBxHMez.net
>>69
「弥生人は現代韓国人よりもツングース寄り」というのを忘れてた
>If we assume that there was no additional migration after the Yayoi period from the Amur River basin, the pattern would imply that Yayoi migrants might harbor more northern East Asian genetic components than present-day Koreans do, as shown in the previous analysis with f4 statistics.
72:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 06:49:53.04 ygBxHMez.net
本論文は、古いトポニーム(地名)の証拠を用いて、1千年紀の前半頃の朝鮮半島における特定集団の地理的分布と相互関係を明らかにするものである。
白鳥庫吉 (1895-1896) が、『三国史記』の高句麗地名が日本語で解釈可能と指摘して以来、日本人・韓国人・西洋人の学者によって多くの研究がなされてきた。
Lee (1968) やBeckwith (2007) は、高句麗語は日本語族に属すると述べている。
しかし、河野 (1993) は、これらのジャポニック関連の地名は、朝鮮半島の中東部(現在の江原道)に住んでいた濊(Ye)によって残されたものだとしている。
彼の主張は、15世紀から16世紀にかけて、日本人が中世朝鮮で「Ye」と呼ばれていたという事実に基づいている。
以下の図に示すように、ジャポニック地名は、濊の領域のみならず、高句麗に征服される前の漢城時代の百済の領域にも広く分布している。
URLリンク(image.prntscr.com)
井上(1962: 47)は、「『三国史記』の地理巻に見られる地名を分析することで、濊貊族と漢族の分布が明らかになり、これらの部族の地理的特徴も知ることができる」と述べ、自らの貢献を紹介している。
Geographical distribution of certain toponyms in the Samguk Sagi
doi: URLリンク(doi.org)
Released: 2021/03/31
73:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 15:30:13.67 ygBxHMez.net
チベット高地民族の起源 (The origin of Tibet highlanders)
チベット高原のPeoplingは、日本人の起源の研究において特に重要であるが、これは縄文人、チベット人、アンダマン人に共通する特定のY染色体ハプログループ (D-M174 or D1) が、これまでの遺伝学的研究でハイライトされてきたためである。
ミトコンドリアの研究では、日本列島の状況と並び、現代チベット人の二重構造モデルが提案された。
Ausotomalゲノムの研究では、チベット人が古代旧石器時代の人々と新石器時代の移民のAdmixtureから成ることが示され、古代ゲノム・シークエンスでは、新石器時代の移民が、東アジア南部ではなく、黄河流域の新石器時代の東アジア北部の人々と近縁であることが示された。
このパターンは、シナチベット語族の中国北部起源説を言語学データから提案する研究と一致しているが、東アジア北部からのジーン・フローの推定パターンは、複数の移住の波があり、非常に複雑であったかもしれない。
しかし、旧石器時代のチベット集団の起源は不明のままである。Jeong et al. (2016) は、一塩基多型(SNP)チップデータを使用して、シェルパとアイヌの人々の間の深い共有系統を示し、それはY染色体パターンと一致するものであった。一方、Kanzawa-Kiriyama et al. (2019) は、シェルパ人と縄文人の間に優位な遺伝的関係を検出しなかった。
Yang et al. (2020) によるqpAdm分析を用いた研究では、後期・新石器時代 (Chokhopani) と、現代チベット人は東アジア北部の集団 (Boshan) と縄文人 (Ikawazu) のAdmixtureによって説明できるとし、現代日本人とチベット人の間に深い遺伝的関係があることが裏付けられた。
最近の未発表の研究 (Wang et al., 2020a) では、多くの東アジア現代人および古代人のゲノム配列を分析し、旧石器時代のチベット集団がホアビニアン/オンゲ関連の系統であることが示唆された。
現代チベット人の基底集団が、縄文人の祖先と共通の系統をもっていたかどうかは明らかではないが、上記の研究は、現代チベット人が、深く多様化した基底アジア人集団の遺伝的要素を持っているという研究を裏付けるものである。
Exploring models of human migration to the Japanese archipelago using genome-wide genetic data
doi: URLリンク(doi.org)
74:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 16:18:45.88 ygBxHMez.net
後期旧石器時代の南方移動ルート
現代アジア人の祖先は、南方ルートを経由して、約70000~50000年前に東南アジアとオセアニアの一部に到達したが、これはおそらく沿岸部の分散ルートを経由したと思われる。当時、ユーラシア大陸はヴュルム氷期にあった。
インドシナ半島、マレー半島、およびボルネオ、ジャワ、スマトラ、フィリピンなどの島々は、ユーラシア大陸に繋がったスンダランドと呼ばれる陸塊を形成していた。
移住者の子孫の中でも、パプア人・オーストラリア先住民・フィリピンのネグリトは、アンダマン人(オンゲ族)やマレーシアのネグリト(ジャハイ族)などの他の東アジア人よりも、デニソワ人の系統を持つゲノム断片の遺伝子移入の量が多い。
これは、デニソワ人に関連する古代人が東南アジアのどこか、あるいはその近くに住んでいたことを示唆している。
東アジアの集団が、集団間の移動を前提としない系統樹としてクラスター化されると、ほとんどの東・北東アジアの集団は、パプア人・オーストラリア人・オンゲをルート位置に置いて一つのクラスターを形成しており、南方ルートが現在の東・北東アジアの集団の遺伝的特徴を優位に形成したことを示唆している。
Upper Paleolithic southern migration route
Via the southern route, ancestors of current Asian populations reached Southeast Asia and a part of Oceania around 70000?50000 years ago, probably through a coastal dispersal route (Bae et al., 2017). At the time, the Eurasian continent was in the Wurm glacial stage. The Indochina peninsula, the Malay peninsula, and many islands, including Borneo, Java, Sumatra, and the Philippines, formed a landmass called Sundaland, which was connected to the Eurasian continent (Hall and Morley, 2004).
Among descendants of the migrants, Papuans, aboriginal Australians, and Philippine Negritos show a larger amount of introgression of genomic fragments with Denisovan ancestry than the other East Asians, including Andamanese (Onge) and Malaysian Negritos (Jehai). This suggests that archaic humans related to the Denisovan lived somewhere in (or nearby) Southeast Asia (Reich et al., 2011; Jinam et al., 2013, 2017).
When East Asian populations are clustered as a tree with no assumption of migration between populations, most East and Northeast Asian populations form a single cluster, with Papuans, Australians, and Onge people at root positions, suggesting that the Southern route predominantly shaped the genetic features of present-day East and Northeast Asian populations (HUGO Pan-Asian SNP Consortium, 2009; Mallick et al., 2016; Lipson and Reich, 2017;).
Exploring models of human migration to the Japanese archipelago using genome-wide genetic data
doi: URLリンク(doi.org)
75:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 22:39:46.63 Xd5n20cz.net
YDNA見ろ
縄文男が多めに渡来女をレイプしたんだって
76:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 22:40:38.50 Xd5n20cz.net
どっかのアイヌの動画でアイヌのおっさんが「俺はモテたから遊び回ってた」と言っていた
そういうことなんだろう
男は白人のがかっこいいだろ
77:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 22:42:20.79 Xd5n20cz.net
元公家のYDNAでも調べ回ったらどうか
これには本人の遺伝子は必要ない
天皇の遺伝子調べるのにも本人のものは必要ない
親族の男複数を調べてその共通遺伝子を調べるやりかたでいい
78:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/16 22:45:03.11 Xd5n20cz.net
渡来人を考える場合
まず亀ヶ岡を渡来の第一波と考えよう
縄文時代にあの文化があった異質さを大陸と結び付けないのは不可能
亀ヶ岡のBC1000年以前を基本に置く
半島からじゃ不可能だろ
79:「。
21/04/17 02:05:17.78 z8iMR/xv.net
これまでの核ゲノムデータは東日本の縄文時代中期末以降の標本に限定されていました。mtDNAを用いた研究では、縄文人の地域差が示唆されていました。縄文人の遺伝的特徴を充分に解明するには、広範な地域と年代を網羅したゲノムデータの蓄積が必要です。
東名遺跡は1990年に発見され、放射性炭素年代は、7980~7460年前頃で、縄文時代早期に相当します。日本列島で最古かつ最大の湿地帯貝塚で、発掘された人類遺骸は、九州の縄文時代では最古となります。
図1
URLリンク(userdisk.webry.biglobe.ne.jp)
本論文は、東名遺跡個体の完全なミトコンドリアゲノムと部分的な核ゲノムを報告します。これは、九州縄文人の縄文時代早期のゲノムに関する初めての報告です。
標本012のミトコンドリアゲノムの深度は約47倍で、mtDNAハプログループはM7a1aでした。これまでに分析された九州と沖縄のほとんどの縄文人はM7a1aでした。縄文時代の九州ではM7a1aが優勢だった、と示されます。これは、N9bが優勢だった東日本とは対照的です。Y染色体ハプログループはD1bに分類されましたが、データ不足のためさらなる細分化はできませんでした。主成分分析では、他の縄文人とクラスタ化し(図4)、本論文で分析対象とされた縄文人全個体が同じ遺伝的集団に属する、と示唆されます。
図4
URLリンク(userdisk.webry.biglobe.ne.jp)
現代人口集団における縄文人のDNAの割合が推定されました。f4比検定では日本人のゲノムにおける縄文人由来領域の割合は9.7%で、これはTreeMix分析の結果に近いものでした。朝鮮人とウリチ人でそれぞれ5%と6~8%でした。
縄文人の代表的なmtHgであるM7aとN9bの割合に基づくと、現代日本人におもに遺伝的に寄与したのは、西部縄文人だった可能性があります。しかし、核ゲノム分析は、東名遺跡の西部縄文人が他の縄文人よりも現代日本人と密接に関連している、という証拠を提供しません。
Ancient genomes from the initial Jomon period: new insights into the genetic history of the Japanese archipelago
doi: URLリンク(doi.org)
80:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 02:33:33.39 z8iMR/xv.net
>>78
最後の望みの西日本縄文人もたった9.7%しか入ってない
これにて日本人≒朝鮮人確定だな
さよなら縄文人
81:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 02:56:02.34 4HjV94DR.net
そんなん関係ないぞw
縄文が3割の男系で残ってるだろ
縄文と言えば縄文なんだよ
82:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 02:56:49.67 4HjV94DR.net
沿海州説だとしたら、日本人はエベンキに近い
小便洗顔民族と関連ある可能性もある
絶対そっちがわにルーツをもっていくな
83:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 03:00:06.62 4HjV94DR.net
小便洗顔はツングースなど、極北、極寒の地域の民族の習俗
そこらでは水は絶対得られない
ボイラーでわかすなど不可能
火でわかすなんてのも無駄
家畜の小便が血を洗い流す唯一の手段
テントの中央に尿をためてそこで洗う
これと関わりをもってはいけない
84:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 04:05:37.89 z8iMR/xv.net
Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesian
Timothy A. Jinam1,2, Yosuke Kawai3, Naruya Saitou1,2,4,5*
doi: URLリンク(doi.org)
Dataset 3
We now used genome-wide SNP data (see Materials and
Methods) for two Yaponesian populations (Ainu and Okinawa),
and genome data for Jomon F23 and Yamato, and three
continental East Asians (Koreans, CHB, and CHS) to estimate
their ancestral population structure. Figure 7a shows
the result of admixture analysis when the number of ancestral
components (k) was assumed to be 2?7. When k = 2, the
two ancestral components are color-coded blue and orange.
Interestingly, some Ainu individuals are 100% blue component
as in the F23 Jomon individual. The lowest blue component
for Ainu individuals was more than 50%. Whereas all
Okinawa individuals have more or less 30% blue component,
Yamato individuals are on average ~15% blue component.
Among continental populations, only Korean has ~5%
blue component, and CHB and CHS contain very small
proportions of the blue component, if any. This admixture
result for k = 2 is very similar to Supplementary Figure 2 of
Jinam et al. (2015), and fits well with the dual-structure
model of Yaponesian formation; the blue component is indigenous
(Jomon) component, and the orange component is
migrants to Yaponesia after the Yayoi period.
Figure 7. (a) Admixture result from k = 2 to k = 4. b) Cross-validation error of admixture from k = 2 to k = 7.
URLリンク(image.prntscr.com)
85:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 16:37:26.27 PvfM1oKU.net
>>74
弥生期のある時期まではな たぶん古墳3世紀に切り替わる少し前まで
O1系が寛大だったので脱走してくるC1a1、D1a2a男は受け入れて
弥生人たちから縄文集落には手を出さなかった
ミトコンドリアD4aが増えたのもその時期だろう
その後、武装したO2・C2・N・Q集団が来訪して日本列島が統一国家として征服されると
坂東武士政権の誕生までD1a2a男は被支配層に置かれた
当然平安時代までの天皇はO2のどれかだろう 藤原は定説通りO1b2だろう
なんでDが中世に復活できたかというと近畿のO2が傭兵として九州のD-M125を使う内に
姓を与えて地方に下向させた方が効率よく支配できると踏んだためか
もしくは清和天皇の子でDQNで知られる陽成天皇が実は間男の種だったからだろう
清和源氏の陽成源氏説は昔からあるし清和源氏末裔からよくD-M125が出てくるのと矛盾しない
鎌倉時代以降も復活できなかったのがC1a1でエタ非人となって現在に至る
86:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 16:57:58.98 z8iMR/xv.net
弥生人きていきなり環濠集落ができるのに寛大なわけないよ
最初から武力で土地を奪い取る気満々だった
87:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 17:05:54.43 PvfM1oKU.net
まあここ1000年間の支配層がD1a2a1bとO1b2a1a1の2系統であったことは揺るぎない事実だ
ただしこれには縄文・弥生の文化的・形質的違いなどは関係ない
同じD1a2aでも蝦夷に多かったD1a2a2やD1a2a1c、
O1b2でも弥生期の権力抗争に破れたO1b2a1a2aは下層民として生きながらえた
88:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 18:01:27.72 PvfM1oKU.net
自分のYDNAが被支配層の下降物でも決して悲観することはない
支配層の種として残っているYハプロは総合しても20%程度で、
残りの日本人父系約80%は百姓であると言ってもいい
数値を見るとD1a2a1bとO1b2a1a1の両者でそれぞれ約20%が列島全土に分布し、
一見約40%が天皇、藤原に由来するように見えるが更に分けると
YFULLで見るD1a2a1bの場合、下位のD-Z1504が日本人の約10%で約2200年前誕生
つまりD-M125でも皇胤に属さない男性が半分ということになる
これは藤原のO1b2a1a1(cts713、旧47z)でもほとんど同じ比率で
YFULLだけを見ると確認できないがある韓国人の独自研究で
約20%いるO1b2a1a1のうち約9%が約1862年前に誕生した男の子孫と判明している
URLリンク(egloos.zum.com)
>>一つは、Y-SNPハプログループのO2b1(O1b2a1a1)に属するハプロタイプで全日本人男性のサンプルのうち、約9.0%がこのモーダルタイプに対応し
>>約74 generations、1862 years agoで巨大古墳が築造され始めて、日本全体の新しい政治体制が異なる集団を圧倒する古墳時代の紀元後3世紀頃とほぼ一致する
↓のO2b1-TMがO1b2a1a1~の権力者クレードで沖縄以外で旧47zの約半分を占める
URLリンク(i.imgur.com)
つまり藤原じゃないO1b2a1a1も大勢いることを示す
だから支配・被支配層の話はこれで終わり
8割の日本人は公家でも武家でもなんでもない卑種の末裔
89:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 20:34:15.64 z8iMR/xv.net
斎藤成也とJinam (2017) は、ヤポネシアの3ウェーブ移動モデルを提案した。
これら移住者の推定期間は以下の通り。
(1) 第一波、旧石器時代および縄文中期 (40000 years BP to 4500 BP)
(2) 第二波、縄文後期~晩期 (4500 BP to 3000 BP)
(3) 第三波、弥生時代 (3000 BP) から現代
この3つのウェーブに関係する人々は、次のような仮説を立てることができる。
第一波では、シベリア、東アジア大陸、インドシナなどから狩猟採集民がヤポネシアに移住してきた。この移動の波はよく議論されている。
私たちは、第二波の移住者として、やや謎めいた「海の民 ‘sea people’」を提案する。
彼らは、中国南部の沿岸部から山東半島、黄海、朝鮮半島にかけて分布し、主に漁業を生業とする狩猟採集民だったのではないかと考えている。
篠田謙一 (2019) は、約6300年前、朝鮮半島南東部の海岸に位置する加徳島に居住していた人々の古代DNAを分析し、
現代の韓国人よりも縄文人の割合が高いことを明らかにした。
Shima (2020) は近年、現代人の分散における漁業の重要性を強調している。
これら2つの文献は、東アジア大陸の沿岸域でおもに漁業を営んでいた古代の狩猟採集民の存在を裏付けているようにおもわれる。
「海の民」は、稲作農耕民に取って代わられ、彼らの人口規模は7000 BP~5000 BPの間で急速に拡大し、
「海の民」は最終的に縄文時代後期(4500BP~3000BP)にヤポネシアに移住したと考えられる。
「海の民」 は古代日本語を話していた可能性があり、当時の東アジア沿岸部の人々の「リンガ・フランカ」であったかもしれない。
稲作は、第三波の移住者によって3000BP頃に導入され、彼らの故郷は東アジア大陸のどこかにあった。
この移住の波は現在も続いており、日本での国際結婚は中国人と韓国人が最も多い。
Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesian
doi: URLリンク(doi.org)
Timothy A. Jinam, Yosuke Kawai, Naruya Saitou
90:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 21:27:35.71 z8iMR/xv.net
図7aは、祖先成分 (k) の数を 2-7 と仮定した場合のADMIXTURE分析の結果である。
k = 2 の場合、2つの祖先成分が青とオレンジで色分けされる。
Ainu個体群のいくつかは、F23 Jomon個体群と同様、100%青色成分であった。最も青色成分が低くても50%以上あった。
Okinawa個体群は、約30%ほどの青色成分であるのに対し、Yamato個体群は平均で約15%ほどである。
大陸の集団では、韓国人が5%ほどの青色成分であり、CHBとCHSはあったとしても青色成分の割合は非常に少ない
この k =2 のADMIXTURE結果は、ヤポネシア人形成の二重構造モデルとよく一致し、
青色は土着 (Jomon) 成分、オレンジ色は弥生時代以降の移住者の成分である。
k = 3 の場合、緑色とオレンジ色の成分に分離したが、青色成分の割合も僅かに変化した。
この k = 3 の状況を、斎藤成也が提案した3ウェーブ移動モデルに当てはめると、
青・緑・オレンジ色の成分は、それぞれ第一波・第二波・第三波に対応すると見られる。
k = 4 の場合、赤色成分は、大陸集団にのみ現れ、この成分はCHS個体群でとくに優勢である (70-100%)。
CHBでも赤色成分が優勢で、個体によっては50-100%となっている。
k値を変えてクロス確認 (CV) エラーを比較すると (図7b)
k = 4-7 は、k = 1(祖先成分が1つのみ)と同様に適合度が悪く、k = 2 か k = 3 がより現実的であると思われる。
Figure 7. (a) Admixture result from k = 2 to k = 4. b) Cross-validation error of admixture from k = 2 to k = 7.
URLリンク(image.prntscr.com)
Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesian
doi: URLリンク(doi.org)
91:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/17 22:55:49.37 TMKUkUg2.net
「余所でやってください」のせいで日本史板と考古学板に書き込めない
92:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/18 07:51:12.52 Pi0ALEWe.net
>>90
特定のリンク槍杉に見られる現象
無視すると晩されるよ
93:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 02:45:27.76 XbcM3Yiv.net
古代・現代のゲノム配列から分析した朝鮮民族の起源と構成
The Origin and Composition of Korean Ethnicity Analyzed by Ancient and Present-Day Genome Sequences
doi: URLリンク(doi.org)
韓国人のY-DNA (O2b-SRY465) は、プロト・コリアンの祖先が新石器時代 (9,900-10,000 years BP) および、
青銅器時代 (3,450-2,350 years BP) にかけて中国北東部に居住していた人々と関連していることを示唆している。
一方、ミトコンドリアDNA (mtDNA) を見ると、韓国人は非常に典型的な東アジア人であることがわかる。
東アジア集団間を比較すると、韓国人も日本人も非常に似たレベルのADMIXTURE率を示しており、
fineSTRUCTURE tree の姉妹群と一致している。
中国人も共通した遺伝子組成を持っているが、地域によってADMIXTURE率が異なることがわかった。
まず、古代人から韓国人へのジーン・フローを調べることにした。
その結果、Devil's Gateのゲノムは、Man Bac (ベトナム新石器時代) よりも、
現在の北東アジアのほとんどの集団とより多くの派生アレルを共有していることがわかった。
Oakaie (ミャンマー新石器時代後期・青銅器時代) やNui Nap (ベトナム青銅器時代) から東アジア集団への局所的な遺伝的変遷が観察された。
韓国人、日本人、ホジェン族、シェ族、ウルチ族などのいくつかの東アジア集団は、依然としてDevil's Gateからの遺伝的寄与が大きかった。
注目すべきは、Devil's GateのゲノムとancSEA (東南アジア祖先) の組み合わせは、
Devil's Gateと現代の東南アジア人の組み合わせよりも、現在の韓国人をよく表していることである。
ancSEAの遺伝子成分が韓国に移行したかどうかを調べるために、外群f3-statisticsによって、現代集団との遺伝的親和性を分析した。
その結果、韓国人との遺伝的親和性が最も高い集団は日本人であることがわかった。
南方系の漢族とシェ族は、ラウ族やベトナム人よりも、韓国人との遺伝的親和性が高く、これは混血の結果と一致している 。
このことは、華南人の遺伝子成分が、Vat Komnou (カンボジア鉄器時代) やNui Napの祖先と混血した後、韓国に移入されたことを示唆している。
これらの証拠から、Devil's GateとMan Bacのゲノムを持つ集団は、おそらく気候の変化や障壁を伴って、
新石器時代までは、東・北東アジアの地域全体で混血していたという結論が支持される。
Vat KomnouとNui Napと混血した遺伝的系統は、青銅器時代以降、急速な文化的・技術的進歩により韓国に移住したと考えられる。
Y-DNA分析では、韓国人男性55人にOハプログループがかなりの割合で存在し、O2bが29%、O3が42%だった。
次に多かったハプログループはC (18%) だった。
Cはシベリアに広く分布しているのに対し、Oは東南アジアに空間分布している。
このことは、韓国人男性の二重起源を強く示唆している。Y-DNA分布とは対照的に、mtDNAはより複雑な遺伝史を反映している。
結論
古代のゲノム比較により、朝鮮民族の遺伝子構成は、沿海州の新石器時代のDevil's Gateゲノムと、
東南アジアの鉄器時代のVat Komnouの混血であることが明らかになった。
朝鮮半島の人口拡大は、単独の出来事ではなく、東アジアで起きた大規模な人口拡大とそれに伴う混血現象のパートである可能性が高い。
このような近年の急速な拡大と混血は、他の東アジア・東南アジアの集団にとっても一般的なモデルであり、
青銅器・鉄器時代の集団が拡大し、他の周辺地域の集団と混血していったと考えられる。
94:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 04:21:29.05 XbcM3Yiv.net
The specimen is actually from the Konyr Tobe site of the Otyrar culture and has been radiocarbon dated to the third or early fourth century CE.
Someone should check and see how reliable the assignment of this specimen's Y-DNA to D-Z17175/D-CTS220 might be.
That clade of Y-DNA is usually found only in the Japanese Archipelago.
ID=KNT004.A0101
Archaeol.ID=K1/6m
archaeological_context_age_culture=2th-5th c. CE; Otyrar culture
Site_based_label=Konyr_Tobe_300CE
14C Age [yr BP]=1762 ±14
14C.cal (2-sigma)=236-331 AD
Sex=M
Mthap=HV18
Yhap=D1b2a (D-Z17175; D-CTS220)
95:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 04:21:29.05 XbcM3Yiv.net
The specimen is actually from the Konyr Tobe site of the Otyrar culture and has been radiocarbon dated to the third or early fourth century CE.
Someone should check and see how reliable the assignment of this specimen's Y-DNA to D-Z17175/D-CTS220 might be.
That clade of Y-DNA is usually found only in the Japanese Archipelago.
ID=KNT004.A0101
Archaeol.ID=K1/6m
archaeological_context_age_culture=2th-5th c. CE; Otyrar culture
Site_based_label=Konyr_Tobe_300CE
14C Age [yr BP]=1762 ±14
14C.cal (2-sigma)=236-331 AD
Sex=M
Mthap=HV18
Yhap=D1b2a (D-Z17175; D-CTS220)
96:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 08:39:32.49 +iupCbsy.net
>>55
大百済王国ですかあ。
時間がワープしてますなあ。
1000年以上違うのに、これを真実だと教えているわけか。
扶余が百済の都になったのは、高句麗に負けて首都漢城を放棄して
逃げ出した5世紀になってからですよ。
97:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 09:59:40.35 qpM5JFh4.net
遺伝距離
アイヌ>沖縄>韓国≒日本>临淄(Linzi)※現代>キルギス(Talas)>モンゴル>カザフ>アルタイ>キルギス(Sary-tash)>临淄(Linzi)※2000>ウィグル
URLリンク(pbs.twimg.com)
98:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/19 10:28:29.48 XbcM3Yiv.net
>>96
データ古すぎて論外
情弱に発言権はないよ
99:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 00:02:55.21 ksAAfGME.net
現代語と古代ゲノムから推定されるプロト・ツングースの原郷
The homeland of Proto-Tungusic inferred from contemporary words and ancient genomes
doi: URLリンク(doi.org)
ツングース語の祖先がどこから来たのか。
ここでは、言語学・考古学・遺伝学的な証拠を一つの研究に統合するという、これまでにないアプローチで取り組むことにする。
歴史的に証明されているツングース系の言語は、東はオホーツク海、西はエニセイ川、南は渤海、北は北極海まで広がっている。
Figure 1. (a) The distribution of the Tungusic languages; (b) proposed locations for the homeland of the ancestral speakers of Proto-Tungusic.
URLリンク(static.cambridge.org)
農業の導入により、中国北東部の特定の生産地域では、これまでにない人口増加が見られた。
比較的温暖なハンカ湖の保護区域は、東アジアの新石器時代の農業の気候範囲の北端に近い領域であった。
この地域のプロト・ツングース系の言語集団は、他の集団を犠牲にして拡大していったのである。
このような拡大は、他の様々な語族に影響を与えたはずであり、アムール語族などはNivkhの言語しか残っておらず、
今では消滅したプロト・ツングース系の姉妹系統にも影響を与えた可能性がある。
現存する現代語の数から見ても、トランス・ユーラシア語系の言語は全般的に消滅率が高い。
オーストロネシア語族は1500種類もの現存言語があるのに対し、トランス・ユーラシア語族は現在までに50種類の言語も残っていない。
このことは、北東アジアでは、他の多くの言語を犠牲にして、ごく少数の言語だけが生き残ったという仮説を支持するものである。
Figure 2. Diversity hotspot of the Tungusic languages under the north?south classification in (a) as compared with the hotspot under the Manchu?Tungusic classification in (b).
URLリンク(static.cambridge.org)
Table 1は、考古言語学的な観点から、原郷の提案を評価したものである。
ハンカ湖起源の仮説は言語データによって最もよく支持されており、バイカル起源の仮説は最も可能性が低い。
Table 1. Evaluating the four homeland proposals for Proto-Tungusic using different archaeolinguistic techniques: 0 implausible, 1 plausible
URLリンク(static.cambridge.org)
プロト・ツングースの故郷をハンカ湖周辺に定めることは、この地域の政治形態の連続性からも支持される。
ハンカ湖周辺の靺鞨国 (AD 500?1000)、渤海国 (AD 698?925) 、女真の金朝 (AD 1115?1234)など、
新石器時代から、沿海州の文化的な最先端は北ではなく南にあった。
100:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 00:05:08.50 ksAAfGME.net
父系から見ると、ツングース語話者はY染色体ハプログループC3-M217と関連している。
C3c-M48は、EvenkiとEvenに加えて、Oroqen、Olcha、Negidal、Udehe、Nanaiなどに多く見られ、その頻度は約20%から100%にも及ぶ。
C3-M217は、Nivkh (38%) やAinu (12.5-25%) など、アムール川流域周辺の集団でも高い頻度で存在する。
C3-M217の分散は、ツングース系の人口拡大に関連している可能性が高い。
全ゲノムの観点から、沿海州の7700年前に遡るDevil's Gate (Chertovy Vorota) Caveのデータを再解析した。
Devil's Gateのサンプルは、現在のツングース語集団とUlchiとクラスター化することがわかった。
Figure 4の主成分分析は、東アジアの人口構造は、地理および言語と強い相関関係があることを示す。
Devil's Gateのゲノムは、アムール川下流域のツングース語集団や、樺太のNivkhと遺伝的に最も類似していることが示され、
少なくとも8000年に渡り、このタイプの系統がアムール川流域に継続的に存在していたことが証明された。
EvenksとEvensは西ユーラシア人にシフトしており、qpAdm方式の推定によって西ユーラシアの系統を14~35%ほど有していることがわかる。
LD decayで推定される混血時期は、4~6世代ほど前というごく最近のものであることが示唆される。
Figure 4. Principal component analysis projecting ancient Devil's Gate, Ustlda and Jomon samples onto the variation of present-day East Eurasians.
URLリンク(static.cambridge.org)
Figure 5のADMIXTURE分析でも、上記の観察結果を確認することができる。
Figure 5. Admixture plot from K = 2 to K = 12.
URLリンク(static.cambridge.org)
言語学・遺伝学的にはアムール川流域がプロト・ツングースの原郷であると考えられるが、
考古学的には沿海州南部のハンカ湖周辺がより具体的な場所であることがわかった。
101:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 02:59:04.51 T551jCIy.net
ニヴフのCとツングースのCは万年のひらきがあるから違うだろ
ツングースはネネツなんかと同じく北極圏でテント生活してた集団
だから習俗が同じだしネネツにも交じる
102:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 04:15:12.17 ksAAfGME.net
>>100
ソース: ボクの脳内
103:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 04:32:52.95 ksAAfGME.net
ネネツやガナサン人などのウラル語族は、
Devils_Gateからのジーン・フローを主軸とするツングース系やニヴフなどから遺伝的にかけ離れているな
居住地域からしてかけ離れているのだから、遺伝的に距離が開くのは当然なのだが
Distance to: RUS_Devils_Gate_Cave_N
URLリンク(image.prntscr.com)
104:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 16:27:21.73 T551jCIy.net
極東のC2は別物で1万年くらい離れてるはず
近いのはエヴェンキ族とネネツじゃないの
105:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 16:30:13.04 T551jCIy.net
CとかDだから同じと考えてはいけない
コロナの変異からルートを追うみたいなのあるだろ
あれと同じだよ
E123Dの変異が特徴的なウィルスから枝分かれしてその変異をもったままさらに変異する
その変異の一部からF456Gの部分が特徴的な変異して~みたいな
106:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 18:02:20.34 ksAAfGME.net
「ニヴフのCとツングースのCは万年のひらきがある(キリッ」
Y-DNA厨はいい加減なことしか言わないな
Autosomal DNAの知識が不足してるから、こんな頓珍漢な推理になる
107:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 18:46:11.16 wATTd+SH.net
C2a系はだいたい新モンゴロイドだろ
生息地がモンゴロイドしかいないエリアじゃん
108:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 21:58:21.77 yOlsmqm+.net
白村江の戦いって教育ではサラッと流してるけど国体が根底から変わった大転換なんだよ
倭国は百済と組んで唐と新羅の連合軍と戦い、敗れて
結果として北九州に唐の監視機構の都督府が置かれ、中央政府の体制が唐式になり国号も変わった
つまりこの時、倭国は百済と共に”滅亡した”
百済と倭は唐式に改めた「日本」という別の国として再編合一された
教育の場でそこまでの大事件に一切触れないのは現代日本人の民族的自尊心保つためだろうと思う
109:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 21:59:58.46 yOlsmqm+.net
白村江の戦いの「村」をスキ、スクと読むのは朝鮮語式なんだよ
飛鳥時代の「アスカ」も元は朝鮮語の「安宿(アンスク)」
実際大阪の地名にも「安宿部(アスカベ)」が残っている
110:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:20:06.74 T551jCIy.net
>>106
大陸にもちょいいるよ
111:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:20:25.97 T551jCIy.net
アメリカ大陸な
112:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:27:45.65 wATTd+SH.net
>>109
>>110
アメリカ先住民はモンゴロイドだろ
何か間違ってるか?
113:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:46:20.77 T551jCIy.net
ネイティブアメリカンをモンゴロイドというのはやっぱ違和感ある
2万年前あたりに南米までいった第一波(アメリンド
1万2000年前あたりに北米に広がった第二波(インディアン
両方顔濃い
はプロはQだが
114:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:47:50.45 T551jCIy.net
アメリカ先住民はその当時の東アジアの北方の人種を反映してる
平たい顔族はかなり後で広がったと考えなければいけない
115:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:49:38.39 wATTd+SH.net
いや髪ストレートだし、シミ出来ないし充分モンゴロイドだろ
何が間違ってるんだ?はっきり言えよ
116:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/20 23:50:12.86 yOlsmqm+.net
新羅の名称は、記紀で2度重要なイベントに登場する
一つがスサノオが降臨した場所として、もう一つがずっと後になる神功皇后の三韓征伐
神功皇后の年代は広開土王碑あたりであると推定できるため、この新羅とは4世紀末~5世紀
スサノオの話は弥生時代の末期あたり。大国主の話も同時代とするのが自然かな
117:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 06:31:22.51 6Ke4m85l.net
日本に青銅器時代は無い
日本のような外部勢力(渡来人)の突然的侵略と征服で生まれた国家には
石器時代・青銅器時代・鉄器時代という一般的な時代区分が当てはまらないためである
石器を使っていた地域に、すでに鉄器の利用が普及している隣接地域から青銅器・鉄器の技術の両方が伝われば、その石器を使っていた地域には定義上青銅器時代は存在しないことになる。日本は、その典型例である。日本では弥生時代に鉄器と青銅器がほぼ同時に伝わったと言われており、青銅器は祭器としてのみ利用され、青銅器時代を経ずにそのまま鉄器時代に移行したと考えられている。サハラ砂漠以南のアフリカにおいても青銅器時代は存在せず、銅の使用自体も鉄器伝来後、しかも装身具などわずかな使用にとどまっていた[10]。
118:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 10:00:07.68 TIXE+z82.net
>>116
卑弥呼(姫子の蔑称)が邪馬台国(大和国の蔑称)で女王になれたのは、大陸で学んだ気象学の力で神として崇められたからである。
今でも占い者を信じる人たちがいるのと同じ。
119:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 14:16:23.48 6Ke4m85l.net
いわば母国の百済の危機だから、大和朝廷は白村江の戦いをしたわけだ。
任那日本府こそが高天ヶ原だな。
戦に負けてその回復ができないことになったので、思い余ってこの列島を日本と名付けてしまった。
ニューヨークとかニューオリンズとかと同じ。故郷を偲んで名付けるやつ。
120:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 14:18:15.01 6Ke4m85l.net
元々中国が東方の国に対して使っていた「日本」という名詞があり
それをなんか良いやんと気に入った扶桑島の勢力が自分たちの名前として採用した、という流れ。
要するに、日本=中国からみた東の方にごちゃごちゃある雑魚国の総称。
121:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 15:32:54.08 17HZZ2Sg.net
とう‐い【東×夷】 の解説
1 古代中国人が東方の異民族を称した語。→西戎 (せいじゅう)  →南蛮 →北狄 (ほくてき) 
2 昔の日本で、京都の人が東国の武士を呼んだ語。あずまえびす。
122:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 21:40:50.04 6Mgt4S9N.net
>>114
モンゴロイドシミ多いだろが
123:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 21:57:55.16 Rm7sRsCA.net
>>121
古モンゴロイドはな
124:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 22:31:48.07 6Mgt4S9N.net
新モンゴロイドもシミはできるだろ
北米ネイティブって「全くできない」んだよ
で日光あびたら異常に顔が赤くなる
125:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/21 22:48:15.34 Rm7sRsCA.net
古モンゴロイドの影響受けてる奴はな
126:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/22 01:56:46.66 uHc/ZjIS.net
>>119
日本も天皇も音読みだからな
つまり当時の中国語(外国語)で読んでいた
今で言えば「エンペラー・オブ・ジャパン」を自称していたわけ
本来のヤマト言葉で読めば「ひのもと」「あますめらぎ」になる
成り立ちからして雑魚国の王まるだしなんだよな、天皇って
127:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/22 07:31:16.25 P6owLRx7.net
ネトウヨ諸君、韓国の悪口を言ったら不敬罪だからね
高松塚古墳壁画を調査しちゃってビックリ!
慌てて保存の為にすぐ閉鎖しちゃったわw
「韓国ゆかり」衝撃与えた現天皇 「統合」背負う新天皇
URLリンク(search.yahoo.co.jp)
128:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/22 21:05:17.60 uHc/ZjIS.net
Japanese and Korean Language Similarities {English Subtitles}
URLリンク(www.youtube.com)
129:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/22 23:23:41.95 uHc/ZjIS.net
ネトウヨの脳内ルート 長江→船に乗ってどんぶらこ
URLリンク(image.space.rakuten.co.jp)
現実 Continental Korean → Peninsula Korean → Insular Korean
URLリンク(image.prntscr.com)
130:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 00:25:14.66 2A2lV06v.net
>>128
長江もとんでもとわかるなら
半島から縄文変質の第一波である亀ヶ岡へたどり着くのは不可能なのわかるはず
北九州から変質が開始したのならわかるがそうではない
131:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 05:32:13.35 JWJg64nM.net
2017年、Martine Robbeets(マーティン・ロベーツ)は、日本語 (そしておそらく韓国語) はハイブリッド言語として誕生したと提唱した。
彼女は、テュルク語、モンゴル語、ツングース語の故地は、満州北西部のどこかであると提案した。
これらのプロト・アルタイ語 (トランス・ユーラシア語 "Transeurasian") のグループは、南に移動して現在の遼寧省に入り、
そこで
132:オーストロネシア的な言語を話す農耕民族にほとんど同化されたのだろう。 この2つの言語が融合して、日琉祖語と朝鮮祖語が生まれたと考えられる。 https://www.researchgate.net/publication/339255935/figure/download/fig1/AS:858471322890242@1581686921486/The-distribution-and-classification-of-the-Transeurasian-languages.png
133:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 12:49:48.05 JWJg64nM.net
Tracing population movements in ancient East Asia through the linguistics and archaeology of textile production
doi: URLリンク(doi.org)
これまで、北東アジアの新石器・青銅器時代については、繊維生産の分析がまったく行われてこなかった。この状況を改善するために、本研究では、古代の繊維生産に関する言語および考古学的証拠を統合する。
言語/農業普及仮説は、世界の主要な語族の拡大は、初期の話者が農業を取り入れたからだという主張である。トランス・ユーラシア語族の農業語彙もその祖先に起因するとされており、これらの言語の普及が農業主導であったという主張を裏付けている。
トランス・ユーラシア語とは、従来のアルタイ語に代わる言葉で、Figure 1に示される言語の大グループを指す。このグループには、日本語族、朝鮮語族、ツングース語族、モンゴル語族、テュルク語族が含まれる。
Figure 1. The distribution and classification of the Transeurasian languages.
URLリンク(static.cambridge.org)
トランス・ユーラシア祖語 (proto-Transeurasian) は、文字記録には残っておらず、最古の文字資料とは数千年もの隔たりがある。トランス・ユーラシア諸語に見られる系統的な類似性を解きほぐすことで、この言語を再構築することが可能となる。この目的のために、紡錘車(糸つむぎの器具)の証拠を持つ34の遺跡を調べる。これらの遺跡の位置をFigure 2に示す。
Figure 2. Location of the archaeological sites reviewed in this study.
URLリンク(static.cambridge.org)
我々の目的は、これらの地域が、言語復元に現れている繊維技術を利用していたかどうかを調べることである。そのためには、雑穀 (millet) や麻 (hemp) の栽培、針 (needles) や錐 (awls)、紡錘車 (spindle whorls)、織機の重り (loom weights) の使用などのデータを比較分析することが必要である。繊維技術の伝播ルートを推測し、農業の伝播ルートとの相関関係を明らかにする。
トランス・ユーラシア祖語に、「切る」という動詞*giri-を復元することができる。この動詞から派生した古日本語や満州語の道具名詞は、いずれも布を切ることに特化した道具を意味しており、対応するテュルク語の動詞は、毛皮や布を切ることに特化していることから、この動詞は織物生産の領域で特に使われていたと考えられる。
トランス・ユーラシア祖語の繊維語彙は、テュルク語やモンゴル語ではしばしば失われているが、日本・韓国語ではよく保存されている。日流祖語・朝鮮祖語に共通の繊維語彙が3例ある。pJK *parʌ-「縫う」、pJK *pu-「紡ぐ、撚る(糸)」、pJK *pata-「織機で(布を)織る」、pJK *asa「麻」。
Robbeets (2017, 2020a) は、言語学による年代測定とトランス・ユーラシア語族の祖先ノードの位置を利用して、祖先言語と古代文化を関連付けた。Bayesian系統分析では、分離の発生時期をトランス・ユーラシア祖語は4700 BCE、アルタイ祖語は3293 BCE、テュルク・モンゴル祖語は1552 BCE,日流祖語・朝鮮祖語は1850 BCEと推定している。
134:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 12:51:32.42 JWJg64nM.net
Table 1. Selection of sites with textile technology in the Transeurasian linguistic region, specifying the simultaneous occurrence of millet or hemp cultivation and agricultural tools:
0 means ‘absent’, 1 means ‘present’ and ‘?’ marks uncertainty.
URLリンク(static.cambridge.org)
トランス・ユーラシア言語圏における紡錘車の最古の証拠は、興隆華文化 (Xinglongwa) と招巴溝文化 (Zhaobagou) に遡る。Table 1は遺跡の概要を示したもので、雑穀の栽培、農具、麻の栽培、紡錘車、骨の針や錐の証拠があるかどうかを示している。0は「ない」 1は「ある」 ‘?’は不確定。
紡錘車の証拠は、紀元前3~2千年頃の沿海州にも続いており、これらの遺跡は、Zaisanovka文化伝統の地域的な変種を表している。ほとんどの年代はca.と記されており、炭素年代測定が行われていないことを示している。Valentin-PeresheekとSiny Gai Aでは、円錐形、双円錐形、ディスク形の紡錘車の証拠が残っている。一般に、Siny Gaiの遺物群はValentin-Peresheekの遺物群よりもやや発達しているように見える。
韓国のPibong-liでは、草で編まれた袋が、木製の船の破片の近くで発見された。4670 ± 60 BCEで、この遺跡は、新石器時代初期に植物を使った織物が行われていたことを示している。日本に近いこの遺跡は、織物が伝播した場所なのかもしれない。初期 (1300-800 BCE) と中期Mumun (800-500 BCE) における出土状況から、韓国の青銅器時代には、ほぼすべての遺跡に紡錘車と重りが含まれていることがわかる。
日本で織布の証拠が最初に現れたのは、弥生時代 (900 BC-AD 300) の初期で、韓国から米や雑穀などの農業パッケージとともに、紡績や織布の技術がもたらされたと考えられている。弥生時代の紡錘車の多くは、装飾のない平らなディスク形である。円錐形の紡錘車は、弥生時代には見られないが、古墳時代 (AD 250–700) にはよく見られる。
Figure 3. Comparison of spinning and weaving technology in Neolithic and Bronze Age Northeast Asia.
(a) Conical ceramic spindle whorls. (b) Disk-like whorls. (c) Loom weights.
URLリンク(static.cambridge.org)
Figure 3は、紡績・製織技術を比較したものである。北東アジアの地域で、(双)円錐形、ディスク形の紡錘車、織機の重りには大きな類似性があるように思われる。
ディスク形と(双)円錐状の分布には興味深いコントラストがある。ディスク形は、西遼河流域に集中しており、もっぱら遼東半島や日本に見られる。遼河下流域の上新楽遺跡 (Upper Xinle)、アムール川のYinggelin遺跡、沿海州南部のZaisanovka文化では、(双)円錐形が見られる。また、朝鮮半島の北東部や中東部では、ディスク形よりも数が多い。
このように、遼河流域からの繊維技術の伝播には、異なる2つのルートがあったことが示唆される。
135:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 12:52:38.92 JWJg64nM.net
紡錘車の証拠がある新石器・青銅器時代の文化は、農業の証拠を持つ傾向がある。Table 1にある遺跡の大部分は、雑穀の栽培や農耕具の証拠として肯定的なスコアを示している。
沿海州のValentin-Peresheek遺跡とSiny Gai遺跡は、植物遺物を検出するための土壌浮遊法がまだ適用されていない1960年代から1970年代に発掘されたものであるため、雑穀や麻を栽培していたことを示す考古学的証拠はないが、これらの遺跡が属するZaisanovka文化 は、ロシア極東における最初の農耕文化として知られている。
韓国の初期新石器時代の食糧生産に関する推論は、初期の遺跡であるAmsadongがほとんどを提供してきたが、Pibong-liでも炭化した雑穀の種子が確認されている。Osan-liは漁業に大きく依存しており、すり鉢やすりこぎとともにドングリの遺物があることから、野生植物の採取で補っていたことがわかるが、雑穀を栽培していた証拠はない。中後期Chulmun遺跡では、雑穀栽培の直接的な証拠はないものの、農耕具が発見されている。Tongsamdong遺跡ではアワやキビを栽培していた直接的な証拠がある。
繊維生産の証拠がある日本の遺跡の多くが、農業の証拠や、水田、環濠集落や柵列、木製や石製の農具、初期の青銅や鉄、鯉の養殖などの大陸的な文化的特徴を持つ弥生時代の重要な集落としてよく知られている。例えば、吉野ヶ里遺跡 (Saga) では、少なくとも6つの紡錘車と、麻と絹の両方で作られた11枚の布が見つかっている。
Figure 4. The dispersal of textile technology, agriculture and language across Northeast Asia.
Archaeological sites where (bi)conical whorls have been recovered in relatively high proportions are indicated in blue.
URLリンク(static.cambridge.org)
沿海州のBoisman (4825-2470 BCE) 、朝鮮半島の初期Chulmun (8000-6000 BCE) 、日本の縄文時代 (10000-900 BCE) のような農業以前の社会では、織物の証拠はなかったが、農業に移行すると紡錘車が現れる。
3000 BCE頃、雑穀農業が西遼河流域から沿海地方南部に伝わり、洪山文化 (Hongshan) のものに類似した円錐形やディスク形の紡錘車、織機の重りが、同じZaisanovka文化の文脈で伝わった。このルートは、Figure 4の地図では青で示される。
4000 BCE頃、雑穀農業は洪山文化 (Hongshan) から遼東半島に伝わり、3500 BCE頃には朝鮮半島に伝わった。900 BCEには、雑穀と稲を含む農業パッケージが日本に伝えられた。興隆華文化 (Xinglongwa) を思わせるディスク形の紡錘車や織機の重りは、遼東・朝鮮・日本の遺跡で、雑穀農業と同時期に現れている。このルートは、Figure 4の地図では赤で示される。
興味深いことに、地図上の赤と青の分散ルートは、言語的にも相関関係がある。トランス・ユーラシア祖語が西遼河流域に原郷を持ち、4700 BCE頃にアルタイ語の一体から分離した日流・朝鮮語派 (Japano-Koreanic) が遼東半島に定住し、その後数千年の間に朝鮮語と日流語に分離して現在の場所に移住したのである。一方、3300 BCE頃に分離したツングース語派は、沿海州南部に移動したが、これは円錐形の紡錘車の伝播を反映している。
北東アジアの集団移動を、織物生産に関する言語学と考古学で追跡した。その結果、中国東北部の遼河西岸地域が、新石器時代に雑穀農業だけでなく、紡績や織物のための言葉や道具の普及の中心地であったことがわかった。織物や農耕技術に関連してオーストロネシア語族が広まったというBuckley (2012) の研究結果に沿って、本研究は、織物生産や農耕などの普及パターンと、北東アジアにおけるトランス・ユーラシア語族の普及との間に類似性があることを示している。
136:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/23 19:30:14.07 2A2lV06v.net
辰韓はチベット語じゃないの
137:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/24 12:04:38.85 XvF4yqpV.net
司馬遼太郎 「平安時代までの日本文化は外国のもの。日本が日本らしくなったのは鎌倉時代以降であろう。」
韓鍛冶部(からかぬちべ)
朝鮮半島から4~5世紀に渡来し,鉄製の武器・馬具・農工具を製造した金属技術者の集団。
畿内地方に住み,その技術をもって伴造に率いられ大和政権に仕えた。
《古事記》応神段に百済より韓鍛の卓素が貢上されたとあり,百済系技術者を組織したもので,
彼らは各地に居住し伴造の韓鍛冶首に率いられて宮廷工房に上番した。
陶作部(すえつくりべ)
『日本書紀』の雄略天皇7年(463年)条には百済より陶部高貴ら工人が貢がれたことが記されている。
弥生文化の名残であった土器である土師器が、5世紀頃になると須恵器に取って代わられるようになる。
鞍作部(くらつくりべ)
大和朝廷の馬具製作にあたった職業部。
《日本書紀》雄略7年条に百済貢上の今来才伎の中に鞍部堅貴の名がある。
《坂上系図》には仁徳朝に鞍作村主(すぐり)らが阿智使主に従って来たと記すが,
これは東漢氏の管掌下にあったことから造作されたもので,5世紀後半に百済渡来の工人を組織したものであろう。
錦織部(にしこりべ)
大陸系の技術により錦,綾の織成に従事した大和朝廷の職業部。
《日本書紀》雄略7年条に百済より貢上された今来才伎の内に錦部定安那錦がいる。
5世紀中葉以降に百済より順次渡来した技術者を組織したものであろう。
日本音楽の歴史
継体・欽明の政権あたりから、朝鮮の音楽ついで中国の音楽が伝来した。新羅楽・高麗楽・百済楽・唐楽と呼ばれた。
名高いのは、推古天皇の時代(7世紀)に百済から帰化した味麻之によって伝えられた伎楽である。
百済の瓦博士
飛鳥時代に百済によって仏教の教えと共に寺院建築が伝えられ、飛鳥寺造営で初めて瓦葺の屋根が作られました。
瓦製作は、百済の「瓦博士」が直接指導したことは有名で、軒瓦の文様には百済風の蓮花のデザインが採用されています。
要するに現代日本の匠、職人さんたちってのは、朝鮮半島からの職能集団(品部)の子孫
138:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/24 12:24:18.00 XvF4yqpV.net
東征神話は、扶余系民族のアイデンティティ
亀に導かれて新しい土地に建国する神武東征は高句麗などの朝鮮半島の建国神話そのものである
URLリンク(i.imgur.com)
139:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/24 20:02:41.88 b+5Np4b9.net
東盟とか全然違うだろ
140:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 09:19:04.93 QLWPgiTe.net
ネトウヨ
「寒冷地で稲作はムリなんだよ~!」
「日本のスーパー技術が北海道で稲作を可能にしたんだよ~!」
なお、中国の最北、黒龍江省↓
咱们家乡有特产——黑龙江五常:稻花香里说丰年 「生财有道」 20200831 | CCTV财经
URLリンク(www.youtube.com)
141:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 15:45:23.80 QLWPgiTe.net
「わが渤海国と日本国は昔から本枝(兄弟)の関係である。」
727年、平城京に渤海国の使節が訪れ、国書を奉呈した。日本と渤海国はともに扶余を同祖とする兄弟国だと述べ、高句麗と靺鞨で共立した渤海国では、日本の王統を、扶余王族の末裔とみていたことが示されている。国書に記すだけの確たる根拠があったと思われる。
285年、前燕の慕容廆に侵攻された扶余は、潰滅的な打撃を受け、王族は沃沮に避難するが、再び侵略を受け、王子の依羅(いり)が晋王朝(西晋)の援助で扶余国を再建するのだが、朝鮮史書『桓檀古記』には驚くべき記事が載っている。「依慮王、鮮卑の為に敗れ、逃れて海に入りて還らず。明年、子の依羅(いり)立つ。依羅、衆数千を率い、海を越え、遂に倭人を定めて王と為る。」
名前のイリから、イリ王朝とも呼ばれる崇神天皇(第10代)だろうと推察される。崇神天皇の和風諡号の「御間城入彦(みまきいりひこ)」と、次の垂仁天皇の和風諡号の「活目入彦(いくめいりひこ)」は、共に「いりひこ」が共通している。「いりひこ」・「いりひめ」は当時の王族名に現れる特定呼称である。
神武天皇とそれに次ぐ欠史八代の実在性が希薄であることから、この崇神天皇を初の天皇と考える説が存在し、また記紀に記された事績の類似と諡号の共通性から、神武天皇と同一人物とする説もある。『古事記』は崇神の没年を干支により戊寅年と記載しているので(崩年干支または没年干支という)、これを信用して258年もしくは318年没と推測する説も見られる。
中華王朝の史書には、「百済とは扶余の別種」とある。百済では、支配階級は扶余語を使い、庶民は馬韓語を使うというように、言語や風習が二重構造の社会だと記録されており、王族の姓は、後に漢風に一字姓の余に改姓するが、代々が扶余を名乗っていることからも、扶余族が馬韓を統一したことものと思われる。扶余王の依羅は、倭国では百済王族だと名乗ったのだろう。
つまり、崇神天皇に連なる「イリ王朝」は扶余族の渡来王朝と言える。
142:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/27 15:53:49.15 QLWPgiTe.net
外国人に国史を書かせる国などない。百済人が「日本書紀」を編纂した以上、日本という国は百済人の国
百済人の都合で勝手に日本人にされたのが倭人
「百済から来たばかりの高官「鬼室集斯」が学頭職(文部科学大臣)になったということは、言葉の問題がなかったことを意味している。(佐々克明)」
「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であった。宮中では百済語が使われていた。」
「『古事記』『日本書紀』は百済の学者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。(金容雲日韓文化交流会議の韓国側代表・画家の平山郁夫は日本側代表)」
「『日本書紀』は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。(出雲歴史博物館名誉館長上田正昭らの対談集)」
「飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)」
「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」
143:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/28 12:41:19.98 XerDx0Hh.net
肥前国風土記 現代語訳 (肥前国とは現在の佐賀県・長崎県)
URLリンク(cultural-experience.blogspot.com)
総記
・崇神天皇の治世、肥後国益城郡朝来名の峰にいた土蜘蛛・打猴(うちさる)、頸猴が軍勢を率いて朝廷に従わなかった
・朝廷は肥君らの祖・健緒組(たけをくみ)を派遣し征伐
小城(をき)の郡
・昔、この村に土蜘蛛がおり、堡(砦)を作って隠れ、天皇に従わなかった、日本武尊巡検時、ことごとく罰して討った
賀周(かす)の郷
・昔、この里に、海松橿媛(みるかしひめ)という名の土蜘蛛がいた
・景行天皇巡検時、従者の大屋田子(おおやたこ、日下部君らの祖)を派遣して罰して滅ぼさせた
大家の嶋
・昔、景行天皇巡検時、この村に大身(おおみ)という土蜘蛛がいた
・常に天皇の命を拒み服従しなかった、天皇は勅命により罰して滅ぼした
・それ以来、漁民達がこの島に来て、家を作って住んでいる
値嘉の郷
・郡の西南の海中にある(小値賀島が遺称地)
・第一の島は小近で、土蜘蛛の大耳(おほみみ)が住み、第二の島は大近で、土蜘蛛の垂耳(たりみみ)が住んでいた
・百足は大耳達を捕らえて報告し、天皇は罰して殺させようとした、その時、大耳達は頭を下げて謝罪
・ただちに木の皮を取り、様々なアワビ料理の見本を作って献上した、天皇は温情によって彼らを許して釈放した
・この島の漁民は、容貌は隼人に似て、常に馬上から矢を射るのを好み、その言葉は世間一般の人々と異なる
嬢子山(をみなやま)
・景行天皇巡幸時、土蜘蛛の八十女人(やそおみな)が、この山の山頂にいた
・常に皇命に逆らい、服従しなかった、そこで、兵を派遣して不意を襲い滅ぼさせた
能美(のみ)の郷
・景行天皇行幸時、この里に三人の土蜘蛛がいた、兄の名は大白(おほしろ)、次の名は中白(なかしろ)、弟の名は少白(をしろ)
・彼らは砦を造って隠れ住み、天皇に従わなかった、そこで、従者である紀の直らの祖・穉日子を派遣し、罰して滅ぼそうとした
・その時、大白達三人は、ただ叩頭(のみ、頭を地にこすりつけること)、己の罪を述べ、共に命乞いをした
浮穴(うきあな)の郷
・天皇「朕は諸国を巡ってすっかり平定して来たが、まだ我が統治を受け入れない不審な者共はいるか」
・神代の直「その、煙の立っている村は、まだ統治を受け入れいません」
・神代の直をこの村に派遣すると浮穴沫媛(うきあなわひめ)という土蜘蛛がいた、皇命に従わず大変無礼だったので誅殺した
■ 頭骨比較 弥生時代の地域差 南九州/西北九州/北部九州・土井ヶ浜
URLリンク(image.prntscr.com)
■ PCA 西北九州弥生人の位置が、現代沖縄クラスターと大体同じ (Jinam et al 2012)
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
144:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/28 13:18:42.91 XerDx0Hh.net
和人が蝦夷から奪い取った島 粟島
粟島が初めて文献に登場するのは、808年『大同類聚方』で「粟生蝦夷」の名前が登場し、
本土の人間が入植する以前から、蝦夷と関係した先住民が生活していたとみられる。
URLリンク(lh3.googleusercontent.com)
145:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/28 21:19:31.47 G1U6zGFP.net
>>139
イザベラ・バード「朝鮮には歴史書と言えるものがほとんどなく・・・」
146:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 06:13:26.22 Wx+ECTrv.net
>>143
日本も大陸から漢字が輸入されるまで文字が無かった。
因みに神代文字は仏教色を嫌った江戸時代の偽作。
だから大和時代の様子は魏志倭人伝など中国の文書から得られるしか無かった。
つまり日本を発見したのは中国人となる。
日本がまだ石器時代の時期に中国では漢詩が詠われていたり、音楽が演奏されていた。
中国の戦国時代に戦乱を逃れて日本に来た人は、
気象学に長けていたので卑弥呼の様なシャーマンになれた。
147:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 07:09:03.68 2keSqBcn.net
逆神ネトウヨ「韓国人は穢族なんだよ~!」
なお、穢族は、韓語ではなく、ジャポニックと同系の扶余語を話していた模様
>「穢王之印」を所持した穢人の政権は北へ逃亡し「鹿山」の地に依って「扶余国」を建てた。
>扶余(ふよ)とは穢人の言葉で鹿の意味という。
>奈良の春日大社を始め、茨城の鹿島神宮等、日本には鹿を聖獣と位置付けているところは多い。
>同じくこの鹿を神聖視して崇めていたのが扶余族で、この扶余族は百済の支配層のルーツである。
>穢族は、穢(韓国江原道)・沃沮(北朝鮮咸鏡道)・高句麗(吉林省東部+慈江道)・夫餘(吉林省北部)の四つに分かれた。
>朝鮮の東は穢の地であり、高句麗と同種で、言語や風俗も似ているが、服装は異なる。
>高句麗語の研究から、穢族の言語は倭人に近かったとみられる。
>河野 (1993) は、朝鮮に残るジャポニック関連の地名は、穢(Ye)が残したものだとしている。
>彼の主張は、日本人が中世朝鮮で「Ye」と呼ばれていたという事実に基づいている。
Geographical distribution of certain toponyms in the Samguk Sagi
doi: URLリンク(doi.org)
Released: 2021/03/31
148:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 07:22:11.36 2keSqBcn.net
支石墓のエリアと、稲作の伝播ルートは完全に同期する
支石墓も朝鮮半島から伝来してるから、縄文晩期(のちに弥生早期に再設定された)から半島人は大勢渡来してきてる
古代の王族・氏族ってのはほぼ100%朝鮮系の渡来人
ヨーロッパのドルメンも農耕との関係を指摘されているが、東アジアの支石墓もやはり農耕の伝播を伴った
■ ドルメン(支石墓)のエリア
URLリンク(4.bp.blogspot.com)
>朝鮮において水稲作が開始した無文土器時代に支石墓が現れることなどから、
>支石墓の担い手は日本列島、朝鮮半島へ水稲栽培をもたらした(ハプログループO1b2 (Y染色体))と推定される。
149:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 08:02:53.72 2keSqBcn.net
穢王之印
URLリンク(pbs.twimg.com)
奈良公園
URLリンク(cdn.4travel.jp)
150:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 15:42:10.78 2keSqBcn.net
日本語に興味津々!日本語と韓国語!!
山陰から東北一帯にかけて「ズーズー弁」が残っていますが、よく似た発音が韓国語、とくに慶尚道(キョンサンド)地方(朝鮮半島南東部、古代の新羅に相当)の方言に現存していることも有名です。
東北弁では「おら、東京さ行ぐだ」のように、語中の清音が濁音として発音されることがあります。この濁音化は、韓国語では一般的な現象です。日本語と同じように韓国語の肯定文は「ダ」で終わり、疑問文は「カ?」で終わります。この発音は、日本の共通語よりも東北弁の「だ」と「か?」の発音に近いのです。
韓国語の「ハナ」は「ハナから(最初から)」という日本語の語源であるという説があり、大いに有り得ることだと思います。外国語で、数は最初に覚える言葉の一つだからです。「ピンからキリまで」という言葉があります。ポルトガル語でカルタの1を表す「pinta」が「ピン」となり、十字架つまり10を表す「cruz」が「キリ」となったものです。
日本独自の数え方も、高句麗の方言が元になっているという説もあります。古代の高句麗では3は「ミ(mi)」、7は「ナナ(nana)」、10は「ト(to)」と発音したのです。3才くらいまでの赤ちゃんのことを、日本語で「嬰児(ミドリゴ)」といいます。古代韓国語で周年のことを「ドル」といい、子供が3才になったことを高句麗弁で「ミドル」といいました。
「赤ちゃん」の語源は、一般にいわれている「生まれたばかりの子供の体が赤っぽい」ではなく、韓国語の「アガ」からきているという説の方が納得できます。赤ちゃんに関する言葉には、古代朝鮮語が語源と思える言葉がたくさんあります。幼児語「おっぱい」の「パイ」は、古代朝鮮語で「吸うもの」という意味です。「乳」も韓国語の「チョッ(乳)」が語源だと思われますし、「おんぶ」は韓国語の「オブバ(おんぶ)」が語源だと思われます。
韓国語で高いという意味の「ノップン」が「ノッポ」になったり、口の意味の「イプ」が「言う」になり、耳の意味の「キ」が「聞く」になり、鼻の意味の「コ」が「嗅ぐ」になったりと、韓国語が語源と思われる言葉は非常にたくさんあります。意味のない枕詞が、古代朝鮮語で読むと重要な意味を持っていたり、土地や神の名前が古代朝鮮語に由来していたりと、さまざまな分野で古代朝鮮語との深い関係が解明されてきています。
151:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/29 21:15:31.35 GTq9Ey7/.net
>>145
エベンキとワイは別民族だぞ?
理解してる?
ツングースが小便をあつめてテントの真ん中にためてた民族
152:名無しさん@お腹いっぱい。
21/04/30 00:20:17.73 WTPHvnAs.net
>>149
Evenkは北部型のツングース語族に属す集団で、トランスバイカルと極東の2種類おり
トランスバイカルのほうは平均的な日本人とは遺伝的にかけ離れている
極東Evenkのほうも特に近くはない
こうして主成分分析で見ると、一口にツングース語族といっても
遺伝的にレンジがあり、それに応じて、顔つきや骨格などもかなりバラつきがあると予想される
東アジアの集団では、朝鮮の遺伝子プールが最もコンパクトかつ綺麗にまとまっており、
ネトウヨなどが理想とする「単一民族」は朝鮮民族が最も近いことになる
Figure 2. Diversity hotspot of the Tungusic languages under the north-south classification in (a) as compared with the hotspot under the Manchu-Tungusic classification in (b).
URLリンク(static.cambridge.org)
Figure 4. Principal component analysis projecting ancient Devil's Gate, Ustlda and Jomon samples onto the variation of present-day East Eurasians.
URLリンク(static.cambridge.org)
153:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 08:13:15.70 XERyAgKo.net
新羅 しんら
百済 くだら
加羅 から
耽羅 たんら
奈良 なら
あっ・・・
154:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 08:44:36.44 XERyAgKo.net
白村江の戦い haku-suk-inoe
村主 suk-uri
飛鳥 a-suk-a
あっ・・・
155:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 16:29:20.88 sIFeENfQ.net
パクスクで「白い(衣服をまとった?)村」を表す
中国史書に書かれてる「百済は漢語混じりの言葉を話す」と一致してる
日本にはない要素だ
156:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 18:17:16.83 aHHm1o2Q.net
「クダラ」は韓国人が聞くと「クンナラ」=「偉大な国」と読め
「シラギ」は韓国人が聞くと「シーラギ」=「新羅の奴」と読めるという
素直に考えると、百済を「ヒャクサイ」ではなく「クダラ」と読むのは、百済を大国・貴い国と考えていた人たち
新羅を「シンラ」ではなく「シラギ」と読むのは、新羅を憎たらしい奴と考えていた人たち
157:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 18:47:12.23 sIFeENfQ.net
>>154
こういうトンデモ理論
日本人にもやるやついるよな
158:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 19:06:49.55 aHHm1o2Q.net
百済(くだら)と新羅(しらぎ)の読み方だけは、日本のこう読ませた王朝と
これらの国々との関係を決定的に定義づけざるを得ない
日本人はこの事実から逃げることはできない
159:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/01 21:36:47.02 sIFeENfQ.net
くだらは馬韓の地名からだよ
160:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/02 11:26:07.52 YoNHE1F3.net
オセアニアの人口史と環境適応およびデニソワ人との複数回の混合
URLリンク(sicambre.at.webry.info)
161:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/02 12:18:43.77 YoNHE1F3.net
太平洋地域の人類集団史の詳細な分析について報告する論文が、今週、Nature に掲載される。
今回のゲノム研究は、ヒトの進化、ヒト族の異種交配、そして島嶼環境での生活に応じて起こる適応に関して新たな知見をもたらした。
太平洋地域は、パプアニューギニア、ビスマルク諸島、ソロモン諸島を含む「近オセアニア」と、
ミクロネシア、サンタクルーズ、バヌアツ、ニューカレドニア、フィジー、ポリネシアを含む「遠オセアニア」に分けられる。
人類は、アフリカから移動した後、約4万5000年前に近オセアニアに定住した。
遠オセアニアに人類が定住したのは、それよりずっと後の約3200年前のことで、現在の台湾からの移住だった。
この人類集団史をさらに探究するため、Lluis Quintana-Murci、Etienne Patinたちの研究チームは、
太平洋地域に分布する20集団のいずれかに属する現代人317人のゲノムを解析した。
その結果、近オセアニア集団の祖先の遺伝子プールが、この集団が太平洋地域に定住する前に縮小し、
その後、約2万~4万年前にこの集団が分岐したことが判明した。
それからずっと後、現在の台湾から先住民族が到来した後に、近オセアニア集団の人々との混合が繰り返された。
162:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/02 13:04:36.87 YoNHE1F3.net
Fig. 1: Genetic structure of Pacific populations.
URLリンク(media.springernature.com)
ADMIXTURE ancestry components are shown from K = 2 (top) to K = 10 (bottom) for the 462 unrelated individuals.
The lowest cross-validation error was obtained at K = 6 (Supplementary Fig. 5). Populations are delimited by black borders.
Population width is not proportional to population sample size, which is indicated in parentheses.
Supplementary Figure 3. PCA of whole genomes of populations from the Pacific, East/SoutheastAsia and Europe.
URLリンク(image.prntscr.com)
These include Europeans, East/SoutheastAsians, indigenous Australians, Papua New Guinea highlanders, Bismarck islanders, as well as the populations studied here (i.e., Taiwanese indigenous pe
163:oples, Philippine populations, Solomon islanders and ni-Vanuatu). The variance explained by each PC is indicated in brackets. The dashed areaindicates samples with non-negligible proportions of African or European ancestry (Supplementary Table 1). Supplementary Figure 4. PCA of whole genomes of Pacific populations. a, PC3versus PC4, b, PC5 versus PC6. The variance explained by each PC is given in brackets. Supplementary Figure 51. Genetic affinities of modern humans to archaic hominins. https://image.prntscr.com/image/bk-0NeLRQ7K0QhFI9sqhtQ.png a, Principal Component Analysis (PCA) of modern human populations projected onto the first two PCs defined by the chimpanzee, the Altai Neanderthal, the Vindija Neanderthal, and the Altai Denisovan genomes. The right panel represents a zoomed-in version of the PCA plot on the left. b,Derived allele sharing of Pacific populations to the Vindija Neanderthal. Z-score of a D-statistic of the form D(X, East Asia/West Eurasia/Africa; Neanderthal, Chimpanzee)is shown against Z-score of D(X, East Asia/West Eurasia/Africa; Neanderthal, Denisova). c,Derived allele sharing of Pacific populations to Altai Denisovan. Z-score of a D-statistic of the form D(X, East Asia/West Eurasia; Denisova, Chimpanzee)is shown against Z-score of D(X, East Asia/West Eurasia; Denisova, Neanderthal). Dotted lines indicate significant derived allele sharing (|Z-score| >2). Population sample sizes are reported in Supplementary Table 1.
164:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/02 13:17:01.31 YoNHE1F3.net
>>160
K = 6がいちばんcross-validationエラーが低い
165:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/03 08:03:55.51 8D/QJ398.net
シベリア周辺の少数言語まとめ
URLリンク(www.youtube.com)
166:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/03 20:44:04.17 8D/QJ398.net
韓国には、水+田を意味する「畓」という独自の漢字があるが、日本は火+田で「畑」にした
いずれも中国にはない独自の漢字である
歴史でみると、米好きの韓国人は水田にこだわり、雑穀好きの日本人は焼畑にこだわったようだ
しかし近代に入り、寿司が日本人の国民食となり、ナショナリズムに深く関わるようになったため
ネトウヨは日本人が併合時代に韓国人に稲作を教えてあげたなどという偽歴史を広めている
URLリンク(static.news.zumst.com)
167:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/03 21:06:49.19 KeX2MZ6+.net
>>163
石高というコメの生産量しめす言葉あるだろ
朝鮮は同時代にはコーリャンばっかだった
168:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/03 23:37:31.42 8D/QJ398.net
>>164
とネトウヨは息をするように嘘をつく
山梨大学がまとめた朝鮮半島の水田遺跡一覧(p372)
URLリンク(www.museum.pref.yamanashi.jp)
169:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 20:00:18.66 afojQT26.net
【日本語の起源】東アジアの言語史まとめ【仮説】
URLリンク(www.youtube.com)
170:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 21:18:16.84 EX6Cvd+4.net
>>165
水田遺構じゃなく
常習的に大衆みんなが食べてたかという話
171:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 22:48:25.99 afojQT26.net
>>167
日帝支配下の満州に稲作を広めたのは朝鮮系移民
なんせ朝鮮人が水田を開墾しすぎたせいで、水利をめぐって現地の中国人農耕民と争いになり
1931年にはあの万宝山事件が起きている
まあ、歴史でみると、朝鮮人と弥生人(=朝鮮人)は米好きでよく米を食べる
172:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 23:30:56.49 EX6Cvd+4.net
関係ねーw
イザベラ・バード読もう
173:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/04 23:31:25.39 EX6Cvd+4.net
こういうガボン思考ってどういう人間なんだ
174:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/06 15:08:25.60 vW0EDBqi.net
>>170
自分と他者を欺き洗脳していくタイプ
麻原彰晃とかと同じ
175:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/06 15:45:47.86 vW0EDBqi.net
もしくは虐待被害者だろうね
未熟な脳に過度の刷り込みを受け
閉じ切った世界観を構築しているのが特徴
しかし本人に虐げられた自覚はない
176:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/07 20:28:45.90 ng+tnnzo.net
うん
177:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/08 15:57:49.34 VkzWRNPX.net
ウデヘだったと思うけど、狩猟の時や人目出る時にお面をつけて顔を隠したとか何かで読んだ気がするんだけど調べても出て来ない
大陸の書に出てくる「倭面土王」はお面してたんじゃないのかなって思うんだけど
過疎ってるね
178:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/08 18:07:33.51 VkzWRNPX.net
まとめ
北九州弥生人(伽耶語・倭語) ← 現代日本人のベース(平民)
土井ヶ浜弥生人(新羅語)
出雲人(新羅語)
西北九州弥生人(プロト琉球語) ← 奴隷
南九州弥生人(プロト琉球語・奄美等訳語) ← 奴隷
隼人・熊襲(プロト琉球語・奄美等訳語) ← 奴隷
蝦夷(夷語・プロトアイヌ語) ← 奴隷以下の非人・悪鬼
奈良飛鳥人(扶余系・百済語) ← 日本の支配層
179:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/08 20:05:55.83 B6cTh/av.net
アイヌを奴隷以下の非人と言ってるのはこいつらです
180:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/08 23:52:38.45 VkzWRNPX.net
倭の大乱(出雲と大和の戦い:178~184年)の際に、新羅は出雲の要請で味方した為め、大和朝廷の不信を買うこととなった、と云う説は説得力がある
181:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/09 01:17:21.66 YaPv1cwU.net
倭国大乱の歴史的意義として、卑弥呼を中心とした新たな政治体制が再編成されたことが挙げられる
近畿・中国地方などで2世紀まで盛んに創られた銅鐸が3世紀になってから急速に作られなくなっており、卑弥呼による新政治体制は文化面でも大きな影響を与えた可能性がある
182:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/09 05:42:38.90 YaPv1cwU.net
山陰における日朝関係史(I) 内藤正中(島根大学名誉教授)
doi: URLリンク(doi.org)
新羅からは、潮流に乗って船を漕ぎ出すと自然に出雲に着岸するわけで、韓国の学者も、古代に慶尚道 - 木出島 - 風島 - 欝陵島 - 隠岐 - 出雲というコースがあったことを指摘している。出雲神話は、対岸に位置する新羅との深いつながりがあったことを教えてくれるし、新羅の神話のなかでも、新羅人の倭への移住について語られている。
733年『出雲国風土記』には、記紀にはない国づくり神話が物語られている。八束水臣津野命が、出雲国は若国である、自分が大きな国にしてあげようといって、海の彼方の地から国引きをする。初めに国引きをしたのは、「栲衾志羅紀の三埼」であり、それでもって「去豆の折絶よりして、八穂米支豆支の御碕」をつくったという。新羅の余りを引いてきて出雲大杜が鎮座する杵築の地をつくったという説話は、新羅人による渡来を物語るものといってよい。
720年『日本書紀』では、須佐袁命が出雲に天降ったこと、そして韓鋤之剣で八俣大蛇を退治したことを記している。『日本書紀』には「一書によると」として、須佐袁命は五十猛命とともに新羅国に天降り、曾尸茂梨の地に住んでいたが、植土で舟をつくり海を渡って出雲に到ったとある。曾尸茂梨は、新羅の都であった慶州の地であるとされており、水野佑氏によると、八岐大蛇の説話についても、慶州盆地を流れる兄江流域の溪谷につくられていた六村にはじまる新羅の建国神話にもとづくとしている。
新羅からの渡来神を祀る神杜は、『延喜式』神名帳では134杜を数えるという。国別では出雲の11杜がもっとも多く、次いで近江の10杜、そして大和。伊勢・越前・能登の各8杜などである。いずれも朝鮮半島からの渡来人が多かったといわれる地域であるが、なかでも出雲が、渡来神を祀る神杜数で傑出していることは注目されなければならない。
722年には日本の進攻に備えて新羅の毛伐郡に新しい城が築かれ、731年には300艘の日本水軍が東海岸を襲撃して撃退されたことなどが、新羅の史料にはみられる。日本側の史料でも、732年には新羅の進攻に対処するためにという理由で、山陰・西海・東海・東山の四道に節度使が任命されたことなどが出ている。779年の公的な関係断絶に至るまで、新羅と日本の敵対関係は強められていったのである。
『出雲国風土記』が勘造された733年は、山陰遣節度使が中央政府によって任命された翌年であり、同書には新羅に対する緊張関係の姿が反映されているといわれている。他の風土記とは異なって、軍団の配備や水軍の基地などについて詳細な記述があるほか、新羅からの渡来神を祀る神杜も意図的に抹消されるなど、「新羅に近し」という地理的条件にある出雲の徴妙な立場がみられるのであった。
183:名無しさん@お腹いっぱい。
21/05/09 10:28:24.12 YaPv1cwU.net
「三国志」魏志東夷伝には、以下のように描かれている:
1) 高句麗は「東夷旧語以為夫余別種、言語諸事多与夫余同、其性気衣服有異」
(夫余族とは別種だが、言語、諸事で夫余と同じことが多い。性気や衣服には違いがある)とある。
2) 穢(わい)は「言語法俗、大抵与句麗同、衣服有異」
(言語、法、風俗は高句麗とほぼ同じであり、衣服には違いがある)とある。(「後漢書」高句麗条(445年以前)にもほぼ同様の記述が見られる。)
3) 沃沮(東沃沮)(よくそ)は「其言語与句麗大同、時時小異」
(言語は高句麗語とほぼ同じであるが、時折小さな違いがある)とある。(「後漢書」にもほぼ同様の記述が見られる。)
これら3点の記述から高句麗語、穢語、沃沮(東沃沮)語は一つの語群をなしていると考えていいだろう。
Beckwith(2002)は、高句麗祖語が中国の呉、越のあった地域から北上し、中国東北部に至ったとし、
中期朝鮮語やツングース諸言語とは全く異なる言語であり、古代日本語は高句麗語と同系の言語であるとしている。
高句麗の地名は、どの時期の言語をさすかは議論の余地がある。
三国史記地理志の巻35,37に表された地名は現代の京畿、江原、黄海の3道とそれに接する忠北、慶北、咸南の一部を含む地域であり、
本来ここは夫余系諸語を用いた穢、または夫余系の南下支流の百済が興ったところである。