12/10/04 11:21:52.01 0
82 名前:日本@名無史さん 投稿日:2012/09/29(土) 07:30:17.09
現在でも、月は地球から1年で4㎝離れており、今後は皆既日食は自動的に金環日食になるらしい。
248年9月5日早朝の皆既日食時は、1764年経った本日2012年9月29日より、
(2012-248=)1764×4㎝=7m56㎝ 月が近かった計算になり、
古代においては現在より皆既日食は頻繁に観測されたと思われ。
119:世界@名無史さん
12/10/04 16:50:06.81 0
月は単純に遠ざかっているのではなく、複雑に近づいたり遠ざかったりしながら、結果的に徐々に遠ざかっていく。
だから、>>118みたいな単純なことは言えないよ。
120:世界@名無史さん
12/10/04 16:51:31.45 0
38万km離れてるのに7mとか、影響あるのか?
121:世界@名無史さん
12/10/04 22:20:54.39 0
塵も積もれば山となる
122:世界@名無史さん
12/10/04 22:43:28.26 0
太陽信仰はそもそも火信仰だった可能性は強い。
ゾロアスターでも太陽は大きな火の塊と考えられていた。
火は生命の活力の象徴であり、死と再生の象徴でもある。
そのため、日本を含む古代宗教の太陽信仰は本来、
朝日と夕日(再生・誕生と死・涅槃の休息)にのみ意味があり、
天(真昼)という垂直方向の崇拝意識は無かった可能性が高い。
それはストーンヘンジや南北アメリカ、縄文時代の石柱など
夏至・冬至の朝日と夕日のラインは結ぶラインはあるのに、
中天の軌道には比較的無関心である事からも解る。
そもそも高天原という文字の「高」という字はかなり後代にくっついてきた字で
万葉集の歌には全て「あまのはら」と詠まれている。
高という文字は中央集権という垂直型の国家形態が成立して
初めて存在しえた概念により、奈良時代に付加されたと考えられる。
これは中国の中天思想の導入による改変であって
恐らく日本の土着信仰は、中東とおなじタイプの火信仰であったと考えられる。
123:世界@名無史さん
12/10/04 23:04:44.63 0
その、日本人の中天の太陽に対する無関心を表す鏡が月読だ。
世界における太陽信仰はいずれも月の存在は非常に重要で、
文字通り対を成したり、あるいは暦や生活慣習などに大きな影響力を持つ。
ところが、日本の月神は立場こそ三神の一人であるが、実に地味で
かつ、ほとんど何の役にも立っていない。
風習も月見など一部に限られ、しかもそれは中国の「本場」中天思想の影響にすぎない。
要するに、古代日本は太陽そのものを崇拝する信仰ではなかった。
生と死を最重要視し、その規則的な動きに万物の回転を見いだし
神鳴るという言葉が雷鳴であり、アマが海であるように、大自然全体が全て神であって
最高神という概念は無かった。
124:世界@名無史さん
12/10/04 23:09:01.57 0
>>122
>太陽信仰はそもそも火信仰だった可能性は強い。
逆に太陽信仰が先に有って、太陽の象徴として火を崇めたという方が理解しやすいが。
>中天の軌道には比較的無関心である事からも解る。
それは無関心というよりも日の出・日の入りと比べてより精度の高い観測を要するからだろう。
125:世界@名無史さん
12/10/04 23:28:25.47 0
>逆に太陽信仰が先に有って、太陽の象徴として火を崇めたという方が理解しやすいが。
人間が太陽そのものの恵みに気がついたのは農耕の普及によるものと考えていい。
だから、太陽信仰は農耕文明で発展する。
しかし、火は、人間が人間ですらなかった時代から使用され恩恵を与えてきた。
北欧や中東でもはじめに「火」が創成されたという神話が多く
ユダヤ教でもはじめに「光」ありといってるが、それは太陽ではない。
太陽は後から作られる。
126:世界@名無史さん
12/10/04 23:59:21.37 0
火を使用しない動植物でも、太陽の恵みは何億年も前から受けてるけどな
127:世界@名無史さん
12/10/05 00:07:57.78 0
原始の中東の砂漠では太陽は、むしろ恵みではなく苛烈な災いであったかもしれない。
ギリシャ神話でもアポロンは短気で無慈悲で脳筋で、時に神とは思えない程邪悪だが
火を与えたプロメテウスは人類の味方であり、自愛に溢れ、智慧を尊ぶ
128:世界@名無史さん
12/10/05 00:32:33.40 0
太陽神はヘリオスだろ
129:世界@名無史さん
12/10/05 07:34:10.38 0
横だが、太陽神はヒューペリオーン、ヘーリオス、ポイボス、アポロンとわりと沢山いる。
ギリシアが固まる前、それぞれの民族の信仰する神がしばらく並存していたからと考えられる。
ただ、アポローンは元は予言、竪琴、医術などの神で、太陽と結び付けられたのは後代になってから。
130:世界@名無史さん
12/10/15 12:52:55.22 0
高句麗・百済の太陽信仰は北方起源ですか?南方起源ですか?
131:世界@名無史さん
12/10/18 11:02:57.04 0
朝鮮のは満州だろ?日本の太陽信仰は因幡の白兎とか
ヤマトタケルとか見ても南方系神話なのは常識。
ただ、中国の三足烏信仰を受け継いだ物部とか曾我氏
は朝鮮系で間違い無いだろうな。
132:世界@名無史さん
12/10/18 18:45:05.67 0
>>131
物部と蘇我が同系列ってのはなんかちょっと肯けないものがあるけどなあ…
蘇我は明確に渡来系だけど物部がそっち系という印象はあんまり…
133:世界@名無史さん
12/10/18 19:00:29.56 0
祖先が天磐船で降臨したニギハヤヒ
天火明命と同体説もあり、天照國照彦とも呼ばれるから太陽神かもしれない
134:世界@名無史さん
12/10/20 11:13:02.22 0
>>131
何言ってんだ?百済国の姫が倭国に嫁いだり交流したりしてから
倭で太陽信仰が始まったんだろ?
それ以前はお前の言うとおり南方起源の和邇の背渡りとかの神話が
主流だったんだろうけれどな、イザナミ・イザナキとヤマトタケルは
典型的な南方系の英雄像だけどヤタガラスと太陽信仰は曾我氏が伝え
るまでは日本には無かっただろう。
俺の勘ではワタツミとかオオクニヌシとかスサノオとかツクヨミとか
アマツミカボシ(金星)とかが信仰されてたんだと思うがいかがか?
135:世界@名無史さん
12/10/20 15:02:58.40 0
独断と偏見乙
136:世界@名無史さん
12/10/21 12:41:21.56 0
むしろ倭人の影響
137:世界@名無史さん
12/10/28 03:22:03.58 0
日本の原信仰は自然崇拝で沖縄の御嶽と同じ物だよ。
精霊と産神信仰だね。
大国主やスサノオという国主・戦人崇拝は弥生以降の比較的社会が熟成した後の物。
しかし、太陽信仰はその以前から片鱗がある。
各地の柱信仰がそれで、伊勢、出雲はもちろんの事、
縄文期の三内丸山遺跡の大柱の配置も全て天文的な意味を持っている。
ここで重要なのは、人間や熊送りなどの埋葬の配置は明らかに法則性があり、
その多くで冬至の日の出と連動しているということ。
これは、太陽信仰が生命の誕生と死、再生の概念と密接に関連していた事を示す。
つまり、初期の日本の太陽信仰は非常に古くからあるが、
それはユーラシア大陸全域に痕跡のある生命崇拝の一亜種であって、農耕神とは無関係。
138:世界@名無史さん
13/04/25 23:01:00.72 0
あげ