13/05/08 23:10:47.29 2/SEdfPl.net
たぶんルービンシュタイン自伝を引用した部分ではないですかのぅ
1937年
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リハーサル前の打ち合わせであったとき、彼はハンガリー名を持つチェコ人というよりは
ドイツ人タイプの音楽家に見えた。
私が協奏曲でソロの導入部分を弾き終えると、彼は私を止めて大声で言った。
「アルトゥール・シュナーベルはもっとゆっくり弾いたぞ」
このさしでがましい指摘は、私を少なからずいらつかせた。第一楽章が終わったあと、
休憩時間があった。控え室で彼は楽譜を取りあげると、私にアルトゥール・シュナーベルが
この協奏曲をどのように演奏し、彼がいかに満足したかを教授し始めた。
私はかっとなって言った。
「あなたのアルトゥールに、このアルトゥールの感じ方は違うと伝えてください」
そして私はそれ以上彼とは口をきかなかった・コンサートでは、彼は非常に見事な指揮をしたが、
私たちは仲直りできず、私は休憩の間にホールを出てしまい、彼の《英雄》は聴かなかった。
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とまあ、ここで終われば、お約束のセル伝説じゃが、こう続くのもまたセル伝説ですのぅ。
翌日の追加公演でのセルの《英雄》を聴いたルービンシュタインの感想
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あとにもさきにも、あれほど美しく演奏されたこの交響曲を聴いたことはない。
葬送行進曲は私を泣かせた。
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