17/06/07 18:26:04.47 OJi09bheM.net
>>236
この外交資料はとても面白いので、郵便史の専門家によって詳細な分析が雑誌に発表される事を望む。
ざっと見ただけで、
「日ソ郵便交換に関する件 (昭和6年2月27日調)」 (F0401コマ番号33-52)
ここに昭和6年までの経緯が簡潔に纏められている。
東海岸のオハ、ヌイオ、チャイオ宛の郵便物は西海岸の亜港(アレクサンドロフスク)との定期連絡がないので、
従来通り浦塩(ウラジオストク)経由を利用 (昭和2年2月) (F0400コマ番号35-44)。
海の結氷などで、季節により利用可能な経路が変わり、
更にソ連との外交交渉も絡んで経路の選択は大変だったようだ。
サハリンにおける通信(郵便、電信、電話)の現状について (昭和6年11月) (F0401コマ番号109-112)。
冬季には犬そり、馬そり便が出てくる。