14/07/01 00:21:27.50 8lv3XU4b.net
たとえば「地球は太陽の周りを公転している」という記述は「現代英文法」にはありません。
つまり【書かれていないこと】です。当然です。「現代英文法」が森羅万象を扱っているわけではないからです。
しかしながら、あなたによれば「現在完了形かつ現在完了進行形」というのは、「現代英文法」に
【書かれていること】なんですよね?
安藤の著作に【書かれていること】をあなたの「経験」によって「矛盾が生じ、非合理」としていいのですか?
⇒「共通認識」があれば、たとえ安藤の著作に【書かれていること】でも否定できる。
これが許されるのであれば、そもそも安藤の著作は不必要ということになりませんか?
安藤が【書いていること】とは無関係に、あなたと私の「共通認識」を「形式的解釈」と呼んでいるわけですが、
これがなぜ許されるのですか?