正史『三国志』 二十七巻at WHIS
正史『三国志』 二十七巻 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
12/03/26 21:37:07.09 0
わたくし甄氏がいちおつお伝えいたします

3:世界@名無史さん
12/03/27 22:10:06.94 0
スレリンク(whis板:998番)
王基などが魏で孝廉に推挙されて郎中になったりしてるぞ。
州大中正以降貴族制維持装置としての九品官人法に段々ととって代わられていくけど、北魏の時代にも孝廉に挙げられて高官に登った例は見られる。

4:世界@名無史さん
12/03/28 05:59:06.81 0
>>3
・・・北魏以外は?
一瞬復活するけど、やっぱ使えなくてすぐ消えるの繰り返しだろう。

5:世界@名無史さん
12/03/28 07:38:51.42 0
自分で調べる頭も人の言葉を理解する頭もない上に都合のいい場所だけ反応して他は無視かよ
いつもの子

6:世界@名無史さん
12/03/28 07:51:33.65 0
>>5
五胡十六国時代に孝子の取立てなんてどれだけあったというのかw
後漢時代に比べてもないに等しいだろw

7:世界@名無史さん
12/03/28 08:39:48.48 0
>>4
ちょっと探してみた。「孝廉」のみで探したために「孝子」で挙げられている人間を見落としている可能性あり。
また南北朝代は『南史』『北史』のみを探したため見落としが多い可能性あり。

☆立伝人物★非立伝人物○注の人物
三国志
☆王基
○杜寛(杜恕の弟『杜氏新書』に挙孝廉)楊豊(『世語』酒泉の人、黄初年間に挙孝廉)杜摯(『文章敘録』河東の人。)

功臣の大部分を占める後漢代の孝廉制を経た人物は除いた。他何人か孝廉に推挙された年代不明の人物あり。
立伝人物は功臣子弟が郎官にそのままスライドしているため官吏登用制度を経て登用された人物自体が少ない(後漢初期にもみられる現象)。
魏文帝の時期、三公府で(後漢中期より行われてきた)孝廉制における試験制度の廃止が提起されるも、華キンが「行わなければ学問が廃れる」として反対。
文帝はこれに従っている。(正史本文)
孫資が田豫の子を孝廉に挙げている。(『孫資別伝』)

晋書(=おおよそ曹魏後期~五胡十六国末)
☆魏舒 劉しょく 唐彬 山濤 李胤 盧欽 劉毅(魏末) 侯史光 劉頌 傅玄 光逸 皇甫謐 束皙 阮チュウ 周札 周稚 周訪
孫? 李含 陶侃 紀瞻 薛兼 戴若思 甘卓 熊遠 陳? 張憑 陸曄 蔡謨 王遜 陳寿 虞溥 虞預 謝沈 陳邵 虞喜 徐苗 崔遊
杜夷 曹? 李? 氾騰 任旭 ?秀 索襲 祖約 蘇峻 李庠
(家世孝廉)張軌
★尹虞 范逵 令狐策 索充 呉暢

南史(南朝)
☆袁粲 孔靖 丘巨源 郭世通 呉逵 張乾
★秦綿

北史(北朝)
☆裴? 李彪 劉桃符 劉献之 孫惠蔚 李? 李玄紀 李業興 楊慶 杜纂(明帝初) 公孫景茂
★廉景孫 李漢子 鮑長暄

北魏、北斉は確固とした制度として孝廉制あり。
李キュウ、李玄紀、李業興は三代続けて孝廉に挙げられており、北朝の伝を持ってない三人は連名で出てくる箇所あり。

8:世界@名無史さん
12/03/28 08:54:23.03 0
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

孝廉年未五十、先試箋奏。初上試之以事、非試之以誦也。

(応劭『漢官儀』上)

漢代の孝廉は、五十歳未満の場合は「皇帝による試験に合格すること」という条件が付いていた。

逆に言うとそれ以上の年齢の場合は免除された。


9:世界@名無史さん
12/03/28 08:55:56.12 0
やっぱ世の中ゼニだね。後漢でこれだよ。

孝廉になる代償
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

馬融爲南郡太守、二府以融在郡貪濁、受主計掾岐肅錢四十萬、融子彊又受吏白向錢六十萬、布三百匹、以肅爲孝廉、向爲主簿。

(『三輔決録』巻二)

三遷、桓帝時為南郡太守。先是融有事忤大將軍梁冀旨、冀諷有司奏融在郡貪濁、免官、?徙朔方。自刺不殊、得赦還、復拜議郎、重在東觀著述、以病去官。

(『後漢書』列伝第五十上、馬融伝)


後漢の儒学者として有名な馬融の醜聞。

馬融は部下の吏から金品を受けて孝廉や主簿にしてやったという。

この件は『後漢書』によれば大将軍梁冀が罷免に追い込むためのものであったらしいので、本当かどうかという問題も無いでもない。

ただ、当時の太守と部下の吏たちの関係について考える上で一つの資料になるのではないかと思うのでメモしておいた。

10:世界@名無史さん
12/03/28 09:15:50.47 0
まぁ賄賂はどの王朝も仕方なかろう。
魏の中護軍は腐敗していて、蒋済に到っては値段を公言して武官の職を売っていた上に馬融と違って摘発されてないようだから。

11:世界@名無史さん
12/03/28 09:22:07.33 0
時代が下がるごとに孝廉が減る理由は簡単。
孝廉が20万人に一人しか推挙されないからだろう。
後漢末期から魏晋南北朝は人口激減期だからね。

12:世界@名無史さん
12/03/28 10:03:52.48 0
馬融は盧植や鄭玄の師だから、劉備や公孫サン、あと曹操の腹心のチ慮や崔エンの師匠筋に当たるね。

13:世界@名無史さん
12/03/28 12:05:04.80 0
>>11
ああ、新末後漢初と三国の双方の時期で激減してるのはそれが大きいのか。

14:世界@名無史さん
12/03/28 12:37:16.08 0
光武帝は別に儒教を重視したんじゃなくて、戦乱で減った分を補充しようしただけ。

15:世界@名無史さん
12/03/28 12:43:39.68 0
いや、露骨に儒教重視しているがな。
祭礼の手順を定めたり封禅もしてるし、太学も建設してる。
孝廉制の重視も決めている。

何故か知らんけど光武帝信者は儒学嫌いが半端無いが、あれを儒学から切り離すのはどうやったって無理。

16:世界@名無史さん
12/03/28 13:15:18.27 0
でも後漢の順帝の頃になると「やっぱり孝行と廉潔だけじゃだめだ。経術や箋奏の試験もやるから」ということで審査基準が変わってる。
なお、奸臣梁冀はこの試験が始まる前にコネで出世している。

17:世界@名無史さん
12/03/28 16:12:54.01 0
>>15
そりゃ~光武帝には頼れる譜代の家臣が少ないからだろ?
太学は自分に忠実な官僚団を育てるためだし。
でも孝廉制の重視ってのはどーよ。
孝廉の審査基準は前漢の武帝の時代からあんまり変わってないんじゃ。

18:世界@名無史さん
12/03/28 18:07:30.66 0
>>16
孝廉制については色々難しい所もあるが、そもそも元から孝行と廉潔だけを察挙していた訳ではないとする説が根強い。
あと、後漢後期の制度に課試制があるのは事実なんだけど、試験については前漢から行われていたとする説もある。

東晋次氏は『後漢時代の政治と社会』に後漢代の孝廉に関する先行研究として、二つの説を引いている。

福井重雅氏の『漢代官吏登用制度の研究』の漢代の用例に基づいた字義の検証によると、
「孝=儒術的官吏」「廉=法術的官吏」となるとした。
またこれと違う論として、永田英正氏の「漢代の選挙と官僚階級」を引いて、
孝廉制は選挙の諸科を全て含む可能性を挙げている。
四科のうちの第三科に「明曉(達)法令,足以決議,能案章覆問,文中御史。」とあるため、
どちらにしろ孝廉制全体について言えばもとより法に詳しい人間についても登用しているといえる。

このうちの後者の説で行けば、試験は両漢を通じて為されてきたと見る事も出来る。

19:世界@名無史さん
12/03/28 18:10:24.36 0
>>17
孝廉制重視に変わっている。
衛宏『漢旧儀』によると、武帝期の丞相故事として
「第一科曰徳行高妙,志節清白。二科曰学通行修,経中博士。三科曰明曉法令,足以決議,能案章覆問,文中御史。
 四科曰剛毅多略,遭事不惑,明足以照姦,勇足以決断,才任三輔劇令。皆試以能,信然後官之。」
とあり、前漢期の四科では光武帝と違い全てに孝悌廉公は求めておらず、先にテストで能力を見た後、その対象の官に任じたようだ。
またこちらは選挙不実の場合
「称才量能,不宜者還故官」
と、もとの官に戻されることになっている。

応劭『漢官儀』に引く、光武帝の「中興甲寅詔書」に、
「方今選挙,賢佞朱紫錯用。丞相故事,四科取士。第一科曰徳行高妙,志節清白。二科曰学通行修,経中博士。
 三科曰明達法令,足以決議,能案章覆問,文中御史。四科曰剛毅多略,遭事不惑,明足以決,才任三輔令。
 皆有孝悌廉公之行。自今以後(中略)務授試以職。有非其人,臨計過署,不便習官事,書疏不端正,不如詔書,
 有司奏罪名,並正挙者。」
とあり、光武帝以降は、孝悌廉公を四科全ての人間に要求し、能力をその職に就かせた上で問うていて、
更に前漢と異なる部分として、その科目の才能がない者、計算を間違う者、官の習慣に習熟できない者、
書類の形式が整わない者、詔に従わない者は選挙不実の罪に問われ、察挙者被察挙者共に刑に服することになったようだ。

ちなみに引用は中華書局『漢官六種』に拠る。なお異体字はなるべく簡単な物に直した。

20:3,7,15,18,19
12/03/28 18:35:48.69 0
ちなみに魏晋南北朝の孝廉制を流し見ての印象なんだけど、
運用から見ても単純に「孝行と廉潔」というよりは、劉頌など、儒法両面の印象も強いから、
実際に最初から儒術と法術を元に建てられていた可能性も高いと思う。

21:世界@名無史さん
12/03/28 18:38:50.24 0
>>19
>光武帝以降は、孝悌廉公を四科全ての人間に要求し、能力をその職に就かせた上で問うていて、
>更に前漢と異なる部分として、その科目の才能がない者、計算を間違う者、官の習慣に習熟できない者、
>書類の形式が整わない者、詔に従わない者は選挙不実の罪に問われ、察挙者被察挙者共に刑に服することになったようだ。

前漢よりさらに厳しく人格と実力をみるようになったってことじゃん。

22:世界@名無史さん
12/03/28 21:44:53.12 0
孫権が孝廉なんだよね。
親父の敵討ちが聞いたのかな。

23:世界@名無史さん
12/03/28 21:58:31.52 0
推挙したのは朱治だぞ
軍閥内の拍付けだよ

24:世界@名無史さん
12/03/30 16:52:41.48 0
6年も喪に服した袁紹が孝廉に上がってないのは何で?

25:世界@名無史さん
12/03/30 16:58:47.05 0
ていうか、袁紹の「奔走の友」で孝廉に挙げられてるのって曹操だけだ。
意外と袁紹チームって地位低い?

26:世界@名無史さん
12/03/30 19:14:42.86 0
孝廉に推挙されると皇帝に宿衛する郎官の道を歩む。
袁紹は二十歳でとっくに郎官になっている。
まあ、孝廉郎官と他のルートでの郎官は出世に差があったようで、この辺は傍流の袁紹と本流の袁術の格差だろうが。
しかし、袁紹はその後、県長まで昇ってから喪に服したので孝廉になる段階はいささか通り越している。
しかも、喪が明けると洛陽に陣取って名士と交流し、食客を養って宦官や中官の警戒を買う始末。
その後は汝南に逃れて反黨錮の地下活動に尽力。
「袁紹グループ」ってのは、後漢朝廷健在の時代はそういう非宦官・非主流青年の集まりだったので、出世の道はお察しください。

どら息子の曹操が孝廉なのは、かの大宦官曹騰の孫ってことからお察しください。
そういう出身に関わらず、郎官として洛陽に登ってから堅物酷吏の橋玄や袁紹らに接触して
名声を獲得していった、というのが曹操の面白いところだね。

27:世界@名無史さん
12/03/30 19:24:09.45 0
八俊と称えられたの張バクまで孝廉じゃないというのは意外だ

28:世界@名無史さん
12/03/30 20:01:53.63 0
>>27
辟召は格から言って孝廉のかなり上だよ。
人口最盛期には孝廉は毎年二百数十名。
辟召は数名から十数名。

29:世界@名無史さん
12/03/30 21:03:19.51 0
いやそれは格ではなく単に高位の人物が有望な人材を招く国家の人材登用としては例外的なものだからだろ

30:世界@名無史さん
12/03/30 21:22:05.98 0
あー言えば、こー言う
こんなのばっかだな、このスレ

31:世界@名無史さん
12/03/30 22:24:45.72 0
ごめんね

32:世界@名無史さん
12/03/30 22:59:24.18 0
>>29
数が少ないと例外的? なんで?
例外的だと格上じゃなくなる? なんで?

33:世界@名無史さん
12/03/30 23:03:43.22 0
しかも「高位の人物が有望な人材を招く国家の人材登用としては例外的な」
辟召を受けた張バクが「地位低い?」とこれ如何に。

その場の思い付きを場当たり反応で誤魔化そうとするとこうなる。

34:世界@名無史さん
12/03/30 23:20:10.66 0
>>33
孝廉ルートよりもえらいのそれ?

35:世界@名無史さん
12/03/30 23:25:29.60 0
>>22>>23
孫策の伝曰く、曹操の懐柔策らしいぞ

36:世界@名無史さん
12/03/31 00:06:36.31 0
辟召ルートでの出世は辟召した人の地位がダイレクトに効いてくるので。
招いた人が失脚したり死んだりしたら途端に価値なくなる。

37:世界@名無史さん
12/03/31 00:26:46.45 0
>>34
孝廉は、そこから県長や丞、地方の二百~三百石官になるのが常道コース。
辟召ってのは召された瞬間に公府の二百~四百石の掾属になれる。
のちには御史のような皇帝直属にも栄達できる。

>>36
推挙者の連座で免官になるのは孝廉も同じ。
公から繋がる人脈は当然重要だが、
辟召はそれによって朝廷内に占める地歩だけでも孝廉などより遥かに有利。

孝廉というのは、倍率からすれば国家公務員一種並のエリートだけど、
漢の察挙制度では最もありふれたもの。
茂才とか有道・博士弟子などの推挙の方が価値が高い。

38:世界@名無史さん
12/03/31 00:45:03.70 0
孝廉で出世した人はたくさんいるけど、辟召で出世した人はかなり少ない気がする。
質的にはどっちが上?

39:世界@名無史さん
12/03/31 02:59:52.19 0
五井氏の「後漢時代の官吏登用制『辟召』について」が後漢の三公の昇進経路を集計してて
桓帝期には孝廉から6人、辟召から6人
霊帝期には孝廉から3人、辟召から3人
献帝期には孝廉から3人、辟召から1人

質的にどっちが優位かは明らかでないとしても、数的には孝廉と辟召とでいい勝負かな
また孝廉で決まる昇進は郎官までだったからこれだけではさらに昇進するための絶対条件とはならなかったとか
辟召は孝廉のようには選考基準が一定ではなく辟召者の意志による分昇進には有利だったとか指摘されてる


40:世界@名無史さん
12/03/31 07:49:11.05 0
曹操の挙兵を助けた衛茲は孝廉、鮑信は何進に辟拜(辟召と同じ意味?)されたらしい。
そして曹操自身も孝廉。
曹操集団は意外と粒が揃っている。

41:世界@名無史さん
12/03/31 08:54:41.79 0
うむ

42:世界@名無史さん
12/03/31 15:39:11.87 0
諸葛亮が出師表を出す前は、三国それぞれ平和でありましたな

43:世界@名無史さん
12/03/31 20:32:04.36 0
>>32
高位高官が特定の人材をスタッフとして招くわけだから
選挙がメインの後漢で見れば例外的な雇用でしょ
それとも後漢ではメインの採用方法だとでも?

格が高いから少ないのではなく単に招く権限持ってる人の絶対数が少ないだけで
その数の少なさを理由に格の高さを云々とは言えないよ

あと張バクに関して地位が低いとか言ってるのは俺ではないんで
単に>>28の論法がおかしいって言ってるだけなんだわ

44:世界@名無史さん
12/03/31 22:00:33.98 0
>>39
それって辟召経験者が三公になれる確率は、孝廉のみの20倍はあるってことなんだが

45:世界@名無史さん
12/03/31 22:14:57.28 0
>>43
自分で調べもしないくせに人の字面だけへの反論屁理屈ウザッ。
しかもでかい態度そのままで逃げの手かよ。
じゃあ辟召がどんなもので当時どんな価値があったのか自分で考えてみる能力も気力もないの?

けだし東漢時、選挙辟召みな以って入仕すべし。
郷挙里選を以って序にしたがい進む者、選挙なり。
高才重名以ってふみ昇る者、辟召なり。
ゆえに時の人なお辟召を以って栄となすという。

文献通考第三十九選挙考

46:世界@名無史さん
12/03/31 22:57:48.23 0
>>45
つまり数が少ないことは格とは何の関係もなかったわけだ
めでたしめでたし

47:世界@名無史さん
12/04/01 01:57:51.02 0
めでたくねえよ。
低脳無価値な一行レスに釣られた時間を損しただろ

48:世界@名無史さん
12/04/01 03:16:18.05 0
数と格が無関係なのを強引に結び付けてたのに自覚できないでいたんだろう?
論理の狂いを指摘されて気付けたんだから損じゃなくてむしろ得だよ
めでたしめでたし

49:世界@名無史さん
12/04/01 11:51:04.59 0
それマジレスなのか…
この板で「それは格ではなく」とか「例外的なもの」だとか思わせぶりなこと言うからには、
辟召について基礎知識があるものと思うんだよ。
孝廉と辟召とを受けた者のその当時の名声の差とか、出仕して任官するポストの差とか。
三国志か後漢書をざっと読めばそのくらいのイメージは掴めるだろ。
孝廉の20万人に一人という割合でさえ、六桁の官吏を擁した後漢代において
いかに、君のいうところの「例外的」な登用制度だったのか、なんて計算してみれば判るだろう。
ここは歴史板なんだからさ。

その知識がある者同士の会話だと思ってたのに、ところが、ただの無知による揚げ足取りと来たもんだ。
その場の思い付きを場当たり反応で誤魔化すのは、このスレではやめてくれな、本当に。

50:世界@名無史さん
12/04/01 12:03:08.94 0
まあ、>>37で既に辟召の高価値に触れられているのに、無視して>>32にレスする辺り、
辟召がどうこうってのは本気でどうでもよくて
揚げ足とって言い負かすことにしか興味なかったのだろう。

51:世界@名無史さん
12/04/01 12:06:18.95 0
しかし後漢末期の地位ある人物で、辟召で出世した人ってあんまりいないだろう。

52:世界@名無史さん
12/04/01 13:30:29.91 0
>>49
思わせ振り?
数の少なさは例外的な採用方法に由来するもので
格式の高さによって少数になってるわけでもないのに
人口比で考えるからおかしいって述べてるだけなんだが何かおかしいかい?

価値が高い低いって言ってるわけじゃなくて
数の多い少ないが格の高い低いと関係してるかのような説明がおかしいってこと言ってるだけなので
揚げ足じゃなくて他人と議論するなら正確に説明しろって言ってるだけなんだがね

53:世界@名無史さん
12/04/01 14:07:14.50 0
本当シャドーボクシング好きだな、お前ら…

54:世界@名無史さん
12/04/02 01:27:37.11 O
話題の上ってる孝廉・辟召ですが、いわゆる文官というか官吏の出世コースだったのは分かるのですが、武官の場合はどうだったのでしょう?
士大夫階級で出世して将軍位を貰ったような人と、いわゆる「軍人」というか、現場の才覚でのし上がった人は毛色が違うような気が…
劉巴のエピソードのように厳然とした階級の違いがあったのでしょうか?
後漢末~三国時代は軍事の才能が重要な時代だったと思うのですが、軍人の地位向上というか、エリート軍人の出世コースみたいなものがあったのでしょうか?

55:世界@名無史さん
12/04/02 02:13:54.13 0
叩き上げ軍人は敵のいるところが出世コースなんじゃない?

エリートは中央の宮殿や要人の警備、親衛隊みたいな役目から軍人として出世してくのかな
結構中郎将とかになってる人いるよね

56:世界@名無史さん
12/04/02 03:12:37.89 0
黄巾の乱まで、武官経験のみの叩き上げ軍人が出世できた例は極めて少ない。
異民族対策ぐらいしか仕事ないし、その人たちですらろくに将軍位はもらってない。


57:世界@名無史さん
12/04/02 04:42:23.48 0
>>56
将軍、となると途端に厳しくなるな
叩き上げっぽく見える人でもさりげなく太守とか県令とか経験するし
武力を背景にした慰撫をするのだろうけど確かに武官ではないんだよなぁ

58:世界@名無史さん
12/04/02 07:42:46.49 0
>>54
この時代は、乱世でなければ高級武官って存在が殆どいない。
将軍は官僚がなるもの。
ただ、前漢には羽林・期門という宿衛の郎官があり、
六郡の良家の子弟から選ばれ、名將が多くこれよりいずる、という。
ただし、隴西、天水、安定、北地、上郡,西河という西北の習俗に通じた騎兵の素養が高い者に限定されるが。
実際、趙充國、甘延壽と言った史書に残るクラスの名将が羽林の出身で、
李廣もまた「以良家子從軍撃胡,用善射,殺首虜多,為郎,騎常侍」と、羽林郎になったのであろう
記述がされている。

後漢ではこの出世ルートはほぼついえたようだが、
末期になって董卓を輩出する。


>>52
>>29がそんな偉いお言葉に見合うほど立派で正確なレスだったら良かったのにね。
「実は俺はこういうつもりだった。始めから正確に説明しないお前が悪い」
とか後から言っておかしさを感じない?

59:世界@名無史さん
12/04/02 10:36:51.01 O
なるほど。後漢当時の武官の仕事は西方(北方)の異民族対策が中心で、しかも基本的には武官の仕事のみでの出世は難しいということですね。
軍功名高い皇甫嵩も孝廉がスタートだしなあ。
羽林郎という武官がスタートの董卓が、王朝崩壊のとどめをさしたのは何だか象徴的ですね。

60:世界@名無史さん
12/04/02 12:34:47.85 0
>>58
はあ?
ハナから単純に数の違いであって格じゃないって言ってるじゃん
それに反論が付くから何言ってんの?って解説をわざわざしてるのであって
基本的には君の論旨が狂ってるってことだけが問題なんだよ

61:世界@名無史さん
12/04/02 12:43:32.57 0
やれやれ。人の追求だけご立派なお子様か

62:世界@名無史さん
12/04/02 12:52:43.18 0
まあ、長々と説明してくれたお陰で齟齬の原因はわかったよ。
後漢の登用方法が「選挙がメイン」で「辟召は例外的」という勘違いをしていたから
>>29のような舌足らずなレスになってしまったんだね
言葉は大事だねってことで。

63:世界@名無史さん
12/04/02 13:03:42.84 0
>辟召は例外的

いやその通りでしょ。

64:世界@名無史さん
12/04/02 16:03:08.69 0
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。

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読売新聞東京本社 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1

東亜日報   、、、  〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)

日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←NHKの社員がよくチカンやヤクで捕まるのはここの工作員

640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品
①『監査法人 (2008)』反体制・反社会
②『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
③『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

65:世界@名無史さん
12/04/02 17:28:46.53 0
一般的な採用は選挙だしそれから見れば例外的な採用だろ


66:世界@名無史さん
12/04/02 21:26:35.93 0
普通に考えると、孝廉の方が数が多い分質も高いのでは?
20万人から1人が選抜され、その中で更に競争して高い官位をもらう者の方が優秀だろう。

67:世界@名無史さん
12/04/03 06:25:59.94 0
竹島に韓国軍を置かせるように言ったのも朝鮮人だらけの民主党だからな
未だに勝手に侵犯しているなんて考えの人は居ないよな
もちろんJAL、エルピーダは民主党による国策倒産
ここら辺は新聞読んでちゃ判らない


「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
 【殺された石井こうきの発言から】

そうか、統一教会、朝鮮総連、民団→朝鮮人だらけの民主党
すべて繋がっている

68:世界@名無史さん
12/04/03 20:38:03.88 0
ま~た、シャドーボクシング\(^o^)/ハジマタ

69:世界@名無史さん
12/04/04 08:57:41.48 O
将軍位もってて群雄化した最初って袁術?
この人も孝廉だよね。

70:世界@名無史さん
12/04/04 11:03:50.09 0
僅かながら選挙の匂いが漂ってまいりました。

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                    ||                      |
                    ||   ちょっと待て .  .     .|
                    ||         .           |
                    ||    その民主党員  . |
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                     '"´: : : : : : : : :`丶 . 帰化鮮人|
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71:世界@名無史さん
12/04/04 18:24:11.09 0
>>69
群雄化の定義がわからん
どういう状態になることを群雄化というの?

72:世界@名無史さん
12/04/04 20:43:40.67 O
>>71

曖昧な言葉を使って申し訳ない。
ある程度の兵力や権威をもって地方に割拠した状態?(漢王朝に反旗を翻した所謂「賊」は除いて)
で考えてました。

そしてその契機はやはり反董卓で関東の諸侯が挙兵した時かなと。
それら諸侯の多くは太守、刺史、国相だったと思うので、現役?の将軍職は袁術だけかなと。

73:世界@名無史さん
12/04/04 20:49:25.44 0
>>72
反董卓の関東諸侯の反乱は形式上は完全に「漢王朝に反旗を翻した賊」なのだけども
その辺の区別はどうしたもんじゃらほい

74:世界@名無史さん
12/04/04 20:59:19.86 0
僅かながら選挙の匂いが漂ってまいりました。

                    _____________
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75:世界@名無史さん
12/04/04 21:47:17.85 0
ことに袁紹なんて新皇帝をたてようとしているからな。
立派な反逆者だ。


76:世界@名無史さん
12/04/04 22:38:56.58 0
>>75
劉秀だって新皇帝俺を立てたんだから別にいいんじゃね

77:世界@名無史さん
12/04/04 22:40:50.59 0
1 名無しさんにズームイン! [] Date:2012/03/28(水) 08:28:15.02 ?ID:NWYs/2ZP Be:
 やらなけゃいけない
 電○の各局への圧力が半端ないんです
 昨日、一昨日前田AKB卒業ネタやった情報番組全てが前田AKB卒業ネタ中の毎分で視聴率がダダ下がりしました。
 各局本音では毎分視聴率ダダ下がりするこのネタははやりたくなかったけど原子力村以上に電○からの圧力が凄いんです

ブーム捏造、枕営業、自社買い、サクラの動員そして
AKBの捏造ブームのために税金が大量に使われている証拠がこちら

やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その124
スレリンク(morningcoffee板)
テレビの捏造ブームに騙されるな


78:世界@名無史さん
12/04/07 11:41:44.92 O
bayfm78~

79:世界@名無史さん
12/04/07 15:33:11.21 0
「国の借金」について

日頃メディアや、反日工作員が必死になって「国の借金」という単語を使い
財政破綻論を展開させていますが、現実、現在の日本には「政府の借金」1000兆円近く存在いたしますが、
「国の借金」は存在いたしません。

朝日新聞やNHKは、雇い主である中国共産党より日本人に対して不安や政府に対する不信を持たせ、煽るために
局内の共産党員を使用して既に数十年間、「国の借金」を連呼し続けております。

<違和感なく「国の借金が1000兆円もある」という幻想に浸ってしまっている一般の方々は、朝日新聞やNHKに見事に騙されて続けている訳です>

数十年もテレビや新聞から情報を得てきた方々の中には、「メディアが嘘を付く訳ない」と思う、そう思いたい方もいるでしょう。
  しかし、長い目で見れば、もともと戦前から日本を転覆させるために存在してきた報道機関ですから、
これくらいの嘘は朝飯前で御座います。

それでも、「国の借金は1000兆円ある」と考えをお持ちの方は、複式簿記の勉強をしてから、日本のバランスシートをご覧ください。
 
  実質中国共産党の持ち物でありますNHK、朝日新聞は、これからも嘘を付き続けます。デマを流し続けます。捏造し続けます。
   
 ---そのニュース 核心は”デマ”だ。       長文失礼いたしました。---


80:世界@名無史さん
12/04/07 15:37:27.99 0
27スレも話し合うことなんかあるのけ? 三国志で??

81:世界@名無史さん
12/04/07 16:12:06.88 0
恋姫の話とか一騎当千とかいろいろあるだろ

82:世界@名無史さん
12/04/07 16:35:56.09 0
>>81
そういう話はここでは厳禁だろ。


83:世界@名無史さん
12/04/07 19:15:59.78 0
漢代の登用のメインは人事担当官の選任による。
昇進は功労考課制。
官吏の95%以上は選挙なんて経験しない。
選挙というのは現代日本の国家公務員一種以上のエリートを抜擢登用する
例外的な制度。

84:世界@名無史さん
12/04/07 23:52:15.15 0


全国紙社内でも
共産党員の人数は、一位が朝日で212名、二位が毎日で151名、三位が
日経で131名、四位が読売で12名、最下位が産経で11名であった。この順位を見ると
反米や中朝賛美、防衛アレルギーや自虐史観を喧伝する
左翼傾向の度合いと、共産党員数はピッタリと重なっている。
朝日と毎日については実数はその何倍にもなるとのこと

  要するに朝日や毎日なんかは共産党員がつくっている新聞であり、「赤旗」と何ら変わりない(477頁)

 NHKには内部に22の共産党支部があり、昭和63年の調査では東京都下だけでも、98名
以上のキャスター、アナウンサー、ディレクター等が共産党員であることが確認されている。
この共産党員数は、テレビ朝日やTBSと並んでテレビ業界の上位3位に入るものである。

つまりNHKが反日左翼史観プロパガンダ番組を放送し続けるのも、共産党の指示に沿っての
ことなのだ。自由主義国で公共放送を共産主義勢力に支配されているのは、日本と韓国、
この2カ国だけである
≪祖国を蝕む「内なる敵」を斬る!≫


85:世界@名無史さん
12/04/08 13:29:11.06 0
陳寿は、裴松之のように皇帝から「もっと面白い話をいっぱい載っけろよ」とか言われたわけじゃないし
三国志時代を生きた自分から見て、ウソは書かない、ウソっぽい事も書かないってポリシーと誇りをもって書いてる

86:世界@名無史さん
12/04/08 13:51:19.57 0
そして彼の陳寿の故郷の蜀書は、見るも無残にぺ~らぺら、薄~いものになってしまったとさ

87:世界@名無史さん
12/04/08 18:04:00.30 0
とはいえ陳寿も人の子
魏呉に比べて蜀書が薄くなりすぎたのを気にしたのか、
季漢輔臣賛を付して量を補おうとしている

88:世界@名無史さん
12/04/09 05:00:39.82 0
>>83
なるほど
それよりもさらに少ない辟召ってのは
さらに少ない例外中の例外だったわけか

でもそれってやっぱり格の違いとは違うよね
数の少なさを理由に格の説明はできないと思うのだけど

89:世界@名無史さん
12/04/09 11:29:42.91 0
中国ドラマ 三国志 Three king doms
BSフジ 月~金 17:00~17:55
全95話(吹き替え版) 無料放送

三国志 OP
URLリンク(www.youtube.com)

90:世界@名無史さん
12/04/09 13:25:16.51 0
呉懿とかは外戚・高官で、しかも戦功ある将軍だったのに、
何故か資料が無いというのは変な感じがする。名が懿だったから、
壱と名前を変えた上に、列伝に残すのをためらった感じがする。

孫乾や簡擁なんて略歴程度の記載しかないのに伝記が残っている。
呉懿の季漢輔臣賛程度の記述と、官位の昇進を記載し、呉班について
を書けば列伝できそうな気がする。

91:世界@名無史さん
12/04/09 17:20:34.15 0
蜀志を読んだときのあるある

・劉備の前になんで劉焉伝?劉備三兄弟の活躍は?
そして関係ない劉焉伝をちょっと読むが飽きて途中で劉備伝へ飛ぶ。
・関羽伝なんでこんなに短いの?
・ていうか張飛伝は短いどころかじゃないんですけど?メモ書きレベルだよね?

92:世界@名無史さん
12/04/09 19:34:30.27 0
>>90
なんで張昭とか名前も変えずためらいもせず列伝に残されたんだ?

93:世界@名無史さん
12/04/11 03:28:53.18 0
避諱と伝を立てる立てないは関係ない気がするが
陳寿は蜀は自分の言葉で書いて、呉はほとんど書き写した
状況が違う

94:世界@名無史さん
12/04/11 15:33:56.11 0
楽進伝や黄忠伝も短い

95:世界@名無史さん
12/04/11 17:47:38.57 0
呉懿も陳寿が避諱したとは限らないしな。
三国の志が別々に所蔵されていた時代もあるから、
裴松之に至るまでに違う人間が写本すれば文字も異なってくる可能性がある。
漢魏の頃は公文書等以外での避諱は厳しくなかったという研究もあるし。
いつ頃から厳しくなったかというと詳しく知らないが。

96:世界@名無史さん
12/04/11 20:01:33.40 0
趙雲伝も別伝なければマジ短い。
ほぼ略歴表といった感じ。二代目皇帝の命の
恩人ということで、諡号をもらった感じなのかな?



97:世界@名無史さん
12/04/11 21:42:34.93 0
趙雲は老将のイメージが強い。

98:世界@名無史さん
12/04/11 22:08:04.31 0
そりゃあ40年近く歴史の舞台に立っていれば死ぬときはたいてい老人だわな

99:世界@名無史さん
12/04/11 22:47:19.58 0
趙雲は二代目皇帝の命の恩人でも当の本人に特に大事にされた様子はないな
諡号も姜維らの進言によるものらしいし

100:世界@名無史さん
12/04/12 00:27:57.51 0
劉備没後の諸葛亮時代に出世してないかね?

101:世界@名無史さん
12/04/12 00:30:32.84 0
>>100
何故「劉禅時代」じゃなく「諸葛亮時代」というのかね?

102:世界@名無史さん
12/04/12 04:18:39.85 0
李厳が免官されるまでは、他の人が
李厳を越える官位になることは基本的にはなかった。
趙雲存命当時は、李厳は前将軍だから、他の人はそれ以下の
官位にしかなれない。諸葛亮の執政時代は意外と急ピッチに
官位を上げ、魏延と同等まで地位を上げられた印象。

103:世界@名無史さん
12/04/12 06:19:31.91 0
>>101
劉禅時代はその政権を担う宰相の性質によって大きく様変わりするから
趙雲が生きてるのは諸葛亮時代だけだから本当は気にしなくてもいいのかもしれないが

104:世界@名無史さん
12/04/12 16:06:21.33 0
つまり趙雲は諸葛亮には優遇されたかもしれないが
劉禅に優遇されたとする材料には乏しいんだろ

105:世界@名無史さん
12/04/12 18:21:54.17 0
諸葛亮時代に劉禅個人に優遇されたと言える人間を探すほうが難しい。
諸葛亮その人くらいだろ。

106:世界@名無史さん
12/04/12 18:44:15.18 0
リューゼンさんは委任するしかノーがない

107:世界@名無史さん
12/04/12 19:19:07.75 0
後主は斉桓に亜ぐ

108:世界@名無史さん
12/04/13 16:10:13.17 0
斉桓に亜ぐとかいくら晩年が酷いからといって桓公がかわいそうだ
自分を殺そうとした男を才能を認め宰相にしたような器の大きい君主だぞ
しかも劉禅と違って春秋時代で一番戦の回数が多いぐらいの軍人君主なのに

109:世界@名無史さん
12/04/13 16:18:13.26 0
劉禅も酷いのは最後の数年くらい。
晩年は暴君レベルにまで転落した孫権よりもマシなような気がする。

110:世界@名無史さん
12/04/13 20:07:26.02 0
黄色い宦官の人も具体的な悪行はない
生姜繊維が沓中でふらふらしてたのが悪い。

111:世界@名無史さん
12/04/13 20:14:33.10 0
姜維は成都に居場所が無くなって追い出されてから沓中行ったんだよねこれが。
まあそれも魏の最後の侵攻の1、2年前のこと。

112:世界@名無史さん
12/04/13 20:21:24.03 0
無能な劉禅と黄 皓のせいで蜀は滅んだ


113:世界@名無史さん
12/04/13 20:23:31.91 0
姜維は蜀のために最後まで頑張ってたな

114:世界@名無史さん
12/04/13 21:00:50.71 0
106=110=112=113

115:世界@名無史さん
12/04/14 07:17:27.56 0
段谷の戦いでの将官クラスの大量戦死が大きかった。
兵員はなんとかかき集められても、司令官クラスは簡単には
補充できない。防衛システムもガタガタになってしまった。

116:世界@名無史さん
12/04/16 02:44:31.06 0

 <=( ´∀`)  
 (    )  朝鮮人は宇宙一ニダ
 | | |   
 〈_フ__フ


  Λ_Λ    
 < ;`Д´>  あ…
 (    )ポロ 
 | | |  ヽヽ
 (__フ_フ =( ´∀`)

朝鮮人だらけの東京のテレビ局が日夜流す、デマや歪曲に騙されないようにしましょう。


117:世界@名無史さん
12/04/17 20:29:13.23 0
ふとした疑問だが、沛国のショウ県とかで2年の免税とかあったらしいが
その間に移住した住民は免税になるのだろうか?
それとも戸籍管理とかしっかりしてて引っ越し禁止とかになってたのだろうか?

118:世界@名無史さん
12/04/17 20:33:13.31 0
移住したその年の内にほいほい土地購入して耕して収穫して免税受けて、
2年で差し引きプラスに出来るんならそれ目当てで移住してもいいんじゃない?


119:世界@名無史さん
12/04/19 19:53:38.55 0
曹操は、費亭侯に封じられたみたいな書き方だけど、
費亭侯は相続できなかったの?
そもそも親父は相続できてたんだろうか?
ついでに、武平侯は、当初から3万戸?

120:世界@名無史さん
12/04/19 20:57:35.26 0
曹騰が継いでいたかはわからんが、朝廷の権威の及ばない時期にあの死に方では
曹操が相続すると言うより勝手に名乗ったという形式になる。
曹操はそれをせず、皇帝を確保してから改めて正式に相続したってことだろうね。

121:世界@名無史さん
12/04/19 22:20:04.34 0
蜀降伏時の、人口九十何万ってのは、官吏や兵士の家族は別立てなのかな?
人口の1割が兵士って、いくら酷税でも無理がないかな?

122:世界@名無史さん
12/04/19 22:35:10.45 0
先進兵器山盛りのイスラエルが、人口700万に対して常備兵16万(2%)。
予備役も含めて57万(8%)。

複雑な兵器を持たない古代国家の動員力は
ある程度頑健な成人男性を総ざらい出来るくらいあったわけで、
徴兵制の国家で国民の1割が武装を持っているってのは別に不思議ではない。

ていうか魏(晋)も呉もそのくらいの比率の兵士がいた。
蜀漢は当時の時代並でしかない。

123:世界@名無史さん
12/04/20 01:09:46.32 0
戦国時代の日本は人口1200万
生産年齢数はだいたい500万ぐらい
その10%を徴兵すると50万
で、関が原の戦いでは、東西両軍が20万ぐらい
大阪の陣では30万
蜀の人口90万に対して10万は明らかに過酷、っていうかそんなに徴兵したらどう考えても農業が成り立たない
多分兵士10万って言うのは帳簿上の話だろう。

124:世界@名無史さん
12/04/20 01:40:25.74 0
>>123
徴兵制の仕組みを勉強しましょう。

125:世界@名無史さん
12/04/20 01:48:57.85 0
>>124
漢の徴兵ってなんか特殊なの


126:世界@名無史さん
12/04/20 01:51:16.38 0
イスラエルでもスイスでも韓国でも日本帝国のでもいいよ。
近代のものでも徴兵制というものを少しでも知っていれば蜀漢のことも想像できる。

127:世界@名無史さん
12/04/20 01:58:54.60 0
>>126
スイスとイスラエルは特殊例。
徴兵制の韓国軍は人口の1%ちょいの60万ですがなにか。

128:世界@名無史さん
12/04/20 02:00:16.31 0
>>123
ここでしているのは人口全体にたいする兵士の割合だからその計算は間違ってないか?
戦国日本の場合だと10%は120万でしょ。まあこれだとあなたの論を補強することになるけど。

関ヶ原は関ヶ原の戦いを単体でみるのではなくて関ヶ原の役全体で見るべきで
その場合関ヶ原だけで東西両軍が20万、その他に東北では上杉、最上、伊達、その他中小大名が在国で合計5万は優に超えそうだし
北陸でも東軍の前田・堀や西軍の青木らで合計数万、中仙道には秀忠の率いる東軍3万~4万
畿内及びその周辺には大阪城に秀頼直轄の軍や毛利輝元の本隊が計数万、
大津城攻めや田辺城攻め、さらには伊勢方面にそれぞれ1万以上とも言われる西軍がおり、
四国でも毛利がちょっかい出すわ、九州では島津の大部分や加藤が残留した上に黒田如水が1万も引き連れて暴れるわで
関ヶ原にいる各大名の領地に残ってる守備を考えたら五十万は動員されてそう。

ちょっと長く書きすぎたな。
ちなみに100石に対して6人の軍役を課されることはあった(確かそれ以上もあったはず)ので
100石あたりの人口が100人とすると兵士の割合は6%。
普通はもっと人口は少なかっただろうから7%くらいにはなっただろうか。

129:世界@名無史さん
12/04/20 02:04:42.23 0
>>127
人口比じゃなくて、徴兵制度ってものを理解してくれよと言ってるんだよ。
二十歳で徴兵された人間が30年軍隊暮らしの制度だと思ってたのか?

ついでながら漢の徴兵制ってのは家当たり徴兵比率的に旧日本軍越え。
イスラエルやスイスに近い。

130:世界@名無史さん
12/04/20 02:22:32.29 0
>>128
戦国末期は統一されると大量の浪人があぶれた専業兵士の時代だから
徴兵の農民兵の時代より動員限界が格段に低い。彼らは生産しないからね。
それでも数十万を動員できたのだから、当時の日本の生産力は半端じゃないな。

131:世界@名無史さん
12/04/20 05:47:02.23 0
把握できてた人口が90万人というだけ
実際の人口はもっと多い

132:世界@名無史さん
12/04/20 07:03:53.49 0
把握できてた人数以外の人間を徴兵できるわけがないだろw
徴兵できるほど管理がしっかりしてるなら、それは普通に「把握している」と言う

133:世界@名無史さん
12/04/20 07:08:49.45 0
食うために志願兵になったんだよ

134:世界@名無史さん
12/04/20 08:03:24.14 0
>>129
横レスでしかも当時の徴兵制度に詳しくないんだが、
司馬懿が公孫淵討伐の時期に六十歳以上の老兵を退役させてるけど
この人らも臨時で集められたってこと?
なんとなく、長年兵士やっててそろそろ使えないから家に帰してやるか的な意味だと思ってたんだけど。

あと段谷で将のほかにもベテラン兵が多数死んだから蜀の戦力が低下したってのはデマ?

135:世界@名無史さん
12/04/20 11:12:10.06 0
>>134
自分は129じゃないけどそれは予備役じゃないの?

136:世界@名無史さん
12/04/20 20:05:31.35 0
なんか兵戸の場合は、息子とか弟とか代わりいれば、
もっと早く退役したんじゃないかって。
軍の方だって、どうせならよぼよぼの爺より若い方が良いよな。
濱口氏の本だった思うけど、そんなことが書いてあった。
あと個人の考えだけど、あまり高齢なのは後方任務じゃないのかな。
頭数も重要だけど、役に立たないのが前線にいるとかえって危ないような。

137:世界@名無史さん
12/04/20 20:34:46.10 0
>>134
それは遼東の寒さが厳しかったので60歳以上の兵を先に帰還させたって話だね
段谷の敗戦で、将兵の数的損失がどんな影響を残したかって話は無いと思うが。
まあ今の話にはあんまり関係ないか。

なんか通じてないみたいだから説明してしまうが、
徴兵制の有効な点ってのは、国民全体に広く(数年間の)軍事教練を受けさせることで、
豊富な予備兵力を継続維持できることだよ。
彼らは平時は家業に就いていて、段谷とか遼東征伐のような戦役に召集を受けて遠征に出る。
帰還したら軍は解散して家業に戻る。
漢の徴兵軍の主将たる「将軍」が「非常置」だったのはそういうわけ。

戦時が常態となる三国時代では、この徴兵(農民兵)軍に基本に士戸制・世兵制、屯田、部曲民と言った要素が追加され、
徴集に応じる義務を持つ代わりに公田を貸されてそれを耕す身分や、
豪族の土地を耕して糧を得る代わりに私兵ともなる田客が生まれた。私兵は勿論豪族に従って国の征伐にも赴いた。
輪番的に平時の防備に当たる兵士も赴任地で「秋冬習戰陣,春夏修田桑」と耕作して農業生産を確保した。

かくして生産と軍備の両立が図られて、蜀漢の「帯甲10万」とか呉の「兵23万」が実現する。
ちなみに「帯甲」ってのは国力の中の位置づけとして武装兵の保有数を語るときに用いられる言葉であって、
平時から前線や首都に張り付いて防備していたような数ではない。

138:世界@名無史さん
12/04/20 20:54:36.84 0
>>131
それも一つの特色だね。
たとえば祖父母・父母・子で五口の家に、男子二人の徴兵召集が来たら、その年の農業生産は壊滅してしまう。ように見える。
しかし、この家に戸籍に把握されていない10人の部曲民が存在していたら、
家の生産力には殆ど影響を及ぼさないし、租税も完納できるし、市場に出回る穀物量も減らない。ということになる。
大豪族なら国の求めに応じて部曲を率いて従軍することもある。

また、完全に戸籍の捕捉から逃れている家は租税を払うことはないが、少なくとも社会経済を循環させる存在である。

まあ一律こんな徴兵を敷いていたら小農の仮作農・田客化がさらに進行してしまうだろうが、ともあれ、
三国時代の「戸籍人口600万」の外にいた膨大な流民・田客・不服住民というのは、
三国の見かけの国力を超えた大きな軍事力を一助する存在ではあった。
もちろん、100%戸籍化して徴税・徴兵できた方が遥かに強いんだけど。

139:世界@名無史さん
12/04/20 20:58:16.46 0
>>136
ですよね。数も1000人とかでどうもおまけ扱いぽかったみたいだし。
>>137
詳しくどうもです。
忘れてたけど、今の徴兵制でも兵役は数年で家業に戻すもんだった。浅薄。

ただ、いつの時代でどんな題名の詩だったか思い出せないのだが兵士を題材にしたもので、
長年兵役に駆り出され、老いてやっと家に戻されたけど、周りはみんなしんじゃった
みたいな詩を読んだ記憶があって、それがなんとなく気にかかったのだった。
まあ、ちゃんと思い出せない以上どうでもいいのだが。

140:世界@名無史さん
12/04/20 21:27:44.39 0
専業兵士色が強い時代になるとそういうことも出てくる。
専業兵士だから地位が高いとは限らないわけで。

141:世界@名無史さん
12/04/20 21:28:18.19 0
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

①『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
②『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
③『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は




NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのだ。

142:世界@名無史さん
12/04/21 02:59:45.26 0
>>138
普通の一家が部曲なんて持ってるの?
そいつらは地主で、数も少ないんじゃないか。

143:世界@名無史さん
12/04/21 07:24:13.80 0
まあ一律こんな徴兵を敷いていたら小農の仮作農・田客化がさらに進行してしまうだろうが、ともあれ、
三国時代の「戸籍人口600万」の外にいた膨大な流民・田客・不服住民というのは、
三国の見かけの国力を超えた大きな軍事力を一助する存在ではあった。


144:世界@名無史さん
12/04/21 19:40:09.07 0
実際、曹操はその流民と化した青州黄巾を取り込むことで人的資源を確保してるし
劉備もまた荊州客将時代に足りなかった人的資源を
戦乱を逃れて荊州に逃げて来た流民を戸籍に組み込むことで確保している

初期の混乱期だからこそかもしれないがこの調子で流民を
勝手に私有民にしていった豪族、軍閥は山のようにいるだろうから
国籍以上に人はいただろうな

145:世界@名無史さん
12/04/21 20:35:52.61 0
>>144
>実際、曹操はその流民と化した青州黄巾を取り込むことで人的資源を確保

てか、青州黄巾って本当に狂信的な流民集団なの?
豪族や群雄が部曲率いてたのと何か違うのか。

146:世界@名無史さん
12/04/21 21:46:21.48 0
流民集団ではあった。黄巾の教えをどれほど原理主義的に守っていたかは怪しいけどね。
また、流民の頭目に豪族が選ばれることは当然あっただろう。

部曲・田客というのは、土地の貸与や衣食住・安全の保証、借金等の形で豪族の傘下に入り、自由を拘束された。
黄巾集団は「方」や「渠師」といった独特の単位役職を持ち、独自の祭祀で結束と社会性を維持した。

147:世界@名無史さん
12/04/22 04:00:39.83 0
>>146
しかしそんなこといったら曹操や袁紹だって流民集団ではないのか?
曹操とその部下たちはあっちこっち移動する(在地性がない流民集団)
曹操は自分についてくる民を土地を与える(土地の貸与・衣食住の保証)
曹操は自分についてくる豪族や民を守るため兵を派遣する(安全の保証)
曹操に自分についてくる豪族や民の自由を拘束し、食料徴収したり、兵役の義務を課す(自由を拘束)

148:世界@名無史さん
12/04/22 13:26:41.61 0
戦闘目的の軍集団を流民とは言わない

149:世界@名無史さん
12/04/22 13:42:39.99 0
黄色いスカーフの皆さんは戦闘目的じゃないのかw

150:世界@名無史さん
12/04/22 14:10:35.03 0
三十年戦争でも、荒廃すればするほど働く所を失った連中が傭兵へ

かくして金さえあれば戦力の維持はいたって容易でズルズルと。。。

151:世界@名無史さん
12/04/22 14:27:06.10 0
男女合わせて100万、うち成年男子30万って人口構成の集団を戦闘目的の集団とは言わないね


152:世界@名無史さん
12/04/23 07:11:27.08 0
>>150
偉大な戦略とか華麗な指揮とか勇敢な兵士とかまったく関係なく、
最後に一枚の銀貨を持っているものが勝利する

153:世界@名無史さん
12/04/23 07:38:30.25 0
>>151
ただの群雄だよね

154:世界@名無史さん
12/04/23 07:54:45.26 0
>>152
じゃあ、中国は何で北方民族に負けまくっているの?
匈奴、ウイグル、遼、金、西夏、チンギスハンのモンゴル帝国、
オイラート、タタール・・・・。全部中国より貧乏な国ばかりだよ。

155:世界@名無史さん
12/04/23 07:56:57.05 0
>>154
軍事に金使ってないから

156:世界@名無史さん
12/04/23 08:07:35.37 0
>>154
金だけが相手でも屈辱的な地位に甘んじてたのに、そこにチンギスハン軍団が加わったら負けるに決まってるだろw

157:世界@名無史さん
12/04/23 09:51:49.82 0
数万規模の流民集団なら中世ヨーロッパにも民衆十字軍と言う例がある
女子供を引き連れ、あっちこっちを略奪したり略奪されたり殺したり殺されたり。

158:世界@名無史さん
12/04/23 18:50:07.36 0
>>153
はあ?
家を中核とする社会共同体の緊急避難・保持を目的とする流浪集団ってのが
おまえさんにとっての「群雄」の定義なのか?

159:世界@名無史さん
12/04/23 19:40:06.65 0
>>158
数万の民を引き連れて○○に帰順した、って結構あるじゃんw
劉備も10万の民を引き連れてたしな。
曹操に妨害されなければ。

160:世界@名無史さん
12/04/23 20:49:54.52 0
>>154
金を集中した前漢は勝ってるじゃん

161:世界@名無史さん
12/04/23 21:08:32.63 0
>>159
じゃあなんで、まだ誰にも帰順してない状態の流民集団が「群雄」なんだ?

162:世界@名無史さん
12/04/23 21:21:44.30 0
>>154
それはいくつかの要素が重なって起こっている。
まず一つの誤解を指摘すると、それらの国は経済規模こそ小さいが、交易・遊牧民中心の国家が多いため、
経常利益に換算すれば、遊牧民側が中国の農耕政権に対して優位に立っていてもおかしくはない。

分かりやすい現代の例で例えよう。
先頃プロ野球関連の板で集められた、各親会社の売上高では
日本ハム 1兆323億円
DeNA     1127億円
となっているが、これが経常利益となると
日本ハム  296億円
DeNA    562億円
という、一見おかしなことをやっている。
前者の日ハムは典型的な巨大インフラを持った巨大企業であり、ぶっちゃけインフラや人的資源が莫大で、
多くの地域にインフラや人的資源を確保していること自体が大きな負担となっている。
また、生もののため現物の移動コストが大きいことも、経常利益を圧迫する原因の一つだろう。
後者のDeNAといったインターネット企業は、インフラ保有の必要が少なく、維持コストも移動コストもほぼ必要がない。

今回提示した日ハムとDeNAの例はもっとも違いが顕著な例ではあるものの、
これはそのまま、定住民である漢民族と交易・遊牧民の割合の多い北方民族の構造の違いといって良い。
移動コストはそのまま兵站に置き換える事も出来る。

つまり、純戦争・純経済といった側面で言えば、「地球が小さくなる」近代と違い、
古代~近世の定住民側は一種の遊兵的な資産を常に必要とする体制のため、遊牧民に対して圧倒的に不利なんだよ。

これは同時に、よく言われる「何故か分裂時代の方が統一時代より対遊牧民で優勢である」ことの理由の一つでもある。
趙の李牧や新末独立軍閥の竇融などの方が漢の李広より楽に匈奴を破れるのは、単純に遊兵が少なく即応性が高く
効率的に国家資産のほとんどを戦争に傾注することが容易のため、対応が遥かに容易だからなんだ。
岳家軍など軍閥が比較的戦果を挙げやすかったのもまた同じ理由だ。

163:世界@名無史さん
12/04/24 05:47:14.38 0
>>161
群雄って帰順するのが前提なの?w

164:世界@名無史さん
12/04/24 08:36:33.24 0
>>161
黄巾は曹操に帰順したから群雄の資格ありってことでいいすかねw

165:世界@名無史さん
12/04/24 17:36:19.73 0
>>164
そうなんじゃないかなw

>>163
もうわけわからんな。言語能力も構想力もない奴の相手をするのは大変だから
頭かち割って直接脳みそ覗けたらどんなにいいかと思う。

166:世界@名無史さん
12/04/26 10:18:14.57 0
劉備の優れた点は、女がらみで判断誤ったことがないこと。

167:世界@名無史さん
12/04/26 13:20:05.03 O
女がらみで失敗した奴ってだれだ?
曹操ぐらいしか思いつかない。

168:世界@名無史さん
12/04/26 14:46:22.51 0
孫権は娘の大虎を制御できずにニ宮の変起こしたし、
孫権の妻同士で血みどろの殺し合いもやってるよ。

169:世界@名無史さん
12/04/26 19:20:18.60 O
董卓

170:世界@名無史さん
12/04/27 03:59:01.22 0
一瞬童貞にみえた

171:世界@名無史さん
12/04/27 20:01:26.95 0
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

①『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
②『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
③『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は


NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのです


172:世界@名無史さん
12/04/28 12:27:53.95 0
劉備は根拠地を持てたのが晩年だからなあ。
古参の婦人も蜀を得る前に死んでるし、孫婦人は呉に帰ってしまった。
まあ、争いようもなかったかもしれない。

173:世界@名無史さん
12/04/28 20:39:10.58 O
しかし袁紹にせよ、呂布にせよ、夫人(妾?)の言葉で行動を決めた記録が残ってる。
この時代、家庭によっては意外と女性の発言権が強かったりするのかな?
後漢王朝も歴代皇太后が権力持ってるし・・・

174:世界@名無史さん
12/04/28 21:15:04.97 0
どこでも権力者の寵愛getで無双出来ますよ。

一般家庭でも跡継ぎを生んでしまえば、それなりに強くなる。
ってか、女性が本当に口を出せない時期の方が珍しくね?

175:世界@名無史さん
12/04/29 12:40:09.88 0
大抵、妻の方にも一族がいて発言力があるからね
劉備の場合、甘夫人がそういう富貴の出ではなく、
正妻になれなくて劉禅が赤子の頃に死んでいることと、
劉備の生来淡白な人となりが理由になるのだろう。

176:世界@名無史さん
12/04/29 14:11:19.78 0
生来淡白な人間は40年戦い続けて建国とかようやらんわ

177:世界@名無史さん
12/04/29 15:44:46.47 0
劉表の下で、かつての張繍みたいに曹操と戦い続けていた歴戦の武将やで。

178:世界@名無史さん
12/04/29 16:19:57.91 0
それは仕事や自分の野心の話だろ
今は劉備の私生活の話をしてるんだが




179:世界@名無史さん
12/04/29 19:58:38.83 0
>>178
性生活が淡白とか判断する材料皆無だぞ
人生の大半で安定しない生活を送った人は囲える女の数に限りがある

180:世界@名無史さん
12/04/29 20:08:06.85 0
曹操の子供や孫権の子供が生まれた時期を見る限り、子供が増えたのはやはり安定勢力になってからだな。
劉備は蜀ゲットしたときもう初老。
それでも劉禅の弟を何人か作ってるけどさ。

181:世界@名無史さん
12/04/29 20:31:40.10 0
>>179
人柄についての陳寿の記述があるだろ

182:世界@名無史さん
12/04/29 21:55:19.42 0
>>181
それで私生活について淡白だ、なんて記述あったっけ?


183:世界@名無史さん
12/04/29 22:06:57.27 0
劉禅と弟が二人、あと娘が何人かいたらしいので、劉備もやることはやってるのではないか。

184:世界@名無史さん
12/04/29 22:41:02.40 0
>>182
色々遊んだが不品行の類は無く、口数少なく喜怒を表に現さない

185:世界@名無史さん
12/04/29 22:44:11.10 0
あ、「性生活が淡白だ」なんて言ってないからね。
普通に女性関係はあったかもしれない、もしかしたらセックスだけなら強盛だったかもしれないが、これはよくわからない。
ただ、女関係や子供への情を軍閥としての判断に持ち込むような、ある意味で情の深い人間ではなかったことが伺えるってこと。

186:世界@名無史さん
12/04/30 06:41:17.91 0
劉封事件があったじゃん。

187:世界@名無史さん
12/04/30 07:48:31.38 0
単に嫡子>養子ってだけ
仮にも「副軍」の名号まで与えた養子をばっさり切り捨てた逸話だわな

188:世界@名無史さん
12/04/30 10:07:12.43 O
副軍将軍ってそんな格の高い将軍位だったの?No.2的な?
ただの雑号将軍だと思ってた。

189:世界@名無史さん
12/04/30 10:22:52.05 0
そう言えば、五官中郎将も、本来はさほどたいした官じゃないよな。

190:世界@名無史さん
12/04/30 10:37:33.34 0
階級が高い、と権威が高い、は別だけどね。

中郎将は位階は比二千石だが、朝廷の使者として派遣され、上位の将軍や太守、異民族を監督して
征伐の主将となることがあった。
劉封は副軍中郎将として上位である太守の孟達を率いている。

副軍将軍になってからは、魏側の記録では、破れるまで数年の間上庸周辺三郡の主将と認識されていた。
その周辺には少なくとも二人の将軍がいる。
前後左右の四将軍や「軍師」将軍諸葛亮の存在を考えればナンバー2とは言えないだろうが、
「副軍」の名号には「劉備の軍を補佐する将」として遠方駐在の諸将を
劉備に代わって監督する意味合いが込められていたと見られる。

191:世界@名無史さん
12/04/30 10:58:26.86 0
関羽=張飛=馬超>黄忠>劉封>魏延etc

こういうこと?

192:世界@名無史さん
12/04/30 10:58:49.02 0
劉禅の皇太子はどさくさまぎれに殺されたみたいな表現だけど、
大義名分として皇帝擁立計画でもあったのだろうか?
あるいはそれを疑われた?
本人が関知していたかどうかは別として。

193:世界@名無史さん
12/04/30 11:04:53.06 0
>>184-185
当時の価値観だと男子たるもの孕ませるべき、くらいのもんで
むしろ「不品行でない」とするなら普通にお盛んだったってことだけどね

194:世界@名無史さん
12/04/30 11:09:41.01 0
>>183
君主としてはその程度は義務の範疇じゃないのかな?
2,3人スペア作っておくくらいのことまではね。
10人越えると、やっぱり好きだったんだろうな。
ってことになるんだろうけど。

195:世界@名無史さん
12/04/30 12:42:03.07 0
そもそも劉備の正妻や劉禅以前の子は徐州戦や長坂で捕えられて失ったと記録されてるよね

196:世界@名無史さん
12/04/30 13:14:30.47 O
劉禅の字は公嗣だけど、これって「跡継ぎ」の名前っぽい気がする。
いくつ頃から幼名じゃなくて字で呼ばれるようになるのかな?

197:世界@名無史さん
12/04/30 13:20:35.28 0
成人してから

春秋戦国なら20歳
漢代なら13~16歳

198:世界@名無史さん
12/04/30 14:26:12.31 0
>>193
少しは勉強しろ

倫理全無視でも、妾ですらない女を何人孕ませたからって
家のためになんの役に立つんだか。

199:世界@名無史さん
12/04/30 16:02:13.44 0
>>198
家を繁栄させるために産めや増やせやってことから
孕ませるべき云々になってくのだし何故家にかかわりのない人を孕ませるって話になるんだか

で、劉備が個人的に淡白であったという証拠は相変わらず何一つないどころか
状況証拠的には劉禅の弟もいくらか仕込んでたり全然淡白ではないわな

200:世界@名無史さん
12/04/30 16:18:09.64 0
少なくとも曹操や孫権にkるあべればかなりましでしょ。

201:世界@名無史さん
12/04/30 17:45:02.06 0
>>200
日本語でok?

202:世界@名無史さん
12/05/01 19:00:50.35 0
>>199
劉備が妻を政治に容喙させたかどうかとか、個人的な性格の話から、
なんで産めや増やせやって話になるんだろうか。

劉備の性欲や強盛の話なんか問題にしてないよ。
子供何百人作ろうがそれを政治や治家に容喙させるかどうかはとは全く関係ないのに。

203:世界@名無史さん
12/05/02 00:31:36.91 0
>>202
さすがにこども何百人も作ろうと思ったら相当な規模の後宮が必要になるから費用の点から政治に影響が出るけどね(笑)

204:世界@名無史さん
12/05/02 00:40:32.64 0
ふーん(笑)

205:世界@名無史さん
12/05/02 01:16:27.52 0
何百人もいれば、集めて兵隊の頭数にでも。。。

そこらの馬の骨より栄養状態良さそうだし、そこそこ活躍するかもしれんし。


206:世界@名無史さん
12/05/02 09:21:37.23 0
>>205
実際それやったのが蜀滅亡時の綿竹の戦いだな

207:世界@名無史さん
12/05/02 23:40:27.51 0
でも諸葛息子は二回にわたってどもりの軍を撃退してるじゃん。
寄せ集めの軍で。

208:世界@名無史さん
12/05/03 01:46:32.25 0
「でも」ってのが何を受けての「でも」なのか良く分からん

209:世界@名無史さん
12/05/03 14:30:38.02 0
綿竹の戦いは、普通に要害守って粘っていれば、
相手は兵糧不足でアウトだったのでは?


210:世界@名無史さん
12/05/03 14:55:02.01 0
普通に守っていたはずだが負けた。
まあ諸葛亮伝では諸葛瞻自身の部隊が大敗して戦死したため全軍壊走したというようなニュアンスだけど。

211:世界@名無史さん
12/05/03 15:25:37.39 0
早く要害を占拠せよと進言されたのに、
逡巡して負けたのでは?

212:世界@名無史さん
12/05/03 20:02:12.81 0
誰に?

213:世界@名無史さん
12/05/03 20:40:48.22 0
黄権の息子に

214:世界@名無史さん
12/05/04 05:51:03.47 0
魏軍も何だかんだ言って、あんま兵糧が無かったのは
事実。兵力にものを言わせ、短期決戦じゃないと撤退の相談
をしなくてはいけなくなる。

215:世界@名無史さん
12/05/04 13:05:30.04 0
蜀まで兵站がっつり維持できるほど魏がマッシブだったら、
孔明も戦下手の烙印を押されとるでしょうな。

216:世界@名無史さん
12/05/04 15:10:11.44 0
諸葛亮なら撃退してたよ
実際1回も蜀には入れなかったからな

217:世界@名無史さん
12/05/04 16:05:27.81 0
姜維も撃退寸前だった。

218:世界@名無史さん
12/05/04 18:05:13.31 0
諸葛亮の北伐では度々軍団を分けてるけど、
姜維の北伐は軍団分けてないのはなぜ?

219:世界@名無史さん
12/05/04 19:03:09.44 0
廖化 胡済

220:世界@名無史さん
12/05/05 04:46:55.67 0
別働隊動かさないってこと

221:世界@名無史さん
12/05/05 13:52:44.64 0
廖化 胡済

222:世界@名無史さん
12/05/05 17:31:27.38 0
胡済との連携作戦なんて完全に破綻していただろw


223:世界@名無史さん
12/05/05 17:50:46.13 0
作戦が失敗したから分けたことにならないとはこれいかに

224:世界@名無史さん
12/05/05 18:41:27.33 0
蜀は動員できる兵力が少ないから、
別働隊を編成してしまうと本体が弱体になる。
基本的には、相手の分散した守備兵力を兵力集中して
個別撃破する以外に勝機はない。

諸葛亮の第一次北伐では趙雲の囮部隊が編成されたが、
囮部隊自体は弱体であり、関中方面軍の主力を一時的に
牽制する程度の効果しかなかった。

225:世界@名無史さん
12/05/05 20:40:46.39 0
>>223
胡済はいつ出発したのかすらわからないのだがw
遅刻以前に、ちゃんと出撃したのかすら怪しい。

226:世界@名無史さん
12/05/05 20:41:41.45 0
>>224
>関中方面軍の主力を一時的に
>牽制する程度の効果しかなかった。

いや、それが一番重要だろと。主力がやってきたら諸葛亮の作戦は破綻するんだから。

227:世界@名無史さん
12/05/05 20:47:19.11 0
諸葛亮なら戦わずして勝つから大丈夫

228:世界@名無史さん
12/05/05 20:49:12.53 0
諸葛亮の戦術は、敵を細切れに分断して拘束し、自らが指揮する主力部隊の出撃を決定的段階まで待つというもの。

229:世界@名無史さん
12/05/06 01:12:55.13 0
それはどこぞのサイトの過剰妄想

>>225
出発しなかったのなら出発しなかった(不出などと)と書く。
本伝にはちゃんと「不至」とある。

230:世界@名無史さん
12/05/06 04:50:36.88 0
胡済が軍令違反で罰せられたという記録もないし、
その後も高官に留まっていた模様。軍が期日に到着しなかったのは、
敵軍・天候・道路事情など、それなりに正当な理由があったと思われる。

どうも姜維は諸葛亮より敵地内で勝負する傾向にあった。軍の合流点
も諸葛亮の第四次北伐よりも敵地内に設定されている。同じ北伐でも、
諸葛亮のような慎重さはなく、兵站も現地調達に頼る傾向があったと
思われる。

231:世界@名無史さん
12/05/06 09:21:21.80 0
その「敵地」がどのような支配状態にあるか今となってはわからんのだけどね
都市しか抑えずに支配!とか言っても土地の大半を占める山野で暮らす人を統御はできないしな

232:世界@名無史さん
12/05/06 09:29:24.75 O
姜維は土地の支配よりも、会敵して戦果を上げることが目的だった感じ。
それが防御の一環だったのかもしれんがな。
諸葛亮は土地の支配を目指した感じ。

時代が20年以上違うから、単純比較はできんが。
どうしても姜維は功名を上げることを主目的にした感じがする。

233:世界@名無史さん
12/05/06 12:22:19.94 0
功名を上げるのが主目的だったら、郭淮や陳泰率いる雍涼軍主力と会戦するために機動するだろうな。
しかし姜維はそんなことしてない。
姜維の北伐の大半は、反魏の羌族の支援や収容、魏軍主力がいない地域へ強襲して県城攻略といった
行動に終始し、都督級との会戦は避けている。
一方、郭淮や陳泰も決戦を避けたのは同じ。
察するに、姜維は戦力の集中と強襲を以って隴西の魏支配力弱体化を狙い、
この集中に(短期的には)対抗できない魏都督は陽動や奇策を用いて姜維を撤退に誘うことに意を注いだと見える。

初めての都督級との会戦は、鄧艾戦の段谷であり、これは皮肉にも両国の攻防面でのターニングポイントになった。
しかしながら、これまで隴東の戦力を擁していた二州都督の郭淮や陳泰と違い、鄧艾は隴西都督。
隴西の切り崩しを狙う姜維が正面決戦せざるを得ない相手が出現したということであり、、
魏が西方の国力増大によってここに都督を置けた時点こそが真の戦略的ターニングポイントになるのだろう。

234:世界@名無史さん
12/05/07 12:31:46.76 0
主力と対戦して撃破できる諸葛亮は強いということですね。

235:世界@名無史さん
12/05/07 13:31:02.56 0
段谷の戦いは兵力不足のまま会戦して負けたの?

236:世界@名無史さん
12/05/07 17:37:49.41 0
>>234
主力を撃破まではいけなかった。
戦術的には勝ったこともあったが、それで戦線を前進させるようなことはできなかった。

237:世界@名無史さん
12/05/07 17:46:19.98 0
北伐でどんどん前進させて行った
無能な馬謖のせいでそれが止まっちゃったけど

238:世界@名無史さん
12/05/07 19:38:12.07 0
主力相手じゃない

239:世界@名無史さん
12/05/07 19:49:15.12 0
三国鼎立後は蜀滅亡まで国境線があんま動いていない。
魏や呉の名将も、局地戦や辺境では勝利しても、大きく領土獲得なんて
のは蜀滅亡までなかった。国力考えると、諸葛亮は結構頑張ってた方。
演義みたいな神算鬼謀ではなかったが、十分名将の部類だと思う。

240:世界@名無史さん
12/05/08 00:15:53.70 0
>>239
そう考えると膠着状態から2郡切り取ったのは割と凄いよな

241:世界@名無史さん
12/05/08 00:38:07.19 0
まあ古来益州に属する中原からは守れないような土地ではあるけどな

242:世界@名無史さん
12/05/08 00:39:01.13 0
魏呉がやったみたいに偽装降伏作戦すればいいのに。


243:世界@名無史さん
12/05/09 10:33:42.58 0
諸葛亮の北伐時代は、
三国がそれなりに国家体制が出来上がった時代で、
奇策で局地戦に1回くらい勝った程度では、全く国境線
が動かない。司馬懿の言うとおり「奇才なり」という評価
は概ね妥当なのだろう。北伐するたびに国力がガタガタに
していった姜維よりは数段上の名将。

244:世界@名無史さん
12/05/09 14:26:41.75 0
遼東の公孫氏は一発で即死だったが

245:世界@名無史さん
12/05/09 14:46:20.35 0
それって諸葛亮の南征と変わらんレベルじゃねえか?

246:世界@名無史さん
12/05/09 18:44:06.08 0
公孫氏は三国の一角じゃねえだろw

247:世界@名無史さん
12/05/09 18:53:51.58 0
公孫氏+東夷で蜀と同じぐらいの国力があるらしい

248:世界@名無史さん
12/05/09 19:19:01.17 0
蜀呉が地の利を生かして何度も魏の攻勢を跳ね返してるのに、なんで公孫氏はすぐ死んでしまうん?

249:世界@名無史さん
12/05/09 19:48:04.17 0
東夷って倭や三韓他諸国を全部足した総称だぞ。
徴税も集中投資/運用もできない数字面の足し算で仮に本当に互角だとして、
だからなんなんだよw

250:世界@名無史さん
12/05/10 07:03:38.46 0
【中国BBS】日本はわが国以外でもっとも三国志が好きな国だな
URLリンク(news.searchina.ne.jp)

>「あと何代かしたら、われわれの子孫たちが三国志について語る時、それは日本のものだというのだろう。これが日本のやり方だ」という被害妄想的な意見もあった。
カステラをいまだに洋菓子だと言っている日本人はそんなことは言わない!

251:世界@名無史さん
12/05/10 08:24:35.53 0
>>250
あと何代www
現在の中国の漢民族は三国時代の漢民族を滅ぼして漢民族を名乗った異民族の末裔だろ。
隋唐宋元明清の漢民族と三国時代の漢民族は別の民族。
当然現代の漢民族とは三国時代の漢民族とは別の漢民族。
中国人はそろそろ三国志は自分たちの祖先の歴史では無く、自分たちが滅ぼした民族の歴史だということを認識したほうがいい。
孫呉の子孫である日本人は思うわけですよ。

252:世界@名無史さん
12/05/10 08:44:38.89 0
歴史を語るのに当人の民族人種は関係ないだろ

253:世界@名無史さん
12/05/10 18:14:04.01 0
>>250
まあ同じ国の人間より外国人の方が研究熱心という例はしばしば。

254:世界@名無史さん
12/05/10 18:17:30.38 0
ローマはギリシャ文化オタクだった
ヨーロッパはローマ文化オタクだった
日本は支那文化オタクだった

255:世界@名無史さん
12/05/10 19:03:15.86 0
「民族」ってのは人種の区分ではないんだよね。
これを理解できないのが日本人(のうちの浅はかな部類の人間)の悪いところ。

中国の騎馬民族支配の件で言うと、
その前後で遺伝子的には混血し、文化的には引き継いでいる。断絶しているのは支配者層の血統だけ。
これを異民族と看做すなら、縄文文化は日本人にとって異民族の文化だと主張しなくちゃならない。

256:世界@名無史さん
12/05/11 00:45:12.10 0
>>255
 たださ、混血といっても男は殺し女をいいようにする例が多かったような気がするのは、
認めるでしょ?

 まあ、それが人類の歴史の正しいあり方のような気がしますが。


257:世界@名無史さん
12/05/11 01:14:56.79 0
民族浄化まではいってないと思うが。

258:世界@名無史さん
12/05/11 01:33:53.70 0
>>256
そんな例が多かった気がするのを認めるだけでどうなるんだw

人口的・生産的に遊牧民族主体では北朝の国力は維持できないよ。
五胡時代で五胡民族が占めたのは支配階級、戦士階級あとちょっとだけで
農耕をした主体の漢民族を殺してしまったら、遊牧民族は王朝どころか定住さえできなくなる。

今の中国人(漢族)というのは、こういう支配と撃退の歴史を
3000年以上繰り返したうちにゆるやかに形成されたもの。
周王朝さえも西方異民族の王朝なんだからね。

259:世界@名無史さん
12/05/11 01:37:55.97 0
行政機構はそのまま残して先住定住民にまかすってやり方が多いよね、遊牧民
色目人重用、漢民族蔑視の元以外はそれなりに使われてたんじゃないの?>漢民族の男
広大な帝国維持すんのに労働力殺しちゃうのは愚策だし
オアシスに点在する小都市国家群とかならともかく

260:世界@名無史さん
12/05/11 13:11:24.03 0
>>258
それは商こそが真性の漢族である、という前提なのかな?

一応考古学的には商以前に4つほどの文化が中原で混在してることがわかってるので
所謂夏王朝の時点で既に民族の坩堝と化してるもんで
商に対する周は異民族ではなく政体の違う国としか言えないと思うのだが

261:世界@名無史さん
12/05/11 14:41:20.07 0
>それは商こそが真性の漢族である
「真性の民族」なんてもの歴史上に存在しないと言う前提

262:世界@名無史さん
12/05/11 16:17:28.38 0
>>250
中国では演義ばかり有名って聞いたことあるけどどうなんだろう。
中国よりも日本の方がよっぽど曹操を評価してるとか。

263:世界@名無史さん
12/05/11 16:31:12.38 0
日本でも演義ばかり有名だろう
曹操が好きなのは日本人特有だとか、蒼天航路のような漫画があるとかいう特色はあるが、
大半の三国志作品のベースは演義だし、
歴史としての三国志が普及しているわけではない。

264:世界@名無史さん
12/05/11 20:19:39.58 0
日本人の曹操好きは吉川英治の『三国志』の影響。
吉川英治は事実上前半を曹操、後半を諸葛亮を主人公として描いている。
吉川英治の『三国志』は日本人に広く読まれているので、日本人の曹操
好きは吉川英治の影響。小説の中で、曹操は1000年に1人でるかどうかの
天才的英雄とまで言っている。曹操を主人公として漫画なども、基本的
には吉川三国志の影響だろう。

265:世界@名無史さん
12/05/11 20:26:43.69 0
256 :世界@名無史さん:2012/05/11(金) 00:45:12.10 0
>>255
 たださ、混血といっても男は殺し女をいいようにする例が多かったような気がするのは、
認めるでしょ?

 まあ、それが人類の歴史の正しいあり方のような気がしますが。


妄想ソースかよw

266:世界@名無史さん
12/05/11 22:37:02.70 0
>>261
おやおや?
では何故周を異民族だと?

異民族とはどこの誰に対する異民族なんだ?

267:世界@名無史さん
12/05/11 23:12:04.92 0
アホ臭い煽りすんなよ

268:世界@名無史さん
12/05/11 23:21:53.95 0
周は当時の殷(中原諸民族)に対して異民族。
五胡は当時の中原漢民族に対して異民族。

初等の中国史クイズだろうか。

269:世界@名無史さん
12/05/12 01:08:38.42 0
>>264
吉川は演義より曹操の扱い良いのか。
吉川は読んだことないから知らんかった。

ググったらこんな話は出てきた。
URLリンク(blog.livedoor.jp)

270:世界@名無史さん
12/05/12 01:45:35.68 0
そりゃまあ中国人にとっては多数の人気歴史ジャンルの一つでしかないからな。
中国人「関羽は超有名人。でも三国演義は読んだことないし項羽や岳飛の時代もあるからね」
日本人「義経は超有名人。でも平家物語は読んだことないし信長や竜馬の時代もあるからね」
って感じだろう。


271:世界@名無史さん
12/05/12 07:33:49.45 0
今の人達知らないけど、昔は三国志演義と言えば吉川三国志。
あれを読んで曹操が悪役だと思った人はいないでしょう。凄い
魅力的人物として描かれている。

272:世界@名無史さん
12/05/12 08:40:17.99 0
俺は吉川英治のは初めのごく一部しか読んでいない。
諸葛孔明の死で終わっているのが何より気に入らない。
全部読んだのは岩波文庫版。

273:世界@名無史さん
12/05/12 18:25:22.22 0
>>268
商自体が周辺民族の混交した状態だからそこを基点にしてもどうかと思うが

それに発掘調査で今の長安の辺りには新石器時代から既に
中原の影響を強く受けた文化が広がってて
周、商が異なる文化かどうかもわからんね

274:世界@名無史さん
12/05/12 18:45:30.74 0
民族という定義に唯一の人種や文化的基点なんてものはないって話なのに

275:世界@名無史さん
12/05/12 19:31:26.05 0
中国が新石器文明までカウントして中国6000年とかいうなら、
日本も縄文時代をカウントして皇紀6000年とか言おうぜw

276:世界@名無史さん
12/05/13 12:34:18.19 0
皇紀ってつけるとちょいと意味合いが違ってくるような…

277:世界@名無史さん
12/05/13 15:39:07.38 0
皇紀なら考古学なんぞよりも皇統神話を重んじないとな

278:世界@名無史さん
12/05/14 13:39:47.69 0
?周いいね

279:世界@名無史さん
12/05/14 13:40:18.16 0
しょう周いいね

280:世界@名無史さん
12/05/14 16:28:16.99 O
ショウ周って陳寿の師匠の?
この人も背が高かったよね確か。
関係ないかもしれんが、三国志って学者・文官なのにでかい奴が結構いる印象。

281:世界@名無史さん
12/05/14 18:13:16.42 0
スゴイ奴=デカイっていうのは世界的に共通な設定

282:世界@名無史さん
12/05/14 19:40:10.20 0
貴族や役人は栄養状態がいいから大柄なやつがおおいだけ

283:世界@名無史さん
12/05/14 20:23:31.31 0
当時は風采も能力のうち。
立派な相を持つ者は高く評価され官僚の登用にも有利だし、
学者は堂々毅然と論戦を張ることが求められた。

光武帝の司徒まで昇った馮勤は魏郡の名家で偉壯な体格の家柄だった。
ただ祖父の偃だけが七尺に満たない体格だったため、「常に短陋を恥じ、子孫がこれに似るを恐れた」
そこで息子の伉にわざわざ長身の妻を娶らせ、生まれた馮勤は目出度く八尺三寸の長身に育った。

284:世界@名無史さん
12/05/14 20:43:38.13 0
列伝にわざわざ身長書いてあるもんな。
そんなことよりもっと残しておいて欲しい記録がいろいろあるんだけど。

285:世界@名無史さん
12/05/14 22:26:35.87 0
>>283
龐統「俺のことか?」

286:世界@名無史さん
12/05/14 23:46:44.00 0
違うよ

287:世界@名無史さん
12/05/15 06:27:24.47 O
曹操「俺のこと?」

288:世界@名無史さん
12/05/15 06:34:15.13 0
せやな

289:世界@名無史さん
12/05/15 21:31:46.58 0
劉表の族子の劉磐は、劉備に使えなかったのかな?
長沙で一緒にいた黄忠は劉備に使えたのに。

290:世界@名無史さん
12/05/15 21:54:13.56 0
宗家が曹操に降伏したのになんで劉備に仕えねばならんのだ。
デメリットしかない。

291:世界@名無史さん
12/05/15 23:04:02.63 0
>>290
現実に居た場所などの関係で兄弟でも仕える相手が曹操と劉備と別れることはあったから、長沙が劉備支配下になったときに劉備に仕えるというのはありえない話ではない

292:世界@名無史さん
12/05/15 23:25:35.55 0
それは劉琮が降伏して何ヶ月も後の劉備襲来まで
劉磐が長沙に滞在し続けていたらの話。
劉琮が後漢に取り立てられて、近臣も高位に上ったのに
族子で有力者だった劉磐がいつまでも辺境最前線に
いた可能性は、限りなくゼロに近い。

293:世界@名無史さん
12/05/16 03:17:57.33 O
賊になったのでは?

294:世界@名無史さん
12/05/16 07:18:58.73 0
>>290
そんなこと言ったら劉キの立場は

295:世界@名無史さん
12/05/16 15:23:40.82 0
劉琦は劉琮と対立していた上に劉備に逃げ込まれて行き場が無くなったからだろ
何言ってるんだ?

296:世界@名無史さん
12/05/16 17:04:55.93 0
劉磐は、韓玄が太守としてやってきたから、
他の劉表一族と共に北方に移住したんだろうな。
勇猛な人物だったらしいので、南方で健在だったら、
それなりに一騒動くら起こしそう。

297:世界@名無史さん
12/05/16 17:07:51.61 0
移住と言うより帰郷だな
劉表の一族は山陽人だから

298:世界@名無史さん
12/05/16 17:49:01.36 0
>>295
孫権からの防波堤として絶対に守らなきゃならん江夏に
廃嫡された長子置くとかどう考えても妙な話ではあるけどな
そのまま江夏付きで孫権に投降とかやりかねんぞ

299:世界@名無史さん
12/05/16 18:24:16.91 0
廃嫡じゃないよ。嗣子は元々決まってない。劉琦が絶縁されたわけでもない
太子競争に負けた皇子が諸王になるのと同じ理屈

300:世界@名無史さん
12/05/16 18:30:50.26 0
まあ、劉表政権が持続性がないことは、
家臣にもわかってたのだろ。劉備はともかく、曹操や孫権に
領土が分割されるのは目に見えていた。だから、劉琦が江夏
に行き、孫権に降伏しようと、家臣団にしてみればどうでも
よかったのだろう。諸葛亮も、そこら辺がわかっていたから、
江夏行きを劉琦に薦めたのだろう。

どこまで諸葛亮の計略かはわからないが、劉琦の存在が劉備と
孫権の同盟、劉備の荊州南部の領有に大きく寄与した。

301:世界@名無史さん
12/05/16 18:35:37.13 0
えっ

302:世界@名無史さん
12/05/16 18:48:41.00 0
>>299
確かに廃嫡とは書いてないから筆が滑ったんだけどさ
自身の先行きを案じてる人間に重要拠点に1万もの軍勢持った状態で
いくらでも亡命できる状況作ってる時点で劉キを劉ソウとその与党である蔡瑁はおかしいな、と

状況証拠的には史書に描かれてる程この兄弟の仲は破綻してなかったと思うんだよね
ただし劉ソウ降伏後に劉キが江夏の兵持って劉備に合流してるから
兄弟仲がいいという程でもないのだろうけどさ


303:世界@名無史さん
12/05/16 18:57:12.46 0
基本的には仲が悪いだろ。

304:世界@名無史さん
12/05/16 20:02:08.56 0
>>302
不満分子処理だろう。
跡目争いで旗色の悪い劉キとその一派を辺境に配置して、曹操への降伏を支障なくできるようにした。
不満分子は一つに固まっていてくれた方が、処理しやすい。
もし劉備が襄陽にやってきたとき、内部の劉キが1万の兵力を率いて裏切ったらやばすぎるじゃん?

305:世界@名無史さん
12/05/16 20:45:36.43 0
>>304
ちょっと黙っててくれ

>>302
袁紹も同じことをやっている。
共通点は、長男を害すほどの決意が父には無く、
長男も決して無力な子供ではないということ。
袁尚・劉琮派の側近達も、長男に領域を一部切り売りするような形で
本拠の支配権を確保し、後継競争の妥結を認めたわけだろう。
また、この時代、あからさまに子が父に反逆するというケースは非常に少ない。
裏切っても信望が得られず立ち行かない倫理意識が普及していた。

問題は父の死後で、両者とも結局分裂している。
が、まあそれを憂慮するならそもそも少子を立てて
特に失敗のない長子を排するような活動はしないわな。

306:世界@名無史さん
12/05/16 20:46:59.36 0
それから、確かに、劉琦・劉琮や袁譚・袁尚の個人的な仲が悪かったとか
彼ら自身の主導的な抗争だったという話は無いはず。

307:世界@名無史さん
12/05/16 21:55:41.11 0
劉琦の支持基盤と劉琮の支持基盤はまるで違うだろ。
対立していたはず。

308:世界@名無史さん
12/05/16 21:57:16.15 0
支持基盤主導の対立であって本人の感情や対抗心の問題じゃないってこと。

309:世界@名無史さん
12/05/16 22:47:13.98 0
不満分子は、なるべく一塊になって、それも政権の外縁あたりでいてくれた方が、潰しやすい。

310:世界@名無史さん
12/05/16 23:03:52.45 0
劉琦が夏口に飛ばされたことだけを以って不満分子一塊ってのは言いすぎ。
側近を何人連れて行ったのかもわからんし。
むしろ襄陽という政治的中心で反蔡氏派(そんなのが取るに足りるほどいたのか知らんが)
と連携させないために、劉琦だけを切り離す策だろ。

311:世界@名無史さん
12/05/17 00:51:34.06 0
>>310
前任の黄祖にも参謀や将らしいのが何人もいたし(孫権との戦いで討ち取られたり寝返ったり)、
劉琦も何人か連れて行ったであろうという推測は妥当性がある。

312:世界@名無史さん
12/05/17 01:07:17.65 0
江夏は郡府で行政機構が完結している。追加人員は基本的に必要ない。

「何人か連れて行った可能性はある」程度の話では「不満分子一塊」には到底届かない。

313:世界@名無史さん
12/05/17 01:17:55.05 0
>>312
劉琦赴任の頃には黄祖以下全滅してるじゃん。
だから新しい行政官や将を伴って向かったと考えるべきだろう。

314:世界@名無史さん
12/05/17 01:18:32.71 0
襄陽の非劉表と言えば著名なのは司馬徽。
しかし司馬徽は荊州陥落まで襄陽に滞在し、その後普通に北に帰った。
「不満分子として一塊に処理」もされてないし反乱も起していない。

もし、曹操の侵攻が遅れて先に劉表が死に、襄陽で後継者紛争が起きていたら、
劉琦と「不満分子」である司馬徽の学友・弟子などに劉備も絡むなどして
一大抗争に発展したかもしれない、という小説的な想像は出来る。
これを未然に防いだのは、曹操侵攻のタイミングと、
劉琦が襄陽に戻ってきても入城さえできず、
内部の人間と切り離された状態で降伏が完了したこと。

もし反劉表の不満分子が一纏めで劉琦の手元にあったら、
政治的にも軍事的にももう少しやりようがあったかもしれないし、
のちの劉備に対して有利な立場も確保できたかもしれない。

315:世界@名無史さん
12/05/17 01:19:35.98 0
>>313
そんな話は聞いたことが無いな。
もしそうだとしたら、蔡氏の息が掛かった人間で固めるのが普通だが。

316:世界@名無史さん
12/05/17 01:25:07.31 0
大体、劉琦が「夏口」に赴任したというのが間違い
逃げる劉備(漢水を渡った)と合流して夏口に向かったという記述からして江夏の長江北岸に居た可能性が非常に高い
つまり劉琦は汝南方面からのvs曹操むけの配置であってvs孫権むけとは考えられにくい


併せて考えるに
そもそも夏口は孫権に一度攻め落とされた後なので所謂「廃墟」ではないが
黄祖以上の軍事力を持たない劉琦をもってして郡経営の拠点したはずがない

317:世界@名無史さん
12/05/17 01:33:36.46 0
それ今の話題とまったく関係ないと思うが、
「遇表長子江夏太守琦衆萬餘人」。
「遇」であるからには、劉備と劉琦が出会った場所が本来の劉琦の駐屯地であったのではない。
対曹操か或いは別の目的で前進していたところで劉備と出逢ったものだろう。
劉琦の江夏太守府が夏口ではない可能性は無いことは無いが、
それは夏口だったと明記されて無いからというだけ。

318:世界@名無史さん
12/05/17 01:44:12.69 0
論理的思考能力が乏しいと色々と難しいね

319:世界@名無史さん
12/05/17 17:55:38.14 0
禰衡すごい

320:世界@名無史さん
12/05/18 00:45:17.54 0
黄祖の勢力

黄祖 江夏太守
黄射 章陵太守
蘇飛 都督
陳就 都督
甘寧
呂公
鄧龍
張碩
禰衡 

321:世界@名無史さん
12/05/18 03:06:07.64 0
都督が二人って、黄祖は驕りすぎではないのか

322:世界@名無史さん
12/05/18 07:39:42.32 0
都督ってのはそんなに偉い役職じゃない

323:世界@名無史さん
12/05/18 07:52:19.97 0
しかし孫権にも都督はそういないじゃん?

324:世界@名無史さん
12/05/18 19:05:38.76 0
記述されないほど有り触れた役職。
魏晋の州都督諸軍事以前の都督は将軍のような一軍の将の下に普通にいた監軍職。

325:世界@名無史さん
12/05/18 19:35:04.61 0
後漢末期だと将軍の数がまず少ない。
だから都督も少ない。

326:世界@名無史さん
12/05/18 19:42:18.94 0
「将軍のような一軍の将」な。
太守は古来郡将と呼ばれ、一軍を率いて軍事を担った。
黄祖ともなればその権限は同時期の曹操の下で部隊指揮官でしかない
一般将軍クラスを遥かに凌ぐ。

327:世界@名無史さん
12/05/19 00:44:28.85 0
まあ黄祖がそんなに弱かったら、孫呉を相手に8年も粘れないよな

328:世界@名無史さん
12/05/20 14:00:18.44 0
孫権が黄祖を破った後、
土地は実行支配できたの?

329:世界@名無史さん
12/05/22 17:19:54.58 0
孔明は中国史上唯一の創造的天才だな

330:世界@名無史さん
12/05/22 17:31:10.94 0
カエサルに比肩するのは曹操だろwww

331:世界@名無史さん
12/05/23 00:50:45.51 0
光武帝じゃなくて?
三国時代限定ならまぁ曹操だろうけど

332:世界@名無史さん
12/05/23 01:04:18.72 0
自演荒らしだから気にすんな

333:世界@名無史さん
12/05/23 07:19:36.08 0
曹操って、演義とはまた違って結構間抜けだったり人間くさい部分も多いと
思うけどな。そこがまた魅力的……ではないんだけどw

334:世界@名無史さん
12/05/23 08:37:21.22 0
ちくまの訳でも曹操のセリフは、踏ん反り返ってるというか愛すべき悪漢のような喋り方。
原文にそんなニュアンスがあるんだろうか?

335:世界@名無史さん
12/05/23 09:25:25.07 0
吉川三国志の影響じゃないの?

336:世界@名無史さん
12/05/23 14:46:40.53 O
正史訳すような先生方も、三国志に興味持ったのは吉川版からってこと?
だとしたら、それはそれで面白い。

337:世界@名無史さん
12/05/23 22:54:03.05 0
演義でも曹操は一番人間臭いよ
三君主の中で喜怒哀楽の感情表現箇所が特出して多い
逆に劉備は登場頻度に比べて驚くほど無感動

338:世界@名無史さん
12/05/23 23:06:58.53 0
曹操はローマで言うとアッティラに近い。小男で風采が上がらなかった。


339:世界@名無史さん
12/05/24 03:48:37.44 0
アッティラの容姿って、平面顔のコテコテのアジア人風から中東系までバラバラだし。

340:世界@名無史さん
12/05/24 11:36:55.98 0
>>337
登場頻度と感情表現の有無とは無関係
たまたま感情を表す必要の無い場面が多いだけ
何でもかんでも感情を表せばいいってもんじゃないしな

341:世界@名無史さん
12/05/24 13:07:39.57 0
正史からして劉備は喜怒哀楽を表に出さない性質って書いてあるんだからいいんでないの?

342:世界@名無史さん
12/05/24 16:40:18.30 O
曹操と劉備は性格も正反対な記述がされてるってことか。
かたや感情表現が豊かで、かたや喜怒哀楽を表に出さない。
劉備は行動とかも意図的に反曹操してたっぽいので、性格も意図的に変えてたりして。
しかしそうなると孫権とかは性格がはっきりみえないね。言動からDQNだったことはわかるが…


343:世界@名無史さん
12/05/24 16:52:01.56 0
あほくさ

344:世界@名無史さん
12/05/24 16:56:42.09 0
儒教的な理想の人間を演じてるってことはありえるが反曹操で性格変えるとか無いわ

345:世界@名無史さん
12/05/24 17:18:01.75 0
劉備が主役だから登場頻度が高いのは当たり前

346:世界@名無史さん
12/05/24 18:41:23.40 0
というか、蜀志は劉備伝と諸葛亮伝だけで7割占めてるよねw

347:世界@名無史さん
12/05/24 19:25:24.14 0
今なんの話題をしてるのかも読めない人間が世界史板で何をしてるのか

348:世界@名無史さん
12/05/25 10:30:39.02 O
孫権の言動にはあまり儒教的倫理観を感じない。
すぐ裏切るし、晩年は暴君だし。
曹操、劉備と違って、周りの目を意識して振る舞っている様子もない。
これで孝廉だったとは・・

349:世界@名無史さん
12/05/25 13:32:24.75 0
劉備も孝廉じゃないぞ。
あと袁紹も。

350:世界@名無史さん
12/05/25 20:40:37.67 0
群雄同士の同盟や約束で裏切り云々言うとは笑える話だが、
劉備と孫権との関係では先に裏切ったのは劉備。より多く裏切ったのも劉備。
曹操(曹丕・魏)と孫権との関係では五分くらいか。

351:世界@名無史さん
12/05/25 21:13:06.35 O
そもそも孝行・廉潔だという世評を立ててもらって推薦を受ければ孝廉になれるんだから
個別の言動が全て儒教的倫理観に合致してる必要もないし

352:世界@名無史さん
12/05/25 21:14:20.19 0
劉備「孝行したいときに親は琢。今俺蜀。劉備ショック」

353:世界@名無史さん
12/05/25 21:21:55.57 0
孫権は孝廉的ではないが、
将や臣に受けた恩義を君主としてではなく個人として返す、という点で、
三君主の中で最も「侠」の精神を見せた人物と言える。
これは後漢代に儒士達が取り入れた行動原則。
特に人間関係において、非常に「周りの目を意識して振る舞っ」た
人物だということが呉志の随所から読み取れる。

354:世界@名無史さん
12/05/25 21:38:15.70 0
いや、孫権はちゃんと親父の敵討ちやったんだから親孝行でしょ。

355:世界@名無史さん
12/05/25 21:58:26.85 0
張詔が死んでからの孫権はもうやりたい放題


356:世界@名無史さん
12/05/25 22:39:02.81 0
関係ないが孫権をみんなはどう評価してるのか聞きたいな。
晩年がアレなんで難しいとは思うが。個人的に関羽殺して荊州奪ったのは
感情抜きにアホだなあと。将来はともかくあの時点でやるかと。

357:世界@名無史さん
12/05/25 23:08:07.84 0
劉備独り勝ちになったら困るだろうに

358:世界@名無史さん
12/05/25 23:20:23.54 0
関羽が呉の倉庫から兵糧を強奪した以上、孫権が報復に出たのは
国家としての体面もあっただろう。やられっぱなしでは示しがつかない。


359:世界@名無史さん
12/05/25 23:48:02.59 0
報復じゃないよ。所定の戦略。
以前の和睦が形だけで、呂蒙が荊州を狙っていることを関羽も百も承知だったからこそ、
初めは南郡に防備を置いていたし、兵糧強奪のような無碍な行為も出来た。

で、史実の荊州奪取は孫権にとって最上かつ最後のタイミングだった。
劉備が漢中-襄陽の漢水ラインを固めてしまえば、
次は益荊の戦力を集中して荊州南部と交州の奪取に振り向ける番。
孫権の地勢ではこれを効果的に防御できず、揚州一州になるのは時間の問題。
北・西に敵を迎えた揚州は江水の険を発揮できず、魏蜀いずれかへの従属か滅亡かを選択することになる。
史書は「二国志」として書かれることになっただろう。

360:世界@名無史さん
12/05/26 06:33:27.38 0
劉備側の失策は西陵に拠点がなかったこと。


361:世界@名無史さん
12/05/26 06:37:09.73 0
西陵を取り返しに行く戦いなのに、西陵がないのがダメってw

362:世界@名無史さん
12/05/26 07:28:52.38 0
荊州失陥のときの話じゃね?
あったんだけどね。孟達がいた。しかし北上していて不在だった。

363:世界@名無史さん
12/05/26 11:35:49.94 0
江陵と永安との間が長すぎたのは確かでは?
三峡の出口付近の拠点が手薄だったのは致命的。

364:世界@名無史さん
12/05/26 13:18:25.18 0
>>356
インペリウムの確立とそれに抵抗する豪族という図式で見れば
晩年の暴力的な状態も行き過ぎではあっても意味はないものではないように見えるしな

虞翻を処刑しようとする孫権が孔融を処刑する曹操に自分を例えるのも
朝廷内で権力の一極化を邪魔するものを処刑して権力を掌握する過程にあったので
酒を飲みすぎてついポロッと本音が出てしまったのかもしれない

365:世界@名無史さん
12/05/26 18:08:14.28 0
>>363
人の話聞けよ

366:世界@名無史さん
12/05/26 18:14:01.12 0
晩年孫権の失敗は、寵愛を孫覇に置いていたのに孫和を廃せなかったこと。
或いは、そこまで出来なかった所が孫権の権力集中の限界だったのかもしれないが。

367:世界@名無史さん
12/05/26 23:17:29.98 0
てか、二宮の変って後継者を選ぶ主導権は明らかに孫権にあるのに、なんで豪族のほうが強いとか孫権が豪族に悩まされたとか言われてるの?
豪族連中をあっさり粛清しているのに。

368:世界@名無史さん
12/05/26 23:27:24.60 0
皇帝なのに自分の好む後継者を結局選べなかったから

369:世界@名無史さん
12/05/26 23:49:32.00 0
>>368
本当か?
豪族の意見が影響したとは思えないが。
孫権が後継者選定にあたって皇帝権力をもてあそんでるようにしか見えない。

370:世界@名無史さん
12/05/26 23:54:17.57 0
「もてあそんでる」って正しい意味で言ってるか?
孫権をただの愚帝という評価でいいのかな?

371:世界@名無史さん
12/05/26 23:57:36.12 0
>>370
孫権が暗愚かどうかは知らんが、「豪族が皇帝より強かった」というのは間違いだと思うぞ。
だいたい、後継争いで有意の人材を失うのはどこも似たようなものだろう。

372:世界@名無史さん
12/05/26 23:58:42.60 0
その日本語は正しく使えているのか?
と聞いているのだが。
それに応えてくれなくちゃレスしようが無い。

373:世界@名無史さん
12/05/27 00:45:45.64 0
>>367
皇帝孫権の方が強い、でも豪族の意見は無視できない

皇帝と言ったって完全な絶対権力者じゃない

374:世界@名無史さん
12/05/27 07:41:24.45 0
孫権の晩年は暴君レベルで暗愚だろ。
劉禅よりも酷い。劉禅は死刑を乱発したり、
功臣を憤死させたりはしなかった。劉禅が
本当におかしくなったのは、滅亡の数年前
くらいから。そこに遠征による疲弊と段谷の
大敗という外的要因が重なり滅亡になった。

呉が孫権の代で滅亡しなかったのは、運が良かった
のと、蜀より国力に余裕があったから。

375:世界@名無史さん
12/05/27 08:19:15.59 0
>>369-370に答えてから語れよ

376:世界@名無史さん
12/05/27 08:28:25.24 0
ニ宮の変は

喧嘩両成敗で両派粛清→孫権が孫亮を選定

で終わったわけだが、もし豪族が強かったらこんな処分できないだろ。
豪族をすべて敵に回して圧倒したのは、孫権。

377:世界@名無史さん
12/05/27 08:32:38.21 0
圧倒してたのにわざわざ寵愛した孫覇を殺した孫権は権力を「もてあそんだ」愚帝という結論か。


日本語勉強してこいよ本当に。

378:世界@名無史さん
12/05/27 08:36:30.92 0
>>377
豪族より強い=賢明な皇帝

ではないw
内ゲバにだけ強くて、戦争も内政もダメダメなやつっているじゃん。


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