生け贄についてat WHIS
生け贄について - 暇つぶし2ch99:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 11:08:42.12 0
死穢というのも本来は人と五畜(ここでは牛馬犬猿鶏)に及んだもので、鹿
や猪は対象外。祭儀を穢れと見做す必要もなかったでしょう。
その肉を食らうことも嫌われなかったことは、天皇が歯固めに両者の肉を口
にされたことからも分かる。
平安後期からこの食肉を穢れと見做す説が広まって、旧儀の実践との間に齟
齬を生じていますが。これは穢れ説の後付によるもの。

穢れという概念も、時代によって整備されたり範囲が広がったりしているの
で、ややこしいものですが。
神社で血肉を奉げる祭儀が行われていた事をある程度史料が語るようになっ
てからの例では、>>89のようなことは鵜呑みには出来ないと思います。

ついでに、巫女のことをイタあるいはイタコと呼ぶこともイチないしはイチ
コと同じく平安末~鎌倉時代に見えて来ますが、この板は生贄を奉げる板=
俎板ではなく、神がかりになるのに弾いた琴を置いた台に由来する模様。
元々は熊野社ゆかりの巫女によく使われていました。

100:世界@名無史さん
12/07/16 11:22:12.54 O
プリオン関連の病からも、人が人を食ってたのは実証されてるが、
生贄としての人間となると中南米とかはともかく、
いきなり怪しくなるんだよな。

飢餓や戦争の特殊状況化ならともかく、儀式として人間供えたのは、
かつてそういうのがあったって伝説でとたんに実証できなくなる。

101:世界@名無史さん
12/07/16 11:31:25.36 O
一緒に生きながら為政者の墓に埋められた人間て、
確認されてるのって、有史以降どうなんだっけ?
人形の前は人間だったわけで。

102:世界@名無史さん
12/07/16 11:35:08.84 0
>>99
犬なんかはどうですかね?
弥生時代の犬の骨は焼かれたり切断され、食用に供されたという通説がある一方、
シャーマンが呪詛のために殺したり、首だけ土から出して埋めた犬神作りの話もある。
この類型は北東アジアに広く分布していますが、一方で宮廷では隼人が犬吠を行う。
犬は果たして食用であったのかトーテムとして供された神聖な動物であったのか?


103:世界@名無史さん
12/07/16 11:35:47.67 0
>>98
>AからGまであったとして

では叩き台として、こんな感じで。

A. 神(またはそれに類する存在)に対する捧げ物である。
B. なんらかの見返りを求めている。
C. 生物を殺す。
D. 儀式を伴う。
E. 象徴的意味がある。
F. 最初に死体を食べるのは神(またはそれに類する存在)で、その食事が終わった後に人間が残りを食べる。

遠慮なく叩いてください。

104:世界@名無史さん
12/07/16 11:48:25.43 0
>>101
日本だと卑弥呼が有名だよね
箸墓古墳発掘すると人骨がいっぱいでてきそう

105:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 11:56:47.67 0
>>102
犬神伝承は江戸時代に記録された文書が正しいとすれば、15世紀の阿波に存
在したというのが一番古いですね。
やや時代が下って、長宗我部元親の時代に弾圧されたという話もあります。
古代日本からの伝承というより、仏教で知られた外法の中に、頭骸骨を利用
したものがあったので、これに由来するのかもしれません。
唐にこうした術があり、円珍は渡唐した際に卵型の珍しい頭の形をしていた
ので、術目当てに首を獲られぬようにと役人から忠告されています。
蟲毒の影響もあったかもしれません。
ただ、中国では猫を使うことは多くあったものの、牛・犬・鶏は名目こそあ
れ実際に使った例はない(澤田瑞穂先生)とか。

106:世界@名無史さん
12/07/16 11:57:45.19 O
>>103
生贄のもっともとされる人間供犠の場合、
食人が想定されてるとは限らないからな。
人柱とか。


ポトラッチとかは確実に奴隷は殺されてたが、
儀式性、宗教性はどう位置づけるんだろう。
その場のノリだし、何に対する見返りなのか。


陶酔はあったろうし。
埴輪の前に人間埋めてたとして、淡々としたもので、
当事者の意識としてはあの世とこの世がつながってたろうから、
陶酔も何もないだろうし。


一つ一つ違い人間は複雑だとしか言えない。

107:世界@名無史さん
12/07/16 12:10:52.95 0
生贄のもっともとされる人間供犠の場合?


108:世界@名無史さん
12/07/16 12:13:51.22 0
>>106
>食人が想定されてるとは限らないからな。

だから個々の事例は、上に挙げられている条件のうち、どれとどれが当てはまるか、
を見て、類型化するってことでしょ。
全部が当てはまるのは少数派。

109:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 12:17:41.34 0
>犬は果たして食用であったのかトーテムとして供された神聖な動物であったのか?
狐や蛇が祖であったという伝承はあるものの、犬が祖であるという話は日本では珍しい。
『今昔物語集』にあるのは、どちらかといえば犬と女のみの異常婚姻譚で、子孫を
なしたというものではありませんし。
それから百年足らずの内に編纂された『唐物語』にもあるように、漢籍からの移入
であって、定着を見なかったものと思われます。
同じく漢籍起源で人と馬が繋がる蚕伝承は、東北を中心に定着しましたが。

犬婿伝承は、沖縄・鹿児島に伝えられています。
隼人が吠声で奉仕したというのも、中央とは違った特徴ゆえでしょう。
平安時代の吠声(多分、犬・狼の真似)が奈良時代からあったであろうこと
は、『万葉集』に「隼人の名に負ふ夜声」とあることからも推測出来る。
「吠」という漢字は、元々特に犬の鳴き声を指したもの。

8世紀、牛を殺して「漢神」を祀る信仰があり、丑年生まれの桓武天皇が即位
されて禁令が出ましたが、日本における獣の解体・供犠までもが大陸起源と
までは言えないかもしれませんね。
むしろ野獣を殺すのに対し、牛を殺すことを大陸式と見るべきか。

110:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 12:25:29.54 0
>狐や蛇が祖であったという伝承はあるものの、
余談ながら、こちらも母方が中心ですね。
記紀ですと天皇家の母方の先祖は鮫ないしは竜ですが(豊玉媛とその妹)。

父方の先祖とした場合、雷神が丹塗り(赤は雷神の色)の矢に化けて娘と同
衾して子をなしたという場合が多い。
ただ雷神自体も蛇と結びついていたようですし、獣との通婚を卑しむ風潮が
後から出て来て区別されたものかもしれません。

『日本人とユダヤ人』に、日本には処女懐胎説話がないと書かれていたと思
いますが、これは処女懐胎の一例でしょう。
日天に感応して処女が孕んだといった話が『大唐西域記』に出て来ますが、
こうした話も古くから伝わっている以上、受け入れる姿勢はあった筈です。
果実を食べて懐妊したという、環太平洋に広がる型の話もある。
生贄からずれますが。

111:世界@名無史さん
12/07/16 13:13:47.06 0
>>110
日本は確かに感応型の神話はあまりありませんね。
記紀は明らかに卵形で、鳥トーテム。
ここでちょっとお聞きしたいのは、何故日本人は鳥や蛇を普通に食べるのか、ですね。

世界的にトーテムを食すのは供犠が済んだ神聖な肉です。
古事記の記載に、アマテラスが天岩戸に隠れた際、長鳴鳥を集めて鳴かした、とある。
これは太陽が鳥の鳴き声で迎えられ再生を果たしたという意味ですから、
鳥が非常に大きな意味を持っているはずです。
同様に朝に遠鳴きをするインドの猿は同じ意味で朝日の神で、大切に扱われます。
かつては大和民とほぼ同じ地域に住んでいたアイヌもまた、
熊おくりなどトーテムに対し最大級の敬意を払います。

日本の供犠、というか大和民の供犠は今ひとつ一貫性が無い。
この特徴は感応型である中国北方民の影響であり、
土着、あるいは南方由来卵形の神話体系と齟齬をきたしたからではないか、と感じているのですが・・・


112:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 14:07:49.79 0
>この特徴は感応型である中国北方民の影響であり、
>土着、あるいは南方由来卵形の神話体系と齟齬をきたしたからではないか、と感じているのですが・・・
南北の神話の混淆については指摘されていますし、犬の扱いに限らず「一貫
性のなさ」に繋がっていると思います。
漢籍・仏典の思想の洗礼と、時代ごとの変化もありますし。

>同様に朝に遠鳴きをするインドの猿は同じ意味で朝日の神で、大切に扱われます。
日吉と猿の関係は記紀の時代まで遡るものではない(春日の鹿、熊野の烏、稲
荷の狐も同様)ですが、やはり日を見て反応することに由来するのでしょう。
猿田彦についても、太陽神としての性質を指摘する説があります。
レヴィ・ストロースも論じていましたが。

古代エジプトで知恵の神であるトート(トキの場合もある)はヒヒの姿で信仰
されていますが、ヒヒが太陽を拝む、あるいは太陽の出る扉を開くというのは
お決まりのモチーフだそうで。これも性質由来でしょうね。

113:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 14:08:45.30 0
>何故日本人は鳥や蛇を普通に食べるのか
長鳴鳥を鶏と解したのは後世の説ですが、これは妥当でしょう。
鶏を食した可能性は、天武天皇の時代に牛馬犬猿鶏を食することを禁じたと
いうことがあったので、食べられていた可能性はありますが、殺して食べた
のか、死んだものを食材としたのかは分かりません。
また、古代の法は名目上挙げたものが多く、実効性は勿論のこと、果たして
そこまで目に余るほど食べていたのかという疑問も浮かびます。

鶏を殺した例として、『日本書紀』に闘鶏の結果を嫌って切ったという話が
ありますが、腹立ち紛れの例ですし、殺した下道臣前津屋も間も無く討たれ
ていますから、報いともとれますね。
闘鶏自体が大陸からの移入ですし、神話に限らず新しい文化(仏教も含む)
の影響を受ければ、動物観も変化したのではないでしょうか。

ただ、それにしても鶏殺しは珍しかったと思いますよ。
平安時代前期には「漢神」を祀るために牛を殺したり、鶏の卵をゆでて食べ
て報いを受けた説話がありましたが、鶏殺しの話はありません。
時代が下るほど古い「神話」の影響は希薄になっていったでしょうが、それ
にしても時代が下ってからも鶏食いは珍しい。

114:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 14:11:38.05 0
仏教の影響が多分にあったのでしょうが、『徒然草』に家で飼うのは鶏犬ぐ
らいでいいとあるのも、番と時のためでしたからね。
古代には神話的な役割の影響、中世には仏教の影響としても、ほとんど殺し
て食べるという利用法がとられていない。

蛇を食べるのは、一寸思いつきません。
蛙なら『日本書紀』に葛城の風俗として見えていますが。
『今昔物語集』に、悪徳行商の行為として見えているくらいですか。
八岐大蛇退治と三輪山の神などに対する信仰の両立は矛盾して見えますが、
蛇自体の霊性は認めながらも、敬意の対象を自勢力との関係から取捨選択し
たと考えればいいのではないでしょうか。

同じ動物に対し、敬意と利用が両立することは、中国でも成立したと思いま
すが、「世界的に」というのと日本だけが矛盾するというより、異なる態度
が成立することは多くの文化が混淆し、変化していく中では自然と起こりう
る問題であるということも、考えた方がよいと思います。
それでは、インドでは何故猿へのああした文化が出来たのかという話となり
その歴史的経緯・分布がどうなっているのかという話になりますが。

「歴史不在」のインドですから難しいでしょうが、インドの動物文化、食文
化も古代から連綿と続いているものなのでしょうか。

115:世界@名無史さん
12/07/16 16:48:38.34 O
>>108
だから肝心な人柱みたいのがいきやり外れるのが問題あるだろって、
意見出したのに?
馬鹿はこれだから。

116:世界@名無史さん
12/07/16 16:51:11.72 0
最期の文章だけ意味が分かった

117:世界@名無史さん
12/07/16 16:57:47.44 0
俺も、

馬鹿はこれだから。

は、理解できた。
普通に、○○が抜けてるから追加、って言えばいいのに

118:世界@名無史さん
12/07/16 17:10:55.64 0
>>101
最古の事例はシュメールだと思うよ。生贄というか殉死という要素が強い感じもするけど。
前2600年頃のウル王墓(789号)には、約60人の男女や牛(牛車付)が墓室脇に埋葬されてた。
外傷なく抵抗した様子もないので、殉死との説が強い。このへんは殷の大墓とは趣が異なる。

119:世界@名無史さん
12/07/16 18:42:45.42 0
小難しい話はいいから>>61みたいな残忍な生贄儀式の話をもっと教えて!!!


120:世界@名無史さん
12/07/16 18:43:35.62 0
ここは小難しい話をするところ

121:世界@名無史さん
12/07/16 18:45:05.94 0
>>114
なるほど、鶏は食用ではなかったというのは逆に納得がいきました。
鶏林の祭祀では鶏は食べなかったらしいですし。
鶏は東南アジアの食用が南部中国からもたらされたものではなく
初めから神聖な生き物として朝鮮からもたらされたのかも知れませんね。
もしそれが正しいとすれば新羅は王族がコーカソイドですから
日本の卵生神話は中国ではなく西アジアの影響かもしれませんね。

蛇については、どの本で読んだかは忘れたのですが、
蛇飯というのが全国各地に残っているそうで、蛇信仰のお膝元とも言える奈良にもあるそうです。
それがいわゆる縄文由来なのか、逆に全然新しいのか解りませんが・・・

122:世界@名無史さん
12/07/16 18:48:26.29 0
いまでも鶏肉苦手な日本人ってけっこういるじゃん
氷川きよしとか
それって関係あるのかね

123:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 21:06:20.04 0
>初めから神聖な生き物として朝鮮からもたらされたのかも知れませんね。
『魏志』や『後漢書』には牛馬なし(これも実際は違うらしい)とあるもの
の鶏の記載はなく、『隋書』には博打好きとあれど闘鶏には言及なし。
しかし4世紀前半には鶏型埴輪が出ていますし、動物型埴輪の中でも一番早
いそうですから、信仰面で重視されていたのでしょう。
完全な推測になりますが、生命力を振興すると考えられたのでは。

鶏の件ですが、『古語拾遺』の中に、大地主神が人に牛肉を食べさせたこと
に御歳神が怒り、祟りをなしたので、白猪・白馬・白鶏を献じて鎮めたとい
う話があります。
祟りをなした理由を牛肉の穢れと説明したものがありますが、その後託宣で
牛肉を田の水口に置いたことが見えるので、神に関わるものを人が口にした
ことをとがめたものかもしれません。
家畜と野獣の違いはありますが、鹿の血で田の実りをもたらした話が『播磨
国風土記』に見えています。

ただ、白猪・白馬・白鶏を献じたというのがよく分かりません。
白猪は屠り、白馬・白鶏は飼養したというのが穏当だと思うのですが。

蛇を日常的に食用にした件は、存じません。
蛇皮(蝮でしょう)を薬にすることは平安時代には行われていましたが。
蝮酒も新しそうです。焼酎は16世紀に薩摩で生まれたようですし。
それより前は、基本的に酒の長期保存自体が難しい。

124:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/16 21:30:08.45 0
日本に影響のあった中国の例を挙げると、元々は元旦に鶏を殺して掲げてい
たのが、『荊楚歳時記』の時代には鶏の絵を掛けるようになり、逆に鶏を殺
さないようになっていたということです。
また身固めのためか鶏卵を食していたのが、梁の武帝の時代に禁じられて消
えた由(北方では自然廃れたか)。

これとは逆に、梁の武帝が鶏卵を好んで死後報いを受けたので追福をしたと
いう話が『法苑珠林』にありますが、『荊楚歳時記』も『法苑珠林』も我が
国ではおおいに参照されたもので、これらの書籍の内容が与えた影響も大き
かろうと存じます。

『捜神記』には、白犬白鶏は食すべからず(白鶏が身内を食われたので冥官
に飼い主を訴えたため)とあり、また白馬が冥官の乗物として出ています。
白馬の節会があったように、白馬が特別視された例は多い。
これもまた大陸の思想が影響したものだろうと思います。

神に馬を献じた例(絵馬の起源)としては、丹生川上の神が早いですが、こ
こでは祈雨の際に黒馬が、止雨の際に白馬が奉納されていました。

125:世界@名無史さん
12/07/17 14:15:26.24 0
日本は供犠ではなく供物の文化という事ですかね。
農耕・牧畜社会はどちらかといえば供犠が多いと思いますが
その意味でも日本は原始宗教の臭いが濃い。


126:世界@名無史さん
12/07/17 14:32:46.02 0
>>106
>一つ一つ違い人間は複雑だとしか言えない。

それ言ったら、話は終わりだよ

127:世界@名無史さん
12/07/21 12:57:41.77 0
人柱について(2)
スレリンク(min板)


128:世界@名無史さん
12/07/22 01:14:10.12 0
日本の神話体系は卵生型だが、記紀は感生神話だな。

天照大神が須佐之男命の闖入によって天岩戸に隠れたとき、天照は一度死ぬ。
その後、鏡によって自らの精を受け、復活する。

原田大六氏は平原弥生古墳において、日向峠から差し昇る収穫時機の太陽と古墳の一の鳥居、
そして木簡に埋葬されてる女性の股間は一本のラインに結ばれる事を発見し、
この女性が非常に重要な巫女であったと主張している。
つまり前天照は(恐らく老衰によって死亡し、)供犠として太陽神に捧げられ、
その死骸の股間に太陽の朝日がさす事で、新たに太陽神の御子(身代わりの子)が生まれたことを示す。


129:世界@名無史さん
12/07/22 01:23:42.43 0
ただ、気をつけねばならないのは猿田彦の存在だ。
猿田彦は記紀において「眼は八咫の鏡のごとくして、照り輝ける事赤酸醤に似れり」とあり、
猿神は南方神話では日の神だ。
つまり、本来の天岩戸伝説は、岩戸に隠れたのは日の神である猿田彦であり、
裸で踊るウズメに誘われて岩戸から出て新たなる日御子を産んだという話であるかもしれない。
その場合、上記の埋葬されてる御子とはウズメの事だろう。

とすれば、これは西アジアとの面白い類似性がある。
日本の巫女ももともとは娼婦団であったする説は昔からある。
巫女が娼婦として神殿にいて、貴族や裕福な信徒の子を生む、というこの風習は
太陽の再生を祈願するゾロアスター教に非常に似ている。


130:世界@名無史さん
12/07/22 01:37:00.16 0
>>128-129
民俗・神話学板のほうがいいんじゃないか?

131:世界@名無史さん
12/07/22 02:05:01.43 O
何を今更。
人類学も歴史も境ないだろ。供犠については。

132:世界@名無史さん
12/07/22 02:21:18.85 O
生贄の話として、まあ、生と死を逆転させること通じて、
彼岸への連続性を確保することなんだよな。

で、そこから派生するものとして、食ったり宴会する形で、
連帯性の確保に利用することもあるが、それはあくまで二義的。

ポトラッチにおいては彼岸や宴会よりも無駄遣いこそと転倒しているけど、
そこらへんは転倒したところから逆に上がろうとした混乱があるから、
仕方ない。
宴会から聖なるものを取り戻そうとする逆サイクルだから。

133:世界@名無史さん
12/07/22 02:25:32.32 O
どっちにしても本質的なものと二次的な物の段階もわからず並べて、
分類しても意味ないわな。
馬鹿だから仕方ないが。

134:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/22 08:38:59.62 0
>>128-129
>一本のラインに結ばれる事を発見し、
いくつもある古墳にいくつか線を引けば、重要そうなものも出て来るでしょう。
原田大六自身がトンデモだったから、とは申しませんが。
「古墳の一の鳥居」が何時建てられたものか分かりませんし、cm単位やm単位
で本当に正確に線上にあるというぐらい一致するのでしょうか。
ピラミッドなどでもよくこの手の方位や数字の「一致」が叫ばれますが。

>つまり前天照は(恐らく老衰によって死亡し、)供犠として太陽神に捧げられ、
以下や、
>とすれば、これは西アジアとの面白い類似性がある。
以下も史料・資料上の裏付けはとれませんし。

猿田彦が太陽神であった可能性はありますが、だからといって天照と同一と
する必要はないでしょう。

>猿神は南方神話では日の神だ
猿田彦が貝に手を挟まれて溺れる伝承の起源を南方に求める説はありますが
太陽神の起源説は初耳です。何処の伝承かお教え頂きたく存じます。
月とのかかわりなら無くもありませんが。

135:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
12/07/22 08:56:47.33 0
>「古墳の一の鳥居」
ひょっとしてこれ、穴が開いていたのを「鳥居に違いない」とか言われたやつでは。

136:世界@名無史さん
12/07/23 07:23:30.96 0

メソ・アメリカの人身供犠の実相は、どのようなものだったのですか?
身分高い人々が人身御供にされたのか、それとも戦争捕虜などの敗者や奴隷だつたのか・・・






137:世界@名無史さん
12/07/23 11:23:36.60 0
昨日のテレビか

138:世界@名無史さん
12/07/24 10:35:25.85 0
>>136
戦争自体が宗教儀式であり、資源ではなく奴隷を獲得(交換?)するためのものだったらしい。
その裏付けの一つが、祭壇に捧げられる奴隷戦士は比較的自由で特に拘束されておらず、
毎日サッカーのようなことをしていた、とヨーロッパ側の記録にある。
部族が違っても基本的宗教観は近接していて、生死観は同じだった。
彼らにとって神に捧げられるのは最高の名誉であり、自分の武勇を相手が認めたという誉れであり
神の一部となって故郷に凱旋し永遠に祭られるチャンスでもあった。
だから一瞬の生を求めて逃げるのは戦士として最大の恥辱であり許されざる背徳だったようだ。

逆に、アンデス山中やセノーテに捧げられる処女巫女などは手足を縛られているのが普通で
後頭部を強打されて死んでたり足をへし折られたり切断された状態で見つかる。
脱走逃亡しようとしたり抵抗した女性は多くいたようだ。
それが信仰に対する男女差なのか、供犠体系自体が違うのかは地域によって異なる。
さらに言えば、新大陸は多くの地域が女系であり、
種を落とすだけの役割しかもたない男とは命の価値が違ったことも関連している。







139:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/07/24 13:33:44.95 0
>>136
メソアメリカのアステカでは生け贄になった奴のほとんどが戦争捕虜だな。
球技での勝者もしくは敗者も生け贄になったけど戦争捕虜のほうが数は多いね。
アステカの場合各都市の王は処刑できない決まりがあって生け贄にするという
形を取っていた。
奴隷だからという理由で生け贄になるのはなかった(例外はあると思うが)。
>>138でも述べられているように生け贄は名誉なことだとされていたから重罪人は
縛り首とかで死刑にされていたね。

その他に神官とかによる自己犠牲で自傷行為が行われてた。

140:世界@名無史さん
12/07/25 00:30:03.02 0
アステカだかマヤだかの王妃が自分の舌をサボテンの棘をつけた糸で貫く話を
ディスカバリーチャンネルで見た

141:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/07/25 13:40:09.45 0
>>140
舌を貫く自己犠牲やってるやつはマヤの遺跡で壁画が見つかったりもしてるね。
普通の神官とかも自己犠牲してた。
アステカでも自己犠牲は普通に行われてたな。庶民ではなくて神官とか戦士とか
そのへんのやつがやってた。
ジャガーの戦士とかの戦士団に入るのに宗教的な修行が必要だったが
その一環で自己犠牲も行われてた。

人間の血液を神への捧げ物としていたから自己犠牲も推奨されていた。

142:世界@名無史さん
12/07/28 19:43:23.63 0
ジル・ド・レの少年大量猟奇殺人はその数、数百人に及ぶ。
その異常性は彼の性癖というだけではすませられない。
イタリアの怪僧プレラーティの悪魔召還供犠としてサタンに捧げられたものだった。

尻穴を犯され、喉をかっ切られて死んだ者は最も幸福な者だったと言えるだろう。
そうやって何十人と捧げたにもかかわらず、悪魔が一向にやってこない事に業を煮やしたジルはプレラーティを詰問した。
「悪魔は少年の生の執着がもたらす絶望の叫びによってこの世に現れるのです。まだ、絶望が足りない。」
窮したプレラーティの教えを、ジルは満面の笑みで忠実に実践した。

巨大な刺付きローラーでゆっくりと足の指から潰されていく者。
鉄の三角錐に座らされ、口から臓器を吐き出しながら貫かれる者。
骨を一本一本、ハンマーで砕かれていく者。
両手足を切断され、だるまのまま蛆に食われていく者。
焼けた鉄棒をケツに突っ込まれ、中でぐるぐる回し、焼けて癒着した腸を引き抜かれる者。
鑿のような器具で少しずつ、肉をこそぎ落とされていく者。
うつぶせで縛られ、20メートルの刺の生えた床を何往復も引き回された者。
全身の皮を剥がされ、乾くとワインをかけられ数ヶ月も生きていた者。

戦友であり主であり女神だったジャンヌ・ダルクの死は、ジルを狂気に駆り立てた。
彼女が魔女として最後の叫びをあげて火に炙られて炭になった時、彼の正気もまた、燃え尽きてしまったのだろうか。
その心の隙間に本物の悪魔が忍びこんでしまったのだろうか。
それとも金に眼がくらんだプレラーティに騙されていただけなのだろうか。




うん、でも本当はきっと、彼は好きでやってたんだと思う。
ちょっとした言い訳が欲しかったんだよね。
オナニーする時に「一発抜いたら逆に勉強がはかどるし」って言う俺らとおなじ。




143:世界@名無史さん
12/07/28 20:08:20.65 O
あーそれ全部でっちあげだから
財産没収目的のやつね

144:世界@名無史さん
12/07/28 20:10:48.99 0
まじかよキャスター召還しようと思ってたのに。

145:世界@名無史さん
12/07/31 21:59:14.82 0
ぶっちゃけ、歴史上誇張はよく行われているよね。
殷の紂王だって、暴君じゃなくて
実際は名君だった説もあるよね。
暴君にしないと、滅ぼした周が悪者にされるからな

146:世界@名無史さん
12/08/01 11:30:47.54 O
戦に負けて滅亡させられたんじゃ「名君」とは言い難いな

147:世界@名無史さん
12/10/28 13:31:11.01 0
ガチに興味深いテーマだ。

148:世界@名無史さん
12/10/29 06:44:09.56 0
すれ違いだが
魔法少女まどか☆まどかの世界の魔法少女も(宇宙のエネルギー補充のための)生け贄なんだよな。

149:世界@名無史さん
12/11/03 17:09:53.26 0
age

150:世界@名無史さん
12/11/25 20:28:18.04 O
虚淵が書きたいのはキリスト受難劇だろう
まあ、あれも生贄と言えばそうなんだろうけど


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