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というわけで、結果的に人はここで、夏目漱石の「草枕」の冒頭
にあるような気分になるんだろうな。浮世の人間の営みを見ていると、
つくづく嫌になる。漱石は、この世に生まれてきて楽しいと思うことは
ほとんどない、というようなことをあちこちで書いている。
そもそも人間というものは、早く滅亡した方がいい。でもなかなか滅亡しない。
いつの日か天変地異が起こって、忽然として恐竜の如く人類も滅びるときが
来るかもしれない。その時まで、しぶとく無意味に人類は、このように歪曲した
形で「繁栄」を続けるだろう。
いや、人類だけではなくて、僕ら人間から見れば言葉も思考も記憶もないように見える
動植物や、そして無生物のように見える水や土や鉱物でさえ、実は複雑な思考や
感情を持っていて、互いに(人間たちのごとく)攻撃し合って、嫉妬し合って、
この何十億年も存在し続けてきたのかもしれない。
そう思うと、つくづく存在することそもそも存在することそのものが邪悪の根源なのであり、
釈迦の言うように、この世限りで存在することを辞めることが最善なのだと言いたくなる。
でも涅槃だとか何とかいうように、存在形態のようなものが完成して、これ以上には
存在しなくてもいいような至高の状態なんてものが本当にあるのかと思う。
そんなものがあるはずないと思うし、仮にあったとしても、そんな状態に到達できる
人や存在は、ごく限られているだろう。
というわけで、結局は大多数の衆生である僕らはみんな、差し当たって現生を
生きながらえて、何とかぎりぎり周囲の人に与える迷惑をなるべくなら最小限に食い止めながら、
自然死の日を待つしかないのだろうな。
という、きわめて平凡なことをそこはかとなく書き続けながら、今日も僕は周囲の人から
嘲笑され、そしておそらくは罵倒されるのだろう。