10/09/18 23:20:58 cQ9M85px.net
>>39
>大体さ,マルクス自身1巻の中で『共産主義は****資本主義的過程を乗り越えた上
>で****』つまり資本主義的私的生産によって否定された所有の帰属と労働の社会的
>性格(そしてそれは分業を前提)を揚棄した上で始めて自己の所有と社会の所有が
>一致し(アリエネーよ)共産主義社会が来るとしてるよね。手塚治虫が書いた
>労働はロボットがして人間は『必要労働から解放された後の』余暇を楽しむ
>社会の到達が来るに違いないという一種の機械万能信仰にはまってしまった。
それはマルクスの資本主義社会における労働観の叙述を共産主義社会の労働にまで読み込んで
しまった誤読ではないのか??
マルクスは「ゴータ綱領批判」の中で
「また労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なことと
なったのち、─<中略>─そのときはじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏みこえ
られ、・・・」と書いている。
つまり共産主義社会では、人間は労働を必要事として欲求する、とマルクスは考えていた。
歌劇『魔弾の射手』の狩人の合唱の「この世に狩人の楽しみに如くものあらんや?」といった、
賃労働以外の労働に関しては人間が昔から抱いてきた考えで、別に珍しい発想ではない。