日本と紀元前中国王朝の関係性at ARCHEOLOGY
日本と紀元前中国王朝の関係性 - 暇つぶし2ch263:出土地不明
13/01/25 09:52:30.54 +ZFjsFcJ.net
>>257
>ところが日本人の男系遺伝子は当時の縄文人と弥生人の人口比に比例する形で残されている
つまり完全な共生状態で、緩やかに混血化が進んでいったことを示している

◎面白い。縄文人は恐らく、長らく侵略経験の無い原住民で、おおらかで接し方も和平重視だったのではなのだろうか?
その温厚な性格の基礎となる生活サイクル。農耕文化というものにあるといえるのではないだろうか?
農耕民族は無闇に殺生しない。稲作を主として、即ち命に関わる農産物を自然に求めていた。
という事は命の源を自然からの恩恵に託していた。という事になる。
かくして自然に畏敬の念を持ちながらにして、一歩ひいた姿勢が常にあった様に思う。
縄文人は稲作を生命の糧としている以上は、干ばつや洪水により、被害を被り生死を脅かされる苦境をしいられた訳だ。
稲が実るまで長期の間、その糧を自然という不安定な掛け場に委ねなければならない以上、不安は募るばかり。→日本人の特徴となる不安遺伝子が生まれたのではないだろうか?
そして共感意識が発達した日本人になっていったのではないだろうか?

一方ユーラシア大陸は、陸続きが故に、常に様々な狩猟、遊牧、放牧が入り乱れていたから、価値観が違う以上、意見が分かれやすく、すぐ対立になり、戦が絶えなかった様に思う。
明らかに環境的特徴が、まず違うのではないだろうか。

弥生人は恐らく国を追われ、逃げてきた側、争いを好まないのは前頭葉発達型だろうから…
縄文人は農耕によって共感意識が発達した以上、逃れてきた弥生人に慈愛のある、手厚い対応になったと仮定しやすい。
弥生人は荒波の中を、生死をかけて逃げて、理想郷を思い描いて来た訳だから、縄文人の手厚い対応に対して、ちゃんと感謝と敬意が芽生えたのではないだろうか?
また弥生人は、大陸での蛮族の暗黒の時代を嘆かわしいとして、反面教師的な人種として心得ている以上、争いを好まないのだと仮定しやすい。
人道的な人種だったが故に、農耕民族に同調しやすかったのではないだろうか?


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