25/08/25 09:33:36.50 BZz2aaXM.net
>>192
「ナチスの全体主張時代を経験」する前に事実上、追放されたね。ショスタコーヴィチのように権力に振り回され続けたわけではなかった。
最大の危機は時代をずらして歌劇「画家マチス」に描かれている。絶望の中でこういう時代における芸術家の使命を自覚したんだろう。
195:名無しの笛の踊り
25/08/25 09:34:21.64 BZz2aaXM.net
>>194
主張→主義
196:名無しの笛の踊り
25/08/25 15:13:10.63 wWujDmqQ.net
ナチス設立当初から目を付けられていたからな
当時はブレヒトらとも交流していたが、後に共産主義者と袂を分かった
197:名無しの笛の踊り
25/12/23 00:36:00.65 Sgg8mf6H.net
激しい嵐の夜、漆黒の闇の中に立っているとしよう。そこへ突如として稲妻(Flash of lightning)が走る。その一瞬の光の中で目の前の風景が細部に至るまで完璧な明晰さをもって浮かび上がる。
有能な作曲家の頭の中で起こる『ヴィジョン』とはまさにこのようなものである。彼はこれから書こうとする楽曲の全貌を一瞬のうちにまるで完成された建築物のように把握するのだ。
彼はその一瞬の光の中で、楽曲の始まりから終わりまでを同時にそして完璧な比率で見通している。その後に続く『作曲』という実際の作業は、消えてしまった稲妻の残像を頼りに、その広大な風景を少しずつ、骨の折れるやり方で地図に写し取っていく過程に過ぎない。
もしこの最初の『一瞬の閃き』が欠けているならば、作曲家は単に音を一つずつ並べていく迷子のような存在になり、全体としての統一感や必然性を持った作品を生み出すことはできないだろう。 ヒンデミット
198:名無しの笛の踊り
25/12/30 13:16:15.28 mpqz/hkh.net
主の偉大なる日は、突如として現れん、
暗い夜に忍び寄る盗賊のごとく、不意に人々を襲うのだ。
その時、かつての世の贅沢はすべて、儚きものと見なされ、
この世のすべてが過ぎ去ったことが、一時に明らかとなるであろう。
喇叭の轟きが地の四方に響き渡り、
生ける者も死せる者も共に、キリストにまみえるべく呼び集められる。
天なる砦より、威厳に満ち溢れた審判者が、
輝かしき天使たちの合唱を伴って降臨される。
月の円盤は赤く染まり、太陽は光を失い、
星々は青ざめて落ち、世界の枠組みは震えおののく。
選ばれし者たちはみな、主の右側に集められ、
その時より確信に支えられ、天上の国にて歓喜に満たされる。
正しき者たちは平和のうちに喜び、彼らが生前に積んだ功徳が、
偉大なる王、至高の審判者の前で光り輝く。
不義なる者たちは、炎の刑罰へと退けられ、
そこでは虫は死ぬことなく、火が消えることもない。
サタンは自らの従者とともに奈落へと沈められ、
不信心な者たちを待つのは、嘆きと歯噛みのみである。
ゆえに、大蛇の欺きを警戒せよ。毒蛇の噛み傷から逃れよ。
天上の力と、永遠の富を求めよ。
全力を尽くして神への熱意を守り、神を愛せよ。
そうすれば、キリストが再び来られる時、あなたは彼に従うことができるであろう。
199:名無しの笛の踊り
25/12/30 13:19:24.08 mpqz/hkh.net
パウル・ヒンデミット(Paul Hindemith)の「希望の謳歌」は、原題を『Apparebit repentina dies』(アパレビト・レペンティナ・ディエス)という、1947年に作曲された混声合唱と10の金管楽器のためのカンタータです。
URLリンク(youtu.be)
200:名無しの笛の踊り
26/01/06 19:21:29.99 F6UdM2Ks.net
世界の調和
201:名無しの笛の踊り
26/01/07 20:05:30.03 R7rIBiMz.net
「カルディヤック」新譜出るけど、初演版。改訂版のCD出してくれ。
202:名無しの笛の踊り
26/01/08 07:32:09.86 xpSIuN/f.net
ヒンデミットというのはすごく重要な作曲家なのに、なぜ刺さらなないのか?
ヒンデミットはプラトン哲学で作曲行為を意義付けようとした。
ところが、ヨーロッパにおいてはキリスト教は世俗化したが、プラトン哲学は世俗化しなかったからである。
203:名無しの笛の踊り
26/01/08 15:08:02.79 Y81G12DA.net
アドルノによれば、近代社会はもはや調和的な全体として存在していない。社会は分断され、対立に満ち、和解は現実の次元では成立していない。にもかかわらず、ヒンデミットの音楽は、強固な構築性と秩序ある形式を通じて、あたかも世界が依然として合理的に統合されているかのような印象を与える。そこでは、社会的亀裂や矛盾は音楽の内部に刻印されるのではなく、形式的整合性によって覆い隠されてしまう。
204:名無しの笛の踊り
26/01/15 21:48:04.50 Ke1+YwD6.net
>>203
だからこそ私はヒンデミットが好きなんだけどな
精神病院の中のような混乱に満ちた現実を正せるのは厳格な形式ではないか?
ヴェルディの『ファルスタッフ』のフィナーレのフーガのように
205:名無しの笛の踊り
26/01/15 22:29:09.69 K8c4jQK6.net
現代音楽史においてヒンデミットという作曲家が占める位置は、あまりに巨大でありながら、あまりに孤独である。彼の音楽が、ある種の聴衆に強烈な拒絶反応―あるいは「刺さらなさ」―を引き起こす理由は、単なる好みの問題ではない。それは、戦後という断絶された時代において、芸術が「現実」といかに対峙すべきかという倫理的欠陥に起因している。
掲示板の議論において、202(名無しの笛の踊り)は、現実の混乱を矯正する「厳格な形式」こそが救済であると主張した。しかし、アドルノ的な視座から、そして戦後という歴史的磁場から再考するならば、その主張は致命的な欺瞞を孕んでいると言わざるを得ない。
第一に、ヒンデミットの追求した「世界の調和」は、ナチズム以降の廃墟においては、もはや芸術的誠実さを欠いた「虚偽」でしかない。202が指摘したように、近代社会の亀裂はもはや修復不可能な段階に達している。アウシュヴィッツの惨劇を経て、世界は合理的に統合された全体像を喪失した。それにもかかわらず、天球の音楽やプラトン主義的秩序(201)を召喚し、強固な対位法のなかに世界を押し込めようとする行為は、現実の苦痛や矛盾を「形式的整合性」によって塗り潰す暴挙である。203が求める「正し」さは、救済ではなく、現実からの逃避を可能にするための麻薬にすぎない。
第二に、戦後のヒンデミットがキリスト教的宗教曲へ接近した点も、アドルノの論理を借りれば、批判を免れるどころかむしろその病理を露呈させている。世俗化が極まった現代において、既成の典礼的形式(ミサ曲など)を借用することは、内発的な必然性を欠いた「借り物の客観性」である。それは主体的な思考を放棄し、制度としての宗教に審美的拠り所を求めた「退行」に他ならない。203が例に挙げたヴェルディの『ファルスタッフ』に見られるフーガは、生の混沌そのものを肯定する「笑い」と「アイロニー」に満ちている。しかしヒンデミットの形式には、その柔軟なユーモアが欠けている。そこにあるのは、混乱を管理し、矯正しようとする「冷徹な制度の響き」である。
結局のところ、ヒンデミットが「刺さらない」のは、彼の音楽が「答え」を急ぎすぎるからだ。真に誠実な芸術とは、解決不能な混乱を混乱のまま抱え、その亀裂を作品内部に刻印し続けるものでなければならない。精神病院のような混乱を外側から拘束衣で縛り上げるようなヒンデミットの形式主義は、自由な精神を窒息させる。
206:名無しの笛の踊り
26/01/15 22:58:24.88 Ke1+YwD6.net
>>205
アドルノ的視座によればによれば誰の曲が現代の病理を解決しうる音楽なのかな?
207:名無しの笛の踊り
26/01/19 12:35:16.50 yI1SOjtT.net
>>206
アドルノ的視座において、現代の病理を解決しうるのは「調和」ではなく**「絶望の直視」**です。
* シェーンベルクとベルク
ヒンデミットの「偽りの秩序」に対し、アドルノはシェーンベルクを支持しました。伝統的な和声を破壊した不協和音こそが、アウシュヴィッツ以降の崩壊した世界における「唯一誠実な叫び」であると見なしたからです。
* 「解決」の拒絶
アドルノにとって、芸術が混乱を「解決」することは欺瞞(麻薬)にすぎません。真実の音楽とは、救済を拒み、世界の亀裂をそのまま音に刻印する**「否定の論理」**を貫くものでなければなりません。
* 結論
答えを急ぐヒンデミットとは対照的に、**「出口のない苦悩を、構成の力によって孤独に耐え抜く音楽」**こそが、病理に対する唯一の倫理的な回答であるとされました。
→便利な時代だね。3秒でAIが回答する。しかし次の世代の研究者はまた違った観点でヒンデミットを論考しているよ。
208:名無しの笛の踊り
26/01/20 21:10:20.77 jGmcf31p.net
>>207
サンクス
ベルクとシェーンベルクか趣味が合わないな
私は現代の絶望を共有するために音楽聴いてないし
なぜ音楽を聴くのかって言うことが置き去りにされてるような気がする
209:名無しの笛の踊り
26/01/21 00:25:05.11 dlVEErL7.net
アドルノ的なヒンデミット理解は過去になりつつあるようです。
ヒンデミットの妻ガートルートは夫の死後、彼を「理知的で潔癖な巨匠」として歴史に固定するため、執念深い漂白作業に没頭しました。彼女は財団を設立して全資料を独占し、初期の情熱的な手紙や「(性的に奔放な)叫び」を内包する初期作品を「未熟な過ち」として徹底的に検閲・封印しました。
さらに、夫の精神的な逃避場であった鉄道模型さえも「高尚な趣味」へと神格化し、彼の「幼児性」を隠蔽しました。
エーデルマンが指摘するように、彼女は夫を完璧な秩序の中に閉じ込めることで、死後もなお「カオスからの亡命」を完結させようとしたのです。結果として、私たちは数十年にわたり血の通わない巨匠像を見せられ続けてきました。
この「漂白された歴史」を解きほぐすことで見えてきた、剥き出しのパウル・ヒンデミットはこれから明らかになってくるかもしれません。
210:名無しの笛の踊り
26/01/22 06:01:01.05 ACSrS1ll.net
フルトヴェングラーがヒンデミットの鉄道模型に付き合わされたというエピソードについては、いくつかの記録や回想録で言及されています。
最も有力な情報源(エビデンス)としては、以下のものが挙げられます。
1. ヒンデミット夫人(ゲルトルート)の回想
ヒンデミットの妻ゲルトルートは、夫の鉄道模型狂いについて多くの証言を残しています。彼女の書簡や回想の中で、ベルリン時代の自宅に訪れた著名な音楽家たちが、夫の「運行スケジュール」に従わされて模型を操作させられた様子が語られています。そのリストの中にフルトヴェングラーの名前も含まれています。
2. 音楽学者や伝記作家による記述
ヒンデミットの権威的な伝記作家である**ハインツ・ベッカー(Heinz Becker)**や、スティーヴン・ヒントン(Stephen Hinton)らの研究資料において、ヒンデミットの私生活の一幕としてこのエピソードが引用されています。
* ヒンデミットは「自分の鉄道模型を正しく運行させることは、オーケストラを指揮するのと同じくらい厳格な規律が必要だ」と考えていました。
* そのため、フルトヴェングラーのような巨匠であっても、ヒンデミットの家では「信号係」や「切り替え係」としての役割を完璧にこなすことが求められた、と記されています。
3. 当時の音楽界の風聞
当時のベルリンの音楽家コミュニティでは、ヒンデミットの「鉄道模型の部屋」に入ることはある種の特権であり、同時に「過酷な労働」を強いられる場所として有名でした。フルトヴェングラーが模型を操作している姿は、当時の音楽家たちの間でなかば伝説的な笑い話(逸話)として広まっていました。
厳密な「何月何日の日記」といった一次史料を特定するのは専門的なアーカイブ調査が必要ですが、音楽史家の間では**「ヒンデミットの模型愛と、それに巻き込まれた巨匠たち」**という文脈で、フルトヴェングラーのエピソードは極めて信憑性の高い定番の逸話として定着しています。
211:名無しの笛の踊り
26/02/12 11:22:55.76 gWNSTKld.net
普通のクラシック好きに受けるのは作品番号付けなくなったぐらいからよね
あからさまに弾圧された時期に作風は丸くなってたという皮肉
戦後の作品はまったりしすぎて逆に人気が薄いが
212:名無しの笛の踊り
26/02/14 11:50:40.79 CeCAUlvN.net
普通のクラシック好きはよかった
俺なんかもストラヴィンスキーは新古典主義以降のほうが好きだが
一般には3大バレエあたりとかなんでしょう。
でもライヒとかライリー、はたまたモートンフェルドマンあたりの
曲が好きな人であれば枯れた時期のほうが面白みを感じるだろう。
213:名無しの笛の踊り
26/02/15 19:25:39.27 OfqIl4M8.net
チューリヒのカルディヤックはショッピングモールが舞台
214:名無しの笛の踊り
26/05/08 22:24:15.36 wQibSeeo.net
ヒンデミット好きでもシンフォニアセレナはあまり聴かないだろうな。
初めて聴いたときは駄作だと思ったが、最近になって良さがわかってきた。