佐藤 田布施人脈陰謀説① 岸 at ARCHEOLOGY
佐藤 田布施人脈陰謀説① 岸 - 暇つぶし2ch2:大室寅之スレ
11/03/28 17:59:15.19 leRFj7pO.net
>>1の続き

地家の西円寺に京都から京都浄土真宗興正寺門主一族であった興正寺
(大谷)昭顥坊と娘のスヘが1842年~1843年頃赴任しさらにスヘが地
家作蔵と結婚した。(作蔵19歳のころ)(なおスヘの姉は長崎に嫁ぎ
谷口姓のナカで伊東巳代治を産んだので伊東と大室寅之祐は母がたの
「いとこ」の関係にあった。寅吉(のちの寅之祐)が長崎でのフルベッ
キの写真を撮ったがこの時長崎のおばを訪ねて行ったとされる)。
地家河内作蔵が満20歳のころ麻郷村地家に家をつくる。その後作蔵
20歳のころ第一子誕生(1歳で早死)。22歳ころ長女ターケをつくり24歳
のころ長男地家寅吉(大室寅之祐)誕生。27歳のころ地家庄吉誕生。
28歳のころ朝平誕生。 ところがスヘが朝平生まれてすぐの1854年作蔵
の暴力により離婚。長女ターケと3男朝平は地家作蔵がひきとり長男地
家寅吉と2男地家庄吉をスヘがひきとり実家の西円寺に帰るが1855年1月
スヘは大室弥兵衛と再婚し弥兵衛の2号となり、地家寅吉が大室寅吉
(のちの大室寅之祐に)地家庄吉が大室庄吉となって大室家を相続した。
(大室寅之祐は1868年(旧暦)1月15日明治維新の際京都御所において
京都明治天皇を追放して明治天皇とすり替わったとされる人物)。などを
はじめとして、戦前の陸海軍の軍人、戦後の政治家などに田布施出身者が
多数いるとされる。鹿児島県(旧薩摩藩)の加世田市金峰町もかつて田布施と
呼ばれていた。鬼塚英昭などが主張している。
原田実氏が大室近祐氏(大室寅之祐の弟大室庄吉の孫)を訪問したさい原田
氏は偽史を正すつもりで田布施町にきたが近祐氏が「大室家の出た田布施町
麻郷は世界文明の中心地である」と主張するので原田氏が大室氏を「気の触
れた人物」と酷評したがようは大室家が南朝の末裔でもないなら結局「幕末、
田布施町における情報の集中による権力化が明治維新の原動力となった」とい
う意味で普通の人には理解しがたいが、要は玉(タマ)をとる(キャスティング
ボードを握り政治を動かす)ためには「情報の量により」=「権力」基盤が出来
上がり今でも西郷や三條実美や伊藤博文が麻郷村に立ち寄ったとされる石碑が残
っていて平成時代になっても橋本龍太郎の権力の源が祖母が大室家の女であったり
佐藤、岸はもちろん安倍晋三元総理の地盤ももとはといえば田布施町につながるのである。




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