正史『三国志』 二十八巻at WHIS
正史『三国志』 二十八巻 - 暇つぶし2ch100:世界@名無史さん
12/11/04 18:18:03.23 0
華キンは建安から魏初に掛けての屈指の名士であったろうけど、
その中でも三国志上で特筆される地位に置かれているのは、
「漢魏交替を是認し、一連の儀礼で中心的な役割を果たした大功ある名士」だから。
漢魏交替に否定的な史観の下では「悪役」になるのは仕方がない。

というか、独行の隠士を含む諸儒を列伝十一、十二に置き、十と十三を分けている辺り、
「統一王朝晋の許で『三国』志を執筆した蜀漢の故臣」陳寿の史観もなかなか一筋縄ではいかない。

101:世界@名無史さん
12/11/04 18:22:54.22 0
>>99
>当時は中央より揚州や益州の方が安定していたから、

年がら年中反乱祭りの揚州が「安定していた」とかありえんし・・・。
一度後漢の年表見ればいい。
数年単位で乱が起こりまくってるから。

102:世界@名無史さん
12/11/04 19:17:53.83 0
>>101
益州とか酷いよな
200年代入ってからも反乱連発で赤壁前に劉璋の腹心まで裏切って反乱しとるし

103:世界@名無史さん
12/11/04 20:27:41.41 0
年表見ると、後漢中後期の飢饉・流民増加は青州辺りから始まって徐々に周辺に拡散してるんだよね。
中原人もその流れに沿って避難した。逆は起きていない。
魏・呉・蜀の本拠がそこにあるのは偶然じゃないんよ。

104:世界@名無史さん
12/11/05 15:53:07.77 0
塩婆のローマ人の物語を見ても分かるとおり
古代人は搾取しまくりのクズ人間が多い。キケロも億単位で財産を持ってたが
それでもつつましいといわれてたくらいだし
姦雄の親父も十億金で官位を買ったとかいうしそしてその親父が清廉だって
いう位なんだから中国古代も相当腐ってたんだろうな
そんな連中ばかりの時代の名士なんてのも相当怪しそうだな
搾取の仕方が上手い奴ほど名士と言われるんだろうな
>>100
なぜいまだに患者は被害者ぶりたがるんだろう
阿Qの人も矛盾論の人も皆患者なのに。もう100年経つのに
現在の三国志論も患者の論であふれかえってるのに
自分を特別だと思いたいのかな

105:世界@名無史さん
12/11/05 17:07:44.42 0
この時代の文学について触れないのは
それがあまりにも仏教文化の注釈的だからだろう
仏教文化からもっとも遠かったのが出師の表ぐらいなんだから
まさしく蜀漢は中華文明の正統後継者だったのだな

ローマ史においてのキリスト者のように魏や呉を非難して
ほしいものだが塩婆は魏や呉派なんだろうなw

106:世界@名無史さん
12/11/05 17:38:05.82 0
>>103
青州よりも揚州のほうがひどいぞ。

107:世界@名無史さん
12/11/05 18:01:48.70 0
距離的に考えて、仏教に一番近いのは蜀のはずなんだが

108:世界@名無史さん
12/11/05 20:23:40.14 0
>>107
距離的にはそうだが、蜀は南部が不安定でインド方向と上手く南と連携できないからなぁ

109:世界@名無史さん
12/11/06 07:38:05.44 0
三星堆文化を見るとインドの影響は昔は相当だったらしいが三国時代になると大分薄まる。
蜀が仏教文化の中心になっていれば、天下も取れたと思うしなぜ積極的に
導入しなかったかは疑問だ(劉備孔明の平和主義と仏教は融和しやすいだろうに)

上にも書いたが宗教と密接な関わりを持ったのは姦雄と孫権だ
支謙に頼んでまで経典を翻訳させたのは孫権で、
黄巾兵(仏教の影響のもとに成立した)と親密だったのは姦雄だ

文学への影響については仏教に深い関心を示していたのは曹痴で詩にも色濃い
姦雄の人生いくばくぞやなんてのは、無常観を表してるといえよう

110:世界@名無史さん
12/11/06 07:50:45.17 0
劉備孔明の平和主義って具体的に何の事?

111:世界@名無史さん
12/11/06 12:04:41.59 0
ま、少なくとも民を大量虐殺しなかったし
内治においても善政を布いた

112:世界@名無史さん
12/11/06 12:13:45.02 0
漢後期からシナの文化の内容が変わっていく
生への苦しみをうたう詩が増えてきた。特に今まで抑圧されていた
民が苦しみをうたう詩が増えた。まるでなにかよりすがれるものが出来たかのように
何に希望を託していたのかは興味があるが、それ以後の例えば建安の詩など
民の苦しみの発露をパクッただけのものだ。
権力者への不満の詩だったのに、権力者側に盗まれ、権力者の自己顕示のために使われたのだ

113:世界@名無史さん
12/11/06 12:23:08.89 0
シナのいつものパターンだが高度な文化に触れても
その真髄を見極めることが出来ず、実用品としてしか使うことが出来ない
科学文明もそうだったし、仏教もそうだ
魏晋のときの衒学者達も仏教を、自分達の偽善性を擁護してくれるものだけだとみて
礼儀など無視してもいいのだと勘違いし、周囲の諸民族の反感を買い
結局ボコボコにされることになる

114:世界@名無史さん
12/11/06 12:27:02.75 0
ところでお前ら、あと1週間ほどで聖書を基にしたあの某超有名アニメの
映画が始まり、日本がいや特にネット上でその話題で持ちきりになるけど
お前らはそんなときでも黴臭い姦雄をマンセーしてんの?w

115:世界@名無史さん
12/11/06 14:36:37.65 O
なんか変な人に居座られたね。
角田一家の人?
当分ROMるから早く巣に帰って。

116:世界@名無史さん
12/11/06 15:06:25.28 0
>>107
魏晋の時代の仏僧って西域や中央アジア出身者ばかりだし、蜀が一番近いってことはない

>>101
青徐出身者が多く江南に避難しているのは事実
>>102
そうは言っても三輔や南陽から益州への疎開者は多い

117:世界@名無史さん
12/11/06 17:36:36.58 0
>青徐出身者が多く江南に避難しているのは事実

避難って言うか、大半は袁術にひっついてきた連中だろ。

118:世界@名無史さん
12/11/06 18:51:32.71 0
アニオタの荒らしキンモー><

119:世界@名無史さん
12/11/06 20:45:43.78 0
久々に伸びてると思ったらみんなして荒らしにかまってるとか…

120:世界@名無史さん
12/11/06 23:34:03.33 0
>>117
そんなことないよ
淮南じゃなくて江南/江東に避難されたと記述されてる連中は袁術関係ない
青州出身者は劉ヨウ関係者が多いだろうけど

121:世界@名無史さん
12/11/07 01:55:31.39 0
>>120
それ諸葛兄だけじゃん。
二張は孫家がまだ袁術配下だった頃の就職だし。

122:世界@名無史さん
12/11/07 14:46:17.44 0
>>115
三戦板でも素っ頓狂なこと書いているから
誰も相手にしていないけどwwwwwwwwww

123:世界@名無史さん
12/11/08 12:57:10.72 0
建安の詩などどうせ民の文化、仏教文化のパクリなのであろうし、そう価値も見出せないが
もしこういう理由ならばそこそこの評価を下してやれなくもない詩がある。短歌行だ
これの制作年代は不明で、演義では赤壁のときに詠まれたものとなっている
だがこの詩はあるものへの弔いの詩ではないだろうか、あるものとは関羽である

人生幾何ぞ たとえば朝露の如し 去る日苦だ多し (ふむ、無常観)で、次だ

青青たる子が衿 悠悠たる我が心 ただ君の為の故に 沈吟して今に至る

ここでいう子だとか君だとかは関羽のことを詠っているのではないか
荊州での戦の後、関羽の首が送り届けられ、そのときに酒を片手にこの詩を詠んだ
だとするならば一代の英雄に対してのレクイエムとしてならばまあ上出来だろう

124:世界@名無史さん
12/11/08 13:12:05.59 0
俺はまず漢詩、漢文の愚痴っぽい調子、ストレートでない表現が嫌いで
ましてやこの姦雄の詩なぞもよりひねくれていて真意が分かりにくい

だが関羽との交流はやはり良い、演義では関羽の顔が見開いて恐怖させたり
亡霊にになって苦しませたりするが、それはむしろ関羽の品位をさげている

そんな悪霊みたいな奴では無いだろう。姦雄も関羽だけには敬意を持って接したと思うし
関羽もまた敬意をもった、関羽の死を目にして人の世の儚さを感じそしてこの詩が生まれた
弔うといってもやはりひけらかしの面もあるが、関羽は目をつむって黙ってそれを聞いたろうな

125:世界@名無史さん
12/11/08 22:56:37.31 0
>>121
諸葛兄以外にも袁術に関係ない青徐出身者は
魯粛、太史慈、徐盛、歩?がいる

126:世界@名無史さん
12/11/09 03:28:49.30 0
魯粛・・・元袁術の部下で県長をやってた。袁術死後に混乱する揚州を見限って北に帰ろうとするが、周瑜の斡旋で孫策の元にいっただけ。
太史慈・・・「こいつをつかったら許劭殿に馬鹿にされるよ」と劉ヨウに言われる軽い扱い。孔融の評価も役に立たず。ただの軍人。
徐盛・・・こいつもただの部隊長。
歩シツ・・・諸葛瑾、厳シュンと友達だが、最初に官についたとき仕えた相手が不明。袁術の可能性あり。

127:世界@名無史さん
12/11/09 04:14:56.15 0
北来名士たちは、孫策には出仕しないで、孫権には出仕したものたちが多いが、この空白は一体何?

128:世界@名無史さん
12/11/09 07:18:49.47 0
>>116
中国は世界の文学、思想の翻訳のほとんどが遅れていて
日本に頼りっぱなしなのだが仏教経典だけは中国が先だ、が、
訳経したのはほとんどイラン人やインド人や西域人
でやはり中国人は文化の移入というものが苦手なようだ

129:世界@名無史さん
12/11/09 11:38:02.16 O
>>127
孫策嫌われてたんじゃない?無茶するし。
でも孫策→孫権への権力移譲がスムーズに行ってるから、名士層から支持はある程度はあったのか?

130:世界@名無史さん
12/11/09 14:43:37.10 0
周瑜(魯粛)→呂蒙→陸遜
の黄金リレー

131:世界@名無史さん
12/11/09 19:32:33.54 0
>>122
何の関係も無いただの通りすがりだけど
多分その人のレベルに住人がついてこれないだけでは?

結局三国志語ってる奴ってせいぜい正史の後追いだけでなんの独創性も
ないもんね。それが学者レベルでもそうなんだから困る
正史の後追いどころか劉備の欠点あげつらって姦賊マンセーしてるだけだもんね

なんの進展もない。ネットより遅れてる学会なんて無いけど、中国古典文学の世界だけは
ネットの方が進んでることを認めざるをえないな。権威に対して常に反抗する
WEB住民にとっては普通だったらざまあwなんだろうけど
患者にとってはアダなんじゃないの?なんといっても三国志関係の学者どもが
全員馬鹿でしかも自分達と同じ患者ときてるんだからwwwwwwwww

132:世界@名無史さん
12/11/09 19:38:24.42 0
まあ、僕も>>128さんみたいに仏教に、注目するなりしてこの時代の研究を
少しでも進め、この時代そのものについても、この時代の研究についても
創造性を強めたいと思ってるどちらかといえば
蜀びいき(けっして病気になるほどではございません)の
通りすがりがお送りしました~ ペコリ

133:世界@名無史さん
12/11/09 19:52:40.80 O
あのな・・・
世の中、思い通りにならないこともあるんだと受け止められるくらいには大人になろうや

134:世界@名無史さん
12/11/09 20:05:07.99 O
すごいニューカマーが出てきたものだ・・・
ここは2chだぞ。
三国志が好きで、三戦板より落ち着いて正史の話がしたいからここにいるだけだぞ。
あなたのような意見、立ち位置も、決して否定はしないが、板にとっては正直異物だ。
とにかく、自分の感性を他人に押し付けるのはやめてくれ。
皆で議論できるような話題の提供なら大歓迎だが。
以上、皆さん長文申し訳ない。

135:世界@名無史さん
12/11/09 21:19:26.55 0
URLリンク(market-uploader.x0.com)

136:世界@名無史さん
12/11/09 22:33:18.66 0
↑こうやって、
マンガ家はマンガ登場人物のデッサンをおこすのかぁ

137:世界@名無史さん
12/11/09 23:12:28.41 0
>>135
このスレで一番興味深いレスだ

138:世界@名無史さん
12/11/09 23:45:42.44 0
>>135
ワロス

139:世界@名無史さん
12/11/10 06:57:02.90 O
>>135
自作自演で自画自賛しているバカより全然おもろいわー

140:世界@名無史さん
12/11/10 08:52:18.14 0
>>129
全然スムーズじゃねぇ

というか孫権は親族内で出血こそ見ないもののずーっと主導権争いを静かな形でやっとるよ

141:世界@名無史さん
12/11/10 10:39:17.23 0
馬玩w

142:世界@名無史さん
12/11/10 11:34:57.47 O
>>128>>132
自演乙~~~

143:世界@名無史さん
12/11/10 15:50:04.28 0
>>121
いや、「袁術にひっついてきた」というのを否定してる
あの時点で袁術は江南を抑えていない
淮南をスルーして江南に避難した連中はいる
二張しかり
>>127
単に時差的なものが一番大きいと思う
孫策に出仕せず、孫権に出仕した連中は二グループに分けられるだろう
ひとつは孫策時代は年齢的に若かったというだけの連中
もうひとつは劉ヨウの遺臣団だが、これも時間が経てば仕えたと思う
孫策の末期は西に東に軍事行動が忙しかったのも関係あるかも知れない

144:世界@名無史さん
12/11/10 19:33:41.57 0
>>143
張紘の場合、袁術に好意的だった可能性すらある。
張紘を孝廉に挙げた趙昱が、サク融に殺害されているから。
サク融は袁術の敵だった。

145:世界@名無史さん
12/11/11 11:03:06.54 O
袁術はあれだけの名声と勢力があったのに、どうして徐州方面は影響下に置けなかったんだろ?

146:世界@名無史さん
12/11/11 12:05:36.52 0
名声と勢力がどんな性質のものだったか考えればわかるんじゃね?

147:世界@名無史さん
12/11/11 12:26:03.28 0
陶謙がいたから?

148:世界@名無史さん
12/11/12 17:57:14.93 0
>>145
袁術助けたら袁紹と曹操に睨まれちゃうだろ。

149:世界@名無史さん
12/11/13 08:41:02.03 O
>>145
劉備が強かったからってのが意外と妥当な理由だったり。

陶謙時代→連携。後に仲たがい。
劉備時代→交戦状態
呂布時代→友好?袁術側が没落

徐州を影響下に置くには劉備時代だが、戦争で優勢で、劉備を徐州から追い出すことができても、戦略的には成功しているとはいえない。

150:世界@名無史さん
12/11/13 11:32:29.77 0
該当の州内部の名士衆とつながりなしに
外部勢力が純粋に軍事力のみで
一州を制圧・実行支配するということが事実上不可能な時期だ

もうちょっと後の曹操と袁紹でさえ、複数の州の統治ができるようになっても
完全に掌握できていたのはそのうちの一部

袁術は大勢力にみえても、その実行支配力は傘下にある「個の人」に依存するんだよね
袁術の力の根源は地方自治体の任命権・人事権であって中央集権的な軍事力ではない
だから袁術は献帝の権威を徹底的に否定しようとした
節を奪ったのも単なる幼稚性の悪意ではない
献帝の権威の正統性が広がり始めた(関東諸侯の間で回復しはじめた)のと淮南での袁術勢力の分解はほぼ反比例している

151:世界@名無史さん
12/11/13 12:03:43.51 0
>>150
最後おかしくないか?
袁術はむしろ献帝の権威を利用してたように思うんだが

馬日テイは袁術に協力したとして孔融に批判されたように
曹操と袁紹が献帝を確保する以前は袁術は献帝の権威を自分の権力拡大に利用してたと目されてる

袁術の勢力分解はむしろ自分が保持してたはずの献帝の権威が
曹操と袁紹に確保されてしまったことによるアドバンテージの消失からで
その消失を補うための皇帝即位ではないの?

152:世界@名無史さん
12/11/13 13:55:57.20 0
袁紹が劉虞を奉戴しようとした際は親献帝にみえるが
小康状態の長安政権に対して陶謙や曹操が示した姿勢や行動の記録がない
この時点で何もしないというのは事実上、反献帝だろうな
劉焉・曹操・張楊・陶謙・公孫サンなど時期は違えど何れも親献帝の立場をあらわした


あからさまに黙殺したのは袁紹劉表

それに袁術


初期こそ周囲にたいしては袁術は「親」を演じたかもしれないが、
帝から正規に任官された者とバッティングしても
蹴散らした上にまるでフォローをしない(この点が曹操と決定的に違う)点からして、
「漢の忠臣・名門」から「実力者」というふうにスライドしていったのだと思う

153:世界@名無史さん
12/11/13 14:31:03.93 0
>>152
親献帝に見えるというよりは反袁紹として袁紹が権威ある存在を手に入れることを嫌ったんでは?

154:世界@名無史さん
12/11/13 14:35:47.69 0
あと袁術は黙殺したんじゃなくて李カクとやり取りして色々便宜図って貰ってるよ

当時の李カクは献帝を擁立してる
官爵を与えることと受け入れることで相互に正統性を補完してる
袁術が何もしなかった、というけど袁術は普通に献帝から受け入れてるから
親献帝として曹操が献帝を手に入れるまで動いてるよ

むしろ問題になるのが曹操で袁紹の命令に従ってあちこちの防衛に駆出されてて
何もしとらんどころか嬉々として袁紹に従っとる

155:世界@名無史さん
12/11/13 22:33:48.02 0
そこまで袁紹に従ってるイメージないな
たとえば公孫サンと戦ったのは
東郡所属の発干に進駐されたからなんだろうし

156:世界@名無史さん
12/11/14 05:38:03.40 0
袁紹包囲網も袁術派の動員力っていうよりパワーバランスの結果だからな
曹操の立場もまたしかり

例えば欧州戦線でドイツはソ・英・米と戦って負けたが
その実はソ連に対して100個師団300万人以上を投入し
それに比べれば西部戦線や地中海なんか「バカンス」の土地といってもいいくらい力をいれてない

公孫サンは間違いなくドイツに対するソ連であって袁紹包囲網のコアを占めるわけだが
そのソ連の力は対独打倒を最初から叫んでいた英(袁術)の力ではない

ドイツが四方八方から総攻撃を受けたら同盟国のイタリア(曹操)は
当然のようにその一方面くらいは分担しようとするだろう
それをもってしてイタリアはドイツの属国であったかというとそうじゃない

157:世界@名無史さん
12/11/15 00:11:20.77 0
>>155-156
いや曹操は青州まで遠征しとるがな
方面持ったってレベルじゃなくて普通に袁紹に率いられてあちこち連れ回されてる

158:世界@名無史さん
12/11/15 17:44:27.29 0
実業之日本社:知れば知るほど面白い 「その後」の三国志
URLリンク(www.j-n.co.jp)

159:世界@名無史さん
12/11/16 00:20:11.75 O
献帝手に入れるまでは曹操は袁紹隷下の軍閥じゃないの?
大内氏と毛利氏とかモンゴル帝国と漢人4大軍閥とかローマ帝国とヘロデ王とか、そんな感じ。
徐州大虐殺やその発端となった曹嵩SATSUGAIも
袁紹系の曹操と公孫サン系の陶謙との争いだろ?

160:世界@名無史さん
12/11/16 08:16:56.45 0
陶謙は独立独歩系

皇帝僭称の賊と結んだり
予州に食指をのばしたり
朱シュンを後援したり
名士を弾圧したかとおもえば死後悼まれたり

なかなかレベルが高い妖怪の類だな
こいつこそ「若ければ乱世に覇を・・・」みたいな感じだ

161:世界@名無史さん
12/11/16 08:20:18.52 0
>>160
陶謙の薫陶を受けた劉備が堂々登場!
でも呂布のせいですぐ退場!
そして裏切り負け残り疫病神人生へ。

162:世界@名無史さん
12/11/16 08:56:38.42 O
公孫さん配下の劉備が陶謙の救援に行ったのは、自陣営に引き入れようとしてたのか?
でも救援に来た劉備の妖怪っぷりを陶謙が気に入って、妖怪の後継者に。

163:世界@名無史さん
12/11/16 09:29:03.85 0
実際劉備が陶謙勢力を引き継いだ時点で
袁術-公孫サン系から袁紹系に鞍替えしてるからな

しかし陶謙という男は曹操の恥部を隠すために必要以上に悪に書かれたり
劉備の正統性を示すために大人しい無害な老人に書かれたり
孫策とはよろしくなかったけど孫呉陣営の北方名士とはパイプがあったりと
各々が自由にイメージできる素材だなw

164:世界@名無史さん
12/11/16 10:02:07.97 O
軍人として世に出て茂才に推挙されてるし、某KOEIゲームでの能力値ももっと上げて欲しい。
三戦みたいなレスしてごめん。

165:世界@名無史さん
12/11/16 10:34:48.52 O
>>160
今手元に史料がないのでうろおぼえだが、公孫サン伝あたりで厳綱・単経・田楷の3羽烏と並んで出て無かったっけ?
確か徐州に陶謙配置したのは公孫サンだったような…。

166:世界@名無史さん
12/11/16 12:20:45.12 0
劉備が死にそうになって、諸葛亮に「せがれが駄目ならお前取ってかわれや」といったのは、陶謙の影響だろう。

167:世界@名無史さん
12/11/16 16:13:39.80 0
>>165
陶謙は厳綱・単経・田楷のような有象無象のローカル人士じゃなくて中央エリート街道の出だ
公孫サンが横に並ぶことはあっても上に立つことはできない

168:世界@名無史さん
12/11/17 00:52:19.23 0
陶謙は元幽州太守だっけ

169:世界@名無史さん
12/11/17 02:38:22.36 O
>>168
確かそうだったはず。
だけど、細かいけど州なら「刺史」な。

170:世界@名無史さん
12/11/17 19:34:13.05 0
>>165
陶謙は東郡の発干に進駐してるけど、発干は黄河北岸。
同姓同名の別人か、他の武将と書き間違えたと見る方が整合性がある

171:世界@名無史さん
12/11/18 07:30:43.82 0
>>169
陶謙は泰山太守応劭等と朱儁(シュン)を擁立したから,泰山郡は仲間の圏内。
曹操は東郡太守から兗(エン)州牧になったけど,東平や済北で青州黄巾と戦って降伏させたばかり。
別人や地名誤りの可能性もあるけど,決してできないことはないのでは。

172:世界@名無史さん
12/11/18 14:53:36.75 0
陶謙は中牟にいる朱儁に兵士の供与したりしてたしね。
後に任城に侵入したりもしてるし、発干まで進軍できた可能性はある。

173:世界@名無史さん
12/11/18 20:04:12.58 0
曹操・袁紹を牽制するなら発干にまで陶謙自ら出張るのは不自然だと思うよ
それこそエン州を南方から圧迫した方が、相手方戦力の分散にもなる
発干まで行くコスト、撃退されて帰還するコスト、どちらも甚大
エン州刺史の単経が平原ではなく発干におり、
代わりに平原にいたのは田階だと考えた方が自然

174:世界@名無史さん
12/11/19 10:02:03.69 0
同姓同名の別人の陶謙だった場合は置いとくとして
同一人物で、徐州から発干に出兵したとしても別に公孫サンの部下だから出兵したわけじゃないからな

まぁその後の田楷への援軍要請の成り行きからして陶謙本人だった可能性が大だけど

175:世界@名無史さん
12/11/21 09:57:12.97 O
陶謙話おもしろい。
陶商、陶応はその後どうなったんだろね。
徐州で勢力を残した風じゃないし、丹楊は孫家の影響下に入ってるから帰れないよね。

176:世界@名無史さん
12/11/21 15:08:16.36 0
帰れないってか、そもそも徐州に来ていたかどうかも分からんよ
孫静や孫策だって孫堅に同行してなかったわけで

177:世界@名無史さん
12/11/21 17:48:20.82 0
軍の世襲でも難しい(孫堅)時代に一州まるまるを世襲なんて無理
外界と遮断されてる劉焉がやっとできるくらいで
子が親の権力を受け継ぐという概念が通用するのはもっと時代が下ってから

178:世界@名無史さん
12/11/22 01:50:37.56 0
そう考えると劉表って凄いよな

179:世界@名無史さん
12/11/22 06:34:09.49 0
だから袁紹が我が子たちに重責を与えるってのはおかしくないんだよね
ボスが生きているうちから政権運営に高いレベルで参与させておくと
死んだあとに遠縁や重臣の台頭を防げるからね

本命が袁尚にしろ袁譚にしろ一人に絞ってしまうと不慮の際に
(大本命の織田信忠死後のように)
残りの織田家に力が無く秀吉に操られてしまう結果をみるに、なんともいえないね・・・

180:世界@名無史さん
12/11/22 08:50:24.56 O
>>178
劉表の場合ほとんど「王位継承」だもんね。
>>179
劉キが江夏太守になったのも権力継承の一端?劉ソウは当時、官職持ってたっけ?

181:世界@名無史さん
12/11/22 20:15:54.52 0
あまり詳細のわからない倉亭が袁譚の政治生命終らせたのかなと推測してみるテスト

倉亭の戦いは青州方向から攻め込んでいるがこれに負けたので
勢力内での信望失って後継の道が断たれたとか

182:世界@名無史さん
12/11/23 03:12:42.84 0
青州って不服従勢力が強くて、袁譚は全土治められてない。
やっと治めていた少しの領土を戦争で荒らされたら再起不能だ罠。

183:世界@名無史さん
12/11/23 13:00:39.92 0
しかしこんな馬鹿な商売やって味をしめたら真面目な稼業にはつけないわなw

184:世界@名無史さん
12/11/25 21:48:32.94 0
URLリンク(seiji.yahoo.co.jp)

185:世界@名無史さん
12/11/27 04:27:12.57 0
統治しづらい青州をうまく治めたぞという箔をつけて後継者にでもするつもりだったのか

186:世界@名無史さん
12/11/27 04:39:07.03 0
後継争いになったら、一番貧弱な袁譚が真っ先に潰されて終わるやん

187:世界@名無史さん
12/11/27 11:18:30.73 O
袁紹の勢力圏てどこも不安定では?
冀州は豊かだけど反乱も多いし。幽・并は辺境だから、掌握できてたのは青州と変わらないかそれ以下。

188:世界@名無史さん
12/11/27 12:37:31.12 0
まぁ袁紹が冀州を統治したのは10年足らずで
しかも袁紹とは、もともと縁もゆかりもない土地・・・どころか、かなり際どく乗っ取った土地

曹操もそうだし、日本の戦国時代もそうだけど、
土地の実質的な領主である土着の名士人を完全にコントロールできるまでが難しいんだよな
劉表も劉璋も孫策も呂布も陶謙も劉備もみ~んなそう

189:世界@名無史さん
12/11/27 19:18:38.79 0
袁譚は伯父の家を継いでたから後継者権はないのでは?
あと、これって漢晋春秋に書かれてるだけだっけ?

190:世界@名無史さん
12/11/27 22:39:43.82 0
>>189
誰の家を継いでようが勢力を引き継いだり同等の官位を引き継いだりすることは出来るだろ
出来ないのは爵位の相続だけ

191:世界@名無史さん
12/11/28 03:26:34.20 0
庶子の袁紹の家をついでも・・・
譚を送り込んで乗っ取った形ではないのか

192:世界@名無史さん
12/11/28 06:20:07.05 0
そんじゃ譚と尚の兄弟は何の地位や権利を争ったの?

193:世界@名無史さん
12/11/28 06:22:45.72 0
後漢だと、父親が有能で地位を持ってても、息子はしょっぱい閑職になることが珍しくない。
孫の代になると名前しか分からないというのも多数。
「親子で相続できない」んじゃない?

194:世界@名無史さん
12/11/28 06:36:56.90 0
三国志君主の資格は「世襲相続権を持つ」だ。
有資格者は曹操、袁紹、劉備、孫権、劉エン、劉表。

195:世界@名無史さん
12/11/28 12:23:18.67 O
前に誰かが言ってたが、勢力の継承ってのは大分時代が進まなければ無理だったんじゃないかと。
だから継承の可否で「資格」を問うのはちょっと違うんじゃないか?
軍勢のみ息子に継がせて、自身は中央政界に行った馬騰は他とは違う戦略を持ってたんじゃないか?

196:世界@名無史さん
12/11/28 16:26:49.09 O
袁煕…

197:世界@名無史さん
12/11/28 22:31:48.11 0
URLリンク(seiji.yahoo.co.jp)

198:世界@名無史さん
12/11/28 22:42:34.14 0
>>194
公孫度……

199:世界@名無史さん
12/11/29 00:30:04.88 0
【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 23膳目
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
やる実が、後宮の女史になったようでス。【18禁】6夜
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)

三国時代にも関連しているからおすすめ

200:世界@名無史さん
12/11/29 00:30:45.49 0
【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 23膳目
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
やる実が、後宮の女史になったようでス。【18禁】6夜
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)

201:世界@名無史さん
12/11/29 06:06:05.06 0
公孫氏は世襲をやったので君主ではあるが、三国には数えられない。
交州の士ショウと同じ程度の存在。

202:世界@名無史さん
12/11/30 09:15:56.88 O
地方の太守や州刺史(牧)が独立勢力になるのは理解できるが、将軍位しかないやつが勢力をつくるのってどういう流れ?
地方にいて、軍勢握ってたとかならまだわかるが、袁術が南陽で勢力を作った基盤が良くわからない。
名声だけで統治権は確立するものだろうか?

203:世界@名無史さん
12/11/30 09:40:33.61 0
>>202
袁術はばっちり軍団引き連れてきただろw

204:世界@名無史さん
12/11/30 12:52:47.92 0
曹操に追い回されて目減りしていただろうが、質量ともに袁術軍は揚州第一だよ。

205:世界@名無史さん
12/11/30 14:05:30.46 i
0

206:202
12/11/30 16:36:48.87 O
>>204
楊州じゃなくて、董卓の難を逃れるため南陽にいた時の話。

>>203
張咨の後釜として南陽を支配するまでは、後将軍とはいえ軍勢は率いてないのでは?
孫堅が張咨を殺さなければ、袁術の勢力の基盤はできなかったのか?っていう疑問です。

207:世界@名無史さん
12/11/30 23:26:08.20 0
袁紹と同じで、董卓打倒を旗頭に義兵を募ったんじゃないの?

208:世界@名無史さん
12/12/01 05:41:08.14 0
身一つで飛び出した袁紹よりは、しばらく都に残ってた袁術はいろいろ準備していそうな感じ。
後将軍号もきっちりもらってるしね。

209:世界@名無史さん
12/12/01 07:01:13.95 0
袁紹が反董卓連合の盟主っていわれてるけど、ホント?
連合の中では地位も爵位も貧弱だし(自称奮武将軍の曹操よりはましだが諸侯の中では話にならない)、
曹操みたいに先手を打って主導権を発揮したわけでもなし。

210:世界@名無史さん
12/12/01 08:38:51.32 0
袁術傘下の孫堅が洛陽入城を果たしたりして袁術の方が活躍目立っている

211:世界@名無史さん
12/12/01 08:56:19.09 0
でもその軍団は孫堅のものであって袁術のものではないからな

212:世界@名無史さん
12/12/01 09:12:53.59 0
>>209
少なくとも三国志(武帝紀、袁紹伝)にはそう書いてある。

213:世界@名無史さん
12/12/01 09:16:43.20 0
袁紹がすごいのはないない尽くしのところから冀州ぶんどりやったところでね。
曹操と同じ成り上がりタイプでしょ。
名門を武器にしてないよ。

214:世界@名無史さん
12/12/01 13:00:18.74 0
袁術が袁氏の本流として汝南を基盤に揚州や荊州へと勢力を伸ばした

215:世界@名無史さん
12/12/01 14:19:54.86 0
汝南は曹操に取られたし、ていうかその前から黄巾も跋扈してるしで、とても袁術の基盤として役に立ったとは・・・。

216:世界@名無史さん
12/12/01 14:32:46.57 0
汝南袁氏って董卓によって全滅してるだろ。
二袁に袁氏一族の人材が乏しい、っていうかほぼいないのをみても根絶やしにされてるようだ。
これでは汝南が基盤でも使えない。

217:世界@名無史さん
12/12/01 15:19:27.12 0
>>216
全滅って豪族舐め過ぎでない?
棟梁格の袁隗、袁基は死んどるが地元に残ってる連中はいるはずだぞ
袁遺、袁胤辺りもいたから「ほぼいない」というのはおかしいと思うんだ

ちなみに袁術は袁術で後に殺される兄の基が家継いでたから
反乱当初は分家扱いなんだよな

218:世界@名無史さん
12/12/01 15:25:40.89 0
>>217
>地元に残ってる連中はいるはず

誰一人でてこないが。

>袁遺、袁胤辺りもいたから「ほぼいない」というのはおかしいと思うんだ

二袁とあわせて4人しかいないってのが絶望的。
曹操のほうがまだましだぞ。

219:世界@名無史さん
12/12/01 15:33:26.14 0
>>218
王朝残して親族の記録が詳細に残ってる連中と一緒にするなよ
首魁の袁紹、袁術ですら嫁の記録ほとんど残ってない袁氏に対して
妾の名前までいくつも残ってる曹操とその一族の親族の記録量比較するのはバカげてる

220:世界@名無史さん
12/12/01 16:27:24.09 0
孫堅死亡で衰微した孫氏だって、当時の袁家よりは人材が多いぞ。
当時の袁家は劉備とタメ張るぐらい人材が枯渇してる。

221:世界@名無史さん
12/12/02 17:26:23.85 0
>>220
子孫が生き残って王朝打ち立てて記録残す側に回ってるからね
お前バカだろ

222:世界@名無史さん
12/12/02 20:14:34.90 0
でも、劉表劉ショウよりも一族の影が薄い

223:世界@名無史さん
12/12/02 22:31:16.08 0
そういう目線で見ると、
蜀陣営に吸収されたとはいえ馬一族初めとする涼州軍閥の一族武将率は異常

224:世界@名無史さん
12/12/03 21:31:33.89 0
>>222
代を重ねて土着化に成功してる例と土着化する前に
放逐された一族じゃ比較対照として間違ってるだろ
いい加減そのくだらない勘違いをやめろ

>>223
逆だろ
一族くらいしかまともに動員できる戦力がなかった零細ってこった

225:世界@名無史さん
12/12/04 17:47:38.40 0
一族すらろくに動員できなかったのが二袁w

226:世界@名無史さん
12/12/04 19:46:36.11 0
>>224
劉表は一代だし
劉ショウの方は劉エンから数えても2代目なんだが・・・

227:世界@名無史さん
12/12/04 21:02:19.16 0
>>225
そらそうよ
二人とも一族の総帥じゃねーんだから
一族動員できる立場だった袁隗と袁基が死ぬまでは一族動かせないし
死んでからも本家争いするからそうそう動員できねーよ
そんな中でも親族の名前出てるんだから二袁はやはりたいしたもんだよ

>>226
劉表は子の劉キと劉ソウがおるし赴任が189年頃だから20年くらいずっと荊州におる
二袁は袁術が10年もたんかったし袁紹とて精々10年を超えた程度だ
ここの差がでかい
しかも劉表の親戚が蜀の重鎮として滅亡するまでずっと出ずっぱりなんだから
記録も残ろうもんよ

228:世界@名無史さん
12/12/05 07:13:49.85 O
>>227
劉表の親族で、蜀政権の重鎮って誰?
伊籍?

229:世界@名無史さん
12/12/05 08:10:22.80 0
なぜ一番重要なのを忘れるのか

230:世界@名無史さん
12/12/05 08:40:48.08 O
>>229
マジでわからんので御教授を。
劉磐じゃないし、劉エンも血縁じゃない。
劉キの子とかが出てきたっけ?

231:230
12/12/05 10:23:28.58 O
ごめん「親戚」って書いてあったね・・武侯祠逝ってくるorz

232:世界@名無史さん
12/12/08 18:21:06.16 0
まあ、袁紹、袁術の直系を除いて、袁遺、袁胤、袁渙ぐらいしかいなかった点、
極めて厳しかった。他は皆殺しになったんでしょ。袁隗、袁基、袁滂など、有力な
のは董卓によって皆殺しにされたからね。

ちなみに、傍系には高幹、高柔などがいる。高柔は魏時代に三公にまでなっている。

233:世界@名無史さん
12/12/08 19:06:14.09 0
楊修とかもいたね

234:世界@名無史さん
12/12/11 19:25:53.00 0
諸葛亮が劉表の親戚の親戚ってのはどうにも眉唾だと思うけどな
なんで裴松之が注に入れないんだっていう
いつだかこのスレで指摘してる人がいたけど
現存する襄陽紀は、すでに散逸したものを清代に再編集したものなんだと

>>232
袁渙は汝南の袁氏じゃない
新唐書宰相世系ではかなり近い親族のように書かれてるけど
それを否定する碑文があったはず

235:世界@名無史さん
12/12/11 20:33:07.11 0
>>234
諸葛亮の妻方の一族が蔡氏と結婚して、蔡氏が劉表と結婚して・・・という関係じゃなかったか
そんな関係では逆に裴松之としてもそれをわざわざ収録する必要があるのか、っていうことも言える

236:世界@名無史さん
12/12/11 22:06:45.06 0
>>235
でも結構、瑣末な事柄も注で収録してたりするからなぁ
零陵先賢伝を引いて、諸葛亮が荊南3郡を統治した時に居住した県名を記したり

あと襄陽記(紀じゃなかった)を引いて黄承彦のことに触れてる箇所があるけど
なんでそこでついでに書かなかったのかと思う

237:世界@名無史さん
12/12/11 22:37:50.36 0
でも諸葛亮って劉表生前から劉キに近付いたり劉備に近付いたり
内部で相当動けてるんだよなぁ
20代の若造が簡単にできることではない

238:世界@名無史さん
12/12/12 00:49:33.22 0
孟達に殺された諸葛亮の姉の旦那もカイ良とカイ越と同じ一族でしょ?

239:世界@名無史さん
12/12/12 11:00:25.73 O
>>237
魏晋南北朝期は評判がモノを言うからなぁ。

司馬徽門下の将来有望な逸材として名は通っていたんだろうな。

就職活動中の学生がOBの会社訪問するみたいな感じで、案外簡単に会えたのかもしれん。

ところでお前らは諸葛亮と諸葛瑾が兄弟じゃない説についてはどう思ってるの?

240:世界@名無史さん
12/12/12 11:17:52.82 O
>>239
そういうお前はどう思ってるんだ?
少なくとも正史には兄弟だとわかる記述が載ってるが。
実際の血縁や生育環境はわからんが、一族的には兄弟なんじゃないか?

241:世界@名無史さん
12/12/12 13:29:54.26 0
>>239
ありえない話ではないが肯定する理由はない思い付きの域を出ない珍説だろ

242:世界@名無史さん
12/12/14 15:14:53.18 O
>>240>>241
正史にははっきり「兄弟」って書いてあるし、
孔明マニアの陳寿の言うことだから、信じるべきなんだろうけど。

でも瑾、亮、均ってやっぱり統一感がないんだなぁ。
珪と瑾で、排行が違うのに同じ玉へんなのも気になるし。

珪、瑾、璋で兄弟で、
孔明にとって瑾は「親戚のお兄ちゃん」だった、というのはオレにとっては説得力のある説なんだが。

243:世界@名無史さん
12/12/14 15:55:48.98 0
>>239
眉唾
字に統一感が無かったりするけど
憶測の域を出ない話だと思ってる

244:世界@名無史さん
12/12/14 21:23:50.15 0
>>242
曹操と曹拠も本当は兄弟だって言うなら諸葛亮と驢馬が兄弟じゃないっていうのも信じてもいいけどな

245:世界@名無史さん
12/12/15 10:47:53.34 0
司馬懿の兄弟:朗懿孚馗恂進通敏
司馬懿の息子:師昭亮伷京駿幹肜倫
司馬炎の息子:衷柬瑋乂允晏遐穎熾

こちらも統一感はないと思う
あざなは共通字があるけど

246:世界@名無史さん
12/12/15 18:08:22.99 0
結論:高島某とその説を信じる奴は語るに及ばない

247:世界@名無史さん
12/12/15 22:12:26.64 O
>>246
すまん。オレ岡大なんでな。

248:世界@名無史さん
12/12/19 14:24:03.93 0
岡大でそれだと親が泣くぞ

249:世界@名無史さん
12/12/23 08:26:42.69 0
そもそも排行とかいつ成立したんだっけ?

日本だって通し字の成立は意外と遅くて平安後期なのだが

250:世界@名無史さん
12/12/24 11:47:33.54 0
曹休と曹真も逆なんじゃねーのって話をどっかで聞いたような
字が文烈と子丹だから

251:世界@名無史さん
12/12/26 21:49:11.67 0
>>250
意味がわからない

252:世界@名無史さん
12/12/27 23:43:47.32 0
甄子丹って香港アクション俳優いるね

253:世界@名無史さん
12/12/28 12:43:34.13 O
そんな人したん

254:世界@名無史さん
13/01/03 10:09:34.69 O
この時代って正月祝ったりしてたのかな?

255:世界@名無史さん
13/01/03 16:32:37.89 0
記録ないし

256:世界@名無史さん
13/01/03 17:51:34.94 0
南北朝時代まで下っていいんなら、
北魏末の爾朱兆は正月の宴会やってた隙に強襲されて高歓に滅ぼされた
宴会というより部族内での年頭集会の意味合いが強いんだろうが

257:世界@名無史さん
13/01/03 20:13:20.30 0
当然祝ってるよ

三国志の中に何回か出てくるだろ
正月中に日食があった事件の描写もあったような記憶があるが

258:世界@名無史さん
13/01/03 20:20:22.25 0
文帝の二年に、
「春正月、天地明堂を郊祀す。」
とあるな。

259:世界@名無史さん
13/01/03 21:30:32.89 0
2月っていうほど春か?って昔の奴らに言いたい

260:世界@名無史さん
13/01/03 21:40:30.10 0
1月2月3月が春だから

261:世界@名無史さん
13/01/04 06:04:15.91 0
現代日本の暦と日本の風土の感覚で語られても

262:世界@名無史さん
13/01/04 09:12:38.19 0
>>259
旧正月って大体今で言う二月の頭から中頃だから
春って「一番寒い時期が終ってこれから暖かくなる時期」という認識だよね
日本でも二月中頃過ぎると一気に暖かくなるから国は違えども感覚的には理解できると思う

263:世界@名無史さん
13/01/05 17:34:38.49 0
【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 24膳目
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
やる夫が王莽になるようです その三
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)


みんな、三国志のちょっと前だけどおすすめ

264:世界@名無史さん
13/01/06 13:18:05.02 0
爆竹等で祭るのが春正月だっけ?

265:世界@名無史さん
13/01/13 21:43:28.49 0
保守

266:世界@名無史さん
13/01/19 00:18:05.34 O
スレチだが話題がないので。
池上遼一の三国志漫画完結したね。
期待と迷走と消化不良のまさに怪作でした。
ここの住民の方は、世に溢れるああいう三国志の二次創作モノは嫌い?全否定の人もいると思うけど、俺は面白いければそれはそれとして楽しめる。萌えはいらないが。

267:世界@名無史さん
13/01/19 00:45:35.60 0
ここは「三国志なんでも雑談スレ」じゃないのでおかえりくだちい

268:世界@名無史さん
13/01/19 08:12:56.43 0
そんなことより今期アニメの話しようぜ

269:世界@名無史さん
13/01/19 14:35:13.99 0
一般的に知られている三国志=三国志演義で二次創作モノだからな

270:世界@名無史さん
13/01/19 16:43:36.48 0
だからここは正史三国志のスレなんでしょ?
関係ないよね

271:世界@名無史さん
13/01/19 18:22:05.23 0
蒼天航路や覇(LOAD)みたいな正史ベースの漫画はありだと思う。

今期アニメは終わっているものばかりだけどね。け○おんで、アニメは完全に死んだ。
あの名作、蒼天航路さえ満足にアニメ化できない連中の力量なんて、たかが知れている。

272:世界@名無史さん
13/01/19 20:17:55.30 0
そういうのは三戦とか漫画系の板でやれば良いじゃあないか

273:世界@名無史さん
13/01/19 21:14:51.80 0
なんで急にアニオタやら漫画オタが湧いてんの?
どこでも勝手に話題をねじ込んできて、さっさとくたばってね

274:世界@名無史さん
13/01/19 21:31:50.47 0
>>271
まずどっちも正史ベースじゃないし、もしそういう漫画があったとしても他のところでやってよ

275:世界@名無史さん
13/01/19 22:17:33.84 0
>>85
サカモッチとコオロギジジイは仲悪いよ。

URLリンク(twitter.com)

>本田雅一
>ところで、なんでここに 西川和久さんがいない?mickとあれだけ一緒にいたのになぁ。

いきさつを知らない本田さんにはわからんでしょうが、西川和久氏は「お呼びじゃない」ってことですね。
↓NIFTY-Serve大同窓会
URLリンク(itpro.nikkeibp.co.jp)

無視されました、嫌われ者の仲間外れです。典型的な村八分ですね。
もう誰も覚えてないっていうか【思い出したくもない】というのが本音ですかね?

276:世界@名無史さん
13/01/19 22:37:39.28 0
たしか蒼天航路をベースに陳寿って奴が二次創作したものが三国志なんだったな

277:266
13/01/19 23:44:27.83 O
なんにせよレスが増えて良かったよ。

気を取り直して徐庶について話そう。
あいつが曹操陣営でそれなりに出世できたのはやっぱり穎川出身だからだよね?

278:世界@名無史さん
13/01/20 04:11:55.76 0
>>262
日本と中国の暦が作られた地方は気候が全然違うよ。
日本だと立春は1年で1番寒い時期とほとんど変わらない。
日本の多くの地域なり主要な地域で春になるのは、早くて春分から。
最近だともっと遅い感じだけど。

279:世界@名無史さん
13/01/22 03:27:08.44 0
坂井三郎に対する海軍の同僚の人からの評価も、
「列機を1機も失わなかったというけど・・・。列機が優秀だったから」
「腕はともかく頭はよかった」
「明るいが腕は「並み」のおとなしい、目立たない男」
「相手が死んでから昔の上官の悪口を言い出すなんて人間の風上にも置けない」
三四三空では、杉田上飛曹が 「あんなインチキはぶん殴ってやる」 と息巻き、それが隊上層部
でも問題になり、「杉田に上官暴行の汚名を着せるわけにはいかない」ということで、横空に戻る
ことになったが、横空では「あいつが戻ってくるのか」という空気だったとか。元搭乗員の方が
坂井氏のことを良く仰るのは僅かなようです。よく海兵出身の士官の批判をされていましたが、
ご本人が嫌っていた士官よりもむしろ、仲間のはずの下士官搭乗員に嫌われていたようです。

また戦後、大西中将夫人を商売で表に立てて利用したり、某有名戦闘機乗りの海軍の退職金を
持ち逃げ騒動、財団法人「天下一家の会」(いわゆるネズミ講)の広告塔となって元搭乗員を
勧誘したり、そのことが旧零戦搭乗員会を解散させたりなど評判は良くなかったそうです。

280:世界@名無史さん
13/01/22 08:48:29.53 O
なんのスレチだ

281:世界@名無史さん
13/01/26 17:19:36.59 O
保守。

282:世界@名無史さん
13/01/28 13:18:42.73 0
助太刀いたす

283:世界@名無史さん
13/02/02 00:17:06.73 O
保守。

孫権と孫静、孫賁ら親族って当初は対等っぽいよね。
それが孫権を頂点にした体制に変わる契機ってなんだろう?
黄祖戦?赤壁?それとも漸進的な以降?
孫権が孫策の跡を継いだ時、反乱(対等勢力の争い)があったって記述はないよね?
孫策→孫権の権力委譲ってすんなり書かれてるけど、結構重大な出来事だよね。

284:世界@名無史さん
13/02/02 07:38:57.20 0
対等というか、単純に一族の「頭領」である孫権が弱すぎただけ

赤壁からが権力回帰の始まりだね
巨大な脅威の前にはまとまらないといけないという認識ができた

日本でも守護大名で似たようなケースが多い

285:世界@名無史さん
13/02/02 22:44:22.67 0
第4話で敵前逃亡した1年生チームが9話でフラッグ車の
盾になったシーンやバレー部が必死になってチームの
勝利を望んで逃げ回ったところ、JS-2登場時の砲塔の
インパクトなどなど・・・細かな演出を上げればきりが無いです。

もちろん、主人公補正によるご都合主義なのは否定しませんが。

少なくとも、私は頼りなかったメンバーが戦車道を通して
成長していく様子に感動した一人です。

いいアニメですよ、ガルパンは。

286:世界@名無史さん
13/02/02 23:04:45.03 0
孫賁家は多分自分達が一家のあるじだと思っていただろうな・・・

287:世界@名無史さん
13/02/02 23:36:39.83 0
>>285
何のスレチだよ

288:世界@名無史さん
13/02/02 23:39:03.23 O
孫策はまだ孫賁に気を遣ってたきらいはあるけどね。
孫権が討虜将軍兼会稽太守になったのが、孫氏勢力の後継者としての公認だったのかな。
だとしたら曹操に感謝だな。

289:世界@名無史さん
13/02/03 02:36:53.46 0
孫策が孫権を後継指名して、宿将や江南名士がそれを守って盛りたてて行ったのが大きいだろう
つまり孫策に大きな求心力があったというのが一番の要因だと思う

290:世界@名無史さん
13/02/03 13:50:01.16 0
崇高なビジョンを持たぬ人間の喜怒哀楽なんて
真の感情には程遠く、それらは感情未満、
本能以上の低劣な反応に過ぎないからな。

291:世界@名無史さん
13/02/04 00:16:47.47 O
孫策の勢力圏って丹陽、呉、会稽が中心だけど、
丹陽は陳禹や厳象など揚州刺史の勢力、呉は他の孫一族の勢力が強く、
事実上自ら切り取った会稽が本拠になってたのかもな。
本人も孫権も太守になってるし。

292:世界@名無史さん
13/02/05 22:17:24.25 0
赤壁を疫病のせいだけにする正史は
逆にあやしい

293:世界@名無史さん
13/02/05 22:42:13.28 0
>>292
呉書の方に疫病以外の理由あるやろ
アホかいな

294:世界@名無史さん
13/02/05 22:51:17.27 0
>>292
お前日本語読めないの?www

295:世界@名無史さん
13/02/09 00:14:20.12 O
保守アゲ

話題がない…
三国時代の合戦って一年中やってたのかなあ。農閑期だけとかじゃないよね。

296:世界@名無史さん
13/02/09 13:21:29.11 P
袁紹・曹操共に天下を治めるチカラを有していた。
只一つ、両者にとって決定的に無かったものは、
許攸の才知を発揮させるだけの器量である。

嗚呼 惜しい哉 許子遠

297:世界@名無史さん
13/02/09 15:06:18.44 0
許攸のような古いタイプは
袁紹や曹操のことを「あるじ」とは見ずに
せいぜい「同期の出世頭」くらいにしかおもわなかっただろうな
「役職上は上司だが人となりの格は同じ」とかね

そういうのはえてして後漢の価値観のまま乱世に突入してしまい
結局適応できずに(時代が進むにつれてそういうのは全部粛清された)淘汰されたといえる
荀彧みたいに確信的に抗って粛清されたわけじゃないしね

時勢を読めなかった無能というのは言い過ぎではないと思う

298:世界@名無史さん
13/02/09 15:16:58.41 0
この当時って400年続く、しかも一度滅亡しながら復活した漢朝の存在があって
現代の感覚よりも易姓革命が遠い世界だったろうから
我々の目から見て遅れた価値観に見えるものでも
当時としては一般的なものだったかもしれない。

299:世界@名無史さん
13/02/09 19:54:03.05 0
孔融なんて曹操のことを完全に格下だと思い込んでいたのではないか

300:世界@名無史さん
13/02/10 00:33:35.02 0
とうぜん宦官野郎の孫のくせにwって思ってたでしょ

301:世界@名無史さん
13/02/11 11:09:59.91 0
実際に仕官した年やキャリアを考えると孔融のほうが先輩で格上だからな
孔融は正真正銘、正規の北海太守で早くから名士中の名士に評価されてきた人物だが
曹操は宦官の孫でかなり怪しくつっこみどころがある?州刺史

ただ、曹操の実力を完全に見誤った

302:世界@名無史さん
13/02/11 23:38:41.67 0
禰衡は有吉

303:世界@名無史さん
13/02/12 20:56:26.76 0
>>301
青州とか辺境じゃん。
より中原に近い曹操の方がまだまし。

304:世界@名無史さん
13/02/12 21:01:02.64 0
>>289
孫策は反逆者の袁術と縁切って、ちゃんと後漢(曹操)の部下やってるから、名士に支えてもらえた。
孫権が権力握って後漢との対立を始めたとき、名士たちは総出で反対したわけだからね。
賛成したのは軍人グループと魯粛ぐらい。

305:世界@名無史さん
13/02/12 21:49:45.85 0
>青州とか辺境じゃん。
>より中原に近い曹操の方がまだまし。
貴方の価値評価と当時の後漢の身分差別の現実との遊離

306:世界@名無史さん
13/02/12 22:00:39.38 0
青州の価値なんて後漢にとっては低いだろ

307:世界@名無史さん
13/02/12 22:12:00.80 0
青州は

・人口少ない
・人材少ない
・後漢にとって価値ある土地(漢中とか長安みたいな)でもない
・黄巾がうじゃうじゃ
・文化遺産もない

どう考えても後漢の中での地位低い

308:世界@名無史さん
13/02/12 23:40:09.02 0
で?

309:世界@名無史さん
13/02/13 00:36:13.32 0
>>303
中原じゃないけど当時の青州は斉以来の大都会臨シのある場所でしょ
何でそんな辺境扱いに?

310:世界@名無史さん
13/02/13 00:37:33.42 0
>>309
その辺を根城にした勢力が活躍したという話はとんと聞きませんなw

311:世界@名無史さん
13/02/13 01:05:37.80 0
>>310
活躍しないことと辺境かどうかって関係ないじゃん

益州って漢全体から見れば辺境だけどここを中心に成立した蜀漢があるから辺境ではないと言うつもりかえ?

312:世界@名無史さん
13/02/13 01:35:38.44 0
>>311
益州の人口、人士の輩出ぶりは青州とは比較にならないほど上ですな。

313:世界@名無史さん
13/02/13 03:07:42.65 0
三戦板に帰れw

314:世界@名無史さん
13/02/13 08:50:37.19 0
>>312
そりゃ三国の一つの国家の中心になりゃ人材も出るだろ
青州と益州は面積も違うし

記録が残るところにいた人が一杯いたから益州の方が上て
土地評価としたら全く最悪の頭の使い方ですな

315:世界@名無史さん
13/02/13 09:02:34.17 0
>>314
「記録にはないけど青州は優れた土地なんですぅ」ってかw

316:世界@名無史さん
13/02/13 12:15:32.69 0
徐州よりは人口多いぞ。

URLリンク(www.project-imagine.org)
青州
領郡6 / 領城65
戸数635,883
人口3,709,803

317:世界@名無史さん
13/02/13 12:36:46.45 0
>>315
後漢書くらい読めよ

318:世界@名無史さん
13/02/13 13:06:41.50 0
後漢書に登場するって青州の事績ってろくなものがないぞ。
青州黄巾が大暴れしたぐらい。

319:世界@名無史さん
13/02/13 19:53:56.09 0
地理的に要衝だったのか袁紹と曹操の間で争奪戦が激しく行われた

320:世界@名無史さん
13/02/13 21:03:04.75 0
>>319
劉備みたいな新人が送り込まれただけだが?

321:世界@名無史さん
13/02/13 21:49:58.43 0
>>318
人口とかそういうのを見ろよ

>>320
新人じゃない
しかも孝廉でも辟招でもない若造のくせに
いきなり県尉から経歴が開始しててありえない出世してる

322:世界@名無史さん
13/02/13 22:18:05.97 P
青州は価値ある地域だろ
なにせ曹操が「あの」臧覇を遣わしたくらいだからな

323:世界@名無史さん
13/02/13 23:21:00.73 0
県尉とか官僚としては下の下だろwww

324:世界@名無史さん
13/02/13 23:26:17.59 0
>>323
曹操「一理ない」

325:世界@名無史さん
13/02/14 00:00:40.03 0
>>323
どういう根拠でそう考えたの?

326:世界@名無史さん
13/02/14 00:08:59.48 0
>>325
県尉経験者で名前が残ってるのは劉備だけ。

327:世界@名無史さん
13/02/14 00:13:14.98 0
袁紹は長男を袁譚を派遣して曹操から逃げた劉備を収容している

328:世界@名無史さん
13/02/14 00:36:00.30 0
>>326
董君雅は?

329:世界@名無史さん
13/02/14 01:02:03.37 0
英雄記曰 卓父君雅 由微官為潁川綸氏尉
英雄記に曰く、董卓の父である董君雅は、木っ端役人から潁川郡綸氏県の尉となった。

董卓の父親だからわずかでも名前が残っただけ。他の例はまったくなし。
県尉は辛うじて下の中ぐらいの地位だね。

330:世界@名無史さん
13/02/14 01:39:38.80 0
>>326
何でそう思うの?って聞かれたら秩石でええやん

官僚としたら下っ端だけど曹操ですらスタートは洛陽北部尉で似たようなもんなんだけど

331:世界@名無史さん
13/02/14 11:05:50.57 0
>>330
首都の警察署長と田舎の警察署長じゃ違いすぎるだろ。
利権的にも。

332:世界@名無史さん
13/02/14 11:33:40.59 0
>>326
えっ!?

333:世界@名無史さん
13/02/14 12:27:34.96 0
>>332
いまのところ劉備のほかは董卓の親父だけしかでてきてないがw

334:世界@名無史さん
13/02/14 12:34:54.97 0
>>331
え?君の主張はそんな下っ端から劉備が経歴スタートさせたからどうだと言うのだ、ってことじゃないの?
「中央政界の勢族の長男」が「孝廉になり」「郎を経験して」それから着く地位と
同格に近い地位にいきなりその前提のない劉備が着くって異常だと思うんだけど?
そして>>320で主張する「新人」では全くない

335:世界@名無史さん
13/02/14 13:39:00.39 0
ところで孫堅がなったって言う仮の尉は県尉?

336:世界@名無史さん
13/02/14 14:43:38.06 0
後に県の丞になってるから、たぶん県尉。
しかし仮の尉ってなんだ?

337:世界@名無史さん
13/02/14 15:16:10.74 0
仮の尉とされたじゃなくて、仮に尉とされたって読むべきなのかな?

338:世界@名無史さん
13/02/15 02:42:48.86 0
本当はその地位にふさわしくない人に任命する際に
「変なことしたらやめてもらうけど任命するよ」ってニュアンスかと思う

339:世界@名無史さん
13/02/15 03:09:43.76 0
尉クラスの任免権持ってるのって誰だっけ?

340:世界@名無史さん
13/02/15 09:46:48.90 0
建前上は命官なので皇帝、守尉(代行)の場合は太守。
けど、通常は県尉の人事までいちいち皇帝が関与しないよな。
特別に関心がある場合以外は、人事案に承認出すだけでしょう。
後漢末期あたりだと、だれが人事案作るんだろう?
守尉も、実質は功曹が決めるときもあるんだろう。
ちなみに守尉→正規の尉と言う昇進人事は通常はあり得ない、
少なくとも通例ではない。(大庭修氏)
もっとも後漢末みたいな乱世はまた別だろうけど。

341:世界@名無史さん
13/02/18 15:35:02.85 0
>>307
後漢の青州出身者
(後漢~三国)
国淵(九卿)、太史慈、華キン(漢尚書令、魏三公)、王修(九卿)、王基、孫乾、孫邵(呉丞相)、滕胤(呉丞相)

(後漢のみ)
欧陽氏(欧陽尚書を伝える一門)郎顗(京房易の大家)鄭玄(中国儒教史上最高クラスの重要人物)、
牟融(司空)、孔融、劉岱、劉ヨウ、劉寵(三公)、劉勲、管寧
あと外戚伏氏の封国は青州にある

大ざっぱにみてこれだけ大物居るのに人材居ないってどういうことよ?

まさかネットでよくある、反乱頻発などの乏しい証拠で学術的な定説をひっくり返した気になってる
一部個人サイトの大袈裟な仮説とかを信じてないよな

342:世界@名無史さん
13/02/18 18:19:06.99 0
>>341
でもみんな青州のためには働いてないというw

343:世界@名無史さん
13/02/18 18:32:34.27 0
>>342
劉徹の時代と違って本籍地回避徹底されてるんだから青州に関われる訳ないだろ

344:世界@名無史さん
13/02/18 18:33:49.89 0
>>341
多少見るべきところがあるのは認めるが、悲しい辺境国家の踏ん張りに過ぎないと思う。

345:世界@名無史さん
13/02/18 18:37:48.71 0
>>344
そもそも黄巾の活動が存在すると言う時点で辺境とは言い難いが

346:世界@名無史さん
13/02/18 18:52:36.70 0
黄巾は冀州や予州、荊北と言った都市部が中心の都市型の反乱だからな

347:世界@名無史さん
13/02/18 21:03:11.10 0
いわゆる黄巾の乱と青州黄巾って別物では?
張角が指導した黄巾は、豫州と荊州と冀州が基盤だから、確かに都市部の反乱に近い。

348:世界@名無史さん
13/02/19 00:34:09.25 0
多田狷介先生「黄巾の亂前史」
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)
福井重雅先生「黄巾の亂と傅統の問題」
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)

福井論文は張角の黄巾と青州黄巾とを明確に分けた上で
青州黄巾が後漢に与えたダメージの大きさとか
青州の地域的特色との関係とかを考察してる

349:世界@名無史さん
13/02/19 01:13:16.30 0
303 :世界@名無史さん:2013/02/12(火) 20:56:26.76 0
>>301
青州とか辺境じゃん。
より中原に近い曹操の方がまだまし。


この論がそもそもアレすぎるだろ
これをもとに青州がどうこう話してもバカバカしいと思う

350:世界@名無史さん
13/02/19 11:29:43.81 0
確かにw
ド田舎の交州のどっかの太守だろうと正規の太守と
怪しげな経緯で就任した中原の州刺史では
前者の方が格上じゃないの?

351:世界@名無史さん
13/02/19 12:20:02.46 0
怪しいか怪しくないかはともかく、戦乱期の現地推戴の州牧と
太守だと、純粋な漢朝内の格では後者の方が上ではあると思う。

ただし個人的に孔融は蜀での評判も悪かったようだから、
名士内の風評については一時期以降急速に悪化させたのではないかとも思う。
多分禰衡との(従来の儒教的価値観からは外れる)対談が漏れ聞こえ始めるのを皮切りに。

352:世界@名無史さん
13/02/19 12:23:59.07 0
× 太守だと
○ 正規任用の北海国相だと

あくまでも、中央における形式的な格の問題ね

353:世界@名無史さん
13/02/21 01:04:33.55 0
諸葛亮の名言として
「立派な人間の友情は温かいからといって花を増やすこともなければ、寒いからといって葉を落とすこともない
どんな時でも衰えず、順境と逆境を経験して友情はいよいよ堅固なものになっていく」
というのがコピペされて出回ってる
元ネタは清の張ジュが輯した諸葛亮集に収録された「論交」(URLリンク(i.imgur.com))らしいけど
他の人たちが輯した、張ジュより信頼できるとされる諸葛亮集にはこの文章は入ってない

確かに太平御覧巻406・人事部47・交友には「要覧曰、諸葛亮曰、~」となってる(URLリンク(i.imgur.com))けど
張ジュ諸葛亮集を底本にした『諸葛亮集箋論』は、芸文類聚巻21・人部5・交友が「諸葛亮曰、~」としてない
URLリンク(i.imgur.com)、「賈覧」になってるけど「要覧」)ことを根拠に
「論交」が諸葛亮作かどうかの判断を留保した上でとりあえず収録したと言ってる(URLリンク(i.imgur.com)

根拠のわからない三国志絡みの名言の類では、曹操が言ったという
「政治こそ、人間の仕事のうちで、 最高な理想を行いうる大事業だ」とかいうのもあるけど
これは手がかりも何もない

354:世界@名無史さん
13/02/21 02:54:12.16 0
諸葛亮はなんで勝ち目がなさそうな北伐を繰り返したんですか?

355:世界@名無史さん
13/02/21 05:37:25.91 0
勝ち目はあったよ
一回目で成功してれば繰り返す必要も無かったし
諸葛亮の命令に背いて街亭を失った馬謖が悪い

356:世界@名無史さん
13/02/21 06:46:14.30 0
後詰に諸葛亮の本隊がいただろ。
何で援軍を突っ込まなかったの?

357:世界@名無史さん
13/02/21 13:44:16.89 0
>>355
馬謖指揮官に任命してた諸葛さんが(ry

358:世界@名無史さん
13/02/21 20:55:36.60 0
街亭取られたら作戦全部終わりなのに、なんでそこで帰っちゃうんだよ諸葛亮は
取り返しに行けよ

359:世界@名無史さん
13/02/21 21:12:27.91 0
取られて終わったから帰ったんだろw

360:世界@名無史さん
13/02/21 21:16:59.83 0
張コウが手勢だけで街亭まで出てきてるんだから、むしろ討ち取るチャンスだぞ。
馬謖をエサに敵の大将を釣り上げたのに、なぜそこで決戦を挑まないのか。

361:世界@名無史さん
13/02/21 22:35:25.89 0
URLリンク(twitter.yfrog.com)

諸葛亮が布陣した本陣から街亭までの距離が遠すぎるという現実

362:世界@名無史さん
13/02/21 23:20:09.82 0
>>360
何のために「先鋒」を送るのかもう少し考えましょーね

363:世界@名無史さん
13/02/21 23:23:23.93 0
>>362
何のために先鋒を送ったのか?
遠すぎる街亭抑えて何の得がある、っていうか戦力的に抑えられるのか。

364:世界@名無史さん
13/02/21 23:25:33.57 0
>>363
わかってないなら批判する資格ないからもう少し考えましょーね

365:世界@名無史さん
13/02/21 23:40:22.96 0
>>364
正史のどこに諸葛亮が街亭を押さえた理由が書いてあるのかw

366:世界@名無史さん
13/02/21 23:50:56.01 0
>>365
はぁ?
諸葛亮が街亭に送った理由なんてハナから問題にしてませんが?
本隊と先鋒を別に移動させる理由というのを知らないならおべんきょしましょーね

367:世界@名無史さん
13/02/22 00:42:37.80 0
>>366
俺は最初から街亭を押さえた理由を聞いてるんだが?>>363

368:世界@名無史さん
13/02/22 01:00:04.71 0
>>367
先鋒というものが何で本隊と別個に動くかもう少し考えましょーね
「なぜ先鋒を送ったか」じゃなくて「本隊と先鋒が別に動くのはなぜか」ということだよ?

369:世界@名無史さん
13/02/22 01:26:53.36 0
第一次北伐の場合は先鋒本隊というよりも
隴西各地の制圧に蜀軍が分散してて
街亭へ向かった部隊は隴西制圧の時間稼ぎ
または魏軍反攻の際に隴西各地へ向かった部隊の集結を待つための時間稼ぎでは?

370:世界@名無史さん
13/02/22 02:58:34.10 0
亮使馬謖督諸軍在前とあるから先鋒にはしたんじゃない?
その企図がどこにあるかは想像するしかないけどさ

371:世界@名無史さん
13/02/22 03:37:28.90 0
しょーねクンは実に馬鹿だなw

372:世界@名無史さん
13/02/22 09:37:12.73 0
諸葛亮の人物は、おまいらよりは上だから、心配すんな

373:世界@名無史さん
13/02/22 10:23:19.25 0
「仕掛け爆弾入門」
「みんなで作るIED」
「お得!なんと材料費1万円で1億円の装甲車がぶっ飛ばせます!」

374:世界@名無史さん
13/02/22 13:19:13.08 0
これいいかもしれないね
URLリンク(tr.im)
ソースはおいておく

375:世界@名無史さん
13/03/02 00:23:21.87 O
保守

376:世界@名無史さん
13/03/02 14:53:14.08 0
>>372
釣りか

377:世界@名無史さん
13/03/04 14:18:46.74 0
張飛が殺されたのって別に部下に無理な命令したからじゃないんだね
やはりネットのこんな末端の末端で情報探すよりちゃんと原典にあたるべきだね
でも平凡社のしか無いんだよな・・・

378:世界@名無史さん
13/03/04 15:50:02.66 O
中華書局のがあるだろうが。
白文読めないならちくま学芸文庫から日本語訳が出てるぞ。

張飛が部下を残虐に扱ってたのは事実だし、呉討伐の直前に殺されてるから、
演義のように無茶な命令を出したことが原因となったのは十分に考えられることだと思うが。

379:世界@名無史さん
13/03/04 16:23:53.51 0
張飛ってちゃっかりしてるよね。
娘を次期皇后にしちゃってるし。

380:世界@名無史さん
13/03/04 16:49:01.08 0
張飛が殺されたのは部下に無理な命令したから

381:世界@名無史さん
13/03/04 16:50:47.67 0
つうか。
呉の工作じゃないのかな?

382:世界@名無史さん
13/03/04 17:03:15.73 0
元々暴力癖があった張飛が、部下に恨まれて殺されただけ

383:世界@名無史さん
13/03/04 20:51:23.81 0


384:世界@名無史さん
13/03/04 21:02:28.62 0
張飛が生きていたら
黄権の代わりに別働隊を率いることになって黄権は劉備直属になったであろうか?それとも主力を任せられて史実では抜けなった孫桓を撃破することになったであろうか?

すくなくとも黄権か張飛のどちらかが劉備の側にいて同じ火計による大敗というのはありえなかっただろうな。

そもそも張飛は長い対峙のあとに張コウの軍が「長く伸びきって連携が疎かになった状態」であることを看破したのか、それともそうなるよう仕向けるようにしたのか、どちらにせよそれを攻撃して破った将帥だから劉備が同じような状況になったら違いなく制止するはず。

385:世界@名無史さん
13/03/04 21:57:06.56 O
たらればNo.1は「法正が生きていれば」なんだろうが、
張飛や黄権が劉備の陣立てに意見するのは考えにくいかな。

黄権は実際ケチをつけようとしたけど、支作戦に回されて発言を封じられたし、
張飛はイケイケドンドンだろう(正史厨でも張飛が前線に出ず、参謀の役割を担うのは違和感があるのでは?)。
何より関羽の弔い合戦は心情的に張飛・劉備が担うもので、黄権が何を言ったところで無駄だった。

張飛が例え生きていたとしても曹丕にpgrされる程度の陣立てて敗北は必然かと。

386:世界@名無史さん
13/03/05 09:06:27.54 O
曹丕に馬鹿にされたってのが残念の極みだよね。
戦の実績ほとんどないくせにベテランに向かって何を言ってるのかと。
頭は良かったんだろうけど、皇帝じゃなきゃ諸葛カクみたいな扱いだったんじゃないか曹丕。
いや、大好きなんだけどね。

387:世界@名無史さん
13/03/06 12:19:07.33 0
馬鹿にされることやったんだから仕方ないさ

388:世界@名無史さん
13/03/06 12:40:03.46 0
ベテランに向かって何を言ってるのかとって言っても
実際曹丕が正しかったんだし黄権が正しかったんだし

389:世界@名無史さん
13/03/07 10:04:14.57 0
仰る通り

390:世界@名無史さん
13/03/07 10:29:12.56 O
スレチだろうけど
ここの人詳しそうだから、あえて

晋メインに扱った本あったらタイトル教えてくれませんか

391:世界@名無史さん
13/03/07 19:19:25.27 0
晋書だね

392:世界@名無史さん
13/03/08 04:42:08.48 0
スットコどっこいな馮習張南に任せたのは失敗だが

393:世界@名無史さん
13/03/08 18:51:26.50 0
ちょっとこのスレの識者に質問させて下さい。

「曹操が最初は袁紹の部下で、曹操が袁紹を裏切って戦争を仕掛けた」
という説をネット上で目にしたのですが、これは本当なのでしょうか?
もし本当なら何で三国志ではそう書かれないのでしょうか?

ご教授よろしくお願いします。

394:世界@名無史さん
13/03/08 19:26:05.64 0
>>393
某板の某スレの流れか

基地害の妄言だから気にすんな

395:世界@名無史さん
13/03/08 19:46:04.70 0
>>394
いえ、個人のblogからです。
よければその某板の某スレをご紹介いただけませんか?
非常に興味のある説なので参考にしたいものですから。

396:世界@名無史さん
13/03/09 00:19:15.77 O
別にそんなに奇抜な説でもないので、そんなに気にしないでいいよ。
「是非はともかくまあそんな風に解釈するのはわかる」程度のものだから。
「三国志で書かれない」って二次創作のこと?上記の説も正史の解釈だから、そういう意味では「三国志に書いてある」。
二次創作は詳しくないが蒼天航路とかそんな感じじゃなかった?

397:世界@名無史さん
13/03/09 09:39:50.43 0
>>393
マジレスすると、献帝を保護して袁紹との仲は一気に破綻したんだろうな。
袁紹は打倒唐卓軍(=献帝の即位を認めない)の盟主だったし、更に劉虞を
立てようとした(当時部下の曹操が反対して実現せず)わけだから、献帝の
保護が許せなかったんだろう。これを袁紹が裏切りと表現してもおかしくない。

また、名士の意外に多くが袁紹を支持し、袁紹と運命を共にしたことから
(その中には、荀彧の弟や郭嘉の兄などもいる)必ずしも袁紹の戦略が間違って
いたとは言えない。

398:世界@名無史さん
13/03/09 11:12:27.07 0
だから「部下」という定義が
・体系的な命令系統の有無
・人事・任命権の実効力
だとしたら
曹操は一度足りとも袁紹の部下になってないって

袁紹は一度たりとも曹操と曹操勢力下に対して任命権限を発揮したことがないし
曹操を自分のシステマティックな命令系統の中に入れることはできてない
精々「格が落ちる盟友」程度

直江兼続は上杉景勝の「部下」だが、徳川家康は織田信長の「部下」じゃない

399:世界@名無史さん
13/03/09 11:15:37.85 0
>>398
訂正
>袁紹は一度たりとも曹操と曹操勢力下に対して任命権限を発揮したことがない
東郡太守の際は影響力を発揮したが、翌年には曹操は自分の力でローカル勢力の支持を得てエン州牧と自称しているから
やはり曹操は袁紹の部下ではない

400:世界@名無史さん
13/03/09 12:03:39.63 0
曹操が袁紹の部下でなく、勝手にエン州を乗っ取ったなら、敵だよ。
自分の息のかかったエン州牧を送りつけて、曹操を追い出さないといけない。
が、そんなことはまったくやっていない。

401:世界@名無史さん
13/03/09 12:56:10.13 0
>>397
劉虞擁立に失敗したのは曹操の反対じゃなくて劉虞本人の拒否が原因だろう

402:世界@名無史さん
13/03/09 13:39:41.44 0
>>399
後漢書で後になって曹操をエン州牧にしたのは俺、と袁紹が上表してるし自称じゃないでしょ。

403:世界@名無史さん
13/03/09 16:00:14.02 0
部下って言葉の定義次第だけど、
少なくとも格下の同盟者とか、影響下の人物、
まあ簡単に言うと弟分子分であった時期がある、
そこまで否定できないでしょう。
曹操本人の意識はともかく、世間はそう見てる。
袁紹側から見れば裏切りと見えるのは当然。

404:世界@名無史さん
13/03/09 18:57:53.53 0
393です。
皆様ご返答どうもありがとうございます。
今まで三国志は正史を含めて創作物などもいくつか読んだのですが、
曹操が袁紹の部下だという説を先日初めて目にして驚きのあまり質問させていただきました。
色々な見方があるのだということが良くわかりました。
頂いたレスをもう一度しっかりと調べて自分なりの答えを出して行こうと思います。

405:世界@名無史さん
13/03/09 21:05:47.93 0
>>404
劉備は袁紹の部下だとか、孫堅は袁術の部下だというか
呉は豪族連合政権だとか、諸葛亮は戦が下手だとか
劉備は偽善者だとか、劉備は戦が下手だとか
他にも珍説を唱える人間もいっぱいいるから注意してな

406:世界@名無史さん
13/03/09 21:23:41.92 0
>>405
>劉備は袁紹の部下だとか
官渡の戦い前後に限っては事実。それ以外でいうのは変だが。

>孫堅は袁術の部下だというか
え?間違ってる?

>呉は豪族連合政権だとか
これも一面ではあるだろうね。全部ではないが。

>劉備は戦が下手だとか
講談を読む限りは事実、と言うだろうね。実は意外に多いけどね、劉備の勝ち戦。

407:世界@名無史さん
13/03/09 21:44:07.47 0
>>406
勝ちまくりだろ
印象的な負けがあるからやたら負けてる気になるだけでさ
曹操後半生の黒星の内二つは劉備絡みだし一国の皇帝になるだけのことはあるよ

408:世界@名無史さん
13/03/09 22:11:23.97 0
>>395
これ

劉備
スレリンク(warhis板)

409:世界@名無史さん
13/03/09 22:29:27.65 0
劉備が戦った頃の袁術は、揚州を制圧し終え、孫策や周瑜のような強い武将を従えたスーパー袁術様だ。
赤壁で戦った時期の孫権+αの勢力を持っていたということだ。
劉備が勝てないのも当然だ。

410:世界@名無史さん
13/03/09 23:38:36.37 0
>>408
ありがとうざいます。
明日ゆっくり読んでみようと思います。

411:世界@名無史さん
13/03/10 13:51:03.95 0
蜀を好きになり過ぎると
スレリンク(warhis板:698番)
スレリンク(warhis板:152番)
になるのかな?
気をつけないとね

412:世界@名無史さん
13/03/10 22:08:53.83 O
はーいっ

413:世界@名無史さん
13/03/10 22:27:26.97 0
三戦のノリをこっちに持ち込まないでくれよ

414:世界@名無史さん
13/03/14 22:54:26.27 0
晋書を見ていたら、蘇峻の父が安楽相って出たけど、
つまりは劉禅一族の領地を治めていた長官ってこと?
妙なご縁だな。

415:世界@名無史さん
13/03/14 23:48:44.59 0
袁譚と袁尚
曹丕と曹植
なんで仲悪いんだろ

416:世界@名無史さん
13/03/15 00:17:29.93 O
逆に仲の良い兄弟の方が思い付かない。
曹爽兄弟とか仲良さそうな勝手なイメージ。

417:世界@名無史さん
13/03/15 00:27:35.12 0
名前からして爽やか

418:世界@名無史さん
13/03/15 00:45:34.35 0
古代中世においては兄弟なんて敵であることの方が多いよね

419:世界@名無史さん
13/03/15 00:56:27.06 0
権力者の家に生まれた兄弟は取り巻きが仲を悪くさせるからしゃーない

420:世界@名無史さん
13/03/15 01:10:27.96 0
一触即発の後継ぎ争いを混乱させたまま親父が死んだ割には曹丕は曹植殺さなかったんだから慈悲深いくらいだ
普通なら殺しちゃうとこだよ

421:世界@名無史さん
13/03/15 01:30:18.27 0
曹丕は献帝も殺さなかったし慈悲深いよ

422:世界@名無史さん
13/03/15 01:31:16.43 0
その慈悲を受けられなかった奴もいるんだよなあ…

423:世界@名無史さん
13/03/15 01:33:55.18 0
ウキンがヘマこかなかったら、魏が関羽をやっつけて荊州ゲット→三国時代終わってただろ

424:世界@名無史さん
13/03/15 01:38:17.45 0
孫権は藩臣になりますと申し出てきていて、魏が荊州を取れば、もはや残るは劉備だけ。
蜀攻略に全力をかけて三国志終了、統一王朝魏誕生。
曹丕は苦手な戦争もせず、皇帝として優雅に文化政策をやっていただろう。
それをすべてぶち壊しにした張本人

425:世界@名無史さん
13/03/15 21:39:58.61 0
甄氏殺したから許せん奴

426:世界@名無史さん
13/03/15 22:58:57.34 0
甄氏は殺されてないがな

427:世界@名無史さん
13/03/17 14:09:43.03 0
殺したようなもんだろ

428:世界@名無史さん
13/03/17 17:29:39.54 0
>>416
司馬懿の子

429:世界@名無史さん
13/03/17 19:46:43.69 0
師と昭の兄弟も数代後の子孫達があそこまでむごい殺し合いをするとは思わなかっただろうな

430:世界@名無史さん
13/03/17 21:02:03.91 0
>>429
数代ってほど遠い未来の話じゃないぞ

431:世界@名無史さん
13/03/17 22:20:27.82 0
八王で最初に消えたのは師昭兄弟の弟だったな

432:世界@名無史さん
13/03/18 03:23:52.34 0
本来なら司馬家の当主になるはずで実の兄貴より優秀だった攸ちゃんが皇帝になってれば・・・

433:世界@名無史さん
13/03/18 04:30:36.66 0
陳寿正史じゃないのでスレチかもしれないけれど、質問すいません

URLリンク(weekpedia.myht.org)
ここに陶謙の長男「陶筰」がいると書かれているけど
商&応以外にも陶謙の子がいたってことですか?
ソースの『元本』(元大徳本)っていうのが聞いたことないんですが・・・

434:世界@名無史さん
13/03/18 09:12:12.69 0
曹丕が冷酷とかいってるやつらは、
あのとき荊州を失って孫権を優遇しなきゃいけなくなったことで、
三国鼎立が完全に成立してしまったということをどう考えるのか。
怒るの当然だろ。

435:世界@名無史さん
13/03/18 13:26:09.05 0
曹丕批判ばっかり目立つけど、于禁への批判がないのはなんか変。
だって、どう考えても于禁が負けたせいで、三国志になってしまったわけで。
曹操だって于禁をばっちり批判してるのにね。

于禁の忠義だの晩節だの、曹丕の非常だの残酷だの、そういう論争で真実が隠されているのではないか。

436:世界@名無史さん
13/03/18 14:36:52.52 0
陶筰は知らんけど「元本」は元朝の大徳年間のことでは

437:世界@名無史さん
13/03/18 19:57:43.72 0
司馬光が言うには

責任とらせるならさっさと殺ってしまえば良いのに
許すと見せかけて手の込んだ仕掛けで恥を掻かせるなんていい大人のやることじゃない

438:世界@名無史さん
13/03/18 20:12:18.93 0
冷酷は違うかもしれないけど、なんか陰湿というか陰険というか。
クルルみたいな。

439:世界@名無史さん
13/03/18 20:30:49.61 0
>>438
父親の曹操譲りだろう
謀殺してないだけむしろ慈悲深い

440:世界@名無史さん
13/03/18 21:12:21.39 0
こりゃほぼ謀殺だろ。親父の曹操だったら斬殺だろうが。

441:世界@名無史さん
13/03/18 21:54:29.86 0
曹丕は冷酷じゃないっていう擁護は他所でも見たことあるがなんでなんだろう
仮に冷酷じゃなくても性格悪いと思うんだけど
流石に慈悲深いとかない

442:世界@名無史さん
13/03/18 23:15:22.83 0
まずどの辺りが性格悪いと思うの?

443:世界@名無史さん
13/03/18 23:47:09.50 0
>>441
殺さないと王朝が危ない曹彰でも罪をかぶせずに謎の病死で片づけて彼の名誉を守ったし、後ろだてさえ消せば殺さなくてもどうにかなりそうな曹植は殺さずに済ませた
テンパランス戦の承太郎並に慈悲深いよ

444:世界@名無史さん
13/03/19 00:40:17.51 0
殺してたら西晋の八王の乱が魏の時代に起きていた

445:世界@名無史さん
13/03/19 00:59:13.79 0
圧倒的に兵権が足りないので起きません

446:世界@名無史さん
13/03/19 01:11:49.67 0
毌丘倹や諸葛誕のような将軍が皇族を担いで反乱起こして呉や蜀と結んだと仮定

447:世界@名無史さん
13/03/19 01:51:48.98 0
>>446
どんな仮定でそんな妄想に至るんだよ

前提が違うだろ
二人とも司馬家との確執で反乱に至ってる
ちょっと無理がありすぎる

そして魏建国当初の軍権て物凄い勢いで曹氏夏侯氏が握ってるから
そう簡単に外様が皇族かついで反乱とか起きんぞ

448:世界@名無史さん
13/03/19 19:36:20.00 0
華佗を殺しちゃってから後悔した曹操の方が、
なぜか陽性な感じがするのが人間の微妙なところ。

449:世界@名無史さん
13/03/19 22:25:31.90 0
于禁は実は後漢支持者で、禅譲を認めない立場だった
しかし、魏に帰ってみれば、曹丕が禅譲によって皇帝になってしまっていた
曹丕に会って、後漢が滅んだ原因が自分の敗北にあると気づき、後悔のあまり病気になり、死んだ
だって、于禁が関羽を討てば、孫権が自立することもなく、劉備が残るだけだったから
ストレートに後漢が天下統一できたはずだから
ひょっとしたら漢臣としての抗議の自決だったのかもしれない
だから魏の臣として祭ってもらえなかった

450:世界@名無史さん
13/03/21 03:00:35.37 0
>>433
そのページだと後漢書を根拠にして、陶謙は余姚県の人と記述してるけど
後漢書の注に引く吳書では、陶謙の父は故餘姚長であるから、余姚県出身ではないんじゃないか
三国志でも後漢書でも陶謙は丹陽の人であると記述されており、
三国志集解では、これは丹陽郡丹陽県の人なのであると解説している

451:世界@名無史さん
13/03/21 03:08:43.27 0
>>435
于禁が負けたから三国志になったというのは意味不明

>>443
曹彰の死を暗殺とする根拠はない

あと八王の乱をよく知らない人間が多いと思う
八王の乱の前半はただの(?)中央政変の連続なので、これは魏でも呉でも何度も起きたこと
八王の乱の後半みたいなのは、意志薄弱の皇帝がいるのが前提なので
曹丕・曹叡が存命の間は起きない

452:世界@名無史さん
13/03/21 19:54:55.37 0
>>451
于禁が勝ってれば、荊州を拠点とした蜀攻略が可能になる。
荊州→益州はかつて光武帝が公孫述を討つときに使ったルートであり、
蜀の天険に突っ込むより簡単に蜀を降せた。
後漢が健在のうちに統一できるのだから、魏国へ禅譲する意味がない。

453:世界@名無史さん
13/03/21 20:17:14.89 0
>>452
ならない。
于禁は水没しただろ?船持ってないんだよ。
樊の曹仁は救出可能だが襄陽は救えない。

454:世界@名無史さん
13/03/21 20:44:58.01 0
>>453
船の準備ぐらいしとけよって話だろ。

455:世界@名無史さん
13/03/21 20:57:04.47 0
>>451
世説新語でははっきり毒殺と書かれてるよ
それを信じるかどうかの問題はあるが、根拠はないというのはただの不勉強

456:世界@名無史さん
13/03/21 22:58:57.59 0
関羽が水軍を引き連れてきているのに、なんで曹操軍は水軍持ってないんだよ

457:世界@名無史さん
13/03/21 23:05:34.96 0
曹操は赤壁で持ってた艦船を(といっても元は江陵にあった旧劉表のだが)ほぼ全て焼いたor焼かれ、
更には大型船の新造などの余裕はおそらくなかったであろうが、
もともと関羽は襄陽の艦船を掻っ攫って逃げた上に新造の余裕は普通にあった、というか地理的に不可欠であった。

三国時代の「戦闘船の建造」の費用と難易度は十分注目に値する対象だとおもうが、
何故か大抵の人は船くらい直ぐ造れると思ってる節があるんだよなw

458:世界@名無史さん
13/03/21 23:17:58.00 0
>>457
曹操軍に水軍がないはずがないだろ。
濡須口の戦いで、孫権は降伏を申し出るほどの苦戦をしてるんだから。
水軍なかったら孫呉はここまで追い込まれなかったはず。

459:世界@名無史さん
13/03/21 23:22:31.60 0
何処の話してんの?
淮水水系の船の話と、漢水の船の話に何か関連が?

460:世界@名無史さん
13/03/22 02:28:03.10 0
>>459
>淮水水系の船の話と、漢水の船の話に何か関連が?

なんで淮水の水軍は用意できたのに、漢水の水軍は再建できなかったのか?
北荊州って経済力に優れたところなのに。
南荊州の関羽ですら水軍を用意してきたのに。

461:世界@名無史さん
13/03/22 02:38:49.84 0
>>460
反乱起きる程に苛斂誅求を極めてたのにその経済力のカタログスペック通りに行くとでも?

462:世界@名無史さん
13/03/22 03:12:40.24 0
>>461
苛斂誅求も淮水方面のほうが激しいじゃん?
袁術がやってきて無茶苦茶やり、
その後は孫策・孫権と不服従勢力との抗争が何年も続き、
次は赤壁。
以降、淮水では曹操と孫権の衝突が繰り返された。
戦闘が続いていた期間が長すぎる。

463:世界@名無史さん
13/03/22 03:39:37.08 0
荊北水軍の拠点は襄陽と樊城にあったんだろ
樊城の包囲を解けば、その水軍をつかって渡河できるのだし
樊城を解放するのに水軍は必要ではないだろう

464:世界@名無史さん
13/03/22 03:52:36.65 0
>>455
世說新語の曹彰毒殺の話の末尾にはこうある。
太后曰:「汝已殺我任城,不得復殺我東阿。」
曹植が東阿王になったのは曹丕死後だから、与太話だろう

465:世界@名無史さん
13/03/22 07:41:09.51 0
>>462

淮水方面の船って戦艦じゃない。許昌から潁水系の船に兵を乗せてさらに淮水に出たという記述。
これらの川に戦艦はない。というか、長江ほどの水嵩も幅もないので「川で船にのって戦闘する」という概念がない。
そもそも記述が出てきたのは、曹丕が蒋済に船の回送を命じた222~223年。

おまけに曹魏は濡須口に船で陣取ったという記述はない。というか、この方面は陸戦。

466:世界@名無史さん
13/03/22 18:24:28.92 0
>>462
じゃ、どっちも疲弊してたから船建造できるような経済力がない、で終わりだろ
「どっちが疲弊していたか」なんて問題じゃない、どうでもいい
「どこが疲弊していたか」というのが大事

467:世界@名無史さん
13/03/24 10:18:22.32 0
黒海北岸の諸部族をスキタイが隷属させていたなら
ペルシャ軍の侵攻においてスキタイに叛旗を翻し
ダレイオスに協力するはずだが傍観する姿勢の部族はいても
積極的にダレイオスに協力する部族は現れなかった。

468:世界@名無史さん
13/03/24 16:09:02.47 O
夷陵の時の五溪蛮の話か?それともただのスレチか?

469:世界@名無史さん
13/03/24 18:25:02.25 0
誤爆でしょ

470:世界@名無史さん
13/03/25 00:39:13.61 0
王チョウ伝を読めば荊北の水軍の実情が分かる

471:世界@名無史さん
13/03/25 18:14:41.58 0
話ぶった切って申し訳ないですが、後漢末の頃に強兵とされたのは
丹陽兵とか涼州兵あたりですか?
三国志に関連する書物持ってないので、良ければ教えて下さい。

472:世界@名無史さん
13/03/25 18:56:30.41 0
呂布や張遼がいた幷州兵も強そう

473:世界@名無史さん
13/03/25 19:55:28.16 0
>>471
関連する書物を手に入れてからまた来て下さい

474:世界@名無史さん
13/03/25 22:12:36.46 0
>>471
煽りとかでなしに三戦板の方が食いつきいいと思う

475:世界@名無史さん
13/03/26 00:11:17.05 0
>>474
はい、三戦板に行ってみます

476:世界@名無史さん
13/04/06 00:06:35.39 O
保守

477:世界@名無史さん
13/04/08 14:39:10.92 0
あんた等の議論は素晴らしい、恐らく2ちゃんねる内でも飛びぬけた情報量を
このスレは持っている、だがここの議論を世の中に還元する気は無いの?

俺などは正史三国志、魏晋代の詩、詩経を読んで不覚にも素直に泣いてしまったのだが
内容以前に文章が美しすぎて

478:世界@名無史さん
13/04/08 16:08:57.32 0
魏晋代の詩と詩経とでは、えらく時代が離れてるんだが

479:世界@名無史さん
13/04/08 16:22:35.53 0
詩経の時代と魏晋代には連続性がある
青き衿つけたる人よ ひたぶるに慕うはわが心

という曹操の詩の一節は詩経の引用

480:世界@名無史さん
13/04/10 12:17:44.40 0
ここ急激に過疎ってたんだな、じゃあ魏晋詩が現代文学の誰と比べられるか
ぐらい書けよ、俺はカフカかドフトエフスキーだな
何故なら言ってることが同じ厨二っぽいからw

481:世界@名無史さん
13/04/10 13:25:58.24 0
現代人でも詩経から引用するが

482:世界@名無史さん
13/04/10 19:36:37.03 0
じゃあ詩経はいいよ、魏晋詩でも泣いたし、三国志も文章十分美しいし
泣いたといってもやはり厨二臭いがなw

483:世界@名無史さん
13/04/10 19:52:24.91 0
曹操の一族は、みな一流の文人で
名文を残してる

484:世界@名無史さん
13/04/10 19:59:37.50 0
皆、ではない

485:世界@名無史さん
13/04/10 20:04:18.12 0
三人しか知らない

486:世界@名無史さん
13/04/12 23:04:31.11 0
テスト

487:世界@名無史さん
13/04/14 17:50:34.86 0
>>483
内容には踏み込まないのか

488:世界@名無史さん
13/04/14 19:16:10.50 0
てか、一族で3人も出してれば充分。

489:世界@名無史さん
13/04/14 21:12:11.89 0
天津人民美術出版社の「洛神賦図」もってるが長すぎw

490:世界@名無史さん
13/04/15 09:30:15.88 0
>>488
人生いくばくぞ、去りし日ははなはだ多し
って太宰治かとw
曹ヒ、曹植は女に託して心情を表現してるし、ますます太宰治w

491:世界@名無史さん
13/04/15 09:38:58.56 0
かんかんとつれなくみさごは河の州に

たおやかのよき乙女こそよき人のよきつれ・・・か

なんと軽やかな詩であろうか、この詩風、伝道の書を思わせる

492:世界@名無史さん
13/04/15 16:50:50.66 0
太宰治の批判は、そこまでだ

493:世界@名無史さん
13/04/16 22:29:52.81 0
浮萍偏が好き

494:世界@名無史さん
13/04/19 00:17:11.02 0
孫皓の帰命侯は名号侯だって説もあるようだけど、
それだと随分劉禅より格が落ちるな。
なんでだろう?
県公>開国侯~男爵>県侯~亭侯>関内侯>名号侯

495:世界@名無史さん
13/04/19 00:58:49.61 0
暴君として名高い&9割がた統一完了してる状態で最後になってやっと降伏したような奴にそんなに高い地位をやる必要はない

496:世界@名無史さん
13/04/19 07:34:21.69 0
孫皓と司馬炎が絡むエピソードは劉禅より多い
たぶん個人的に司馬炎が優遇していたのだろう

497:世界@名無史さん
13/04/20 09:03:52.78 O
>>485
曹操曹丕曹叡で三曹にかぞえられることもある

498:世界@名無史さん
13/04/21 14:25:24.31 0
ほぼ同時期に全滅する建安七子の面々

499:世界@名無史さん
13/04/21 16:34:06.98 0
だから建安○子と云う

500:世界@名無史さん
13/04/22 22:59:04.12 0
甄氏の裸?を見た劉禎は死ね

501:世界@名無史さん
13/04/27 10:23:58.29 0
そういえば曹丕が嫁さんを宴会に出した事件、曹丕自身は曹操に怒られたの?

502:世界@名無史さん
13/04/27 19:34:27.27 0
それは不明だな

503:世界@名無史さん
13/05/09 09:17:42.42 0
>>497-499
詩を残した凄い、だけじゃなくて内容にも踏み込めよ
現代文学との比較とかさ、俺はこの時代の文学は戦前の日本文学と似てて
それでいて日本には負けてると思うが
>>500
それ陳寿の三国志に載ってんのか正史に載っていなければ語る価値は無いな

504:世界@名無史さん
13/05/09 09:27:59.83 0
>>496
孫皓の詩もいいよな
昔は汝と隣為(な)り  今は汝の臣為り
 汝に一桮(いっぱい)の酒を上(たてまつ)る  汝の寿を万春ならしめん

やはり太宰治的だが

505:世界@名無史さん
13/05/09 19:40:37.68 0
三国志板でやれアホどもが

506:世界@名無史さん
13/05/13 13:37:00.85 0
三国に分裂してるほうが中国人にとって一番ちょうどいいと思うのだが
もちろん荊州は蜀政府の領土で

507:世界@名無史さん
13/05/13 16:56:39.21 0
>>506
よりポピュリズムに走って三国が競って反日行動するから
まとまってた方がありがたい

まとまりながら少数民族が独立して分解してく方がいい

508:世界@名無史さん
13/05/13 17:54:15.97 0
例えば台湾は中国の分国だが、
現在は北京政権に対抗するために国策としては親日だろ。

同じように三国に別れてお互いに脅威を感じ合ってたとしたら、
魏は反日でも呉はそれに対抗するため親日とか別れてたんじゃないだろうか。

509:世界@名無史さん
13/05/13 21:40:29.03 0
>>508
じゃあもう一方の反日する側はより過激な反日になるってことでもある

ってか考えてもみろよ
中国人が三分割されたとしてあいつら核持って睨みあうんだぞ?
どうなるかわからんじゃないか
キチガイに刃物

510:世界@名無史さん
13/05/15 17:08:24.46 O
最近の政府見てると、外交の大変さと大事さが良くわかる。
三国志世界でも外交の成否で人物が評価されてるしね。
激しくスレチなのは自覚してる。ゴメンね。

511:世界@名無史さん
13/05/15 19:57:08.01 0
孫子も戦争とかなんとかの前に敵を作るな、
と縦横家でもないのに外交の重要性を説いていたぐらいだからな

512:世界@名無史さん
13/05/15 20:05:57.14 0
>>511
孫子には兵站の概念がない
孫子の兵糧調達法は「敵から奪え」w

513:世界@名無史さん
13/05/15 21:52:17.71 0
>>512
概念あるが

読んだことないの白状しなくていいから

514:世界@名無史さん
13/05/16 19:10:30.17 0
>>513
兵士1万人を養うには穀物○○石、輸送に牛車××台が必要という基本的なことが書いてない
人間が食べる量なんて基本的に変わらないのにね

515:世界@名無史さん
13/05/16 22:50:16.96 0
孫子はそういう具体的なデータを挙げて、
具体的な行動について述べている本じゃ全然ないんだが。

516:世界@名無史さん
13/05/16 23:32:40.32 0
>>514
孫子曰、凡用兵之法、馳車千駟、革車千乘、帶甲十萬
千里饋糧、則内外之費、賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日費千金、然後十萬之師舉矣

はい、兵站の概念

孫子の論旨は兵站は大事だけどそれまじめに全部自分で費用負担すると死ねるから
とっとと戦争終わらせるか、継続するにしても極力敵から略奪して自分の財布の負担は小さくしましょうというもの

この略奪しろってところだけ読んで孫子は兵站の概念がない!とか言うアホは死んだほうがいいと思うよ?

517:世界@名無史さん
13/05/17 11:38:06.93 0
いや孫氏信者には悪いが、孫氏は非常にミクロなレベルで戦争を語ることで
マクロ的なことに対応してるから結構穴があるんだよね。
兵站もその一つで、孫氏に兵站についてのまともな概念はないよ。

行間まで読まなくても兵站が必要不可欠な状況についての言及はないなんて素人でも分かる。
孫氏は、「古代ローマ軍のような兵站が必要なような戦争はするな」が答えとなってる。

ただこれ自体は、間違いじゃないし、孫氏アンチが言うような孫氏欠陥論の論拠とはならないけどね。
孫氏自体も「兵站作れればいいけど、そんなの無理でしょ?」
「兵站が必要な戦争=長期化=下策」って事で
兵站構築の選択は、まず始めに除外しているだけで兵站自体は軽視はしていない。

ただこれじゃあ必要な場合どうすんの?って話に対応できないし戦う場合選択肢が限られるわけだ。
そもそも同時代に、ノスタルジックを完備することで、戦争を勝っていた同等の文化レベルの国があるわけだから
強力な兵站を構築することで、勝利を得られるのも一つの答えで、状況によっては孫氏が放棄した選択肢も大正解なわけ。
なんでニワカ的な孫氏信者が否定する兵站重視の戦い方も全く間違っていないってこと。

518:世界@名無史さん
13/05/17 12:42:07.18 0
>>517
ノスタルジック?懐かしさで戦争に勝つの?
輸送の事言いたいならロジスティックとかだろ

あと孫子信者とか意味わからんこと言われても困惑するんだが
孫子読んでない奴が難癖付けてるけどその難癖が間違ってるって指摘してるだけだろ
そもそも兵站重視の戦い方が間違ってると主張してる現代人はここにはおらん
正史三国志には輸送と輸送路の確保について結構記載があるしこのスレにいるような連中は
皆大事だってわかってるよ

言葉も知らないようだし、誰も主張してない事まで勘違いするってのは知能が疑われるから
素直に一回退散して本を読んだりして勉強し直すことをおすすめするよ

519:世界@名無史さん
13/05/17 13:10:47.51 0
是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡(軍争篇)
だから軍は輸送がなければすぐに負ける
食料がなければすぐに負ける、軍資金がなければすぐに負ける

凡火攻有五、一曰火人、二曰火積、三曰火輜、四曰火庫、五曰火隊(火攻篇)
およそ火攻には五種類があって、一が兵の焼き討ち、二が屋外物資の焼き討ち、
三が輸送物資の焼き討ち、四が屋内の焼き討ち、五が輸送部隊の焼き討ち

このように物資や兵站の重要性を説きつつ
相手の兵站を破壊しろと説いており孫子には兵站の概念がしっかりあるよ

520:世界@名無史さん
13/05/17 19:32:33.02 0
ノスタルジックわろた

521:世界@名無史さん
13/05/17 20:19:52.12 O
一番兵站に熱心だったのは曹操だな
曹操の計算だと送った量の5%くらいしかたどり着かないのが兵站の現実らしいけど
そのせいかあれこれ工夫してたな

522:世界@名無史さん
13/05/17 20:43:49.53 0
>>519
>是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡(軍争篇)
>だから軍は輸送がなければすぐに負ける
>食料がなければすぐに負ける、軍資金がなければすぐに負ける

食料を確保して輸送して配分するために何が必要か、どうやれば効率的に輸送できるのかとか、具体的なことは教えてくれない。
一般論過ぎる。
孫子を真に受けたバカエリートがそのまま軍を指揮するから、中国の戦はみんな餓えまくりなんだよ。
貨殖伝でも読んだほうがまし。

523:世界@名無史さん
13/05/17 20:49:47.37 0
>>522
当たり前じゃん
孫子ってそういう現場の仕事を指南する書物じゃないんだから

万能の書物だと思ってるならそいつが低脳過ぎる

524:世界@名無史さん
13/05/17 20:53:36.52 0
>>523
戦争でもっとも重要な兵站に関する記述が一番いい加減とか、孫子は戦争をなんだと思ってるんだ?w
謀略考える前にやることあるだろ。

525:世界@名無史さん
13/05/17 21:19:54.49 0
>>524
戦争で最も重要なのは兵站じゃなくて外交
そこんところ勘違いしてるから話にならんのだな

526:世界@名無史さん
13/05/17 21:44:18.91 O
>>521
確かに任峻とか夏侯淵とか、兵站任務の記録が残ってるな。
劉備のところは諸葛亮がいるし。
孫家はどうだったんだろう?

527:世界@名無史さん
13/05/17 22:22:17.13 0
>>526
物資横流しで儲けてる奴がいたりしてどうも適当な印象受けるけど
横流しできるだけ物資をしっかり集積して分配してるので起こる現象かもしれん
その場合はやっぱり結構兵站しっかりやってたんだろうなぁ

528:世界@名無史さん
13/05/17 23:33:31.38 0
戦争で兵站が最も重要で、それがなきゃ絶対に死ぬなら
どうして洋の東西を問わず、実際に補給が自前で賄えるようになったのは
WW1ぐらいからなんだ?
それ以前は兵站が完全に出来ないから戦争を自分からは起こさなかったのか?

違うだろ。
補給はある程度で、後は略奪で賄えるから
補給が完璧に出来なくても戦争起こしていたんだ。

現地調達の略奪が基本の時代でも
そっちの方が効率がいいし楽だからそうしていただけで
兵站の概念はある程度が略奪の時代からでも存在していたんだよ。

529:世界@名無史さん
13/05/17 23:57:11.07 0
そもそも戦争の主たる目的自体が略奪という場合がけっこう多いわけで、
すると、この場合はいかに効率よく略奪し続けるのかということ自体が
戦略ということになるのではないか。

530:世界@名無史さん
13/05/18 00:21:45.70 0
>>525
外交力がなくても兵站が続く限り戦えるが、
食料がなければ外交官も餓えて死ぬわw


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