洋書や英語の映画などに取り組んで真面目に語るスレat ENGLISH
洋書や英語の映画などに取り組んで真面目に語るスレ - 暇つぶし2ch2:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:08:04.03 yoc9TAPNd.net
>>1
乙です

3:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:09:57.26 euLEefR40.net
このスレッドには、僕が大量に長文の文章を投稿するだろうと思う。だから、以前に僕が立てたスレッドの
ように、500件くらいの投稿しかしていないのに、そのスレッドが要領一杯になり、
前触れもエラーメッセージもないままに、それ以上は書き込めなくなることがある。
そのときは、すぐに他のスレッドを僕が立てるつもりだけど、そのときに僕が
スレッドを立てる権限を持っていないときもある。そのときには、しばらく
スレッドが立たないままで時間が過ぎ去るかもしれない。

4:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:11:33.22 yoc9TAPNd.net
>>3
そういう時は私も含めた住人でもスレ立てを試みてみます!

5:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:12:59.12 euLEefR40.net
それから、みなさんが投稿するとき、sage て頂く必要はない。すべて age でもいい。
どうせ荒らす奴は荒らしていくだろうし、暴言を吐き続けるクズどもやカスどもも
跡を絶たないはずだ。それは覚悟しないと、このような豚小屋並みの人類社会には
生き続けることができない。それは諦めないと仕方がない。

6:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:14:43.95 yoc9TAPNd.net
漢の常時age進行宣言
これは普通にかっこいいw

7:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:15:22.50 euLEefR40.net
>>4
感謝します。
それから、僕は「ですます」調ではなくて「だ・である」調で人に
話しかけることが多いけど、それは簡潔に書きたいからであって、決して尊大な
書き方をするつもりではない。まあ、たいていの書き込みでは、僕は独り言みたいに
書くつもりであり、そのため「だ・である」調が続く。

8:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:17:39.13 yoc9TAPNd.net
>>7
私はOEDさんが尊大などと、一度も感じたことはありません
世辞は申したくありませんので言いませんが、ROMであってもいつもレスを読んで勉強させて頂いてます

9:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:20:26.78 yoc9TAPNd.net
蛇足中の蛇足ですが、私が自己愛なんちゃらのコピペを貼ったのは、最近英語板でIDやワッチョイを変えながら粘着している、他板から来たアホに対しての指摘です

10:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:25:14.15 euLEefR40.net
「スレッドを立てるまでもない質問スレッド」にて、今さっき書いたことを少し引用する。
Lois Lowry の "The Giver" に出て来た、少し面白い冠詞の使い方を紹介する。
別にこの小説でなくても、どんな洋書にでも何回かはこういう用法が出てくるんだけど。
He (= The Giver) would need those to help him find ★the Elsewhere that★ they were both sure existed.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 198; Chapter 20)
Elsewhere に the がついて、そのあとに関係代名詞が来る用例だ。
その他にこの小説には、Elsewhere に不定冠詞の a がついて、そのあとに関係代名詞が
続く用例も、確か2か所ほどあったと思うが、それがどこだったかと思っても、
見つけ出せない。その代わり、ネット上でそれに似たような英文を載せている投稿者たちがいる。
He now understands there’s ★an “Elsewhere” that★ the river came from,
and ●an “Elsewhere” that● the water is heading toward.
*******************
上の用例では、elsewhere という、通常なら副詞として使われる言葉を名詞として
使い、しかもそれを大文字で始めて、「他の所」という意味で使っている。
この小説の主人公 Jonas を初めとする人々はみな、ある society に住んでいるけど、
その外側に「別の所」があるはずだと登場人物が言うのだが、それを
Elsewhere (別の所) と呼んでいる。

そして、冠詞なしで小文字で始めて使っているときも多い。そのときには、
「今の自分たちが住んでいるこの社会」の外側に(外側で)という意味で
elsewhere と言っている。だから go elsewhere などと言う言葉の使い方をしている。
しかし冠詞をつけて大文字で始めた時には、この上に紹介した通り、
He (= The Giver) would need those to help him find ★the Elsewhere that★ they were both sure existed.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 198; Chapter 20)

11:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:26:18.94 euLEefR40.net
>>8-9
そうでしたか。どうもありがとう。

12:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:31:03.92 yoc9TAPNd.net
>>11
こちらこそ、いつもありがとうございます

13:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:38:29.62 euLEefR40.net
(続き) 上のような使い方をする。さて、なぜこの Elsewhere という、この小説だけに出てくる
名詞に a とか the がついているのか?これは、そのあとに that という関係代名詞が
ついてそのあとに関係節が続いているように、「~というような "別の所"」という
意味で使っているから、ここでは the になっている。それから a になることもある。
たとえば Japan という固有名詞がある。それは通常は無冠詞だ。しかしこの Japan
に the とか a がついたり、複数になることさえある。それについても、他の諸問題の
時と同じく、洋書を死ぬほど読んでいれば自然とわかってくるんだけど、あえて
ここで少し解説する。もちろん、すでに知っている人も多いとは思うけど。
The Japan That Can Say No
というタイトルの本が、35年くらい前に日本で流行った。これは石原慎太郎が、
アメリカなど欧米列強の言いなりになり続けてきた戦後日本の尻を叩き、
「欧米列強に No と言える日本であってほしい」という願いを込めて書いた本だ。
Japan に the がついているから間違いか?そうではなく、the がつかないといけないのだ。
日本にはいろんな側面、いろんな顔がある。(少なくとも、著者の頭の中では
いろんな日本がある。)いろんな日本がある中で、「アメリカの言いなりになる日本」
もあれば、「アメリカの言いなりにならない、No と言える日本」もある。後者の
ことを言いたいときには、the をつけて the Japan that can say no と言ったり、a をつけて
"a Japan that can say no" と言ったりするのだ。
さて、どういうときに the となり、どういうときに a となるかについては、説明が
難しい。

14:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:38:37.17 mkeZUZ3R0.net
OEDさんが、時々「質問」スレの方も覗いてくれないと、
回答のないままの質問が渋滞を起こしそう。

15:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:38:50.61 euLEefR40.net
(続き) 今のところ、僕は次のように考えている。つまり、すでに「No と言えるような日本」が
相手にとっても話者にとっても既に存在すると思っている場合には、それは
the Japan that... と the をつけたものになる。しかし、少なくとも相手にとっては
「No と言えるような日本」なんて初めて聞く、少なくとも今から著者が書く文章の
中では初めての話題だと思うときには、"a Japan that can..." と a をつけたものになる。
そういうのと同じ理屈で、上の方で紹介した
(1) the Elsewhere that ...
(2) an Elsewhere that...
という二種類の言い回しが成り立っている。

16:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:41:23.25 QKyzuvwB0.net
映画スレや洋書スレは他になかったっけ?
単発スレは禁止のはずだけどと思った

17:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:41:26.00 euLEefR40.net
>>14
どうもありがとう。僕は必ずこの英語板の「スレッドを立てるまでもない質問スレッド」
だけは目を通しているよ。そして、なるべく他の人たちがいろんな回答をした後で
ないと僕は回答しないようにしていたこともよくあったけど、どうせ他の人は、
僕が何を書こうが書くまいが、最初に思ったことを書いているようなので、
最近は遠慮しないで、質問が出たことに気づいた時にすぐに僕も回答するようにしている。

18:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:44:36.50 yoc9TAPNd.net
>>16
うるせえよ、おめーは糞スレばかり立ててるバカウヨのくせにw
ローカルルール違反だとお前が思うんならお前が削除依頼出してこい、雑魚www

19:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:46:31.25 euLEefR40.net
>>16
映画スレとか洋書スレは、他にもいくつかあるのは知っているよ。昔は、そういう
スレッドで盛んに投稿していたときもあった。でも最近は、どこもすべてレベルが
思いっきり下がった。愛想が尽きたので、何も書く気もしないし、たまに読みに行く
気にさえなれない。
命を賭けてるんじゃないかと思われるくらいに本気で洋書を読み、本気で英語の
映画・ドラマ・ドキュメンタリーを観ているような人に対してしか、話しかける
気になれない。
命を賭けるだなんて、大げさな。と思う人も多いとは思う。しかしそのような大げさな
言葉を使わないといけないくらいに、通常の人はあまりにいい加減だ。いい加減である
ことを自慢にさえしているように見える。
もちろん、英語で飯を食う気のない人は、いい加減でもいい。でも、いい加減にしか
やってない癖に偉そうなことを抜かし、デタラメ回答を続けるから、僕は
一言、言わないでは気が済まない。

20:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 19:47:35.10 yoc9TAPNd.net
>>19
冷笑系だらけですね、ほんと

21:The OED Loves Me Not
22/09/16 19:56:17.36 euLEefR40.net
ところで、この5ちゃんねるの英語板は、5年ほど前までと比べると、格段に
質問者・回答者の双方においてレベルが落ちた。みんな愛想を尽かして去っていったのかな?
でも、いくらレベルが落ちたとはいえ、それでもネット上の他の類似サイト、つまり
OK Wave の英語関係コーナー
教えて goo の英語コーナー
知恵袋の英語コーナー
(そして、今は亡き Alcom のサイト)
に比べると、今のこの荒廃した5ちゃんねる英語板でさえ、まだましなのだ。
人格面も英語面でも、その他の教養面でも、あらゆる意味で徹底的にレベルの低い
人もここにはいるけど、その代わり、少数ではあるけどレベルの高い人が今でもいる。
だから僕は、何度も何度も絶望しながらも、やっぱり5ちゃんねるの英語板の
「スレッドを立てるまでもない」のスレッドだけは見捨てることができない。
5ちゃんねるは悪名高いけど、他の、一見して行儀の良さそうなサイトはみな、
管理者が勝手にどんどんいろんな回答を削除してしまい、質問者も、せっかく良い回答が
集まっていても、自分の都合で勝手にどんどん削除してしまう。それから、
勝手にデタラメのベストアンサーをつけてしまって、さっさと質問を閉じてしまう。
だからまったく議論が進展しない。良質の回答をする人が、極端に言えば1か月後に
現れるかもしれない。
さらには、無礼な奴にはこっちも思いっきり罵倒し返してやりたい。5ちゃんねるでは
そういうことが許されているから、ある意味では民主的だと思う。

22:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 20:12:42.41 yoc9TAPNd.net
>>21
同じ意見です
あまりにいろいろ酷くて特に英語板を含めた専門板では人がTwitterに移っていってしまいました
スマホの普及でくだらないレベルの荒らしも増えました
その上この規制であほらしくてやめてしまう人も増えた気がします
それでもおっしゃる内容の点で5ちゃんの良さがあると私も思います

23:The OED Loves Me Not
22/09/16 20:51:06.28 euLEefR40.net
>>10 >>13 で触れた Elsewhere という、大文字で始まる言葉について
★★★ ネタバレ注意 ★★★
Lois Lowry の "The Giver" では、大文字で始まる Elsewhere という言葉がよく出てくる。
これは、すでに触れたように、主人公の Jonas たちが住んでいる社会の外側に
あるはずの「別の所」のことなんだが、この Elsewhere は、この小説では
副詞としても名詞としても使われている。さらにすでに述べたように、
the がついたり an がついたりして、そのあとに関係節を続けることもある。
(1) 副詞としての Elsewhere
Jonas, by then, would be on his own, making his journey ★Elsewhere★.
(僕の拙訳: Jonas はそのころには、誰からも離れて、「別の所」に向けて旅立っていることになる)
(Lois Lowry, "The Giver," p. 202; Chapter 20)
上の文では、主人公である12歳くらいの Jonas が、もうすぐ今の社会を抜け出して、
「別の所」(Elsewhere)に行こうとしていることについて描いた箇所だ。
(2) 名詞としての無冠詞の Elsewhere
Yet he (= Jona) felt it: felt that Elsewhere was not far away.
(拙訳: とは言っても、彼 Jonas は「別の所」がそう遠くはないと感じていた)
上の (2) を見ていると、Elsewhere という言葉が固有名詞のように使われているように見える。

24:The OED Loves Me Not
22/09/16 20:58:25.46 euLEefR40.net
>>23 の (2) の英文は、この小説の p. 218、つまりChapgter 23 の冒頭近くにある一節だ。
この小説は、あと 6 ページほどで終わる。
★★★ ネタバレ注意 ★★★
上の一節は、 Jonas が自分のきょうだいとして家族の一員に最近になって迎えられた
Gabriel という0歳児(?)を連れて、二人だけで元の社会から脱走して、
飢餓に苦しみながら必死で Elsewhere (別の所、別の世界) にたどり着こうとしている
ところだ。
なぜ飢餓に苦しんでいるかというと、もともと住んでいたところでは、何もかもすべてが
The Committee of Elders という委員会によって管理され、感情も持たず、世の中に
いろんな色があることもみんな忘れていて、恋愛もセックスもなく、誰一人として
飢餓に苦しむこともない理想社会のように見えるけど、感情というものがすべて
薬の効力によって忘れてしまっているのだ。
しかし「別の所」(Elsewhere)に向けて脱走した今では、誰も自分たちを助けてくれないので、
川に入って自分で魚を採って食べるなどということをしないといけない。

25:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 20:59:46.15 4+sztaFs0.net
those to help him find ★the Elsewhere that★ they were both sure existed.
このthatは関係代名詞ではなく従属接続詞だと思います。

26:名無しさん@英語勉強中
22/09/16 21:08:48.63 rLB8az/I0.net
関代だろ

27:The OED Loves Me Not
22/09/16 21:24:20.95 euLEefR40.net
>>25
「従属接続詞」っていう言葉に慣れていないんだけど、検索しても、今回の that が
従属接続詞だとしたらどのような働きをここでしているのか、僕にはわからないんだよね。
他の人が言っているように、僕にはこの that が関係代名詞にしか見えないんだ。
つまり、"they were both sure" が間に挿入されている。連鎖関係代名詞って言うのかな?
>>10
He (= The Giver) would need those to help him find
★the Elsewhere that★ they were both sure existed.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 198; Chapter 20)
この上の英文に僕なりの和訳(拙い和訳)をつけてみると、
彼ら二人とも確かに存在しているのだということを
二人ともはっきりと確信しているような例の「別の所(別の世界)」を
彼(Jonas)が見つけ出すのを手助けするには、彼(The Gicver)にはそれらが必要なのだ。

28:The OED Loves Me Not
22/09/16 21:28:21.02 euLEefR40.net
>>10
He (= The Giver) would need those to help him find
★the Elsewhere that★ they were both sure existed.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 198; Chapter 20)
この上の一節の直前には、次のような文脈があるので、一応はここに紹介しておく。
For the next two weeks, as the time for the December Ceremony approached, the Giver
would transfer every memory of courage and strength that he could to Jonas.

29:The OED Loves Me Not
22/09/16 21:41:28.98 euLEefR40.net
★冠詞の使い方について
さて、冠詞の使い方は、何十年も英語を勉強し続け、英語を使って飯を食い続けて
来た人でさえ、日本人にとっては実に難しい。
もうすぐ読み終わるこの小説においても、冠詞の面白い使い方を示す用例が出てくるが、一つここに紹介する。
Using his final strength, and ★a special knowledge that★ was deep inside him, Jonas found
the sledge that was waiting for them at the top of the hill.
(Lois Lowry, "The Giv er," p. 223; Chapter 23; 巻末に近いところ)
さて、通常なら "using special knowledge" になって冠詞をつけてはならないけど、
ここでは関係節によって special knowedge の範囲が限定されるので a がついている、
というふうに説明すればいいのだろうか。ちょっと僕の説明の仕方が拙いかもしれないが、
ともかく
[形容詞 ] + [抽象名詞] + (that, where, which などの関係詞から始まる関係節)
となっていれば、その前の抽象名詞には a がつくことが多い。
これと同じような現象として、
a special knowledge of (名詞)
というような a の使い方もある。
ジーニアス英和の knowledge の項目にて、次のような解説がある。
以下は、すべて引用。
He has a good knowledge (doesn't have a good knowledge) of French.
(1) (a がつくのは、通例 "a + 形容詞 + knowledge of ..." の構文の時のみ
I have a good knowledge of car engines.
(2) 形容詞を伴わない場合には、a の代わりに some が使える。
I have some knowledge of car engines.

30:The OED Loves Me Not
22/09/16 21:47:04.65 euLEefR40.net
>>29
>>He has a good knowledge (doesn't have a good knowledge) of French.
という用例と
Using his final strength, and ★a special knowledge that★ was deep inside him, Jonas found
the sledge that was waiting for them at the top of the hill.
(Lois Lowry, "The Giv er," p. 223; Chapter 23; 巻末に近いところ)
という用例とでは、冠詞の付く理由が似ている。
つまり、一つ目では "good knowledge" のあとに of [something] がつくと、
その of something によって special knowledge という言葉の意味の範囲が
限定される(と言っていいのかな)ので、a がつく。
同じように、二つ目でも、
a special knowledge that + 動詞
の場合でも、that に始まる関係節が special knowledge の意味の範囲を限定している
(と言っていいのかな?)ので、a がつく。

31:The OED Loves Me Not
22/09/16 22:02:10.13 euLEefR40.net
>>27 >>28 に出てくるような Elsewhere の前に the をつけた用例が、またもや出て来た。
この小説には、そういう用例がいくつかある。たぶん全部で 10 個か、あるいはもっと
たくさんあったと思う。
The runners (雪の上をすべるソリの下にある鉄などでできた脚みたいな部分)
sliced through the snow and the wind whipped at his face as they sped in a straight line
through an incision that seemed to lead to the final destination, the place that he had
always felt was waiting, ★the Elsewhere that★ held their future and their past.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 223; Chater 23; 巻末に近いところ)

32:The OED Loves Me Not
22/09/16 22:59:38.44 euLEefR40.net
いろんな雑用とか、5ちゃんねる上での書き込みとか、いろいろと調べものをしたり
しながらなので、この "The Giver" という小説を読むことだけに専念したわけじゃないので、
長い時間をかけてやっと読み終わった。
この小説は、いろんな解釈ができると思う。一つは、全体主義や共産主義の怖さを
描いているという解釈。だからこそ、ドイツでは、子供たちがかつてのドイツの
全体主義社会を二度と許さないようにという教育を行っていて、その一環として
この小説を必読書として学校で扱っているそうだ。
各国語で訳されたが、フランス語にも翻訳され、タイ語にも訳されたが、アメリカの
小説がタイ語に訳されたのは、これが初めてだそうだ。
アメリカ国内では、あまりにもこの本に対する評価が真っ二つに分かれてしまっている。
たくさんの学校で必読書として選定されたり、牧師さんから著者の所に真面目な
ファンレターが届いたり、ユダヤ教関係の人からも熱烈に支持されたりしているそうだ。
かと思うと、たくさんのアメリカ中西部の田舎町ではこの本を The Antichfrist
だと断定していたり、著者に対して「あなたは godless だ」と決めつけた
手紙を送っている。
さらに極めつけに、カリフォルニアの、とある町ではあまりにも強烈に著者を
弾劾してるので、FBI が著者に対して「その町に行ったら著者の身が危ないから、
そこへは行かないように」と真剣に警告されたそうだ。
僕がこの本を読んでみた限りでは、少なくとも日本人の感覚ではさほど
強烈な本ではないと思う。この程度のストーリーなら、あちこちにありそうだ、
なんていうふうに僕などは思ってしまう。なぜみんなそんなに慌てふためいたり、
あるいは逆になぜそんなに熱狂的に支持するのか?
(続く)

33:The OED Loves Me Not
22/09/16 23:00:07.78 euLEefR40.net
(続き)たとえば Kazuo Ishiguro の Never Let Me Go なんかは、少しばかりこの小説に
似ていると思う。George Orwell の 1984 とか、それ以外のいろんな dystopian 小説に、
これに似た感じのするストーリーがあちこちにありそうじゃないか。
もちろん、だからと言ってこの小説が平凡だとかありふれているとか言うつもりはない。
少なくとも、こんなにまで短い小説で、6歳から12歳向けだと書いてあるけど、
そんなにまでわかりやすい小説でありながら、ストーリーは子供たちにいろんなことを
考えさせてくれるということで、実に教育的なよい小説だと思う。大人向けならこの
程度の小説はあちこちにありそうだが、子供向けなのにこんなに複雑な社会派的な
物語とでも言えそうなものを見事に書いたことは、素晴らしいことだと思う。
子供向けであるにも関わらず、著者のところには実にたくさんの大人たち、
しかも牧師さんとか大会社の CEO とか、多重人格障碍者とか、実にいろんな
大人たちから熱烈なファンレターが届いたそうだ。
まあともかく、日本語でもいいから一度は目を通す価値があると思う。読んだあとで、
自分にとって価値があるかどうかを判断すればいいと思う。決して退屈はしない。
ましてや、こんなにまでアメリカ全土を初めとして、いろんな国の人を騒がせているの
だから、現代社会の様子を知るためにも、一度はこの小説を読んでおいた方がいいと思う。
ましてや、英語を勉強している僕らとしては、せっかく子供向けに書かれた読みやすいもの
だから、英語の勉強のためにもぜひともみんなに読んでもらいたいと願う。

34:名無しさん@英語勉強中 (ワッチョイ a65b-Mjbb)
[ここ壊れてます] .net
The Giver の映画は、何気なく見たものだったが、
原作がそんなに話題に(そして controversial に)なっていたとは
私もぜひ読もう

> アメリカの小説がタイ語に訳されたのは、これが初めてだそうだ。

そんなことって、ある? って思ってしまった
だとしたら、タイ人は、英語の小説は原語で読んでるんだろうか
私はタイ人の友人が何人かいるが、一般のタイ人はそんなに英語はできないような

35:The OED Loves Me Not
22/09/17 05:12:23.85 yT+Hp/Cr0.net
>>> アメリカの小説がタイ語に訳されたのは、これが初めてだそうだ。
上のように僕は書いてしまった。うろ覚えで書いたので、そうなってしまったのだ。
正確には、次の通り。
>>> アメリカの、★子供向けの★ 小説がタイ語に訳されたのは、これが初めてだそうだ。
英語原文では、次の通り。
I was told tha it was the first American children's book translated into Thai.
(この上で "I" つまり「私」というのは、著者 Lois Lowry のこと。)
上の英文での引用文は、僕が夕べ読み終わった The Giver の Harper Collins Children's Books
版の paperback 版の巻末に添えられている、著者による注釈(A note from the author)
の一節 だ。著者による注釈は、4ページにわたる。
その中で、FBI との話など、アメリカ国内の田舎町では大変に攻撃され、図書館に
置いてもらえないとか、ドイツなど外国では大変に評判になって学校でサブテキストと
して採用されているところも多いと書いている。
アメリカの著者が書いたものだから、アメリカの出版社が
印刷したら、綴りはすべてアメリカ式なのかもしれない。でも僕が手元に持っている
のはイギリス版だから、単語の綴りがすべてイギリス式になっている。たとえば
Center じゃなくて Centre に、Laborer じゃなくて Labourer になっている。

36:The OED Loves Me Not
22/09/17 05:27:11.46 yT+Hp/Cr0.net
この小説 The Giver がドイツでサブテキストとして学校で取り上げられていることについては、
"A note from the author" の中で、次のように書いている。
It (= The novel "The Giver") was used in the tenth grade in German public schools. In Germany
an entire population of young people must study the seduction of totalitarianism as part of their
own country's tragic history. Many of them start by reading "The Giver."
(なお、最後の "The Giver" は、原文では quotation marks はついておらず、その代わり
italics になっている。)
FBI と著者とのやり取りについては、次のように書いている。
And I suppose I should tell this part, too: one piece of mail was disconcerting enough that I had
a conference with the FBI and was advised, for my own safety, not to visit a particular city
in the USA in the immediarte future.
なお、この直前の一節に出てくる enough that S V は、僕らがよく知っている
enough to [do] と同じような意味で使っており、
disconcerting enough for me to have a conference
というふうに書き換えればわかりやすい。みんな知っているかもしれないけど、
enough to [do] と同じような意味で enough that S V という構文を使う人が、少なくとも
アメリカ人の著者にけっこういる。確か辞書にもその構文を紹介しているのを見たような
気がする。

37:The OED Loves Me Not
22/09/17 05:33:40.10 yT+Hp/Cr0.net
些細な話題だが、この The Giver という小説には、一つだけ日本を匂わせる一節がある。
それは次のもの。
”My friend ★Yoshiko★ was surprised by her selection as Doctor," Father said, "but she was thrilled.
(以下略)
(Lois Lowry, "The Giver," p. 29; Chapter 2; Harper Collins)

38:The OED Loves Me Not
22/09/17 05:47:06.65 yT+Hp/Cr0.net
日本人の英語学習者にとって、冠詞の問題は一生涯にわたって大問題だが、僕は
YouTube 上にて、英文解釈をするときに冠詞が出てきたら必ず、それぞれの場所において
なぜ a ではなく the になっているかなどを詳しく検討している。
このスレでも、冠詞が出てきたら必ず取り上げて論議したいと思う。
さて、この The Giver という小説の中で出て来た冠詞の問題をここで紹介する。
It was the first time Jonas noticed as he looked at the newchild peering up curiously from the
basket. ★The pale eyes★.
Almost every citizen in the community had ●dark eyes●. (中略)
But there were a few exceptions: Jonas himself, and a female Five who, he had noticed had
★the different, lighter eyes★.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 35; Chapter 3; Harper Collins)
★★★ ネタバレ注意 ★★★
なお、この上の一節における newchild は、原文のままだ。決して
new child のように two words にはしないで、この小説では首尾一貫して
newchild となっている。新生児のことだ。この小説の舞台では、ほとんどの人は
セックスも恋愛も経験しないみたいだ。(はっきりとそうは書いてないけど、
そのように思える。)それどころか、どんな感情も感じないように、12 歳のころから
死ぬまでずっと pills を服(の)まされている。
それはともかく、この社会では自分の親や兄弟姉妹として家庭内にいる人たちは、
生物学的な家族ではなく、中央委員会(The Committee of Elders)が選定した
人たちを適切に組み合わせているだけだ。
感情だけでなく、人々は匂いや寒暖や識別に対する感覚さえ失っていて、
しかも記憶まで失っている。何百年も前に、そういうものを自らなくしたいと
市民たちは思って、それ以来はそのように暮らしている。

39:The OED Loves Me Not
22/09/17 06:52:11.85 yT+Hp/Cr0.net
>>38 の冒頭で取り上げた英文のうち、who, と書いてしまったものは、
実は正しくは whom だったのだが引用し間違えていた。この下に正しいものを引用しなおす。
It was the first time Jonas noticed as he looked at the newchild peering up curiously from the
basket. ★The pale eyes★.
Almost every citizen in the community had ●dark eyes●. (中略)
But there were a few exceptions: Jonas himself, and a female Five whom he had noticed had
★the different, lighter eyes★.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 35; Chapter 3; Harper Collins)
さてこの上で
(1) The pale eyes.
(2) dark eyes
(3) the different, lighter eyes
このように the をつけたり無冠詞だったりするのはなぜかわかるだろうか?
(続く)

40:The OED Loves Me Not
22/09/17 06:52:46.24 yT+Hp/Cr0.net
(続きだよん)
ただしこれはきちんと文脈を読み取らないとわからない問題なので、もしかしたら
僕が引用したような限られた引用文だけではわかりにくいかもしれない。そういうときは
その前後をネット上で検索したら見つかるかもしれないが、見つからなかったら僕が
その前後をさらに引用してもいい。
この上の一節の要点を日本語で言うと、次のような感じだ。
「主人公 Jonas の家族の一員として、最近になって新生児 (newborn) が(中央委員会から
派遣されて)迎え入れられた。その赤ん坊は、Jonas と同じく lighter eyes (つまり
黒ではない、たぶん緑色か青色の目) をしていた。この二人はこの社会では
少数派であり、他の大多数の人たちは dark eyes つまり黒っぽい目をしていたのだ。」
それから、文中に "a female Five" とあるが、この Five は原文通りだ。この小説の
特殊な表現であり、たとえば Mary is a Five. と言えば、「Mary は5歳児だ」という
意味。そして Fives と言えば、5歳児の子供たちが何人かいる、という意味合いになる。
"a group of Fives" と言えば、「5歳児の子供のグループ」ということになる。
さて、ここに出て来た3つの "目の色についての表現" の中で、なぜ定冠詞がついたり
つかなかったりしているのかを説明してみてほしい。
僕なりの意見については、24時間ほど経ってから書きたいと思う。

41:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 06:56:27.06 83ZOAFTB0.net
続きだよん にOEDさんのかわいい一


42:面を見た



43:The OED Loves Me Not
22/09/17 07:07:42.68 yT+Hp/Cr0.net
Lois Lowry の "The Giver" に出てくる特殊表現や一般的な表現
(1) There were only two occassions of ★release★ which were not punishment. ●Release● of the
elderly, which was a time of celebration for a life well and fully lived; and ★release★ of
a newchild, which always brought a sense of ●what-could-we-have-done●.
この上の release という言葉が、この小説特有の意味合いで使われている。それが
実際には何を意味するかについては、この小説の最後に明かされる。でもこの社会では、
みんなその本当の意味を知らない。それから、上の一節の最後に出てくる
what-could-we-have-done という hyphen つきの表現も面白いかもしれない。
(2) I think this little guy needs something extra.
この上の言葉は、Jonas の家族のうちの Father が、新しく家族の一員となった
新生児 (Gabriel)について言っている。ここで this little guy とは目の前の赤ん坊のことだが、
映画などを見ていてもわかる通り、英米人はよく赤ん坊を指して this little guy という
ことが多い。

44:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 07:10:07.01 83ZOAFTB0.net
OED さんのファンとして、OEDさんのYouTube チャンネルに意見・要望を言ってもよいだろうか?
(無論、コストのかかることなので、自由に却下してもらっても良い)
動画が長く感じるので、
(先日の質問スレの内容に関する動画など)
白板に予め英文を書いてレコーディングを始めるなど、
若干の事前準備的なことをして簡潔にする工夫があると良いかと思った
(中田敦彦さんの YouTube 大学のような感じ)
白板ではなくディスプレイの文字を映している人もいる
(強い要望ではなく、もし気が向いたら検討してもらえたら程度)

45:The OED Loves Me Not
22/09/17 07:16:23.05 yT+Hp/Cr0.net
(3) "You know," his (= Jonas's) father finally said, "every December was exciting to me
when I was young. (中略)"
Jonas nodded. He could remember ★the Decembers★ back to when he had become, well, probably
a Four.
Sunday の複数である Sundays など、曜日の複数形ならしょっちゅう見かけるが、
この上の一節にあるような December の複数である Decembers などの月の名称の
複数形で、しかもそれに the がついている例には、初めて出会った。そりゃ、そういう
用例もあるはずだと納得できるけど、実際に出っくわしてみると「なるほど」と
面白く思う。そして、もしも僕が英作文しないといけないとき、こういう文脈で
すぐに the Decembers という形を思い起こせるかというと、無理だった。
さらにもう一つ、上の一節に back to when S V とあるが、こういうふうに when の前に
back to をすんなりとはなかなか僕は英作文のときにつけることができない。
あれこれと、「ええっと、back to the time when とでも書けばいいかな」とか
言って思い迷う。こういうときに英語ネイティブは迷わずに back to when S V と
口からも指先からも流れ出る。

46:The OED Loves Me Not
22/09/17 07:21:27.98 yT+Hp/Cr0.net
>>43
そうそう。それは本当にそうすべきなのだ。だから僕は、Shakespeare の文章の
英文解釈などをするとき、それからいろんな英語の歌の歌詞の英文解釈をするときには、
必ずそうしていた。
ただ、もっと簡単な話をするときには、ぶっつけ本番でビデオの録画を始めてしまうので、
言うべきことをあらかじめすべて文字化しておいて大きく表示するなんてことを
やっていない。それは申し訳ないと思う。
話を聴いている人は、僕がぶっつけ本番で
その場その場で思いついたことをしゃべり続けると、かったるく長ったらしく感じて
いるだろうな。できる限り改善するようにします。

47:The OED Loves Me Not
22/09/17 07:28:13.79 yT+Hp/Cr0.net
>>43
Shakespeare の文章の英文解釈とか洋楽の英文解釈などをしているときには、
それぞれのビデオを作る前に物凄く時間をかけて準備していた。それでもなおかつ、
さらに至らないことがたくさんあり、かったるいビデオになってしまっている。
本当に面白くてためになるビデオを作る人は、必ず 10 分くらいに1本のビデオをまとめ、
そのたったの 10 分のビデオのために、10時間なのか20時間なのか、あるいは
100時間なのか知らないけど、膨大な時間をかけるそうだ。動画編集も大変だ。
僕も動画編集したいのだが、どうしてもその方法を覚える気になれない。
そういう時間があったら、1冊でも


48:多く洋書を読み、1本でも多く英語の映画を見て、 深く英語を知り、深い解説ができるようになりたい、と思ってしまう。 それに僕は、銀河鉄道999の鉄郎みたいに、機械文明を忌み嫌っている。



49:The OED Loves Me Not
22/09/17 07:46:43.14 yT+Hp/Cr0.net
Lois Lowry の "The Gicver" に出て来た面白い英語表現、特殊な表現、そして冠詞などの
問題を含んだ一節、そしてストーリーの面白さを伝える一節などを、思いつくままに
書き記していこう。途中で大きなネタバレになりそうなところには、「ネタバレ注意」と
書くようにするけど、うっかりと失敗するかもしれないけど、そのときには許してほしい。
でもたいていの人はすでに映画だけは見ていたりするだろうから、問題は小さいとは思うけど。
Mirrors were rare in the community; they weren't forbidden, but there was no real need of them,
and Jonas had simply never bothered to look at himself very often even when he found himself
in a location where a mirror existed.
(Lois Lowry, "The Giver," p.35; Chapter 3; Harper Collins)
ここでは、この社会にはほとんど鏡がないと言っている。なぜ鏡が必要なくなって
しまっているかというと、(続く)

50:The OED Loves Me Not
22/09/17 07:47:10.73 yT+Hp/Cr0.net
★★★ ここからはネタバレ注意 ★★★
この社会では、人間がみな記憶を失っていて、過去のことを知らない。数百年前までは
人々はセックスもして、恋愛もして、ぞくぞくしたりわくわくしたり、悲しんだり、
憎んだりしていた。そういう感情をすべて失った。おそらくは pills のせいだろう。
人々は、そういう感情はすべて不幸の原因になり、戦争や殺人や強姦を生んでしまうので、
感情を捨てることを選択したのだ。そして過去のことはすべて忘れてしまっている。
過去のことを知るには書籍が必要だが、この社会では、2人の人だけが書籍を
読むことが許されている。それは The Giver という指導者と、新規の The Receiver と
なった Jonas の二人だけなのだ。
感情だけでなく、感覚もなくなっている。寒暖や空腹や多様な色などを、この社会の
人はまったく感じない。緑も赤も青もなく、すべてが中間色のように見えている。
寒暖も感じないので、普通の快いぬくもりしか感じない。冬の寒さや飢え死にしそうな
極端な空腹も感じたことがない。すべては The Committee of Elders が決めた通りに
運営され、戦争も強姦も殺人も飢餓もセックスも恋愛も何もない。すべては
平坦な快さの中で進んでいく。
そういう社会だからこそ、鏡なんてものは全く必要ないのだ。
★★★ ネタバレ情報、これで終わり ★★★

51:The OED Loves Me Not
22/09/17 07:57:43.83 yT+Hp/Cr0.net
すでに小説を(日本語であれ英語であれ)読んだ人や、すでに映画版を見た人にとっては、
僕がネタバレ情報を含めて、そこに出てくるいろんな話をここで紹介したら、
その話の筋を思い出すのに役立ったり、そこに出て来た英語表現を覚えなおすことにも
つながるので、よいことだと自己満足して、もう少しこれを続ける。
次のような一節もある。
★★★ ここから、少しだけネタバレ ★★★
Everyone had known, he (= Jonas) remembered with humiliation, that the announcement:
ATTENTION. THIS IS A REMINDER TO MALE ELEVENS THAT OBJECTS ARE NOT
TO BE REMOVED FROM THE RECREATION AREA AND THAT SNACKS ARE TO BE
EATEN, NOT HOARDED had been specifically directed at him, the day last month that he had
taken an apple home.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 38; Chapter 3; Harper Collins 版)
というわけで、(このとき確か)11歳の主人公 Jonas は、recreation の時間にそこに置いて
あった snacks を家に持ち帰ったことがあったのだが、そんなことをしてはならないという
指令が発せられたのだ。この社会では、こういう些細なことに至るまで、住民の
生活のすべてが規制されている。完全に全体主義の社会なのだ。
★★★ ネタバレ、終わり ★★★

52:The OED Loves Me Not
22/09/17 09:12:06.11 yT+Hp/Cr0.net
★★★ ほんの少しだけネタバレ ★★★
So Jonas laughed too, and with his laughter tried to ignore his uneasy conviction
that *something* had happened.
(Lois Lowry, "The Giver," p. 40; Chapter 3; Harper Collins edition)
上の一節では、主人公 Jonas が学校から黙って持ち帰ったリンゴを自宅で眺めていると、
そのリンゴに不思議なことが起こっていることに気づいた、と書いている。
リンゴを見ているうちに、それに色がついていることに気づいたのだ。
その社会の住民は、みんな感情や感覚を失っていて、多様な色も識別できなくなっている。
だから、赤も青も白もみんな、中間色のように見えてしまうのだ。
その中で、(確か、他の人には黙ってこっそりと pills を服用するのを自分だけが
やめてしまった後だったと思うけど)リンゴに赤い色がついていることに気づいたのだ。
世の中に色がついているなんてことは、その社会の住民は誰も知らないが、
Jonas はそれに気づいた数少ない一人なのだ。
それはともかく、この一節に出てくる something という単語の前後に * という印を
つけたが、原文では * という印はなく、その代わりこの単語が italics になっている。
このような、Something has happened. という言い回しを、僕は大学2年生(20歳くらい)
のときに読んだサルトル(Jean-Paul Sartre)の「嘔吐」の冒頭で出会ったのが最初だった。
フランス語の原題では La Nausee と言い、英語訳のタイトルは Nausea と言う。
Something has happened. という言い回しは、これらの本だけでなく至る所に出てくる
決まり文句なんだろうけど、最初にそれに出会ったときの Sartre の本が、多感な
僕のその頃の気分にぴったりのこの La Nausee という小説や、同じく Sartre の書いた
1,500 ページにわたる「存在と無」(L'Etre et le neant)を読んでそれに没頭していた
あの頃の僕の青春時代を思い起こさせる重要な言葉なのだ。

53:The OED Loves Me Not
22/09/17 09:16:35.00 yT+Hp/Cr0.net
上の投稿文に書いた Jean-Paul Sartre の Nausea (嘔吐) という小説の英語版では、
その部分を次のように書いている。
“★Something has happened to me,★ I can't doubt it anymore. It came as an illness does,
not like an ordinary certainty, not like anything evident. It came cunningly, little by little;
I felt a little strange, a little put out, that's all. Once established it never moved, it stayed quiet,
and i was able to persuade myself that nothing was the matter with me, that it was
a false alarm. And now, it's blossoming.”
Jan-Paul Sartre の「嘔吐」と「存在と無」には、僕は 19 歳から30歳のときまで、
ずっと没頭していた。

54:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 09:18:24.57 83ZOAFTB0.net
>>45
ありがとう
視聴者としても、文章を目で見ながら話を聞くと理解しやすいと思った
気軽な提案なので、余裕があればくらいに聞いてもらえたらと思う
>>46
動画作成にどの程度時間をかけるべきか、について
個人的には、(少なくとも現段階では)なるべく時間をかけないほうがよいと思う
視聴者数が多くなれば、トータルでのメリット(視聴者数 * 一人あたりのメリット)も比例して大きくなる
しかし現状では、視聴者数が少ないならメリットがあまり増えない
さらに言えば、視聴者数が多くなったとしても、
動画作成に時間をかけるのではなく、
時間をかけなくても簡潔な動画を撮れる環境・仕組み作りを工夫した方がよいと思う
白板にちゃっちゃっと文章を書いておくなど
(動画編集に比べたら無視できるコスト)
というのは、動画編集を凝っても、情報量が増えるわけではないので
(視聴者が学べることは同じ)
私もアナログ人間
(上で提案した白板に手書きは、アナログ的手法)

55:The OED Loves Me Not
22/09/17 09:48:33.49 yT+Hp/Cr0.net
>>52
真剣に僕の動画について考えたりコメントしたりしてくれて、ありがとう。
さて、>>10 >>31 にて、Elsewhere という言葉は、大文字で始まる固有名詞のようなものとして
この小説では使われていて、すでに" the Elsewhere + 関係節" という形については
紹介した。
これとは別に、"an Elsewhere + 関係節" の用例もこの小説で見つけたので、それも
紹介しておく。
He (= Jonas) saw all of the light and colour and history it contained and carried in its
slow-moving water; and he (= Jonas) knew that there was ★an Elsewhere form which★ it came,
and ●an Elsewhere to which● it was going.
(Lois Lowry, "The Givcer," p. 166; Chapter 17; Harper Collins edition)
上の用例では、Elsewhere と呼べそうな場所が少なくとも2か所あって、それぞれの
世界がどんなところかを説明している。

56:The OED Loves Me Not
22/09/17 10:03:35.38 yT+Hp/Cr0.net
Whatever. を単独で使って、一つの単語だけで文が終わる場合もあるが、これは
会話表現としてよく使われるようだ。ジーニアス英和、第5版では、これを
「なんでも、どちらでも、なんにせよ」と訳し、「叙述の内容に対する無関心や
諦めを示す。無礼に響くこともある」と書いている。ともかく、相手の言っていることに
対して「まあともかくさ」という感じで、適当にごまかしたいときに言う言葉みたいだ。
このような単独の Whatever. を、この小説では少なくとも2回、使っている。
(1) Asher という少年の台詞:"IMy swimming instructor said gthat I don't have the right
boyishness or something."
"Buoyancy," Jonas corrected him.
"★Whatever★. I don't have it. I sink."
(Lois Lowry, "The Giver," p. 67; Chapter 6; Harper Collins edition)
(2) Asher の台詞:"Games aren't *your* area of expertness.
"Expertise," Jonas corrected him automatically.
(Asher の台詞) "★Whatever★. You can't say what we play, even if you are going to be the new Receiver."
(ibid.; p. 170; Chapter 17; Harper Collins edition)
上の2つの用例では、両方とも、Asher が言った言葉が間違っていたので Jonas が
正しい言葉に訂正してあげると、Asher は Whatever. つまり「まあ、そんなことは
どうでもいいんだけどさ」というような気分で投げやりに言っている。これを僕は、
「まあともかく」とでも訳せばいいかな、と思っている。

57:The OED Loves Me Not
22/09/17 10:23:45.96 yT+Hp/Cr0.net
Memories are forever.
(Lois Lowry, "The Giv er," p. 181; Chapter 18; Harper Collins edition)
上の一節はもちろん「記憶は永遠だ」というものだが、この小説では一般の住民の
ほとんどが過去の記憶を(おそらくは pills と書籍を捨て去ったせいで)すべて
忘れさっている。だからこそここで、Memories are forever. ということを強調する必要が
あるというわけだ。
ところで、この "[Something] is forever." という言い回しは、最初に僕が見聞きしたときには
変な感じがしたと言うか、本当にこれは正しいのかと思った。
Memories last forever. あるいは Memories will last forever. なら理解できる。
しかし Memories are forever. なんていう言い方があるのか?そう思っていろいろ調べると、
Friends are forever. という決まり文句もあるみたいで、歌の題名にもなっている。
一般に、[Something] is forever. はもともとはもしかしたら非論理的な表現だったのかもしれないが、
簡潔に言いたいことが表現できているので、人々が自然に口にするようになり、
一般に流布したのかもしれないと僕は思っている。
なお、ジーニアス英和(第5)を見ると、Scotland forever! (スコットランドよ、永遠なれ)
という例文もある。大昔に長嶋茂雄という有名な野球選手が野球場で大勢のファンに対して
引退宣言をしたときに「巨人軍は永遠です」と言って、ファンたちの歓声を浴びたが、
それは The Giants are forever! と訳せるのだろう。そしてこのような言い回しは、
恐らくはもともと英語などの西洋諸言語の中で流行り、そのあとにそれが日本語に
直訳され、日本でも流布したのではないかという気がしている。
いずれにしても、こういう英語のキャッチフレーズは、たくさん覚えておいた方が
いいと思って、出てくるたびに暗記するよう努めている。

58:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 12:57:21.76 VQfXiEGp0.net
サルトルはいいね。英語で読んだ。

59:The OED Loves Me Not
22/09/17 13:33:32.41 yT+Hp/Cr0.net
>>56
ほう。Sartre の何を英語で読んだの?
ところで Jean-Paul Sartre と言えば、8年くらい前に Samuel Beckett から始まって
Harold Pinter をかじり、その Pinter が出演している Sartre の書いた "No Exit"
(フランス語での原題は Huit Clos で、日本語の題は「出口なし」) の BBC 版の
芝居のビデオが YouTube 上に投稿されていたので、それを見た。
Jean-Paul Sartre’s "No Exit": A BBC Adaptation Starring Harold Pinter (1964) | Old Movies Online
上のようなキャプションがついているから、検索してくれたらそれが観られる。
90分くらいのものだ。画像の質は悪い。Harold Pinter はもともと役者だったのだけど
劇作家になり、作家としてノーベル賞に輝いたが、彼の演技は下手だそうだ。
Harold Pinter は Samuel Beckett を若いころから崇拝しており、生前の Beckett とパリで
交流もしたそうだ。
Harold Pinter の書いた戯曲の映画版もいくつか YouTube 上に投稿されているので、それも
観たけど、Harold Pinter は Samuel Beckett よりもさらに僕にとってはわかりにくい。
はっきり言って、僕には Pinter がまるで理解できない。Beckett も難しいが、まだ
Beckett の方がよくわかるくらいだ。
Samuel Beckett の書いた戯曲については、そのほとんどが映画化されて DVD としても
販売されているので、僕はそれを買ったが、わざわざそれを買わなくても
YouTube 上で無料で公開されている。Beckett の作品の著作権や出版権を持っている人たちが、
もしかしたらかなり寛大で、YouTube 上でたくさんの彼の作品が無料で公開されていても、
文句を言わないでいるのではないかと思っている。

60:The OED Loves Me Not
22/09/17 13:41:15.30 yT+Hp/Cr0.net
Samuel Beckett については、8年くらい前に盛んに僕は5ちゃんねる上で膨大な書き込みを
したけど、その中でも特に Waiting for Godot (En attendant Godot) は最も大衆受けしやすくて
わかりやすく、捧腹絶倒だ。
Waiting for Godot with English & Arabic Subtitles
上のようなタイトルで、その映画版が YouTube 上で無料公開されている。英語としては
アイルランド訛りのある英語で、その訛りに慣れていなかったら最初は面食らうだろうけど、
慣れてくるとその訛りが実に味わい深く、Beckett 作品は何が何でもアイルランド訛り
で聴きたくなってくる。イギリスやアメリカの標準的な発音でなんか、聴きたくなくなる。
Godot 以外にも、Beckett の戯曲作品は数十本あるが、そのほとんどが映画化され、
それがYouTube 上で無料で見られる。わかりにくいものもたくさんあるけど、
もし興味のある人がいたら、ぜひともその脚本を読み、その上でこれらの
芝居を観てほしいと思う。
Godot つまり「ゴドーを待ちながら」以外で僕がとても好きなのは、Endgame (ゲームの終わり)
という作品で、絶望的な中での笑いがある作品だ。人類が滅亡する寸前に、荒廃した
地球上に残されたたった4人の人たちの人間模様を描いている。

61:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 13:44:43.70 WN0bF6NMd.net
>>57
おわかりのようなので私も野暮ですが
>>56は件の虚言癖の奴ですw
そいつは日本語ですらよう本を読みまへん
知的コンプと虚栄心だけは凄い

62:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 13:44:57.85 WN0bF6NMd.net
ageときますw

63:The OED Loves Me Not
22/09/17 13:51:33.07 yT+Hp/Cr0.net
Samuel Beckett の戯曲作品のうち、短いものとしては
Samuel Beckett Play 2001 (beckett on film)、15 分くらい
この上に書いたものが好きだ。もちろん YouTube 上に投稿されている。ただ、登場人物の
しゃべりが早すぎて、僕にはほとんど聴き取れないので、仕方ないからまずは戯曲の
台本を紙の本でしっかりと読み込んだあとに、この作品を映像で何度も観た。
この15分の作品は、人間存在の真実の姿をきわめて雄弁に描いていると思う。
なお、あまり台詞が理解できていなくても、あまり問題はない。そもそも、登場人物たちの
話の内容は、他愛ない3人の男女の三角関係に過ぎない。
ここで本当に重要なのは、
一人一人が死後の世界で、永遠にただひたすら自分勝手に、ただひたすら前だけを見ながら
支離滅裂にしゃべりまくっているだけだ。そしてこの姿こそ、すべての人間の
この世における姿を戯画化したものだと思う。
人間はみな、自由に動き回って人生を
謳歌したり愛し合ったり嫉妬し合ったり成功したり失敗したりしているように見えるし、
本人たちもそう信じ込んではいるが、実はこの3人のように、永遠に無意味に存在する
無数の丘の上にそれぞれが永遠に完全に孤立している壺の中に一人一人が閉じ込められていて、
互いの存在にまったく気づきもせず、互いに全く意志疎通なんて実はやっていないような
状態なのだ。
互いにまるで交流もしていないのに、僕らがこの世で見ている現実の
人間たちが互いに交流し合って影響し合っているかのように、幸福な錯覚を楽しんでいる
だけなのだ。そういうことをこの戯曲は見事に描き切ってくれていると思う。

64:The OED Loves Me Not
22/09/17 13:52:53.48 yT+Hp/Cr0.net
>>59
ありがとう。

65:The OED Loves Me Not
22/09/17 13:59:24.05 yT+Hp/Cr0.net
[1973] "Not I" (Samuel Beckett)
この上のようなタイトルの戯曲も、YouTube 上で観られる。15分ほどのビデオのうち、
最初の3分ほどは、この戯曲の主役として演技した Billie Whitelaw という素晴らしい女優の
Beckett との交流について思い出話をしている。そのあと12分ほど、この "Not I" という
芝居が演じられる。
口が動いているだけの作品だし、支離滅裂のように見える
台詞が続くし、ましてや僕ら英語ネイティブでない人間にとってはほとんどまるで
理解できないのだが、それでも Samuel Beckett は "If you don't understand my play
by intellect, don't worry. Feel it by heart." とか何とか、それに似たことを言っている。
きちんと頭で理解しなくていいから、心で感じてくれ、というわけだ。あとで
脚本を実際に読めばまた深い味わいが感じられてくるけど、台詞をまったく理解しない
ままでこれを見ても、何かを感じることができる。

66:The OED Loves Me Not
22/09/17 14:03:04.79 yT+Hp/Cr0.net
Samuel Beckett の "Waiting for Godot" (ゴドーを待ちながら) については、
   Nick Mount on Samuel Beckett's Waiting for Godot
YouTube 上のこのビデオにて、アメリカあたりの大学教授が50分にわたる講演をしている。
これにはとても明快で、実に洞察的で、とても感動した。

67:The OED Loves Me Not
22/09/17 14:18:05.57 yT+Hp/Cr0.net
Samuel Beckett についての documentaries も、3本ほど YouTube 上で公開されているが、
どれもこれも実に面白かった。さらに、紙の本で Samuel Beckett の伝記の英語版も
手元にあるが、それについてはまだ通読はしたことがない。そのうちの 1/5 くらいを
拾い読みしたに過ぎない。でも、ノンフィクションによくあるようなわかりやすい
英文で Beckett の生涯をうまく解説していて、ぜひともいつか通読したいとは思っている。

68:The OED Loves Me Not
22/09/17 16:12:45.49 yT+Hp/Cr0.net
5ちゃんねる以外の、日本人向け英語質問サイトは、どこも質問者と回答者の
レベルが低すぎて、いつも頭に来て退会してしまうが、今日も「教えて goo」をちらりと
覗くと、次のような質問がある。
****** ネット上の質問 ***********
Now it's a healthy 20 centimeters tall.
ヒナは今、背丈20センチにまで育ち、健康そのものです。
上記は、NHKラジオ番組ニュースで学ぶ「現代英語」のタンチョウのヒナについての記事の一文です。
提示文には名詞がないにも関わらず不定冠詞がついており、なぜなのか分かりません。
******** 引用終わり **********
こういうのは、きちんと辞書の a の項目において解説と例文がある。おそらくは
文法書の「不定冠詞の使い方」の項目にも解説があるはずだ。

69:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 16:19:11.24 yT+Hp/Cr0.net
>>66 のような件は、何もいちいち辞書とか文法書を見て学ぶんじゃなくて、
たくさん洋書を読んでれば自然にときどき出てくるので、「なぜかわからんけど、
ともかくこういうときには a がつくんだ」とわかってくる。そしてなぜ a がつくのかは、
文法学者が理屈をこね挙げて原因とか理由を説明するだろうから、そういう論文を
読みたければ読めばいい。

70:The OED Loves Me Not
22/09/17 16:24:43.82 yT+Hp/Cr0.net
英語圏で現地人と結婚して長いあいだ暮らしているから、英語関係の質問に答えて
人の役に立ちたいと言っている人自身が、こういうサイトでまともな回答も出せないでいる。
そもそも英語圏に行きたくても若い時には金がなくて行けず、やっとの思いで
金が貯まったころには周囲の家族などのために金がかかり、自分のためには
金が使えない状態で、おまけに毎日の仕事が忙しくて海外に行くなどとんでもない話で、
やっと少しだけ暇になったかと思うと、今度は親の介護で忙しくなって日本に閉じ込められ
たままでいる人もたくさんいる。そういう人たちが苦学して、恵まれた連中よりもはるかに
高い英語力をつけているという現実がある。
そういう連中よりもはるかに英語力を身に付けている。

71:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 18:28:42.42 XxDT4Nzi0.net
>>66
ふーーーむ???俺もわからん
教えてくれ!
ちなみに和英2つとロイヤル英文法見たけど何も載ってなかった
普通に考えたら、a要らんのに置いた、つまり英文が普通に間違ってるとしか思えんけど
もしくは最後に名詞を言うの忘れたとか

72:名無しさん@英語勉強中
22/09/17 22:01:54.72 DJsd5LRV0.net
>>66
tallの次にchickという前に使われた
単語が入るんでしょ

73:The OED Loves Me Not
22/09/17 23:19:27.33 yT+Hp/Cr0.net
>>66 については、これに似た表現が頻出すると思われる文献と言えば、通常の
小説よりもむしろ、数字がよく出てくる国際経済情勢の報告文だろうと思う。
そう思って
"an astonishing * dollars"
という string of words をそのまま検索すると、あっと言う間にたくさんの用例が並ぶ。
その他、
"a surprising * francs"
"a dizzying * feet"
などを検索すれば、たとえば "a dizzying 300 feet" みたいな感じの用例が並ぶ。
こういうのを普段からたくさんの英文の中で目にしていると、「ははあ、たぶん
こういうことだな」と思えてくる。
[a という不定冠詞] + 形容詞 + 数詞 + 単位 (たとえば meters, feet, dollars)
上のようなパターンが頻繁に出てくるのだ。数字のよく出る文献で探せばいい。
そうすれば、
In 2017 alone, MSU's research fund was an amazing $695 million dollars!
という用例の場合なら、
「驚くべき 695 milllion dollars という金額」
みたいな意味だとわかってくる。さらにこの最後には名詞なんてものは省略されていない。
日本人は自分がわからない用例に出会うと、そのあとに何かが省略されているのだ
と口を揃えて言う。僕も同じく最初はそう思ってしまう。

74:The OED Loves Me Not
22/09/17 23:30:26.31 yT+Hp/Cr0.net
手元の辞書で確認したければ、ジーニアス英和(第5)の a の項目の後ろの方に
載っている
a + 形容詞 + 数詞 + 単位 (meters, dollars など)
とか何とかいうパターンの表現についての解説と用例を見てみればいい。
「ウィズダム英和、第4」では、次のように書いている。
a(n) + 形容詞 + 複数形の名詞
(特定数をひとまとめにして)1つの
for a good five hours -- たっぷり5時間(good five hours を1つのまとまりと捉える a をつける。
good five がhours を修飾するという分析もある)
an estimated 200 million children (推定2億人の子供たち)

75:The OED Loves Me Not
22/09/17 23:45:20.62 yT+Hp/Cr0.net
There were/are an estimated 数詞 + 単位.
上のような用例は、世界の政治経済情勢の報告文によく出てくるが、検索すると
さっそく出てくる。
In 2021, there were ★an estimated 7.8 million people★ living with HIV in South Africa, of which 7.26 million knew their HIV status, ...
上のような例文を見ていると、people のあとに何かの単数名詞が省略されている
なんていう説明がつかなくなる。
あえて僕が説明を無理に加えるとしたら、このパターンに現れる a は、そのあとの
複数のものがあまりにも多かったり、あるいは推定されているものだったり、
悲しむべきものだったりしたときには、そういう性質を持つような実体なのだということ
(たとえば2億人も存在するとか、200ドルもの高額なんだとかいう事実なんだということ)
を一つの現象として捉えているので、自然に人間はそれを a でひとまとめにしたくなる
んだろうと思う。
そういうふうに、何かをひとまとめにしたくなるときに、英語圏の人は自然と
a という不定冠詞をつけたくなるらしい。だからこそ
a basic knowledge of French
などと言い、その a を省いた "basic knowledge of French" なんてことは言わないみたいだ。
「フランス語の基礎知識」を思い浮かべると、「ここからここまでの知識」たとえば
500ページくらいの文法書や基礎テキストを思い浮かべて、「これがフランス語の基礎知識」
なんだ、と彼らは連想し、それはひとまとめにしたくなるから、自然に a をつけたくなる。
しかし of French を省いて basic knowledge だけにすると、それはぼんやりした実体の
ないものになり、必然的に a がなくなる。ぼんやりしたものには不定冠詞はつかない。
どこからどこまでなんだよ、という限界(範囲)がある程度はっきりしてくると、
a をつけたくなる。

76:The OED Loves Me Not
22/09/17 23:45:39.29 yT+Hp/Cr0.net
そういう冠詞の基本的な概念をつかむための薄っぺらいわかりやすいガイドブックとしては、
わかりやすい英語冠詞講義  石田 秀雄
という本がよかったと記憶している。もちろん、冠詞関係の定番である
例解 現代英語冠詞事典  樋口 昌幸 (著)
という本が網羅的であり、冠詞事典(辞典)としてたくさんの用例を検索できるだけでなく、
それぞれの冠詞がここではなぜこうなるのかということをけっこう真剣に解説しているので、
本棚に置いている人は多いだろう。

77:The OED Loves Me Not
22/09/17 23:56:52.07 yT+Hp/Cr0.net
>>66
>>Now it's a healthy 20 centimeters tall. (it は the chick)
もしも chick という名詞が tall のあとに省略されているとしたら、
(*) Now it's a healthy 20 centimeters tall chick.
となるが、それは文法的に間違い。正しくは、
   Now it's a healthy 20-centimeter-tall chick. (ここでは centimeters と複数ではなくて
   centimeter という単数になり、しかも厳密にはハイフンをつけまくることに注意)
となり、しかも healthy は 20 centimeters tall であることを指すのではなく、あくまで
chik を指すことになる。つまり
Now it's a healthy chick 20 centimeters tall.
という意味になる。
原文の Now it's a healthy 20 centimeters tall. という表現では、あくまで healthy
という形容詞は chick にかかっているのではなくて、「20センチもの背の高さであるという事実」
を指している。「背の高さが20センチなんて、なんて健康なんだろか」と言いたいからこそ、
20 centimeters という数字と単位に対して healthy をつけ、そういう現実に a という
不定冠詞をつけて「この20センチという健全なる現実」をひとまとめにして
"a healthy 20 centimeters" と言っていて、そのあとにある tall は付け足しでしかない。
その他の用例
We collected ★a surprising 2,000 books★ by the end of the semester and began expanding the Foundation to other universities in the area.
(ネットより)

78:The OED Loves Me Not
22/09/18 00:18:21.51 ewBIjUek0.net
>>74 で紹介した樋口の「現代英語冠詞事典」は、冠詞だけのために 500 ページも費やした
事典だけど、冠詞の使い方についての細かい解説文だけじゃなく、冠詞の用例を実に
たくさん載せている。
今回の
"a + 形容詞 + 複数名詞"
についても、それだけのために何と 8 ページものページを費やしている。

79:名無しさん@英語勉強中 (スッップ Sdbf-fO9i)
[ここ壊れてます] .net
>>74
『わかりやすい英語冠詞講義』積ん読になっていたのを思い出させてもらえたことに感謝w
今やっと書籍現物を見つけることができました

80:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 02:41:59.81 aMXBq32g0.net
初代FFにさ、サンダーって魔法あるじゃん?
これって雷の魔法だけど、雷には音と光があるじゃん?それぞれ雷鳴と雷光って呼んだりするけど。
で、Thunderってのは雷鳴のことなんだよね、つまり音w
雷光のほうはLightningって言うんだよ。
だから欧米のゲームだと雷の魔法はちゃんとLightningBoltってなってたりする。
だから欧米の人にとって初代FFのサンダーは違和感ありまくりw
つまり何が言いたいかというと、今も昔も日本人の英語力って残念なんだなあと。
だって今でも多くの人がサンダーの魔法に違和感覚えないだろうしねえ

81:名無しさん@英語勉強中 (ワッチョイ ff5b-ldZd)
[ここ壊れてます] .net
(OEDさんの YouTube channel を見たら、
すでに最近の動画はPC画面取り込み等でわかりやすくなってた
それを知らずに先の要望を書いてしまった)

82:The OED Loves Me Not (ワッチョイ ff89-W3aP)
[ここ壊れてます] .net
Lois Lowry の "The Giver" の小説版は読み終わったけど、僕が持ってる Harper Collins の
paperback は、一回だけしか読んでないのにさっそく何ページも剥がれ落ちてくる。
木工ボンドで何度も何度も修復したけど、もうだめだ。あとからあとからページが
脱落してきて、もし2回も読んだらすべてのページがばらばらになってもおかしくない。
修理するのも面倒だ。日本の業者から古本で 720 円くらいで買ったものなんだが。

日本の本も外国の本も、30年くらい前からだろうと思うが、製本や紙の質が
ガタ落ちだな。5,000 円から 10,000 円で買ったハードカバーの本でさえ、ページが
どんどん剥がれ落ちて来たりする場合もある。そうかと思うと、日本製であれ
洋書であれ、安い paperback でも思いっきり酷使しても健全なままでいるものもある。

印刷所がどのような紙の質や製本方法などを採用しているかによって、大いに
出来栄えが違うんだろうな。

それはともかく、小説版を読み終わった後、YouTube 上で 300 円ほど払って
一回だけ映画版を昨日、観た。小説版で味わったあとに映画版を見て内容を
確認することができて、まあまあ満足した。ただしおそらくは、微妙なところで
小説と映画とは違っているんだろうけど、たとえそうだとしても、たったの 90 分ほどの
映画でこういう世界を描こうと思ったら、あまり忠実に小説の内容を描くのは無理だろうから、
これはこれでいいんだろうな。Jeff Bridges の演技も渋くてよかったと思うし。

しかしいまだに、この程度の映画さえ大して聴き取れもしていないのが哀しくもある。
36 年前からずっと、英語の映画やドラマやドキュメンタリーなどは、すべて
日本語字幕も英語字幕も吹替も何もなしで頑強に見続けてきたが、字幕も吹替も
無視して英語音声だけを聴いて、気が向いたら同じところを5回以上も聴き直すことが
あるけど、だいたいからして、5回ほど聴いても聴き取れなかったら、そこだけを
英語字幕で読み直して、そのあとにまた英語音声だけで聴き直しても、やっぱり
聴き取れはしないのが普通だ。

83:The OED Loves Me Not (ワッチョイ ff89-W3aP)
[ここ壊れてます] .net
3回ほど聴き直して聴き取れないものは、僕の場合はあと10年から20年ほど修業した
あとでないと聴き取れないものだ、と観念している。よく英語字幕や日本語字幕を
流したままで英語音声を聴き続けて勉強している人の話を聴くけど、そういうことを
やっても効果は薄いと僕は感じているからこそ、36年前にそんなことはやめて、
英語音声だけに集中してきた。

そして、3回ほど英語音声だけに頼って観直しても
なおかつその映画の筋や台詞が楽しめなかったら(つまり全体があまりよくわからなかったら)、
少なくともあと30年の修業が必要なんだと思っている。いくらその映画だけを何度も
聴き直したり台本を何度も読んだりしても、あまり効果はない。

英語力つまり読解力やスラングの知識や専門用語の知識や崩れた発音への習熟度など、総合的な
英語力がどの程度に高まっているかによって、それぞれの難易度の映画などが
どれくらいに理解できるかが決まる。まあ、当然と言えば当然のことだけど、
ついついそんなことは忘れているかのように、相変わらず字幕を流しっぱなしで、
そればかり読みながら英語を聴き続けて、ある程度は効果があるものだと信じ続けている
人がたくさんいる。

84:The OED Loves Me Not (ワッチョイ ff89-W3aP)
[ここ壊れてます] .net
>


85:;>79 そうでしたか。僕はつい2年くらい前だったか、僕にとっては高額の videorecorder を 買ったので、おかげで PC 画面を視聴者に見せながらしゃべることができるようになったのです。 以前は、ビデオ編集ができない僕には、PC 画面を見せたくてもできなかったのです。なぜなら、 パソコンに内蔵された安っぽいカメラだけを使ってビデオを作っていたからです。 パソコン内蔵のカメラを使ってしゃべるとなると、自然に僕は顔を見せなくてはならなく なり(最初は顔を見せたくなくても、嫌でも顔を見せることになり、)そのカメラに 向かって紙に書いたいろんなものを見せながらしゃべったりしていました。だから パソコンの画面を見せることができなかったのです。 マイクを買って接続すれば簡単だとか、あるいは編集機能を使えば簡単だとか他の人から言われそうだけど、 そういう芸当はまったくできなかったから、パソコン内蔵のカメラを使っているときには、 ともかく不器用なことしかできなかったのでした。まあ、今でもやっぱり不器用な ビデオしか作れませんけど。



86:The OED Loves Me Not
22/09/18 05:43:36.86 ewBIjUek0.net
>>79
もう少しましなマイクを使うとかすれば、もっと僕の声がはっきり視聴者に聞きとれて
わかりやすくなるだろうと思うのだけど、マイクを買って接続したら、不器用な僕は
結局どうしてもうまく接続できず、マイクを使わないままで終わってしまいそうだから、
買わないでいます。8年くらい前に 3,000 も出してマイクを買ったことがあったのですが、
使いこなせずに棚に積みっぱなしになってしまっていたのです。
その他、いろいろ改善したいことがいっぱいあるけど、とことん不器用なのです。
そもそも、僕がパソコンを初めて触ったのは 31歳のときでした。そして他人から少し
でも使い方を教わったのは、5人だけの小さな会社で働いていた3か月のあいだだけでした。
あとは今まで33年ものあいだ、ずっと一人で自宅で閉じこもって仕事をしてきたので、
他人との交流がありません。だから、誰からもパソコンの使い方を教わることがありません。
さらには、僕の年代の人たちはほとんどがパソコン音痴で、
逆にパソコンに無知な僕の方が同年配の人たちにパソコンやスマホの使い方を教えないと
いけないのです。だから、僕よりも若い世代(特に10代から30代の人たち)から見れば、
僕はパソコン関係にまったく無知なだけじゃなくて、思いっきり怠惰なんだと思われて
も仕方がないですね。

87:The OED Loves Me Not
22/09/18 07:20:16.66 ewBIjUek0.net
最近になって僕が毎日、食事などしながら観ている YouTube 上の映画としては、
The Seagull full movie
というものがある。2時間くらいの、Annette Bening 主演の見事な映画で、Anton Chekhov
原作の "The Seagull" (かもめ) の映画化作品だ。Chekhov は昔から、太宰治を含めて
たくさんの人が絶賛する戯曲作家・小説家だけど、なかなか馴染めなかった。
つい3か月ほど前になって、やっと馴染み始めた。YouTube 上に日本語版の
チェーホフ戯曲の芝居も少しは見られるけど、英語で観ればたくさん、しかも
演技の見事なものが観られる。
僕が気に入っている Anton Chekhov の英語版の芝居として、YouTube 上で無料で観られるものとしては、
次のものがある。
(1) Anton Chekhov: Uncle Vanya というタイトルで投稿されているもの。2時間10分。
David Mamet という有名な脚本家が脚色したものを映画化したもの。演技が見事なんだけど、そもそも
僕は Chekhov の戯曲の中でこれが一番好きなのだ。
(2) さっき紹介した The Seagull full movie というタイトルで YouTube 上で投稿されているもの。
数年前にロードショーで公開されたばかりのものだから、普通は著作権が絡んで
YouToube 上で公開するとすぐに削除されてしまうが、これだけはいまだに残っている。
Amazon Prime などでは有料で常に観られるようになっていたはず。
この作品は、原作である脚本もいいけど、それを観やすく聴きやすい形でメジャーな映画として
発表されたものだから、舞台上で上演されるのが普通であるようなこういう戯曲に
慣れていない僕のような人間や、Chekhov 初心者であるような僕にとっては、
とてもありがたい映画化作品だ。ともかく快く作品の中に入っていける。古典作品で
アリながら、しかも英語なので僕らにとっては日本語と違って、よほど観やすく
近づきやすい作品でないとうっかりチンプンカンプンになってしまいがちだが、
これはそんな僕らにとっても近づきやすくわかりやすい作品になっている。
だから、最初は2回くらいしっかり見て理解して、そのあとは毎日のように食事でも
しながら気に入った部分だけを漫然と聞くのも楽しい。

88:The OED Loves Me Not
22/09/18 07:27:17.77 ewBIjUek0.net
YouTube 上でほとんどの Chekhov 原作の戯曲の英語版の芝居の映画化したものが
無料で観られるので、それをほとんど(とは言っても、ほんの 6 本くらい)を
観て、そのうえで Penguin Books 版の Chekhov 戯曲の数本を読んだ。
こういう有名な戯曲の場合は、YouTube などで芝居の映画版を見て、その細部を
紙の上で確認したいときには、いつでも Penguin Books などの権威ある version で
確認できるから好都合だ。
ただまあ、もともとはロシア語の作品だから、それを英語訳したものとなると、
ロシアの文化やその翻訳を通しているがゆえのわかりにくさのゆえに、
英米の作品を英語(つまり原語)で読んだり聴いたりするのとは違って、
どうしてもわかりにくくなる。
でもロシア文学などのロシア文化は、やはり
昔から世界中で親しまれ、僕自身も Fyodor Dostoevsky の "Crime and Punishment" の
英語版を初めとして昔から大いに親しんできたので、ロシア文化やロシア文学を
英語翻訳を通して吸収することは、これからも大いにやっていきたい。

89:名無しさん@英語勉強中 (ワッチョイ ff5b-ldZd)
[ここ壊れてます] .net
大型で猛烈な台風が迫っているので、
屋根瓦が飛ばないように大屋根に登って補強した
数年前の台風では屋根が壊れ、瓦が飛んで階下のものも壊れて大変だった
家が古く、屋根の土も痩せて、屋根が壊れやすくなっている
なんとか壊れずにもってほしい
(もし壊れたら、かなりの期間をかけて自分で直すので、
その間、英語関連の活動ができなくなってしまう)

(英語と関係のなさそうな(私にとっては大有りだけど)ことを書いた
このスレが yet another 雑談 thread だったらよかったのにと思う
(英語のことも、他のことも話せるスレ)
雑談が望まれない雰囲気ならば、あまり書くまい
雰囲気を見て書く内容は決めようと思う)

90:The OED Loves Me Not
22/09/18 10:48:13.60 ewBIjUek0.net
>>このスレが yet another 雑談 thread だったらよかったのにと思う
もしここでもよかったら、何でも好きなことを書いていいですよ。だいいち、僕一人が
力んだところで、何もどうなるものでもないしね。僕は他の人が何を書こうと、それを
阻止する力も権利もないんだしね。ただ、僕は僕でこういうことを書いていきたいと
思って僕流のことを書き続けてきただけなんだ。
誰かが思いっきり雑談して、別の人がそれに応答してスレッドが伸びていったら、
それでいいと思う。僕はそれに応答したければするし、その気にならなければ
まったく応答しない。ついつい僕は、別の人が書いたことに反応しないといけない
ような気になってしまうけど、なるべく自分の好みに忠実にやっていきたいと思う。
だから、僕が応答しなくてもどうか気にしないでほしいと思う。みんなは、自分の
好きなこと、英語にまるで関係ないことでも、たとえ猥談でも家庭内のいざこざについての
愚痴でも何でも書いてくれたらいいと思う。

91:The OED Loves Me Not
22/09/18 11:01:36.43 ewBIjUek0.net
ただ、僕は5ちゃんねるであれネット上の他のサイトであれ、特に雑談とか YouTube 上の
コメントとか Twitter 上の文章を読んでいて思うのは、あまりに軽薄化してしまっている
ということだ。雑談とかいうけど、雑談にさえなっていない。そもそも自分が何を
言っているのかを明確にさえしない。便所の落書きにさえなっていない。
テレビが家庭に普及し始めたころ、「一億、総白痴化」と言われたけど、
その白痴がどんどん進み、さらに自動車が普及してみんな歩かなくなり、
まさに一億人が豚のようになっていき、PC やスマホが普及して、みんな
もっと勉強して少しはマシな人間になるなんてことはまったくなく、ますます
怠惰になっていき、スマホではエロ漫画やゲームに興じるだけ。
人間は、自らの衝動にそのまま身を委ねてしまうと、そのままブタ化するだけなのだ。
(ただし僕は、生物学的な豚を侮辱するつもりはない。本物の豚は、豚として
生きる以外に生きる道はない。第一、豚は猪か何かから人間どもが自分たちの
都合のいい品種を作り出して、その豚(そして牛や鶏な土他のたくさんの家畜)の
体に手を突っ込んで無理やり受精させ(つまり強姦し)、強制的に妊娠させ、
繁殖させ、大工場でその家畜たちを閉じ込め、ひたすら食肉を提供するだけの
ための奴隷として生きながらえさせ、あらゆる自由を否定され、体を一歩も動かすことが
できないまま「とさつ」(食肉を得るための「とさつ」がそもそも漢字に変換できないように
人間どもがワープロ機能を制限してしまっているから、漢字変換できないが)される
日を待つだけなのだ。
こんなにまで頽落した人間どもは、生きる資格などない。
僕が雑談を許されるなら、こういう話しかできない。どこぞの雑談スレみたいに、
白痴の集まりのようなことは書けない。

92:The OED Loves Me Not
22/09/18 11:04:38.57 ewBIjUek0.net
幼いころからだと思うが、この世に僕の生きる場所はないとずっと思って生きて来た。
この地球は、豚小屋でしかない。豚が一人前に二本足で立ち、大地の主人であるかのごとく
周囲のすべての動物や植物を奴隷化し、地球を破滅させ続けている。そういう豚どもに
生きる資格などない。

93:The OED Loves Me Not
22/09/18 11:13:33.39 ewBIjUek0.net
屠殺(とさつ)
そうそう、>>88 では、この字が書きたかったのだ。それなのに、通常の漢字変換アプリでは
その文字が出てこない。これは、人間どもが自らの自分勝手な欲望を満たすために
動物たちを大量虐殺し続けているという現実を直視したくないから、なるべく
漢字変換もできないようにしているのだ。
YouTube 上からも、動物虐待の現実を
暴くビデオが以前はたくさんあったのに、今ではそれが見られなくなったそうだ。
その他、戦争でアメリカなど欧米列強が手前勝手な理由でアラブやアジア・アフリカの
弱小国の罪なき人々を虐殺し続けているのに、その現実を報道するビデオなどが
表面には出てこないように小細工してやがる。

94:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 11:30:29.41 sq+B9lSi0.net
そう言えば、「牢」の字もそのまま「牢屋」の意味から来てるのかな。

95:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 11:40:19.68 69DBENfa0.net
屠殺は普通に変換できるけど
少し休んだ方がいいと思う
youtube久しぶりにみてよくわかったけど
OEDさんはアスペルガーなんだよ
だから二次障害起こさないように正しい知識で自衛する必要がある

96:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 11:44:47.69 0k+xiEiId.net
>>88
動物に対するOEDさんの見解に私も全面的に同意です
だから私は飼育の仕方ととさつ方法が特に度しがたく残酷な豚さんと鶏さんをなるべく食べないようにしています
卵もできるかぎり平飼いのものを頂いてる
OEDさんは石原慎太郎という人間のクズが、水俣病患者のことを嘲笑し罵倒した事実はご存知ありませんか?

97:The OED Loves Me Not
22/09/18 11:50:48.23 ewBIjUek0.net
>>石原慎太郎という人間のクズが、水俣病患者のことを嘲笑し罵倒
知りませんでした。無知で申し訳ないことです。

98:The OED Loves Me Not (ワッチョイ ff89-W3aP)
[ここ壊れてます] .net
>>Now it's a healthy 20 centimeters tall.
この上の課題文に出てくる a という不定冠詞について「教えて bad」にて質問があったが、
このサイトにせよ他の知恵袋や OK Wave にせよ、イライラするので何度も退会して、
またもや入会しなおすということを繰り返してきた。今回も、放っておくつもりだったけど、
あまりのデタラメな回答しかついていないままで放置されているので、またもやイライラ
して、僕は回答してしまった。入会しなおすのに、またもやいろんな個人情報を


入力させられ、おまけに以前に登録したメールアドレスだけではなく、新たに別の
メールアドレスまで入力しないと再入会できなくなり、仕方なくそうした。
おまけにくだらないサービスにも入会させられ、面倒なこときわまりなかった。

だからこれからは、どんなに腹が立っても退会はしないようにしよう。
退会しても、やっぱりまた入会しなおして、この質問にだけは答えないといけないなどという
変な正義感にほだされてしまって、またもや下らない手続きを踏むことになるから。

99:The OED Loves Me Not (ワッチョイ ff89-W3aP)
[ここ壊れてます] .net
それにしても、なぜこの程度の初歩的な質問に対して、何十年も英語圏で暮らしていて
英語上級者気どりの連中、しかも僕を侮辱までしやがる連中が、これにちゃんと
答えられないままでいるのか?それに腹が立つので、僕は回答しないではいられない。

僕は、怠惰のゆえに間違った回答しかできないままでいるとか、他力本願のゆえに
質問ばかりしていて自分ではろくに勉強しないとか、小山(こやま)の大将で
いたいから他の回答者を徹底的に攻撃し続けて追い出すとかいう連中が許せないだけだ。

100:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 14:19:09.22 g5V57hTyd.net
>>94
いえ、こちらこそ不躾にすみませんでした

101:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 14:26:06.25 g5V57hTyd.net
不躾ついでに失礼致します
>>95を読んでOEDさんの義侠心やよし、と思うと同時に、
>>92氏の言われるように、OEDさんにはASDの気配があるように私も感じ、やはり二次障害に気をつけて頂きたいなと思いました
その個性のために対象を妥協なく探究されているのは素晴らしいなと
でも休息もうまく取られてください

102:The OED Loves Me Not
22/09/18 15:39:19.68 ewBIjUek0.net
>>98
はい、気を付けます。

103:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 16:38:05.04 sq+B9lSi0.net
おれには、英語板ではこのスレが、今や一番読み応えがある。
おもしろいし、読むだけでもためになる

104:The OED Loves Me Not
22/09/18 16:45:05.99 ewBIjUek0.net
>>100
それは、本当にありがとう。あらゆる疲れと緊張感と絶望感が、一時的にとはいえ
ほぐれた。

105:The OED Loves Me Not
22/09/18 16:58:16.09 ewBIjUek0.net
今までに何度も言ってきたことだけど、僕が英語で読んだものの中で最も一生懸命に、
何度も何度も読み返して、中身をかなり覚えこんでしまったものと言えば、
何と言っても Fyodor Dostoevsky の "Crime and Punishment" だ。(>>100 が誉めてくれたので、
調子に乗ってまた書き始めている。)
"Crime and Punishment" については、YouTube 上で僕は何十本もビデオを作って、
その小説の英語版を使って英文解釈めいたビデオを何十本も作った。でもそれを作った
ころはまだ YouTube でしゃべることに慣れていなかったので、聞き苦しいものしか
作れなかった。5年ほど前だったかな?
それよりもだいぶあとに、"Crime and Punishment" が僕にとってなぜ面白いかについて、
英語で 90 分ほど語るビデオを作った。
"crime and Punishment" は、まず日本語で高校2年のころだったと思うけど、1度だけ読んだ。
そのあと、高校2年のときに Penguin Books 版で挑戦してみた。なんせ 600 pages くらい
あるので、その頃の僕には最後まで読める自信なんてまったくなかったけど、
一応は挑戦してみた。それで、最初の 200 pages ほどだけは読めた。
ロシア文学はどういうわけか、英語で読むと他の物に比べて比較的に読みやすい。
それはなぜなのか?作品そのものが僕にとって(そしておそらくは他の人たちに
とっても)感情移入しやすいから、少しくらい難しくても先を読もうという
情熱が湧きやすいという理由もあろう。
しかし何と言っても大きな理由はたぶん、たとえば英米文学を英語で読むとなると、
スラングや方言や、それ以外のあらゆる馴染みにくい単語もすべて駆使して作家は
書いているから、僕らにとってはわかりにくいんだろうと思う。
(続く)

106:The OED Loves Me Not
22/09/18 17:12:32.50 ewBIjUek0.net
(続き)しかしヨーロッパ文学の英訳となると、たぶんスラングや方言などが英訳の中では
薄められてしまって、その結果として文章が平易になるのではないかという気がする。
それについては、僕はロシア語が読めないので、ロシア語原文と英語訳とを
客観的に読み比べることができないので、何とも言えない。ただ、数十年前に
有名だった日本人のオピニオンメーカー(名前を忘れた)が、ロシア文学は
英語で読んだ方が日本語で読むよりも面白いと言っていた。そういう感想を持つのは
僕だけではないのかもしれない、と思った。
ともかく高校2年のとき、おそらくは英語で読む長いものとしては初めての本だった
けれども、200ページも読み続けることができて、(たとえ最後まで読んだわけでは
ないとはいえ)自信がついた。それなりに文章が楽しめたのだ。しかも辞書なしで。
いつも言うように、僕は高校2年の最初からずっと丸2年間にわたって、毎日2時間から
3時間くらいずつ OALD に似た 1,000 ページにわたる英英辞典を使い続けていた。
英和辞典はほとんど使わなかった。
おかげで英文を読む基礎訓練になったらしい。だからそのあと、割に楽に洋書に挑戦する
ことができた。日本語との対訳書ではあったけど、Alice in Wonderland も、そのころ
最後まで一応は読んだ。その頃はその作品の面白さは、あまりよくわからなかった。
でも、その頃(つまり今から50年近くも前)には、東京に比べれば田舎と言える
大阪の住宅都市に住んでいた僕としては、周囲にはろくな洋書がなかったのだ。
だからこそ、僕の嫌いな、日本語による解説付きの英語の本を読まざるを得なかった。
そのうち、本物の洋書つまり日本語がまったく書かれていない英語だけの本で、
しかも Crime and Punishment 以外のもので、もう少し短くて楽に最後まで読めそうな
ものを探し回った。
幸いにして、僕が住む住宅都市から大阪梅田(つまり大阪で最大の町)にまで電車で
向かい、そこにある大型書店2件を何度も何度も訪ねていき、そこの、畳 20 畳から
40 畳くらいの狭い洋書売り場に、一回当たり5時間くらい粘って、いろんな洋書を
拾い読みするようになった。高校2年から、そんなことをやっていた。(続く)

107:The OED Loves Me Not
22/09/18 17:18:31.24 ewBIjUek0.net
最初は、興味本位の性教育の本を買った。
Everything You Always Wanted to Know About Sex but Were Afraid to Ask
という本であり、今では改訂新版が出ているけど、僕が買ったのはその当時の古い版だった。
300 pages くらいはあったろうか。それを最後まで読んだか、あるいは大部分を読んだのか
は覚えていないが、ともかく辞書なしであちこちを読み、文章が面白いと感じた。
たとえ興味本位の少しエッチな本とはいえ、英語でまともに何とか内容がわかると
感じて、うれしかった。
とはいえ、やっぱり高校2年では、まだまだ読解力が足りなかったらしく、ほんの
2冊くらいを読んで自己満足するだけだった。それにやっぱり、人生に思い悩む
僕は、英語では哲学や人生論や濃厚な純文学を英語で読んでもわからなかったので、
日本語でともかく難解な本をたくさん読んでいた。だから、英語だけに打ち込む
気にもなれなかった。
高校3年の終わりごろ、受験勉強を兼ねているのだと自分に対して言い訳しながら、
大阪梅田の大書店で買った10冊くらいの、1冊あたり 100 ページくらいの Ladder Edition
というシリーズの本を買って、それをすべて読んだ。これは、今の Oxford Bookworms
みたいなシリーズであり、使用単語数を 1,000 語から 3,000 語くらいに抑えながら、
難しい本を易しくて短くまとめたシリーズだった。さすがにそういう本は、
味気のないものだったけど、洋書を読んで間もないころは、今と違って、下らない
本を読んでもけっこう面白く感じた。洋書を読んでるんだぞ、という変な自己満足の
おかげで、先へ先へ、そして何冊も何冊も読もうという mot


108:ivation を高めることができた。



109:The OED Loves Me Not
22/09/18 17:27:30.54 ewBIjUek0.net
僕は高校時代、レベルの高い大学へ行きたいという野望も少しはあって、受験勉強と
呼ばれるものを他の学生と同じく、高校2年の後半に始めてはみた。でも、3か月で
飽きた。17歳とか18歳という多感な時期に、僕の前には学問と芸術という広大無辺な
世界が末広がりのごとく広がっていて、70年というきわめて短い人生(そのころは、
人生70年と言われていた)に、膨大な知識体系と高邁なる感性とを身に付けないと
いけないという遠大な野望を抱き始めた僕にとって、目先の成功を目指すための
薄っぺらい大学受験勉強などというものに現を抜かす気にはなれなかった。
とはいえ、数学は小学生のころから好きだったので、その惰性によって一応は
得意で、数学の問題集の中にある超難解な問題もどんどん解いていくことには、
永遠の意味があると感じていた。特に僕がそのころに興味を抱き始めた哲学の
世界を逍遥するためには、数学的思考が大事だと言われていたので、数学を
重視しないといけないと思っていた。
英語については、受験を意識しないで、ともかくたくさんの英文を読もうと思っていた。
しかし、英語の文法用語が大嫌いで、5つ以上の文法用語が並ぶと、相手を殴りたくなる
くらいに虫唾が走った。だから英語教師の話も、高校2年のときから大学の終わりまで、
ほとんど聴かなかった。授業中は常に、高校時代には英英辞典を常に読み続け、
大学の授業では常に、自分の選んだ洋書を読んでいた。

110:The OED Loves Me Not
22/09/18 17:44:12.05 ewBIjUek0.net
"Crime and Punishment" の話に戻ると、高校2年のときに Penguin Books 版を 200 pages だけ
読んだ。それをついに読破したのは、大学2年つまり20歳のころだった。
大学受験勉強には不熱心だったので、余った時間はすべて日本語のいろんな本(哲学
めいたものや人生論とか、英語の達人が書いた英語学習のための本とか、いろんな
小説)を読むことと、洋書をほんの 15 冊ほど読んだと思う。しかし高校時代に読んだ
洋書と言っても、使用単語数を抑えたものであり、しかも 150 pages 以内の薄っぺらい
ものだった。
大学に入ると、やっぱりもっと長いものを読まないといけないと思った。だから今度は、
童話に移った。使用単語数を抑えてあるものではなくて、Penguin Books の姉妹版である
Pelican Books という児童書専門のシリーズから、あれこれといろいろ買ってきて、
いろいろと読んだ。
最初はさすがに、100ページとか150ページとかいう、短いものばかり読んだ。最初から
300ページのものなんて、やっぱり読もうという気にはなれなかった。Andersen's Tales
とか Grimms' Fairy Tales とか、いろんな童話を読んだ。200 pages 以内のものを
30冊くらい読むと、今度は 300 pages くらいのものを読んでも平気になった。
大学2年の終わりまでに、そんなふうに童話中心に50冊くらい読んだのだろうか?
大学3年くらいから、童話を読むのはやめた。やっぱり大人向けの物が読みたい。
たくさんの難しい本を片っ端から読みたい。とはいえ、段階を追わないといけない。
最初はともかく、思いっきり簡単なものをたくさん読まないと、難しいものなんて
最後まで読む気力も出てこない。

111:The OED Loves Me Not
22/09/18 17:44:27.58 ewBIjUek0.net
大学4年間には、結局はあまり難しいものは読めなかった。だから大学の後半の2年間は、
大人向けの娯楽通俗小説を英文で読むことに費やした。しかしその中で、少しだけ
長いものも読んだ。1冊は、Margaret Mitchell による "Gone With the Wind" だ。
これは paperback で 1,000 ページもあった。これを最後まで読めるかな、と思ってたけど、
何度も中途で休んで、ああこれで挫折かと諦めかけていたころ、また数か月後に続きを
読んだのだろうと思うけど、大学の3年ごろに最後まで読み切った。
僕としては、一応は大人向けの英文小説を1,000ページも読破したのは、生まれて初めてだった。
"Crime and Punishment" の600ページほどを読み切ったのも、やはり大学3年のころ
(つまり21歳ごろ)のことだった。長い大人向けの洋書を2冊も読み切って、僕は
うれしかった。たとえ自己満足でもいいじゃないか。それだけ日本人にとって、
しかも英語圏に留学なんてする金なんて手にする日なんて来なさそうな人間、
しかも周囲に英語が少しでもできる人がいない家庭に育った僕としては、それだけでも
うれしかった。
ある程度は自己満足したり、時には少しは傲慢になることを自分に
許さないと、とてもじゃないけど英語みたいに、少なくとも当時の日本(特に
大阪という、外国人がほとんどいない田舎)に住む僕としては、上出来だと自分を
誉めながら出ないと、日本語の助けなしに洋書を読んだり映画を観たりなんてできない。

112:The OED Loves Me Not
22/09/18 18:08:53.35 ewBIjUek0.net
松本道弘は、英語を身に付ける修業のことを「剣道」や「柔道」と同じく「英語道」と
名付けて、まるで武道などの精神修養か何かのように言っている。そして彼は、
「君は、英語のために死ねるか?」とも言っている。
大げさだとか、日本に原爆を落としたアメリカとか、それに加担して日本を戦後も痛め
続けてきて、それ以外の有色人種をも虐待・略奪してきた欧米列強に尻尾を振って
英語なんてものにそんなに打ち込む必要などない、という意見もあろうし、
「英語のために死ね」などと言われても、俺にはそんな気になれない、と
真剣に僕に反論してくる人もいる。
松本道弘も僕も、「英語のために死ね」などとは言っていないし、英語に興味が
ない人は最初からやらなくていいし、どうしても仕事などのためにやらないといけない
なら、適当にやっていても十分に食べていけるのだから、そんなに真剣にやる必要は
ないと思う。
しかし松本道弘は、自分には厳しい。そして僕は彼の生き方に常に惚れ込んできた。
彼に似た国広正雄や松本亨(まつもと・とおる)や東後勝明にも憧れて来た。
日本のように、少なくともつい最近までは英語なんてものにはそんなに真剣にならなくても
十分に食べていけるし、ましてや英語でたくさんの本を読む必要もなくて、日本語訳を
読めばたくさんの洋書の内容を知ることができるじゃないか、と思う。
しかし、中には英語で食べていかないといけない人がいる。僕みたいに、英語で食べて
行かなかったら、絶対に途中で飢え死にするしか他がなかったような、柔軟性のない
人間もいる。そういう僕などにとっては、英語に命を賭けるくらいの気分でやらないと、
ろくに英文も読めず、ろくに聴き取れないままで一生を終わる。

113:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 18:49:31.79 iHxEbsan0.net
>>75
ありがとう!
最初いまいちよくわからなかったけど、今ロイヤルとかをもっと細かく見たりしていてなんとなく腑に落ちてきました

114:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 18:51:11.76 WgJtIlkX0.net
松本道弘は今でも上野で道場やってるよね

115:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 20:54:46.43 ivkaMbZE0.net
>>110
新型コロナ感染、ワクチン未接種で逝ったよ
URLリンク(matomame.jp)

116:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 20:58:51.49 69DBENfa0.net
反ワクだったのか
英語で合理性を学んでほしかった
と言いたいところだが普通に認知能力落ちてたんだろうな

117:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 23:19:33.03 isLRrEpi0.net
>>111
教えてくれてありがとう
残念ですね。
僕もワクチン打ってないよ

118:名無しさん@英語勉強中
22/09/18 23:21:59.98 Vc+b4eZyd.net
>>113
どこまでも虚言癖www

119:The OED Loves Me Not
22/09/19 00:01:14.50 Y8hRFC4A0.net
大学4年の半ばまでには、100 冊を読み切っていた。1冊あたり平均で 300 pages くらいだった。
傍らで、大学4年間は The English Speaking Society (ESS) に入って、思いっきり英語の演劇を
やったりしながら、英語で人生のことなどをしゃべりまくっていた。国際問題もよく
話題に取り上げられたんだけど、僕はそのころはまだ政治とか経済には無知蒙昧で、
そういう話題になるとしゃべれなかった。
そのころは大阪や神戸ではまだまだ外国人が少なかったので、日本人同士で英語を
しゃべっていた。大学キャンパス(とは言っても、幼稚園よりも少し大きい程度の
学園)では、英語で話しかけたら英語で返してくれそうな奴らと英語でしゃべっていた。
周囲はそういう僕らを煙たく思っていたが、そんな連中を相手にしていたら、永遠に
英語なんて日本人にしゃべれるようになるはずがない。嫌われ者になってやる、という
くらいの決意がないと、日本で英語がまともにできるようにはならない。ただし、
そこらへんの中途半端な高学歴の人々程度でいいのなら、誰でも英語が「できる」ように
はなるけど。

120:The OED Loves Me Not
22/09/19 00:16:58.09 Y8hRFC4A0.net
というわけで、大学4年の半ばまでに洋書を、原則として辞書は引かずに読み切り、
傍らで3年半のあいだ、英語を毎日しゃべりまくっていたので、当然のことながら
当時の英検1級は試験の準備なしに受けに行ったら受かった。
実は、僕は英検であれその他の英語検定であれ、その他いかなる試験であれ、まるで
興味はなかった。試験のための問題集とか参考書なんて、読んだことがなかった。
そういうものも役立つことがあるだろうと思って何度も買ったが、結局は開かないで
手放してしまうことになった。
その時代の英検1級は、読み書きは難しかったろうと思う。しかしその代わり、
リスニングは、今よりもはるかに簡単だったそうだ。なんせリスニング教材なんて
ないに等しく、東京・横浜・佐世保など一部の地域以外では、外国人は歩いていなかった。
それでも外国人と英語でしゃべってみたいと思っていた僕は、ときどき往復3時間近くも
かけて電車に乗ったり歩いたりして、外国人のいそうな場所に行き、捕まえて話しかけ、
ほんの5分ほどしゃべっては帰っていった。そういう、きわめて能率の悪い時代だった。
リスニングの教材と言えば、NHK の通信高校講座「英語」、英会話、基礎英語など、
いかにも英語を教える番組というものの他は、本屋さんへ行ってもリスニング教材は
仮にあっても、実に面白みのないものをオープンリールで売っていて、それが
べらぼうに高かった。5,000円とか10,000円というレベルだったような気がする。
だからあまりテープレコーダーも使わず、英語番組を観る時にはその場限りで必死で
視聴した。その緊張感はすごいもので、その場で聴き逃したらおしまいだ。だから、
再放送も含めて週に3回ほど放送されているときは、それらすべてを視聴する。
親戚のおじさんが遊びに来ようが、家族みんなで食事の時間が始まろうが、僕は
常に英語番組を視聴する時間を最優先していた。みんながまだ起きていないとき、
朝6時から英語番組をよく見た。ついでにフランス語・中国語・スペイン語・ドイツ語
なども漫然とではあるが視聴していたこともよくあった。

121:The OED Loves Me Not
22/09/19 00:30:28.37 Y8hRFC4A0.net
英語での映画やテレビドラマは、その当時はすべて日本語吹き替えだったから、
まったく見なかった。日本語でも見たいなどとは思わなかった。そもそも僕は
テレビドラマとか映画にはあまり興味がないのだ。今でも興味はさほどないが、
語学の勉強するにはとても好都合なので、興味がなくても何千本も(僕が30歳以降の、
ある程度はビデオや二か国語放送が普及したあとに)見ていた。
30歳くらいになるまでは、(映画館に入り浸れるくらいに金持ちの人は別だけど)
ろくなリスニング教材がないので、聴き取りは思いっきり苦手だった。たまにしか
本物の英語、つまり学習者向けではなくてあくまでもネイティブがネイティブに向けて
放送する番組や映画での英語を聴く機会が圧倒的に少なかったので、たまに聞くと、
まったくわからなかった。
でもそんな中でも、僕が中学生のときからすでに、Sesame Street だけは週に2回だけ、
1時間ずつ、日本語の解説も英語字幕も何もなしで、NHK で放映していた。金のない
僕にとっては、本場の英語を聴けるのは、それだけだった。だから中学3年のときから
毎週2回(つまり2時間)必死で Sesame Street を視聴した。最初は一言も聴き取れない。
単発でときどき単語だけが聴き取れても、全体の理解なんてできるはずがない。
半年か1年ほど経った頃、やっと Thanks a lot! と言っている Ernie (Bert と共演する
例の Ernie) の台詞が聴き取れて、感動した。そのあと、ほんの少しずつ聴き取れる
ものが増えていった。まあともかく、僕が Sesame Street みたいな幼児番組とはいえ、
大学1年の終わりごろまで、全部で5年ほど週に2回ずつ視聴し続けてやっとの思いで
70% か 80% くらいが理解できたと思ったころ、それを視聴するのはほとんどやめた。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch