世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その2at WHIS
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その2 - 暇つぶし2ch138:世界@名無史さん
11/07/17 16:11:03.70 0
>>135
慶長の役で秀吉が小西行長に再び先鋒を命じたことには
立功贖罪(功を立てて罪を償うこと)の意味合いもあるよ
あと小西を所領没収なり蟄居処分にするなら
三成ら奉行衆も同様に処罰しなくちゃならなくなる

139:世界@名無史さん
11/07/17 16:36:22.35 0
>>137
豊かな九州南部なら、20万の軍なら維持可能だろ。
上陸後、日本勢に勝利するのは難しいだろうが。



140:世界@名無史さん
11/07/17 20:26:33.44 0
>>138
秀吉の名を騙り、勝手に欺瞞外交を行った行長に対しても叱責することしか
できない慶長年間の秀吉なんて恐れる必要ないね(笑)
慶長の役に際しても、「全羅道は残らず一篇に成敗しろ、忠清道・京畿道他
についてもなるべく同じようにしろ。」の命令なんか適当に流しても問題
ないや(笑)

141:世界@名無史さん
11/07/17 22:22:46.90 0
こいつはもう駄目だな。

142:世界@名無史さん
11/07/18 02:51:40.32 0
>>140
何が言いたいのかよく分からんが
そうやって物事をなんでも斜めに構えて見ようとするのはやめた方がいいぞ

143:世界@名無史さん
11/07/18 08:16:11.76 0
>>140
おまえまだいたのか
例の負け犬だろ

144:世界@名無史さん
11/07/18 13:09:14.49 0
全羅道は残らず成敗して忠清道と京畿道もなるべく成敗して輝元に作戦は終わったから
もう渡海しなくて良いよって書状を出してるのだから、掃討作戦は完遂されたんだろう。
全州会議の時点で城は南岸に作るって決めたのだから最初から南岸に作る予定だったのは明らかだし
掃討範囲も作戦通りに掃討された、慶長2年8月と9月の反日勢力掃討作戦は成功したといえる。
朝鮮には明の小部隊しか居なかったのだから当然といえば当然か。

慶長の役は朝鮮民衆の抵抗と明軍の来援で戦線が硬直した文禄の役の焼き直し
って従来の説明は間違ってたわけか。

145:世界@名無史さん
11/07/18 16:10:43.90 0
>>144
従来の説を広めた奴らってのが恐ろしい
昔言われてた主張を資料も無く妄想のみで強硬に嘘だと主張して
それを広く公共に認めさせて、嘘で塗り固めた持論を普及させるなんて
超一級の詐欺師だと思う


146:世界@名無史さん
11/07/18 18:28:51.59 0
文禄の役は李瞬臣も活躍してたよな

147:世界@名無史さん
11/07/18 18:33:24.69 0
>>146
字を間違えたw
李舜臣だったな

148:世界@名無史さん
11/07/19 01:43:19.47 0
昔は慶長の役は朝鮮南西部の掃討作戦だよ、掃討が完了したので南岸に作った拠点に撤退したよ
って説明されてたの?

149:世界@名無史さん
11/07/19 07:13:52.93 O
>>148
実はその点については江戸時代の征伐史観の方が正鵠をえていたという皮肉。

しかし一方的だから色々他に問題を抱えた史観であることは否定しない。

150:世界@名無史さん
11/07/19 07:16:56.03 O
>>146
「も」とは活躍した誰を想定してんの?

151:世界@名無史さん
11/07/19 11:12:16.88 0
山鹿素行の「武家事紀」には
「大明の加勢が百万も出てきたが、本朝(日本)の小勢に敗れて勝つことができなかった。
これは本朝の勇武の道が三国に比べようがないからである。秀吉の死去によって、その功は完全とはならなかったが、
本朝の武威が異国に輝いたのは、神功皇后以来、秀吉の世が初めてのことである」
とある。

山鹿素行は朝鮮役を日本の武威を異国に轟かせた戦役として肯定していたようだ

152:世界@名無史さん
11/07/19 12:21:45.27 0
山鹿素行はネトウヨの元祖

153:世界@名無史さん
11/07/19 16:55:57.98 0
赤穂浪士の赤穂藩の師範だったっけ


154:世界@名無史さん
11/07/19 17:05:24.61 0
>>150
李如松

155:世界@名無史さん
11/07/19 18:34:28.13 O
>>151征伐史観の形成であるな。

156:世界@名無史さん
11/07/19 20:00:35.15 0
間違いじゃないんだろうが確かに一方的だw

157:世界@名無史さん
11/07/19 20:44:32.33 0
元冦の頃も逆に侵攻を計画してたんだよね

158:世界@名無史さん
11/07/20 03:46:26.60 0
朝鮮側の報復行為がまったくないな。

159:世界@名無史さん
11/07/20 20:53:41.11 0
小国の知恵
いまぎゃあぎゃあ言うのもある意味小国の知恵だった

愛国心は最初は必要だったが今は国益を損ないかねないほど高揚しちゃった


160:世界@名無史さん
11/07/21 23:23:17.94 0
北京の明政府にしてみれば迷惑な侍どもが帰ってくれてやれやれというところで
戦火を拡大したいとは思わないだろ。

161:世界@名無史さん
11/07/23 14:58:42.13 0
大本営発表だから明本国だと微妙かもしれん

162:世界@名無史さん
11/07/25 12:31:22.25 0
しかしウィキの碧蹄館の戦いのページ、
明軍の編成は右軍が張世爵だとか左軍が李如梅だとか、
援軍の楊元の兵力が5000人だとか、一体どの資料に載ってるんだ?

「日本戦史・朝鮮役」にも「近世日本国民史」にも「壬辰戦乱史」にも
そんなことは書いてなかったが

163:世界@名無史さん
11/07/26 15:20:30.72 0
明らかに間違いなら修正しちゃえー

164:世界@名無史さん
11/07/27 13:03:23.88 0
[要出典]でおk

165:世界@名無史さん
11/07/27 13:44:16.62 0
>>162
あぁ、あれは中文の数字をそのまま引き写したものだよ。
たぶんあっちのユーザの仕業。

中文のままだとさすがに酷いので(合計で1万2千にしかならない)、
日本側史料で確認が取れる先鋒だけをとりあえず書き換えた形に
なってる。

166:世界@名無史さん
11/07/28 00:25:27.78 0
明軍の先鋒が10000人というのは「日本戦史・朝鮮役」が根拠だろうな。
で、その「朝鮮役」はというと「天野源右衛門覚書」の記述を元にしていると思われる
同書では十時伝右衛門が遭遇した明軍を「二、三千」、その後押し寄せてきた増援を「六、七千」としている
これが本当なら合計一万人くらいになるね

先鋒将として査大受・高彦伯のほかに李寧の名が出てくるのは「宣祖実録」の記述が元だろうな
・・・(前進して望客峴に襲撃して勝たず。すでにして先鋒参将李寧らの軍来たりてこれを助く)

しかし中国語版ウィキの明軍編成の記述についてはほんと出典がわからないな。
この戦いで明軍が先鋒・左軍・右軍・中軍の四隊に分かれて進撃したなんて記録見たことないし、
各武将が率いた兵力が具体的にわかる記録も見たことない

167:世界@名無史さん
11/07/28 00:27:53.79 0
普通にどこぞの誰かの書いた
歴史小説が元じゃねーの?


168:世界@名無史さん
11/07/28 01:35:25.26 0
ま、wikipediaでそういうことを言いだしても切りがないしな。

英語版なんかは、9000の明軍が40000の日本軍相手にもう無双状態(笑)で
日本側は6000-8000の死傷者を出したことになってるし。

169:世界@名無史さん
11/07/28 01:36:27.86 0
明軍サイヤ人かよww

170:世界@名無史さん
11/07/28 15:17:05.69 0
泗川の戦いの真逆の数字か?

171:168
11/07/28 16:45:11.09 0
バトルボックスの話なので、本文の方は案外まともなんだけどね。
中文、英文をみると中国では日本側の30000-40000に対し
明側の兵力は12000で善戦したけど、かなり寡兵なので
破れたという認識みたい。
しかし、戦術的には負けたけど、あくまで戦略的には明側勝利と
しているのがなんだかイミフメという感じ。

それでも、韓国絡みの記事のデタラメぶりからすれば、中国関連のは
だいぶマシなような気がする。
その辺、歴史的に奥行きと誇るべきものがちんとある国と何にもない国とでは、
中韓の間でもこういった差が現れて来るんだろうな。

172:世界@名無史さん
11/07/28 16:46:55.17 0
おと。
× ちんとある国
○ ちゃんとある国

173:世界@名無史さん
11/07/28 22:19:48.12 0
>>170
韓国か台湾か忘れたが
日本側の資料が紹介されてる数すくない事例となってる
曰く
「島津側はこの戦いで8万の明兵を打ち取ったと主張し、相変わらず荒唐無稽な日本人~」
って感じで紹介してる。
日本の2~3万打ち取った書かれた資料にはスルー


174:世界@名無史さん
11/08/01 10:08:46.58 0
文禄2年1月に参戦した明軍4万3千人の内訳は
中軍(李如松率いる) 11,700人
左軍         11,500人
右軍         11,500人 
遊軍(?)       8,300人
参考文献
中野等著作の『文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)』

175:世界@名無史さん
11/08/01 18:01:49.67 O
>>166
兵数は知らんが、編成は多分明軍の従来の基本編成が元じゃないかな。
あの国の軍隊の基本編成は正史に出てないから厄介なんだよなぁ。
多分なんかの兵書に載ってるんだろうと思う。
漢代の兵士の基本編成の場合は孫子の魏武注を見れば、実際の編成に合わせて解説してたりしてよくわかるんだが……。

176:世界@名無史さん
11/08/04 21:44:39.22 0
朝鮮征伐

177:世界@名無史さん
11/08/04 22:07:21.89 0
仮道征明

178:世界@名無史さん
11/08/05 06:37:54.23 0
>戦術的には負けたけど、あくまで戦略的には明側勝利

世界の誰が見てもこれは正しいなw

179:世界@名無史さん
11/08/05 11:58:07.57 0
国土の保持に成功したという意味なら、明の勝利だろう。
しかし宗主国たる明が狙っていたのはそこではないだろ。
なら勝利していない。


180:世界@名無史さん
11/08/05 14:27:39.22 0
>>178
馬鹿じゃないの?碧蹄館当時の明軍の戦略目標は「漢城奪回」じゃんw
その漢城の手前で包囲攻撃を受けて敗走したんだから
戦術的にも戦略的にも明軍の大敗だろw

181:世界@名無史さん
11/08/05 22:37:03.58 O
面倒臭えな、お前ら

明が秀吉を暗殺したんだよ
だから明が戦略的に勝利した
客観的な裏付けも、記述された史料もないけど
この解釈なら三方一両損でメデタシじゃん

182:世界@名無史さん
11/08/06 11:24:36.69 0
頭悪そうだな。

183:世界@名無史さん
11/08/06 15:25:16.65 0
>>181
沈惟敬が秀吉を毒殺したっていうあの与太話かw


184:世界@名無史さん
11/08/12 14:04:37.57 0
征明大将軍前関白 豊臣 秀吉

185:世界@名無史さん
11/08/18 17:01:29.54 0
全羅道の『輿瑞』の位置が知りたいんですけど
どなたか教えてください。

186:世界@名無史さん
11/08/18 19:36:59.36 I
>>180
いやその上に秀吉軍の撃退があるから。

187:世界@名無史さん
11/08/18 20:31:02.76 0
>>186
お前面白いこと言うじゃないか
それじゃ出兵目的である征明を果たせなかった日本軍は
あらゆる戦闘で戦略的敗北を喫したということだな?w

188:世界@名無史さん
11/08/18 20:34:27.41 0
大体、日本軍の撤退は碧蹄館の戦いじゃなくて講和交渉の結果だしな
そもそも休戦期間中も半島南部に倭城を構築して数万人が居座ってるんだから
結局「撃退」すらできてねえしw

189:世界@名無史さん
11/08/18 21:16:46.38 I
>>187
この戦いで日本側に兵糧を使わせたことによって継戦能力を喪失させ「征明」を頓挫させたんだから戦略上は明の勝利だろ。


190:世界@名無史さん
11/08/18 21:58:32.96 0
>>189
いや、だからさ。碧蹄館の戦いの戦略目標はあくまでも武力による漢城奪回でしょ?
それを明軍が果たせなかったと指摘すると、至上目標は日本軍の撃退だとかお前が言い出した。
だから、「日本軍の撃退」という明側の至上目標を持ち出すなら、
「征明」という日本軍の至上目標も持ち出さなくちゃいけなくなるよ?と言ったわけだが。理解できるか?

大体お前の理屈だと、幸山城の戦いという戦闘は日本軍が城を落とせずに撃退されているのに、
戦後になって朝鮮軍が幸州山城を放棄したから日本軍の戦略的勝利だ、というおかしなことになるんだが

あと、碧蹄館の戦いの時点では漢城にまだ二ヶ月分の兵糧が残ってる
碧蹄館戦後の「龍山の焼き討ち」は明側の文献にしか見当たらず、
当時の朝鮮や日本の資料には該当する記録が全くないことから明の作り話だともいわれている

191:世界@名無史さん
11/08/18 22:36:38.59 I
>>190
漢城の武力制圧ってのは秀吉軍を撃退するっていう最終目標を達成するための途上目標でしかない。途上目標に失敗しても最終目標に近づけたならそれは戦略上では勝利だ。

192:世界@名無史さん
11/08/18 22:57:33.33 0
>>191
平壌城の戦いならその理屈も通るが、碧蹄館の戦いだと無理があるだろ
明軍は大敗してビビってしまい以後二度と戦わず、主戦論であった李如松さえ講和を唱えるようになっちゃったし
日本軍が講和に応じたのは朝鮮の統治に失敗して戦略が破綻してたからだしなあ

193:世界@名無史さん
11/08/23 06:55:09.61 0
>>185
君もついに津野論文を読んだのか?

194:世界@名無史さん
11/08/24 04:26:34.39 0
秀吉の朝鮮出兵って欧米でも知られてる出来事なのかな
高校時代留学生で好きなサムライは
ノブナガ、イエヤス、ムサシっていうアメリカ人がいた

195:世界@名無史さん
11/08/24 10:10:26.65 0
>>194
手元にあるハモンドの歴史地図帳(CONCISE ATLAS OF WORLD HISTRY 5th EDITION)では
明代の中国の地図で後期倭寇の一環みたいな図示になってる(笑)。

196:世界@名無史さん
11/08/24 13:56:21.72 0
イングランドですら、数万の軍隊でフランスに侵攻できてるのに、
日本ときたら、二十万も送り込んで勝てないとは。
情けない。


197:世界@名無史さん
11/08/24 14:28:40.70 0
イングランドなんて最後までフランス全域を制圧することができずに
フランス一国に撃退されてるじゃんw
世界屈指の超大国・明およびその属国の連合軍と戦い続けた日本とは比較にならん

198:世界@名無史さん
11/08/24 19:49:44.16 0
ばあちゃんの予言分析スレ37
スレリンク(occult板:685番)

フジテレビがデモのせいで倒産の危機かも


この予言をずばり的中させた

199:世界@名無史さん
11/08/25 10:16:14.60 0
>>194
今やあっちで英雄といえばイスンシン提督一色です。

200:世界@名無史さん
11/08/25 12:01:16.63 0
プッ

201:世界@名無史さん
11/08/28 15:20:39.02 0
明弱体化に伴う外敵侵入のひとつとして位置付けられるであろう。
安定中国を造り上げた明だが最後の百年は攻められまくる。
東夷倭寇を退けた後に来る女真の愛新覚蘿に、
ついに攻め滅ぼされる。
そして台湾へ最初の移住。そこで日本生まれの海の民
日中ハーフの鄭成功によって漢民族国家明国の意志は引き継がれる。

数百年のち、鄭成功の意志は「幇」として引き継がれ
中国の伝統的な義侠となる。
そこから孫文・蒋介石等の傑物を排出し現在の中国が出来る。

202: [―{}@{}@{}-] 世界@名無史さん
11/09/08 16:38:24.18 P
秀吉の朝鮮征伐が成功して江戸期以降は半島が完全に日本領になっていれば世界ははるかに平和だった

203:世界@名無史さん
11/09/10 05:22:33.69 0
このageまくる人って昔からいるのかしら

204:世界@名無史さん
11/09/10 10:46:02.68 0
wikiに釜山浦の戦いと黄石山城の戦いのページが加筆されたな
個人的には平壌城の戦い(祖承訓が攻めた第一次と李如松が攻めた第二次)のページも読みたいところ

205:世界@名無史さん
11/09/11 10:32:47.41 0
朝鮮征伐なんてしょぼい呼び方をするな。太閤殿下の世界征服大戦争だろうが

206:世界@名無史さん
11/09/12 10:40:13.96 0
>>205
>朝鮮征伐なんてしょぼい呼び方をするな。太閤殿下の世界征服大戦争だろうが
朝鮮征伐という名称なら実際朝鮮国の国土が焦土と化したんだから成功と言え
なくもないが、世界征服大戦争なら朝鮮半島より内陸へ攻め込めなかったんだし、
また、海外領土を放棄して撤退しているんだから明らかに失敗となっちゃうんだが(笑)


207:世界@名無史さん
11/09/12 11:21:06.49 0
まあ日本と明とインドの三国で世界、というのが当時の日本人の認識だったようだから
秀吉の夢は世界征服だったと言えなくもないのかな


208:世界@名無史さん
11/09/12 11:30:43.01 0
アレキサンダーみたいだな

209:世界@名無史さん
11/09/12 11:45:48.97 0
サン=フェリペ号事件ってのがあってな…

210:世界@名無史さん
11/09/12 12:10:10.86 0
>>206
満州へ攻め込んだ清正くんを忘れないで!

211:世界@名無史さん
11/09/12 20:39:00.09 0
弱い弱い朝鮮兵を圧倒したのは当たり前だけど
当時、世界の何処に出しても決して劣らない
中国明朝のエースを相手に五分以上に戦えたのは見事
慶長の役なんて、中国各地の名将が朝鮮に呼ばれてる

秀吉の海外遠征がなければ
お馬鹿な朝鮮人がまた勘違いしてただろ

212:世界@名無史さん
11/09/12 20:42:06.34 0
確かに朝鮮役がなかったら
「戦国武将なんて所詮は島国で内戦してただけの雑魚!」とか言われてそう

213:世界@名無史さん
11/09/13 16:34:41.45 0
>>211
>中国明朝のエースを相手に五分以上に戦えたのは見事
明朝のエースって?
具体的にどの様な戦績があったんだ。

214:世界@名無史さん
11/09/13 20:37:46.55 0
まあ、永らく天下太平だった文治の国に、百年以上も身内同士で殺し合ってきたバルバロイが攻めてきたんだ。
当然の結果だろう

215:世界@名無史さん
11/09/13 23:09:01.95 0
>>213
朝鮮役に出張ってきた中じゃ
万暦帝の信任厚い李如松に「劉大刀」こと劉綎、あと麻貴あたりかな
明代に「東李西麻」と武勇を讃えられた李氏と麻氏、何気に両方とも日本軍と戦ってるのな

216:世界@名無史さん
11/09/14 00:22:17.00 0
>>215
劉綎はまだしも、李如松も麻貴も大した戦績を残してないがな。
むしろ日本側こそ立花宗茂、島津義弘、小早川隆景、
鍋島直茂、黒田如水、石田三成など錚錚たる面子が動員されてる。


217:世界@名無史さん
11/09/14 00:40:16.48 0
>>216
李如松は寧夏の乱を平定してるじゃん
というか李如松と麻貴の二人は、どっちかというと本人の戦歴よりも
精強で知られた子飼いの軍閥を引き連れて来てることが大きいんじゃないか
鉄嶺李氏と回族の麻氏の私兵軍団は間違いなく明代屈指の精鋭なんだし

あと鍋島直茂とか石田三成って錚錚たる面子と言えるのか?
鍋島の兵は弱いと評判だし三成なんて武功皆無の戦下手じゃん

218:世界@名無史さん
11/09/14 06:54:07.21 0
お願いがあります。
高句麗はツングースと考えられていますが、
ウィキペディアでツングースではないと独自研究している人物がおり、編集合戦になってます。
ウィキペディアの議論に参加してください。誰でも参加できます。

ノート:高句麗
URLリンク(ja.wikipedia.org)


219:世界@名無史さん
11/09/14 15:03:07.09 0
関係ない話すんな

220:世界@名無史さん
11/09/14 15:37:10.71 0
>>213
エース つまり中国人もワンピ読んでてry…

221:世界@名無史さん
11/09/15 03:07:15.68 0
>>218
独自研究はウィキペディアでは却下だから消せばいいんじゃないの?

222:世界@名無史さん
11/09/19 02:49:16.32 0
文禄慶長に出た連中って
李如松、ボハイの乱、文禄の役に参加
李如柏、文禄慶長の役、サルフの戦いに参加
麻貴、ボハイの乱、慶長の役に参加
劉綎、文禄慶長の役、楊応龍の乱、サルフの戦いに参加
陳璘、慶長の役、楊応龍の乱に参加
劉綎は鄧子龍とともにビルマと戦争もしてる。
万暦の三征、サルフの戦いと大抵の大戦には顔を出してるから
トップクラスの連中に変わりは無いと思われ

>>216
毛利、宇喜多、島津と大藩だけど
秀吉直属が渡鮮しないのは仕方ないとしても徳川、前田、佐竹、最上、真田は不参加
伊達、上杉も寡兵で渡鮮、築城していただけだし
豪勢なメンツだったのは事実だけど、オール西日本だっただけでもあるしね
野戦最強の徳川が7万騎を率いて渡鮮でもして右軍、左軍、徳川軍って感じで
朝鮮で暴れてれば日本はガチだと思うけど


223:世界@名無史さん
11/09/19 16:05:41.62 0
高句麗=ツングース自体が仮説だろ
少なくとも漢民族でも朝鮮民族でもなく、いわゆる騎馬民族でもないこと以外はわからん

224:世界@名無史さん
11/09/19 19:23:26.78 0
信長は親明派だった。
秀吉は明に抗った。
きっかけは明皇帝による「日本国王」勅諭。
これを受ければ明冊封つまり明皇帝配下の一国、
蹴れば戦争。
これはまるでハルノートではないか。かわいそうな秀吉。

225:韓国は事実を認めよ
11/09/20 18:14:27.74 O
★英国学者、キムチの起源は日本の九州
 英国人の東洋史学者ホールデン教授(日本・中国の歴史専攻)の研究の結果、
キムチのルーツは日本だと分かった。 ホールデン教授(英国人学者)の研究によると、
キムチに不可欠の唐辛子は、15世紀 にポルトガルから南蛮貿易で日本の長崎にもたらされた。
その後、九州で栽培に成功し薬剤として普及していく。
唐辛子を白菜と漬け込んだ食品が(元祖キムチ)が、九州の漁師達の保存食として用いられるようになった。
漁師や漁民たちの持病である脚気の防止に大変効能があったためだ。
16世紀後期になり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本水軍の九州兵が、保存食・滋養食として携行した。
この戦争において、日本水軍兵の食する元祖キムチが朝鮮兵と朝鮮民衆に伝わり、
その保存性・滋養が注目され、戦闘食として朝鮮軍にも食されるようになった。
「こうしてキムチは、日本から朝鮮に伝わった」と、ホールデン教授(英国人東洋学者)は語る。
この英国人学者は、この研究結果を近く、ロンドンの出版社より図書として刊行する予定。

226:世界@名無史さん
11/09/20 18:29:58.67 0
>>217
鍋島が弱いって
それ江戸時代佐賀藩と中悪かった福岡藩の捏造だから

227:世界@名無史さん
11/09/20 18:34:44.47 0
php

228:世界@名無史さん
11/09/21 00:10:06.91 0
>>226
そうだったのか
確かにあの逸話は黒田アゲしすぎだとは思った
まあ直茂は生涯に城を落とすこと二十度、討ち取った大将首数知れずというから
相当な猛者で間違いないだろうね

229:世界@名無史さん
11/09/21 03:00:22.87 0
・『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』白川静、小山鉄郎

漢字の成り立ちの話。

興味のとっかかりとなった「取」と「最」がどんな成り立ちなのかだけ、ごく簡単に紹介します。
「取」という漢字の左側は「耳」、右側の「又」は「手」を意味するそうです。そして「取」という漢字は、
「左耳を切り取っている図」なのです。かつて戦争のときに敵を討ち取った証拠に左耳を切り取った
ことに由来しているそうです。
そして、だれが最も多く敵を討ち取ったか数えるために、「殺して切り取った敵の左耳をたくさん袋に
入れた図」が「最」だそうです。
URLリンク(hanamote.com)

 初級クラスで教える漢字だが字源がなかなか怖いものをもう一つだけご紹介しよう。それは「取」である。
右側の「又」は「何かを取ろうとして伸ばした手」で、その先に何があるかというと「耳」だ。古代中国の戦争で、
敵を殺した証拠に、死体の耳に手を伸ばして、それを切り「取」ったのだ。敵の大将なら首実検というのが
あるから「首級」を持って行かねばならないが、単なる兵士なら「質より量」、多くの耳を集めて指揮官の陣営
に持って行く。それは言うまでもなくご褒美を頂戴するためである。集めた耳の数が多ければ恩賞も増えた。

 とは言え、それは中国だけの話ではない。思い出すのは、京都市東山区の豊国廟の前にある「耳塚」である。
秀吉の、二度にわたる常軌を逸した朝鮮侵略戦争、いわゆる文禄(1592-93)慶長の役(1597-98)で、敵の
死体から切り取った夥しい数の耳(一部は鼻)が塩漬けにして秀吉の検分に供されたとされる。その後で、
流石に寝覚めが悪いと思ったか、埋めて供養したのが「耳塚」だ。字源も怖いが、それよりも身近に史実がある
のはさらに怖い。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

230:世界@名無史さん
11/09/21 03:00:40.56 0
馘首・馘耳

首切り・耳そぎのルーツはやはり中国です。
したがって、豊臣秀吉の朝鮮征伐時の耳そぎは、
日本固有の文化ではありません。
また、特に日本が残虐なことをしたわけではありません。

戦争で敵を殺した証明としては、本当は首がいいのですが、
状況により首を持ってかえることができない場合、
褒賞にあずかる証拠として耳をそいで持ってかえりました。
その耳も、日本人は粗末にせず、耳塚を作りきちんと弔っています。
URLリンク(messages.yahoo.co.jp)

 *嫌いな文字:≪民≫・≪数≫・≪取≫ これらの三文字には男の奴隷や女奴隷の悲惨さと戦果による
人の心の残酷さがこめられています。古代中国では戦争で勝利した国が敗戦国から多くの男奴隷や
女奴隷を戦利品の一部として引き連れて帰り、過酷な労働に使役したと伝えられています。荒縄で頑固に
縛り付けられ、数珠繋ぎにされている女奴隷の中から、戦功者がその褒賞として与えられる人員により、
好みの女奴隷を鞭で叩きながら選んでゆく形から生じた≪数≫という文字は、もと≪數≫と書き、この文字
の左側にある字形は”数珠繋ぎになっている女奴隷”の形を示し、右側は”手にした鞭”の形から成り立って
います。また、左の耳を引っ張って刃物で耳を切り取ることを意味する≪馘耳・かくじ≫は、”獲耳”ともいい、
敵陣で戦死した敵兵の左耳を刃物で切り取り、その数が多いほど戦功の証になったといわれています。
勿論、敵将の場合には≪馘首・かくしゅ≫といい、”首を切り取って”帰国することが唯一の戦功とされたの
は申すまでもありません。
URLリンク(blogs.dion.ne.jp)

231:世界@名無史さん
11/09/22 00:03:09.49 0
>>228
つか鍋島軍なんて短時間で二州を切り取った精強無比の竜造寺軍をそのまま乗っ取ったものだから
弱いはずないだろ

232:世界@名無史さん
11/09/23 01:08:14.55 0
死なぬことと見付けたり

233:世界@名無史さん
11/09/27 00:33:43.28 0
そういや以前、日本と明では長期戦になった場合どちらが不利かという話題があったんだが
そのとき日本の方が圧倒的に不利だと主張する人がいた
理由を聞いても「逃亡兵が多かった!逃亡兵が多かった!逃亡兵が多かった!」の一点張りで
いまいち納得できなかった記憶がある
話を蒸し返すようで悪いんだが、長期戦になれば実際どちらがよりヤバいんだろう

234:世界@名無史さん
11/09/27 09:09:03.51 0
なんか文禄と慶長をごちゃまぜにする奴っているよな。
慶長の役では兵糧不足に陥っていないし、逃亡兵が多かったわけでもない。
対して、明は三路の戦いで大敗くらってるし、そのせいで人心は恐慌状態。
(『宣祖実録』資糧、器械稱是, 而三路之兵, 蕩然俱潰, 人心恟懼, 荷擔而立)

その上に、秀吉は本土で休息させていた十万以上の大軍を慶長4年に朝鮮半島に
送る計画を立てていた。秀吉が死去したため実行されなかったけど、恐慌状態の
大陸側に不が悪いのは道理。

235:世界@名無史さん
11/09/27 20:20:56.23 0
そうだな。奇襲のおかげで奥まで攻め込んだ文禄と、半分もいかずに早々に膠着化した慶長を
ごちゃまぜにする奴っているよね。

236:世界@名無史さん
11/09/27 20:57:33.58 0
>>235
散々既出だが慶長の日本軍の作戦行動はほぼ予定通りに進行してるぞ
明・朝鮮の抵抗勢力を散々に撃滅してから南岸部に自主反転してる

237:世界@名無史さん
11/09/27 20:58:53.05 0
>>235
朝鮮には何度も侵攻するよと通告してるのに奇襲もクソもないだろw

238:世界@名無史さん
11/09/27 21:02:20.40 0
>>235
慶長の役は膠着化したわけではないぞ。慶長の役は元から南部に限定した作戦だった。
赤国不残悉一篇ニ成敗申付、青国其外之儀者、可成程可相動事。『立花文書 慶長二年二月二十一日付秀吉朱印状』

そもそも、日本軍が慶長の役を起こした時に朝鮮半島にいた明軍はわずか一万七千だけ。
五月,玠至遼。行長建樓,清正布種,島倭窖水,索朝鮮地圖,玠遂決意用兵。麻貴望鴨綠江東發,所統兵僅萬七千人,請濟師。
『明史』朝鮮伝
結果、さんざんに朝鮮南部を荒され南部の朝鮮軍が殲滅された時点で日本軍は軍事行動を辞めて築城開始し、それを終えた後は
七万以上の大軍が本土に帰還した。膠着状態というほど戦闘が継続していたわけでもない。戦闘があったのは①慶長二年の
7月~9月②慶長二年12月後半~慶長三年1月の蔚山城の戦い③慶長三年9月後半~10月と11月の三段階しかなかった。

239:世界@名無史さん
11/09/28 13:43:58.45 0
5年前に韓国で国際シンポやってから、秀吉の唐入りを一概に否定する論調減った気がする。
明軍が精鋭だったことも認識されてるし、ライデン大のポート教授が「秀吉の暴走」説を否定したのも大きい

唐入りの間に精力を蓄えたヌルハチの女真が、明の衰運に付け込んで入関したのを見ると特にね…

240:世界@名無史さん
11/09/28 19:56:15.50 0
まあ秀吉も寧夏の乱に偶然とはいえ付けこんだ形だったけどね

荒山徹の朝鮮もの伝奇小説によく書いてある
「義兵と言いながらその実は中央の職にあぶれた両班が手柄を立てようと自領の領民を
強制的に駆り立てたもの」というのは史実なのかな
両班ならやりそうなことには思えるけど

241:世界@名無史さん
11/09/28 21:27:23.54 0
>>240
そういうのもありだろうけど、それは朝鮮朝廷が官位を与えて
義兵の取り込みを始めだして以降じゃないかね。

当初は、義憤に駆られたのやら、日本側の高圧的なやり口に
ファビョったのやら、一旗揚げようやら反逆やら、単なる
山賊やら、それこそ動機はいろいろだと思うが。

242:世界@名無史さん
11/09/29 21:26:34.18 0
【歴史】大友宗麟が製造 最古の国産大砲か? ロシアの博物館に展示
スレリンク(newsplus板)

なんで秀吉はこの大砲を量産させて唐入りで使わなかったんだよ?

243:世界@名無史さん
11/09/29 22:40:05.25 0
>>242みたいなやつが大本営にいたから
日本兵が大量に無駄死にしたんだろうな

244:世界@名無史さん
11/09/29 22:50:19.04 0
>>242
大筒や石火矢の記録が色々あるんで量産して使ってただろ。

245:世界@名無史さん
11/09/29 23:10:48.05 0
>>242
まぁ、ホントに大友宗麟の作ったものならドラマだよな。ノンフィクションで追ったら
面白い番組できるだろうね。大半の視聴者が興味のない韓ドラに無駄金使うより
ずっといいわ。w

ところで、

>北方警備にあたる幕府の大砲がロシア船に奪われた。

このあたり詳しくないんだけど、どういう事件を指してるのかね? >エロイ人
それに幕府の直轄で蝦夷地警備を出してたんじゃなくて、各藩に軍役課してたんじゃ
ないかと思うんだけど。

ちなみに、ウチの藩も蝦夷地出兵準備してたけどうやむやになったらしい。

246:世界@名無史さん
11/09/30 20:32:04.58 0
中原を駆ける伊達政宗見たかったわー

247:世界@名無史さん
11/09/30 22:26:22.05 0
ウィキペディアとかに載ってなくて、あまり知られていない日本軍と明軍の戦いをまとめてみた。
ソースは壬辰戦乱史(の、下巻の参考文献原文)。


・第四次慶州城戦闘(1593年8月6日)
西生浦の日本軍数千人が突如として慶州を襲撃し、防衛にあたった明・朝鮮軍は大敗した。
なおも追撃してくる日本軍に明軍参将・駱尚志が両手に矛戟を抱えて飛び込み、たちまち四人を突き伏せた。
これを見た日本軍は大いに驚き、深追いをやめて撤退していった。
明・朝鮮軍の戦死者は500人を超え、明将の一人が戦死した(名前は不明)。
日本軍の目的は連合軍への牽制だったのか、それとも単なる略奪だったのか不明。
明・朝鮮側の記録を見る限りかなり規模の大きい戦い。

・安康戦闘(1593年12月2日)
西生浦の加藤清正の手勢が安康で略奪を働き、明・朝鮮軍との間で何度か小競り合いが行われた。
新人物往来社の「加藤清正のすべて」の年表にある「安康において明将劉綎の大軍に大勝を博す」とはこの戦いを指すようだ。
明・朝鮮側の記録を見る限り単なる小競り合いに過ぎず、大軍でも大勝でもない。

・報恩付近戦闘(1597年9月20日)
朝鮮軍が霧の中から加藤清正の軍勢に矢を射かけ、数十人を倒した。清正は霧の向こうに伏兵があると考え追撃しなかった。
この後、退却していく加藤勢を参将・彭校徳らの明軍が青山県のあたりで追撃したという。どちらも取るに足らない小競り合い。
なおこの戦い、無敵の加藤清正軍を朝鮮軍が大破した戦い(笑)として朝鮮寄りの書籍で紹介されることがある。

・三嘉付近戦闘(1598年3月24日)
三嘉付近で略奪を働いていた島津勢と明・朝鮮軍の間で行われた小競り合い。

・茂朱の戦い(1598年4月8日)
沙斥駅付近で起きた島津勢と明・朝鮮軍の間の小競り合い。
こんな規模の小さい戦闘で明軍の副総兵・李寧が戦死してしまった。島津勢の偽装退却に誘き出され、包囲されたのだという。
なお、泗川の戦いで戦死した参将の李寧とは同姓同名の別人。

248:世界@名無史さん
11/10/01 21:09:49.72 0
関係ないことかもしれないけど、秀吉が朝鮮出兵しなければ
唐辛子が朝鮮にもたらされなかったんだよね。


249:世界@名無史さん
11/10/01 21:48:20.80 0
>>247

島津って李舜臣と鄧子龍の他にも敵上級指揮官を討ち取ってるんだな。


250:世界@名無史さん
11/10/01 23:39:57.19 0
>>248
それはどーかのー唐辛子導入の機会がこれただ一度とも限らんし
すぐさま普及したわけでも無いようだし

251:世界@名無史さん
11/10/02 20:03:23.90 0
>>248
どうせ倭寇が輸入してたろ

252:世界@名無史さん
11/10/05 08:27:02.75 0
島津は凄いね
九州統一の過程で何人もの大名、大将討ち取ってるし



253:世界@名無史さん
11/10/05 17:15:38.64 0
>>241
農村に銃まであった戦国時代の日本と違い
武器など何も持ってないあの時代の朝鮮民衆が自発的に蜂起出来たとでも?

254:世界@名無史さん
11/10/05 17:45:42.30 0
>>253
馬鹿? 鋤・鍬持ち出せば立派な武器だが。あと、竹槍な。
これは日本の農村でも同じ。

ま、朝鮮はもっぱら竹弓を使ったんだろうが。

255:世界@名無史さん
11/10/05 21:14:17.46 0
>>247

>島津勢の偽装退却に誘き出され、包囲されたのだという。

島津の釣り野伏せに引っかかったか。


256:世界@名無史さん
11/10/05 21:15:05.02 0
バカはお前だ、義兵を江戸時代の百姓一揆と一緒にすんなよ
そもそも最初の義兵組織が農民の自発的な物ではなく郭再佑が一族郎党と領民
を集めて始めたもので
韓国人学者の金奉鉉の調査ですら在郷の両班や招諭使、軍人の指導以外で義兵
が立った記録なんぞ見つかってない
知ったかすんなw

257:世界@名無史さん
11/10/05 21:48:15.59 0
権力者以外で自発的に戦ったというと僧兵くらいかな
無論、戦後李朝の廃仏政策が改められるのを期待して戦ったんだけど
戦後の恩賞なし

258:世界@名無史さん
11/10/05 21:52:27.42 0
>>256
>武器など何も持ってないあの時代の朝鮮民衆

ファビョるなよ。w こういう認識が馬鹿だっつーの。

259:世界@名無史さん
11/10/05 21:56:29.49 0
>>257
そういや、先日倭館関連の本読んでたら、倭館の建設に
近隣の僧侶が千数百人だか動員されて労役、っつー話が
出てたな。

260:世界@名無史さん
11/10/05 21:58:19.49 0
>>258
当の韓国の学者が義兵は民間蜂起にあらずと結論づけてるのに
これ以上何を言うつもりだw

261:世界@名無史さん
11/10/05 22:05:00.47 0
>>260
だから、平民・賤民の自発蜂起じゃないということ
自体は争っとらんよ。w


262:世界@名無史さん
11/10/05 22:25:21.37 0
平民賤民が自発的にやったことは抗日どころか日本軍への協力や朝鮮王宮
の放火略奪です
そんな彼らもさすがに歴代朝鮮王の墳墓には手を出しませんでしたが
明軍が日本軍との戦いそっちのけで盗掘しまくりました
でもそれらすべてが「チョッパリがやったニダ」ということになってますw


263:世界@名無史さん
11/10/05 23:31:23.88 0
>>262
朝鮮王墓盗掘か。まぁ、日明共に真犯人が私がやりましたとか書き残してる訳も
なかろうし、一応対馬藩が下手人を差し出したことになってるからな。

しかし、どこかの美術館・博物館の収蔵品なり、コレクターの蒐集品なりで
それと目される様な美術品みたいなものはあるのかね? 聞いたこと無いけど。

264:世界@名無史さん
11/10/05 23:42:19.95 0
中国人は現在も自国で盗掘しまくっとるからなw
盗掘ビジネスに関与してる人間は推定10万人前後って盗掘大国

265:世界@名無史さん
11/10/05 23:42:53.90 0
全然関係ない牛泥棒かなんかを喉を潰して差し出したんだっけ対馬藩

266:世界@名無史さん
11/10/05 23:53:07.01 0
当時の日本人は畿内の古墳を城郭に再利用したりしてるくらいで
「墳墓」という物の存在すら認識してないと思うぞ
古墳が盗掘されてた時代はとうに過ぎ去ってたし
あの秀吉ですら副葬品は甲冑、太刀と日用品を詰めた黄金の壺だけだったくらいだから
墓を掘ったら宝があるって発想がないんじゃね?

267:世界@名無史さん
11/10/06 10:33:47.53 0
墓そのものはともかく、墓のある山に金を隠してはいたけどね秀吉


268:世界@名無史さん
11/10/06 18:13:21.93 0
【歴史】「織田信長だったら朝鮮出兵を成功させていた」と国際ジャーナリストの落合信彦氏[10/02]
スレリンク(news4plus板)

269:世界@名無史さん
11/10/06 18:48:37.42 0
>>268
その人、モサドとコネクションがあるとか
ブルース・リーと喧嘩して勝ったとかホザいてる人でしょ?

270:世界@名無史さん
11/10/06 21:29:40.73 0
>>268
>秀吉の朝鮮出兵はひどい失敗に終わった
と言ってる時点で無知なことがわかった。

271:世界@名無史さん
11/10/06 22:42:28.29 0
まあ文禄の役に限って言えば戦略から破綻してたけど
慶長の役は日中戦争と同じで決着付いてないからなあ

272:世界@名無史さん
11/10/06 22:54:05.06 0
日中戦争と違って上手く撤退したもんじゃね

273:世界@名無史さん
11/10/07 00:05:27.36 0
そもそも秀吉は明遠征のつもりだったんだから
半島を突破できなかった時点で失敗なのは確かだろ
ノビー(笑)はその文脈で失敗と言ってるわけじゃないだろうけどw

274:世界@名無史さん
11/10/07 00:14:20.30 0
突破できるとも思ってないでしょう
ひと暴れして領土がもらえればいいと思ってた程度だろ。
そういう意味でも失敗は失敗だけど

275:世界@名無史さん
11/10/07 09:32:33.57 0
方広寺の跡地である京都国立博物館から正面通りを西へ数十メートル行くと耳塚が…おっと誰かがきた

276:世界@名無史さん
11/10/07 10:33:26.76 0
蔵入り地とか増えて政権強化には成功したから、目的は果たしたといえるんじゃないだろか。
結局、全部家康に持ってかれたけど。

277:世界@名無史さん
11/10/07 10:59:53.09 0
>>273
半島突破と言うなら加藤清正がその条件を満たしてるわけだがw

278:世界@名無史さん
11/10/07 11:34:43.72 0
>>277
清正が入っちゃったのは明じゃなくてオランカイだろ

279:世界@名無史さん
11/10/07 12:01:29.84 0
半島は突破してるぞ

280:世界@名無史さん
11/10/07 17:25:50.38 0
信長なら成功してたかな
信長は東南アジア志向か

281:世界@名無史さん
11/10/07 22:06:21.74 0
成功って北京に突入して新中国を作ること?
間に半島があるから無理じゃね?
ソウルに5万ばかり駐屯させてただけで補給に難儀する土地だぜ。
モンゴルとか女真は国境を突破すればすぐに豊かな中原に出れたけど。

282:世界@名無史さん
11/10/07 22:15:08.80 0
半島だろうが東南アジアだろうが信長に海外志向なんぞ無い
死の直前まで貿易はすべて商人任せだ
通称網を自分で掌握しようとした秀吉や、禁教とのかねあいで断念はしたものの多角的貿易を画策してた
家康の方がよっぽど海外志向

283:世界@名無史さん
11/10/07 22:59:50.87 0
実際は秀吉の頃って九州はすでに別国家化してたんだよね。
東シナ海連合、つまり南蛮帝国。
宗教はすでにほぼキリシタンで統一。
宣教師は朝鮮にも拠点を作り、
周辺制覇まであと一歩。
秀吉はイスパニアと事実上宣戦布告を交わしていたし
朝鮮出兵って結構複雑だよ。

284:世界@名無史さん
11/10/07 23:46:07.55 0
花の慶次の読みすぎだッッッ

285:世界@名無史さん
11/10/07 23:53:40.83 0
カルロスの蹴りはすごかったな。
わたーっ と飛び蹴りで胴体がパパパパパンと分割されていく。

286:世界@名無史さん
11/10/08 11:57:25.62 0
>>285
あれは凄かったなw

しかし花の慶次の作者も「朝鮮出兵については描くわけにはいかない」といって
シナリオを琉球編に変更してるんだよなあ。やっぱりメディアじゃ腫れ物扱いなんだな

287:世界@名無史さん
11/10/08 15:35:55.29 0
朝鮮編描けなくて金が出せなかったかわりに慶次軍団の一人として
「花と火の帝」からを岩介をゲストとして迎えたんだよな
名前を岩兵衛に、八瀬を七霧に変えてたけど

288:世界@名無史さん
11/10/08 16:14:30.49 0
加藤清正は第一次蔚山戦役では明軍を追撃したのに、第二次蔚山戦役では追撃しなかったのはなぜだろう?
兵力で見ても、一次の方が敵の数が多いのにな。これでは、幸州山城や晋州城の朝鮮軍のように撃退したものの
ビビって追撃しなかったと受け止められても仕方ないぞ。中路軍と西路軍の動きに警戒していたのか、3倍近くいる
明軍との対戦を恐れて避けたのか。

289:世界@名無史さん
11/10/08 16:32:21.62 0
岩介の親父の名前も岩兵衛だから
意外とその岩兵衛本人の可能性もある

290:世界@名無史さん
11/10/08 16:35:46.73 0
>>288
文禄の時は朝鮮や明に領土もらえるかもと張り切ってたけど
慶長の時はそんな意気も消えてたんだろ

291:世界@名無史さん
11/10/08 17:06:05.28 0
第一次蔚山戦役も慶長の役だぞ。兵糧を投棄しながら逃げて行った西路軍や島津軍に
追撃され壊滅的被害を受けていた中路軍と比べて、東路軍が整然と撤退していったこと
が疑問だわ。島津軍より戦力的に優位の加藤の軍勢が引き籠っててどうするんだよ。
明軍に大打撃を与えるこれ以上ないくらいのチャンスだったように思えてならん

292:世界@名無史さん
11/10/09 03:27:37.51 0
イスパニアは明攻略を考えていたわけで、
まあ後年のエゲレスと考えることは同じ。
倭寇の進出と同じ速度でイスパニアが東南シナ海に進出。
台湾は倭寇、フィリピンはイスパニアが奪る。
秀吉はイスパニアに対明共同戦の誘いを受けていた。
もし秀吉の九州仕置より先にイスパニアが動いていたら、
きっと九州大名は対明戦に参戦していただろう。
結局、東亜でのイスパニア進出を止めたのは、
同胞ヨーロッパのポルトガルオランダ。

293:世界@名無史さん
11/10/09 19:45:31.14 0
イスパニアが明に勝てる要素を教えてくれ。
東アジアに動員できる兵力なんて、どうがんばっても数百から数千だろ。

294:世界@名無史さん
11/10/09 21:28:07.61 0
>>292
当時、ポルトガルがスペインに併合されていたのも知らんのか・・・。
日本史板ならともかく(高校レベルの日本史で教えないのも問題だと
思うが)、世界史板で知らんのは恥だぞ。

295:世界@名無史さん
11/10/10 02:18:40.44 0
>>286
たしかあのゴルゴ13にすら
朝鮮国家絡みの話は一回も出てないはず

ごく稀に漫画界に出てくる朝鮮人は何故か全て
誠実、真面目、潔白、頭脳明晰、容姿端麗と
ハリウッドの黒人以上の扱いなんだよな
ここら辺が連中が中国人以上に嫌われる所以だろうな



296:世界@名無史さん
11/10/10 02:42:47.67 0
>>291
遠くから眺めてただけの無傷の3倍の敵軍を追撃するのは
猪武者でも勇気がいるぞ

そもそも、そんなことしなくても来年には鋭気を養ってきた帰朝の連中が戻ってきて
一大攻勢をする予定だったんだから自分一軍だけ無駄に血を流す必要はないだろ


297:世界@名無史さん
11/10/10 06:42:54.84 0
無傷ではないぞ。蔚山戦攻防戦で明軍が多くの損害を受けたことは両陣営の史料でも
確認できる。
さらに、東路軍は中路軍の大敗の報せを受けていた。とてもじゃないが
数度に渡って撃退され、さらにほかの戦線も敗退したことを聞いて士気が高かったとも
思えない。

298:世界@名無史さん
11/10/11 01:16:42.52 0
島津みたいに士気を崩壊させて敗走させたわけじゃないんだし、追い討ちする状況になかったんじゃね?
東路軍はあくまで秩序だって撤退したんでしょ?

299:世界@名無史さん
11/10/11 11:51:08.80 0
第二次では援軍がいないから、第一次のように城兵と援軍とで挟撃することができない
城兵を誘き出すための偽装退却である恐れもある
追撃しなかったのは賢明な判断だと思うが


300:世界@名無史さん
11/10/13 19:08:27.42 0
吉近 はるたさ(バルタサル)

 豊後出身のキリスト教徒で、平戸の領主・松浦氏の家臣。松浦氏の使者として平戸とフィリピンの
マニラを往復した。

 1587年六月二十六日付のメキシコ副王宛デ・ベラ書簡には、松浦氏とその友人・小西行長らの
意思として、兵士を主体とする軍事協力をデ・ベラ総督に提供する用意があると、吉近が総督に
伝えたことが記されている。しかし、吉近のこの提案の裏には、日本人のファン・ガヨも関与した
ルソン島原住民の武装蜂起計画が隠されていた可能性が高い。スペイン側の軍備不足を見て取った
吉近が、軍事協力を口実に兵士と武器をルソンに送り込もうとしていたとも考えられる。
 吉近のマニラでの蠢動については、中国人アントニオ・ロペスが1593年の聴聞で証言している。
それはロペスが1592年の平戸滞在中に同地の中国人キリスト教徒から聞いた情報であり、
すなわちルソンのイスラム系原住民の首領ドン・アグスティンを首謀者とした武装一斉蜂起の計画に、
日本人ドン・バルタサル(吉近)が加担していたというものだった。
URLリンク(proto.harisen.jp)

301:世界@名無史さん
11/10/13 19:08:41.91 0
ファン・ガヨ

 天正十五年(1587)、平戸からルソン島のマニラへ渡った渡航船の船長。日本人。同年、
ルソン島のイスラム系原住民の武装蜂起計画の謀議に関与したとされる。

 スペイン人が調査した武装蜂起計画の経過と全容は、1589年五月二十日付で作成された
マニラ総督府の事件報告書、およびメキシコ副王宛マニラ総督書簡などに残されている。
これらによると、ガヨは1587年、ルソン島原住民の首領であったドン・アグスティン・デ・レガスピと
親交を深めて次のような計画を練り上げたという。
 それは、まず日本からガヨがスペイン人との友好的交易という口実のもとに兵士や武器をルソンに
持ち込む。第二段階として、ボルネオ、モルーカ、マレーのイスラム系勢力にその武器を横流しし、
陸海からルソンのスペイン人を包囲して総攻撃をかける、というものだった。最終的にはスペイン人を
皆殺しにして原住民首領一族がルソン島を支配し、支配階級には日本人を入れる合意が交わされ
ていたという。
 1587年のこの謀議の時点ですでにガヨは、日本から輸送していた武器をイスラム系原住民勢力に
供与し、協力の印とした。実際、別の史料には1587年に大勢の日本人と商品を乗せてマニラに
到着したガヨ船長の船が記録されている。またガヨと同時期にマニラを訪れていた吉近はるたさの船が
武器を搭載していたという記録もある。
 計画は1588年十月に発覚し、スペイン側によって未然に防がれたが、発覚数日前には日本からの
武器や火縄銃を供与されたボルネオ勢力がマニラ湾に迫っていたという。
URLリンク(proto.harisen.jp)

302:世界@名無史さん
11/10/13 19:09:48.27 0
原田喜右衛門

このようにフィリピン側ではたびたびの往復で秀吉の出兵を遷延させる策に出ていた。この状況下,
喜右衛門はフィリピンは防備が薄いので,秀吉の征服は容易であると進言した。しかし文禄1(1592)年
秀吉が朝鮮出兵を開始したため,フィリピン問題には力が入らなかった。さらに台湾の占領も秀吉に
進言し,フィリピン諸島との中間地点の重要性を説得,自ら台湾征服を願い出ているが,これも秀吉に
余裕がなかった。
URLリンク(kotobank.jp)
URLリンク(100.yahoo.co.jp)
原田孫七郎
URLリンク(ja.wikipedia.org)
長谷川宗仁
URLリンク(ja.wikipedia.org)

16 - 17世紀 日本・スペイン交渉史
URLリンク(plaza.taishukan.co.jp)
豊臣秀吉とルソン総督間の交渉
URLリンク(www.mex-jpn-amigo.org)
秀吉の脅迫
URLリンク(www.kyushu01.com)

303:世界@名無史さん
11/10/13 19:10:27.69 0
>>300-302
秀吉は九州平定の時点で松浦鎮信らを外交参謀に据えて、唐入り(北進)を取りやめ、
「南進」するべきだった。

304:世界@名無史さん
11/10/15 19:01:17.78 0
山田長政なんかも、ソロプレイの風雲児みたいに描かれてるけど
バックにどこかの大名がついてたりしないのかな

そういう研究ない?

305:世界@名無史さん
11/10/16 22:42:07.97 0
>>294
・・・?
それを言うならポルトガルだけでなくオランダだってスペインだ。
ヨーロッパじゃ自らの隣人の行動に水を差しながら勢力拡大してるのを知らんのか。
イスパニアも消えポルトガルも消え、
結局オランダが島原で旧教徒を砲撃して対日独占権を得た。

それに朝鮮にキリスト教伝来したのがいつかを知らんのか。
朝鮮出兵時の日本人キリシタン小西行長だぞ。

306:世界@名無史さん
11/10/16 22:49:50.24 0
山田長政は実在したかどうかも定かではない。
ただその時代に日本人が頻繁に周辺海外に進出しているのは確かで。
日本は世界の流れと別に勝手に歩んで来た国とされているが(あるいは自らの教科書で謳っているが)
実はそんなことは全然なく、他の世界と同様に技術が伝わり
同様に先進のブームや潮流に乗りながら進んで来た国なのだ。大航海時代に航海するのは当然だ。

307:ちょんこ
11/10/16 23:11:39.62 0
ほれ韓流 チョンコロの本性だよ

韓国人は残忍なやり方で女性をレイプしてから殺す、アンリン郡の村人によれば、
韓国人はとりわけ女性にとって恐怖の的だった。また妊婦や子供は井戸に落とし、
助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだ。
レイプ後、至近距離から撃たれ前頭部を吹き飛ばされた2名の妊婦
URLリンク(upload.wikimedia.org)

レイプされ、両胸をえぐり取られた上に銃撃を加えられて瀕死の21歳の女性。
撮影後に病院に徹送されたが「お母さん、お母さん…」と母を呼びながら妹達の前で息絶えた。
URLリンク(upload.wikimedia.org)



308:世界@名無史さん
11/10/16 23:21:57.45 0
お前の本性みせられても困る。これだからグロマニアは

309:世界@名無史さん
11/11/09 22:42:00.11 0
【韓国】李舜臣が記した「乱中日記」と農村開発運動を記録した「セマウル運動記録物」 世界記録遺産に登録申請へ[11/08]
スレリンク(news4plus板)l50


310:猿
11/11/09 22:59:13.12 0
>>266
>当時の日本人は畿内の古墳を城郭に再利用したりしてるくらいで

大阪城は石山本願寺の跡地だぞ。
石山本願寺は上町台地に北端に建立された寺院。
そもそもその辺りに巨大古墳はない。
巨大古墳があるのは堺や羽曳野辺りだ。

良く覚えて桶。

311:世界@名無史さん
11/11/10 22:57:44.61 0
>>310の脳内では日本の領土は大阪近辺だけらしいw

312:世界@名無史さん
11/11/11 04:27:22.31 O
古墳や昔の墓の位置の認識くらいあるぞ
石垣に石棺つかってる位だからな。

313:世界@名無史さん
11/11/12 15:17:08.72 0
戦国時代の大和・河内あたりじゃ多くの古墳が城塞にされたぞ
一から作るよりてっとり早いからだろう

314:世界@名無史さん
11/11/13 20:34:19.28 0
とりあえず、秀吉も自分が明の皇帝の臣下だって自覚はあったと思う。

315:世界@名無史さん
11/11/13 23:27:42.30 0
またお前か
懲りないねえw

316:世界@名無史さん
11/11/14 08:19:48.03 0
秀吉の中国制覇はどこまで本気だったのか
秀吉が後10年長生きしてたら
朝鮮半島ぐらいは統治可能かもしれんが

317:世界@名無史さん
11/11/14 22:52:43.76 0
>>316
>>朝鮮半島ぐらいは統治可能かもしれんが
どうやって?(笑)

318:世界@名無史さん
11/11/14 23:21:12.03 0
一揆ばらなで切りで必要なら日本から農民を移民だろ。(マジ

史実でいえば島原の乱の後処理みたいなモンだな。

319:世界@名無史さん
11/11/14 23:55:26.24 0
慶尚道南岸の仕置きの城に立て篭もって
明・朝鮮軍を迎え撃つのが精一杯だった
日本軍で?

320:世界@名無史さん
11/11/15 00:00:48.73 0
あの当時海洋越えて支配・入植するノウハウ持ってた国なんてスペインくらいだろ

321:世界@名無史さん
11/11/15 01:25:09.31 0
>>319
三路の戦いとかは帰朝衆が帰った後の兵力6万人程度で全勝してるんだが
別に日本軍の戦略が篭城一辺倒だったわけでもなく
翌年に福島正則や石田三成を大将として一大攻勢を計画してたわけだし
何をもって精一杯と言っているのかわからん

322:世界@名無史さん
11/11/15 02:44:14.23 0
明に対する嫌がらせとしては効果的な方法だな。

323:世界@名無史さん
11/11/15 08:15:06.96 0
文録と慶長じゃ戦略が正反対だからね
文録じゃ半年でロシア国境まで攻めいる電撃作戦
慶長は兵坦重視のローラー作戦
三路の戦いでは大勝してるわけだし
来春にはソウルまで制圧、補給線整備して
拠点には、大戦中一度も落城しなかった難攻不落の倭城を
網目のように築城
これを3年ごとに繰り返し

324:世界@名無史さん
11/11/15 10:45:34.93 0
逆に明軍がどうやったら、あのまま朝鮮に駐屯できたのか?って感じだな。
全土からかき集めて、やっとこさ朝鮮に10万近い大軍を送り込んだのに、在番の日本軍に
ボロ負け。相手の日本軍は在番の九州勢の約3万だったのにだ。

本土で休息をとっていた日本軍の大軍が予定通り、朝鮮に再派遣されてたら、
「資糧、器械稱是, 而三路之兵, 蕩然俱潰, 人心恟懼, 荷擔而立」という状態の
明軍がまともに戦えるのか疑問だわ。

325:世界@名無史さん
11/11/15 13:56:41.05 0
問題は勝った後の戦後処理だろ
日本軍が蒙った消耗に見合うだけの対価を半島から得られるとはとうてい思えん


326:世界@名無史さん
11/11/15 22:42:11.19 0
鹿児島国際大の増田勝機教授(東洋史)は、こうした福建軍との接触を通じ
て、合力計画が持ち上がった、とみる。注目されるのは、「請計処倭酋疏」
に戦艦2000隻、精兵20万で日本を制圧するという計画が見えることだ。
許孚遠はこの計画を提案した1か月後、再び工作船を薩摩に派遣している
(『神宗実録』)。
URLリンク(kyushu.yomiuri.co.jp)





327:世界@名無史さん
11/11/15 23:01:29.11 0
ナントカ国際大って、あちこちにあるけど
やっぱりバカ大だよね。w

328:世界@名無史さん
11/11/15 23:30:42.25 0
>>326
臣下の自覚だの福建省だのバカの一つ覚えみたいに何度も何度も蒸し返すのはどういう了見だ?
嘘も百回言えば本当になるってか?w

329:世界@名無史さん
11/11/15 23:44:14.65 0
>>327
お前よりは賢いんじゃね!!

330:世界@名無史さん
11/11/15 23:53:56.83 0
腹立ったの?w


でも、それガセ確定の話だしな~

331:世界@名無史さん
11/11/16 00:18:39.25 0
>>330
具体的に(笑)

332:世界@名無史さん
11/11/16 00:57:58.14 0
なあにが「具体的に」だよ
何べん同じことを質問するんだ?
人様を煩わせる前に過去スレくらい読めよ知遅れw

333:世界@名無史さん
11/11/16 01:02:30.55 0
しかしこんなガセを鵜呑みにするバカがいるとは新鮮な驚きだったな
まだ武功夜話を鵜呑みにしてる奴の方が数倍マシ

334:世界@名無史さん
11/11/16 01:08:02.81 0
>>332>>333
なーんだ、具体的な説明はなしか。
結局、テメエの間抜けな妄想に都合の悪いことはガセってことに
したいんだ。



335:世界@名無史さん
11/11/16 01:36:36.63 0
島津義久に提案したみたいに書かれてるけど、根拠は無くただの推測
政策決定に係るような立場の人間による提案でもないし、
結局は薩摩にいた一明人の医者の間抜けな妄想じゃんw

劉綎が加藤清正に対して「秀吉を討てば日本国王に封じる」と提案してるけど
これと似たようなもんだろうな。無理に実行しようとしたところで
大口叩いた挙句ぶっ殺された沈惟敬みたいになるのが関の山だろw

336:世界@名無史さん
11/11/16 01:38:58.05 0
>>334
で、真面目に対応してやったわけだが
こういうやりとりをあと何万回繰り返せば満足するんだ?w

337:世界@名無史さん
11/11/16 16:10:31.04 0
普通に当時の明朝廷を実情を知っていれば、そんな計画が妄想でしかないことぐらい
わかるもんなんだがなぁ。

338:世界@名無史さん
11/11/16 20:37:35.98 0
むこうさんは朝鮮在陣の連中が日本最精鋭、最大部隊で
日本国内はカスしか居ないと勘違いしてたんだろ
小西や加藤を日本軍最強と思い違いしてたしさ
島津や加藤程度と組んで日本でいったい何が出来るんだよ
少しでも情報収集能力があれば
せめて島津意外に家康、政宗辺りに話がないと

339:世界@名無史さん
11/11/16 20:44:26.57 0
そもそも、陸続きの朝鮮ですら明の派兵数は10万超が精一杯
20万の大軍でどうやって南西諸島を渡るんだよ
島津が裏切ったら20万の大軍は補給線がなくてその場で壊滅するし
リスクが高過ぎる


340:世界@名無史さん
11/11/17 09:06:28.21 0
軍勢もそうだが、金が無い、戦艦がない、軍勢がない、計画がない、木材がない
島津が味方になる根拠がない、島津だけでは勝機がない、正気でもない、

アホらしい

341:世界@名無史さん
11/11/17 23:17:25.23 0
>>335
>結局は薩摩にいた一明人の医者の間抜けな妄想じゃんw
テメエに都合の悪いことについては、全て「妄想じゃんw」か(笑)
間抜けで低脳なお前らしい物言いだな。
一明人の医者とは許儀後(許三官)のことだろ.
長年にわたり島津氏に仕えた医者であり、さらには島津家のシンクタンク
の一員にもなっている(『鹿児島県史料 旧記雑録後編二 523頁』参照)
>で、真面目に対応してやったわけだが
気に入らないことを『妄想』と決め付けることがお前にとっての
真面目なんだ(笑)
つくづく、お前は間抜けで低脳だな。





342:世界@名無史さん
11/11/18 00:10:39.20 0
こいつ何言ってるんだ?そもそも本当に提案したかどうかも不明なのに
というかこの医者が本気だったとして、島津家がこんな現実性皆無な計画に賛同するわけないだろ

343:世界@名無史さん
11/11/18 00:22:19.57 0
諜報員、薩摩へ潜入
戦争中、明朝は日本の薩摩に「インテリジェンス・オフィサー」を
派遣して内情を探索し、さらには島津氏に日本軍の撤退を働きかける
よう工作を仕掛けています。明朝の兵部尚書(防衛大臣)の石星
(せきせい)は、島津氏側近の中国人・許儀後が機密情報を送って
きたことに目をつけ、諜報員を薩摩に送りこみます。当時、東シナ海は
空前の「交易ブーム」に沸いていました。中国福建と薩摩との間には
頻繁な海商たちの往来があったので、商船に便乗して容易に薩摩領内
へ潜入することができたのです。
URLリンク(okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com)

344:世界@名無史さん
11/11/18 00:48:56.16 0
へえ、石星ってそんなこともしてたんだ。精力的だな
この人かなりの苦労人なのに、最後は講和交渉失敗の責で投獄されて獄死してるんだよね
一度の敗戦で楊元を処刑したのもそうだが、明朝廷って結構ひどい

345:世界@名無史さん
11/11/18 00:57:25.55 0
明の島津氏懐柔工作
明側は豊臣政権に反発する島津氏に目をつけました。1595年
(万暦23、文禄4)に福建巡撫となった金学曽(きんがくそう)は
諜報員として劉可賢を日本に派遣し、さらに1598年4月には
漳州の儒生・林震虩(りんしんげき)を海商に変装させ、工作活動のため
薩摩へ派遣しました。林は許儀後・郭国安に接触し、持参した銀800両を
与えて島津氏が豊臣政権より離脱するよう説得しています(『錦渓日記』)。
URLリンク(okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com)

346:世界@名無史さん
11/11/18 02:35:06.71 0
島津氏が豊臣政権より離脱することはなく
泗川で明軍をフルボッコ

347:世界@名無史さん
11/11/18 06:12:41.57 0
>>328
福建云々はしらんが、「臣下の自覚」については、当時の東アジア世界の常識だからなあ。
足利将軍も細川も大内も、その建前で日明貿易やってたわけだし、堺や博多の商人だって熟知してたろ。

秀吉自らが提示した講和条件に「明の皇女の降嫁」とならんで「勘合貿易復活」があった以上、
そしてリアリストの秀吉が堺や博多の商人と親交があった以上、「臣下の自覚」は当然あったろう。
明を侵略したモンゴルのアルタン・ハンだって、結局は冊封されて交易しTるわけだしね。

348:世界@名無史さん
11/11/18 07:40:16.48 0
北虜南倭の一方で、直に中国を悩ませてたタタール部のアルタンでさえ、
最後は明の皇帝の権威を認めて、冊封されて交易するという実利をとったからな。

実利にさとく賢明な太閤さんが、そのへんのことをわからないわけないだろう。
海外事情に詳しい堺商人や博多商人とも交流あったんだし。

349:世界@名無史さん
11/11/18 12:35:34.52 0
スルーされたので壊れたレコード化か。w

350:世界@名無史さん
11/11/18 13:26:05.68 0
朝貢貿易の臣従って本当に建前だけだが。
明の皇帝が足利将軍に何か命令下すなんて出来ないだろ?

351:世界@名無史さん
11/11/18 18:14:23.87 0
朝貢って今で言うとODAだろ?

352:世界@名無史さん
11/11/18 21:35:28.92 0
×朝鮮征伐
○明出兵の通り道をさくっと占領

353:世界@名無史さん
11/11/18 22:52:21.87 0
>>350
足利義満の場合、天皇の位を乗っ取ろうと考えたことから、明から
認められた正当な王である、明から認められていない天皇とは違う、
と主張する目的もある。

むろんこの目的で朝貢したのは義満のみだが。

354:世界@名無史さん
11/11/19 00:15:46.59 0
息子に裏切られなきゃ曹操や司馬仲達みたいに没後「足利王朝の太祖」と
諡されたんだろうな義満

355:世界@名無史さん
11/11/19 01:06:02.80 0
>>346
>島津氏が豊臣政権より離脱することはなく
>泗川で明軍をフルボッコ

鹿児島国際大の増田勝機教授(東洋史)は、
「もし秀吉がもっと長生きしていたら、撤兵は許されず戦いは
さらに泥沼化したはずだ。
その時こそ島津氏と明の合力が実現していたかもしれない。
合力計画は、秀吉の死とともに消え、島津側の史料からは
抹消されたのだろう。(おわり)』


356:世界@名無史さん
11/11/19 02:11:23.93 0
明がその気ならとっくに朝鮮半島を直轄領にして九州を平定してる
当時の地球上で最強だったのだから

357:世界@名無史さん
11/11/19 05:28:35.78 0
秀吉が明に対して臣下の自覚があったかどうかって話だけど、
本音の部分では当然、そんなものはないだろう。
ただし、「タテマエ」としては足利将軍や大内氏同様に、理解してたんじゃないのか?
そうでなかったら、わざわざ講和条件に「勘合貿易再開」は入れないだろう。

講和決裂のときの激怒も、小西の策略で「冊封」以外は全部無視されて、
肝心の勘合貿易再開がスルーされたのと、朝鮮南部の割譲とかが認められなかったから。
貿易と南朝鮮の割譲が認められてたら、賢いサルは日本国王になってたと思うよ。

358:世界@名無史さん
11/11/19 05:44:10.47 0
まあ韓国の領国化を認めさせ、貿易再開を再開するなら国王でも受けたかもね
その時点で冊封の原理からは外れるけど

359:世界@名無史さん
11/11/19 10:54:16.29 0
明は弱体化していた
たった10万の満州軍によって滅びた

秀吉の構想は荒唐無稽ではない

360:世界@名無史さん
11/11/19 11:50:16.38 0
>>359
>秀吉の構想は荒唐無稽ではない
間抜けで低脳なお前らしい物言いだな(笑)
抽象的な発言はいいから
具体的な秀吉の構想を説明しろ!



361:世界@名無史さん
11/11/19 12:03:30.49 0
明と薩摩の合力計画の方がよっぽど荒唐無稽だろ

362:世界@名無史さん
11/11/19 12:11:09.55 0
どっちも実現困難⇒無かったことに。

363:世界@名無史さん
11/11/19 12:33:57.42 0
>>361
間抜けでトンマなお前の願望はいいから(笑)
>明と薩摩の合力計画の方がよっぽど荒唐無稽だろ
どこがどう荒唐無稽なのかを具体的に説明しろ

364:世界@名無史さん
11/11/19 12:38:18.82 0
なんか気持ち悪いのが粘着してるな

365:世界@名無史さん
11/11/19 13:20:09.59 0
>>359
地続きの場所から攻めてくる兵站の問題を考慮しなくていい遊牧式騎馬軍十万と
同じだけの兵力を日本が明に送り込むには。
水運輜重併せて三十万以上の補助と安全な揚陸地帯及びそれを制圧する別口
の戦力が必要なことを理解できない馬鹿がいるな。

366:世界@名無史さん
11/11/19 13:34:40.41 0
明朝にとって北京から遠い朝鮮南部で属国の保護活動してる分には
金と人命以外は何も失わない。
秀吉が死んだあとも九州に逆上陸しようとしなかったのは、
追い払うことが出来ればそれで十分だったということだろう。
まして薩摩に20万の大軍を上陸させるなど、リスクしかない。

367:世界@名無史さん
11/11/19 13:40:40.59 0
>>365
安全な揚陸地帯=朝鮮半島
別口の戦力=史実の朝鮮遠征軍だな
上にもあるように慶長役末期に名護屋に待機してた予備兵力があれば半島南部の再制圧
くらいは可能だったろうけど
大陸につながる北部までを再平定した上で行軍・兵站の支障になるレベルの反抗を完全に
押さえ込んだ後で十万の手つかずの兵力ひねり出すのはちょっと無理だな

368:世界@名無史さん
11/11/19 14:09:23.85 0
禿げ山半島に騎馬軍送り込んで、馬匹が大量死してるのを知らない
無識が涌いてるスレはここですか?

369:368
11/11/19 14:13:58.82 0
あ、すまん。誤読だった。

370:世界@名無史さん
11/11/19 14:55:16.38 0
【妄想】
>352 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/11/18(金) 21:35:28.92 0
>×朝鮮征伐
>○明出兵の通り道をさくっと占領

【現実】
世界征服のハズが朝鮮すら通過できずに終了

371:世界@名無史さん
11/11/19 14:57:54.35 0
>>366
>秀吉が死んだあとも九州に逆上陸しようとしなかったのは、
>追い払うことが出来ればそれで十分だったということだろう。
>まして薩摩に20万の大軍を上陸させるなど、リスクしかない。


372:世界@名無史さん
11/11/19 15:06:54.44 0
>>367
>上にもあるように慶長役末期に名護屋に待機してた予備兵力があれば半島南部の再制圧
>くらいは可能だったろうけど
朝鮮半島南部って具体的にはどの範囲を言っているんだ?
朝鮮義兵ならまだしも明軍相手に野戦で勝つのは碧蹄館の戦いや
稷山の戦いのように大軍であたらないと難しいぞ。
ましてや半島南部に漢城も含まれているとなると攻め落とすのは
至難の業だ。
とてもじゃないが、慶長役末期に名護屋に待機してた予備兵力程度で
半島南部を攻め落とせるとは思えない。


373:世界@名無史さん
11/11/19 15:13:14.48 0
撤兵を開始して数万にまで減じた倭城に籠る殿軍の日本隊相手に
明軍が2,3度大規模攻勢を仕掛けたら大敗を喫して
それ以後は撤退するまで小競合いしかなかったよね

374:世界@名無史さん
11/11/19 15:14:13.72 0
>とてもじゃないが、慶長役末期に名護屋に待機してた予備兵力程度で

え?w

375:世界@名無史さん
11/11/19 15:23:41.20 0
済州島と鬱陵島に手を出さなかったのが謎だ。
あの2島なら、半島本土から撤退しても、日本に確保できたはずなのに。

376:世界@名無史さん
11/11/19 15:34:30.65 0
>>364
>え?w
え?って?

377:世界@名無史さん
11/11/19 15:37:07.36 0
>>364
>え?w
え?って? 具体的に



378:世界@名無史さん
11/11/19 16:15:27.93 0
>>375
チェジュ島は、もともと半独立王国であった時期が長く、
孤立した島だから日本側が奪取して、琉球みたいに支配することも可能だったろう。

ウルルン島は、まさに絶海の孤島で当時の李朝は空島政策をとって、
事実上放棄してたようなものだから、ここも日本側で確保することは十分可能だった。
現に江戸前期は島根か鳥取あたりの商人や漁民が行き来してた。
このとき、急に李朝が江戸幕府にイチャモンつけてきて、幕府があっさり折れたものだから、
ウルルン島渡航は禁止されることになったが、惜しいことをしたものだ。

379:世界@名無史さん
11/11/19 17:35:31.57 0
>>377
”名護屋の予備兵力”なんぞという認識がそもそも意味不明。

当時、中国・四国衆は休養帰国し、在番の九州衆6万ほどで明軍の全軍挙げての
反攻をはね除けているわけで、休養組が加わる翌春以降の再侵攻では、明軍が
三路の戦いで実際に半島南部に投入できた兵力が10万に満たない以上、慶応の役
緒戦同様、再び漢城あたりまで制圧して講和条件だった南部四道の実力確保は
特段の問題なく可能だろ。

380:379
11/11/19 18:22:23.39 0
おっとっと。
×慶応の役
○慶長の役

381:世界@名無史さん
11/11/19 18:33:49.95 0
南部四道を確保するくらいなら、済州島と鬱陵島を取った方がよほどマシだろ。
その方が、いまでも領有できてた可能性が高い。

382:世界@名無史さん
11/11/19 18:45:46.80 0
南部四道ってことは京畿道も入っているんだろ?!
だったらソウルも占領できるって事?
慶長の役開始当初は朝鮮全体に駐留している明軍の
兵力は2万程だったのにそれでさえ南部四道も確保
できず慶尚道南岸に仕置きの城を作るしかなかったのに
10万近い明軍の駐留している状態で南部四道を占領できる
ってどんな根拠でいってるんだ。


383:世界@名無史さん
11/11/19 19:18:51.84 0
>>382
慶長の役では明軍は2万ぽっちしか居なかったので撃破されて、
日本軍は半島南西部の掃討って言う作戦目標を達成して帰国したよ。

384:世界@名無史さん
11/11/19 19:35:07.33 0
>兵力は2万程だったのにそれでさえ南部四道も確保
>できず慶尚道南岸に仕置きの城を作るしかなかったのに

やっぱり前提となる事実認識がさっぱり欠けている
アホみたいだな。

385:世界@名無史さん
11/11/19 19:37:08.46 0
慶尚南道に倭城を築城して維持するだけのの兵力があったら、
済州島制圧と維持くらい、いとも簡単だったのに。

386:世界@名無史さん
11/11/19 19:43:34.48 0
なんで馬の放牧くらいにしか使えない吹きっさらしの孤島を
占領・維持せんといかんのよ。w

387:世界@名無史さん
11/11/19 20:00:42.19 0
寒国人的には四国位の価値があんじゃね?w

388:世界@名無史さん
11/11/19 20:02:19.12 0
まぁ、韓国のハワイ(笑)らしいけどな。

389:世界@名無史さん
11/11/19 21:45:22.54 0
>>384
>やっぱり前提となる事実認識がさっぱり欠けている
>アホみたいだな。
抽象的な発言はいらないから
言いたいことははっきり言え!


390:世界@名無史さん
11/11/19 21:46:28.45 0
>>372
>明軍相手に野戦で勝つのは碧蹄館の戦いや 稷山の戦いのように大軍であたらないと難しいぞ

いや、碧蹄館は兵力的にほぼ互角の状態で戦って明の精鋭遼東鉄騎を大破してるわけだが
やっぱり基礎的な知識すら持ち合わせてないのな
蔚山や泗川の城外戦を見ても明軍がそこまで野戦に強いとは思えん

391:世界@名無史さん
11/11/19 21:48:47.00 0
>>389
最低限の知識はちゃんと勉強して出直してこいと言うことだよ。w

392:世界@名無史さん
11/11/19 21:57:30.14 0
>>391
思うんだけどこの子、終わった話である臣下の自覚とか福建省とかをしつこく蒸し返したり
普通知ってて当たり前の事柄を知らないで「具体的に言ってみろ!(笑)」と喚き出すあたり
ただ煽りたいだけの荒らしじゃないの?

393:世界@名無史さん
11/11/19 22:01:12.29 0
>>390
碧蹄館は兵力差があるにもかかわらず立花勢を一気に崩せなかった時点で
終わってるわな。
小早川が後詰めに回るともう膠着して押され気味で、毛利・吉川が加わると
総崩れ、という感じ。

394:世界@名無史さん
11/11/19 22:03:17.70 0
>>392
少なくともウリナラ国史教科書的な知識が前提になってるよなー、と思うね。

395:世界@名無史さん
11/11/19 22:10:33.92 0
五百人で明軍二千騎を蹴散らした十時伝右衛門凄すぎ
いくら最初から死ぬつもりだったとはいえ

396:世界@名無史さん
11/11/19 23:49:04.86 0
結局、戦闘力ばかりあっても駄目ってことか

397:世界@名無史さん
11/11/20 00:02:05.10 0
>>390
>いや、碧蹄館は兵力的にほぼ互角の状態で戦って明の精鋭遼東鉄騎を
>大破してるわけだが
いまだに碧蹄館の戦いは、小早川隆景率いる前衛だけで勝利したって
思っているんだ。(笑)
後衛の宇喜田秀家配下でも戸川肥後守達安や国富源右衛門戦闘に参加
しているのに。


398:世界@名無史さん
11/11/20 00:06:08.52 0
なんで重臣の戸川と誰だかよく解らない小身の国富なんちゃらを並べてるんだよ

399:世界@名無史さん
11/11/20 00:27:14.18 0
>>397
この話もちょっと前に上がったばかりなんだがなあ
日本軍本隊のうち戦闘に参加した記録があるのは宇喜多勢の戸川隊のみで
その戸川隊の参戦さえ「戸川記」に書かれているだけで疑わしいところがある
明軍と交戦したのは先鋒隊二万のみで、本隊二万一千が予備兵力として未参戦であったことは
徳富蘇峰や李炯錫も指摘しているわけだが

400:世界@名無史さん
11/11/20 01:51:29.01 0
戸川達安はやはりフカシだろうねぇw

事前に戸川だけ先鋒隊に分派でもされていない限り、陣備えで
最後尾の宇喜多勢が戦闘に参加するのはどうしたってムリだろ。

401:世界@名無史さん
11/11/20 02:03:50.03 0
石田大谷ら奉行衆は合戦自体に消極的だったからわかるとしても
本隊先陣の黒田長政が後続部隊の抜け駆けを見過ごすとは考えづらいな

402:世界@名無史さん
11/11/20 03:30:18.50 0
おまえら受験生か?

403:世界@名無史さん
11/11/20 06:21:31.81 0
>>392
臣下云々と福建省云々は別人だよ。
それに臣下云々は勘合貿易再開の件とか同時期のアルタン・ハンの事例とか出してて、
ちゃんとした根拠があるのに、荒らし呼ばわりはひどいと思う。

404:世界@名無史さん
11/11/20 10:56:11.08 0
>>399
>日本軍本隊のうち戦闘に参加した記録があるのは宇喜多勢の戸川隊
>のみでその戸川隊の参戦さえ「戸川記」に書かれているだけで疑わ
>しいところがある
印象操作はいいからもっと具体的に反論しろ。
たとえば、国富源右衛門の逸話などは本人にとってもあまり名誉ある
話じゃないのにこれも捏造だというのか?!

405:世界@名無史さん
11/11/20 12:14:00.58 0
>>404
根拠が「戦国ちょっといい話・悪い話」に載っている逸話だけとか情弱すぎだろw
そういうこと言い出すなら後世の「陰徳太平記」では碧蹄館で宇喜多・吉川勢が先鋒を任されたことになっているし、
「黒田家譜」では黒田隊の大活躍によって日本軍が勝利したことになっているわけだが
お前は後世の逸話や文献を片っ端から鵜呑みのする前に、他の文献と照らし合わせて資料批判するべきだな

406:世界@名無史さん
11/11/20 12:19:54.66 0
まあ旧参謀本部の「日本戦史・朝鮮役」では戸川隊の参戦を肯定しているわけだし
ありえない出来事とは言えないんだろうが
どっちにしても宇喜多の一部将が参戦したかしなかったかだからな
本隊がほとんど不参戦であったことに変わりはない

407:世界@名無史さん
11/11/20 13:04:35.45 0
>まあ旧参謀本部の「日本戦史・朝鮮役」では戸川隊の参戦を肯定しているわけだし

してねーよw

補伝に資料として収録されているだけで、採用していないから本編にその記載は皆無だ。


408:世界@名無史さん
11/11/20 13:09:12.27 0
>>407
あ、ホントだw勘違いしてたわ
補伝には上の陰徳太平記みたいな眉唾話も結構載ってるし
参謀本部も戸川隊の参戦はなかったものと認識してたんだな

409:世界@名無史さん
11/11/20 14:58:47.97 0
立花宗茂の配下として碧蹄館の戦いに参加した
天野源右衛門の文書では、後衛から宇喜多隊八千
が前衛の毛利隊に対抗するためにずんずん前に出て
備えを立てたので毛利勢の先手から『備前勢があんな
に押し出したのは、定めて先陣せんとのつもりでござろう。
貴殿はすでに今朝いざぎよき合戦をとげられたのでござれば
先陣をお譲りくだされ。』との口上があり宗茂が先陣を譲ったとある。

410:世界@名無史さん
11/11/20 16:03:27.76 0
>>409
「天野源右衛門覚書」の該当記事を見てみると

「三陣の備前衆八千ばかり、敵近づかば、立花に先んじて、一戦せんと進み出て見えしが、
敵の大勢なるを見て、引くともなく、進むともなく、ためらいしが、四五町ばかり引き退く」

とあり、宇喜多勢は結局「四五町ばかり引き退」いてしまっており
その後の戦いの場面にも毛利家と立花家しか出てこない
この記事には右方から明軍を攻撃したはずの小早川秀包、毛利元康、筑紫広門らが出てこず
毛利勢の粟屋・井上隊が敗走した後に立花隊が単独で明軍を大破したかのように書いてある
「天野源右衛門覚書」は合戦の当事者が書いたという点では極めて史料価値が高いけれど、
大名家が編纂させた文献ではなく一個人の覚え書きであるため誤解や記憶違いもあるだろうし
立花家を表彰したいがための脚色も多く留意が必要だと思う

411:世界@名無史さん
11/11/20 20:23:14.19 0
怪しげな三次資料あたりの引用をドヤ顔で書き込んでみたら、
すかさず原文挙げて否定されて>>409涙目だな。

412:世界@名無史さん
11/11/20 20:37:20.28 0
ためになるな

413:世界@名無史さん
11/11/20 23:19:11.03 0
>>403
でも戦争吹っかけておいて勘合貿易をしたいって、「貢物をよこせ」って要求じゃね?

414:世界@名無史さん
11/11/21 09:05:22.92 O
秀吉が死なず、明と有利な講話を結ぶとしたら
どのような条件が妥当だろう
朝鮮南部の確保?歳幣の要求?
後の展望が見えん

415:世界@名無史さん
11/11/21 11:21:55.12 0
「此の戦争は、第六番組の受持であつた。
即ち小早川隆景を首とし、毛利秀包、立花宗茂、高橋主膳正、筑紫廣門等にして、此に毛利元康の一隊参加して居た。
先づ未明に始まり、午後四時頃終わった。
最初は立花兵と、敵の先鋒査大受と○石嶺の此方に於ける衝突に始まり、次に李如松と小早川本隊との接戦となつた。
即ち隆景本隊は第一陣粟屋、第二陣井上、第三陣隆景旗下とし、立花宗茂を左翼とし、毛利元康、小早川秀包等を右翼とし、
本隊の戦酣なるに際し、左右の翼を放って、敵の後方に迂回し、殆ど敵を包囲攻撃した。
実際戦闘に参加したるもの、我は一万五千以下、敵も暫時に増兵し来りたれば、
最後に来援したる揚元の兵を合すれば、二万内外にも上る可きか。
其の損傷は、我が二千、敵が五六千の間であらう。 」

碧蹄館の戦いに関しては「近世日本国民史」の考察が最も真相に近いと思う
日本側の参加兵力が少ない気がするけど、これは渡海以来の兵士の消耗を差し引いて考えた結果だろう

416:世界@名無史さん
11/11/21 11:30:55.17 0
あ、違った
日本軍の参加兵力を一万五千以下としているのは
吉川広家の兵力四千が勘定に入っていないせいか

417:世界@名無史さん
11/11/22 05:36:58.06 0
その気なら12世紀の十字軍のように半島の一部に傀儡国家くらい作れたと思うわ

418:世界@名無史さん
11/11/22 09:46:32.99 0
極端な話、その気が有れば今の韓国領ぐらいは編入出来たな。


419:世界@名無史さん
11/11/22 10:28:53.42 0
秀吉が死ぬと撤兵するあたり、朝鮮の土地はあんまり魅力的じゃなく
その気はなかったんだろうな。

420:世界@名無史さん
11/11/22 13:24:41.18 O
今の韓国に値する土地を確保したとしたら
かなり歴史が変わりそう
女真との関係とか

421:世界@名無史さん
11/11/22 20:30:26.38 0
明が崩壊期に入った時期ならサクっと半島まるごと占領して
清と分割協定結ぶのはわけなさそうだ

422:世界@名無史さん
11/11/23 21:10:41.62 0
明が崩壊に向かう前に、固まる前の女真族を明がけしかけてくる可能性が
夷をもって夷を制すを実践するだろ
ヌルハチ自身も得体のしれない鉄砲軍団より明につくだろうし。

423:世界@名無史さん
11/11/23 21:43:09.87 0
後金は日本への通り道を必要としてないから。
明遠征の為の通路を欲した日本とは違って。

424:世界@名無史さん
11/11/25 18:35:44.14 0
半島中南部の割譲を明から引き出したら
誰が配置されたんだろうな

425:世界@名無史さん
11/11/30 00:57:08.68 0
当初の予定どおり
勲功あった武将か、豊臣家一門・宇喜多あたり配置するんじゃね

426:世界@名無史さん
11/12/01 19:47:04.92 0
>>422
満州八旗10万じゃ朝鮮に城と補給線を構築しきった
日本には勝てないよ



427:世界@名無史さん
11/12/01 19:50:50.67 0
清は肥沃さも技術も文化も無い半島になんて興味無いよ

428:世界@名無史さん
11/12/01 20:21:42.86 0
鬼島津の対兵数二十万人は誇張された数字ではないと思うな。
三国志の時代ですら百万人規模の軍勢が在った国ですよね?
それならなおさらのこと、当時でも数十万人の軍勢で
押し寄せたとしても違和感が無い。
むしろ、数万人程度で島津義弘へ攻撃したとする説のほうが誤りに見える。

429:世界@名無史さん
11/12/01 20:26:11.82 O
どうでもいいけど後世のために滅ぼして欲しかったわ。秀吉さん・・・

430:世界@名無史さん
11/12/01 20:57:14.39 0
>>428
小説や漫画はどうか知らないが現実はそこまで多くないだろ
三国時代末期でも蜀が10万、呉が25万くらいだから魏呉蜀を合わせても100万いくかどうか

431:世界@名無史さん
11/12/01 23:30:56.71 0
数万人ってすごい数だぜ?
2万人が1メートル間隔、二列縦隊で行進したら全長10キロだぜ?

432:世界@名無史さん
11/12/02 00:00:17.74 0
三路の戦いに投入された明軍を総計しても十万人前後だし
二十万はありえないな

433:世界@名無史さん
11/12/02 00:33:38.06 0
428はあっちこっちの板にマルチポストなんで
スルー推奨だな。

434:世界@名無史さん
11/12/02 15:18:09.95 0
>>429
秀吉の時代に半島奪ってれば、近代の日清日露など回避できたもしれんね

435:世界@名無史さん
11/12/02 15:40:48.93 0
明治時代になって「気がついたら列強に囲まれてる!怖い!軍国になろう!」
とはならなかったかもな。

436:世界@名無史さん
11/12/02 20:43:59.59 0
女真やモンゴルに対する備えを考えれば辺境の朝鮮半島南部の賊軍の一部隊に兵力二十万人投入はありえない

437:世界@名無史さん
11/12/02 22:03:33.67 0
女真やモンゴルに対する備えを考えなくとも二十万投入はありえないだろ
明がサルフの戦いに投入した兵力も十万だから、このくらいが外征に出せる兵力の限界だったんだろうな

438:世界@名無史さん
11/12/02 22:28:00.05 0
朝鮮半島手に入れて明と講和したとする
サルフの戦いがあるとしたら、明は日本に救援を依頼するのだろうか

439:世界@名無史さん
11/12/03 12:30:59.70 0
朝鮮本土なんかにこだわらず、済州島と鬱陵島だけ確保しとけばよかったんだよ。
そしたら、その2島はいまでも日本領だった可能性が高い。

440:世界@名無史さん
11/12/03 12:37:59.09 0
とにかく後世のために滅ぼして欲しかったわ。

441:世界@名無史さん
11/12/03 13:00:02.90 0
やっぱり、済州島スルーしたのは謎だよな。

442:世界@名無史さん
11/12/03 13:25:04.81 0
滅ぼしてもあの地理的状況が新しい朝鮮人を産んだだろうよ
日本と中国に挟まれて恨みの文化が育まれるもの

443:世界@名無史さん
11/12/03 13:44:12.44 0
そんなことより、済州島をスルーしたことの方が大失態だろ。

444:世界@名無史さん
11/12/03 23:22:48.57 0
現代の視点でみると鬱陵島は朝鮮の領有権が及ぶとした江戸幕府の大失態が痛い

445:世界@名無史さん
11/12/06 15:53:41.80 0
スルーしてないし

446:世界@名無史さん
11/12/06 23:04:54.66 0





ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや


その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで

まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?










447:世界@名無史さん
11/12/07 15:14:07.85 0
【歴史】18世紀の朝鮮通信使、「大坂は我が国の1万倍も栄えている。中国・北京も及ぶまい」「名古屋の女性の美しさに恍惚となる」[12/7]
スレリンク(news4plus板)

448:世界@名無史さん
11/12/07 20:14:08.17 0
秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか~~朝鮮出兵1
URLリンク(blogari.zaq.ne.jp)
多くの朝鮮民衆が味方し勝ち進んだ秀吉軍~~朝鮮出兵2
URLリンク(blogari.zaq.ne.jp)
第二次朝鮮出兵(慶長の役)も秀吉軍の連戦連勝であった~~朝鮮出兵3
URLリンク(blogari.zaq.ne.jp)

豊臣秀吉の朝鮮出兵はスペインの日本侵略を防ぐ布石を打つことが目的だった
URLリンク(ameblo.jp)

449:世界@名無史さん
11/12/07 23:35:33.79 0
>豊臣秀吉の朝鮮出兵はスペインの日本侵略を防ぐ布石を打つことが目的だった

この説の起源は井沢元彦ってことでおk?

450:世界@名無史さん
11/12/08 00:20:03.99 0
>>449
西尾幹二が「国民の歴史」でそういう感じのことを書いていたような・・・・
つくる会の教科書が文部省の検定で「具体的事実がない」とひっかかってたな。

451:世界@名無史さん
11/12/08 00:29:33.91 0
井沢元彦と西尾幹二どっちが先かね

452:世界@名無史さん
11/12/08 01:13:50.07 0
スペインの日本侵略とか、つくる会も文科省並みに電波だな

453:世界@名無史さん
11/12/08 09:10:12.82 0
スペインを過大評価し過ぎ

454:世界@名無史さん
11/12/08 10:55:26.62 0
当時のスペインなんて日本どころか明にもボロ負けするだろうな
というか当時の明の軍事力は過小評価され過ぎな気がする
動員兵力は世界一だろうし、装備も兵の錬度も悪くないはず

455:世界@名無史さん
11/12/08 13:48:34.53 0
もし秀吉が朝鮮半島を占領しても明との戦争に明け暮れどの道、負けていたと思う。
国内では内乱が起こり家康が三成を破って徳川幕府成立してたでしょう。

朝鮮出兵、もし信長ならどう戦っただろうか?秀吉と同じ手法だったのだろうか?
明と戦うなら日本と朝鮮が戦わず連携して明に攻めれば勝機はあったかも知れない。
飛行機の無いこの時代、まともな国を相手に海を渡って戦争して勝った国はそうそう無いよ。



456:世界@名無史さん
11/12/08 14:00:15.64 0
そもそもが対馬の宗氏が吹き込んだ「朝鮮はすでに服属している」なんて甘い見通しを前提に出兵しちゃってるからなあ
「征明」も朝鮮という先導役・前線基地あってこその計画だったろうし

457:世界@名無史さん
11/12/08 14:11:23.60 0
>>454
いや局地戦なら当時の明は何処とやっても負ける

458:世界@名無史さん
11/12/08 14:14:10.12 0
李氏朝鮮が味方した方が勝利する
これは間違いない

459:世界@名無史さん
11/12/08 14:35:11.84 0
>>457
スペインからはるばる遠征してきたスペイン軍程度じゃ明に負けちゃうでしょって話
当時の渡海能力だと送り込める兵力なんてたかが知れてるし

460:世界@名無史さん
11/12/08 15:09:00.10 0
秀吉でも明でもいいが、とにかくチョンを滅ぼして欲しかったわ

461:世界@名無史さん
11/12/08 15:44:53.81 O
朝鮮出兵の時に朝鮮を領有出来ても
その後も維持出来るとは思えないんだよな
中華が南北に分裂するなら別だろうが

462:世界@名無史さん
11/12/08 17:33:20.87 P
>>457>>459
スペイン人自ら、明兵は恐ろしく統制され、精強無比な集団であり
我々の軍隊では到底対抗できない、と報告してる。

463:世界@名無史さん
11/12/08 18:01:27.11 0
だから朝鮮半島全部とか、南部4道とか欲を出さずに、
チェジュ島とウルルン島だけにしとけば、確実に領有できてたのに、
なぜかこの2島はスルーしてるんだから、信じられんわ。

464:世界@名無史さん
11/12/08 18:15:59.00 0
秀吉が70歳まで存命してたら
倭領を含めた半島南部は確実に回復出来たんだろうけどな

465:世界@名無史さん
11/12/08 18:27:39.34 0
無理。
チェジュ島とウルルン島確保が一番現実的。

466:世界@名無史さん
11/12/08 18:43:34.51 0
余裕。
半島南部の日本領土化は現実的で確実。

467:世界@名無史さん
11/12/08 19:07:55.37 0
秀吉の死亡で日本の大陸進出の夢が断たれたのは確か
賛否もあるが江戸幕府には外征してほしかったね。

468:世界@名無史さん
11/12/08 19:11:09.50 0
でも仮に倭国が大陸全土を手中に収めたら…
幾多の騎馬民族のごとく「漢化」して日本文化を失うのがオチじゃないか?


469:世界@名無史さん
11/12/08 19:34:13.01 0
江戸幕府って薩摩に琉球の遠征はやらせてるのに、大陸侵攻どころか海外渡航を禁じたり蝦夷地はほぼ放置。
琉球だけなんで攻めたんだろ。

470:世界@名無史さん
11/12/08 19:36:27.04 0
幕府は薩摩が琉球遠征するっていうからまぁいいんじゃね?って許可しただけだろ
薩摩も琉球を介しての大陸との貿易がしたかっただけでてこずったらすぐ撤退する予定だったみたいだし

471:世界@名無史さん
11/12/08 20:47:56.87 0
李朝を滅ぼしたところで住民は残るわけだし、史実より日本と明の干渉が強くなったら
いまより関係が拗れるんじゃね?

472:世界@名無史さん
11/12/08 20:52:10.66 0
徳川としては大陸に大量に兵を送るより
国内の基盤固めがしたかったんじゃね

473:世界@名無史さん
11/12/08 21:11:54.20 0
李朝は当時かなり民衆から恨まれたりしてたわけで
上手く根回しすれば民衆を味方に出来たのに

474:世界@名無史さん
11/12/08 21:18:49.81 0
数多の植民地帝国や日本帝国も俺のほうが上手く支配できると勢い込んで
手を広げたんだろうけどなかなか上手くいかないようだし、難しいようですな

475:世界@名無史さん
11/12/08 21:38:45.85 0
いくら植民地を手に入れても同化させなければ意味ないしね

476:世界@名無史さん
11/12/08 21:51:00.88 0
>>462
明軍を見たポルトガル人宣教師は、世界中探してもおそらくこれほど精強で規律正しく操練された軍隊は居らず
ヨーロッパの軍隊とは比べ物にならない、彼等がその気になれば地の果てまでも征服するだろう。と報告してる

↑気になって調べてみたらこういうレスを見つけた
誰かこの話の出典を知っている人はいない?

477:世界@名無史さん
11/12/08 22:18:49.86 0
>>471>>475
李朝の頃に滅びてたら今頃朝鮮半島の住人は日本語喋る日本人になってるよ
現代トルコ人がトルコ語を喋り北アフリカ諸国がアラビア語を喋るように
数十年では同化しなくとも100年200年経てば同化する

478:世界@名無史さん
11/12/08 22:38:15.34 0
戦国時代の集大成の一つとも言える合戦なんだけどなあ…
強さは示したけどただそれだけ
大暴れして民衆の反感買ってるし、国内の豊臣の力が落ちるはでまともなものじゃない

479:世界@名無史さん
11/12/08 22:42:38.61 0
朝鮮征伐が民衆の反感買ったとか初耳だわ
聞いたことが無い

480:世界@名無史さん
11/12/08 22:44:08.18 0
実は朝鮮出兵の兵糧確保の名目で蔵入り地って豊臣家の直轄地が増えて、
豊臣家の権力は強化されたって話を聞いたけど、どっち?

481:世界@名無史さん
11/12/08 22:53:05.81 O
フィリピンはスペイン化しなかったけどな
本国から遠すぎたか?

482:世界@名無史さん
11/12/08 22:58:30.65 0
そういえば、フィリピンって白人系のメスティソっているのか?
金持ちも完全なアジア人の顔ばっかりで、白人っぽい奴ほとんどいないんだが。

例外的にアヤラ財閥という、スペイン系白人の財閥一家がいるって話は聞いたことがあるが、
それ以外はほとんど白人系住民って見かけない。

483:世界@名無史さん
11/12/08 23:03:49.11 0
占有してたのは港近くの集落だけだからな
それも普段の管理は現地人任せだし

484:世界@名無史さん
11/12/08 23:10:31.81 0
アジアで白人が同化する事はなかったな。

485:世界@名無史さん
11/12/08 23:18:49.67 0
シベリアの住人はロシアに同化しちゃったぞ

486:世界@名無史さん
11/12/08 23:26:36.91 0
スペイン系フィリピン人はマフィアに多いよ
華僑系フィリピン人は政界経済界に多い

487:世界@名無史さん
11/12/09 00:10:48.87 0
>>485
でも今は人口は史上最大で割合を増やしつつあるような

>>477
トルコとて住民交換前はギリシャ人随分居たし、アルメニア人も多かったし
クルド人は今でも多いし。マグリブも千数百万だかのベルベル人いるわけで
1000年かけてもそんなもん
おまけに半島は人口と人口密度がかなりでかいし、同化つうても結構難しいんじゃなかろうか

488:世界@名無史さん
11/12/09 00:22:55.55 0
半島を同化させるなら

大衆レベルで進んで日本語を習わせる
心情を日本寄りにさせる
旧制度を徹底的に同意のもと破壊

くらいの条件が必要な気が

489:世界@名無史さん
11/12/09 00:37:18.21 0
仮に同化に成功して統治がうまくいったとしても清代に奪われるだけじゃねーの?
清に半島狙われて、何時までも維持できるとは思えんが

490:世界@名無史さん
11/12/09 01:01:25.60 0
元々少数民族による支配なんだし、清がそう強固とも思わんけどな。
日本が早い時点で橋頭堡が確保できれば、むしろ清が史実通り旧明の
全域を支配できたかどうか怪しいと思うが。

史実でも、鄭成功絡みで徳川幕府の派兵の可能性があったわけだし。

491:世界@名無史さん
11/12/09 01:12:31.66 0
>>487
半島人の同化は余裕だよ、現に北部人は南部に滅ぼされ同化しちゃってるしな
進んだ文明としての意識や確固たるギリシャ語があったオスマン治下のビザンツ系とは質が違う
クルド人の存在は英国の混入政策の結果だし、そもそもトルコのクルド人は大して古い民族でもない

492:世界@名無史さん
11/12/09 09:13:36.21 0
>>462
いや寧ろ現地のスペイン人らは明攻撃を盛んに説いてた
本国とマニラ総督が乗り気じゃなかった為実現せず

493:世界@名無史さん
11/12/09 10:07:38.37 0
>>492
フロイスの日本史を読むと文禄の役のくだりに面白いことが書いてあるよ
なんでも「明人は弱い」という認識は倭寇に荒らしまわされてた「軍兵がいない」中国南岸部の弱兵のイメージが広まったものであり、
戦闘経験豊富な明の国境付近の駐屯軍と日本軍が交戦するに至って、
実際の明軍はヨーロッパ人や日本人の想像よりもはるかに強大であることが分かったとか



494:世界@名無史さん
11/12/09 13:33:05.18 0
スペインが本気出しても、せいぜい出来る事はイギリスがしたみたいな海賊行為だけだろ。

495:世界@名無史さん
11/12/09 13:37:05.75 0
コンキスタドールの影響で強さが際立って見えるだけ
スペインの軍隊自体はそこまで強いものじゃあない

496:世界@名無史さん
11/12/09 13:51:11.01 0
まさにそれが目的だった
広州や寧波などの大経済都市から苦力や産物たらふく強奪できれば相当な利益になる

497:世界@名無史さん
11/12/09 17:42:18.65 P
>>492
明軍を見たことも無いアホが喚いてたが
直に目の当たりにした>>462の報告を見て取り止めた

498:世界@名無史さん
11/12/09 20:10:57.57 0
>>491
日本が相手するのはその同化力の強い南部人になるのでは?

クルド人はセルジューク朝に征服される前にマルワーン朝形成してたし、
新しいとも思えんのだが。英国支配地にしたって元オスマン領だし。

499:世界@名無史さん
11/12/10 00:16:39.25 0
同化するかどうかは現地の人の態度しだいだろうね
積極的に他国の言語を使う風潮が出来たら百年たてば同化するだろう

500:世界@名無史さん
11/12/10 01:13:26.10 0
エジプトやイランがアラビア文字化したのは100年ちょっと
エジプトがアラビア語化したのは2,3世紀
最初は漢語はそのまま、チョウセングルがかな文字に置き換わって
今頃は日本語化してたじゃないかな

501:世界@名無史さん
11/12/10 11:42:10.47 0
>>497
バラつきがある宣教師達の私的報告で総督府の方針がコロコロ変わる事はあまり無い
単にガレオン貿易での取引が予想より有益だった事とフィリピン諸島の征服事業に専念するため取り止めた

502:世界@名無史さん
11/12/10 17:26:13.27 0
>>482
過去数百年で中国系(華人)やスペイン人との混血が進み、混血率は高い。
地域によって混血率は違い、スペイン統治時代に重要な軍港であった地域、
特にサンボアンガでは、スペイン人との混血率が高い。混血者はラテンアメリカと同様にメスティーソと呼ばれる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 09:46:22 ID:6XzpRPDs
フィリピンなんかスペインに400年、アメリカに50年支配されて東洋一番といって言いぐらい白人混血がいる。
そのせいで人種によるヒエラルキーが出来上がっている。
モデルや芸能人は白人混血ばかりだ。
経済界もスペイン系の財閥が牛耳っている。
35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 13:44:55 ID:hc5fmC+t
上に誰かあげたフィリピンは昔からそうだが、
いまタイなんかでも凄い勢いで混血が進んでいる。
URLリンク(logsoku.com)

503:世界@名無史さん
11/12/10 18:24:18.92 0
>>502
スペイン人や米人との混血は人口の1%もいないよ

504:世界@名無史さん
11/12/10 18:55:00.94 O
朝鮮獲得しても次の中国入りをどう成功させるのかが大問題
北京落として終了ってわけじゃないし
仮に成功しても女真みたいな統治じゃ中華に同化する

インディアンみたいに対立煽って自滅させるのが一番だろうが
そこまでアホじゃあないだろ

505:世界@名無史さん
11/12/11 03:09:03.45 0
そう言えば朱元璋が死ぬ間際に上げた「不征ノ国15カ国」て全部分かる人いる?

506:世界@名無史さん
11/12/13 01:04:56.91 0
朝鮮半島も征服できない侍風情じゃあなあ


507:世界@名無史さん
11/12/13 10:43:21.37 0
実質秀吉が死ぬまでの7年程度じゃ無理だったってだけだろ
小西やら沈惟敬の欺瞞外交で長い休戦期間もあったわけだし
まあ、明の参戦がなかったら李氏朝鮮なんてとっくに服属か滅亡してただろうけどな

508:世界@名無史さん
11/12/13 11:49:01.16 0
おおむね戦争では勝ってたが
異民族支配のノウハウがなかったのがな・・
蝦夷を支配し新羅と百済を属国化し、カヤを支配し高句麗にまで出兵した
古代のノウハウが残っていればな

509:世界@名無史さん
11/12/13 23:13:20.31 0
交渉相手はあくまで明なんだぜ?
朝鮮半島を平らげて、完全に民衆を手なずけても明が朝鮮救援に燃えてれば
戦争はずっと続くんだぜ。

510:世界@名無史さん
11/12/14 01:01:51.59 0
明が嫌気さして適当に講和する条件は何が考えられるのか
女真の反乱だろうか 農民反乱だろうか

511:世界@名無史さん
11/12/14 01:20:58.39 0
実際、嫌気さして朝鮮無視して適当に講和した結果が
文禄のあとの講和だろ

512:世界@名無史さん
11/12/14 01:56:36.69 O
あの段階で朝鮮南部が日本になってたら今の朝鮮はどうなってたか
狭い領土で南北に別れてろうか


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