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>>77の続き
16世紀末にはイズミルがオスマン朝のもっとも重要な港となり、次第に
ブルサとアレッポを凌ぐようになった。オスマン朝がイズミル地域に対する
支配力を失うと、フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの承認が
この地域に群がった。イズミルは国際都市に発展し、アラブのラクダの隊商や
アルメニア人、ギリシア人、ユダヤ人、トルコ人の商人の拠点となった。
ヨーロッパ人は綿、羊毛、ドライフルーツ、穀物の活発な貿易を促進し、
ヨーロッパの内部で商品を供給するシステムを確立した。
オスマン朝のイエニチェリ、関税徴収官、その他の役人は自由意志で
行動するようになり、イスタンブルの当局の管理を逃れるようになった。
イズミルがヨーロッパ経済に部分的に統合されると、イズミルとイスタンブルとの
つながりは断ち切られ、オスマン朝は地中化貿易の支配権をヨーロッパ商人に
奪われ始めた。