正史『三国志』 二十七巻at WHIS
正史『三国志』 二十七巻 - 暇つぶし2ch378:世界@名無史さん
12/05/27 08:36:30.92 0
>>377
豪族より強い=賢明な皇帝

ではないw
内ゲバにだけ強くて、戦争も内政もダメダメなやつっているじゃん。

379:世界@名無史さん
12/05/27 08:38:15.57 0
はいはい。お疲れさまでした。
ちくま版呉志を購入してから来てくださいね

380:世界@名無史さん
12/05/27 09:37:09.90 O
三国志とはいったいなんだったのか…

381:世界@名無史さん
12/05/27 10:53:34.60 0
孫覇は特に英邁だったということもないし、
孫覇を推す豪族もいたりして、豪族の勢力を抑圧する効果も
微妙だった。しかも、最後には孫覇を自害させている。

目的も効果も意味不明で、しかも国内を疲弊と人心を混乱させた
だけ。晩年の孫権は愚かで残虐なのは愚帝といってよい。

382:世界@名無史さん
12/05/27 11:12:29.75 0
愚帝かどうかと、強力な皇帝だったかどうかという今の話題とは関係ないんだがねえ。

おまえはいつも馬鹿ばっかり言ってるな。
三国志に加えて中学生向け国語辞典も購入リストに加えておけよ。

383:世界@名無史さん
12/05/27 12:09:50.16 0
>>379
ニ宮の変は豪族の力が強いために起こったのであり、
皇帝権力の弱体な孫権は泣く泣く息子二人を処断せざるを得なかった、
孫権は暗愚ではなかった・・・

なんてちくまのどこに書いてあるんだよw

384:世界@名無史さん
12/05/27 12:23:32.57 0
>>383
そんなこと誰が主張したんだよ。脳内で勝手に作ってんじゃねえ。
「強さと暗愚は関係ない」が、「強くないから暗愚ではない」に変換されるなんてどういう論理脳してるんだ。
本物の餓鬼か?

385:世界@名無史さん
12/05/27 12:25:38.53 0
ちくまの訳しか読めないんだから察してあげるべき

386:世界@名無史さん
12/05/27 12:29:48.93 0
「孫権は強い皇帝だった」
「なんで?」
「愚策を取りながら臣下を誅殺できたから」

「孫権は愚帝だった」
「なんで?」
「強いのに目的も効果も意味不明な愚かな行動してるから」

循環論法でググレカス

387:世界@名無史さん
12/05/27 12:35:15.78 0
>>384
ていうか、お前には孫権が暗愚だとダメな理由でもあるのか?
戦争に強くても内には暴君なんて例はいくらでもあるだろうに。

388:世界@名無史さん
12/05/27 12:36:05.42 0
後継者選びにかこつけて有意の人材粛清しまくるようなやつのどこが暗愚ではないというのだ?

389:世界@名無史さん
12/05/27 12:38:23.26 0
>>387
つくづく馬鹿だな。

孫権は(他人から見れば)愚かな行動をたくさん残しているだろう。
それを議論したくても、>>383みたいな論理性の欠片も無い馬鹿が
「強かったので愚かだった」とか馬鹿な事言い出してるから、
議論にも入れないのが今の状況なんだよ。なんとかしろ。

390:世界@名無史さん
12/05/27 12:47:12.73 0
>>369以降、孫権や孫覇について実際的な議論が展開されていたと
思っていたとしたら、世界史板に書き込むのはもうやめてくれよ

391:世界@名無史さん
12/05/27 13:21:13.35 0
後継者争いを起こさせ、家臣を殺戮する時点で
暗愚以外のなにものでもないだが・・・・・・・・・

392:世界@名無史さん
12/05/27 18:21:40.77 0
暗愚というか暴君

393:世界@名無史さん
12/05/27 18:43:00.54 0
>>386
自分が、「循環論法」の意味を先に確認すべきだな。
少なくとも、そこで書いている事柄は「循環論法」にはあたらないよ。

394:世界@名無史さん
12/05/27 19:11:00.79 0
「孫権は強い皇帝だった」
「その根拠は?」
「愚帝なのに臣下を誅殺できたから」
「孫権は愚帝だったって根拠は?」
「強い皇帝なのに目的も効果も意味不明な愚かな行動してるから」
「孫権は強い皇帝だったって根拠は?」
「愚帝なのに臣下を誅殺できたから」

395:世界@名無史さん
12/05/27 19:28:12.01 0
孫権はそもそも皇后も自由に選べなかった状況だった

396:世界@名無史さん
12/05/27 19:33:01.40 0
君主権を強化したいという考えはわかるが、
後継者争いで家臣団を分裂させ、不当な殺戮を加えたのは
君主権強化には寄与しなかった。しかも、後継者に据えた
幼君は後の混乱の原因にもなった。

強さより愚かさが目立ったという結論以外に何かあるか?

397:世界@名無史さん
12/05/27 19:48:38.11 0
結論に文句を言ってるんじゃない。
それを主張している人間の日本語能力と論理能力に問題があるから
採用も議論も出来ないと言ってるだけだ。

これだけ言って解らないってのは本当に14,5歳以下なんだろうな…

398:世界@名無史さん
12/05/27 21:02:41.13 0
呉は三国一長生きした
孫権が暗君や暴君だったら直ぐ壊滅したでしょうね
劉禅なんて、諸葛亮の為の蜀だったし姜維の為の蜀だったし

399:世界@名無史さん
12/05/27 21:22:13.44 0
二宮の変で、孫権は孫和派、孫覇派で分かれた豪族の意思を無視って、孫亮に後継者を決定した。
もし豪族が強ければ、孫和派か孫覇派のどちらかの勢力が台頭したはず。

400:世界@名無史さん
12/05/27 21:23:08.50 0
>>394
軍事外交に優れていても、別の面で暗愚ということは十分にありえるのだよw

401:世界@名無史さん
12/05/27 21:33:33.45 0
>>399
孫和派は陸遜をはじめ劣勢の間に勢力を殺がれ、
孫覇派は孫覇派とともに一網打尽になった。
台頭したのは比較的中立だった豪族の諸葛恪。

この潰しても潰してもキリが無い抗争を帝権有利に持っていくには、それ以後も時間がかかった。
その点では孫峻・孫リンも帝権強化の功労者。
そして成長した孫休が孫リンを殺して呉の皇帝集権は頂点を迎え、孫皓に継がれる。

402:世界@名無史さん
12/05/27 22:51:02.01 0
曹操は何度も反乱を起こされているが、孫権は一度も反乱を起こされていない。
治安維持の才能は孫権の方が上。

403:世界@名無史さん
12/05/27 23:22:26.91 0
>>397
一番
> 日本語能力と論理能力に問題がある
のはお前自身だろうが。

404:世界@名無史さん
12/05/28 00:27:57.62 0
>>401
>孫和派は陸遜をはじめ劣勢の間に勢力を殺がれ、
>孫覇派は孫覇派とともに一網打尽になった。

陸遜を憤死させたのは孫権本人だろう。
豪族たちの力を削ぎ、そして一網打尽にする力を持っていたという事実こそ、孫権の皇帝権が極めて強力だったということを示してはいないか。

405:世界@名無史さん
12/05/28 03:54:59.43 0
孫権は呉郡出身の勢力を削ぎたかったという説

406:世界@名無史さん
12/05/28 12:54:38.28 0
「豪族」の使い方が乱暴だと思う。
そもそも呉では「豪族」なんぞ力を持っていない。
力を持っていたとしたら、それは「功臣」だろう。
しかし、その功臣ですら皇帝の前には力及ばず。
孫権は名君だったが、晩年は迷走し、二宮の変と遼東との同盟という二つの失敗を犯した。

>>401
>そして成長した孫休が孫リンを殺して呉の皇帝集権は頂点を迎え、孫皓に継がれる。
孫休や孫皓が孫権時代より強い皇帝権を持っていたとは思わないな

407:世界@名無史さん
12/05/28 13:19:20.70 0
二宮の変を他の皇帝でたとえてみよう。
例えば曹魏なら、司馬懿と曹爽が衝突したとき、
曹芳が強力に主導権を発揮して司馬懿も曹爽もやっつけてしまうようなもの。
こう考えると孫権の権力の強さが分かるはず。

408:世界@名無史さん
12/05/28 17:55:28.99 0
>>407
司馬懿は皇太后を掌握していた
皇太后は前皇帝由来で皇帝に近い権力が振るえる
曹爽は皇帝は握っていたが実際の軍事力を伴ってなかったので投降した
どちらも皇帝の権力の元で動いてる

皇帝の意向無視して私闘してた呉と比較すると
皇帝の命令無しには動けない前者の方が皇帝権力が強いことがわかる

409:世界@名無史さん
12/05/28 18:34:43.90 0
>>404
孫覇派の首領というのは孫権自身なのだが。
中核の愛息を含めて自分の派閥の首脳をなで斬りにして
抗争を手打ちにしなければならなかった首領のどこが強力なのか?

勘違いしているようだけど、二宮の変というのは皇帝対豪族の抗争ではないよ?
皇帝の意思を盾にする派閥と、法を盾にする派閥との抗争だ。
「法を盾にする者達」の抵抗によって、皇帝が結局意思を通せなかった。それが結末。

孫権以降の皇帝権の進展は、以後権臣と呼ばれたり派閥抗争した者達の所属を追いかけるとわかる。

410:世界@名無史さん
12/05/28 18:55:18.86 0
>>409
>孫覇派の首領というのは孫権自身

ちくまにも書いてないことをまた得意そうにw

411:世界@名無史さん
12/05/28 19:58:28.60 0
皇太子でもない皇子が皇帝に寵愛されと繰り返し記述され
京師に宮を構えて皇太子と同格の待遇を受け
廃太子の議論が交わされた際に廃立に抗議した者だけが
皇帝に罪に問われるという状況を理解できないならもう話す言葉も無い。

412:世界@名無史さん
12/05/28 23:36:03.66 0
>>409
>孫覇派の首領というのは孫権自身なのだが。

二宮の変で良識ある臣下が問題視したのは、魯王が太子並みの厚遇を受けたこと。
魯王は魯王であって、太子ではない。
孫権が孫覇を太子に据えればまた別の展開があった。
孫権は孫覇を寵愛しても太子とはしなかった。

>孫権以降の皇帝権の進展は、以後権臣と呼ばれたり派閥抗争した者達の所属を追いかけるとわかる。

具体的に書かないと何が言いたいのか分からんな。
進展したと言いたいのだろうか。
孫休なんか、張布に気兼ねしてるけどな。

413:世界@名無史さん
12/05/28 23:57:55.20 0
>>412
>魯王は魯王であって、太子ではない。
漢三国の王朝がなぜ皇太子以外を諸王に封じるのか、述べてくれ。
それを知った上で
>孫覇を寵愛しても太子とはしなかった。(つまりその意思もなかった?)
なんて寝言をもう一度いえるのか。

414:世界@名無史さん
12/05/29 00:01:15.85 0
続き

もし俺が宮廷人だったら、どんなに野心がなくとも政争を避けて保身に奔走するか、
子弟を用いてどちらかの派閥に取り入るかの選択を強いられるだろう。
ってくらいの大事件なんだけね、魯王の宮が宮廷内に建つというのは。

415:世界@名無史さん
12/05/29 00:06:51.23 0
孫呉での諸王の扱いが漢魏と同じとも限らない
諸王はどう扱えばいいのか?みたいなのに詳しい人たちはみんな曹魏の方にいるわけで。
孫権が皇帝になったころには、孫呉の宮廷じゃすでに在りし日の漢の朝廷の姿を知らない世代がほとんどだろう。

416:世界@名無史さん
12/05/29 00:09:18.92 0
当時の文献の万分の一も知らない現代の歴史学者でさえ諸王の意義を知っているのに
中原から逃れてきたり揚州で代々家学を伝えてきた学者名士が律法を立てた呉が
同じ理屈を知らないってなんなんだよ。

417:世界@名無史さん
12/05/29 00:11:17.88 0
>>415
つか、答えないってことはその「諸王の意義」を知らずに二宮の変を語ってるんだな、あんたは。

418:世界@名無史さん
12/05/29 00:14:46.00 0
>>416
細かいノウハウは伝わってないとか、伝承されるうちに歪んで別物になってるとか、あると思うけど。
董卓のせいで漢の朝廷が消えてから、三国の朝廷ができるまでの空白期間はかなり長いだろう。
あと孫呉は政争で失脚なんてザラだし。

419:世界@名無史さん
12/05/29 00:19:29.73 0
アホか!
いい加減にしろよ。ノウハウなんて細かいこと言ってるんじゃねーよ。
中華帝政の世襲に当たって十指に入るくらいの超基本原則のことを言ってるんだよ今は。
調べもせずにその場しのぎの屁理屈で誤魔化しやがって
無知はまだ勉強の余地があるが低脳には心底救いがないってのはこのことだな。

420:世界@名無史さん
12/05/29 00:23:31.49 0
>>419
>中華帝政の世襲に当たって十指に入るくらいの超基本原則のことを言ってるんだよ今は。

三国時代当時の人間にとっては前漢しか例がないだろがバーカw
後漢書の成立がいつだと思ってるんだ?

421:世界@名無史さん
12/05/29 00:27:09.66 0
両漢20数人の皇帝が代々踏襲し、たまにわがまま言って家臣に理屈を諭され、
憲法があったら明記されるくらいの大原則なんだがね…

422:世界@名無史さん
12/05/29 00:30:23.80 0
横レスなんだが、諸王ってもしもの時(皇帝、皇太子が死ぬか、国がヤバイとき)に
助けてくれることを期待されたスペア的なものだと思ってたんだけど違うの?

423:世界@名無史さん
12/05/29 00:39:06.24 0
>>417
>つか、答えないってことはその「諸王の意義」を知らずに二宮の変を語ってるんだな、あんたは。
俺は>>412だが>>415じゃない。寝言はお前だろ。

言ってることも話を逸らしてるだけではないのか?
孫権は孫覇派なら孫覇を太子にすれば良かった。それ以上でもそれ以下でもない。

424:世界@名無史さん
12/05/29 00:39:46.15 0
>>420
後漢書の先行史料になる八家後漢書の一冊なら
孫権の外戚の一人が書いてるぞ

今正史になってるもの以外にも大量の後漢関連の史料は当時存在してるぞ

425:世界@名無史さん
12/05/29 00:40:26.12 0
>>423
でもそうするには反対者の力が強かった
孫権は絶対的な君主ではなかった

426:世界@名無史さん
12/05/29 00:40:36.99 0
>後漢書の成立がいつだと思ってるんだ?
もしかして、范曄後漢書のことか?w
後漢の歴史や慣わしを知識人が学ぶのに、なんで范曄を待たねばらないんだ? 
東観記は? 漢官儀は? 百虎通は? もはや名も知れないその数百倍の類書はどこいった?

427:世界@名無史さん
12/05/29 00:42:58.36 0
>>423
何人いようが関係ない。
知識が足りないなら自分で調べるか、教えてくださいと頼むか、どっちかを実行してから話を続けてくれ。

428:世界@名無史さん
12/05/29 00:50:49.28 0
>>422
それもある。
特に皇太子不在の場合に王が呼ばれるのはしばしば実行された。
ただ藩屏たる期待、というのは、漢・魏と王国の軍事力が削減されまくって用を為さなくなった。
これも諸王が余計な競争力を持たないための措置の一つ。
晋で強力に復活するけど。

429:世界@名無史さん
12/05/29 00:52:04.94 0
>>425
違う。孫権自身の考えだよ。孫和伝にそう書いてある。
そもそもそうでなきゃ孫和を立太子しない。

>>427
>何人いようが関係ない。
違う人間のレスなのに勘違いして揶揄した挙句、「寝言」どうちゃらとケンカ腰のお前は
自分の卑しさを見つめた方が良いと思うよ。
そもそも、主張したいことがあるなら自分で論ずればいい。
>>413の書き方では>>412への反論にはならない。つまりお前は反論出来ていないということだよ。


430:世界@名無史さん
12/05/29 00:54:13.22 0
>>428
>晋で強力に復活するけど。
復活しないよ。
晋では、都督クラスの官位を得ない王などカスだよ。

431:世界@名無史さん
12/05/29 00:58:41.81 0
>>429
そりゃ反論して無いからな。二宮の変を考えるための基礎知識があるのか確認しただけだ。
知識も無く、身につける意思も見せない相手に反論したくないんだよ。
無知を盾にゴネ続けられてそのまま自然消滅って展開が目に見えてる。

432:世界@名無史さん
12/05/29 01:01:42.91 0
>>431
無知って、三国志もまともに読めないお前のことだろ?
なぜ孫権が寵愛する孫覇を太子としなかったか、三国志を読んでよく考えるといいよ。

433:世界@名無史さん
12/05/29 01:06:26.15 0
孫和は立太子された後に孫権の不興を買った。
寵愛は孫覇に移り、既成事実と人脈を持たせて廃太子への工作が始まった。
が、廃太子の議論で太子派に強硬に阻まれ、陸遜などを死に追いやったものの
廃立は成立せず抗争は長引き、最終的に痛みわけの形で手打ちにされる。

という順番。

434:世界@名無史さん
12/05/29 01:07:57.46 0
>>426
>東観記は? 漢官儀は? 百虎通は? もはや名も知れないその数百倍の類書はどこいった?

それらの書籍はきちんと孫呉にまで持ち込まれ、ちゃんと講義されていたのかねーw
曹魏と孫呉を比べたら、孫呉は基盤となる知識人層が貧弱なんだよ。
実際、孫呉で曹魏のより優れた書籍は生まれていない。

435:世界@名無史さん
12/05/29 01:08:48.43 0
どうでもいいが
人肉食を嫌悪したのは曹操と司馬一族
マメ知識な

436:世界@名無史さん
12/05/29 01:09:41.14 0
>>434
くそ、本当に頭痛がしてきた

437:世界@名無史さん
12/05/29 01:11:50.82 0
孫呉の文化教養程度は、晋に投降した陸氏などの待遇からわかる

438:世界@名無史さん
12/05/29 01:11:56.61 0
>>433
>既成事実と人脈を持たせて廃太子への工作が始まった。
これの主語は?
まさか孫権が工作したとは思ってないよな?

439:世界@名無史さん
12/05/29 01:12:52.24 0
>>434
孫呉では書かれた八家後漢書と同レベルの後漢の史書が曹魏では生まれてないのです
悲しいことなのです

440:世界@名無史さん
12/05/29 01:13:31.34 0
てか国家としてはともかく、豪族連中は普通に手紙のやり取りしてるしなぁ

441:世界@名無史さん
12/05/29 01:15:45.20 0
色々吹き込んだのは魯班や孫弘、孫覇の支持・取り巻きたちだろうが、
魯王宮の件など、最終決定権は当然孫権にある。
結局は「孫覇を寵愛していた」という感情が事態を進展させたことになる。

442:世界@名無史さん
12/05/29 01:17:11.63 0
事態進展してないんじゃないの?
引っ張って引っ張って、結局は孫亮を太子にするわけだし

443:世界@名無史さん
12/05/29 01:18:17.32 0
話は>>433の二行目だぞ。
魯王が立てられて人が集まり抗争が激化するまでのことを言っている。

444:世界@名無史さん
12/05/29 01:20:33.43 0
取り巻きが色々吹きこむというが、取り巻きが出来たのは魯王宮のあとからだぞ。
孫権がなにか工作したという事実はない。

445:世界@名無史さん
12/05/29 01:20:51.27 0
>>439
まあ皮肉を言ってやるなよw
後漢末に既に東観記が成立していて、これが後漢史のスタンダードだったわけだから。

446:世界@名無史さん
12/05/29 01:25:07.68 0
>>444
孫権の取り巻きのことだよ。寵愛する心理を利用して歓心を得ようとするような。
孫権がしたのは工作なんかじゃなくて、公的な措置。孫覇を孫和と同等に扱うなど。

447:世界@名無史さん
12/05/29 01:31:54.77 0
>>446
結論出てるんじゃないの?
孫権は工作などする必要がないわな。強権もった皇帝なんだから。
本人自身の考えで孫和を立太子し、それを継続したんだよ。それは三国志に書いてある。

448:世界@名無史さん
12/05/29 01:34:02.41 0
>>447
孫和伝とは正反対の意見だがどこに書いてあるの?

449:世界@名無史さん
12/05/29 01:35:33.19 0
>>447
ではなぜ魯王を立てて皇太子の地位を危うくし、
宮廷分裂を招いた末に太子を廃したのか。

450:世界@名無史さん
12/05/29 01:41:30.11 0
董卓の人肉嗜好も創作らしいし正史にも出てこないんだよね
曹操の人肉否定嫌いは有名

451:世界@名無史さん
12/05/29 01:48:43.23 0
うーむ…
「孫権は強い皇帝だった」って主張が三日もこじれると
「孫権は自分の考えで孫和を立太子し、それを継続した」までいっちゃうのか。
人間ってこわいね。

452:世界@名無史さん
12/05/29 01:51:11.32 0
>>448
>孫和伝とは正反対の意見だが
正反対だという、その孫和伝の記述を引いてみてくれないかね?
見当たらないので。

>>449
そりゃ耄碌してたから、としか思えないな。
もし孫権が本当に孫和を廃立したかったのなら、廃立のタイミングはもっと早い段階である。

>>451
>權沈吟者歷年、後遂幽閉和。
こうハッキリ書いてある。


453:世界@名無史さん
12/05/29 02:21:07.80 0
人気のあった孫登の遺言から孫和が太子になったんでないの?
孫登って孫権の集権化邪魔してるし勘ぐっちゃうよね
孫登って太子のくせに君臣の序列を薄めて
皇族を豪族のワンオブゼムに貶めようとするお馬鹿ちゃんだし
そんなもんの推薦による孫和が集権体制を試みる孫権と指向が合致するわけないんでない?

454:世界@名無史さん
12/05/29 03:45:07.58 0
話逸れるけど孫休じゃなくて孫亮が立てられた理由って書いてあったっけ?

455:世界@名無史さん
12/05/29 07:39:30.04 0
>>452
wwww
おまえ自分の理解が及ばないものを耄碌とか暗愚のような非論理のせいにしてるだけじゃねーかw
仮に孫権が耄碌していたとしても、それに乗じた側近が都合のいいように
政策を動かしていればそれは何らかの政治的意図の含んだ行動になるし、
現に晩年の孫権の行動はあらかた政治力学で説明できるんだよ。

456:世界@名無史さん
12/05/29 08:10:31.80 0
>>439
孫呉の文化人はどのぐらい優れているの?と曹魏や西晋の高官のような事を言ってみる。

457:世界@名無史さん
12/05/29 08:11:34.88 0
>>436
曹操気取り乙

458:世界@名無史さん
12/05/29 10:51:40.08 0
>>456
陸兄弟はハイレヴェルじゃね?
曹操についての論文は面白かった

459:世界@名無史さん
12/05/29 12:47:54.23 0
二宮の変の時、魯王の傅役の是儀がこれを明快に批判している。
その論法から見ても中原の文化学問のレベルと変わらないだろう。
東晋が興った時、朝廷の儀式を整えたのには、
中原から逃れてきた識者と並んで、江南の人士の貢献がある。
おそらく一番貢献したのは賀循。

でもそもそも呉の文化レベルと孫権の失策は関係ない話。
>>413がアホなミスリードをしただけ。

>>455
なんの反論にもなってないな

460:世界@名無史さん
12/05/29 13:17:31.28 0
>>459
とりあえずネット上には素晴らしい先行の論があるのでこの反論から始めるといいんでないですか?

URLリンク(d.hatena.ne.jp)
むじんさんのサイト宣伝する気はないのだがリンクが綺麗にまとまってるのでここから

461:世界@名無史さん
12/05/29 13:27:51.70 0
>>460
以前読んだことあるが、それは論としてボロボロだと思ったな。
それとなんで俺が反論しなきゃならんのだろう。

URLリンク(unkar.org)
過去に三戦板で批判されてるよ。


462:世界@名無史さん
12/05/29 17:28:36.97 0
孫休が孫権の後継者から省かれた理由ってなに?
孫亮より年上でしょ。

463:世界@名無史さん
12/05/29 17:53:35.84 0

そもそも、「孫和派」言うけど、これって変なんだよ。すでに太子なんだから。
群臣が太子に取り入っても、太子を守っても、何の問題もない。
逆に、太子を蔑ろにして諸王を支持する奴が出てくる状況が狂ってるわけで。
「孫和派vs孫覇派」というフレームで眺めてる限り、それこそ「お話にならない。」

464:世界@名無史さん
12/05/29 18:04:07.60 0
>>463
その取り入りを孫権は問題視したんだろ
そして自分で立てた皇太子の権威を殺ぐように魯王を寵愛して意図的に問題を起してる
それから両派閥が形成されるのだからそのフレームで眺めないとむしろお話にならない

465:世界@名無史さん
12/05/29 18:09:27.39 0
>その取り入りを孫権は問題視したんだろ

なんなんだよこの妄想w

466:世界@名無史さん
12/05/29 18:27:35.31 0
わざわざ自分で宮廷の序列破壊しておいてさらに廃太子からの追放コンボなんて
よっぽど孫権の不興買わないと起こりえないと思うんだが

467:世界@名無史さん
12/05/29 18:43:10.37 P
>>387
暗愚と思うかどうかは人それぞれ違うだろ。公式があるわけじゃない。

468:世界@名無史さん
12/05/29 19:35:57.82 0
孫休は熱心に文学を奨励したというが業績が残っていないのが残念。


469:世界@名無史さん
12/05/29 19:38:52.66 0
造語という立派な業績が…
流行らなかったけど

470:世界@名無史さん
12/05/29 20:23:54.88 0
>>462
朱拠が岳父だったからじゃないかな。
孫和を弁護した罪で朱拠を粛清した以上、その娘婿の孫休を立てるわけにはいかなかったんでしょ。

471:世界@名無史さん
12/05/29 20:32:11.75 0
だったら孫和じゃなくて娘婿の孫休押せばいいやんw
外戚になって権力振るえるぞ。

472:世界@名無史さん
12/05/29 22:16:13.35 0
それは露骨すぎるし孫和と孫覇が揃ってる時点で孫休を推せるほど孫休は有力候補じゃない

473:世界@名無史さん
12/06/01 19:01:02.10 0
孫皓伝注の『晋紀』で、紀陟が魏へ遣わされて宴会になった時に
司馬昭が「あれは安楽公であっちは匈奴単于だ」っていった時の単于って呼廚泉のことかな?
劉猛なわけないよね

474:世界@名無史さん
12/06/01 20:57:33.79 0
呼廚泉ってそんなに長生きなんだろうか、と思ってウィキ見たら
277年に西晋に来朝したとある。
でも三国志、晋書、資治通鑑をザックリ調べた限りでは、ソースらしきものを見つけられなかった。
出典はどこにあるんだろう。

475:世界@名無史さん
12/06/01 21:34:31.19 0
当の劉猛が、匈奴伝では反乱時既に単于になってるんだよな。
南匈奴帥って記述の方が多いけど。

司馬炎の即位式に参列云々は、武帝紀に
「百僚在位及匈奴南單于四夷會者數萬人~」とあるが、
呼廚泉の名は無いし、そもそも年代的には
この時既に代替わりしていると見るのが普通だろう。

476:世界@名無史さん
12/06/02 10:22:19.21 0
司馬芝って司馬鈞以降(子か孫のあたり)くらいに晋の司馬氏と別れた家系かな?

477:世界@名無史さん
12/06/02 21:54:05.82 0
司馬氏ほどの大族になるとわからんね
県のあちこちに「殷王を祖とする司馬氏」がいただろうから

478:世界@名無史さん
12/06/04 08:58:15.92 0
そう言えば司馬懿の従兄弟とかって見ないような気が。
劉裕の場合は男系の従兄弟は居なかったみたいだけど、
同姓だけど母系の従兄弟とか、二股従兄弟とか、姻族、
継母の親族まで登用してるのに、男系の従兄弟や又従兄弟の形跡がない。
しかし、司馬氏の場合は、従兄弟や、又従兄弟くらい居たんだろうけど、
兄弟が多くて親類とかはどうでも良かったのかねえ?
まあ居なかった可能性もあるけど。

479:世界@名無史さん
12/06/04 14:25:42.72 0
そりゃ劉裕と司馬懿じゃ立場が違う。
司馬昭の従兄弟はたくさん出てくる。

480:世界@名無史さん
12/06/04 15:35:21.16 0
司馬の八達には子供が少なかったのか

481:世界@名無史さん
12/06/04 17:41:46.05 0
董襲すごい

482:世界@名無史さん
12/06/04 20:59:18.12 0
劉備はモテなかったな

483:世界@名無史さん
12/06/04 21:01:58.21 0
モテモテですよ

484:世界@名無史さん
12/06/04 23:07:48.09 0
司馬懿の従兄弟・族兄弟世代は魏王朝の史書に残らない程度の高官に幾らでもいたんだろうが、
司馬懿が権力を握ったときは既に老齢で、権力を分担するような年代ではない(同世代司馬孚がいれば十分)。

晋王朝の王になった血筋は司馬懿の兄弟・子息世代以下だからやはり従兄弟では晋書にも名が残らない。

485:世界@名無史さん
12/06/04 23:58:26.57 0
「ここ危ないから逃げよう」
長老たち「えーでもー」
「じゃあ俺達だけで逃げるわ」

そして残ったほうは戦乱に巻き込まれて半分が死んじゃった・・・
みたいな話があったよね

486:世界@名無史さん
12/06/05 00:06:08.39 0
司馬懿みると諸葛亮は何かが足りない

487:世界@名無史さん
12/06/05 01:20:54.08 0
寿命だな

488:世界@名無史さん
12/06/05 02:11:39.69 0
国内での野心

>>485
この時代では荀彧
いつでもありそうなネタだけど

489:世界@名無史さん
12/06/05 14:06:37.97 O
>486
優秀な息子たち

490:世界@名無史さん
12/06/05 20:53:20.70 0
どっちも孤児を託された臣で尚且つ気を許せないライバル(李厳・曹爽)がいたのは一緒なんだよな

491:世界@名無史さん
12/06/06 10:37:22.38 0
卑弥呼の魏への朝貢の記録が景初2年からなのは、公孫淵が滅んだから?
それまで帯方郡などの支配はどうなっていたんだろ?

492:世界@名無史さん
12/06/06 18:55:56.21 0
>>491
遼東以東どころか青州の一部さえ公孫淵の支配が及んでいたんだから、帯方郡はもちろん公孫淵のものよ

493:世界@名無史さん
12/06/06 20:31:21.64 0
司馬懿は「公孫氏を下すまで一年」つってるけど、蜀は滅亡まで半年だったよねw
司馬懿って意外と戦下手じゃね

494:世界@名無史さん
12/06/06 20:37:42.91 0
↑アホがなんか言ってるぞw

495:世界@名無史さん
12/06/06 21:28:40.37 0
その司馬懿だけど、後漢の少帝懿と名前かぶってんだよね。
礼に厳しいはずの司馬防の子のはずなのに避諱はどこいったんだ。
それとも王扱いならセーフなのか?

496:世界@名無史さん
12/06/06 22:17:35.85 0
セーフ。
というか歴代皇帝も全てが避諱の対象になるわけじゃないし、漢はまだそれが緩い時代。
だいたい始祖その後の重要な何代かと直近数代。


497:世界@名無史さん
12/06/06 22:25:23.95 0
さっき調べたら、劉協の子も劉懿みたいだしそんなもんか。
でも王允の兄の王宏は絶対アウトだと思った。
霊帝即位後の改名の話もないしなぁ

498:世界@名無史さん
12/06/06 23:23:07.36 0
曹叡もそうだけど、司馬懿というか司馬師と司馬昭は意外と
甄氏の家系がお好きなようですね

499:世界@名無史さん
12/06/07 01:36:22.00 0
でも曹叡の子を皇帝にしないw

500:世界@名無史さん
12/06/07 12:39:33.05 0
甄氏というか、郭氏から甄氏に養子にいった甄德のことでしょ?
郭皇后に取り入る必要性があった。
養子じゃない甄溫も任用されているが。

魏の高官だから、穏健に禅譲を進める立場としては、ないがしろには出来ない。


501:世界@名無史さん
12/06/07 18:53:20.79 0
両家とも魏の外戚家として影響力を維持していただろうからね

502:世界@名無史さん
12/06/07 19:56:31.19 0
関係ないけど、曹操の親兄弟ってなんであんなに影が薄いの?

503:世界@名無史さん
12/06/07 19:57:26.89 0
軍閥に入らなかったからだろ

504:世界@名無史さん
12/06/07 20:22:36.16 0
>>501
甄氏は賜死して以降政権から排除されただろうし
郭氏はそもそもそういう影響力ないから曹丕に好まれたんだろ?
外戚として影響力なんて保持できるか?

505:世界@名無史さん
12/06/07 20:30:27.76 0
>>500
甄悳(旧:郭悳)とか甄黄や甄毅とかね、昇進し重宝されました。

506:世界@名無史さん
12/06/07 20:32:57.76 0
>>502
たぶん殺されたから
徐州に避難してるのに曹操徐州と敵対してるからね仕方ないね

507:世界@名無史さん
12/06/07 20:37:45.69 0
>>504
賜死ではない。両者とも殺害は非公式な説。
両者の親族は引き続き厚遇された。

>>506
曹嵩がいたのは陶謙の勢力外だぞ

508:世界@名無史さん
12/06/07 20:44:34.85 0
>>507
あれ?
曹叡の母の甄氏の話だよね?
違ってたらすまん

509:世界@名無史さん
12/06/07 20:48:53.53 0
>>508
ああ、ごめん。こちらの勘違いだった。
甄氏は自殺されている。ただ曹叡に名誉回復されて親族は高位に就いている。

510:世界@名無史さん
12/06/07 20:54:01.42 0
>>509
爵位はともかく官位は高位には就いてなかったはずじゃ
曹丕が生前に定めた法律で皇太后と関係者の政治参加を禁止してるよね?

511:世界@名無史さん
12/06/07 20:57:38.17 0
射声校尉散騎常時とか越騎校尉とか

512:世界@名無史さん
12/06/07 23:07:59.87 0
>>504
曹丕の嫁じゃなくて曹叡の嫁の方の郭氏。

513:世界@名無史さん
12/06/07 23:28:17.27 0
まあ漢で栄華を誇った外戚のような勢威があったら抗争してどちらかが倒れていただろうけどね。
厚遇しても問題ない程度の外戚だから司馬氏も厚遇できたと言える。



514:世界@名無史さん
12/06/08 00:12:23.42 0
>>513
そもそもそんな外戚がいたら司馬氏が権勢握れない

515:世界@名無史さん
12/06/08 00:17:30.84 0
それ以前に司馬氏は内戚の曹氏と抗争してこれを倒して権勢を握ったんだからね

516:世界@名無史さん
12/06/08 00:50:49.79 0
だからね、って言われても

517:世界@名無史さん
12/06/08 02:21:57.89 0
えーとね。
後期前漢や中期後漢で権勢を握ろうとしたら先に陣取ってる外戚に勝たねばならなかったように、
曹叡後の魏で権勢を握ろうとした司馬氏は先に陣取っていた内戚の曹氏に勝たねばならなかった。

もし魏が、漢並に外戚を尊重する体制だったら、司馬氏は内戚ではなく外戚に対して勝利を収めねばならなかったし、
晋が成立するならそのような歴史を辿ることになる。

史実はそうではなかったため、司馬氏は魏の外戚をそれなりに厚遇する余裕を持つことが出来た。
ってな話。

518:世界@名無史さん
12/06/08 03:02:46.36 0
でも魏の内戚も全体的に見ればそんなに実力があったわけではないよね
曹爽自体は確かに力は持っていたわけだけど

519:世界@名無史さん
12/06/08 03:16:42.71 0
あれは内戚曹爽が力を持ってたんじゃなくて
功臣曹真の子、曹爽が政争を繰り広げて力を握ったからね

520:世界@名無史さん
12/06/08 04:25:43.97 0
>>519
それなら権勢を誇った外戚の殆どが、
「外戚が力を持っていたんじゃなくて皇太后(稀に皇后)の親族が政争を繰り広げて以下略」
になる。
皇太后の死や皇后の入れ替わりで力の源泉が殺がれると即失脚のケースが多い分、
曹爽の方が遥かに自分の力で立っていたと言える。

521:世界@名無史さん
12/06/08 04:30:07.91 0
それから、外戚にしろ内戚にしろ、畸形的に力を持つのは、
皇帝集権体制下で幼年の皇帝が立つなどして、帝権の補佐が必要になったとき。
魏の歴史からして対象になるのは曹爽一人になるのは必然。

522:世界@名無史さん
12/06/08 12:45:58.69 0
>>520
ほら、自分でも分かってるじゃない
曹爽の力の源泉は血縁じゃなくて功臣の子として宮廷内闘争で勝ち抜いたからだって

523:世界@名無史さん
12/06/08 14:07:41.59 0
魏が外戚を尊重していないとは言っても、文帝と明帝以降じゃ少し違うし
曹芳は母無し子だからなぁ
皇后の父の張緝が政変に絡んでくることからも分かるように
曹芳に母親がいたら、その一族と司馬氏は対決していたと思うね

524:世界@名無史さん
12/06/08 19:03:25.52 0
何故、楊義は自分が諸葛亮の後継者になれると思ったのだろうか?

諸葛亮死後の事は楊義はハブられて既に決められていた。何故本人は
気づかなかったのだろうか?

525:世界@名無史さん
12/06/08 21:31:40.31 0
ハブられてたから気づかなかったんでないの?

526:世界@名無史さん
12/06/08 21:38:50.14 0
>>522
……?
それがどう>>514に帰結するの?

司馬氏が魏で権力を握るとしたら
魏的内戚相手でも漢的外戚相手でもやることは変わらない。
力の源泉が同じだから。って話を俺はした。
だから>>514の主張は意味がないってことだよ。
博打とはいえ史実で成功してるんだから。

527:世界@名無史さん
12/06/08 22:16:00.01 0
あー、ごめん。なんか読み違えてたな。逆を言ってるのか。

>曹爽の力の源泉は血縁じゃなくて功臣の子として宮廷内闘争で勝ち抜いたからだって
違う。
曹真は良将で功臣だが、曹操に重用され曹丕を宿衛を統括する中軍大将軍を経て大司馬まで昇ったのは、そもそも血縁だから。
曹爽が武衛将軍を経て後事を託されたのも、曹真の息子、つまり血縁だから。
これがなければ曹爽は魏のトップの位置で権力争いするスタートラインにも立てなかった。

念のため言っておくが、これは外戚や内戚の不名誉を示す物ではない。
是以先帝建列將之官,近戚主内,異姓距外,故姦軌不得萌動而破滅,誠萬世之長冊也。
帝権維持のために理論化された立派な政策。

528:世界@名無史さん
12/06/08 22:16:49.38 0
で、曹爽が本当に漢の一般的な外戚より「強い」とするなら、やはり>>514には繋がらなくなるのだが。

529:世界@名無史さん
12/06/09 00:20:23.57 0
>>527
曹真は魏略では秦氏で後に曹姓を貰って曹真になったと書いてあるね
同族を名乗ることは認められてても実際どこまで皇族に連なる人間として扱われてたんだろ

530:世界@名無史さん
12/06/09 01:28:19.52 0
でも曹操とその子孫を除けば曹氏と言っても男系でつながってないからね

531:世界@名無史さん
12/06/09 01:33:56.89 0
そういやそうだね

魏における諸曹氏の扱いと夏侯氏の扱いどうなってんだろ

532:530
12/06/09 01:46:44.64 0
あーそういえば一応曹操って弟いたっけ
まあ事績乏しいから無視でいいよね

ところで無知で申し訳ないんだが曹騰が養子に異姓の人間を迎えたのは何故?
宦官故に同姓の親族から相手にされなかったから?
それとも夏侯氏と特別な関係にあったから?

533:世界@名無史さん
12/06/09 01:49:50.56 0
まず曹魏には晋の司馬孚や後漢劉伯升の子二人のような存在が無いので、
皇帝・封王になれるのは曹操の直系子孫だけ。これは血筋の繋がりが必須。

それ以外、この時代は養子の効力が非常に大きいので、
皆やや遠縁ではあるが、普通に宗室の扱いになる。
司馬望のような「皇帝筋ではない諸王クラスの実力者」がいない分、
朝廷の高官としてちょうどいい面子だったんじゃないかね。
呉の孫静等の子孫も同じくらいの位置だね。

534:世界@名無史さん
12/06/09 14:24:28.89 0
>>532
>ところで無知で申し訳ないんだが曹騰が養子に異姓の人間を迎えたのは何故?

異姓の養子というのはデマなんじゃないかなぁ
陳琳の檄文でも「異姓養子だ!」と弾劾されてはいない。
曹嵩がもともと夏侯氏ならば、曹操の娘が夏侯氏に嫁ぐのは同姓婚となり、大スキャンダル。
陳矯はもともと劉氏の出身なのに劉氏の娘を娶り、弾劾された。
晋の劉頌はその陳矯の娘を娶り、やはり弾劾された。

あと、曹爽(曹真)が秦氏出身というのもちょっとウソくさい。
親父が曹操のために死んだのなら、
ちゃんと秦氏を継がせるんじゃなかろうか。
それに、養子があり得るにしても、誰の養子になったのか。
改姓だけというのはかなり珍しいと思う。

535:世界@名無史さん
12/06/09 14:44:50.79 0
>>534
陳琳の檄文では曹嵩のことを「乞食のガキ」って弾劾してるから異姓養子以上に問題
乞食のガキなら曹氏でないことも明らかだから異姓養子であることも含まれるんだろうけど

536:世界@名無史さん
12/06/09 15:31:28.03 0
>>535
>陳琳の檄文では曹嵩のことを「乞食のガキ」って弾劾してるから異姓養子以上に問題
乞食でも同姓ならタブーではないだろう

>乞食のガキなら曹氏でないことも明らかだから
同族の貧しい家の子を買ったのかも知れない

537:世界@名無史さん
12/06/09 19:24:06.76 0
それこそ姓すらわからないような境遇だったとか?

538:世界@名無史さん
12/06/09 19:30:32.04 0
>>534
秦真は曹邵の養子になってから邵が死んだので曹操に引き取られて曹邵の跡を継いだ。
これはおかしくないよ。

異姓養子のタブーって時代ごとに違うと思うのだが後漢末はこれが緩かったってだけでないの。


539:世界@名無史さん
12/06/09 20:35:43.18 0
曹邵の養子になったという記述はないよ

魏略曰:真本姓秦,養曹氏。或云其父伯南 夙與太祖善。
興平末,袁術部黨與太祖攻劫,太祖出,為寇所追,走入秦氏, 伯南開門受之。
寇問太祖所在,答云:「我是也。」遂害之。由此太祖思其功,故變其姓。

曹氏に養われた、というのは、本伝の記述と合わせて考えれば、曹操に養われたということだろう。
父親の伯南(曹邵?秦邵?)が実父じゃないという推察は難しいんじゃないか?

540:世界@名無史さん
12/06/09 20:38:01.09 0
>>539
そのようだ。すまん

541:世界@名無史さん
12/06/10 08:18:16.23 O
曹操の子や族子達は皆、字に「子」が付いてるけど、これって一族で示し合わせて付けたのかな?
それとも一族の偉い人とかが決めたの?


542:世界@名無史さん
12/06/10 08:40:28.09 0
排行のお約束

543:世界@名無史さん
12/06/10 12:19:54.46 O
>>542
なるほど、勉強になりました。

544:世界@名無史さん
12/06/10 14:07:20.57 0
興平末に曹操が袁術に追われて秦伯南の家に逃げ込むって、
ちょっと筋が通らない気がするな

545:世界@名無史さん
12/06/11 18:52:25.93 O
ガイシュツなのだろうけど、高島俊男氏が指摘してるように、曹叡のお父ちゃんて誰なの?
まさか袁煕ってことはないと思うけど、
考えるヒントとして皆さまの意見を拝聴したい

546:世界@名無史さん
12/06/11 18:54:26.19 O
sage忘れました
すみません

547:世界@名無史さん
12/06/11 20:11:36.22 0
袁煕じゃないなら曹丕でいいんじゃないの?
袁煕は幽州に赴任、甄氏はギョウに残ってる。
曹叡が袁煕の子なら異姓養子が皇帝を継いだことになり
司馬氏あたりで喧伝してもよいはずだけど、それもない

548:世界@名無史さん
12/06/11 20:48:50.14 0
曹叡の生年は206年説が普通だが、享年の記述をそのまま計算すると204年になる。
これはギョウ陥落の年。であるからには曹丕が甄氏に仕込めたはずがない。
というのが袁煕父親説の薄弱な根拠。

しかし、ギョウ陥落は八月。曹叡が12月末日に生まれたとしても最大五ヶ月しかない。
妊娠が診断されていなかったはずがないし、
大事な軍閥の後取り息子が嫁を娶って五ヶ月未満で生まれた子供を
何の疑問も無く子にするなんて、曹操とその周辺が見逃すはずが無い。
侯、王に封じて帝位を継がせるなんてことが(曹丕の好悪の感情以外)波風無く進んだ史実にも反している。
さらに後、魏の醜聞として野史の噂話レベルにもならなかった理由が説明できない。

20世紀になって初めて出てきた、残念ながら珍説なんだよね。
唱えたのが三国志集解の編者らしいのでめんどくさいんだけど。

549:世界@名無史さん
12/06/12 01:18:09.83 0
享年が間違ってる可能性なんていくらでもある以上、
父子関係は明確な言及が無い限り信じるべきだね

550:世界@名無史さん
12/06/12 01:31:11.08 0
享年三十"六"の一文字だけを無条件に信じて、
他の色々の辻褄を「史実を隠す陳寿の曲筆」と全て捨ててしまわないと
成立しないのがこの説のネックなんだよな


551:世界@名無史さん
12/06/12 01:57:27.63 0
曹叡が甄氏の連れ子であることは、公然の秘密ですらない誰でも知ってる事実だから、同時代の人間は誰も改めて責めなかっただけ。
そもそも、曹丕には曹叡よりも年長で若死にした長男、曹協がいた。
なぜ年長かと言うと、曹協の息子の曹尋が235年に早くも後を継いでいるから。
つまり、曹協は少なくとも子作りできる年齢までは生きていたことになる。
仮に曹尋が16歳で親の後を継いだとすると、219年生まれ。
また、親の曹協が16歳で仕込んだとすれば曹協は203年生まれになり、曹叡より前に生まれていた長男である可能性が非常に高くなる。
長男である曹協が生前に爵位をもらえなかったのも、彼が文帝即位前に死んでいるからだと考えると辻褄が合う。

552:世界@名無史さん
12/06/12 02:07:05.39 0
誰もが知っていた不実の子、しかも皇后ですらなかった賜死の子が
皇帝になろうとしているのに、曹丕の死の間際に宮廷闘争が起きなかったなんてのはナイわ。可能性ゼロ。
王どころか侯にもなれんよ。

553:世界@名無史さん
12/06/12 02:07:13.13 0
>>548
>曹操とその周辺が見逃すはずが無い。

曹叡が生まれた時点で曹叡が後継ぎになると決まっていたわけではないだろう。
曹丕は三男だったし、曹植もいたし、曹沖が後継ぎ候補だった。
たくさんいる後継ぎ候補の中の一人の子供を、当時の曹操がそんなに気にする必要があるのか。

554:世界@名無史さん
12/06/12 02:11:59.06 0
んで、曹叡が長男であったという記述はない。
しかも曹丕が即位した前後から既に甄氏との仲は冷却していた。
だからこそ曹叡は不遇の時代を長く送った。
(にも関わらず最終的には曹丕の心変わりで即位できた)

曹叡が長男でなかったことは、彼が曹丕の実の息子であったことを補強する材料だよ。
この境遇で実子でさえなかったら、甄氏が死を賜ったときに良くて追放されて終わり。

555:世界@名無史さん
12/06/12 02:12:29.81 0
>>553
 >>552>>554

556:世界@名無史さん
12/06/12 02:16:20.48 0
武徳侯になるのが15歳でこれが延康元年の出来事だからやっぱり206年生まれだよなぁ

曹叡の景初元年に改元のみならず改暦まで行われてるが
もしかするとこの辺りで少し年齢計算がずれてて36歳というのも嘘ではなかったが
西暦で考えると206年というのも事実、という考え方は面白いな

557:世界@名無史さん
12/06/12 02:17:53.44 0
>>556
年齢は干支で数えるから改元ではずれない。
まあ四と六の誤写だね。

558:世界@名無史さん
12/06/12 02:18:33.86 0
>>554
元々甄氏が正妻だった時期もないしね
一時曹丕の気紛れで寵愛を受けてた側室でしょ

559:世界@名無史さん
12/06/12 02:25:02.58 0
>>558
そうだね。
曹叡の即位後に皇后を追贈されているから歴史上では甄后と呼ばれて、
陳寿も多少筆を潤して、あたかも曹叡が当初からの正当な曹丕の跡取りだったように書いている。
実際はそうではなく、複数いる兄弟の一人に過ぎなかったのだろう(しかも後にかなり不利な地位に落とされる)。

この潤筆の理由を取り違えて、「曹叡は袁煕の子」派は惑わされているんだな。

560:世界@名無史さん
12/06/12 02:32:06.51 0
曹叡は字からして「元仲」。
伯・仲・叔・季の兄弟命名規則から言って、次男かつ養子。
他に正当な後継者である兄がいた。
それが曹協。
だから曹叡を養子にした時点では問題なかった。
魏の後継者から限りなく遠い存在に過ぎなかったのだから。

561:世界@名無史さん
12/06/12 02:35:27.33 0
そもそも後継ぎ候補の皇太子を封建しない。
曹叡は王侯になった時点で後継争いレースから脱落。

562:世界@名無史さん
12/06/12 02:42:04.89 0
曹叡は異姓養子のタブーに抵抗がない人物で、皇后郭氏の従弟を甄氏の養子にさせてる。
異姓養子ってだけでも大問題なのに、他の家にまでやらせるとかもはやキチガイ。
彼の出生が影響していたのではないか。

563:世界@名無史さん
12/06/12 02:54:33.82 0
>>560
元って養子って意味なのか?
出典どこだよ
「元嫡」なんて言葉も知らないんだろうな

あとその字パターンって大概一文字目が順番を表す文字で
二文字目に順番を表す仲が来てる時点でその「規則」とやらがどれだけ信用できるの?

字義としたら「元」は物事の根源、根本、頂点、人の頭部のこと、「仲」は物事の内側、二番目、弟
「元」は頂点、「仲」は二番目、二代目皇帝って意味じゃないかね
もっともこんな字を付けられるようになるのは曹叡が即位後ということになるだろうけど
それでも根拠ない養子を意味する名前ってよりはマシだと自負してる

564:世界@名無史さん
12/06/12 03:21:02.01 0
二字目が「仲」といえば糜竺-子仲、張緝-敬仲がいるが二男かはわからない。

565:世界@名無史さん
12/06/12 03:26:18.65 0
>>564
糜竺の場合、弟の糜芳が子方で法則無関係の命名であることがわかるな

566:世界@名無史さん
12/06/12 04:54:59.66 0
曹操すら妾の連れ子の何晏に「曹氏にならない?」と誘って断られたらおとなしく引き下がってるのに
曹叡は平気の平左で異姓養子のタブーを犯させるとか、
何考えてるのか分からん。

567:世界@名無史さん
12/06/12 05:01:17.19 0
>>563
曹真の長男の曹爽は字が「昭伯」だぜ?
後につくこともありだろ。

568:世界@名無史さん
12/06/12 06:26:19.60 0
「伯」の場合ははこのくらいかな?
長男はどれくらいだろ?
荀寓景伯、邵悌元伯、陳泰玄伯、婁圭子伯、伊籍機伯、王昌公伯、王雄元伯、向雄茂伯

569:世界@名無史さん
12/06/12 06:32:49.42 0
陸遜の甥の陸喜は字が文仲で二男のようだ
兄弟の字が分からんのでなんとも言えん

570:世界@名無史さん
12/06/12 07:27:17.75 0
で、「曹叡は養子派」の人はその根拠をまだ何一つ出していないのだが。

571:世界@名無史さん
12/06/12 13:09:12.02 0
二文字目に伯仲叔季が来てる奴いても兄弟で字が判明してる奴いないから
兄弟の法則に則ってるか判明しないな

572:世界@名無史さん
12/06/12 16:27:54.99 0
晋の趙胤(字は伯舒)は趙龔の弟。ただし趙龔の字は不明。

もっとも、曹叡が長男でなかったからといって、養子であったとする根拠とするには弱いと思うが。
その理由はいろいろあるが、>>554の言うように、
甄氏が殺された時点で帝位は継げないだろう。
殺されてなくても養子なら継げないと思うが。

573:世界@名無史さん
12/06/12 19:55:03.48 0
本当のことなんて誰にもわからないけど、
決定的証拠がない以上、
赤の他人を後継者にした動機に対する合理的説明がない限り、
あえて非実子説に組みする理由は無いなあ。
年齢だけなら誤記なんていくらでもあるしね。
司馬氏や陳寿に隠さなければならない理由も特に有るとは思えないし。


574:世界@名無史さん
12/06/12 22:23:01.61 0
西晋にとって魏の第四代にして最後の皇帝の曹奐は曹宇の子だから曹叡がどうであれ致命傷にはならないもんな。
漢魏晋革命の体面として曹叡を立てたのだとしても、
風聞としてさえ在野の史家の注意を引かず、裴松之の捕捉に掛からなかったのはかなり不自然。
孫呉派や漢魏交替説の信奉者にとっては格好の正当化材料だろうに。

司馬睿の父が牛氏だったというヨタが唐代まで伝わったことと比べて考えると、
魏晋南北朝代の歴史家は曹叡の出自を疑いもしなかったことになる。

575:世界@名無史さん
12/06/12 22:24:04.85 0
×孫呉派や漢魏交替説の信奉者にとっては格好の正当化材料だろうに。

間違えた

○孫呉派や漢晋交替説の信奉者にとっては格好の正当化材料だろうに。

576:世界@名無史さん
12/06/12 23:43:50.42 0
>>574
異姓養子は孫権の親族も劉備もやってるからブーメランになるからなあ
晋の重臣にもいるし

577:世界@名無史さん
12/06/12 23:53:59.23 0
異姓養子を認めることと後継者にするのは別の話

劉備は劉封ではなく実子の劉禅を後継者としたのであり、
曹丕にも実子が他にいたので曹叡が異姓養子ならば実子を後継者にするまで。

異姓養子なんかに跡継がせようとしたら、実子がおらずとも弟や甥あたりが騒ぎ出しそうなもんなのに
実子がいる状況でそれを差し置いて異姓養子を立てたら相当な紛糾を生じるのは必定。
記録スカスカの蜀書じゃあるまいし、魏書に皇族内でのなんらかの騒動の形跡を見つける事はできるのか?

578:世界@名無史さん
12/06/13 00:29:10.76 0
養子跡継ぎが認められるのは精々徹侯までだぞ
漢から禅譲された天子は代々少なくとも始祖皇帝の血を引いていなければ
国家の祭祀が根底から覆る。

579:世界@名無史さん
12/06/13 00:56:50.78 0
>>578
まあ魏の元帝は初代皇帝の子孫ではないんですけどね

580:世界@名無史さん
12/06/13 01:00:58.82 0
>>577
でももし劉禅が生まれなかったら、劉備の後継者は異姓養子の劉封で確定じゃん?
劉備はたまたま運が良かっただけ。

581:世界@名無史さん
12/06/13 01:12:39.56 0
>>579
だからわざわざ始祖皇帝というめんどくさい言葉を使ったんだよね。
最初に皇帝を名乗った「初代」ではなく追号で遡って「祖」を決める
魏は太祖武皇帝曹操を始祖として、その子孫を帝位を襲う権利を持つ皇室と定めた
だから帝紀第一は曹操から始まってるだろ。漢なら劉邦。

異姓養子の話題には全く関係ない話なので程ほどにな。

582:世界@名無史さん
12/06/13 01:15:57.49 0
>>580
劉封は異姓じゃないよ。
別に群雄の後継者が養子であって悪いはずもない。

ただ、劉備は"運良く"、のちに漢中王、漢皇帝まで登ったから
実子がいなければ少し困ったことになっただろう。
その時は漢室の血を引く者を養子にとるか、
劉封の血筋をそのようにでっち上げればよい。

583:世界@名無史さん
12/06/13 01:23:38.63 0
>>580
> でももし劉禅が生まれなかったら、劉備の後継者は異姓養子の劉封で確定じゃん?

んなわけねーだろ
漢中王になって以降の劉備にとっては後継者が劉邦の男系子孫(少なくとも劉備自身のように建前上は)であることは
絶対だっただろうから異姓養子に後を継がせるわけがない

劉禅が生まれなければ劉永か劉理が王世子・皇太子になるだけ
劉永も劉理も生まれなければ劉循でも養子にしとけばいい

584:世界@名無史さん
12/06/13 01:27:37.29 0
>>581
曹叡は曹騰、曹嵩までさかのぼって高皇帝、太皇帝と追号しているのだが。
そもそも、太祖の曹操も後漢の臣として死んでるから、曹操を武皇帝と追号したのは息子の曹丕。
曹騰は宦官なので、二代皇帝の曹嵩は異姓養子になる。
曹魏というのは異姓養子でも認める特殊な家風があったのではないか?

585:世界@名無史さん
12/06/13 01:27:59.28 0
>>581
まあそれは承知の上で書いた
でも一つ言わせてもらうと諡号の「祖」を遡ると曹騰にまで至らないか?
魏の場合曹騰にはもちろん子供がいないし曹嵩の子も曹操以外残っていないみたいだからいいのだけれど

586:世界@名無史さん
12/06/13 01:29:56.05 0
>>582
劉封の父は寇氏だよ。

587:579=585
12/06/13 01:31:38.92 0
>>584
かぶった

しかし皇帝の地位を異姓養子で継承することはありえない
長い中国の歴史の中でも後周で一例あるだけではないか?
いい加減諦めろ

588:587
12/06/13 01:32:33.04 0
あー違ったわ
五代十国ではいくつか異姓養子の例があったわ

589:世界@名無史さん
12/06/13 01:37:51.25 0
>>585
子孫が皇帝を継ぐ権利を持つ帝室の祖を誰にするかは王朝によって協議されて決まる。
追号などで固定された規則はない。
魏は曹操に定められたってだけ。

590:世界@名無史さん
12/06/13 02:20:15.47 0
>>589
宋朝帝室の祖は趙弘殷なの?
こいつクッソマイナーな人物で王朝創業にタッチしてないんだけど

591:世界@名無史さん
12/06/13 03:18:30.20 0
宋の場合、趙匡胤が急死して弟の趙匡義が即位してるから
父親を祖にしないと弟の即位の正統性が保てないってことなんかな

592:世界@名無史さん
12/06/13 05:15:53.86 0
>>589
>魏は曹操に定められたってだけ

誰が定めたの?
明帝の決定だって有効でしょ。

593:世界@名無史さん
12/06/13 08:51:06.83 0
孫権だか孫策だかの命令で異姓養子にさせられたが、しつこく「元の姓に戻してください!」と要求してついに成功した孫呉の武将がいたな。
異姓養子はやっぱり当時はタブーなんだろ。

594:世界@名無史さん
12/06/13 08:55:38.71 O
>>593
朱然だっけ?

595:世界@名無史さん
12/06/13 09:16:01.72 0
朱然と朱績が二代に渡って「姓を施に戻して!」と要求して、朱績の代にやっと叶ったらしい。
どんだけ朱姓が嫌なんだよと。

596:世界@名無史さん
12/06/13 10:44:42.74 0
で、話戻すけど曹叡は曹丕の実子ってことでよろしいですね?

597:世界@名無史さん
12/06/13 11:07:19.48 0
204年生まれなのに?

598:世界@名無史さん
12/06/13 11:10:32.80 0
陳の2代目は初代の甥。
その前の梁は最初の後継者候補が甥、後実子が出来て外される。
ともに一代で築いた国で、初代の父親は曹操らと同じ立場ではない。
まあ、梁の方は前朝の遠縁の親類で建国の功臣ではあるけど。
「南斉書」を編纂したのが梁でなければ、「南斉書」に伝が立ちそうな人。
陳の方は息子が出世しなければ、ただの無名の下級役人。
実子がなければ、甥ってのは自然でしょう。
後趙は、養子の継承があるけど、あれは実力だし。
前趙も遠縁の相続だけど、あれも実力。
ともに後継者として認められていたわけじゃない。
しかも当時としては異民族系だし。
異姓相続は相当不自然なんだよね。
その不自然なことをやれば、当然抵抗が大きくなる。
それをあえてやるからには、相当な理由がないと。
例えば、自己の血筋に対する強烈なコンプレックスか憎悪。
あるいは実子との深刻な対立関係。
そう言うことがあってこそ、非実子説が議論の対象となる。
なにもなければ、議論以前の問題でしょ。

599:世界@名無史さん
12/06/13 19:07:00.97 0
>>597
>>556

問1
両者とも陳寿の記述であり信憑性は同等。
一方を無条件で採用し、他方を完全に棄却する根拠は未だ示されていない。

論じてみて?


問2
この矛盾する記述を公正に扱うには、この記述を双方とも一旦思考から除外したのち、
曹叡の生まれ育ちの経緯を整理して彼が当時置かれた立場を再構築するしかない。

やってみて?

600:世界@名無史さん
12/06/13 19:46:55.00 0
当時でも妊娠期間なんて何ヶ月なのか解ってたんだから
曹丕は自分の子じゃなかったら気づく。
?って確か半年くらい包囲されてたんだろ?
この間袁煕は?に入って甄氏と交わることは不可能で、
そうすると曹叡が袁煕の子として生まれるためには
?が陥落してから遅くとも3~4ヶ月以内に生まれないといけない。
曹丕が甄氏と交われるのは当然?陥落以後なので、曹丕が曹叡を自分の子だと考える余地はない。

601:600
12/06/13 19:48:37.02 0
文字化けしてた……
全文訂正

当時でも妊娠期間なんて何ヶ月なのか解ってたんだから
曹丕は自分の子じゃなかったら気づく。
?って確か半年くらい包囲されてたんだろ?
この間袁煕は?に入って甄氏と交わることは不可能で、
そうすると曹叡が袁煕の子として生まれるためには
?が陥落してから遅くとも3~4ヶ月以内に生まれないといけない。
曹丕が甄氏と交われるのは当然?陥落以後なので、曹丕が曹叡を自分の子だと考える余地はない。

602:600
12/06/13 19:49:26.26 0
ああああ
やっぱ駄目だ

?はギョウです

603:600
12/06/13 19:58:23.60 0
という訳で、曹叡の父=袁煕説に立つと
曹丕は曹叡が自分の子では無いと知っていながら自分の子として扱ったことになる。
当然このことは周囲も気づく(婚姻から3~4ヶ月で生まれた子供を実子とは流石に誰も信じないだろう)はずで、
そのことは公然の秘密だった訳だ。
そして、曹丕は曹叡を皇太子とするのだが、この時点で曹丕には他にも男子がおり、
彼らは曹丕の実子だろうと考えられるのにそれを差し置いて皇太子には袁煕の息子が立てられる。
だとすると当然反対者が出る。曹丕の実子なのに皇太子になれなかった者は当然不満を持つだろうし、
本人が不満に思わなくても取り巻きが黙っていない。
そのため、曹叡が帝位を継承するためにはそれらの反対者を排除しなければいけないのだが、
彼らが排除された形跡が全く以って見当たらない。

以上から曹叡の父=袁煕説は破綻。
享年の記述が間違っていると見るべき

604:世界@名無史さん
12/06/13 20:17:26.25 0
>曹丕の実子なのに皇太子になれなかった者は当然不満を持つ

明帝以外は幼すぎて政治ができない。

>本人が不満に思わなくても取り巻きが黙っていない。

司馬氏と曹爽派が激突しただろ。

605:世界@名無史さん
12/06/13 20:18:10.74 0
曹叡は母の亡き後朝臣との関わりを絶っていたため、高官達は誰もその人柄を知らなかった。
侍中という顧問役の身であった劉曄がやっと即位数日後に拝謁することができたというほど。

宮廷闘争に持ち込まれたら瞬殺。

606:世界@名無史さん
12/06/13 20:21:33.88 0
>>604
>明帝以外は幼すぎて政治ができない。
漢代四百年に何人幼帝がいたと思ってるんだ。
皇帝は人格がまともでさえあれば年齢は殆ど関係ないよ。

そんな理由で曹氏以外の手に皇帝の座が渡るのを臣下一同黙って見過ごすなんて
光栄三国志よりも酷い世界だな。…あんたの脳内は。

>司馬氏と曹爽派が激突しただろ。
はあ?

607:世界@名無史さん
12/06/13 20:25:42.56 0
つーか>>604みたいな瑣末事(これが瑣末になるレベルの低さだが)はどうでもいいよ。
>>599に答えて。

608:世界@名無史さん
12/06/13 20:31:42.52 0
>>605
孫呉最後の皇帝みたいだね

609:世界@名無史さん
12/06/13 20:43:38.69 0
>>608
孫皓は烏程侯でそもそも建業にいなかった。
むしろ人脈の無い皇族だからこそ万彧が目を付けて、
高官の協議で天子として祭り上げるのに都合の良い存在だった。
漢で数の前例がある話。

孫皓の場合はそこから廷臣達の目論見が狂ったが。

610:世界@名無史さん
12/06/13 21:21:30.67 0
>>604
曹丕の子はともかく曹操の子は山のようにいて
しかも壮年で脂が乗り切ってる政務に向いたお年頃
実子でまともなのいないなら兄弟相続でいいだろ

611:世界@名無史さん
12/06/13 21:54:07.31 0
>>604
政治ができようができまいが、いやむしろできないほうが取り巻きはそれを補佐する名目で権力にありつける。
仮に幼帝を立てることを皆が恐れていたとしても、出自の怪しい先帝の息子と出自の確かな先帝の弟がいたとしたら
先帝の弟の方を立てる者の一人や二人は絶対に出てくる。
曹操には息子が25人もいて、そのうちのいくらかは既に死んでいたとは言え、壮年や青年の者は何人も残っていた。
能力も血統も問題なく人格以外は完璧な曹丕ですら跡目争いやってるのに
能力は定かでなく血統も怪しい人間がすんなり後継者になれるわけがない。

司馬氏と曹爽が激突したのは曹叡の時代ではない

612:世界@名無史さん
12/06/14 01:09:07.81 0
>>610>>611
明帝よりも戦争がうまい皇族が誰かいるのかね?

613:世界@名無史さん
12/06/14 01:20:56.66 0
>司馬氏と曹爽派が激突しただろ。
>>司馬氏と曹爽が激突したのは曹叡の時代ではない

曹叡政権の末期に、司馬懿を差し置いて曹爽に大将軍をやってたじゃん。
実績もないのに寵愛してるというだけで。
この頃から関係悪かったと思うよ。

614:世界@名無史さん
12/06/14 01:27:18.56 0
>>612-613
ポカーン…

615:世界@名無史さん
12/06/14 02:39:19.27 0
>>612
戦争うまいへたなんて曹叡即位時にはわかんない
曹叡即位時には能力は未知数だった
少なくとも曹丕の実子じゃないのに後継者に成れるほどの能力を示す機会は無かった

>>613
それ末期の話じゃん
>>603で言ってるのは曹叡即位の際の話だから、まるっきり見当違い
曹叡が曹丕の実子か否かについての議論とは全く関係が無い

616:世界@名無史さん
12/06/14 05:04:00.99 0
>>604
>明帝以外は幼すぎて政治ができない。
曹丕は曹霖や曹礼を寵愛していたが、二人が幼かったかどうかは不明。

>>613
>曹叡政権の末期に、司馬懿を差し置いて曹爽に大将軍をやってたじゃん。
曹叡が死ぬ1カ月前くらい。病床についてからだよ。


617:世界@名無史さん
12/06/14 11:08:08.36 0

「国の借金」はデマ

日頃メディアや、反日工作員が必死になって「国の借金」という単語を使い
財政破綻論を展開させていますが、現実、現在の日本には「政府の借金」は1000兆円近く存在いたしますが、
「国の借金」は存在いたしません。

朝日新聞やNHKは、雇い主である中国共産党より日本人に対して不安や政府に対する不信を持たせ、煽るために
局内の共産党員を使用して既に数十年間、「国の借金」を連呼し続けております。

<違和感なく「国の借金が1000兆円もある」という幻想に浸ってしまっている一般の方々は、朝日新聞やNHKに見事に騙され続けている訳です>

数十年もテレビや新聞から情報を得てきた方々の中には、「メディアが嘘を付く訳ない」と思う、そう思いたい方もいるでしょう。
  しかし、長い目で見れば、もともと戦前から日本を転覆させるために存在してきた報道機関ですから、
これくらいの嘘は朝飯前で御座います。

それでも、「国の借金は1000兆円ある」と考えをお持ちの方は、複式簿記の勉強をしてから、日本のバランスシートをご覧ください。
 
  実質中国の広報機関であるNHK、朝日新聞は、これからも嘘を付き続けます。デマを流し続けます。捏造し続けます。
   
 ---そのニュース 核心は、デマだ       長文失礼いたしました。---


618:世界@名無史さん
12/06/14 12:50:36.40 0
曹宇って結局はどういう存在だったんだろう
賢愚もいまいちわからんし、いつの間にか消えていった印象が…

619:世界@名無史さん
12/06/14 18:57:49.47 0
>>618
司馬氏に下手に逆らわない賢さはあった

620:世界@名無史さん
12/06/14 21:26:30.96 0
>>574-575
呉の能力はあてにならんよ
莚売りの劉備の化けの皮だって剥がせなかったじゃないかwwwww

621:世界@名無史さん
12/06/14 21:39:59.28 0
演義乙。

それと、剥がしたらまずいんだよ。同盟国なんだから。

622:世界@名無史さん
12/06/15 22:11:06.45 0
後漢最末期の皇族の王侯ってどんな人がいたんだろう?
全般的にはただの装飾品だろうけどね。
後漢書みればある程度はわかるんだろうけど、
最寄り(事実上利用可能な唯一の)の図書館が丁度一週間ほど休館。
ああ、なんか気になる。

623:世界@名無史さん
12/06/15 22:37:01.31 0
URLリンク(hanji.sinica.edu.tw)

列伝第四、三十二、四十、四十五辺りか。
少なくとも七王家が建安11年に除かれたことが記されている。

面白いのが琅邪王。当時の王の弟だった劉バクが、
東郡太守だった曹操を忠誠だと賞賛したためか、
一端途絶していた王位が建安11年に逆に復活している。
しかし在位11年にして「謀欲過江」に座して誅された。
曹操が魏王になる頃に江東に逃げようとしたんだね。

624:世界@名無史さん
12/06/15 22:38:33.73 0
ああ、世襲したのは劉バクではなく、その兄子で前の琅邪王容の子の煕ね

625:世界@名無史さん
12/06/16 14:18:23.24 0
魯って王が見当たらないのに魯相いるよな
張遼とか

626:世界@名無史さん
12/06/16 15:59:43.79 0
張魯が魯粛の養子になったら
魯魯か
やっかいだーやっかいだー

627:世界@名無史さん
12/06/16 18:24:14.58 0
なんだその初代ノルマンディー公みたいな名前は

628:世界@名無史さん
12/06/16 20:40:31.83 0
うむ。

629:世界@名無史さん
12/06/19 12:21:55.06 O
>>625
劉永、孫覇

630:世界@名無史さん
12/06/19 19:32:40.55 0
後漢には、ってことだろ。張遼は呉にも蜀漢にも仕えてないぞ。

で、継ぐ王がいなくとも国が除かれない限り王国としての体裁は維持される。
國相がほぼ太守と同一の仕事をしつつ、留守を守るだけだからね。
王国の国事儀礼も多少は代行していたのかもしれない。

631:世界@名無史さん
12/06/24 18:20:31.18 O
劉備が平原国相だった時の平原王ってだれだろう?
ていうか国相って王の臣下扱い?それとも中央からの出向官僚?

632:世界@名無史さん
12/06/24 18:47:59.21 0
儀礼は臣下。実態は出向。
平原王はわからない。当時在位者がいたかいないかもわからない。

633:世界@名無史さん
12/06/24 22:30:15.81 0
董卓専横とか関東諸侯の一斉蜂起とか官渡の戦いとか、そういう時期の各地の王様って何してたの?

634:世界@名無史さん
12/06/24 22:38:44.11 0
黄巾の乱で二、三人殺されてた。
まあその程度の力しかなかったのが後漢の諸王。
唯一例外で奮戦したのが陳王寵。

635:世界@名無史さん
12/06/24 23:12:17.51 0
所謂
血族と創業の功臣の「藩屏」は機能しないのは前漢で明白だったからね

後漢は宦官と外戚で揺れ動いて
魏はシステマチックな官僚主義につけこまれて

それらをみた普は前漢に戻る、とw

636:世界@名無史さん
12/06/24 23:27:41.85 0
宋元明清は簒奪防げてるのはどういう理由だろうか

637:世界@名無史さん
12/06/24 23:39:07.08 0
王朝ごとに事情は異なるだろうが、基本的に科挙と宦官。
簒奪できるほどの信望を、臣下の一家が集めることが出来なくなった。

638:世界@名無史さん
12/06/24 23:40:17.51 0
>>635
晋を普と書いちゃう人はまず中学社会からやり直して

639:世界@名無史さん
12/06/25 00:00:07.85 0
>>637
一代で簒奪しちゃった人も結構いるけどねえ
まあそういう輩は軍人だから軍人の力が弱くなれば簒奪できないのか

640:世界@名無史さん
12/06/26 00:13:33.66 O
>>638
そこを突っ込む( ´∀`) オマエモナー

641:世界@名無史さん
12/06/26 00:57:38.74 0
>>640
えっ

642:世界@名無史さん
12/06/28 09:02:21.73 O
ちょっとした誤字を鬼の首を獲ったかのように指摘し、
責め立てるような輩が同好の士だと思うと悲しい。
もっと楽しい話しようよ。段ワイについてとかさ。

643:世界@名無史さん
12/06/28 09:54:18.34 0
猥談か

644:世界@名無史さん
12/06/28 10:23:36.76 0
打鍵の世界では同音誤字が多いよな、音(読み)を打ち込んで変換するんだから
いわゆる誤変換だが
この場合手書きじゃないんだし、普と晋ではどう読んでも類似がない
誤字を書き込んでしまったというより、そもそも間違った認識をしていたか、
正しい認識はあっても、過去の習慣的な錯誤が不意に出たとしか考えられない
言葉の選び方のわりに残念すぎて、突っ込まれるのも分かる

645:世界@名無史さん
12/06/28 10:52:07.56 0
タイポミスなんてネットじゃ日常茶飯事
なお今使ったタイポは誤字ではない。

646:世界@名無史さん
12/06/28 11:03:00.23 0
シンとフをどうタイプミスすんだという話だろ

647:世界@名無史さん
12/06/28 12:25:12.03 0
某航路でも程普が程晋になったりするんだし寛大な心で許してやろうぜ

648:世界@名無史さん
12/06/28 21:03:31.07 0
>>647
関雲長のことを「せきうんちょう」とルビを振った某航路ですね

649:世界@名無史さん
12/06/28 21:11:15.31 0
俺のPCだと普通に「しん」で普が出てくるが?

650:世界@名無史さん
12/06/29 08:58:31.29 O
董卓の軍勢の実質的No.2って牛輔?
その次辺りの地位にいたのだれだろう?
胡シン?段ワイ?


651:世界@名無史さん
12/06/29 09:25:51.39 0
知られるうちで高い地位を獲得したのは胡軫かね。
存命中に牛輔とどちらが格上だったのかとかまではわからん。

652:世界@名無史さん
12/06/29 09:32:58.48 0
趙謙とか?

653:世界@名無史さん
12/06/29 10:00:44.31 0
趙謙やら王允は朝廷の高官であって外様。
「丞相曹操の軍勢のナンバー2はチ慮」とは言わないだろう。

654:世界@名無史さん
12/06/29 11:07:41.25 O
胡軫や楊定は、涼州出身なのに董卓死後に王允に従ってる。
胡軫は陳郡太守の経歴もあるし、孫堅に負けた後は董卓に嫌われたか、漢朝の臣としての色合いが強くなったんじゃないかな?
そうなると女婿であり、中郎将でもある牛輔がNo.2?
段ワイも涼州出身だけど、楊定に嫌われてたし、賈クにも逃げられてるから人望がなかったのかな?
段ワイの事跡みると意外とまともな奴のような気がするが・・

655:世界@名無史さん
12/06/29 11:33:42.29 0
別に胡軫が漢臣よりになったんじゃなくて、
李カクらも胡軫や徐栄みたいに従いたかったけど
許されなかったから賈クの進言で蜂起しただけでしょ。

実質の軍事かどうかわからんが董旻、董承、董越らが有力なんじゃなかったっけ?

656:世界@名無史さん
12/06/29 11:56:11.72 0
チ慮ってやっぱり現代風にいえばイエスマンなのかな?

657:世界@名無史さん
12/06/29 14:46:17.04 0
チ慮もそうだけど、鄭玄門下ってろくな奴がいない気が・・
高官になった奴多いけどね。意図的に貶められてるのか?

>>655
董越も東中郎将だったね。

ところで段ワイらを率いて李カクを滅ぼした裴茂って「謁者僕射」だよね?
この身分って、中郎将達を率いれるものなんだろか?

658:世界@名無史さん
12/06/29 16:05:16.67 0
>>657
えーと劉備とか>鄭玄門下

659:世界@名無史さん
12/06/29 16:23:55.94 O
>>658
そうか、劉備か。
あいつは、偉いよね・・

660:世界@名無史さん
12/06/29 19:55:03.60 0
>>657
謁者僕射が中郎将を率いる権限があったのではなく、この時の裴茂は皇帝の使者として派遣されていて、中郎将たちは皇帝の使者に従ったということだろう
そして謁者僕射は皇帝の使者になることが多い官だったということ

661:世界@名無史さん
12/06/29 20:50:03.12 O
>>660
なるほど。
実際軍勢を指揮したわけじゃないんだね。納得。
息子は伝に劉表のところにいたってあるし、
李カク滅ぼした後、許には行かなかったのか。

662:世界@名無史さん
12/06/30 13:11:21.90 0
>>640
> >>638
> そこを突っ込む( ´∀`) オマエモナー

細かいと言われることは百も承知だが、あまりにもひどいだろ。小学生か?

三国志の前に漢字の勉強くらいやっておけよと心配になる。おせっかいだが。

663:世界@名無史さん
12/06/30 18:05:18.81 0
>>649
自分で辞書登録したんじゃないのw

664:世界@名無史さん
12/06/30 20:44:15.76 0
>>657
崔エン・国淵って建安時代屈指の儒者だぞ。それから孫乾

665:世界@名無史さん
12/06/30 21:03:05.43 0
>崔エン・国淵って建安時代屈指の儒者だぞ。それから孫乾

孫乾だけ超小物w

666:世界@名無史さん
12/06/30 21:27:18.46 0
鄭玄は自立してから常時数百人から千人の弟子を取っていて、
孫乾はそのうち歴史に名を残す6、7人のうちの一人なのだが。

667:世界@名無史さん
12/06/30 22:51:35.04 0
>>666
学術的業績は?

668:世界@名無史さん
12/06/30 22:53:58.39 0
王基やチ慮や劉備の学術的業績は?

669:世界@名無史さん
12/06/30 23:03:09.13 0
通なら「晋」より「晉」だよな

670:世界@名無史さん
12/06/30 23:05:12.90 0
「ホウ悳」はいつから「ホウ徳」って表記が主流になったんだろう?

671:世界@名無史さん
12/07/01 00:14:24.56 0
新字体が普及してから

672:世界@名無史さん
12/07/01 01:31:07.90 0
>>669
そういうのは通じゃなくて旧字体厨だろう

673:世界@名無史さん
12/07/02 23:15:25.30 0
えっ

674:世界@名無史さん
12/07/03 08:51:06.46 O
そもそもがタイプミスか、読み方間違ってたのか知らないが、
誤字の話題をここまで引っ張る暇人達が同好の士とは残念だよ。
もっと楽しい話しよう。劉勲についてとかさ。

675:世界@名無史さん
12/07/03 11:25:36.19 0
司馬師の男系って結局壊滅?

676:世界@名無史さん
12/07/03 20:30:44.81 0
>>674
何かと思えば三日も前に終わった話題じゃねーか。何引っ張ってんの

袁術配下で一番頑張ったのは陳蘭。これは譲れない。

677:世界@名無史さん
12/07/04 11:45:29.33 O
雷薄・陳蘭コンビと呉蘭・雷銅コンビって、
セット売りなところが何となく似てる。
字も被ってるし。

678:世界@名無史さん
12/07/05 00:54:42.06 0
>>675
男子がいなくて司馬攸が養子に来てるから壊滅以前にもとからないのでは?

679:世界@名無史さん
12/07/05 23:47:01.10 0
ありゃりゃ司馬昭のつもりだったのに間違えてた。
ちゃんと確認しないと駄目だな。

680:世界@名無史さん
12/07/06 11:02:28.85 0
東晋では司馬昭の子孫で王位についていた者はいないし、生き延びてもいないはず。
東晋成立(318)以前に、311年の王衍敗北、洛陽陥落、苟晞敗北で皇族は軒並み死亡。
312年の時点で生きている子孫は、匈奴(漢)に連行された懐帝(司馬熾)と
懐帝処刑後に皇位を継承する司馬鄴(愍帝)しかいないんじゃないかな。

司馬懿の子孫で東晋まで生き残ったのも
皇位についた司馬睿のほかには司馬亮の子孫だけじゃないかなぁ
司馬八達の子孫はちょろちょろいるけど。


681:世界@名無史さん
12/07/07 12:34:18.17 0
>>677

呉蘭・雷銅はどの程度の兵を率いてたのだろ?

全滅しても、後の漢中攻防戦が蜀側の勝利になったこと
考えると、大した兵数じゃなかったのかな?

682:世界@名無史さん
12/07/07 19:22:34.72 0
雷銅と雷諸は親戚かな?

683:世界@名無史さん
12/07/07 20:09:22.32 0
清河王司馬遐の、たぶん次男の司馬籥ってどうなったんだろう?
他の兄弟は次々と皇太子になり殺害されてるが、
この人だけは最期か書いてない。
弟が皇太子になる前に死んじゃったのかねえ?

684:世界@名無史さん
12/07/07 22:18:31.24 0
曹叡の異姓養子疑惑について。
曹叡は母甄氏の家が断絶の危機に瀕した時、タブーである異姓の養子縁組を行わせて甄家を存続させている。
おかげで孫盛にけちょんけちょんに叩かれている。
一方で、曹氏の異姓養子になることを拒否した何晏は曹叡に殺された。
また、父曹真が異姓養子だった曹爽は曹叡に寵愛された。

祖父の曹操は曹操で、求賢令で「卑賎でも不孝でも用いる」と叫んだ。
これは自分が卑賤で不孝な宦官の家の出身であることの裏返しだった。

父の曹丕もまた、できる弟曹植への劣等感から執拗に苛めた。

曹氏は代々コンプレックスの塊。

685:世界@名無史さん
12/07/07 22:25:50.38 0
当時数少なくなってしまった司馬炎の直系という血筋、冀州の状況を考えると
藩国に赴任していたとは考えにくいから、洛陽に留まっていて、陥落と同時に死亡したか
あるいはその前に病死したかだろうね。

ただ清河王位は二人の弟はどちらも就いてないのが微妙だな。
司馬銓は上庸王から豫章王、皇太子だけど、豫章は懷帝のもとの封国だから
豫章王になった時点で後継者候補。
その弟の司馬端は廣川王で、兄が皇太子になると豫章王に。

司馬籥が早くに亡くなっていればどちらかを清河王にして司馬遐を継がせてたと思うので
洛陽陥落までは司馬籥は生きていたのかなぁ。

686:世界@名無史さん
12/07/07 22:30:38.92 0
何晏は曹叡に殺された?

687:世界@名無史さん
12/07/07 22:33:34.90 0
>>686
閑職に追いやられた、に訂正します

688:世界@名無史さん
12/07/08 00:24:37.93 0
>>684
一行目と二行目以降がまったく繋がらないのだが
何がいいたいのだろう。

689:世界@名無史さん
12/07/08 08:16:38.56 0
>>687
その理由は浮ついてて実がない、であって異姓養子ではないぞ
妄想を押し通すのは小説の中だけにしてくれ

690:世界@名無史さん
12/07/08 09:30:34.31 0
晋書読むと正始年間に起用されてる奴も多くて
何晏はちゃんと仕事してるなと思わされる。

691:世界@名無史さん
12/07/09 23:44:40.47 0
何晏らは怠慢じゃなくて曹爽派として人事に勤しんでいたわけだからね(これも勝利した司馬氏側からの記述だが)
しかも、曹爽に辟召などされて党与を構成していた朝臣からも結構な数が司馬氏に吸収されて晋臣になっているのだから、
思想や利権と言うよりももっと単純な権力闘争の構図だ。

692:世界@名無史さん
12/07/10 18:28:42.04 0
不思議なんだけど、司馬柬を跡継ぎにしようって話はでなかったの?
少なくとも兄と違って標準レベルの人物では有ったらしいのに。

693:世界@名無史さん
12/07/11 13:33:04.70 0
三少帝紀にちょこちょこ忠義の人とかが叙爵されたり、任官されたり
って記事がある。たいした地位じゃなく普通は名の残らない人も。
これってやっぱり人気取りとか?

694:世界@名無史さん
12/07/11 17:18:58.57 0
>>692
皇太子・司馬衷(のちの恵帝)の廃嫡はたびたび持ち上がったけど
その際は当然、同母弟の司馬柬が皇太子となったと思う。
司馬炎が二人の実母である楊氏に司馬衷廃嫡を相談したことがあるけど
その時も当然、代わりに司馬柬を皇太子にするつもりだったろう。
ちなみに楊氏は「嫡子は年長者を選ぶべきで、賢さで選ぶべきではない」と反対。
まぁ司馬衷が継いでも、サポート体制が盤石なら、無理ゲーではなかったと思う。

その司馬柬も司馬炎死亡の1年半後には病死してるから、司馬柬が継いでいたところでなぁ。
タイミングが凄すぎるので、毒殺のような気がしないでもないが。

695:世界@名無史さん
12/07/11 21:22:41.46 0
>>694
意外と暗殺、毒殺の類って成功しない気がする

国は違うけど西洋の王族で毒殺が疑われた人の死体が残ってたので検査したら
急性白血病で突然死のように死んだということがわかったりしてるし

696:世界@名無史さん
12/07/11 22:06:30.95 0
劉弁が死んだのもタイミング悪かっただけなのに噂におひれついただけなんだろうな

697:世界@名無史さん
12/07/11 23:00:12.07 0
>>695
日本では意外に成功しているけどね、毒殺。
足利義満、恒良親王、足利直義といったぐあいにね。

698:世界@名無史さん
12/07/11 23:08:27.47 0
現代だったら狙撃すれば一発で殺せそうな気がするんだが違うのかね
要人だったらそもそも狙撃ポイントに着かせてもらえないのか

699:世界@名無史さん
12/07/11 23:28:27.42 0
劉弁については、李儒絡みで辻褄が合う記述が残っているので信憑性がある。
と言うしかない。

700:世界@名無史さん
12/07/12 00:40:37.12 0
>>697
3例しかないじゃん。伊達政宗も毒で死にかけたが助かってるし。
普通に刀や槍で殺すほうが確実だし、暗殺だと圧倒的にそっちの例が多い。


701:世界@名無史さん
12/07/12 00:51:45.55 0
確実ならいいってものじゃなく、疑わしくても病死に見えてくれないと困る場合もあるから

702:世界@名無史さん
12/07/12 01:01:00.36 0
足利義満は、そういう主張をしている人もいる、というレベルでしかないね。
恒良親王も実際のところは不明だし。太平記では一緒に毒殺されたとなって
いる成良親王が、実際には生きていたということだし。

703:世界@名無史さん
12/07/12 01:02:53.21 0
ローマで言うと2代皇帝ティベリウスの息子ドルススなんかは確実に毒殺だという証拠が後から出てきてる

704:世界@名無史さん
12/07/12 19:35:09.14 0
司馬炎は、粗製濫造って感じだ。
才能じゃなくて生命力が、
自然死以外が多いにしても、
誰一人半世紀の寿命がない。
約半世紀でも恵帝だかでしょ。
あとは30歳程度までか?
孫や曾孫に至っては悲惨の一言だし。

705:世界@名無史さん
12/07/12 20:43:56.67 0
>意外と暗殺、毒殺の類って成功しない気がする

BSフジで再放送中の『三国志』で前回、主命を無視して私怨から関羽を殺した呂蒙を(明示はしていないが)孫権が密殺したという解釈は面白かった


706:世界@名無史さん
12/07/12 20:57:59.52 0
呂蒙は孫権子飼いの兵だから主命を無視することもなければ
孫権も暗殺することもないでしょ
孫権が君主やってられるのって子飼いの軍人たちの影響力のお陰でもあるんだからさ

と、物語に野暮なこといってみる

707:世界@名無史さん
12/07/12 21:15:52.37 0
呂蒙・周泰などは、功績高い諸将や名士・豪族達の間に楔を打って統制できる、孫権の子飼中の子飼だからね

708:世界@名無史さん
12/07/12 22:11:43.50 0
甘寧も地盤がなくて子飼いのはずなのに何故か統制できないという謎

709:世界@名無史さん
12/07/12 22:22:32.77 0
甘寧は本人のケレンミ溢れる性格のせいで統制される側だから

710:世界@名無史さん
12/07/12 23:16:41.48 0
甘寧は無名から孫権に取り立てられたのではなくて、
益州時代からの名声で長年豪族の間を渡ってきて
最終的に呉に腰を落ち着けた人間だからね
子飼とは大分違う。

711:世界@名無史さん
12/07/13 10:16:19.94 0
中国の正史ってものの性質上仕方がないことだってわかっては居るけど、
三国志に司馬懿から司馬炎までの伝がないのは、
歴史書としては、やっぱり欠点だな。
あと、主たる活動時期が呉滅亡までの人とかも。
むろん、陳寿に書けと言うのが無理なのはわかってる。
本来は新王朝の開祖は、前朝の史にも伝があってしかるべき。
と無い物ねだり。
司馬懿の場合は特にそう思う。

712:世界@名無史さん
12/07/13 11:07:38.60 0
陳寿
「私が愛した蜀と、逆賊魏の戦いを書きたいんであって、司馬懿一族が簒奪するのしないのなんてぶっちゃけどうでもいい。
魏蜀が消えてしまって晋と呉の二国志なんてマジ書く気起こらん」

713:世界@名無史さん
12/07/13 13:35:27.01 0
>>711
晋書読めばいいだけだろ
晋書の日本語訳がないことや、現存してる晋書が後代に編纂されたものであることを嘆くのならともかく。

ただひとつ言うと、晋書読んでも司馬懿の人柄ってあんまり見えて来ないんだよな
曹操や劉備や孫権や、あるいは司馬炎とはその辺が違う。

714:世界@名無史さん
12/07/13 14:13:18.85 0
理想を言えば、前朝じゃなく、前々朝の史書を作成する方が冷静に書けそうだ。
まあ、短命王朝の場合はそれでもしがらみが有るけど。
たとえば梁書なんかは、南斉建国前に生まれた人の伝の集合体みたいなもんだし。

715:世界@名無史さん
12/07/13 19:22:06.27 0
>>713
それは漢書での劉邦像に通じるものがあるね。
史記と違って、漢書はいわば国家機関としての皇帝という視点を中心に本紀を書いている。

716:世界@名無史さん
12/07/13 19:24:39.37 0
>>714
後漢書・三国志・晋書の時期はそんな慣例は無いよ。この三つが編まれた時代もバラバラ。
特に前二つが「正史」として認定されたのは、数々の類書の中で最も出来が良いと評価されてほぼ完全な形で後代まで残ったから。


717:世界@名無史さん
12/07/13 19:33:51.37 0
皇帝を追号されている今上の父や伯父を前代の王朝の史書で伝を立てろとか、
今上の事業を論評した「史書」を今上に上梓しろとか
現在統一王朝に仕えている臣下の伝を滅んだ王朝の史書に立てろとか。

おまえの頭の中の陳寿はどんだけ狂人なの?



718:世界@名無史さん
12/07/13 19:46:49.96 0
>>717
漢書に王莽伝があるじゃん。
王莽だって一応皇帝だろ?

719:世界@名無史さん
12/07/13 20:40:12.20 0
王莽は漢に皇帝だと認められてないからことさら「伝」を立てられたんだよ。
陳寿は司馬師・昭に対して同じ扱いをしろと?

720:世界@名無史さん
12/07/13 23:37:13.46 0
司馬昭だって晋王どまりじゃん?

721:世界@名無史さん
12/07/14 00:04:05.84 0
>>720

722:世界@名無史さん
12/07/14 00:06:03.06 0
司馬昭は文帝を追号されてるよ
晋では、司馬懿が政権とった時から(司馬芳を退位させた時?)から晋が始まったと考えるべきかどうかって議論があった。

723:世界@名無史さん
12/07/14 00:30:46.23 0
>>722
追号なら、曹操の父親の曹嵩には太皇帝、祖父の曹騰は高皇帝を追号されているが、本紀はないぞ。列伝もないけど。


724:世界@名無史さん
12/07/14 00:31:40.08 0
後漢書に曹騰伝があったような

725:世界@名無史さん
12/07/14 00:51:55.23 0
>>720
魏王の曹操は?

726:世界@名無史さん
12/07/14 01:02:06.68 0
>>723
建国に功績が無い父祖になんで本紀を立てる必要があるの?

727:世界@名無史さん
12/07/14 01:05:58.11 0
>>726
劉邦の父親レベルで功績ないならともかく、曹騰は創業に僅かながら貢献しているからその言い方はどうなんだ?

728:世界@名無史さん
12/07/14 01:12:59.58 0
えっ

729:世界@名無史さん
12/07/14 01:26:39.98 0
>>726
そもそも、なんで功績もないのに追号する必要があるの?
あと司馬懿・師・昭も創業はやってないよね。
曹操みたいに軍閥スタートじゃないし。

730:世界@名無史さん
12/07/14 05:22:44.60 0
>>729
司馬昭は晋王になってる上に、魏のどの王よりも上位の待遇とされた。
司馬懿は九錫の下賜をされたが本人が固辞している。
創業者と言ってよいレベルだろう。

731:世界@名無史さん
12/07/14 09:08:19.25 0
>>729
廟を立てるため。

晋の実質の創業は司馬懿からというのが晋王朝の見解

732:世界@名無史さん
12/07/14 09:22:59.82 0
三司馬の「功績」は二つ。魏王朝を実質経営して、天子たりえる「徳」を積み上げたこと。
蜀呉を撃退して統一への道を開いたこと。
王になったばかりでなんの功績も無い司馬炎が禅譲を受ける正統性は、祖父・伯父・父が用意したもの。
特に蜀を撃退・征服した功績は司馬氏のものである、ということは、のちの漢晋交替論でさらに強調される。

733:世界@名無史さん
12/07/23 16:34:03.55 O
司馬懿って本当にキャラが掴めない。
苛烈な性格で、それを隠してて、たまにそれがこぼれたり、
自分の生き方をドヤ顔で子供達に語るあたり、
強いて言えば徳川家康に似た感じ?

734:世界@名無史さん
12/07/23 19:29:14.76 0
別に隠してはいないだろう。
曹操から隠れたり、曹爽相手に仮病を使ったのは単に処世。
最初の約束を反故にして曹爽に罪を被せて殺したのは単にそうしなければ生き残れないから。

735:世界@名無史さん
12/07/23 21:01:24.36 0
>>733
苛烈な性格っつってもそれが表面に現れたのって公孫淵の乱の時とか正始の変くらいだからなー
普段温厚な人なんだけど相手の度が過ぎた振る舞いにはブチ切れるってだけだったんじゃないかと思ってる
兄貴の司馬朗や弟の司馬孚は温厚で人格者なのに司馬懿だけ温厚なのはフリで実際は苛烈ってなんか違和感が


あと曹操に対して仮病使って出仕拒む理由がいまいちわからん
兄貴や弟は普通に仕えてるのになんで司馬懿だけいやいや出仕したんだろ
曹爽相手の「年取ったんで引退する」宣言は半分本気だったと思うんだけどなぁ
曹爽達が暴走する兆しがあったからボケたふりしてカマかけたら案の定…な感じだったんで粛清決意したんじゃないかと


736:世界@名無史さん
12/07/23 21:32:12.42 0
>曹操に対して仮病使って出仕拒む

これは後付けだろうな

超厳格な家父長制の家に生まれた懿が
その家の父がかつて推挙し、なおかつ、長男で兄である朗が仕官してる勢力の長を拒むとか論理的に破綻してる

宦官の孫で簒奪政権の始祖にその才能を見出されたが拒否した、という定型文に近い神格化

737:世界@名無史さん
12/07/23 21:48:16.93 0
別に破綻してない。
司馬家が曹家に恩があるなら応じる義理も生まれるが、事実は逆。
兄が仕えているからといって、家業を放って公務員にならなきゃならない義務も無い。
嫌なら仕えないって選択は世情不安定なら有りふれたもの。

「時流に屈せず」ってのも極めてポピュラーな名士の逸話であって、
創作だとしても神格化なんてほどじゃない。

738:世界@名無史さん
12/07/23 21:58:46.76 0
>>737
魏略の逸話見てると司馬懿が曹操に使えるのが嫌だったっていう話も嘘くさい気はするけどなー

神格化っつーか「元々司馬懿は曹家に対して忠誠心なんて持ってない逆臣ですよ」って言いたいんじゃないか>曹操に出仕拒否
光武帝の司馬懿評とか見てると、正直晋書の記述は司馬懿の人格面はわりとボロクソに貶してる印象が

739:世界@名無史さん
12/07/23 22:45:01.58 0
>>736>>738
どっちだよ
議論は先ず両極端同士でやってくれw


740:世界@名無史さん
12/07/24 03:03:47.81 0
>>736
まだ袁紹生きてたから下手に曹操に仕えると危険とか思ってたかもよ
官渡で一敗地に塗れたとは言えまだまだ袁家は強勢だったしな


741:世界@名無史さん
12/07/24 07:28:47.94 0
どっちにしろ「後付け」という見方なわけで
劉巴のケースような信憑性・一貫性がないんだよね

742:世界@名無史さん
12/07/24 08:24:55.75 O
>>741
確かに劉巴は一貫してるw
コミュ障やDQNばっかの劉備、孫権陣営に比べて比較的常識人が多い曹操陣営で
司馬懿はひそかに恐れられた感じかな?

743:世界@名無史さん
12/07/24 16:57:09.99 0
>>734
曹爽を殺したのは俺は言い訳出来ないと思う
あと固辞したとはいえ九錫下賜が行われたというのは、司馬懿の野心を物語っていると思う。
もし野心がないなら、固辞する前に介入して、未然に防いだと思うから。

もっとも、幼帝でなかったら、曹爽の専権がなかったら、
野心など見せずに淡々と仕えたとは思うが。

744:世界@名無史さん
12/07/24 18:21:04.15 0
>>743
九錫下賜されたのって司馬懿じゃなくて司馬昭じゃね?
司馬懿が固辞したのは丞相の位だったような

745:世界@名無史さん
12/07/24 19:29:10.20 0
丞相も九爵も公位も漢の忠臣で微塵も帝位への野望を見せなかった曹操が就いてるから問題ないな

746:世界@名無史さん
12/07/24 22:32:56.49 0
>>741
当時河内の名族の息子でしかなかった一青年が、三度も四度も変転した皇帝の推戴者に召されて仕えるのを拒否することに、
歴史や人生に対する一貫性なんかあると思う時点でおかしい。

司馬懿が一旦は曹操に仕えるのを拒否した。この事実が元になって、「漢への忠誠があったから」「曹操を認めてなかったから」
などと後付された、というならわかるが。

747:世界@名無史さん
12/07/24 22:48:23.76 0
>>744
三少帝紀の注の漢魏春秋によると九錫下賜されて固辞してる。
これが元ネタかも知れんが、晋書の宣帝紀だと249年2月に丞相任命、12月に加九錫。どちらも固辞。
漢魏春秋の作者の孔衍はガチの学者なので、信憑性は高いと思う。

748:世界@名無史さん
12/07/24 23:13:36.54 0
魏略の逸文に曹洪に交際を求められたけどそれを恥じて仮病を使って断った。曹洪はそれを恨んで曹操に告げ口した。
曹操は司馬懿の評判を知っていたので出仕を求めると、司馬懿は喜んで杖を捨てて(仮病のふりを辞めて)出仕した。

っていうのが有るらしいんだけど、これホントだったら曹操への出仕全然嫌がってないよね
似たような話が阮うにもあるから信憑性は微妙かもしれんけど

そういや恩人の息子である司馬懿を曹操が冷遇したって本当なのかなー
基本的に曹操は自分の恩人の子供達はかなり優遇して手厚く保護してる印象があるんだけど

749:世界@名無史さん
12/07/24 23:30:54.47 0
冷遇したってどこネタだったっけ?
少なくとも晋書では、
曹丕の遊び相手>黄門侍郎>議郎>丞相東曹屬>主簿>太子中庶子(四友)
皇帝側近で箔を付けてから丞相側近。曹丕が丞相になると長史。
曹操にとっての要人というよりは、次世代の宿臣を期待された若手エリートコースだね。

750:世界@名無史さん
12/07/24 23:41:07.32 0
>>749
晋書によると曹操が狼顧の相とか不吉な夢とかで司馬懿が危険だと思って曹丕に忠告したけど、曹丕は司馬懿と仲が良くてむしろ司馬懿をかばっていた
司馬懿も疑いが解けるように身を謹んだ結果ようやく曹操は疑いを解いたとか
書いてて思ったけど、冷遇というか嫌われていたって感じかな
どうもこの内容が丁沖や鮑信の恩に報いるために息子たちを召し寄せてわりとかわいがってた曹操の姿とギャップを感じる

751:世界@名無史さん
12/07/25 00:01:36.50 0
>>750
曹操は嫌った奴を殺したりもしてるから別にギャップは感じないな

752:世界@名無史さん
12/07/25 02:20:54.68 0
司馬防は当時の人事担当官だったってだけで、
孝廉出身の郎官を県尉にするのは普通のことであって抜擢とも言えないのだから
恩人と言うには弱い。

曹操は陳寿に「嫌いな相手を許せない人柄で」と明記されるくらい好悪の情が激しかった。
「度量の幅は広いが嫌った相手はとことん駄目」と言うべきか。
まあ司馬懿は許しているんだけど。

そもそも>>750が司馬懿の青年時代で一番後付け臭い逸話じゃないかw
晩年の専横と晋成立の後でなければ価値が無い話だぞ。

753:世界@名無史さん
12/07/25 10:10:55.14 0
では朱霊に対しての感情はなんだったのか、という疑問が常に消えない

754:世界@名無史さん
12/07/26 09:37:56.51 0
気に食わないことがあったんだろ

755:世界@名無史さん
12/07/26 19:52:59.05 0
元は袁紹配下だったから警戒してたとか?

756:世界@名無史さん
12/07/26 21:41:35.82 0
張コウに比べればよっぽどマシな移籍経緯だが。

757:世界@名無史さん
12/07/26 23:12:38.68 0
魏晋の場合、一字王ってのは特に意味はないの?

758:世界@名無史さん
12/07/26 23:57:58.77 0
なにそれ

759:世界@名無史さん
12/07/26 23:59:45.28 0
>>757
日本語でおk

760:世界@名無史さん
12/07/27 05:01:33.21 0
エスパーすると、
南朝に朝貢した「讃・珍・済・興・武」の倭王じゃまいか

761:世界@名無史さん
12/07/27 11:37:44.76 0
>>760
それはたぶん違うだろww
楚王みたいのと豫章王みたいのの差って意味じゃないの?

762:761
12/07/27 11:40:26.66 0
あーごめん補足しとくわ
楚王とか趙王とか斉王とかみたいな国名が一文字なところと
豫章王とか長沙王とか東海王みたいな国名が二文字なところで何か差があるのかってことでしょ?

時代が下ると実際この両者で待遇に差がある時代もあったはず

763:世界@名無史さん
12/07/27 12:24:55.37 0
ただの地名でショ?

764:世界@名無史さん
12/07/27 17:41:00.86 0
晋の2代目恵帝が即位すると、扶風郡を秦国と改称した上で、
同母弟の南陽王柬を秦王に移封するということはあったけど
これも多分関係ないっぽい。
その後、成都王潁が皇太弟になっても改称しないし、吳王晏の扱いも悪い。

765:世界@名無史さん
12/07/27 19:54:17.35 0
自己レスだが、皇太弟になってから改称はありえないか。
ただ、皇太弟になる前に改称はなかった。
皇太弟になりかけた淮南王允も、改称されてないし、
一時政権を掌握した汝南王亮やら長沙王乂その他も、改称はなかった。

766:世界@名無史さん
12/07/28 13:48:49.69 0
呉王ってのは考えてみると微妙命名のような。
魏王・漢王・漢中王とかは、やっぱり避けてたのかな?
禅譲直前が、一文字ってのはまあ様式美とかお約束にしても。
って言うか先例主義。

767:世界@名無史さん
12/07/28 21:24:04.48 0
呉王が微妙ってイミフ。
魏王・漢王・漢中王が何を避けてたのかさっぱり判らない。
禅譲直前に一文字ってなにそれ?

768:世界@名無史さん
12/07/28 23:29:12.70 0
>>767
アホか

本当に判ってないのか判ってて否定してるのか知らんが
判ってないんだとしたら中国史に首突っ込むのやめた方がいいでしょ
ちなみに俺は766じゃないぞ

魏王と漢王は「二王乃後」的な意味合いもあるだろうから避けられたのだろうか

769:世界@名無史さん
12/07/29 00:10:31.50 0
ああ、晋代諸王の話の続きしてたのか。そりゃすまんかった。

770:世界@名無史さん
12/07/29 00:22:29.86 0
一字二字であることに格差があるというより、元々は
一字の国は普通周代からの古国名で、
二字の国は後代に出来た単なる「地名」だからってことだろう。
侯王としてなら淮南王や長沙王でも構わないが、
独立や禅譲を企図するなら古国の由緒が必要となる。

この由緒の差が、徐々に封爵の格差として制度化されると。

771:世界@名無史さん
12/07/29 18:14:36.53 0
独立や禅譲を企図する場合は、由緒以上に藩国の大きさが重要なんじゃない?
それだけ権力を握るようになっていたなら、郡国以上の封土を得るだろうから、
自然と古国由来の王号となる。

同じ王朝の中で帝位を継ぐ場合は、郡国王であっても問題ないと。

司馬懿の息子だと、趙王とか梁王とかいるけど、これはただの郡国王であって、
兄の汝南王、瑯邪王、扶風王、平原王より格上ということではないと。


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