世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その2at WHIS
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その2 - 暇つぶし2ch661:世界@名無史さん
12/05/05 12:55:45.41 0
李如梅はサルフの戦いの直前に朝廷の者から日本兵と満州兵の強弱に
ついて聞かれて「倭兵は体躯倭少なれども、敏捷にして、鳥銃をよくす。
ただし一人同志の戦いとなれば、倭兵三十人をもってしても、
満兵一人に敵せざるなり」と回答している。



662:世界@名無史さん
12/05/05 20:01:51.46 0
李如梅はサルフの戦いの7年前に死去してるよw

>満兵一人に敵せざるなり」と回答している。
「といいなあ、そう朴はおもいます。」が抜けてる

663:世界@名無史さん
12/05/05 21:12:14.58 0
>「といいなあ、そう朴はおもいます。」が抜けてる
日本語でおk

664:世界@名無史さん
12/05/05 21:31:46.09 0
と朴が言っています。

665:世界@名無史さん
12/05/05 22:47:26.07 0
>と朴が言っています。
日本語でおk



666:世界@名無史さん
12/05/05 23:23:56.30 0
>>659
劉テイや麻家、李家が大した事ない武将なら他に誰が居るんだ
他に楊鎬や陳リンもそうだけど、文禄慶長の役に参加した武将って
万暦の三征、サルフの戦いに大概顔を出してる。

>>661
「百万の野人(女真族)さえ、十万の倭卒(日本兵)の敵ではない。
にも関わらず、国家は南を軽んじ、北を重視する。いまだにその理由が分からない。」
姜沆「看羊録」

李如梅って平壌で小西に勝ったはいいが
碧蹄館と蔚山城の戦いで日本に大敗してる武将だろ
敗軍の将の遠吠えをコピペしていったい何がしたいの?


667:世界@名無史さん
12/05/06 01:12:47.94 0
>>659
日本軍の強さっていうのは組織としての強さではなく
兵士の個人的力量に頼った、非組織的な軍隊だってことだ。
だいたい碧蹄館の戦いも勝利しながら敵の占領地に攻め込むでもなく
それどころか現状の占領地さえ維持できずに撤退してる。


668:世界@名無史さん
12/05/06 03:21:19.52 0
撤兵する最中に追撃してきた明軍を打ち破った戦いなんだから当然だよね

669:世界@名無史さん
12/05/06 11:41:20.21 0
>>667の馬鹿さにびっくり

戦術的勝利に拘泥して戦略的勝利を逃すなんてのは昭和の日本軍くらいだろ
そんな戦略眼のないやつが将帥やってられるほど
戦国乱世とその余塵さめやらぬ安土桃山の世は甘くない

670:世界@名無史さん
12/05/06 13:52:17.29 0
>>669
戦略的勝利って?


671:世界@名無史さん
12/05/06 14:31:18.99 O
>>667
あれは組織戦云々じゃなくて兵站の問題でしょ。
その前に明軍に兵糧焼かれたりして補給持たなくなったから
明軍を碧蹄館で撃退したのち撤退。
そもそも当時の明軍が日本と比べて高度な戦術を展開してたようには見えないが?

672:世界@名無史さん
12/05/07 11:27:40.89 0
>>660
江戸時代の兵学者、軍学者なんて戦の無い時代に机上の空論で飯食ってた連中じゃんw
当世具足よりも昔具足の方が実用的なんて言い出したり
瑠璃斎胴だの鼻紙袋だの実用性皆無の装置を考え出したり
机上の築城理論に基づいて旧幕府軍に数時間で攻め落とされるような城築いたり
そんな連中が何を言っていたところでだから何なの、て話なんだが

というか、明のような中央集権国家と日本のような封建国家の軍制を単純比較したって
あまり意味が無いんじゃないの?

673:世界@名無史さん
12/05/07 13:15:38.83 O
そもそも寛永年間以降の学者が好き勝手に机上の空論垂れ流してくれたせいで
講談話みたいな俗説が広まって定着してしまい、後世の人間が
室町~安土桃山時代研究するときの大きな妨げになったんだがなw

674:世界@名無史さん
12/05/09 14:28:17.87 0
歴史と言えば、私は、外国人は「正しい歴史」とか「本当の歴史」を学ぶべきだという韓国人らの説教に
辟易している。「正しい歴史」とか「本当の歴史」とは、実は「韓国人の歴史解釈」という意味だ。なぜなら
歴史というものは自然科学とは違い、いくつかの基礎的事実を除けば歴史上の出来事や趨勢は様々な
解釈を許すものだからである。私は今まで、異なった見解を認める韓国地元メディアを見たことが無い。
韓国メディアのやりかたは、「反対意見など無視しろ。韓国側の主張を復唱しろ」だ。

だが、世界のほかの国々が、どうしてそれに従わなくてはいけないのか?

民族主義は東アジア全般において、
そしてとりわけ韓国において、強力な感情的な力である。韓国の民族主義の中核は、日本に対する
不信と嫌悪である。

傷ついた自尊心から生じた独善的キャンペーンが、国際的支持を受けるはずもないではないか。


【日本海呼称】イギリス人が韓国紙に寄稿:「韓国の『東海!』主張、本当の理由は反日感情ではないですか?」 ★6 [05/04]
スレリンク(news4plus板:1-2番)

675:世界@名無史さん
12/05/09 15:28:41.09 O
胴丸のはなかみ袋は
戦国時代からあったわけだが…


676:世界@名無史さん
12/05/09 20:47:27.71 0
>>675
ごめん勉強不足だった
俺がイメージしてたのは正しくは鼻紙袋じゃなくて前袋ね
草摺の裏に取り付けて口が下向きになってるやつ

677:世界@名無史さん
12/05/10 13:47:07.00 0
韓国は捏造&コピー国家

・日本語版:URLリンク(www.youtube.com)
・英語版:URLリンク(www.youtube.com)

678:世界@名無史さん
12/05/14 02:36:02.21 0
文藝春秋 2012年6月号
戦国武将の養生訓   酒井シヅ/磯田道史
URLリンク(gekkan.bunshun.jp)

秀吉の朝鮮出兵によって、陶器や陶工、印刷術のみならず、三千巻もの医学書と医官が日本に
連れてこられ、医学の発達に貢献。西日本の戦国大名の家臣団の系図を見ると、朝鮮に出自を
持つ者がかなり多く見られる、というような話が語られている。
他に、名護屋城に兵が大量に集められたことで肥前から梅毒が日本に広まったそうだ。

679:世界@名無史さん
12/05/14 09:38:52.43 0
朝鮮に帰らなかった理由があるんじゃね

680:世界@名無史さん
12/05/14 13:53:38.35 0
つ 「故郷忘じたく候」
「故郷忘れじがたく候」 じゃないぞw

681:世界@名無史さん
12/05/17 15:44:18.26 0
317:世界@名無史さん:2011/05/31(火) 12:30:52.21 0
李家軍が、他の明軍より優れているのは、
実戦経験が有無だけだ。
軍隊の強弱が実戦経験だけで判断できるわけじゃない。
常在戦場を心掛け、常日頃からの軍事訓練を欠かさなければ
実戦経験のみの軍隊より精強だ。
日々の鍛練を怠らなければ、実戦経験の乏しい鎌倉武士(元寇時)
やプロイセン軍(オーストリア継承戦争時)が経験豊かな元軍や
オーストリア軍に勝利することも可能だ。
戚継光の軍制改革後、明軍が強化されたのは、すなわち『練兵実紀』
などによる軍事訓練を導入したからに他ならない。

318:世界@名無史さん:2011/05/31(火) 12:49:14.90 0 将を実戦を積むことで鍛えられるが
兵は実戦のみでは(戦闘による死傷者など消耗も激しい)
鍛えられない。
実戦経験は他の明軍より豊富だが辺境に配置されており
明朝廷から(かつての安禄山のように)脅威とみなされて
いない時点からも明軍最強なわけはない。


↑かなり亀レスになるけどこれに反論しておく
上のレスの人は何の根拠もなしに李家軍を「優れているのは実戦経験の有無だけ」と決め付け、
まともに軍事訓練もしていなかったかのように印象操作してるが、これは間違い
何故かというと、李家軍も普通に戚継光の兵制を導入してるから

682:世界@名無史さん
12/05/17 15:46:38.17 0
「上詣謝都督李如松, 問天兵前後勝敗之異, 都督曰:前來北方之將, 恒習防胡戰法, 故戰不利。
今來所用, 乃戚將軍《紀效新書》, 乃禦倭之法, 所以全勝也。」・・・「宣祖実録」 27年2月1日

李如松は朝鮮国王に「祖承訓は北慮との戦い方しか知らなかったから負けたけど、
俺らは戚継光の兵法を知ってたので平壌で勝てました」と語ってる。
それを聞いた国王が戚継光の書(紀效新書)を見せて欲しいと李如松に頼んだけど、
如松は出し渋ったのだとか。また26年8月19日の記事には、朝鮮王朝が李如松配下の兵から
「紀效新書」を買い求めて研究させたという話も載ってる

683:世界@名無史さん
12/05/17 23:58:02.43 0
軍隊の鍛錬に最適な体験は実戦と勝利の経験だろう
訓練は最低限なんとか戦えるようにする手段

684:世界@名無史さん
12/05/18 23:07:03.44 0
>>681
倭寇や宣教師の情報を統合して秀吉は明征服に乗り出した訳だし
要は、華南のヨワッチイ兵隊しか知らないから明を軽く征服できると勘違いしたわけ。

李家軍は少なくとも倭寇の活動地域には居ない強さを持った兵隊だったと思う
だから日本軍も平壌から漢城に押し戻されてる。
そりゃ中国の歴代王朝の多くは北の民族に滅ばされてきたんだから
北の備えは精鋭を駐屯させて十全にしておくのは当然。
特に李家の守った遼陽は首都北京に程近い場所なんだから。


685:世界@名無史さん
12/05/19 14:05:48.90 0
その李如松も日本軍には大敗を喫したんだけどな

686:世界@名無史さん
12/05/19 16:22:19.22 0
その日本軍もそれから3ヶ月程で占領地のほとんどを放棄して
撤退している。

687:世界@名無史さん
12/05/19 16:27:32.84 0
撤退中に李如松の明軍と属国群が追撃してきたのを
日本軍が散々に打ち破ったんだよ

688:世界@名無史さん
12/05/19 16:29:54.43 0
冬から春を迎えるいい季節になってたんだから
そのまま北上して占領地を取り返せばいい。


689:世界@名無史さん
12/05/19 16:30:36.50 0
撤退は軍の戦闘力そのものとは関係ない

690:世界@名無史さん
12/05/19 16:45:11.16 0
冬から春にかけてのいい季節を向かえているのに、
明国征服どころか朝鮮からも撤退するのに
軍の戦闘力が関係ないなら、どんな理由で
撤退するんだ(笑)


691:世界@名無史さん
12/05/19 16:49:27.53 0
そりゃ兵站がままならないことと、明軍の圧力が増したからじゃねえのか

692:世界@名無史さん
12/05/19 17:01:29.18 0
穀倉地帯の全羅道でも占領しておけば兵站ももうちょっと
余裕があったのにな。
朝鮮義兵の抵抗にあって占領できなかったことも兵站不足
のおおきな理由だな。

693:世界@名無史さん
12/05/19 20:41:31.46 0
当時はまだ穀倉地帯じゃないけどな

694:世界@名無史さん
12/05/19 21:23:31.17 0
>冬から春を迎えるいい季節になってたんだから
>冬から春にかけてのいい季節を向かえているのに

プッ >688,690は粗国の恒例行事wであるところの春窮というのを知らないのか。

食糧事情が悲惨だった李氏朝鮮時代の半島では、冬の間に食料食い尽くして、
春蒔きの作物がとれるまで春先は絶賛飢餓状態というのが恒常化してたわけだが。


695:世界@名無史さん
12/05/19 21:56:32.59 0
>>694
西日本出身の武士どもには朝鮮半島の冬の寒さは辛かろうと思って
たんだがちがうんだな。
食料事情が悲惨なのは日本勢だけじゃねだろ。
明・朝鮮勢だって同じじゃね?
それとも明・朝鮮軍は日本勢より粗食に強いなにか根拠でもあるのか?
もっとも粗食に強いってことはそれだけ強兵だったってことなんだが(笑)


696:世界@名無史さん
12/05/19 23:32:46.85 0
サッパリ理解できてねーのなw

粗食云々とかいうレベルじゃなく、半島では食い物がないので
春に軍事行動なんぞできないんだよ。

697:世界@名無史さん
12/05/19 23:51:23.91 0
>春に軍事行動なんぞできないんだよ。
北上して占領地を取り返すどころか
現状の占領地さえほとんど放棄してるんだぞ。


698:世界@名無史さん
12/05/20 02:44:06.75 0
食い物ないなら当然だろう。
占領地にこだわりソウルに留まって飢えたら全滅じゃん。
戦争の相手が朝鮮国ではなく明国である以上、朝鮮の占領地を広げることに躍起になって
兵を損なったらただの馬鹿だよ。

699:世界@名無史さん
12/05/20 11:50:11.96 0
>>698
馬鹿の相手をするのもそろそろ疲れるわ。
朝鮮には当時500万~600万の人口が
いたんだ。
たかだか十数万の日本勢が現状の占領地を維持
できないほどの兵糧不足になるんなら、毎年の
春窮の中どうやって朝鮮人民は生活してきたんだ?
それに撤退の理由に戦闘力が関係ないならなんで
明国との和平交渉を始めたんだよ。
慶長の役に際しても明・朝鮮との直接対決を恐れて
倭城で迎え撃つ作戦を取っているんだが。


700:世界@名無史さん
12/05/20 11:59:55.79 0
>>699
年貢取れるわけでもないし略奪すれば逃散
言葉も通じないから取引もロクにできん

500万の人口がいるからって日本が軍の胃袋を満たす食料を
安定的に調達できると思うその論理性の無さが素晴らしいな

701:世界@名無史さん
12/05/20 12:18:40.52 0
>春窮の中どうやって朝鮮人民は生活してきたんだ?

草の根や木の皮を喰ってたらしいがw

半島全土に偏在する数十人から数百人程度の村落単位ならそれで食いつないだからといって、
万単位の軍でそれをやれると思うなら>699はそれこそ馬鹿だな。

702:世界@名無史さん
12/05/20 12:51:53.05 0
>>700
>年貢取れるわけでもないし略奪すれば逃散
>言葉も通じないから取引もロクにできん
だったら春窮なんて関係ねえじゃん。
春先に撤退した理由になんねえぞ(笑)



703:世界@名無史さん
12/05/20 14:45:08.56 0
>>702
春には朝鮮人ですら困窮するのに輸送が微妙で生産基盤のない日本軍が
影響をもっと強く受けるとは思わないの?

704:世界@名無史さん
12/05/20 15:19:55.77 0
>>703
もう言い訳は聞き飽きた。
戦略目標も達成できず、占領地の
ほとんどを放棄しておいて。
だいたい、慶長の役においても適当に南部
4道を荒らしまわったら、明・朝鮮軍の主力
との直接対決を避けそのまま南岸の倭城
にまで撤退して立て籠もって迎え撃つような
消極的な作戦を立てている時点で明・朝鮮軍を
恐れていないなんて言い訳は通じない。
古今東西の戦史においてもこんな臆病な侵略者は他にいない。

705:世界@名無史さん
12/05/20 15:33:52.10 0
戦略目標は達成してないが退却の理由って基本的に本国の退却命令だけだぜ?
明書だと勝算は皆無だったけど秀吉死んで助かったって書いてあるように
防衛側なのに勝算が皆無だった

706:世界@名無史さん
12/05/20 16:12:53.79 0
要するに朝鮮が日本側の想定を大きく超えて貧窮した国だったってことだわな
今の北朝鮮に攻め込んで食料を現地調達しようとすればどうなるか

707:世界@名無史さん
12/05/20 16:33:36.52 0
文禄の役で戦った明軍は強かったのだから恐れて当然じゃん。
勇敢に攻めまくって全滅したら馬鹿じゃん。
合理的じゃん。敵を侮らずに南岸の城で迎え撃ったら結果大勝利じゃん。
さすが足軽からのたたき上げ。秀吉頭良いな。

708:世界@名無史さん
12/05/20 17:36:05.66 0
>>704
耄碌で正気を失い凶暴化した秀吉の元、日本側ももうやる気がなかったんだけどね。
だから、南岸を荒らし回るだけでそれ以上何もしようとしなかった。あとは秀吉が死ぬ
のを待っていただけって感じ。文禄の役はマジでやる気があった。

>>707
小西行長、石田三成を買収し、秀次事件を起こし、日本を疑心暗鬼にさせた名将
李如松を褒め称えよ。

709:美麗島の名無桑
12/05/20 17:42:49.32 0
アメリカの朝鮮性買
アメリカ初の本土決戦  アメリカ国民vs朝鮮人慰安マッサージ婦
韓国内では、「当局が韓国人売春との戦争を宣言したという解釈」

韓国人の売春問題が相次ぐ中、アメリカでも韓国人が多いことで有名なアトランタで、マッサージ店に対して積極的な「牽制」が始まったようです。
マッサージ店といっても、韓国人がやっている売春(風俗)店のことです。

19日(現地時間)アトランタジャーナル(AJC)等、現地の言論によれば、アトランタで韓国人が最も多く居住する二ルーズ市はマッサージ業者関連条例を次のように改正しました。
・事業者登録税を50ドルから1千500ドルに30倍引き上げ
・マッサージ業者の数を制限する
・当局の要求があった場合、事業主と従業員の指紋を採取、提出する

スレリンク(news4plus板)l50

710:世界@名無史さん
12/05/20 17:48:30.38 0
>>708
明様々だな。
いや、明の属国でなければ今頃は日本国に不可分な一部になって
もっと繁栄した良い暮らしを享受していたから、結果的には不幸だったか。

711:世界@名無史さん
12/05/21 14:22:01.19 0
>>704
慶長の役って明軍も朝鮮軍も緒戦で蹴散らされて逃げ回り
日本軍が兵力の半分を帰国させて翌年の攻勢の準備してたら
調子に乗って攻めたけど、また完敗した戦争じゃん
万全の準備を期した11万の大兵力で三城を同時攻撃したのに一城も攻め落せず、
それどころか膨大な戦死者を出して惨敗しちゃうなんて
古今東西の戦史においてもこんな情けない軍隊は他にいないんじゃないの?w

712:世界@名無史さん
12/05/21 22:22:20.23 0
三路の戦いって、どの戦域でも敵城を落とせる気配すら無かったからね。
三か所同時攻撃なんて大風呂敷を広げるのは無理があったんだよ。
文禄慶長を通して不落だった倭城に1万の日本軍が籠る。
これだけで10万の大軍を動員して一か所を攻め込むだけの必要性があった

そもそも第一次蔚山城の戦いも未完成でかつ兵糧備蓄の少なかった蔚山城を
6万近い大軍で奇襲に成功するような形で籠城戦に持ち込み、初撃で外廓を突破できたのに
結局は1万の兵で籠城する日本軍を攻めて落せなかったんだから
第二次は加藤清正が万全の態勢で守ってるんだから
正直10万を超える大軍で攻めても落とせないよ。



713:世界@名無史さん
12/05/22 00:31:37.58 0
武力を誇ってどうにでもできると思い上がって失敗するキャラなのか、日本は

714:世界@名無史さん
12/05/22 00:33:20.29 0
朝鮮側としては、追い返せば勝利だからな。
戦死者数では日本を上回ったとしても。

715:世界@名無史さん
12/05/22 00:50:56.85 0
A国とB国が戦争しました
戦後B国はA国の定めたルールで片務的に外交使節の派遣を義務付けられました
戦争に勝ったのはどっちの国でしょうか?

716:世界@名無史さん
12/05/22 00:58:13.95 0
日本と明は国交回復してないんだよね

717:世界@名無史さん
12/05/22 00:58:37.02 0
すぐには

718:世界@名無史さん
12/05/22 01:08:19.49 0
A国は何がしたかったのか
有り余る軍事力を発散したかっただけなのか

719:世界@名無史さん
12/05/22 01:13:48.77 0
>>711
だからー、日本軍の戦闘力が明軍や朝鮮軍より上なら、
なんでそんな面倒な作戦を取る必要があるんだよ。
さっさと南部4道を占領し、要所要所に諸大名軍を配置
すればいいだけじゃん。
それを明軍や朝鮮軍の主力部隊が南下する前に南岸の倭城
に立て籠もっている時点で明・朝鮮軍を恐れていないはずがない。


720:世界@名無史さん
12/05/22 02:04:10.63 0
>>719
朝鮮王朝の過酷な収奪で貧窮極まる荒地を占領してやる慈善事業を
日本が施してやる義務は無いからな

721:世界@名無史さん
12/05/22 06:20:27.38 0
>>715
片務的ってのは「滞在費用はこちら持ちですからおいで下さい、こちらからお伺いして
お手間をとらせる事はいたしません」って事を言ってるのか?

722:世界@名無史さん
12/05/22 10:26:09.40 0
片務的っつーのは言い過ぎだろうが、朝貢される側が大盤振る舞いってのは
中国王朝でも同様だからな。

で、朝鮮通信使には日本側も金を使ったけれど、その大半は沿道諸大名持ちだし、
逆に朝鮮は通信使を出すだけで、その諸費用(造船やら礼単やら)で国庫が
払底したという明らかな事実があるしな。
他方、李氏朝鮮は日本側を国防上の観点から警戒して招かなかったとか言う話は
あるものの、実際問題といて双務的に日本側を同様の歓待レベルで漢城に招くなんて
言うのは財務面から逆立ちしてもムリポ、という国力差はやはり如実にあったわな。

723:世界@名無史さん
12/05/22 10:29:11.70 0
>>719
だからー、それを半島全土規模でやって食い物もなく惨憺たる目にあって
懲りたからだろーがw

過去の失敗を踏まえず同じコトを繰り返すのは朝鮮人くらいだろ。

724:世界@名無史さん
12/05/22 14:53:25.33 0
>>719
戦闘で勝てるかどうかと、統治できるかどうかは別問題だろ

>それを明軍や朝鮮軍の主力部隊が南下する前に南岸の倭城
>に立て籠もっている時点で明・朝鮮軍を恐れていないはずがない。

よく分かってないみたいだが、倭城に駐屯していた部隊の目的って
翌年の攻勢までの間、守りを固めて拠点を確保しておくことだぞ
まさか、わざわざ城外に野営しておくべきだったとでも言うつもりか?
敵なんか怖くねえ!!とか見栄張って守備側が城を利用しないとか、ただのバカだろw

しかも三路の戦いのとき全軍の過半数は帰国している状態で、倭城を守っていたのは実質六万人程度
要は、明軍や朝鮮の主力軍が押し寄せて来てもその程度の兵力で十分撃退できると考えてたってことじゃん
事実、その通りの展開になってるしw

725:世界@名無史さん
12/05/22 19:26:53.14 0
10万の大軍と戦ったのは結局3万程度で
しかも内容は記録的な大勝

726:世界@名無史さん
12/05/22 21:41:49.39 0
統治する気も無い戦い、スポーツ・ゲーム感覚?

727:世界@名無史さん
12/05/22 22:51:19.60 0
>>726
「唐入り」という字の意味がわからない池沼

728:世界@名無史さん
12/05/23 06:56:36.54 0
統治する気も無い戦い、雑兵の乱暴狼藉・略奪感覚!

729:世界@名無史さん
12/05/23 07:30:10.48 0
前回の反省を生かして地道に進軍、勝ち続けの状態。
そして本格統治する前に秀吉が死んで撤退



730:世界@名無史さん
12/05/23 08:43:18.23 0
つまり、明征服は確実に出来たが国内権力基盤がダメだったので撤退、
いやむしろ豊臣世界帝国の悪夢から皆が全力で逃れた結果?
恐怖の独裁者秀吉に屈従してただけなのか?

731:世界@名無史さん
12/05/23 09:58:55.79 0
がんばれば北京くらいは落とせたかもしれんが明征服は無理だと思う

732:世界@名無史さん
12/05/23 13:28:47.13 0
>>721
当時の外交儀礼は洋の東西を問わず客のもてなしをホスト側が全額負担すんのは常識
日本もスペインに対して使者出した時全部スペイン持ちでバンカロータの原因の一つになってたりする

733:世界@名無史さん
12/05/25 07:29:44.64 0
>>730
日本が勝ちまくってたのは朝鮮半島南岸に城を築いて戦ったからってのもあるからね。
慶長の役の目的である南部4道の占領に限ると明、朝鮮軍の終盤の崩壊振りを考えると楽勝だっただろう。
朝鮮半島全域も慶長の役での戦い方(城を作りまくって補給線を十全にして進軍)なら可能性は高かったと思う。

けど鴨緑江を越えた後と、山海関付近でまともに補給線が維持できるかは不明。
特に鴨緑江を越えたら、明とヌルハチの挟撃を受けることになるからね。



734:世界@名無史さん
12/05/25 07:30:38.67 0
伊達に朝鮮が属国ながら国を維持できたのも
あの満州の地が大軍を駐屯さすのは向かない土地であってのも事実だし

735:世界@名無史さん
12/05/25 22:43:55.78 0
>>733
まだ侍幻想に浸っているの。
天野源衛門も荻生徂徠も明軍の強さに
日本側がおどろきあわてている様を
記述している。
秀吉が生きていたところで日本の勝利は
おぼつかないよ。

736:世界@名無史さん
12/05/25 22:59:03.62 0
>天野源衛門
>荻生徂徠
無名与力の日記か何かよりも
当事国の全く勝ち目は無かったという報告書や
一次史料に基づいた明史の評のが信頼出来るよね

そもそも全文見ない判断不能だしね、驚いただけの可能性も高い

737:世界@名無史さん
12/05/25 23:30:58.73 0
>>736
まーたお得意の話のすり替えかよ。
>当事国の全く勝ち目は無かったという報告書や
南岸に強固な倭城を構築してそこに立て籠もって
いる間だけじゃねえか。
もっともわざわざ十数万の大軍で再侵攻しておきながら
敵の主力が来る前に南岸に撤退して倭城に立て籠もるなんて
アレキサンダーのマケドニア軍やカエサルのローマ軍と比較
するまでもなく第一回十字軍と比べても相当情けない侵略軍
だな。

738:世界@名無史さん
12/05/25 23:47:14.68 0
秀吉が10年とか生き続けてたら延々と大陸の戦いが続き女真やモンゴルや
スペインポルトガルオランダとかから干渉されたりしてんだろうか
たしかにこれは秀吉死んだら即撤退したくなるかも

739:世界@名無史さん
12/05/25 23:48:56.65 0
十字軍が内戦中の四分五裂したシリアを何度も増援を受け
ようやく何十年もかけて占領した後、中央アジアからセルジュークの本群が来たら
1年ちょっとで叩き出されたことも知らないのかw

精強無比な明軍ですら勝てないと謂わしめた日本軍は
オスマン軍を上回って当時世界最強といえる

740:世界@名無史さん
12/05/25 23:50:36.25 0
>>735
引用元と原文を正確に書いて

741:世界@名無史さん
12/05/25 23:52:47.17 0
秀吉が10年生き続けてたら、明領朝鮮省と日本領韓藩に分割され
日本人の暮らしは今より遅れたものになってただろうね。

742:世界@名無史さん
12/05/26 00:15:12.59 0
>>739
>精強無比な明軍ですら勝てないと謂わしめた日本軍は
だから倭城に立て籠もっていたからだろ。
なんど言わせんるんだ、この馬鹿が。
>739
第一回十字軍は諸侯の混成軍でありながら3年かからずに
エルサレムを占領しているんだが。
それも兵力は日本軍が朝鮮に派遣した兵力の3分の1から
4分の1ほどだ。

743:世界@名無史さん
12/05/26 00:56:26.53 0
>>742
日本軍は精強無比の明軍に野戦でも大勝したよね。

日本軍は1年掛からずに全朝鮮を占領しているんだがw
しかも朝鮮群の総兵力はセルジューク系諸侯の10倍以上、どんだけ惰弱なんだかw
しかも内政に注力していたわけでもなく、庶民は貧窮、現地調達はロクに出来ない有様

744:世界@名無史さん
12/05/26 01:25:01.53 0
>>743
>日本軍は1年掛からずに全朝鮮を占領しているんだがw
おまえって息を吐くようにうそをつくんだな。
全羅道一つ占領できてないのにどうやって全朝鮮を占領できるんだよ。
>しかも朝鮮群の総兵力はセルジューク系諸侯の10倍以上
日本語でおk。日本が攻めてきたとき朝鮮の正規軍は7千人程何だが。
>庶民は貧窮、現地調達はロクに出来ない
砂漠地帯が多いメソポタミアに比べれば朝鮮は十分豊かだ。


745:世界@名無史さん
12/05/26 01:40:42.76 O
全朝鮮は支配してないが、
お前らどちらもブンロクとケイチョウ混同しとんやないかい。
あとメソポタミアは豊かだぞ
砂漠だからってアホか。
さらにいうと初期朝鮮も安国寺がびっくりの豊かさだわ。

馬鹿と馬鹿が争っとるな

746:世界@名無史さん
12/05/26 01:46:18.91 0
>>744
シリアもアレッポ筆頭にセルジューク系やイフリキア系の
諸侯が保持し続けた大都市は多数あったよな。
一方の日本軍は1年と掛からずに痩せ地を除く全朝鮮を占領してしまった。
十字軍と交戦した正規軍は全部で5000人前後だから最大でも李朝群の1/5を下る程度。
シリアはシリア、メソポタミアはジャジーラとイラクねw
近代農業が始まる以前のイラクは生産性の高い穀倉地帯だよ

747:世界@名無史さん
12/05/26 07:06:32.63 0
メソポタミアが豊かだったのはモンゴル帝国(フレグ)に荒らされるまで。
モンゴル帝国はメソポタミアの農地、灌漑施設を破壊し、一気に生産性の
低い土地へと様変わり。

当時は朝鮮の方が豊かだったと思われる。まあ、支配者がろくでなし
だったから、土地を生かしきれなかったと思うが。

748:世界@名無史さん
12/05/26 11:01:12.85 O
>>732
バカロリータに見えたw

749:世界@名無史さん
12/05/26 17:30:11.48 0
>>735
天野君は明軍は強い強いと騒ぎながらも、その件の碧蹄館じゃガッツリと勝ってるがなw

武辺強き唐人かなって言ってるのも
そもそも明トップクラスの李如松率いるの明国超精鋭なんだから当たり前だし
(前年には慶長の役で朝鮮に救援に来る、回族出身の麻貴と共にモンゴルのボハイの乱を鎮圧してる)
処女の如くと言われた朝鮮兵や明の普通の兵隊と比べりゃ、こちらも損害が出るから武辺強き唐人って意味だろ

「今までの連中は男なのに男も知らない小娘みたいに弱かったが、
今度の連中は身体もデカいし戦も上手くてつええなw」
ってノリで書いてる。


750:世界@名無史さん
12/05/26 17:48:06.77 0
>>737
文禄じゃ加藤がオライカンまで攻め込んでるし、普通に平壌、ソウルで戦をしてるでしょ。
慶長の役では補給線の確保重視の完勝を目指して時間がかかるがローラー作戦に変更したんだよ。
勿論効果は抜群で朝鮮兵は当然として明の精鋭相手にも勝ちっぱなし、圧勝の連続。作戦の正しさが実証された。
しかし、作戦の最中に秀吉が死んだってだけ。

それに、相手はあの世界の超大国明国だからね。幾ら日本が世界最強レベルであっても
アレキサンダーやカエサルのように無人の荒野を行くような進軍を行える訳ない。
(事実、相手が朝鮮だけならば2カ月で首都を陥落させて無人の荒野をいくがの如くの進軍であったが)



751:世界@名無史さん
12/05/26 18:41:55.05 0
>>749
また、同じことの堂々巡りなのかよ。
ピョンヤンが陥落したあと石田三成が
ソウル防衛のために北朝鮮各地の軍を
呼び戻した際も、その後ソウルで明軍を
迎え撃つことを提案したときも小早川隆景
や立花宗茂は城外で迎え撃つここを主張
諸将の賛成を得て出撃し、碧蹄館で勝利した。
戦後、明軍追撃を主張した宗茂に対し、隆景
はソウル防衛に方針転換を主張し諸将の支持を
得た。
これなんかも明軍の精強ぶりに対する日本側の対応
の変化を表している。



752:世界@名無史さん
12/05/26 18:51:35.98 0
>>750
小早川隆景を主将とする第六軍1万5千は
全羅道を攻略するべく攻め込んだが、
権慄傘下の官民合同軍2万の抵抗にあい、
攻略をあきらめて撤退している。

753:世界@名無史さん
12/05/26 19:01:49.75 0
8月初旬、権応銖の義兵隊は、他の義兵隊と協力して、500余名の
日本兵が守る永川城(慶尚道)を攻撃して、これを全滅させた。
続いて権応銖の義兵隊を中心に各義兵隊が協力して、慶州城も解放した。
以後、慶尚道を占領した日本軍は、小部隊による掠奪もできなくなり、
数十・数百の兵が守る砦は、義兵の攻撃にさらされて全滅するか、
または撤収せざるを得なくなり、結局、重要拠点に兵力を集中する
しかなかった。
かくして、日本軍の補給路は遮断され、移動も思うままにできず、
大部隊を編成してのみ可能であった。



754:世界@名無史さん
12/05/26 19:04:44.90 0
この他にも有名な義兵将として、趙憲・申蘭秀や、僧侶の霊圭は忠清道
を舞台に、福島正則・蜂須賀家正の軍と戦い、禹性伝と洪彦秀・季男父子
・金千鎰等は、京畿道を舞台に宇喜田秀家の軍と戦い、朴渾・禹応民・元豪は、
江原道を舞台に森吉成・島津義弘の軍と戦い、李廷○・宋徳潤・趙光庭等は、
黒田長政の軍と戦って延安城を守り、黄海道でゲリラ戦をくりひろげた。
鄭文孚・李鵬寿等は、咸鏡道北部で加藤清正軍と、柳応秀・李惟一等は、
咸鏡道南部において鍋島直茂の軍と戦い、高敬命・柳彭老・安瑛・梁大璞等は、
全羅道侵入を企てる小早川隆景の軍と戦った。


755:世界@名無史さん
12/05/26 19:05:55.25 0
このように義兵闘争は、地域と中心人物により異なる多様な形態で、
朝鮮全土に広がっていった。
日本侵略軍の優勢は、4月~6月15日の平壌占領までの三ヶ月間で
あり、それ以後は朝鮮水軍の連戦連勝によって制海権を失い、陸では
義兵達のゲリラによって孤立し、守勢に追い込まれていった。
このように義兵隊の活躍は目覚ましく、戦局を転換する上で大きな
役割を果たした。
URLリンク(www.oct.zaq.ne.jp)



756:世界@名無史さん
12/05/26 20:02:46.35 0
>>752
いつの話だよ
李朝実録だと全羅道を抜けて釜山へ入った隆景と戦いボッコボコにされてるぞw

757:世界@名無史さん
12/05/26 20:50:21.87 0
各道州城の李朝群兵を合わせると少なくとも五万は超えてるなw

758:世界@名無史さん
12/05/26 21:11:01.11 O
>>753-755
で、それらの記述の一次史料のソースは?

759:世界@名無史さん
12/05/26 21:14:47.50 O
>>756
多分小早川隆景じゃなくて、宇喜多秀家が幸州山城を攻め倦ねた戦いを言いたいんだと思う。

760:世界@名無史さん
12/05/26 21:34:01.40 0
>>758
一次史料だと、援軍がまだ来ない、援軍寄越せ
あそこは陥落した、戦が起きて打ち破られた
何所何所が潰滅した、民が逃散した、って記録ばかりなのに不思議だよね

761:世界@名無史さん
12/05/26 21:54:54.72 O
日本側の記録見たらそういう記述があるんでしょ。
日本側の学者ですら同じような事言ってるし。

北朝鮮にある北関大捷碑に関してはぶっちゃけ史料価値あんま無いんじゃね?って言われてるが。

762:世界@名無史さん
12/05/26 21:56:58.02 O
>>760
義兵の活躍は公式史料には残らないのSA!(キリッ
いや、冗談はさておきちょっと李舜臣関連と併せて調べてみるか。

763:世界@名無史さん
12/05/26 22:50:16.08 0
翌年、壬辰倭乱(文禄慶長の役)が起きて首都が陥落すると、広州牧使
として防禦使の郭嶸のもとにはいり、中位将になって竜仁で日本軍と
戦ったが、敗れた。その後、南原で1,000余名の義勇軍を募集し、
錦山郡の梨峙で敵将の小早川隆景の精鋭部隊を大破した。
URLリンク(www.independence.or.kr)

764:世界@名無史さん
12/05/26 23:28:00.55 0
結局一次史料には記録が見当たらずかw

765:世界@名無史さん
12/05/26 23:46:48.87 O
梨峙はわからんけど、次の幸州山城では実際に撃退してる。
ただ、そのリンク先の日本側の犠牲者が二万は明らかに誇張だがw
逆に言えば文禄・慶長を通じて陸戦で負けたのは
これと第一次晋州城攻防戦と明軍の平壌奪回くらいだが。
因みに海戦は閑山島を最後に輸送船団の襲撃も上手くいってないみたい。

766:世界@名無史さん
12/05/26 23:55:35.78 O
当時の海軍に制海権なんてにぎる力がないことをわからん奴が
記事を書くのが朝鮮クオリティ
まぁさすがに学者はファンタジーとわかっててなお
朝鮮のアイデンティティーの為に嘘を書いてるかもしれんが。
哀れな民だ。


釜山対馬間を切断できてないことは海戦の場所がそこにないことでも明らかなのに
なぜ平気で補給線を切ったみたいなこというかね。

767:世界@名無史さん
12/05/27 00:03:42.44 O
逆に言えばそこより北は義兵や水軍で分断できてたんじゃないかな?
例えばその釜山より北の海域も日本が制海権握ってたり
漢城までの補給路がちゃんと確保できていれば、碧蹄館での勝利後に
平壌奪回することもできたかもしれんし。
いずれにせよ、講和を結ぶ段階では漢城での補給にはかなり難儀してたっぽい

768:世界@名無史さん
12/05/27 00:19:14.84 O
補給に難儀してたのは現地調達を阻害されたからじゃね?
遠くに食料送るのは海軍による制海が成り立ちがたいのと同じ理由で
発動機がない当時の軍には困難だろう


769:世界@名無史さん
12/05/27 00:27:42.87 0
>>767
李朝側の記録でも、緒戦以降の李朝水軍は負け通し
何度か不用意な攻勢に出て大打撃を被ってる

770:世界@名無史さん
12/05/27 00:30:44.36 O
日本にもポルトガルのような航海技術があれば・・・。
現地調達に頼ることへの限界に対する反省から、ちびちびとやってた二回目は
経緯を見ると割と首尾よくいってたように見えるが
秀吉死んで即撤退したのを見ると、やっぱみんな無理を感じてたのかな?

771:世界@名無史さん
12/05/27 00:33:01.12 0
仮に戦争で圧勝しても、統治コストと見合うだけのメリットが
なければ撤退するという場合もあるんじゃね。

772:世界@名無史さん
12/05/27 00:33:34.32 O
>>767
>>769
海上ルートで釜山から漢城付近に輸送するのは無理だったんかな?

773:世界@名無史さん
12/05/27 00:42:58.83 0
>>770
ポルトガル軍なんて、全力出しても2,万人弱だからな
南米大陸の公認武装商人は数百人のレベルだし

774:世界@名無史さん
12/05/27 00:53:24.39 O
いや、本国は常備軍だけでも15万の精鋭がいたぞ。
しかも半数はマスケット銃装備で騎兵も充実してるぞ。
ってこれはスペインの話だったなw

>>770
むしろ「権力者が死んだ!後継者は幼い!なんか周囲もきな臭い!
これから日本というか俺の領国はどうなるんだ!?」
って時に呑気に「へっへっへ、俺は新天地でパラダイスを築くぜw」
なんて領国ほったらかして異国統治に精出す奴がいたら
ホンモノのアホだと思うぞw

775:世界@名無史さん
12/05/27 01:04:58.16 O
>>648
ノート見たら向こうの人っぽいのが凄い勢いでファビョってて吹いたw

776:世界@名無史さん
12/05/27 02:03:20.27 0
>>774
スペインの常備軍は本国と低地諸国とイタリアの封領の駐屯兵と
封建領主のお抱え武士くらいで3万人届かないよ。
全力出せば8万人強はいくけど

777:世界@名無史さん
12/05/27 02:34:31.09 0
>>751
なんだ認識は一致してるじゃないか
救援に来た明軍は明の中でも精鋭中の精鋭だけあって超強い
それこそ、普通の戦国大名と変わらないぐらいの強さだった。
それが4~5万も兵を率いてきたんだから万全を期すのは当然。

・李瞬臣の海上ゲリラ戦で西進が出来なかった(西進する戦略は無かったぽいけど)
・民衆ゲリラによって兵站に支障がきたした、
・明の精鋭は朝鮮雑魚兵と違って、日本軍も警戒するぐらい強かった
それこそ、朝鮮兵、朝鮮ゲリラと戦う時は農民一揆を戦うノリで、李如松と戦うのは戦国大名と戦うノリ
(けど、農民一揆って幾多の大名武将を殺してきた半端ない戦闘力を有してたから、朝鮮兵よりは精強だろうけど)

>>756
梨峙の戦いって奴じゃないの?


778:世界@名無史さん
12/05/27 02:55:23.09 0
フロイスが死因については敵に討たれたのは僅かであり
大多数が病気、飢餓、凍死で死んでるって記述してるように
文禄の役は兵站の維持が最大の課題だった

それこそ>>753-755に有るように文禄の役での死者の大半の原因が兵站求められるとすると
慶長の役では、前回の反省を生かして
最初の全羅道、忠清道において掃討作戦を行って、次に補給線の構築に全力を注ぐって
戦略は些か慎重すぎるぐらいの、前回の反省を生かした完璧に近い戦略だと思うよ。

慶長の役も前回同様に一直線で進撃すれば漢城辺りまでは余裕で占領出来ただろうけど
次の明軍の救援は李如松の精鋭(李如梅、董一元)以外にも麻貴や劉テイ、陳リンの参加する
明国オールスターに近い布陣なんだから結局は行き詰るよ。


779:世界@名無史さん
12/05/27 03:50:54.10 0
>>778
明軍の補給は李朝の義務だから大した兵力展開できないよ
史実でも李朝領で多数の飢餓、逃散が起きてるし
>>777
梨峙の辺りで起きただろう戦は、李朝の将官が多数戦死しただけで
今のような軍記が書かれたのは李朝末期だからなw

780:世界@名無史さん
12/05/27 11:08:49.18 0
>>779
>梨峙の辺りで起きただろう戦は、李朝の将官が多数戦死しただけで
小早川隆景(日本一の賢人)の全羅道攻略は失敗してるんだが。

781:世界@名無史さん
12/05/27 11:16:24.64 0
お前の反論(?)は毎度意味不明だな

782:世界@名無史さん
12/05/27 12:11:52.17 O
中野等氏は何の一次史料準拠にしたんだろうか?

783:世界@名無史さん
12/05/27 13:04:18.39 O
>>778
逆に言えば、韓国側や一部の日本の学者が主張する
水軍やゲリラが日本の正規軍をフルボッコっていうのは嘘なのね。
勿論、輸送部隊を襲って補給線を脅かすのは立派な戦術だが。

784:世界@名無史さん
12/05/27 13:07:44.01 O
>>776
スペインの行政記録見ると、1588年の4月には
フランドル地方だけでも歩兵が56000、騎兵が3600いたみたいだぞ。

785:世界@名無史さん
12/05/27 13:17:56.22 O
>>781
実際に全羅道の平定には割と苦戦してるよ。
一回目の晋州城攻めと幸州山城攻めには失敗してるし。
ただ、梨峙の戦いに関しては一次史料がどこにあるんかわからんけど。

786:世界@名無史さん
12/05/27 15:49:09.09 0
>>783
まともに艦隊決戦なんてやったら元均みたいに即死するでしょ
勿論、伏兵に引っかかって戦闘艦(安宅船、板屋船等屋根の有る船。)でも
手痛い負けを喫することが有ったのは事実だけどね。
李瞬臣は限られた手駒で出来るだけの事をやった名将だと思うよ
ただ、今過剰に称えられてるだけであって。

787:世界@名無史さん
12/05/27 16:42:14.27 0
>>784
なんとか公が絶賛謀反中で宿老の大公や王弟を派遣して全力鎮圧
都市を要塞化して守備兵を減らす政策も実行途上で
各地にまとまった守備兵を張りつけてた時期だよ。
その頃は仏とも和平中で手持ち戦力も全力投入

788:世界@名無史さん
12/05/27 16:48:45.36 O
日本人の間では完全に小物扱いの脇坂さんが
向こうでは物凄い大将軍みたいな扱いって時点でお察し。

789:世界@名無史さん
12/05/28 01:55:16.24 0
小早川隆景率いる第6軍1万5千人って、立花宗茂の3千人や小早川秀包の
1千5百人を擁してる当時の日本でも最精鋭の一つだろ。
その第6軍でも実戦経験もない武装農民である義兵に勝てなかったんだから
120年の戦乱に揉まれた史上最強の武士たちもたいしたことねえな。

790:世界@名無史さん
12/05/28 02:17:19.38 0
えっ?
李朝官軍は全羅道を通過した隆景隊を追撃して夜戦を仕掛け
準備万端の日本軍に散々打ち破られ大敗したよ。
朝鮮学校でどう教えられたかは知らんがねw

791:世界@名無史さん
12/05/28 03:12:49.47 O
>>789
だからその義兵が小早川隆景をコテンパンに破ったとかいう
梨峙の戦いの一次史料を提示しろと何遍も言うとるやないか。

792:世界@名無史さん
12/05/28 03:16:13.95 O
>>789
14万の大軍で攻め込んでおきながら
たかだか四万に満たない武士に殲滅された元軍や
1万を越す軍勢で攻め込んでおきながら
12歳の子供が跡を継いだばかりの頃の
たった数百の対馬の武士に惨敗した朝鮮軍ほどでは・・・

793:世界@名無史さん
12/05/28 14:23:17.55 0
>>789
全羅道の義兵は確かに頑張ったけど、結局は明軍南下までの時間を稼いだってだけだからなあ
梨峙の戦いではなんとか砦を死守したけど死屍累々の状態で、退却する日本軍を追撃もできず
錦山の戦いでは日本軍を二度攻めて二度とも惨敗、部隊は壊滅、指揮官の高敬命も趙憲も戦死してる
なんとか侵攻を阻んでいたと言うならわかるが、とても日本軍を大破したなどと言える状況ではない
六番隊はその直後に南下する明軍への対応のために京畿道へ移動させられてるから
全羅道が制圧を免れたというのも結局は明軍のおかげさまなんだよね

794:世界@名無史さん
12/05/28 14:24:48.41 0
>>778
>戦略は些か慎重すぎるぐらいの、前回の反省を生かした完璧に近い戦略だと思うよ。

明侵攻というマクロな視点では前回朝鮮半島を「通行路」にした事自体が間違いだったんだから
再び朝鮮出兵した時点で轍踏んでるようなもんだけどな
出兵目的が明・朝鮮に対する「懲罰」という名目が本当だったのならともかく

795:世界@名無史さん
12/05/28 14:28:51.40 0
>>737

>>724で回答済み
ちょっと前の過去レスくらい読んどけドアホ

796:世界@名無史さん
12/05/28 15:16:36.99 O
>>794
とはいえ、直接明に攻め込むのもナンセンスじゃね?

797:世界@名無史さん
12/05/28 15:18:57.72 O
>>793
梨峙の戦いって拠点攻防戦だったのか。
なんかまるで野戦で小早川の大軍を撃破したみたいに語る人がいたが。
しかし、幸州山城といい晋州城といい全羅道はやけに守りが堅い要塞が多かったんだね。
なんでだろうか?

798:世界@名無史さん
12/05/28 15:25:17.07 O
>>795
>>724の意見には特に異論はないけど、泗川の戦いだと
鬼島津さんが城から打って出て、釣り野伏やったんじゃなかったっけ?

799:世界@名無史さん
12/05/28 15:42:02.60 0
>>796
明に攻め込むなら倭寇に好き勝手されてる南方
そしてそこを攻めることが出来ないなら明侵攻は断念するのが正解

800:世界@名無史さん
12/05/28 19:35:25.77 0
倭寇みたいに沿岸を襲撃して逃げるだけならともかく
元寇のときの南路軍みたいな目にあうんじゃないの?
東シナ海ってたまに台風通るし。元軍は暴風雨で船を失って五島列島のあたりで
孤立して無縁の状態になって皆殺しにされたんだろ?

801:世界@名無史さん
12/05/28 20:24:10.37 0
だから結論として
「日本の国力で明の征服は無理」だろ
唐入りが最初から半島の占領を目的としたものだったら成功したかもしれんが

802:世界@名無史さん
12/05/28 22:43:19.60 0
占領地域が増えるにつれて負担が増えそうな戦略ではあるなあ
後継政権が戦略を継がなかったのはそういうわけか

803:世界@名無史さん
12/05/29 00:00:51.24 O
元寇にしろ唐入りにしろこれがアジアのパワーバランスなんだということを感じさせてくれるな。
日本は大陸の帝国に脅かされないほどの力を持つが
逆に大陸に攻め込んでこれを制圧するほどの力は持たないと。

804:世界@名無史さん
12/05/29 00:26:06.50 0
>>795
いちいち反論するのも面倒だけど、
>当事国の全く勝ち目は無かったという報告書や
これは倭城を攻めて撃退されたことについての感想だろ。
>翌年の攻勢までの間、守りを固めて拠点を確保しておくことだぞ
おろかな侍厨はなんも疑問を持たないようだが、慶長の役開戦前から
慶尚道南岸に4万の日本兵が駐屯していたんだが。

805:世界@名無史さん
12/05/29 00:48:46.79 0
>>804
>反論できる箇所が無くて哀しいけど
あっそ

>これは倭城を攻めて撃退されたことについての感想だろ。
これは明の将軍が半島入りして以降の攻城野戦、全戦役を通じての所感だよ。

>侍羨ましいニダ、悔しいニダ。なんも疑問を持たないようだが
>慶長の役開戦前から慶尚道南岸に4万の日本兵が駐屯していたんだが。
だから城を築いて2万強に減らし、恒久的な領国にしようとしたんだが。

806:世界@名無史さん
12/05/29 00:59:35.17 0
>>803
大陸の統一政権でも台湾ですらロクに支配出来なかった事を考えると
地中海と違って太平洋では海を越えて武力侵攻するのは19世紀になって
航海技術が飛躍的に進歩するまで極めて困難だったんだろうね。

807:世界@名無史さん
12/05/29 01:22:15.16 0
>>805
出たー!
こまったときの朝鮮人認定
おまえネトウヨだろ(笑)


808:世界@名無史さん
12/05/29 01:30:11.76 0
航海技術じゃなくて火力と地理の問題だね
列島と半島の間には東シナ海、半島と大陸の間には湿地帯と河川と丘陵が続くが
アナトリアとギリシャの間は狭いボスポラスがあるだけで、両側も人口密集地帯。

半島王朝は東アジアの中じゃ弱小でも、東地中海沿岸の後背地が無い諸国に混じれば
国土の広い大国、しかも山だらけな上に平野間盆地間の交通の便も悪い
制圧するのは北アフリカやシリアのように簡単にはいかない。

809:世界@名無史さん
12/05/29 01:44:21.68 O
ドーバー海峡や地中海と違い対馬海峡も東シナ海も荒波の難所だ。
それでも日本側から半島に渡海する場合は反対のパターンに比べ
半島に上陸してから内部に攻め込むとこまでは割とスムーズにいくのは
対馬が歴史的に日本の領土だったことが大きいと思うよ。
逆パターンの元寇の場合はまず対馬や壱岐を制圧しなきゃいけないから
結局九州に辿り着く頃には体勢を整えられてしまい、現地での橋頭堡構築に失敗してる。

810:世界@名無史さん
12/05/29 01:56:13.47 0
実際、距離的には目と鼻の先のはずの東路軍ですら、狭い船倉に押し込められ
ジメジメした不潔な環境で、食事もろくなものが無いので病人続出で台風が来る
前に元の将軍は根を上げていたぐらいだからな。
江南軍は数の上では圧倒的だけど、状況は遥かに悪かった筈だから文字通りの
「烏合の衆」。仮に「神風」が吹かなくとも元が日本を制圧するのは不可能
だったろう。

811:世界@名無史さん
12/05/29 02:20:14.33 0
だね、九州沿岸へ到着する航海技術があっても
海岸線の開けた東地中海と違って簡単には上陸できないし
穀倉地帯に近いアナトリアやシリア沿岸部と違って半島南部は食料に欠く
日本側の軍勢も国土の広さと人口に比例して多いから苦戦必至。

812:世界@名無史さん
12/05/29 02:26:45.41 O
>>810
しかも近くの島に上陸したらしたで
一斉に武士の皆さんが目の色変えて殺しにやってくるんだぜ?
悪夢にも程があるわ。

813:世界@名無史さん
12/05/29 22:35:16.82 0
(3)六月八日安国寺恵瓊書状
「当国之事、第一兵粮沢山之儀、不可言竭候、ーー一城ニ白米四五千石、黒米籾
大豆麦以下雑穀等之蔵之事者、更以不知数候ーーー、城々ニて兵粮下行候間、高
麗着以来ハ、日本之兵粮少も不入候、我等兵粮之事、名護屋のこともと申所、対
馬の豊崎又釜山浦所々残置候、如此候間、此方への気遣、少も不可有之候」


814:世界@名無史さん
12/05/30 15:10:57.41 0
二回目の出兵でドンドン半島人をポルトガル人の奴隷商に売り払えばw

815:世界@名無史さん
12/05/30 21:11:57.91 0
>>814
実際に売り払いまくってるけどな。まあ、数十万人売れたと言われる日本人自身ほどは
売れてはいない。

816:世界@名無史さん
12/05/30 22:49:39.80 0
正直、国内人口面では、中国の三国時代と並ぶ暗黒時代だよ、安土桃山時代は。
その人口減少率は、太平洋戦争が可愛いぐらい酷いものだった。

817:世界@名無史さん
12/05/30 23:07:40.20 0
評者は著者がいうような兵粮調達に関する「政策の変換(変容)」は文禄の役
の開戦時にはなかったと思う。朝鮮侵略戦争全体を通じても、基本的な政策の変
化はなかったとは思うが、もしも政策の変化があったとすれば、「版図の確保」
に目的を切り替えた慶長の役、侵略戦の再開時であろう。「仮途入明」(=明へ
の道を貸してほしい)を主張した文禄の役と、「稲禾を刈って糧に供せ」「首を
取らずに鼻を削ぎ、塩蔵して京に送れ」と命令された慶長の役とでは、建前上、
後者の方が略奪指向は強かった。「兵粮は諸人より憎まれながらも現地調達いた
すつもり」。島津義弘の書状中の言葉である。これも文禄開戦当初の話ではなく、
慶長三年の史料に登場する(正月九日・旧記雑録後編)。著者の論旨とは逆にな
るが、慶長再戦時に敵対地への略奪指向、武力による威圧政策が強化され、宣言
された。


818:世界@名無史さん
12/05/30 23:19:38.38 O
>>815
その50万人という数字はデマだよ。
人身売買で売り飛ばされた日本人がいたのは事実だが。

>>816
日本の場合、特に人口が大きく激減した時代は無かったはず。

819:世界@名無史さん
12/05/31 00:28:22.02 0
>>817
ニホンコむつかしねw
>>816
室町後期から織豊期にかけて技術革新で農業生産が伸び人口は増えたよ
>>818
南蛮船ってそんなに船数往来してないからね
全部の貿易船に目一杯詰め込んだと仮定しても
50万人もいかないw

820:世界@名無史さん
12/05/31 14:42:24.00 0
>>804

>慶長の役開戦前から慶尚道南岸に4万の日本兵が駐屯していたんだが。

慶長の役で日本軍は新たに八城を築いて、戦線はそれまでの三倍に拡大してるよ
守備兵力を増強するのは当たり前

821:世界@名無史さん
12/05/31 23:48:45.11 0
>>816
平気で嘘をつくな、もしくは天然バカなのか?

三国志の時代は漢の時代の最盛期より
人口は6~8分の1程度まで落ちてた筈
室町最盛期の人口が1億近くいないとお前の発言は辻褄が合わない。


822:世界@名無史さん
12/05/31 23:50:28.02 0
戦乱で戸籍の把握率が下がったせいもあるだろう。

823:世界@名無史さん
12/06/01 00:11:47.02 0
>>820
天下の賢人、小早川隆景が率い、鎮西一の勇者立花宗茂も従軍する日本
最精鋭、六番隊1万5千人でも攻略できなかった、全羅道を左軍、右軍合わせて
11万以上でようやく攻略したのにそのほとんどを放棄することになんの意味が
あるんだ(笑)

824:世界@名無史さん
12/06/01 00:46:17.67 0
×天下の賢人、小早川隆景が率い、鎮西一の勇者立花宗茂も従軍する日本
×最精鋭、六番隊1万5千人でも攻略できなかった、全羅道を左軍、右軍合わせて
×11万以上でようやく攻略したのにそのほとんどを放棄することになんの意味が
×あるんだ(笑)

知略家の小早川隆景が率い、九州一の兵たる立花宗茂の従軍する
日本軍の六番隊1万5千人が無視した全羅道は、秀吉の指示で攻略が決まると
左軍と右軍合わせて6万弱を動員して瞬く間に攻略した
そのほとんどをわざわざ放棄することになんの意味があるんだ(笑)

825:世界@名無史さん
12/06/01 01:00:57.66 0
>>824
>左軍と右軍合わせて6万弱を動員して瞬く間に攻略した
左手の備(左軍) 計49600人
右手の備(右軍) 計64300人
合計113,900人
7月下旬から9月下旬まで2ヶ月ほどかかっている。

826:世界@名無史さん
12/06/01 01:23:05.05 O
一次史料プリーズ。
梨峠の戦いみたいにまた捏造されたんじゃたまったもんじゃない。

827:世界@名無史さん
12/06/01 01:26:52.74 0
>>824
文禄の役で6番隊が攻略に当たった際、全羅道での豊富な食料事情については、
六月八日安国寺恵瓊書状にも
「当国之事、第一兵粮沢山之儀、不可言竭候、ーー一城ニ白米四五千石、黒米籾
大豆麦以下雑穀等之蔵之事者、更以不知数候ーーー、城々ニて兵粮下行候間、高
麗着以来ハ、日本之兵粮少も不入候、我等兵粮之事、名護屋のこともと申所、対
馬の豊崎又釜山浦所々残置候、如此候間、此方への気遣、少も不可有之候」
と記録されていることからも6番隊にとって魅力的な攻略拠点だっただろう。
ただ戦力が足りなくて占領できなかったのでろう。



828:世界@名無史さん
12/06/01 01:30:54.44 0
>>825
またデマか、これだから在チョンは嫌われる。
全羅道は左軍の担当、しかも8月上旬から9月初頭まで1ヶ月弱で攻略完了

829:世界@名無史さん
12/06/01 01:58:11.67 0
>>828
寝言は寝て言え、基地外右翼(笑)
9月16日の井邑会議において「相残人数七万八千七百人」
が全羅道掃討戦に動員されることが確認され、
そのまま10月下旬くらいまで掃討戦が行われている。


830:世界@名無史さん
12/06/01 02:15:25.41 0
梨峠の戦いの元ネタっぽい記録あったけど
全羅道の官軍4万、忠清道の官軍4万、林川路の官軍2万の合計10万人が
梨峙付近に集結して防備を固めていた。としか書かれてない記録と

官軍5万で防備を固めた所へ日本軍が攻撃を仕掛け、その日は守り通したが
文人ばかりのせいで翌日の攻勢に遭うと、算を乱して武器防具資材を山の様に捨てて逃げた
って記録だけで、勝ったという記録が無いぞw

831:世界@名無史さん
12/06/01 02:18:14.90 0
>>829
自分で掃討戦って書いてるじゃんww
主要な攻略目標は1ヶ月弱で平定、あとは残敵の掃討

832:世界@名無史さん
12/06/01 14:30:10.72 0
>>823
ねえ、慶長の役の戦略とか、そのへんの話題は過去スレで出尽くしてるよね?
なんかしつこく粘着してる人みたいだし、まさか覚えてないってことはないでしょ。鳥頭なの?

833:世界@名無史さん
12/06/02 08:58:23.19 0
>>832
詳しく(笑)

834:世界@名無史さん
12/06/02 11:29:55.39 0
>>833

URLリンク(sites.google.com)

835:世界@名無史さん
12/06/02 11:56:28.66 0
>>834
へー、秀吉って慶長の役の開始当初も明国を征服するつもりだったんだ。
あきらめが悪いやつだな(笑)
それよりも秀吉が病死せず、もって長生きしていたら、
何年くらいで明国を征服するつもりだったんだ(笑)
また、その為にはどれぐらいの兵力を投入する予定だったんだ(笑)
慶長の役が作戦どうり行ってるんなら答えられるだろ(笑)




836:世界@名無史さん
12/06/02 12:20:58.59 0
もはや酔っ払いのいちゃもんレベルw

837:世界@名無史さん
12/06/02 14:53:57.08 0
>>835
実際に名目はそうだけどね。最も、明に攻めるなら、タタールや女真に
工作する必要があるけどね。日本国内なら確実にやっていた。

基本的に、朝鮮出兵はそれまでの秀吉にはない非常に杜撰な戦争
だったと言える。ただ何も考えずに攻める、という無策ぶり。小西行長、
石田三成を買収し、秀次事件を引き起こした明の名将李如松の方が
余程優れている。他に、加藤清正排斥も両名を使った李如松の計略
だしね。

まあ、売国奴の元祖、石田三成、小西行長も大概だが。

838:世界@名無史さん
12/06/02 14:56:01.12 0
■ 在日の最終目標は外国人参政権→政治力→軍事力で日本支配

在日民団集会のコメントです。

「もはや裏社会は我々が制圧した。
その暴力と経済力を背景に日本の政官財界を侵略する。
60万在日の経済力は日本経済の2割に相当し、それは実に韓国の経済力の2倍という凄まじい物だ。
経済力に加え、地方参政権によって政治力も手に入れ、やがては軍事力も手にした日には
完全に日本から独立した、世界で最も豊かな国家を手に入れることが出来る。
もはや完全に在日の奴隷状態の日本人には、在日国家の軍門に下って貰うことになる。
こうして、在日朝鮮民族はアジアの頂点に立つことが可能となり、半島と日本を実質支配する
(在日韓国人、魯漢圭氏(広島市))」

839:世界@名無史さん
12/06/03 12:55:04.31 0
朝鮮征伐って言うが、当時は「乾煎り」って言ったんだろ(´・ω・`)
つまり、朝鮮はストローでお目当ては支那大陸だったワケだ。

いまだに朝鮮が朝鮮征伐の被害性を強調するのは
駅の階段でこちらが、ふと上を見た時にブスの女子校生がいて
こちらに気づいてスカートを手で押さえるようなもん?

朝からブスに余計な自信を付けさせてしまったような・・・

840:世界@名無史さん
12/06/03 13:35:16.99 0
原爆投下の目的は新爆弾の試験で
広島長崎の市民を殺傷するためではなかったのだから
被曝者は被害者ぶるのをやめろという理論。

841:世界@名無史さ
12/06/03 13:53:09.19 0
やたら「朝鮮征伐」って言いたがるのは日本のアホウヨだからなあ

842:世界@名無史さん
12/06/03 15:06:19.03 0
やたら朝鮮征伐の被害や戦績を誇張・改竄・捏造するのは韓国籍ネトウヨだからなあ
まあ韓国籍のネット右翼が日本で暴れるのは朝鮮征伐に限らないが

843:世界@名無史さん
12/06/05 15:48:05.14 0
判決そのものは妥当だけど主文の「短絡的」ってのは余計なお世話だな
当人なりに人命と苦痛や尊厳を秤にかけて熟慮の上で後者を選んだかもしれんのに
無論前者を選ばなきゃ犯罪なのはわかるけど、裁判官に他人の心情を批判する権利はない
それこそお前こそ人の苦痛や尊厳を軽視してるだろと

844:世界@名無史さん
12/06/05 15:50:05.06 0
誤爆ったw

845:世界@名無史さん
12/06/05 20:58:06.55 0
>>844
誤爆したことを表明するなら、どこの誤爆なのかも明記すべき。

846:世界@名無史さん
12/06/05 21:00:46.17 0
どうせニュー速+だろ

847:世界@名無史さん
12/06/07 00:45:43.11 0
>>842
韓国は国民総ネトウヨ
自分に都合のいいことはビックリするほど簡単に信じるし
それを腐すと売国奴扱いで大騒ぎ、正直手がつけられん

848:世界@名無史さん
12/06/07 05:45:23.87 0
まあネトウヨは総じて屑ってことだ。

849:世界@名無史さん
12/06/07 16:32:27.11 0
日本の場合日・朝・明の三国の資料が普通に見れるからな
明はもちろん朝鮮の資料も漢字だから大体のニュアンスはわかるし
主要な資料は日本語訳もされてる
一方、朝鮮じゃ一部漢字を読める知識層しか資料読めない上になぜか
現代朝鮮語・ハングル仕様に完訳されない
いや、理由はわかるけどw

850:世界@名無史さん
12/06/07 17:07:31.83 0
韓国の知識層が迂闊に本当のことを言うと(ry

851:世界@名無史さん
12/06/07 17:38:04.19 O
単純に知的蓄積がないのもあるかもね。
東南アジアの留学生がいってたが、
日本人は日本語で専門書をよめる。
我々は母国語の専門書がないので、まず英語を学ばなければならないと。

最近微妙な先進国入りしたか?くらいの国でしかも日本と比べたら小国で専門書の市場も小さい。
他に翻訳すべき書物があるんだろう。

どうもいわゆるネトウヨは韓国に過大に期待してる。
なぜ日本並みを求めるのかね。
同じ地位と思うから韓国を嘲笑ったり、憎悪したりするわけで、
そもそも中進国の星であり、子供が背伸びしている程度という認識をしたらまぁ許せるだろ。


852:世界@名無史さん
12/06/08 04:22:14.49 0
子供ならなおさら、悪い事したり嘘ついたなら、
大人が叱りつけて正しい道に戻してやらないといかん

853:世界@名無史さん
12/06/08 05:32:53.36 0
争いは同じレベルの者同士でしか(ry

854:世界@名無史さん
12/06/08 13:51:44.80 0
>>852
そんなことして百万が一韓国人が更生したらどうする
あいつらには永遠にあのままでいてもらうのが日本の国益なんだよw

855:世界@名無史さん
12/06/08 13:52:31.06 0
>>851
現在の世界で「英語の話せないインテリ」がいるのは日本だけらしいね

856:世界@名無史さん
12/06/08 19:22:01.08 0
中国やイランやエジプトもだな

857:世界@名無史さん
12/06/09 06:58:55.93 0
そんな国の仲間なのか

858:世界@名無史さん
12/06/09 12:34:18.44 0
>>856
それらの国もインテリは基本英語出来ないと自国語の文献資料が不足してるだろ
たとえばドイツ文学・フランス文学・ロシア文学などの文豪の全集がほとんど揃ってるのは日本語訳くらいで
英語訳すら代表的作家の代表作しかないし、酷い場合は自国ですら全集が編まれてなかったりする

859:世界@名無史さん
12/06/09 12:38:16.84 0
中国人インテリが自国の文献資料を読むのに英語できなきゃならんなんて聞いたこともねえ

860:世界@名無史さん
12/06/09 13:00:50.52 0
一世紀半を海外文献の翻訳に費やしてきた歴史は伊達ではない

861:世界@名無史さん
12/06/09 13:06:07.40 0
>>859
実学の文献なら現在進行形で訳されてるけど
文学や思想哲学系は未訳や、訳本が文革の混乱で消失したりした例が多いのに
何言ってんだ?

862:世界@名無史さん
12/06/09 13:51:42.73 0
確実に中国の方が豊富な翻訳文献揃ってると言えるのは発掘ブームで今が旬の
古生物学関係だな
日本じゃ金になる恐竜関係以外はほとんど未訳

863:世界@名無史さん
12/06/09 14:11:51.74 0
>>861
逆だよ、科学技術は米欧日が先端を行ってるから英語が必須
人文系は国内を研究していれば十分かつ最も進んでいるので
外国語文献に当たる必要性が乏しい、外国で一番資料の豊富な日本は英語必要無いしね

864:世界@名無史さん
12/06/09 14:21:38.28 0
話が噛み合わないと思ったらインテリと学者を混同してるらしいな

865:世界@名無史さん
12/06/09 14:26:11.41 0
>>864
日本語訳しか読んだことない人間はインテリではあっても文学者とは言えないからね
原著読めてはじめて学者と言える

866:世界@名無史さん
12/06/09 16:26:30.00 0
>>864
知識人なら猶の事だよ、学者ほど専門性を要求されない

867:世界@名無史さん
12/06/09 18:07:43.46 O
ん?>>859は自国のと言ってるから中国語の文献ってことだろ。
なんで英語訳文が必要なんだ?
俺が読解力ないの?

868:859
12/06/09 18:40:49.97 0
あ、いや。元々の俺が読解力なかったっぽいw
>>858は、日本のインテリは各国の文学などを日本語訳で読めるから英語を学ぶ必要が薄く、英語を話せない。
中国・イラン・エジプトなどはそんな豊富な翻訳環境がない癖に英語が出来ない。どうなってんの。
って言いたいようだ。

869:世界@名無史さん
12/06/10 13:38:03.68 O
なんで新スレが立ってるんだぜ?

870:世界@名無史さん
12/06/10 15:52:56.32 0
心機一転捏造を繰り返す気満々なんだろ

871:世界@名無史さん
12/06/11 15:23:40.87 0
>>868
そもそもその三カ国だって普通にインテリは英語話せる国だろ
少なくとも革命前のイランは日本より遙かにアメリカナイズドされてたし

872:世界@名無史さん
12/06/11 19:05:35.85 0
現代になっても昔ながらの宗主国様に対する下僕っぷりを誇る国民性は変わらないなw

873:世界@名無史さん
12/06/11 20:53:33.19 0
ん?アメポチの事かい

874:世界@名無史さん
12/06/11 21:29:45.05 0
>>872がどのレスを読んでこんなレスしたのか誰か教えてくれ
どこでそんな話が出たのか

875:世界@名無史さん
12/06/11 21:48:31.00 0
宗主国様マンセ~偉大な米語マンセ~ってねw

876:世界@名無史さん
12/06/11 22:48:21.56 0
まさか英語が話せるかどうかの話を英語マンセーと理解したのかな
そんな低能じゃないよねw

877:世界@名無史さん
12/06/11 23:52:47.73 0
ウリが国籍を持つナラは宗主国様ナイズされて誇らしいニダってねw

878:世界@名無史さん
12/06/12 00:11:18.48 0
>>877
独り言はチラシの裏にな

879:世界@名無史さん
12/06/18 17:50:50.20 0
?

880:世界@名無史さん
12/06/23 15:57:24.52 0
不毛の朝鮮半島が緩衝地帯としての役割を大いに発揮した戦役だよね
信長なら、南蛮交易船をマネて竜骨付きの外洋艦隊を作り、上海あたりに直接上陸してたのかなあ

881:世界@名無史さん
12/06/23 16:37:28.97 P
南蛮船はジャンクと比べてあらゆる面で性能が劣っていたから
外洋船団を創るとしても平底船だね。

やるとすれば上陸地点は前期倭寇で割と襲撃の多かった江蘇じゅないだろうか
信長もそんな無謀なことはやらないけど

882:世界@名無史さん
12/06/23 23:21:59.91 0
そもそも信長が西洋人のマネをしたことなどほとんどないからな
献上されたマントやらソンブレロを礼儀で着けて見せたような話が大袈裟に一人歩きしすぎ

883:世界@名無史さん
12/06/25 10:20:54.79 0
南蛮胴具足だって実際は着てないしな

884:世界@名無史さん
12/06/25 16:25:27.84 0
三英傑で一番保守的だったのに
なぜか革新的な人物像が一人歩きしとる

885:世界@名無史さん
12/06/25 21:26:53.88 0
>>880
当時の海上輸送能力じゃ自殺行為、橋頭堡を築くなんて相当の実力差が無いと難しい
数百~数千人単位の海賊を数十単位で組織して
ヒット&ウェイで海岸を荒らしまわって国力の疲弊を狙うって戦略なら有りだけど
副都の南京にて包囲戦を行えるほど当時の倭寇は強かったんだから



886:世界@名無史さん
12/06/27 11:56:08.77 O
>>884
そして三英傑で一番南蛮貿易や東南アジアとの交易に精を入れて
関ヶ原では西洋式の甲冑を着て、大阪の陣ではカルバリン砲を動員した家康が
何故か一番保守的で排他的な扱い受けてるよね。

887:世界@名無史さん
12/06/27 17:31:24.61 0
>>886
後に保守化した徳川幕府の施策を譜代の老中若年寄どもが
権威つけのために「神君のご遺訓」とほら吹きまくり
その駄法螺を真に受けて書かれた本が多いから

888:世界@名無史さん
12/06/28 01:58:21.60 0
保守化っていうか、朱子学化だよね。

当時の東アジアで「平和」「安定」を志向する
政権が、商業や貿易(海賊行為を含む)を積極的に
肯定するようになるとか、そもそもありえるのかな。


889:世界@名無史さん
12/06/28 22:42:28.61 0
家康の将軍・大御所時代はなんだかんだと言っても豊臣家の存在があったから
家康は幕府の強大化を志向して貿易や最新軍備の導入に積極的だったけど
大阪陣が終わって数年で家康も逝き、残された幕府はもう強大化する必要がなかった 


890:世界@名無史さん
12/06/28 23:20:14.20 0
>>885
>副都の南京にて包囲戦を行えるほど当時の倭寇は強かったんだから
、『明史』日本伝にも真倭(本当の日本人)は10のうち3であるとも
記述されている。



891:世界@名無史さん
12/06/29 01:37:36.64 0
>>886
家康の開放政策は、結局の所、あまりうまくいかなかったからだろうな。
家康が晩年、外交政策上、特に執着していたことは、
「南蛮交易航路(インド洋航路の延長としての東シナ海航路)を、東京湾(江戸湾)まで延伸すること」だった。
ところが、はるばる浦賀まで、西洋船はなかなか来てくれない。
そこで、妥協して「駿河湾まで延伸」と言うことになったが、これもあまりうまくいかない。
結局、南蛮航路の地理的利便性は、西国九州方面ほど圧倒的に強いということが、再認識された。
さりとて、幕府政庁を長崎に持っていくわけにもいかない。結局、まともに競争しても西国勢に負けるから、
長崎だけでの管理貿易=鎖国ということになった。

いっそのこと地理的に開き直って、東の新スペイン(メキシコ)交易開拓一本に絞った伊達政宗のほうが、
開明的とされている理由は、実はここにある。
家康は、駿府や浜松から東海沖(フィリピン海)を眺めて育った東海地方の人だから、
どうしても遠州灘に国際航路を引っ張りたかったんだろう。

892:世界@名無史さん
12/06/29 02:24:09.30 P
戦国期から江戸時代に掛けての知識が何も無いと
意図せずにここまでアピール出来ちゃうのはある種凄い才能だなwww

893:世界@名無史さん
12/06/29 02:42:46.60 0
「関東&東海僻地論」は、お気に召しませんか?ww

まあ、「三英傑」なんて特殊なローカル用語を使っているから、
直近いくつかのレスを書いた人の出身はバレバレなので、意図して煽ったんだがね。

もちろん、新教・旧教の宗教問題や、フランシスコ会の問題もあるが、
家康が、かなりしつこく、浦賀や駿府に西洋船を入れたがっていたことは、これは明らか。
でも、うまくいかなかったことも明らかだ。
その後は、朱印状発付などで間接統制を図るが、これも手の届かない所がある。
それで管理貿易に徹することにした。これが鎖国。

894:世界@名無史さん
12/06/29 03:10:31.00 P
書けば書くほど恥の上塗りするだけw

当時の浦賀はよくある漁村でしかない
江尻は伊勢湾の諸港や品川と比べ数段小規模
直轄の神領や代官領は日本全土の至る所に在った
長崎も代官が置かれた直轄領
家康が育ったのは岡崎や駿府

895:世界@名無史さん
12/06/29 03:24:07.46 0
>>894
うふふ。じゃあ、家康はなんで西洋船の関東入りや、駿河湾入りにこだわったんでしょうね?
ガチで都市基盤整備までやってるぞ。
江戸も駿府も、そういう設計だったという説すらある。
(江戸の港湾整備は、ジャカルタを参考にしているという説すらあるんだな)
西洋船は和船とは「港湾適地」が違うので、話の行き違いになるんだが、それでも家康は拘っていた。
この港湾適地の違いは、いろんなところに影を落としている。堺や博多は糞立地になるし、
伊勢湾岸に至っては、適地はほとんどない。
(明治時代、最初に開港したのは知多半島の武豊だった。あそこが唯一の西洋船スペックを満たす港湾だった)

全国に領地が点在しているから直ちに東国政権ではない、というわけでもないのですよ。
徳川政権にとって、西南の管理はどれだけ大変なことか。
鎖国は、西国大名の統制策の一環であるということは、これはありふれた説だ。
ということは、開国していると、江戸幕府は西国大名に相対的に競り負けるということ。

896:世界@名無史さん
12/06/29 03:39:20.34 0
まあいいや。「三英傑」民には、いくら言っても通じないだろうことは、分かっていたから。

「東海地方に閉じ込める」「関東地方に閉じ込める」という発想が理解できないと、
徳川家康を巡る16・17世紀の政治力学は、実のところ、何も分からない。
家康は、常に「閉じ込められていた」武将で、それをどうひっくり返すか、逆手に取るかが、
彼が天下を取る上での、常に最大のポイントになる。
関ヶ原以降は、ある程度は畿内も使えるようになるが、それでも本籍はあくまで東国だ。
これに、日本人と西欧人の、港湾観の決定的な違いが、さらに影を落とす。
まあ、どうでもいいや。

897:世界@名無史さん
12/06/29 04:45:32.03 P
>>895
家康は拘っていないから、その質問自体が無意味だね。
浦舟場の整備はとても役に立った、ただし海外貿易ではなく
首都である江戸への各地からの廻送の為に。
博多や堺や津や名古屋や長島は良い立地、南蛮人が主に使っていたのはジャンクだからね。
それと当時のガレオンはまだ喫水の浅い小型船。

下段の4行は概ね同意だ

898:世界@名無史さん
12/07/01 22:57:52.40 O
こっちを無視して向こうのスレが伸びてるんだが

899:世界@名無史さん
12/07/17 21:34:51.38 O
それどころか例の酔っ払いがこのスレ無視して余所様のスレで暴れてるんだが

900:エイリアンとの戦い
12/07/18 09:25:48.73 O

         ∧ ∧
        (*‘ω‘ *)  ゆーほっほ
      / ̄ ̄ ̄ ̄.\
       |) ○ ○ ○ (|
     /″        \
   /________.\
    ̄ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪  ̄
       /    \
      /      \
     /   〃∩   \
    /    ノ ⌒⊃ \
   /〃⊂(><;)ノ´   \
  /       ∪ 彡    \
              やめてください
        ∫ ∬



901:世界@名無史さん
12/07/18 10:31:59.59 0
ts

902:世界@名無史さん
12/09/03 23:36:18.01 0
秀吉による朝鮮出兵よりも遥か以前にあった朝鮮による日本への略奪行為
URLリンク(ja.wikipedia.org)

903:世界@名無史さん
12/11/19 09:30:48.62 0
徳川旗本8万騎を渡海させたかった

904:世界@名無史さん
12/12/26 09:42:34.55 0
朝鮮征伐とは?

905:世界@名無史さん
12/12/26 16:10:14.87 0
>>904
世界で言い慣わされる所の朝鮮征伐のこと

906:世界@名無史さん
12/12/28 09:10:33.77 0
カルバリン砲

907:世界@名無史さん
12/12/29 13:32:47.47 0
>>904
唐、天竺、南蛮をも征服する太閤殿下の壮挙を矮小化しようと作り出された
御用学者の造語。

908:世界@名無史さん
12/12/30 08:48:51.74 0
明とぶつかった件は
文明の衝突なんだから、
トゥール・ポワティエやタラス河畔に匹敵する事件と考えてもいいのでは、

909:世界@名無史さん
12/12/30 11:47:28.89 0
>>907
実際に占領や侵攻出来たのは朝鮮と女真の一部だけで
明領は寸土も冒せなかったんだから矮小化というよりは実態を現わしてるだろ
特に朝鮮は単なる通り道のつもりだった文禄の役はともかく
明確に朝鮮への「懲罰」も目的に含んでた慶長の役は

910:世界@名無史さん
13/01/07 13:13:22.47 0
?

911:世界@名無史さん
13/01/28 21:49:16.55 i
>>908
日明戦争と呼ぶのが正しいね
東アジアにおける覇権争いでしよ
朝鮮は闘技場にすぎない

912:世界@名無史さん
13/01/31 00:12:07.96 0
朝鮮半島の戦いか

913:世界@名無史さん
13/01/31 13:43:22.34 0
日清戦争と同じだよね
あれも戦場は朝鮮中心だし

914:世界@名無史さん
13/01/31 18:08:32.39 0
戦争原因は秀吉の「男のロマン」だ
それ以上でもそれ以下でもないよ

915:世界@名無史さん
13/02/02 08:41:26.89 0
朝鮮半島とイタリア半島は常に大国同士の勢力争いの戦場になってる

916:世界@名無史さん
13/02/02 14:41:40.46 0
なってねーよw
イタリアは西方正教圏の中で先進的で洗練された地中海文明の影響を
最も強く受けて発達していた地方だから、北の野蛮人に度々侵略された。

もう一方の半島は、中華帝国が大拡張した時代の最後の余り物(征服対象)として
或は、日本が大陸進出した場合の大陸勢力との衝突場所としての戦場

917:世界@名無史さん
13/02/03 22:39:46.00 0
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。
・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。
・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。


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