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会津の偽金
山川は、会津へ帰ると、すぐに軍事会計の
総裁に抜擢された。長く京都の守護に
当たっていた会津藩の財政は逼迫しており
戦争など出来ないほどに苦しかったのだ。
山川は、この財政状態から抜けだし、
軍資金をひねり出す大役を
果たさなければならなかった。
ここで山川は一つの失敗を犯す事になる。
京都で、会津藩は藩費の不足を充填する為に
幕府に金銀貨鋳造の特許を申し入れ
許可されていた。山川はそれを思いだし
貨幣鋳造を進言し採用となるのである。
会津藩の軍用金は、この金によって
補強されたが、それは後に
「会津藩の偽金作り」と言われ
貨幣価値の暴落を招き
庶民は生活の苦しさから
ヤーヤー一揆を引き起こしてしまうのである。