弥生人は渡来時に稲作なんか伝えていない2at ARCHEOLOGY
弥生人は渡来時に稲作なんか伝えていない2 - 暇つぶし2ch957:出土地不明
21/05/27 15:06:16.85 EP9rYw34.net
「加茂宮ノ前遺跡」№1  徳島新聞 2017年?2月23日
「水銀朱の精製工房跡か」「加茂宮ノ前遺跡 石器や辰砂出土」
徳島県教委と県埋蔵文化財センターは22日、阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で見つかった
弥生時代中期後半~古墳時代前期初頭(1~3世紀)の竪穴住居跡の内外から、
古代の赤色顔料の水銀朱が付いた石器15点と水銀朱の原料の辰砂原石10点が出土したと発表した。
遺跡の南西約5キロには辰砂の採掘遺跡として全国で唯一確認されている若杉山遺跡があり、同遺跡に関連する水銀朱の精製工房跡とみている。
辰砂は硫化水銀の鉱石で、これを原石から取り出して精製した水銀朱は、古墳時代初期を中心に棺内部や死者の体に塗るなどして使われた。
防腐剤としての役目のほか、死者の魂を鎮める目的もあったとされる。
出土した石器のうち、石杵8点(全長約10~23センチ)は辰砂を砕く際に使われ、磨石2点(10センチ四方)は擂りつぶすときに用いられた。
石臼1点(縦20センチ、横17センチ)はその土台だったとみられる。
それぞれに水銀朱が付着している。
辰砂原石は全長2~5センチ。石器と原石は5棟ある竪穴住居跡のうち3棟の内部や周辺で見つかった。
一部が埋まった状態で、捨てられたとみられる。
精製に伴って出る石片などがないため工房は特定できないが、工房があった集落と断定した。
弥生時代後期~古墳時代初期(3~4世紀)の若杉山遺跡からは、辰砂採掘に伴う石くずや精製用の石器が出土している。
水銀朱は奈良や大阪など各地の有力者の墓で使われており、徳島産だった可能性があるが、出荷先などは分かっていない。
センターは、若杉山遺跡に関連する新たな工房の発見が水銀朱の産地や製法、流通ルートを知る手掛かりになるとして
「水銀朱の供給拠点としての徳島の役割を解明できるよう、今後も調査を進めたい」としている。   @阿波


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch