16/09/26 17:31:46.75 QK0kXUPk.net
九州北部の最後の縄文土器である黒川式縄文土器を押し退けたのは島根から
広がってきた刻目突帯文土器である。
最古水田が始まる数世紀前には渡来人はもう渡来済みだったのである。
日本最古の北方モンゴロイド形質を帯びた人骨は弥生早期の新町遺跡から
出土した混血人骨である。
支石墓に守られて渡来人骨が消滅せずに済んだのである。
つまり渡来人が渡来したのは弥生早期以前という証拠である。
しかしこの人たちも支石墓という朝鮮の墓に入っておきながら、出土した
土器を見ても朝鮮土器を作っていた痕跡は無い。
日本最古の北方モンゴロイド形質を帯びた人骨の持ち主たちの土器はやはり、
沿海州南西部のシニ・ガイ文化の土器と文様が一致する刻目突帯文土器なのであった。
つまり沿海州南西岸から渡来した渡来人たちが朝鮮との交流を通じて彼ら自身の手で
稲作もその他の朝鮮の先進技術や文化も導入していたに過ぎないのであった。