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芥川龍之介、夏目漱石
1918年(大正7年)の秋、懇意にしていた小島政二郎(『三田文学』同人)の斡旋で慶應義塾大学文学部への就職の話があり、
履歴書まで出したが、実現をみなかった[3]。1919年(大正8年)3月、海軍機関学校の教職を辞して大阪毎日新聞社に
入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念する[4]。ちなみに師の漱石も1907年(明治40年)、
同じように朝日新聞社に入社している。
一応二人とも、サラリーマンもどきになったが、芥川龍之介が大阪毎日新聞社内で
高査定で役員になったわけでもないし、夏目漱石も朝日新聞社で役員になったわけ
でもなく、いずれも退職している。
三島由紀夫は旧大蔵省(現財務省)に合格したが、事務次官や審議官まで昇格
したわけでもなく、小説家として生きるために退職している。
組織に頼らないと仕事ができないのは、ただのボンクラなんだよ。
肝に銘じておけ。