24/03/21 20:09:22.24 0.net
>>33
河内王権の王たちが朝貢した南朝宋は、「…南朝四百八十寺 多少の楼臺煙雨の中(うち)」と歌われたくらい仏教が盛んだったんよ。
浙江・福建の地方にもお寺がたくさんあって、僧侶たちの活動が活発だったということ。
そうした中の何人かの僧侶が弟子や世話人らを引き連れて、河内・大和にやってきていたということやな。
その彼らの読経の発音が日本の仏教各宗派に取り入れられて、その発音が呉音と呼ばれ、やがては万葉仮名の発音にもなったということ。
鉄剣銘の文を書いたのも、そうした僧侶だったのかもな。
で、お経を読むその言葉の中に閩語系の発音が多くあるということになったわけや。