10/11/01 23:15:54 +CgKCImo.net
「周」の太伯侯一族が華北から南下して、今の華南海岸地帯先住民と
同化するために刺青して「呉」を建国したのが紀元前1000年頃。
つまりは紀元前1000年頃、漢族(FR-O3)が「中原」一帯を大挙して
南下したことが伺える。そういった状況で、FR-02族は分散した。
中国大陸に残ったのがFR-O2aであって、徐々に淘汰されて四散して
いったのがFR-O2bだった。
丁度、そのころ日本は縄文時代の末期で水稲耕作が始まってる。
大陸に残ったものと四散した部族の違いは、当時、既に部族
として分かれていてなんらかの、文化が決定的に違っていたから
だろうと思える。