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【歴史】インパール作戦70年 追悼や資料館…地元で継承広がる [7/22]
スレリンク(newsplus板)
1944年に日本軍がインド北東部インパールの占領を目指し、多くの死者
を出した「インパール作戦」から70年。地元の人々が、激戦地の跡を調査し、
散逸しつつある記録と記憶を掘り起こそうとしている。地元政府も本格的な
戦争資料館の建設に向けて支援に乗り出すなど、史実を刻む動きが広がってい
る。
インパール市内の住宅地。表通りから未舗装の路地を進んだところにある民
家の2階を訪ねると、鉄かぶとやさびた銃、不発処理された砲弾や戦闘機の座
席とみられる部品、当時の写真など約200点がずらりとならんでいた。
ここに住むアランバム・アンガンバさん(41)が、友人のユンナム・ラジ
ェシュワルさん(36)らと資金を出し合って今年4月に開いた私設の「イン
パール戦争資料館」だ。
アランバムさんはインド軍将校を父に持ち、インパールで行われた戦争に以
前から関心があった。一方、ユンナムさんは「戦争が起きて山中を逃げ惑った」
と語る祖父母の話を聞いて育ったが、戦争の実態はよく知らなかった。
地元ではインパール作戦は「日本戦争」と呼ばれているが、広く語り継がれ
てはいない。2人は「すべてが失われる前に、自分たちの手で何が起きたかを
調べよう」と、5年ほど前からインパール周辺で戦跡の調査を始めた。戦史な
どの資料を集め、戦闘の行われた現場を特定し、塹壕(ざんごう)のあとなど
を発掘してきた。
兵器類だけでなく、日本兵が持っていたとみられる女性の写真や、「二六〇
一」や「昭一七」といった製造年が刻まれた水筒などがみつかった。2人は共
同で2009年に「第2次大戦インパール作戦財団」を設立。さらに仲間を集
めた。調査活動を続けるうち「2014年の作戦70周年にあわせ、犠牲者を
追悼する式典を開くべきだ」と思い至った。
URLリンク(www.asahicom.jp)
↑画像:自宅に戦争資料館を開いたアランバム・アンガンバさんと、記念式典
に参加するためインパールを訪れ、資料館で記帳する川村泰久・駐インド公使
(右)=インパール、貫洞欣寛撮影
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地図 URLリンク(www.asahicom.jp)
インパール作戦70年 追悼や資料館…地元で継承広がる
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朝日新聞 インパール=貫洞欣寛 2014年7月22日05時31分