日本文化は中国5000年の歴史の賜物at CHINA日本文化は中国5000年の歴史の賜物 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト400:名無的発言者 15/07/18 17:47:02.76 .net 日本人はなぜ突然、「絶壁頭」になったのか 「骨が語る日本人の歴史」の片山一道氏に聞く ──日本人の「基層」をなす、縄文人は南方から来たのではないのですか。 南方起源説は沖縄の「港川(みなとがわ)人」化石を代表選手のようにして つい最近まで定説のように考えられてきた。ところが、実際は広く東アジアの大陸部から集まってきて その人々が混和融合したようだ。縄文以前、旧石器時代人の化石の本州域での発見例は皆無に近い。 良好な人骨化石が発見されないかぎり、具体的な人物像を描くに至らない。 http://sekai-kabuka.com/-news-bmxho/ 401:名無的発言者 15/07/19 00:56:22.24 .net 皇紀二六七五年てのも似たようなモンだがな。 402:名無的発言者 15/07/19 05:34:23.55 .net 昭和15(1940)年7月末、試作機はすべての問題点が解決し たことを認められ、その年の紀元2600年を記念して、末尾の零 をとって「零式艦上戦闘機」と名づけられた。 8月19日、漢口から零戦12機が飛び立った。重慶を爆撃 する陸上攻撃機54機の護衛である。その搭乗員たちは、初め て自分たちを援護してくれる戦闘機を得て、零戦に機上から手 を振った。1500キロもの長距離を単座の戦闘機が編隊を組 んで飛行するのは、世界航空史上でも例のないことであった。 重慶では約30機の中国空軍の戦闘機で待ち構えているとい う情報が偵察機からもたらされていた。しかし、中国空軍は出 てこず、陸上攻撃隊はゆうゆうと爆撃を行い、全機帰還した。 中国空軍は日本の新鋭戦闘機が援護しているという情報を得て、 身を避けている気配であった。翌日の爆撃にも姿を見せなかっ た。 そのうちに意外な情報が重慶からもたらされた。中国空軍は 日本の航空戦隊が帰った後に、重慶上空を飛行し「日本航空隊 に大損害を与え、追い払った」と宣伝しているという。 1949年10月1日、蒋介石の国民党との内戦に中国共産党の毛沢東が勝利して、中華人民共和国が成立した。この日、北京の天安門広場で毛沢東は閲兵式を行ったが、 国民党に反対して八路軍に参加した劉善本師長は、隊長機に乗って飛行編隊群を指揮して天安門上空を飛び毛沢東の検閲を受けた。この飛行により中国の人民空軍部隊の存在を世界に示したのであった。 瀋陽でも、この日同様な式典が行われたが、林少佐も隼戦闘機に乗り、他の日本人教官は九九式高等練習機を操縦して検閲を受けた。この時林少佐はまるで「ブルーインパルス」のように多くの曲技飛行を披露している。 又、牡丹江の航空学校では、所有する100機以上の飛行機が地上に並べられた。国民党軍から捕獲した米空軍のP-51戦闘機や、AT-6、セスナ機なども並べられたが、まるで旧日本軍の飛行機が勢ぞろいした格好であったというから、 なんとも奇妙な風景?であったろう。by佐藤 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch