13/12/04 17:46:53.54 .net
朝鮮が日本に併合されてから「大いなる文字」という意味の「ハングル」という名が考案されたが、なお地位の改善も識字率の改善も無かった。
普及期
これに悲観したのは民族文化を誇る朝鮮人ではなく、実は日本人である慶応義塾塾長、福澤諭吉だった。
彼は、朝鮮を文明国にするためには世界で起こっていることを知り、文明開化の意味を知る必要があると考えた。そこで自腹でハングル活字を作り、
漢字ハングル混じりの新聞を発行して普及に勤めた。
清国官憲や朝鮮人の一部から激しい反発があったものの、福澤の弟子、井上が朝鮮で初の新開「漢城旬報」の発行に成功した。この新聞は漢文の読めない多くの民衆でも読めるとあって人気を博した。
後期には漢文の比率が高まり、やがて廃刊に追い込まれるが、後に漢字・ハングル混合文の新聞や雑誌などが登場することになり、漢城旬報がハングルの普及に一役買ったことは疑いようがない。