23/01/12 09:20:07.11 cYkJGmra0.net
「進化」の代わりに「変化」という言葉を使うなら、確かに
日本語よりもさらに英語は大きく変化してきたのだろうと思う。
世界語としての地位がますます増大するにつれ、英語の持っていた
はずの微妙な陰影がどんどんそぎ落とされ、そのうちの中心概念だけが
表面化していく。それゆえに面白みがなくなっていくと感じる人もいれば、
そのおかげで全世界の人々が意思疎通しやすくなって便利になっていくと
感じる人もあるだろう。
日本語は中国(と言うべきか、現代中国の地域にそのころにあった別の国というべきか)
からその頃の中国語のうちの書き言葉のうちの一部を導入し、
それを新たな日本語として改造し、風化させていった。
そのずっと後に今度は、西洋諸言語の文化や学問を取り入れるべく、
西洋諸言語の概念を大量に翻訳し、西洋語からの翻訳語を
大量に普及させていった。
結果的に日本語は、奈良時代以前におそらくは合ったと思われる
土着の日本語に、漢語が大量に付着し、そのあとに西洋語からの
翻訳語(これはk実は漢語の変形)をおびただしく導入した。
その結果として、現代日本語と呼ばれているものは、現代日本人にとって
外国語のように感じられ、よそよそしいものになっている。
どんな感情や考えや芸術や学問を表現しようとしても、
自らの言語であるはずの日本語ではうまく表現できないと
現代日本人は意識的あるいは無意識的に感じている。