【Y-DNA】ハプログループで語るスレ46【mtDNA】at GEO
【Y-DNA】ハプログループで語るスレ46【mtDNA】 - 暇つぶし2ch918:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/14 22:26:41.97 PMDcXVzm.net
神武東征は古墳時代直前の3世紀
神武天皇=崇神天皇 らしい

日本神話で有名な八咫烏も高句麗のシンボルである。
八咫烏とは、当社の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えです。
日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、 導きの神として篤い信仰があります。
平安から鎌倉時代にかけて皇族や貴族から篤い信仰を受けた熊野神社の主祭神は朝鮮半島ソシモリ出身のスサノオであり、
そのお仕えである八咫烏は高句麗のシンボルである。熊野神社は高句麗系渡来人の神社であったのだろう。
スサノオは朝鮮半島のソシモリから虵の韓鋤の剣を携えやってきてヤマタノオロチを退治した。
「虵の韓鋤の剣」は間違いなく朝鮮製の剣であろう。ヤマタノオロチは蛇である。
日本の古くからの信仰は蛇信仰である。蛇信仰は注連縄や鏡餅や土器などに見ることができる。
脱皮し永遠の命を持つと思われた蛇は信仰の対象であった。その蛇を朝鮮半島からやってきた神が
朝鮮製の剣で退治したヤマタノオロチの神話は示唆的である。
これは渡来人が蛇信仰の土着倭人を殺戮した歴史では無いだろうか。
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神武東征は古墳時代直前(250年から300年ごろ)の出来事
「日本書紀の神武紀」を見ると、彼らは、大阪湾までやってきて、「登美のナガスネヒコ」との戦闘の時に、
舟で日下の蓼津(現在の東大阪市日下町付近)まで進出して来ます、そこでの戦闘で、
兄の五瀬命が負傷したので、南方(現在の大阪市淀川区西中島南方付近)を舟で経由して撤退し
血沼海(茅渟海、大阪湾)に出たとの記述があります。
現在の地形では、「蓼津も南方」も陸地で、舟で到達したり通過したりすることができません。
でも、250年から300年頃の弥生時代の後半には、大阪湾の奥に河内湾というのがあり、
この二つの湾を分断するような半島状の地形(片町台地)の先端部分が開いていて、
海水が河内湾にも流入していたのです。
その後、堆積物によりふさがって河内湖になり、ふさがったところが「南方」です。
このように、「神武」が東征してきた時の状況がリアルに伝えられていますので、
時期としては、250年から300年ごろのことだと考えられます。


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