23/06/24 17:15:47.54 n6a3Vf7i.net
やっぱりアイヌは新参者じゃねーか
東北のアイヌ語地名のある範囲と江別式土器の拡がってきた範囲完全に被ってんぞ?
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”江別式土器”の週末年代と所謂”北大式土器”(一)
石附喜三男
江別Ⅱ式になると網走市モヨロ貝塚、厚岸町オカレンバウシ貝塚など道東方面にも確実にみられるようになるが、
江別Ⅲ-a式にあっても、現在のところ江別Ⅱ式と大体において同様の分布が確認されているが、東北地方北部にも散点的に見出されるようになる。
それが江別-b式およびⅣ式の段階になると分布圏は爆発的に広がる。
北海道内全域は言うに及ばず、樺太、千島・本州北部にまで確実にみられるようになる。
樺太では鈴谷貝塚において同Ⅳ式土器が出土しており、千島にあっては名取武光氏によりエトロフ島フルマカップにおいてⅢ-b式土器が副葬された墳墓が発掘されている。
また、東北地方では青森県・秋田県・岩手県、それに宮城県北部までかなりの地点において江別式Ⅲ-b式あるいは同Ⅳ式土器が収集されている。
現在のところ、東北地方での最南端の資料は、山形県の寒河江市内から採集されたものという。
このように江別文化の末期になると、いかなる理由か北海道獣が均一的な様相を示すようになり、さらにその周囲にこの文化の勢力が伸長する。
文化圏がやや縮小するとはいえ、この次にくる擦文式文化も同じく北海道を中心とした存在を示すものであるが、こうした両文化圏の重なりは両文化の担い手を推定する上で大きな示唆を与えてくれるように思えてならない。
とにかく、これらの両文化圏の在り方は、後世でいうアイヌ民族の居住圏との大きな関係を想定せずにはいられないのである。