15/04/10 00:43:20.22 x6OXgF6/.net
>韓半島中南部ではこれまで知られている青銅器時代最古の段階である
>刻目突帯文土器(渼沙里式)の段階から既に甕(深鉢)と壺の組成がみられる。
>この甕と壺の組成は遼東半島の双砣子3期を介して韓半島青銅器時代の
>文化に受容されたものであることは既に宮本一夫により指摘されており
>(宮本2009)、支持される。ただし宮本は韓半島中南部の刻目突帯文土器の
>系譜を韓半島東北部に求めているが(宮本2004)、筆者は鴨緑江流域に
>系譜を求める立場である(古澤2012)(註10)。
URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)
沿海州南西部に地理的に近いという事で、刻目突帯文土器の故郷を
朝鮮半島東北部に求めている宮本一夫氏の説の方を個人的に支持します。
しかし基本的には、実際に掘って調査した結果であるロシア考古学会の
示している沿海州南西部をこのスレでは支持しています。
断っておきますが、日本の刻目突帯文土器は半島からは伝わっておりません。
なぜなら、半島には刻目突帯文土器の出土例が数点しかなく、明らかに
朝鮮半島の土器文化ではない事が明白な上に、最初から甕と壺の組成が
見られるからです。
もし半島から日本に伝わったものであれば、登場した当初から壺があるはずです。