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エジプト停滞の契機となったのはヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰航路の開拓で、
それまで莫大な富をもたらしてきた香辛料のインド・ヨーロッパ間の中継貿易が
激減し、エジプト経済は深刻な打撃を受けた。
当時、カイロを首都としてエジプト・シリアなどを領有していたマムルーク朝は、
同じく香辛料の中継貿易で利益を上げていたヴェネツィアやインドのムスリム王侯と結び、
ポルトガルの香辛料貿易を阻止すべく開戦したが、1509年2月、インド北西部
ディーウ島沖の海戦でポルトガル海軍に惨敗する。
その8年後、マムルーク朝は新興のオスマン朝によって滅ぼされ、エジプトは
政治的にも中東の大国から一属州の地位に転落。