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アメノヒボコ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。『播磨国風土記』には神として登場する。
概要
古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理(たぢまもり・田道間守{日本書紀})であり、
次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命であるとされている。しかし日本書紀において結婚したの
はアメノヒボコでなく意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等とされている点で異なる。
なお、アメノヒボコは新羅の王家、朴氏、昔氏、瓠公との関連の可能性があるとする説もある。(新羅王族であった昔氏は、
倭の但馬地域から新羅に渡り王となったとされており、新羅王族であるアメノヒボコは但馬・出石に定着した。ただし、
昔氏のもともといた場所についてはこの他に日本の東北、丹波等が上げられている。)
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日本書紀 [編集]垂仁天皇3年春3月に昔に新羅王子・アメノヒボコが神宝、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種を持参した事への言及があり、その渡来の記述がある。
昔有一人 乘艇而泊于但馬國 因問曰 汝何國人也 對曰 新羅王子 名曰 天日槍 則留于但馬 娶其國前津耳女 一云 前津見 一云 太耳 麻?能烏 生 但馬諸助 是清?之祖父也
? 『日本書紀』垂仁紀
また、播磨国、近江国、若狭国を経て但馬国の出石に至り、そこに定住して現地の娘・麻多烏(またお)と結婚したとしている。
しかし日本書紀においては、アメノヒボコと阿加流比売神は結ばれていない。
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都怒我阿羅斯等
都怒我阿羅斯等の像(敦賀駅前)『日本書紀』では、アメノヒボコの渡来前に意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が渡来し、
この説話の前半部分、アカルヒメが日本に渡りそれを追いかける部分の主人公である。都怒我阿羅斯等は3年後に帰国したという。
なお子孫は『新撰姓氏録』によれば左京諸蕃に清水首・大市首、大和国諸藩に辟田首がいる。