23/01/12 11:10:40.62 cYkJGmra0.net
「これこれこういうわけで、こういう勉強がしたくてもできなかった」
と、ぼやいてしまう人がときどき確かにいる。そして僕もそれに似たことを
言うことがある。
しかしそういう人には、少なくとも2種類ある。
(1) 一つ目。
例えば特殊な学校に行きたければ
行くこともできたのに、怠惰または気力がないなどの理由で、自ら行かなかった。
そのあとで、「その気になれば行けたのに、自分はダメだな」と思うようになったが、
それは自分のせいだということを認めたくないから、他の人たちのせいにしたがる。
結果的に、経済的な理由などのゆえに行けなかったとか親が許さなかったとかいう
ふうな理由付けをでっちあげる人たち。
(2) 二つ目。
もう一つは、最初から、幼いときから自分の興味に従って、純粋な学問的な関心のゆえに
達成したいことがあっても、周囲にはそれを許す環境がまるでなかった人たち。
それは少数派だけど、いることはいる。理科系や法学系や医学系なら、学校へ行って
学問することに意味があるけど、人生や社会や人間についての学問、つまり人文科学系や
芸術に向かいたいと思う人に対しては、幼いときから周囲のあらゆる人たちによる排斥と
妨害があり、本人が自分で自分の考えをまとめて口にする年ごろになるずっと前から、
周囲の人はみんなで力を合わせて、そんな不届きな考えを持たないように
子供を「しつける」。それでも子供がそのような方面に向かおうとしたら、いかにそれが
根本的に間違ったことであり、いかに贅沢であり、いかに罪深いことであるかを
教え諭そうとする。