23/01/10 09:12:56.57 QXj5KsVj0.net
>>154
この程度が本当に厳しいのかな?僕は他人からいつもそう言われてきた。
でも僕に言わせれば、これは 1 + 1 = 2 と同じくらいに自明なことで、
自分の境遇をぎりぎりまで生かして人類のために尽くさないといけないというのは、
ごく当然のことなのだ。
もちろん、人類のためとはいっても、具体的にたとえば遠い国の、たとえば
アフリカの難民を救済するためにみんながそこまで行って、そこで死ぬまで
貧民の救済に当たらないといけないという意味ではない。そういう
生き方は傍から見ていても当人から見ても実にわかりやすく、
「確かにこの人は他人のため、人類のために尽力している」
ように見えるだろう。しかし実際には、それも自己満足に過ぎないかもしれない。
いったい、何が本当に人のためになるのかなんて、永遠にわからないかもしれない。
極端に言えば、死の商人が回り回って他人を救っているのかもしれない。
自分の利益だけを追っかけている人が、最終的には貧民にも雇用口を与える
ことに結び付き、結果的には人類を救っているのかもしれない。人の命を
救って自分の命を投げ出す利他的な医者が、実は死にたがっている人を
変な意味で救ってしまって、人々を苦しめているのかもしれない。
だから何が何を救っているのか、誰が誰を苦しめているのかなんて、永遠に
謎なのかもしれない。ただ言えることは、少なくとも一人一人の人間である
本人は、自分がどのように生きているのか、どれくらい他人のことを考え、
どれくらい真摯に生きていこうと努力しているかを知っている。他の人には
その当人のことなどわからない。しかし当人は知っている。
その当人が自らを誇れるような生き方をしていない(つまり「自分を誉めてあげたいと思え」
ないような生き方をしている)のなら、そいつらは生きる資格がない。