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孫文(そん・ぶん。Sun Wen)(1866.11.12~1925.3.12行年59歳)
中国革命の先導者。共和制を創始して国父と称された。孫中山・逸仙・中山と号した。
中国革命の父といわれる孫文は、1866年、広東省香山県(中山県。現在の中山市)のの貧しい農家に生まれた。
14歳のとき、母に連れられ、ハワイで成功をおさめていた長兄の招きで渡航し学校にはいるが、キリスト教徒となったために長兄の怒りを買い、郷里にもどって農業に従事する。
しかし彼の才能を惜しむ郷里の人々の助力で、広東と香港の医学校に学ぶ。1892年孫文は香港の医学校を首席で卒業し、澳門・広州で医院を開き医師としての名声をえる。
孫文は日清戦争勃発により清朝政権のもとでの改革に望みを断ち、兄のいるハワイにわたり1894年1月ハワイで革命結社・興中会を組織し、広東で挙兵した。しかし武装蜂起計画が事前にもれて失敗し、
孫文の首に懸賞金がつけられ清朝から追いまわされる反逆者となった。孫文は1895年11月日本に密航して難をのがれた。日本の明治維新をモデルに漢民族による近代的独立国家を作ろうと、清朝打倒の革命運動を起す。
孫文は革命家としての30年のうち、のべ約10年を日本で過ごした。
孫文の三民主義【さんみんしゅぎ】
民族主義(満州族の清王朝を打倒し漢民族の独立をめざす。後に反帝国主義に基づく民族の解放)民権主義(人民が政治をする権限を持つ)
民生主義(重要産業の国有化。土地所有や私的独占資本を制限して均等化し農民への土地の再分配)
孫文の死後、国民党と共産党が分裂し、国民党は三民主義に反共的な内容を加え変化させた。毛沢東は三民主義を無視し党独裁の狂惨主義に発展させた。何れも帝国主義化して独裁。