11/04/09 14:28:22.11 BmVcDwPu.net
高床式建物は、長江江南では5000年前には既に「木骨泥墻」(もっこつでいのう)に
取って代わられていた。
>私が見たものでは高床建物を出す遺跡は右の二つだけで、あとは全部「木骨泥墻」を
>出すものでした。陰湘城がすでに述べたように木骨泥墻ですし、その東にある
>石家河遺跡がやはり木骨泥墻です。この遺跡は陰湘城と同じように環濠集落なのですが、
>はるかに巨大です。壕の長径は1.5キロメートルに達します。これはもう村というより
>都市だとされています。時代は石家河文化時代(前2600~2000年)です。
>右の情報を横並べにしてみると、次のようになります。
>
> ①河姆渡第3~第4期(前5000~前4000年)
> ロングハウス式高床建物
> ②屈家岺期(前3000~前2600年)
> 木骨泥墻・環濠村
> ③石家河期(前2600~前2000年)
> 木骨泥墻・環濠都市
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