大航海時代at WHIS
大航海時代 - 暇つぶし2ch768:世界@名無史さん
12/01/07 00:42:47.15 0
>>764
入手難易度

難しい素材で船作るとあっちこっちの港で修理できない

769:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/01/07 03:04:03.94 0 BE:373546548-2BP(7777) 株優プチ(whis)
所々違った木材で補修されたりしたらなんか嫌だなw

770:世界@名無史さん
12/01/07 17:44:52.29 0
テセウスの船・・・


771:世界@名無史さん
12/01/08 20:56:27.84 0
英国帆船で使用された木材のうち主なもの

カシ・ナラ
→肋材、甲板材、船首・船尾材、外板、木釘他

モミ
→円材(マスト・ヤード他)、甲板材、喫水線下の外板

ニレ
→竜骨・竜骨周りの外板、砲架、滑車

772:世界@名無史さん
12/01/08 21:08:58.61 0
この他にもマツやブナ、リグナムバイタ、チーク等が挙げられるが
英国はカシ・ナラ(所謂オーク)に重きを置いていた。
時代は前後するが、ヴェネツィアやジェノヴァでも同様である。
ポルトガルは大航海時代当初より木材調達に苦しみ、植民地での
船舶建造へと進んだ。ゴアではインド産チークを、ブラジル東部の
バイア州では現地産の硬木を、船材として使用した。

773:世界@名無史さん
12/01/10 01:06:39.79 0
木造帆船て今本気で作ったらどれくらいのサイズまでいけるのかな

774:世界@名無史さん
12/01/10 02:33:29.34 0
予算に糸目をつけないのであれば物理的に木材が耐えられるサイズ
どっかで数値を見た記憶があるが忘れてしまった
あと中国が主張する鄭和宝船のサイズはこの限界超えているので捏造確定

775:世界@名無史さん
12/01/10 10:20:50.13 0
櫓の大きさから逆算しているだけなので
ガビン・メンジースなどがメートル法に換算して100mを超えると言っているだけ。

776:世界@名無史さん
12/01/11 00:08:12.95 0
一応帆もあるけど外輪船の木造船Adriatic(Collins Line・1857年)
は全長108m、幅15m、3670総トンだそうです。参考までに

777:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/01/11 04:45:38.45 0
ノアの方舟なんかも限界超えてるのかな?
全長130メートルだったか?


778:世界@名無史さん
12/01/15 10:57:21.70 0
バビロンの神官ベロッソスが「バビロニア史」に記した大洪水伝説では
いにしえのバビロニア王クシストロスが洪水を乗り切るため方舟を作ったことになっている。

何しろ王様が作った方舟であるから、聖書のノアがDIYで作った方舟よりもはるかに巨大であり、
そのサイズは全長900m×全幅が360m(5スタディア×2スタディア)に及んだという。

779:世界@名無史さん
12/01/16 20:32:52.42 0
木造船は長くなると船首尾が垂れさがり、板の継ぎ目から水が入る。
西洋では経験から竜骨長の限界を約60mとしており、それ以上の
長い船を造れるようになったのは斜め肋材が考案された19世紀初め
であった。


780:世界@名無史さん
12/01/16 20:43:51.91 0
鄭和の船隊の主力は「宝船」と呼ばれ、明史によると長さ約140m、
幅約58m、9本マストの巨大船になる。
 
1957年、南京の北西にある明代の造船所「宝船廠」跡から、長さ
11mの一本の舵軸が発見された。これを基に中国の学者が現代の
河船と舵軸の比率から、全長154~170mの船を推定し、宝船の
記録は正しいと論じた。英国の科学史家ニーダムがこれを認めたので
中国の学者は勢いづいた。だが中国の学者の中にも、海船型の舵棹と
考え、長さは約50m程度と考える者もいる。
中国の造船技術が高い水準にあったのは間違いないが、その後の中国
の造船に150mを超える船の遺産はなく、木造船の最高峰に達した
19世紀のヨーロッパにも、このような超巨大船は無い。

781:世界@名無史さん
12/01/16 20:48:50.97 0
明の船は戎克(ジャンク)だから 竜骨のある西洋船や弁材船とは構造がちがうよ

782:世界@名無史さん
12/01/16 21:14:22.53 0
ジャンクにも竜骨に相当する縦通材はあるよ。

783:世界@名無史さん
12/01/16 21:42:04.77 0
中国の船はJunkだから

784:世界@名無史さん
12/01/17 19:10:28.59 0
そもそも中国船=ジャンクというのがおかしいことだけどな

785:世界@名無史さん
12/01/17 21:41:33.90 0
中国の船員の食べ物がジャンクフードと呼ばれ広く普及した

786:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/02/22 10:52:56.85 0 BE:735418679-2BP(7777) 株優プチ(whis)
そういえばコルテスがテノチティトランを攻略したときに
ベルガンティンを何隻か先住民に作らせてるけど造船の指導とかしたのって
兵隊なんだよな。
どの本でも簡単にしか触れられてないけど作業とかってそんなに簡単だったのかね?
通訳とかするのも大変だったろうな。

787:世界@名無史さん
12/03/04 22:43:52.26 0
なんかインカの主食がイモでトウモロコシは酒用みたいなレスをどっかで見たが
酒用とかありえねーから
酒は余剰で作るもんだから。どっちも食ってたが正解。

788:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/03/05 15:19:41.63 0 BE:70040423-2BP(7777) 株優プチ(whis)
インカはトウモロコシで酒作ってたのか。

789:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/05 15:26:13.08 0
>>788
チチャのことだね。インカ帝国において皇帝の支配の正統性を高めるためにも重要だったらしい。

790:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/03/05 16:20:35.79 0
>>789
ありがとう、チチャって噂のあれかw

791:世界@名無史さん
12/03/06 17:03:53.08 0
マチュピチュの棚田で作られていたトウモロコシは儀式等で使う酒造用だったけどな

792:世界@名無史さん
12/04/07 19:00:52.14 0
ああそうだな

793:世界@名無史さん
12/05/13 03:04:53.79 0
保守

794:世界@名無史さん
12/05/13 07:01:14.30 0
現代の蒸留酒にもトウモロコシをブレンドしてしているものもあるな。

795:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/05/13 13:16:53.17 0 BE:630358496-2BP(7777) 株優プチ(whis)
リキュールとかトウモロコシ原料のがあるよね。

796:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/05/13 15:06:08.48 0 BE:116733252-2BP(7777) 株優プチ(whis)
>>50
>・モンテスマ王は最高位の神官であり同時に最高の技術を持った占星術師でもあった。
今更つっこんで悪いがモクテスマ・ショコヨツィンってのは神官だか占い師に不吉な
予兆について聞いてたいした回答もらえなかったから処刑してたしテスココとかにも
質問投げてたよね。
最高位の神官だったってのも違う。王はその上だし最高位の神官はテンプロ・マヨール
にいた2人だよ。
モクテスマは王につく前は軍人だな。武器庫の長官(アステカでは最高ランクの軍人)だった。

悲しき夜でモクテスマが殺された時なんかはモクテスマは民衆を抑えられなかったし
「神の意志」ほどの影響力は無かったと思う。

797:世界@名無史さん
12/05/13 18:59:00.15 O

近代資本主義や偽善的市民革命の前提が、航海時代だからな!?



798:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/05/20 22:18:41.86 0 BE:408565875-2BP(7777) 株優プチ(whis)
>>48
またつっこんでしまって悪いがインカもアステカも内乱期じゃなかったぞ。
インカの場合はワスカルとっ捕まえてすでに内乱終わってたし
アステカはコルテスがきっかけで内乱というか有力都市がテノチティトランに
反旗を翻した。

799:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/05/20 22:30:59.35 0
>>798
確かに、インカ帝国の場合は内乱期というより内乱直後と言ったほうが無難かな。
ワスカルを捕らえたすぐ後にフランシスコ・ピサロと戦うことになった訳だからね。
アステカの場合は、そのエルナン・コルテスがきっかけになって有力都市が反旗を翻したのを、
内乱と言ってしまったんだけど、これはコルテスが引き起こしたものだから、確かに、
内乱期にあったという言い方はおかしいね。まぁ、その前から対立の火種はあったのかも知れないけど。
とは言え、両国ともこのような内乱で国力を消費してしまったことが征服された一因ではあると思う。

800:世界@名無史さん
12/05/22 03:02:37.32 0
インカアステカでは行政上の命令ってどうやって伝えたの?口伝え?
文字がないと内容を一定に保てなくね?

801:世界@名無史さん
12/05/22 03:21:35.91 0
アステカは文字ありでしょ。
インカは徴税についてはキープ(紐結び目)で伝達してたんじゃなかったかな。

802:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/05/22 09:40:37.25 0 BE:560318786-2BP(7777) 株優プチ(whis)
>>800-801
アステカは普通に文書と口頭での命令だね。パピルスみたいな紙とかもあった。
コデックスで各都市の貢納のリストとかが残ってる。

インカはインカ文字とインカ語があったんだけどインカ人はそれを捨ててキープと
ケチュア語に換えたんだよな。
キープは色とか変えたりして数字以外の複雑な内容も記録していたようだが
イースター島のように植民地時代にキープの技術者が全滅して伝承されなかったから
詳しい内容がわからなくなってしまった。

803:世界@名無史さん
12/05/22 20:04:02.17 0
インカ文字ってどんなの?
社会的に普及してたの?

804:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/05/23 01:13:38.93 0 BE:735418679-2BP(7777) 株優プチ(whis)
>>803
俺も見たことがないが文字があったらしい。
ただインカ語を捨てたときに文字も捨てたので、たいしたものが残っていないとの事。

805:世界@名無史さん
12/05/27 02:32:58.58 0
インカ文字???
kwsk

806:世界@名無史さん
12/05/28 00:34:53.85 0
インカじゃなくてカラササヤに象形文字があるんじゃないかというところから誤って伝わったんじゃねぃ
ググったら変なねーちゃんの書き込みがひっかかったが司教像が持つ本云云のタネ本は多分俺の手元にあるやつと同じだと思う

807:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/05/28 00:48:17.64 0
詳しくは知らないんだがなんかケチュア語を取り入れるときに文字と共に言語も
捨てたとかなんとかって読んだ記憶があるんだよな。
ただインカ語ってのも植民地時代までは残ってたが文字は無いとか新大陸自然文化史に書いてあった。

808:山田廼案山子 ◆kMBuLEbO42
12/05/28 01:00:58.81 0
嘘が前提でないと会話ができないコテに付きまとわれるのは迷惑だし
日本中世史を除く全てのテーマは俺にとって片手間の興味にすぎない
専門外の浅い知見だが「インカ文字」について一行だけかかれた本は何冊もみかけたが
「インカ文字」に一つの章をさいて言及した書物なんぞみたことがない

だから俺は「インカ文字」の実在については誤って伝わったと思っている
専門家の御高説を詳しく賜りたいね


おっと俺のコテはNGワードに指定したと以前宣言されているからコノコテに俺のレスは読めんのか
マコトニザンネン(苦笑

809:!kab 水 ◆TCygujgOWY
12/05/28 02:55:54.55 0
これがクスコ近郊のパウカルタンボ渓谷から出た文字だね。
URLリンク(www.nacos.com)

よく憶えていなくて悪いんだがこれとインカ文字?の因果関係とかも知らんけど
インカ人がケチュア語を取り入れる時インカ語と文字を捨てたとか読んだ記憶があるんだ。
まあトンデモ本かも知れないけどさ。

>>808
何書いてるか分からんけど黄金のコディセ見つかるといいな。
何が書いてあるのか気になるよ。

810:世界@名無史さん
12/06/14 17:32:50.45 0
この時代の交易の実態、東インド会社及びプランテーション経営などについて知りたいのですが、
何か良い書籍、webページはないでしょうか?

811:世界@名無史さん
12/06/14 20:45:16.48 0
大航海時代にプランテーションってあったっけ?

812:世界@名無史さん
12/06/14 22:44:00.43 O
興亡の世界史シリーズの「東インド会社とアジアの海」がおすすめ

813:世界@名無史さん
12/06/15 20:01:06.39 0
>>811
すいません、知識がないもので
大航海時代から植民地経営に乗り出す過程や、植民地化された地域の王権などとの関係に興味があるのです。
>>812
よさそうですね、他にご存知ありませんか?

欧州系商人がインド洋~東南アジア~東アジア商圏に参入した当初は、
在来の生産者や商人の集まる既存の市場で交易していたと思うのですが、
後の、インドやインドネシアの植民地などでは、軍事力を背景に市場を独占していたように理解しています。
その場合、その市場で取引可能なのは宗主国の商人だけだったのでしょうか?

814:世界@名無史さん
12/06/15 23:58:09.64 0
そんなことはないだろ。アラブ系商人、ペルシャやインド商人もいたでしょ。
そもそも倭寇すらいて、スペイン軍を破ったとの説もある。そういう文献があるらしい。
ソースは倭寇かなんかでググってくれ。

815:810
12/06/16 11:26:40.43 0
>>814
言葉足らずで誤解を招いてしまったようです。
植民地経営に乗り出し、主要品の生産から一次流通までを管理するようになり、
商品の集積地(市場)もその軍事的な保護下に置かれていたと思うのですが、
そこでムスリム系・華人系(偽倭?)などの他国の商人も取引できたのか?
と言う趣旨だったのです。

816:世界@名無史さん
12/06/17 01:57:11.23 0
時と場所と、細かい内容によるとしか、、、

例えばイギリスのアジア圏植民地は世界恐慌まで自由貿易
しかもポンド決済なので当時の安かろう悪かろうの日本製品はここで外貨を稼いだ。

戦後もポンド圏でしたので朝鮮戦争直前まで主要輸出先でした(というか他で売れない)。

817:810
12/06/17 16:53:25.17 0
>>816
やっぱり地道に資料に当たっていくしかなさそうですね。
ご回答ありがとうございました。

818:世界@名無史さん
12/08/12 22:29:45.09 O
スマトラ島を南回りでインドに向かう航路ってなかったの?

っていう疑問がうまれたのは、17世紀初頭の勢力関係を考えてたから。
スンダ海峡はオランダが主に使ってるし、
マラッカ海峡はポルトガルが睨みを利かせてる。

となると、モルッカ諸島で入手した香辛料を、どのルートで運んでたのかって疑問が出てきた。
もちろんマラッカ海峡とか通る方法もあったんだろうが、リスクが大きいのでは?
ってことで「スマトラ島を南回りでインドに向かう航路ってなかったの?」



819:世界@名無史さん
12/08/13 16:52:02.34 0
ジャワ・スマトラ南の海岸は寄港地がろくにない難所なんで基本的に避けられる。
しかしポルトガルがマラッカを占拠したんで、イスラム商人はやむなくジャワ・スマトラ南ルートを採るようになった。
スンダ海峡経由のスマトラ南ルートはオランダの主要ルート

820:世界@名無史さん
12/08/15 21:17:28.15 0
オランダがスマトラの南を通るようになったのは季節風の関係じゃなかったっけ。

821:世界@名無史さん
12/08/17 01:50:25.92 0
帆船時代の詳細な航路って、どの本見ればいいのやら。
おおまかな航路は世界史の教科書にだって乗ってるが、
>>819の示したような航路なんか俺は見たことがない。各国ごとの航路なんてなおさら。
資料を読み込めば、見えてくる部分もあるけどね。

>>820スンダ海峡を西進し、そのまままっすぐ喜望峰をまわるルートなら季節風も利用できるオランダ人お得意の航路だな。
しかし、スンダ海峡を通ってスマトラ島西海岸をまわるルートはきいたことないなあ


822:世界@名無史さん
12/08/20 03:32:38.86 0
パダンぐらいはルートに含みそうだが

823:世界@名無史さん
12/11/27 23:06:31.22 0
パダンにはオランダ商館があったね。
おおまかな航路図としてはこんな感じか。
URLリンク(www.kyuhaku.com)

824:世界@名無史さん
12/11/30 13:09:17.26 0
URLリンク(seiji.yahoo.co.jp)

825:世界@名無史さん
13/02/15 23:32:45.26 0
>>758
その認識であってますね
保存する時は松脂が抜けないように海水に漬けてたとか

826:世界@名無史さん
13/09/27 17:09:13.50 0
age

827:世界@名無史さん
13/10/04 13:53:00.96 0
宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館 11/3リニューアルオープン!
URLリンク(www.santjuan.or.jp)

高速もドラ割で安いし、いっちょ行ってみるかな

828:世界@名無史さん
13/10/07 21:33:00.70 0
あげ

829:世界@名無史さん
13/12/05 23:37:11.25 O
1412年に小浜にポルトガルが来てるぞ。
随分早いな。

830:世界@名無史さん
13/12/06 00:12:39.37 O
この南蛮は東南アジアだな。

831:世界@名無史さん
13/12/06 00:33:29.96 0
南蕃のほうが誤解うまなくていいな、1408年にも小浜にきとるよ
亜烈進卿の使いで、「生象一疋黒、山馬一隻、孔雀二対、鸚鵡二対」を贈呈品として持参
アラジン卿ってのは、明からパレンバン宣慰使に任命されていた施進卿やね

832:世界@名無史さん
13/12/07 08:45:25.77 0
藤本

志村

有田

大宮

大蔵

833:世界@名無史さん
13/12/08 16:15:41.78 0
>>831
室町時代に日本に来たアラビア人で足利将軍家の貿易顧問になって
その後、日本に帰化した人がいたそうだね。
日本人と結婚して子孫は堺で商人として栄えたとか。
今でも子孫いるのかな?

もっと古い話だと飛鳥時代に聖徳太子に仕えた帰化人の秦氏も西域の出自で
キリスト教徒(ネストリウス派)ゆえに他の宗教に迫害され、日本に渡ったとか。

834:世界@名無史さん
13/12/09 14:10:58.72 0
はげああほいあ

835:世界@名無史さん
13/12/11 20:04:30.85 0
バルボアGJ

836:世界@名無史さん
13/12/13 15:55:43.27 O
海流でアフリカから南米まで意外と早く行けるんだな

837:世界@名無史さん
13/12/13 19:51:15.62 0
NZから南米もすぐだよ。

838:変わり者
13/12/13 23:48:20.18 I
センターレベルの世界史に興味のある人は見てください。
URLリンク(ameblo.jp)

839:世界@名無史さん
13/12/17 21:47:53.58 0
しつもんです
インド洋→太平洋→大西洋のルートで、はじめて世界を一周したひとはだれですか。

840:世界@名無史さん
13/12/17 22:35:55.35 0
うーん、初めてフィリピンからメキシコまで航行したのはアンドレス・デ・ウルダネータだけど・・・
大西洋→太平洋→フィリピン→太平洋→大西洋(1564-1566年) だから、質問の趣旨からはズレるな
また、二つの方向(西回りと東回り)での世界一周を史上初めて達成した人物は、
マルティン・イグナチオ・デ・ロヨラ(フランシスコ会修道士でイエズス会創設者とは別人)で、
東回りの航行をしたのは1585-1589年にかけて。
だから、きっとあまり有名じゃない人が1567年から1584年のどこかで成し遂げたんだと思う

841:世界@名無史さん
13/12/18 13:11:07.68 0
藤本

志村

有田

大宮

大蔵

842:世界@名無史さん
13/12/20 22:05:11.76 0
マゼランとは逆コースでの世界一周は、英語版のウィキペディアでも議論になってるみたいね。
これは結構難問かもよ?

URLリンク(en.wikipedia.org)

843:世界@名無史さん
13/12/20 22:36:00.10 0
>>842
見てみたが、一周航海においてあんま小分けになってちゃダメよ vs いやアリだよ!って議論だよね
そこがOKなら上にも出たマルティン・イグナチオ・デ・ロヨラ、NGならトビアス・フルノー(1772?1774)てことで
個人的には、そんな瑣末な条件を考えなくていいと思うけどなぁ・・・18世紀後半まで引っ張る話じゃないだろ

844:世界@名無史さん
13/12/20 22:53:17.74 0
仮に東回りをまだ誰も成し遂げてないというのが周知の事実であったとすれば、
確実に17世紀前半までには名誉心にかられたやつが一周チャレンジをしたろうな。
そのロヨラなりがやってることになってたから、誰も二番煎じに挑まなかったということやろ。

845:世界@名無史さん
13/12/20 23:59:13.72 0
自分の船で世界一周か、他人の船を乗り継いでの世界一周かで話は変わる。

1565年以降はマニラ・ガレオンの航路が出来てフィリピン→メキシコの
太平洋横断船がたびたび出ているから、インド方面からフィリピンまで
出張ってきた西欧人がこの便でヨーロッパに帰ったというケースは
>>840の言うように1585年のロヨラ以前にもあったはず。
確証があるわけじゃないが蓋然性で考えるとそう思う。

846:世界@名無史さん
13/12/21 00:20:39.84 0
1580年のスペイン・ポルトガル同君連合の成立までは、けっこう難しかったんじゃないかな
東南アジアへの西回りルートはポルトガル、東回りルートはスペインという図式
修道僧ならどちらも相乗りできたかもしれんけど、1585年のロヨラってのは案外いい線いってそう

847:世界@名無史さん
13/12/21 02:33:39.58 0
マゼランの艦隊も長旅で既に半壊状態のところで
インドらへんからは既存の航路だったけど
トルデシリャス条約のおかげで近くによると砲撃されるから
アフリカらへんは無寄港で遠洋を回って帰ったんだよな

マゼランは喜望峰ルートでフィリピンまで行ったことあるから
マゼランは世界一周したという論理もあるけど、
やっぱ世界周航する!って宣言した港から出て
同じ艦隊で港に帰ってこないと認めらんないな個人的には

848:世界@名無史さん
13/12/21 05:53:37.15 0
マゼラン個人は一周してないけど、マゼラン(艦隊)世界一周
の意味と解している

849:世界@名無史さん
13/12/21 14:41:12.65 0
艦隊指揮を引き継いだフアン・セバスティアン・エルカーノに代表させることが多いね
正確には生き残って帰港できた乗員18名が最初の世界一周者ということになるけど

850:世界@名無史さん
13/12/21 17:42:19.90 0
船単位で考えるとよか

851:世界@名無史さん
13/12/21 18:09:24.24 0
エルカーノたちの最後の乗員18名のうち四名はアジアで補給した乗組員とか
Wikipediaに書いてあったから世界周航を達成できたのは14人なんじゃないか?
船単位で考えるなら問題にならないポイントだけど

個人として初めて世界一周したってのと
企画としての世界周航を成し遂げたってのはやっぱ違うよね

852:世界@名無史さん
13/12/21 18:24:44.91 0
エルカーノのwikiみたら、18名とは別にアジア人4人が乗っていたという書き方にみえるね
ほかの裏づけ資料をみたわけじゃないから真偽のほどは分からんけど
> 出航時点で265名いた乗員は帰還時にはエルカーノを含め18名にまで
> 減っていた(この他に途中から乗り込んだ4名のアジア人が含まれる)。

853:世界@名無史さん
13/12/21 18:40:51.04 0
英語版wikiの「Victoria (ship)」には西欧人帰還者全員の名前乗っけてるね
「The 18 who returned to Seville in Victoria.」と冒頭に書いてるのに19名載ってんだけどw
Juan Sebastian Elcano, captain-general.
Miguel de Rodas, boatswain (contramaestre) of Victoria.
Francisco Albo, of Axio, island of Rodos, boatswain of Trinidad.
Juan de Acurio, of Bermeo, boatswain of the Concepcion.
Martino de Judicibus, of Genoa, superintendent of Concepcion.
Hernando de Bustamante, of Alcantara, barber of Concepcion.
Juan de Zuvileta, of Baracaldo, page of Victoria.
Miguel Sanchez, of Rodas, skilled seaman (marinero) of Victoria.
Nicholas the Greek, of Nafplion, marinero of Victoria.
Diego Gallego, of Bayonne, marinero of the Victoria.
Juan Rodriguez, of Seville, marinero of the Trinidad.
Antonio Rodriguez, of Huelva, marinero of Trinidad.
Francisco Rodrigues, of Seville (a Portuguese), marinero of Concepcion.
Juan de Arratia, of Bilbao, common sailor (grumete) of Victoria.
Vasco Gomes Gallego (a Portuguese), grumete of Trinidad.
Juan de Santandres, of Cueto, grumete of Trinidad.
Martin de Isaurraga, of Bermeo, grumete of Concepcion.
The Chevalier Antonio Pigafetta, of Vicenza, passenger.
Hans Barge, of Aachen, gunner.

854:世界@名無史さん
13/12/21 21:02:00.87 0
ほんまや
じゃあ22人で内4人がアジアでの雇用セイラー
って感じなのかな

19人いるのは謎だわ

855:世界@名無史さん
13/12/21 21:16:33.36 0
謎の怪奇現象かw

856:世界@名無史さん
13/12/21 22:44:17.66 0
とりあえず、名前の後ろにVictoria(ビクトリア号)、Trinidad(トリニダッド号)、Concepcion(コンセプシオン号)
と記載のある連中は、それぞれの船で役目をもってた当初からの乗員だろうな
それがない最後の二人のうち、Antonio Pigafettaってのはマゼランに同行して航海日記を書いた有名人
ということで、ドイツのアーヘン出身らしい砲撃手Hans Barge ってのが怪しいな・・・一人だけラテン系外

857:世界@名無史さん
13/12/25 00:21:09.90 0
「船長エルカーノほか18名」と書くところを間違って「18名」とだけ書いてしまったんだろ

858:世界@名無史さん
13/12/25 01:06:54.46 0
本当は死んでるけど帰ってきたんだよ!

859:世界@名無史さん
13/12/25 13:16:31.64 O
カマっぽい書き方の奴が一人いるか

860:世界@名無史さん
13/12/26 11:58:14.63 0
福井

宮城

横浜湖

徳島

青森

861:世界@名無史さん
14/01/04 20:10:53.41 0
大航海ごはん ★2
スレリンク(livenhk板)

862:世界@名無史さん
14/01/06 01:06:46.18 0
大航海時代Ⅴ 15年ぶりのシリーズ新作
URLリンク(www.gamecity.ne.jp)

863:世界@名無史さん
14/01/07 00:00:44.05 0
メキシコというかカリフォルニア、ネバダからブラジル除いた南米ほとんどがスペイン領だったとはすごいわ
スペインってローマ帝国の片田舎だったわけで

864:世界@名無史さん
14/01/07 02:03:12.37 0
今も輝いてる英仏独もローマ帝国時代は蛮族の土地だったんやで

865:世界@名無史さん
14/01/07 02:56:57.52 0
イタリアは何で大航海しなかったんかな?
コロンブスもアメリゴ・ベスプッチもイタリア人だし

小国ポルトガルすらブラジルからマカオまで、ポルトガルは小国すぎて
あれ以上移住すると人口が減り過ぎて本国がもっと衰退したらしい

866:世界@名無史さん
14/01/07 04:35:55.91 0
交易を独占している国が、新たな航路を模索しないだろ。

867:世界@名無史さん
14/01/07 13:18:09.99 0
>>865
そんな国はなかったから

868:世界@名無史さん
14/01/07 13:18:54.81 0
てかイタリアの南半分とシチリアはスペインなんだから大航海しとるやんな

869:世界@名無史さん
14/01/08 13:01:54.49 0
杉本

横浜川

宮根

恵比寿

六本木

870:世界@名無史さん
14/01/09 20:23:35.30 0
スペインは黄金を探しに新大陸を発見したが黄金よりもジャガイモやトウモロコシなどの
農産物の方が黄金よりはるかに人類に貢献してる宝だった。何よりも土地と資源なんだが

871:世界@名無史さん
14/01/10 14:26:02.38 0
現在、地球上ではジュマ、ロヒンギャ、ハザラ、チベット、ウイグル、モンゴルなどの少数民族、
ボルネオ、ミンダナオ、パプア、アマゾンなどの先住民が絶滅に晒されている。
このまま地球の肺であるアマゾンが全部畑になっていいとは思えないが、アマゾンなど熱帯雨林の
先住民と人類の前途は大丈夫なのか不安を感じる。エミコンダ制はブラック企業の走りとも思える。

872:世界@名無史さん
14/01/11 12:38:09.18 0
ウィグルとモンゴルにいる少数民族ってなんだっけ?
ウィグルにはキルギス人やらタジク人もいるけど本国にはわんさといるし?

873:世界@名無史さん
14/01/11 13:54:09.87 0
>>872
書き方がまずかった。中国国内の内蒙古モンゴル人とウイグル人ね(^^;)

874:世界@名無史さん
14/01/12 09:27:28.21 0
大航海時代の始まりは分かるけど
終わりは西暦何年になるんですか?

875:世界@名無史さん
14/01/28 16:53:44.81 0
回答:まだ終わっていません。

876:世界@名無史さん
14/01/28 17:09:29.77 0
ガレオンとかガレアスって大きさ・全長・横幅・全高(船体のみ、マスト含まず)って
どの位だったの?


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