東日本人は日本語苦手なチョン★2at ARCHEOLOGY
東日本人は日本語苦手なチョン★2 - 暇つぶし2ch315:出土地不明
21/01/03 15:58:13.67 uK0UJxqM.net
「光は朝鮮半島から」 兪弘濬 [著] ; 橋本繁訳
① 吉野ヶ里遺跡
縄文人とは、現在の日本人とは異なるアイヌの祖先をいう。
髭が濃いが、その髭がエビのように長くて立派だということで蝦夷と毛人という名前で呼んだのである。
縄文人が狩猟・採集に満足して生活していたのに対して、朝鮮半島ではすでに紀元前一〇〇〇年から櫛目文土器の新石器時代を清算して青銅器時代に入って、新たな文明を開拓していた。
縄文人は、狩猟・採集した魚と実を盛ったり信仰を表したりする土器を作ることにのみ、優れた技術を発揮したのである。
自然の豊饒のために文明の発達が遅れたアメリカ先住民の没落過程と似ている。
紀元前三〇〇年頃に突然、弥生人が登場した。定住生活をしながら稲作を行って食糧を備蓄して生きていき、青銅器を使用して集団をなして力の結集が可能だった。
こうした弥生人に、縄文人は敵わなかった。一部の縄文人は、弥生人と血を分けて暮らしたが、結局、生活の場を奪われて環境が劣悪な北方に押しやられてしまったのである。
一八八四年、東京大学本郷キャンパス付近の弥生という場所で土器が発見された。
縄文土器とは全く異なるものであった。朝鮮半島の無紋土器と似た無紋の土器であった。
その後、こうした種類の土器が日本各地で出土した。おおよそ紀元後三世紀までの遺跡から出てきたために、この時期を弥生時代と呼ぶのである。
二三〇〇年前、ついに日本列島に文明の光が照らされました。稲作と青銅器文化が朝鮮半島から入ってきたのです。
弥生時代の遺跡からは、慶尚道の弁韓・辰韓時代のものと同じ細形銅剣、青銅鈴、無紋土器が出土しています。
朝鮮半島の三国時代のものと全く同じ半月型包丁が出土しています。鎌もでています。また、牧畜がなされました。
日本が文明の恵みを受けて弥生時代を開いていったことを証言する場所が、まさに吉野ヶ里遺跡です。


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