弥生人が百越人であることは動かない2at ARCHEOLOGY
弥生人が百越人であることは動かない2 - 暇つぶし2ch820:LUNAMASK
14/09/06 10:49:25.03 3leAwnHT.net
>>815 >>812
>先着一部渡来弥生人の宗教観に深く根ざす
>墓石に巨石を使うのは多々有りとして、 深山幽谷のご神域にある巨石や巨木を
>依り代として崇拝するのは、縄文人の宗教観ではありませんか??
ヒマラヤ・チベットの同族になしとは言えない。
>>816 >>812
>先着一部渡来弥生人の宗教観に深く根ざす
>もっとも三輪山や沖ノ島のように、ご山体を沖津(奥津)・中津・辺津の
>三つの輪(三輪)にみたて、神域から居住地にいたる禁足地を三段階に
>分けて信仰拠点を整備したのは、先着一部渡来弥生人の宗教観である
>と言えそうですが..

>>817 >>812
>以前に月光さんが引用されていた、わが日本が誇る白鳥庫吉の講演要旨
○三輪すなわち天地人三才の思想
>「もしこの臆説を眞とせば、次に考ふべきはこの思想は支那本來のものなりや、
>はた外來のものなりやの問題なり。思ふに陰陽及び天地人三才の思想はカルデア
>にもアッシリアにも存し、イラン民族に起りしゾロアスターの教は、陰神陽神を
>設けてその世界觀を説きたり。
>印度にては三才の思想は梨倶吠陀(リグヴェーダ)に存し、佛教の眞如と無明と
>は陰陽思想の變形なり。この思想はアリアン及びセミチック種に著きが如し。
>而して二十八宿は印度にては二十七宿( 初めは二十八宿なりし也、
>ナクシヤトラといふ )にして、アラビアにては二十八宿なり。
>この類似は三者偶發的とするよりも、同一起源に基けるものと考ふるを至當とす。
>その起源に就きては、從來之れが研究に從へる西人の間に考説の區々なるありと
>雖、とまれセミチック族に起りしものならん。支那より西方に移り行きしもの
>とは考ふる能はず。而してラッセンによれば二十八宿の印度に入りしは、
>西紀前一一五〇年頃ならんと。その眞僞は明ならざれども、支那に入れるも
>その前後なるべきか。
>白鳥庫吉 明治四十五年二月二十二日、漢學研究會の講演 」
彼が世界的学者であるのは漢籍に対するこうしたグローバルな学究的解釈分析にある。
当然ながら記紀の原理主義的解釈は唾棄されたはず。三才思想はチュルク・モンゴル
世界観が中原に浸透したもの。


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