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神功は後の蘇我氏につながる、天日矛、武内宿禰とは同族の五角形住居文化を持つアルタイ貊族(兀良哈)
であり、神武・卑弥呼神話を持ち、古蜀文化ともつながる畭瑶族とは別系統で、どちらかと言えば粛慎・靺鞨の
武甕槌に近かったと考えられる。
蘇我<素鵞<白鳥トーテム高夷、は燕周辺の貊族。燕王盧綰が冒頓単于によって東胡廬王を拝命した後、
興安嶺、アルタイに移動。その後一部は後期弥生に五角形住居と共に渡来するが、一部は穢貊となり、夫余、
高句麗、百済を建国。匈奴と共に中国北西に進んだものは前秦が肥水之戰で崩壊したのちに百済経由日本に
渡来する。これは主として葛城の馬見古墳群被葬者となる。蘇我氏はこの中から生まれる。