日本の古代史 Part16at ARCHEOLOGY
日本の古代史 Part16 - 暇つぶし2ch60:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
14/06/16 00:46:40.66 rRqC6u3l.net
>>34
日本の秀才上層部は毎度幸せ回路じゃけぇのう。
元陸軍大尉越智春海氏が、
「日本軍は常に、敵状判断が甘かった。なるべく自己に有利に、なるべく都合のよいように、
諸情報を整理して、敵の動きを、極めて楽観的、願望的に想定しては、対応策を講じていた。
そんなナンセンスな敵などはいないから、常に破綻した。これは全戦場に共通、いや開戦決定から
終戦処理まで、すべてこのパターンだった。
読者は、当時の軍人や政治家を笑ってはいけない。今日でもこのパターンで政治は動かされて
おり、国民の日常生活は進行しているの だから…。」と、
軍人官僚の時代から現在進行形で変化が無ぁのう。旧国軍上層軍人の楽観主義もユートピア
左翼思想じゃし、現在進行形のネット右翼も排外攘夷で日本が健全になると妄想する
左翼ユートピア思想。まあ、攘夷朱子学思想は、朱子学本場江南の老荘的ユートピア思想の
影響があるけんのう。
越智春海氏の引用を続けよう。
「第一に「ごつごう主義」なのだ。日本軍の作戦計画で「補給」の項目が前面に出たことが、
一度でもあったのだろうか! 私の知る限り、日本軍は終始一貫「補給なき戦い」ばかり狂演して
いたのではないか。それなのに、敵の軍事行動の可否を判定するときだけ、なぜ「補給」を
第一要件としたのか…。
 つまりは「夜郎自大症」及び、その裏面の「敵情軽視」という精神構造から「日本軍には
不可能ということはない」と思い込んでいる反面「敵軍には、これは不可能だ」と、ろくに
検討もせずして、いち早く"判断"してしまうクセが、ある(現在形!)のだ。
 陸軍の名物男・辻政信をはじめ、日本軍人たちは共通して日支の兵力比一対十までは、
日本軍の勝利圏内であるという認識を堅持していた。もちろん今村均ほどの知将でも、
その一大潮流の中で生きていたので、全く同然。そうした"先入観の固着"現象から超脱する
ことはできなかった。
 この「一対十」などというのは、実に非科学的なアピールなのだ。
 日本人だけが「戦闘に適した肉体を持っている」わけでもない。支那人の方が、日本人より
優れているかも知れないのに、なぜ「一対十」なのか。
 いわずと知れた「装備」の差なのだ。小学生でもわかる、この原理を、先入観の魔術で、
いつしか見失い、ただひと口に「一対十!」日本軍に神通力があるかの錯覚に陥っていく第一歩
だったのである。
崑崙関へ出撃してきた支那軍は、戦意が高く、狙撃に長じ、装備良好で、弾薬も豊富。とくに
手榴弾を二十発ぐらい持っている兵が多く、近接戦では、この手榴弾対策が一大重点と
なった。また逃げおくれた兵は、手榴弾で自決するものが多く、連日連夜白兵戦の連続
した崑崙関周辺の各陣地は、まさに壮絶な修羅の巷であった。」


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