23/02/21 00:06:28.86 sONO8c5J0.net
>>854-855
OEDさんがお持ちの「絶望感」は、永遠に他の誰にも理解できたり、共感できたりする
ものではないと存じます。
これは私個人の話ですが、自分が障碍者であることに気付いたときの、「絶望感」もまた
同様です。とはいえ、いくら親を憎んでも天を呪っても何かが変わる訳じゃありません。
私が一生付き合わねばならぬ障碍といかに共生するかなど、当時5才の私に分かるハズも
ありません。
自分が持つ障碍に伴う「苦労」は、その後60年以上の時間が経過しても未だにあります。
例えばコップ一杯の水の飲むとき、よくよく注意しないと鼻からリバースしたり、気管へ
の侵入(誤嚥)があったりします。しかしながら、このような苦労を「健常者」の方々に
対してきちんと理解しろとか共感しろとか要求できるものではありません。
ではどうやって生きてきたかを振り返ると、子供ながらある種の「諦観」を持ち、自死を
避けるために可能な限りの哲学書や宗教書を読みました。結果だけを言いますと、私の心
に響いたのが、カルヴァンが説いたキリスト教プロテスタントの生き方です。ことの理非
善悪はともかく、高校生以来キリスト教徒の末席を汚しております。
まだ結果的に不幸なのか幸福なのかは分かりませんが、小学6年生のときにコンピュータ
技術屋になることを決意し、その後某大手電機メーカーでシステムエンジニア兼品質管理
技術者として定年になるまで働かせてもらいました。
現役の頃、たまたま英国のポンコツ大学への遊学ができたので「英語の世界」に潜り込み、
仕事で海外出張する際は通訳兼工事管理責任者をしたり、ISO規格に基づく品質マネジ
メントシステムのリサーチャーをした経験に基づき、現在このようにこの掲示板に出入り
させていただいております。
OEDさんの書き込みを拝読させていただいていたら、聖書の一節が自然に浮かびました
ので、それを書いたらどうなるかの後先を考えなかったのは私の重大なミスです。この点
につきましてはこの書き込みをもって謝罪します。どうぞ御容赦をお願い申し上げます。