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d_______b はに丸 & ひんべえ 復活!の日に
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/⌒`\ ⊂つ /⌒/ ̄ つ_) 飛鳥の都塚古墳 発掘
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奈良・都塚古墳:まるで階段ピラミッド…専門家から驚き
毎日新聞 2014年08月13日 19時21分(最終更新 08月13日 19時42分)
「まるで階段ピラミッド」。奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半ごろ)が5段以上の階段状に築かれた一辺40メートル超の大型方墳と分かり、
専門家から驚きの声が上がった。飛鳥時代(7世紀)が幕を開ける直前の6世紀後半、
一体誰が、何のためにこのような前代未聞の古墳を造ったのか。3人の大王(天皇)の外祖父となった蘇我稲目(いなめ)(?~570年)らを巡って
被葬者論が熱を帯びている。
元旦に金の鳥が鳴くという「金鳥塚」の異名を持つ都塚古墳。巨大な石室の中に豪華な家形石棺があることは分かっていたが、
一辺30メートル程度で、段差はあっても3段とみられていた。
発掘調査している明日香村教委の西光慎治・文化財課調整員は「墳丘をできるだけ高く築くために、
急傾斜になっても崩れないよう階段構造にしたのではないか」と推測する。
都塚古墳があるのは、飛鳥の中心部から南東に飛鳥川をさかのぼった標高約150メートルの傾斜地。
7世紀前半、権勢を誇った蘇我馬子(稲目の子)の墓とみられている石舞台古墳が近くにある。
墳丘上部が失われているが、こちらも方墳だ。米田文孝・関西大教授(考古学)は「下から見上げると石の山のようだっただろう。
後に営まれた飛鳥の宮から、西日に映えて、石舞台とともにピラミッドのように見えたのではないか」と威容を想像する。
稲目の娘を母とする3人の天皇の陵は方墳で築かれ、方墳は蘇我氏のシンボルとされてきた。
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)によると、都塚古墳の石棺の形は6世紀第3四半期で、
稲目の時期にぴったりだが、石室は6世紀末~7世紀初めの新しい形という。「6世紀後半まで有力者は前方後円墳に葬られた。
都塚の被葬者は蘇我氏の有力者だろうが、前方後円墳の時代になぜこれだけが方墳なのか」と頭を悩ませる。
稲目は朝鮮半島の百済から伝わった仏教を積極的に取り入れようとした。千田稔・奈良県立図書情報館長(歴史地理学)は
階段状の墳丘に注目し、「仏教思想で世界の中心にあるという須弥山(しゅみせん)を表し、稲目がそこに葬られたいと思ったのではないか」と推測する。