【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かat WHIS【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗か - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト350:世界@名無史さん 12/10/28 17:09:00.53 0 まあ必ずしも間違いではないしコピペだと思うけどステレオタイプがいくつも混ざってるよ。 士農工商は今ではほぼ実体無しと言われているし当然その下のえたひにんも。 上か下かではなく社会には生産層と支配層、その他がある。 今で言うサービス業、あと実務公務員、これらが身分外。 えたの最も重要な仕事は警察だよ。 平和な日本で生活が苦しい時は当然これらの職業は民衆に嫌われる。 私服警官なんてうんざりだから見た目でわかるようにして欲しいと訴える。 当時は全国統一の警察なんて無かったから各藩でそれぞれ雇われていた百姓以外の者。 しかも警察とか公務員って親の職業を大体受け継ぐんだよな。 351:世界@名無史さん 12/10/28 17:24:12.68 0 古代末から中世にかけて、一般農民の共同体からはじき出され、あるいは脱落・流出し、 中世非人(社会外の社会)となった人びとが、宿・声聞師・河原者などの賤民集団を形成し、 河原者はケガレの処理を中心とする職能集団として、さまざまな仕事を担う。 そして、動物の死骸などケガレの処理は、本来、河原などに埋めてしまえばこと足りるのだが、 病弱になって働けなくなった耕作用の牛馬は、単に飼い置くわけにもいかず、その屠殺も河原者の仕事である。 こうしてできた動物の死骸から様々な物を作る化製業系の仕事が発生する。 皮革の製造はいうに及ばず、接着剤としての膠や漢方薬である牛黄など、さまざまなものを工夫して製造した。 戦国大名が、城下町築造の際に、自分の出身地から皮多を引き連れて来て優遇したのは、こうした特殊技能を重視してのことである。 また、犯罪の取り締まりや処罰も、ケガレの処理の一形態で、古くから河原者もたずさわっていた。 近代になっても、各地の部落に十手や御用提灯が保存されていたのは、そうしたことに由来する。 また、ケガレの処理から発展したものに、権門の住居のトータルコーディネーターという役割もある。 本来は、庭を清浄に保つのがケガレ処理の本義であろうが、徐々に土木技術や作庭技術・理論を発展させていった。 また、警察業務との関連もあるが、庭者の陰の任務として、諜報活動も重要な仕事であった。 こうしたケガレ処理関連の仕事とは別に、河原者たちは営々と農地の開墾・耕作に努力し、江戸時代に入ってからは、 一般の百姓とかなり近い存在となっている。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch