18/12/08 10:25:25.77 TfXQFmzg.net
日本における焼畑の技術、構成作物の特色、あるいは畑作儀礼の特徴などをくわしく調べると、
アジア大陸の照葉樹林帯のそれと一致する点が少なくないことが分かってきた。
焼畑とともに関連する文化が一つのセットになって大陸から伝わってきたことが分かる。
時期は水田稲作農耕が展開するかなり前のことで、こうして縄文農耕が始まった。
飲み茶の慣行
ウルシを用いる漆器製作
マユから絹を作る技法
麹を用いるツブ酒の醸造
味噌、納豆など大豆の発酵食品
コンニャクの食用慣行
モチ種の穀物の開発と利用、およびその儀礼的使用
共通の神話、説話(オオゲツヒメ型神話、洪水神話、羽衣伝説その他)
歌垣、山上他界、サトイモの儀礼的使用、八月十五夜
儀礼的狩猟、粟の新嘗その他の習俗、など
ここで特に注目に値するのは、日本列島に隣接した地域(長江中流域の江南山地や台湾山地など)では、
陸稲が焼畑の主作物から欠落している例が多いことである。
同様の傾向は、西日本各地の山地における焼畑(昭和35年頃まで存在)でもみられたという。