24/05/13 20:46:45.15 UQ2QM7j5w
結局、p→フ(両唇音)→h説がどこから出てきたかという問題は、次のように見ることができそうだ。
日本語の五十音図の配列と悉曇文字配列を比べて、五十音図ではh音は悉曇文字配列のp音の位置に置かれていることから、
日本語のh音はp音を表しているとし、奈良・平安時代にはh音は存在しなかったとみなしたわけだ。
そうなると、では現代のh音はどこで生まれたのかということになるので、後鳥羽院の謎々や日葡辞書などのf音表記、コックスのh音とf音併記などから、
日本語のh音は江戸時代中頃に発生したとして、p→フ(両唇音)→h説を唱えて整合性を持たせたということだろう。
要するに、平安時代の五十音図のh表記を悉曇文字配列のpに合わせてとらえたために、
h音が行方知れずとなってしまい、現代のh音の存在と整合性を持たせる必要がら、江戸時代h音成立説が捏ね上げられたということだ。
これは、五十音図のh表記がh、p、bの三音併記であることを考えなかったことから来る無理な仮説であり、
その仮説のために稲荷山鉄剣銘の富(ホ)、万葉仮名の富(ホ)や乾(ホス)などのh音の存在を無視してしまうことにつながったということだ。
まあ、今からでも遅くないから、h音江戸時代成立説を捨てて、h・p音併存説に鞍替えしたまえ。
わははははは。